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坂東眞理子・上野千鶴子『女は後半からがおもしろい』(潮出版社)

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坂東眞理子(ばんどう・まりこ1946-。昭和女子大学学長)
上野千鶴子(うえの・ちづこ1948-。社会学者)
『女は後半からがおもしろい』
2011年5月20日初版、6月1日3刷
潮出版社
1100円+税

本書、「はじめに」が坂東眞理子で「あとがき」が上野千鶴子で、「ちがいすぎる私たち」「女が道を切り拓く」「現代社会と女のあれこれ」「新しい老いのかたち」の4章構成。
ご存知でしょうか、坂東(旧姓菅原)も上野も富山生まれなんですね。「富山は・・・女の働きがなければ夜も日も明けないのに、女には意思決定権がないところ」(上野p18)で「だから女性たちは外へ出て活躍する」(坂東p19)という土地柄。
坂東が富山県人だなあと思うのは例えば「たいしたことのない私が、たまたま公務員という仕事を選んだことで今までやってくることができたんだと思うんです。だからその分、お返しする責務を負っているような気がしています。」(p51)-こういう謙虚さ(たいしたことのない/たまたま)・さりげない提言の大胆さ(だから/お返しする責務を負っている)、富山県人ならではです。身贔屓すぎるなら、北陸人に言い換えても構わない。
一方上野は「わたしは下ネタでひんしゅくを買った学者」(上野「あとがき」p145)。僕なんかも『スカートの下の劇場』、近所の図書館で借りて読みました(照)。本人の言う「下ネタでひんしゅく」って、上野のどの発言・行動を指すのか不明ですが(たくさんありすぎ?^^)、僕が今でも覚えていて、でも「いや、あれはひょっとして自分だけの幻だったんかも」ってのが、上野の朝日新聞「おまんこ」記事。何年前になるか朝日の元旦号だったと思う、上野が寄稿しその中で「おまんこ」とハッキリ書いていた。それがどのくらい話題になったのか/ならなかったのか知らない。上野が偉いのか、朝日新聞が偉いのか、どっちなんでしょうね。自由そうな日本のジャーナリズムだって天皇・右翼・山口組・総連・部落・原発・SEXなどけっこうタブーってありますよね。上野はどの程度風穴を開けたんでしょうね。

互いに相手を尊敬し認め合う坂東と上野が、こうした対談でこれまでの人生の達成感を語り合うのを読むのは、「女心のわからない貴男」(帯より)である僕にも楽しい。2人は無論茨の道を突き進んできたのだろうが、
少なくともこの30年の間に、政府の内側と外側という立場は異なっても、私たちのやってきたことが女性を取り巻く環境を変える力に少しはつながったのかな、という思いは確かにあります。(坂東「はじめに」p.2)
富山生まれのふたりの女の共通点は、ふりかえって前例のない経験をいくつも切りひらいてきて、あー、たのしかった、この時代に生きてきてよかった、と言える、その前向きの楽天性にある(上野「あとがき」p149)
2人の成功の要因は、一つには現場第1主義でしょうね。現場からの発想・現場に密着した構想。もう一つはそれと関連してのリアリスト。お茶汲みだってコピーだって別に厭わなかった、そんなところでケンカして無駄なエネルギー消耗しないようにしたんでしょうね。そして、上野には山口昌男(p56)、坂東には千石保(p57)といった強い味方もできる。余談ですが、内ゲバ・教条主義の民主党、坂東や上野のフットワーク、見習うといいのでは。

団塊世代の男がともすれば「老後は旅行や趣味に勤しんで」(坂東p142)となるのに対して、坂東も上野もまだまだ元気。
団塊の世代は・・・少なくともあと20年は健康ならばお金にならなくても、世の中のためになる活動をするというふうに生き方が変えられないものだろうか、と考えますね。これからの日本には、それが一番重要じゃないかと思うんです。(坂東p141)
「3.11」の歴史的な大震災のあとに、この本を世に送り出すことにかくべつの感慨がある。壊滅的な空襲のあとも、原爆のあとも、あてにならないおクニを頼らず、復興のために歯をくいしばってはたらいたのは女たちだった。女は弱者だ。弱者だからこそ、助け合い、分かち合うことの意味をよーく知っている。(上野「あとがき」p149)
本書タイトル「女は後半からがおもしろい」って確かにこのお2人この後の人生もすごそうですね。
二人とも、「さぁ、もうひと仕事しなくちゃ!」の気構えです。(坂東「はじめに」p5)
# by tiaokumura | 2011-06-14 20:18 | | Comments(6)

菊池雄星「ビックリするくらいのピッチャー」

当ブログ、これが1683件目の投稿になるが、これまでの記事でベスト10に入るのが「泣くな菊池雄星君、夏があるぞ!」(2009年4月2日付)だろう。←って自分で勝手に思ってるだけじゃけんど^^。ご興味がある方はこちらでお読み下さい。以下に、どのくらいケッサクかわかってもらうために(嘘爆)一部引用。
(前略)
菊池雄星君、この時間もう君は泣き止んでるかな。東北魂に満ちた不敵な面構えは戻っているかな。準優勝に終わったけど、君たちの偉業は長く後世に伝えられる。近い将来「白河の関」を初めて優勝旗が越えることも予感させる君たちの躍動だった。
君以外に君を責める者はいない。佐々木監督も川村主将も千葉捕手も、猿倉君・柏葉君・猿川君・山田君・佐藤(涼)君・佐藤(隆)君・佐々木君も、野球部みんな、野球部員のご家族、花巻東高校生・教職員、花巻市民、岩手県民・・・みんな君の熱投に「ありがとう」と言っているだろう。僕も久しぶりに高校野球に熱くならせていただいて、君と君の仲間たちに感謝申し上げたい。今どきの高校野球では珍しい「全員が県内出身」だそうだね、チームワークもすばらしい。
決勝戦後の佐々木監督・川村主将の弁もすばらしい。準優勝で満足なんかしていない。その意気軒高たるや、よし。
恥ずかしながら僕は花巻と言えば宮沢賢治しか知らなかった。賢治の「春と修羅」の一節を引用したい。
・・・雲はちぎれてそらをとぶ/ああかがやきの四月の底を/はぎしり燃えてゆききする/おれはひとりの修羅なのだ・・・(ちくま文庫版『宮沢賢治全集Ⅰ』p30)
今の君が「修羅」かどうかはわからないが、ネットで君が泣いたことを読んで「春と修羅」を連想した。今回の君たちの活躍を僕は「イーハトーヴ旋風」と名付けたい。君たちは「風の又三郎」たちだったかも。
君はもう明日から練習開始だろうね。授業も始まることだろうね。やがて始まる岩手県予選を勝ち抜いて、君や君の仲間たちが夏の甲子園に登場することを、ここ北陸の地で願っています。
泣くな菊池雄星君、夏があるぞ!
-以上、引用

そんな菊池君の「プロ野球初登板初先発」ということで、昨日6月12日の午後2時からTV(BS朝日?)にかじりついた^^。
注目の初球は145キロの直球。1回1失点するもまぁまあ無難な1・2回だった。2回裏に西武が逆転。その時、ベンチ前でスローイングをしている菊池をTVカメラが映し出した。味方の逆転に笑顔がこぼれる菊池-その時、「あ、これはこの後打たれるな」と僕は思った。19歳の若者に酷だが、この程度のことで笑顔を見せているようではプロとは言えない。案の定、3回表、菊池は阪神打線につかまりあえなくKO。菊池のプロデビューは、2回1/3・53球6被安打4失点。チームは再逆転したので負けはつかず。こういうところは(皮肉ではなく)強運の持ち主なのかもしれない。
今日は新聞休刊日だが、ネットに試合後の会見記事あり。この程度のデビューで試合後に会見もいかがなものかと思うが、ニュースヴァリューがあるとジャーナリズム(あるいは西武球団)は判断したんでしょうね。webの日刊スポーツによるとその会見で菊池は号泣したそうな。
・・・何度も目頭を拭き、はなをすする。「去年のことはすべて自分に必要な経験だったのかな。誰にも話せない悩みとかがあって、いろんなことを言われたり書かれたりして。(ファンの)声援を聞いて報われました」。絞り出した声が震えていた。
昨春の入団以来、苦しい日々だっただろう。高校時代とは比べ物にならない厳しいプロの世界。己の能力に絶望し、周囲の期待に押しつぶされる。ただそうは言っても試合後のインタビューでこのように告白するのはプロとしていかがなものだろうか。ダルビッシュ有だって未成年喫煙の時は袋叩きだったが、たくましくも地獄の底から這い上がってきた。田中将大も何度もボロクソに言われながらそれなりの結果を出してきた。菊池君には悪いが、なんだか女々しい気がしてガッカリ。
超高校級という鳴り物入りでプロ入りしても、大成しなかった選手のほうが圧倒的に多いだろう。読書家で頭がよくて純朴な菊池君らしい昨日の「プロデビュー物語」(ご両親も観戦)なのだろうが、僕は正直ガッカリであった。ダルビッシュ、田中、涌井らプロとしてのお手本はまわりにたくさんいる。彼らに一歩でも近づけるように、今の自分には何が足りないのか、気迫なのか球種なのかスピードなのかコントロールなのか投球術なのかスタミナなのか、冷静に自分を見つめるべきだろう。菊池君には、自分がプロとして生き残れる道(個性)を一日も早く見つけてほしい。「雄星伝説」を紡いでいってほしい。今のままでは2軍落ち→引退である。
会見の最後の彼の以下の弁に菊池君らしさを感じた。
こんなところで終わるような人間であってはいけない。ある意味ここがスタートライン。今日のピッチングでもっとうまくなりたいと思った。ビックリするくらいのピッチャーになって、もう1回かならず西武ドームで投げたい。
ビックリするくらいのピッチャー」、ホロ苦いデビューではあったが、やっぱり僕はこれからの菊池雄星君に期待したい。
# by tiaokumura | 2011-06-13 20:20 | このブログのこと | Comments(0)

わたしと3.11 「アジア子どもの夢」代表 川渕映子さん(朝日新聞富山版2011年6月12日付)

わたしと3.11 「アジア子どもの夢」代表 川渕映子さん(朝日新聞富山版2011年6月12日付)_f0030155_13365996.jpg
朝日新聞富山版に連載中の「わたしと3.11」の今朝は川渕映子さんだった。記事中のリード部分を以下引用。
富山市のNGO「アジア子どもの夢」の代表、川渕映子さん(61)は、ほぼ毎週の日曜日、宮城県石巻市に出向く。仲間と一緒に、炊き出しをしたり生活物資を配ったり。東日本大震災の発生から3か月。車に積み込む支援物資は、被災者の表情とともに、少しずつ変わってきた。(朝日新聞2011年6月12日付 久永隆一記者)

アジア子どもの夢」のボランティアバス第1便が現地に入ったのは3月20日で、僕がそのことを知ったのは高才弘さんからだったかなあ。川渕さんも高さんもそうですが、ここ数年、いろんな人とのネットワーク、自分にはできてきてるんですね。ありがたいことです。
ボランティアバス、僕は4月9日・夢ハウス発の第4便にちょこっと混ぜていただいた。0泊3日^^とか聞いてて、体力持つかなあと心配だったのですがなんとか夜行バス往復できました。現地では主に「ヤキソバ」係りを担当。その時の体験は当ブログ記事「いざ石巻へ」「ぷちボラ@石巻」ご参照。もう一度現地に行きたいと思っているうちに癌が見つかってもうて(汗)当分行けそうにない。秋口にでも体力が回復したら再訪できるかなあ。

朝日記事との関連で2つのことを書いておく。
義捐金」、国内・海外からずいぶん集まったはずだが、未だ被災者の方々に届いていない。いろんな事情があるにせよ、遅すぎですよね。「お金」のありがたさ・必要度・安心感って我々の日常生活でさえ当たり前。ましてや被災者の非日常生活にどれほど「お金」は効果を発揮することか。政府・国が頼りにならない今日だからこそ、せめて義捐金が一日も早く被災者の方々の許に届いて役に立ってほしい。これからも何年も何十年も続く長丁場、募金活動の継続も大切でしょうね。ただ前述のように義捐金が必ずしも有効に生かされていない現状を思うと、同じお金を出すのなら義捐金募金以外もアリなんじゃないだろうか。被災地の自治体に直接送るってのも一つだし、僕がここで特に提言したいのは「アジア子どもの夢」のような信頼できる団体に寄付すること。志ある諸団体が資金不足で充分な活動ができないでいる現状、なんとかしたいですね。
もう一つ。「アジア子どもの夢」ボランティアバスは5月22日が第9便で、次回第10便は6月26日になります。第10便についてブログ「NGOアジア子どもの夢 東北地震支援プロジェクト」より以下転載。
日 程:
 6月25日(土)夜8~9時ごろ出発
 6月26日(日)石巻市 湊地区、渡波地区
 6月27日(月)夜中の1時目標で富山に帰ってきます。
集 合:夢ひろば
 午後5時ごろから、積み込みなど始めます。
 お手伝いに来ていただける方、よろしくお願いします!
参加者持ち物;
・カッパ(上下)
・運動靴
・長靴
・軍手(ゴム手もあった方がいいです)
・ゴーグル(風の強い時に欲しいです)
・マスク
・食事代(帰りはサービスエリアで夕食をとれます)
# by tiaokumura | 2011-06-12 13:36 | 東北地方太平洋沖地震 | Comments(2)

やっぱり癌でした

妻の時は100日ほど病室に泊まりこんだが、自分のことでこんなに病院に通うのは人生初でしょうね(照)。
5月14日・A病院、27日・B病院、28日・A病院、31日・A病院、6月2日・C病院、3日・C病院、6日・C病院、9日・C病院。明日10日はB病院です。
癌が見つかったのは5月28日@A病院。この日、午前8時半にA病院に入り、尿・肝臓・胃カメラ。胃カメラ、僕は初体験でした。実にきついんですね、あれって。ゲボゲボ吐きながら涙もにじんできたりして(激爆)。で看護婦さんが「余裕があったら画面を見てください」ってなことをおっしゃるので、ちょっと頭上のモニター画像を見る。昔『ミクロの決死圏』って映画ありましたが、あれみたいなもんなんでしょうね。僕の体内を移動するカメラ。そして素人の僕にもそれとハッキリわかる癌、さらにあちこちに鮮血。いったん帰宅して午後2時からD医師による説明を受ける。D医師、40代でしょうか、実直な感じのドクター。昔と違ってイマドキは本人に告知が普通なんでしょうね、あっさり「胃癌です」。しかも「早期ではない」とのこと。自分でもさっきの画像見てそうだと思ってたので、別に驚きもうろたえもしませんでした。自分、鈍感なのかふてぶてしいのか^^。「やっぱ、そうだったか」「なったもん、しょうがない」ってなところが初発の感想。そのあとに「6月24日の名古屋出張、行けるかなぁ」「余命、どのくらいなんだろう」「生活や仕事、どんな制限が出てくるんだろう」ってな疑問が脳裏をよぎった。D医師曰く「大きい病院を紹介しますがどこがいいでしょうか」。僕にはA病院も「大きい病院」に見えるけど、僕の癌はかなり深刻なんで「もっと大きい病院」のほうがいいというご判断なのかもしれない。富山県内で僕の知る「大きい病院」っても5つくらいしか思いつかない。よく世間の噂で「どこそこの病院は何系が強い」とか「どこそこの病院は何系はダメ」とか「どこそこの病院の某医師は○○の名医」とか言われるみたいだが、今までそんなの気にしてなかったのでどこの病院がガンに強いかなんて自分にはようわからん。自宅からの距離を考えて、D医師に「C病院、お願いします」と言う。
帰宅して本棚を眺めてたら江國滋『おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒』(新潮文庫。平成12年11月)が目に入った。昔読んだ時は気にしないで読み過ごしてたのですが、江國の場合は食道癌で発見から死まで約半年。亡くなったのは今の僕より若い「もうちょっとで63歳」だったんですね、70歳くらいだとばかり思い込んでいました。
31日、A病院で大腸。終わってからD医師にC病院紹介状をもらう。宛名を見て2つビックリ。A4封筒中央に「E先生御机下」とあった。Eは僕の中学高校の同学年になるんですね、ビックリ。Eとは親しく話したことも一緒のクラスになったこともないが、名前だけは記憶にある。Eは、こうやって紹介状に出てくるのだから凄腕の外科医なんでしょうね。あと「御机下」って敬称にもビックリ。医学界っちゅうところはこういう敬称、当たり前に通用する世界なんでしょうね(激爆)。
6月2日、C病院・E医師。お互い顔の記憶はないけど、まぁ同じ中学高校だったことは理解できたか。C病院に何日か通いあれこれ検査&E医師の説明など。癌は胃・肝臓・大腸・食道に。ヘヴィースモーカーなんで肺癌は絶対あると思ってたのですが、今のところ「肺はきれい」みたい、意外です。
E医師、僕が中学の同期生だからじゃなく、誠実な職業意識からなんでしょうね、あれこれスタッフと打ち合わせてくれてるみたい。外科医って人間はパーツの集合体って割り切ってるんでしょうね、僕なんかにはどの部位も「わが身」で「かわいい」と思っちゃいますが^^、延命のためには切除せんならん箇所も、僕の場合いくつもあるみたい。今日9日、入院・手術の日取りがほぼ決まりました。やがて生還・復職と思っていますが、まぁこればかりは、ゼロ・サムかもしれん^^。E君によると現在の医療技術はずいぶん進んでるらしいですが。
タバコ・アルコール・コーヒー、これで10日くらいやめています。禁断症状もない。それだけ癌の力が強いのか、あるいは意外と自分って意志強固なのか(嘘爆)。

当ブログで何度か書いていますが、僕は神仏も霊魂も輪廻も信じていない。この間日本の小学生の女の子がローマ法王に「日本の子どもたちはどうしてこういうひどい目に遭わなければならないのですか」と質問していた(正確な内容は忘れた)が、その通りだと思う。ローマ法王だって答えよう、ないでしょうね。自分が癌になったからといって宗旨替え^^して神仏にすがろうとは思わない。自分のために誰かに祈ってもらいたいとも思わない。藁人形+五寸釘もご勘弁だけんど(激爆)。
自分は一応真宗門徒なんで、死んだら火葬→骨→墓と進み、やがて大地に帰するのでしょうね。それ以上でもそれ以下でもない。

僕は入院って、30代に1回経験しただけです。あの時は塾の冬期講習中にダウンして人生初の入院に。入院中のTVで三浦和義がロンドンからの中継でグリコ森永の犯人を非難してたような気がするけど、記憶違いかな。
今回、人生2回目の入院。入院生活、見るもの聞くものほとんど全てが新鮮で、そんなに退屈しないでしょうね。本読んだり、数独やったり、語学の勉強したり、散歩したり、「癌日記」つけたり。面会はなるべくないほうがありがたい。面会者とのスタンス、どうとればいいのかわからないんですね。仕事についてはスタッフに任せるしかない。最終責任は自分が取るってとこだけはきちんと守りたい。

ブログに己の癌の告白なんて、露悪趣味かもしれませんね(汗)。
でも、これまでの人生で一番「」に近いところにいるのは確かなので、そういう中でどう過ごしたか、ときおり当ブログにカテゴリ「癌日記」で投稿します。何かのご参考になれば幸い。でも、C病院、PC環境どうなんでしょうね。
# by tiaokumura | 2011-06-09 20:24 | 癌日記 | Comments(18)

シネモンド(金沢)でゴダール作品を観る

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(6月11日午後・記)
ゴダール映画を観に、2日間、シネモンド(金沢)に通った。シネモンドでは6月4日(土)~17日(金)と『ゴダール・ソシアリスム』が上映され、それに合わせて「ゴダール映画祭」があり『勝手にしやがれ』『気狂いピエロ』『はなればなれに』『右側に気をつけろ』『映画史特別編 選ばれた瞬間』を日替わりで上映。

6月4日(土)
JR北陸本線で富山→金沢。車中、讀賣・日経。昼食は金沢駅構内・金沢百番街にある「菜香樓」で「ホタテ入りおかゆ(小)」+「五目あんかけラーメン」、1428円。金沢駅前からバス、香林坊で下車、200円。シネモンドはKOHRINBO109の4Fに入っている。シネモンドで映画を観るのはK.S.ラヴィクマール監督『ムトゥ 踊るマハラジャ』(MUTHU。1995)以来かなぁ。アップした写真、シネモンドの入口付近です。
ゴダール・ソシアリスム』(FILM JLG SOCIALISM。2010)。不快かつ不安な音(音楽)、不安定かつ醜悪な映像、おびただしい引用・饒舌、全体にはめ込まれた数々のコラージュ、いかにもそれっぽい出演者たち。この映画、何もかもが「ゴダールワールド」なのでしょうが、あのゴダールが80歳(映画公開時は79歳)にして到達した地点がここかと思うと、なんだか寂しくガッカリな感じもする。こういう映画って坂本龍一のように「素晴らしすぎる!映像が、暴力的な音声が、すごい!」って評価しておけばいいのでしょうが、正直申してようわからん映画でした、ワシには(恥)。西欧とかフランスとかの基礎知識(哲学・思想・歴史・宗教など)が自分にはないせいでしょうね、「ようわからん」ってのは。
気狂いピエロ』(PIERROT LE FOU。1965)。40年ぶりくらいの再会になるでしょうか、この映画。昔も今も僕のNo.1映画です。かつて5回くらいは観たかなぁ。今回こうして久しぶりに観て、細部にわたって記憶に残っていた。マリアンンヌ (アンナ・カリーナ)がフェルディナン(ジャン=ポール・ベルモンド)を書いた詩-「やさしくて、残酷/現実的で、超現実的/恐ろしくて、滑稽/夜のようで、昼のよう/平静で、突飛な/素晴らしき気狂いピエロ」も、フェルデイナンがダイナマイトで自爆の後に流れるマリアンヌとフェルディナンのA.ランボーの詩の朗読-「みつかったわ!/何が?/永遠が!/太陽にとけこむ-/海が」も懐かしかったぁ。
外に出たらずいぶんな人だかり。加賀百万石まつりとかでその武者行列?を見ようって人たちなんですね。それはそれでいいのですが、困ったことに道路が封鎖されていてバス運行がない。体力があれば金沢駅まで歩くところですが(40分くらい?)、今の体力じゃ無理。おっかなびっくりでタクシー利用。運転手さんじゃ1200円くらいってことでしたが1490円。痛い出費でした。
JRで富山に戻り、富山駅構内の「越中茶屋」で夕食。よもぎそばセット890円。八尾そば。

6月5日(日)
当初の計画ではこの日も『ゴダール・ソシアリスム』を観るつもりでしたが、2回観ても「わからん映画」はわからんまま(つまんないまま)だろうから^^止めにしました。家で昼食後、前日同様に北陸本線で金沢に。
勝手にしやがれ』(A BOUT DE SOUFFLE。1959)。これは昔は1回しか観てなかったかなぁ、『気狂いピエロ』と比べるとほとんどのシーン、覚えていなかった。「今観ても新しい」ってはたして褒め言葉になるかどうか不明ですが、まぁそんな映画。ヌーヴェル・ヴァーグ、ゴダールたち若手映像作家たちがこれでもかこれでもかと互いの才能を競い合い映画表現の可能性を突き詰めた時代なんでしょうね。
金沢の神様、昨日のタクシー代を憐れんでくださったんかな、この日は逆に1回100円のバス代で金沢-香林坊が往復できた。ちょーラッキー^^。

6月7日(火)に『映画史特別編 選ばれた瞬間』(MOMENTS CHOISIS DES HISTOIRE(S) DU CINEMA。2002)を観る計画も立ててたのですが、都合がつかず中止しました。

僕のゴダールって結局50年代末からのほんの10年ほどなんでしょうね。『勝手にしやがれ』『気狂いピエロ』以外では『女と男のいる舗道』(VIVRE SA VIE)『軽蔑』(LE MEPRIS)『恋人のいる時間』(UNE FEMME MARIEE)『男性・女性』(MASCULIN FEMININ)『彼女について私が知っている二、三の事柄』(2 OU 3 CHOSE QUE JE SAIS D’ELLE)』あたり、観られるものならまた観てみたい。

(注)『気狂いピエロ』の日本語訳は「気狂いピエロ-採録・構成/柴田駿」(『ゴダール全集2 ゴダール全シナリオ集』(1971年11月10日第1刷。竹内書店)所収)に拠った。
# by tiaokumura | 2011-06-04 12:31 | 映画 | Comments(0)