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8月31日、高橋和巳生誕八十五周年

f0030155_5501067.jpg朝日新聞2016年7月16日付「みちものがたり」は綾小路通(あやのこうじどおり)。そこでは、高橋たか子(たかはし・たかこ1932-2013)と高橋和巳(たかはし・かずみ1931-71)の「ものがたり」も語られる。たか子の生家は「綾小路通の一筋南、仏光寺通と醒ケ井通の交差点近く」だった。以下、同記事より引用。
たか子は自身も小説を書きつつ、通訳や事務の仕事で家計を支えた。原稿の清書も受け持った。女遊びも多く平気で家をあける夫が、文学仲間を引き連れて帰ってくれば、奥さんに徹して、貧しい暮らしに不似合いなビフテキをふるまった。
祇園の料亭で恩師や仲間が開いてくれた祝賀会に、「奥さんはダメ」と出席を拒まれた。泣きついて参加費を払い、ようやく列座が許された。
・・・和巳が京大助教授に呼ばれる。たか子は反対した。夫に作家を全うしてほしかったし、自分も女性が「生命力圧殺」される町へ戻りたくなかった。悩んだ末に同行をあきらめた。
たか子は最期まで病床に付き添った。にもかかわらず、悪妻呼ばわりもされた。

本日2016年8月31日は高橋和巳生誕85周年
以下、2009年5月3日付:「邪宗門忌(高橋和巳三十八回忌)」を再録する。アップした写真
高橋和巳作品集4 邪宗門(河出書房新社 1970年1月初版)
である。

高橋和巳が、60とは言わないがせめて50歳まで生きていたらなどと考える誘惑は封印すべきだろう。人は死ぬべくして死ぬのである。昭和6(1931)年8月31日、大阪市浪速区貝殻町に生まれた高橋は、昭和46(1971)年5月3日午後10時55分永眠。葬儀は5月9日、青山葬儀所にて営まれた。葬儀委員長は埴谷雄高。
妻和子(たかこ)の「臨床日記」(『文芸』高橋和巳追悼特集号に所収)から引用する。原文縦書き、用字用語はママ。
(前略)八時ごろ。湯で顔と手をふいてやる。右の眼尻に一滴の涙がこぼれていた。泣いてるの?と言って、私はそれを指先で拭きとった。坂本氏こられる。(略)埴谷氏が高橋君と耳許で大きく呼ばれた時だけ、主人は両眼をひらいた。(略)母が和巳、和巳と泣きさけぶと、右眼だけが少し反応した。私は一度も呼ばなかった。(略)深夜ちかくになって、ふいに呼吸が間伸びしてきて、息が薄くなったかと思うと、息絶えた。十時五十五分。病名を知らず、不可能な時間を夢みたまま、主人は命を終えたのであろう。やすらかな顔であった。
念のため付言すると、「坂本氏」は坂本一亀(坂本龍一の父)、「埴谷氏」は埴谷雄高。和子は京都大学で和巳と同窓(和巳は中文、和子は仏文)で、和巳没後に形而上学的小説を何篇か発表し今はフランスで修道尼になっているとか。

僕が「高橋和巳」なる名前を知ったのは高校生時代だと思う。図書館にあった岩波の吉川幸次郎・小川環樹監修「中国詩人選集」の『李商隠』。当時の僕は李賀がランボーで、李商隠はヴェルレエヌと勝手に決め付けていたので^^「ふ~ん、高橋和巳って少壮の学者がおるんだなぁ」くらいにしか思わなかった。今確かめてみると『李商隠』は1958年刊行、刊行当時高橋和巳は27歳(京都大学大学院博士課程在学中。翌年修了)である。いくら吉川の推挙があったとはいえ、院生が岩波から本を出すのですから、今にして思えばすごいことです。
やがて僕は大学進学のため1965年3月に上京。「朝日ジャーナル」に連載中の『邪宗門』(1965年1月~66年5月)の熱心な読者になった。そして、読んだ順は忘れたが『捨子物語』『悲の器』『憂欝なる党派』『日本の悪霊』『我が心は石にあらず』『堕落』『散華』『白く塗りたる墓』『黄昏の橋』といった小説群は刊行とほぼ同時に読み(ずいぶん多作家だが、10年足らずの作家活動である)、『文学の責任』『孤立無援の思想』『新しき長城』『孤立の憂愁の中で』『変革の思想を問う』『わが解体』『人間にとって』『自立の思想』などのエッセイ集もほぼ全部読んだ。
僕は生前の高橋に一度だけ会っている。あれは22歳の秋だったろうか。鬱屈した気持ちで帰省していた時のこと。今はない「富山市公会堂」での講演。苦悩教教祖とも揶揄された彼だが、それでも何度か笑いを呼ぶ発言もあったように思う。熱気の退潮した時代だったのだろう、聴衆は極めて少なかった。高橋を矮小化するようで恐縮だが、僕が高橋に学んだことの一つは「権威・権力・強者・金持ちに対峙しうる思想を構築すること」である。今の自分の立場上、権威の威を借りてエバってみせることも、権力にすり寄らなければならないことも、強者におべんちゃらをこかなければならないことも、金持ちのヨイショをしなけらばならないことも、組織の一員として生きている以上何度もあるが、それでも一個人としての矜持は持ち続けたいと思う。
「健康で文化的な最低限度の生活」さえ営めない人が数多いるこの国でこんなことを書くと、「甘っちょろい!」「青臭い!」と言われるかもしれぬが、あちこち迷走した末の62歳の今の自分は、けっきょく、若き日の理想=「自由・平等・博愛」の実現を目指しているのかもしれない。

吉川や桑原武夫や白川静に愛され期待された学の水準(高橋が辻邦生に言ったそうだ、「京都ではな、学者は泣きながら勉強するんや」と)、小田実や小松左京らと競い合うように発表した創作群(小田実は弔辞「とむらいのことば」で「すべての気持をこめて、高橋和巳よ、ホナ、サイナラ。」と述べる)、孤立無援を恐れず対自化された思想の高み・思索の深み(「スターリンを疑い、レーニンを疑うことからやがてはマルクスをも疑うに到るだろう。仏法のためには釈迦をも斬る精神のほかに、しかし期待しうる何があるだろうか。」)、友人知人はもとより埴谷や寺田透や武田泰淳らに愛された人柄。内村剛介の言い方を借りれば、39歳で亡くなった高橋和巳はまさに「生き急いだ」人生ということになるのでしょうね。今はもう高橋和巳は「過去の人」になってしまっているのだろうが、その運動体組織論も含めて、まだまだ読み継がれ語り継がれていく価値があるのではないだろうか。

若き日の夢往還す 邪宗門忌
語り合う友とてもなく 邪宗門忌
邪宗門忌 志の之くところ 未だ見ず
(「邪宗門忌」は一般通用の語ではなく、私の勝手な造語です。陳謝)

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by tiaokumura | 2016-08-31 05:50 | 追悼 | Comments(0)

『オペラ座の怪人』

f0030155_16264191.jpgオペラ座の怪人』(原題The Phantom of the Opera)日本公開時の最初のタイトルは『オペラの怪人』
1925年 アメリカ 107分 無声映画・英語字幕
監督:ルパート・ジュリアン(Rupert Julian)
原作:ガストン・ルルー(Gaston Leroux1868-1927) Le Fantôme de l'Opéra
キャスト:ロン・チェイニー(Lon Chaney。オペラ座の怪人・エリック) メアリー・フィルビン(クリスティーヌ) 他

『オペラ座の怪人』はミュージカルが有名ですが、最初はフランスの作家ガストン・ルルーの日刊新聞連載小説。当時のパリっ子、ワクワクドキドキしながら夢中になって読んだことでしょうね。映画は何本かありますが、今回、フォルツァ総曲輪で1925年版を上映。アップした写真、上映後、左が活動弁士・ハルキ、右がピアノ伴奏の新垣隆。昨年3月、この2人で『戦艦ポチョムキン』もあって、もちろん観ました。
ネットは便利ですね。
The Phantom of the Opera(1925)New York General Release Print
ってところで、本作観られます。他もアップされている。映画紹介はA mad, disfigured composer seeks love with a lovely young opera singer.と。
映画のオペラ座はセットなんですね。ずいぶん大掛かりなものです。当時はもちろん、今でも大変かも。僕、2000年夏にパリに行ったとき、オペラ座、入りませんでしたが、前だけ見た。世界からの観光客でいっぱい。「新オペラ座」はまた別の場所に。バスティーユだったか。

フォルツァ総曲輪、いよいよ9月22日で終了。「フォルツァ ベスト1」ってのが最後に上映されるそうで、作品によっては観に行くかも。何になるんでしょうね。河瀨直美『殯の森』かなあ。
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by tiaokumura | 2016-08-28 16:26 | 映画 | Comments(0)

原和子さん「ゲームを使った活動」

f0030155_1505914.jpg日本語ボランティア登録者研修会」ってぇのが年2回あって、8月27日(土)、その今年度1回目に参加。「日本語教師会ゆうゆう」の企画です。
勤務先の富山国際学院に車を置いて10時過ぎ、富山駅前マリエで買い物。そのあと、会場のCiCビル3Fへ。受付近くに原和子先生(ゆうゆう代表)がいらっしゃって、立ち話少し。
今回の研修テーマは「ゲームを使った活動」。語学教育でゲームって必須でしょうね。で、こういう分野もきっと英語教育が一番進んでいるのでしょうね。
研修会、まず「ゲ-ムのねらい」「ゲームの注意点」「ゲームの効用」と原先生のレクチャー。そのあと、4つの島(僕は「赤」)対抗の形で各種ゲーム体験。「前半/後半」「漢字カード」「秘密のチョイス」。
休憩のあと、後半は「ビンゴ」「数字かるた」「逆カルタ」「どれ/どっちゲーム」「カード並べ」「神経衰弱」など。さらに「活動ゲーム」として、「私は誰でしょう」「数字あてクイズ」「即応ゲーム」など体験。「同じ?違う?」「間違い探し」「予想ゲーム/相性ゲーム」「アンケート調査」の紹介など。
赤・黄・青・緑の4グループ対抗だったんですが、赤はドンペでした^^。赤は5人メンバー、僕が敗因じゃったかも^^。

久しぶりに5Fの春々堂で中華粥を食べてたら原先生と梅田さんもお食事に。少し話した。

2016年度下半期、僕はF組2コマ担当予定。このクラス、入門・初級レベルなんで、ゲーム活動もけっこう必要かも。

今週は久しぶりによく働きました(照)。月~木は午後に外部授業1:30~4:05。木・金はC組担当。夏休み明けが8月22日で、学生のことが心配だったんですが、ひどいことはなかった夏休みだったみたい。まだ確信はできないが。今週、嬉しいことに外部授業の依頼が2件もあった。1件は新規。どちらも引き受けることにしました。こうやって仕事ができるって、学院トップとして&日本語教師として、嬉しい&ありがたいことです。

8月、早く終わりそう。年齢のせいでしょうか、月日の経つのが早く感じる。9月はきっともっと早く経ちそう。こうして人は人生を終えるのでしょうね。

明日は無声映画を見に行きます。
活弁、ピア伴奏付  無声映画上映会「オペラ座の怪人」  ハルキ(Haruki) 新垣隆(作曲、ピアノ)
この二人の組み合わせ、僕は2回目です。楽しみ。
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by tiaokumura | 2016-08-27 15:00 | 日本語教育 | Comments(0)

夢は夜ひらく忌


奥村:以下、当ブログ・2014年8月22日付「藤圭子さん、1周忌」再掲。ただし、一部改。

1969年9月、岩手県一関市生まれの18歳の少女・阿部純子が鮮烈なデビューを飾った。同じ時に、歌がうまい女の子なら和田アキ子が、美少女ならカルメン・マキが、時代の象徴ならピーターが現れたが、阿部純子=藤圭子は、歌のうまさも美少女性も時代の象徴も全て兼ね備えていたところが、多くの他の同時代の歌手たちと異なっていた。彼女の歌う『新宿の女』は、その詞(みずの稔・石坂まさを)には寺山修司『時には母のない子のように』にはない怨みが、そのメロディー(石坂まさを)にはいずみたく『いいじゃないの幸せならば』とは異なる暗さが込められていた。詞も曲も、そして何よりも歌手本人が、僕たち一般大衆の心の奥深くを撃った。
デビュー曲『新宿の女』に続く『女のブルース』(1970年2月。作詞・石坂まさを、作曲・猪俣公章)で20週+17週という37週連続1位。そして、もし彼女の曲1曲となると僕はこれを選びたい『圭子の夢は夜ひらく』の第3弾(1970年4月。作詞・石坂まさを、作曲・曽根幸明。B面は『東京流れもの』)も大ヒット、第4弾『命預けます』(1970年10月。作詞・作曲・石坂まさを)も留まるところを知らぬ勢いでのヒット連発となった。あの頃は、どこでも藤圭子の歌が聞かれたものである。だが、「演歌の星を背負った宿命の少女」(売り出し時のキャッチコピー)はやがて時代に合わなくなる。「歌は世に連れ」は確かだが、いかに藤圭子ワールドとはいえ、「世は歌に連れ」はせいぜい錯覚どまりなんでしょうね。藤圭子の紅白出場は1976年の5回目が最後だった。最後のシングルヒットは『京都から博多まで』(1972年1月。作詞・阿久悠、作曲・猪俣公章)でしょうか。
2013年8月22日は木曜日で、僕は、富山国際学院での勤務中に、ネットのニュースサイトでその朝の藤圭子の西新宿での自死を知った。その後の報道にスキャンダラスなものも少しはあったが、全体に彼女を温かく受け入れるような報道態度だったのは、イマドキのメディアでは珍しかったかもしれない。50代・60代の、藤圭子に青春を彩ってもらったスタッフが、マスメディア業界に残っていたからかもしれない。娘・宇多田ヒカルの母へのコメントもすばらしかった。

以下、YouTubeからアップ。『カスバの女』『圭子の夢は夜ひらく』『みだれ髪』。意外&不謹慎かもしれないが、1・3曲目はカヴァー曲です。YouTubeには藤のカヴァー曲もかなりの数がアップされています。どの曲も自家薬籠というか、藤圭子ワールド。彼女の才能のすごさに唯々聞きほれるばかりです。

前回記事では削除されちゃいましたが、今回はちゃんと続いてほしいものです、このYouTube

なお、当ブログ、3年前の2013年夏、自死直後の藤圭子追悼記事はこちらです。

https://youtu.be/zLCyHid8SC8
https://youtu.be/AImrOR_qqSg
https://youtu.be/5PSA1Yu0GIA


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by tiaokumura | 2016-08-22 06:05 | 追悼 | Comments(0)

ジャン・ユンカーマン監督『沖縄 うりずんの雨』

f0030155_14463456.jpg沖縄 うりずんの海
私たちは沖縄のことを、どれくらい知っているだろうか?
2015年 日本 148分 日本語・英語
監督:ジャン・ユンカーマン(John Junkerman1952-)
企画・製作:山上徹二郎
音楽:小室等
出演:石川真生 大田昌秀 近藤一 玉城洋子 知花カマド ダグラス・ラミス ロドリコ・ハープ 他
ナレーション:ジャン・ユンカーマン(日本語)
公式サイト:こちら

僕(たち)が子供のころ、日本国は「46都道府県」だった。自分じゃ地図上で全てが特定できないまでも、山形県・栃木県・岐阜県・鳥取県・香川県・佐賀県とか覚えたんでしょうね、勉強だと思って、隆信少年は。18歳、進学先で沖縄出身者と同級になった。同じ専攻の大城君。年齢は僕より何歳か上だった。彼は南方系の顔立ちで澄んだ強い眼差しが印象的だった。彼がパスポートで「日本国」に留学しているということは、入学後ほど知れず僕は知ったことでしょうね。「内地留学」とかだったか。僕自身がパスポートを持ったのはそれから35年ほど経って、パリ行きを願った時だった。大城君の後輩に赤嶺君というのがいた。彼も僕らと同じ国語学国文学専攻だった。赤嶺君は大城君と比べるとじゃっかん弱い感じだったが、のちに彼をTVで見てビックリした。彼、なんと、衆議院議員!に。僕たちの先輩には、沖縄出身で知的で南沙織(まだ当時はデビューしてなかったが)より美少女な方もおられた。今、彼女はどうしていらっしゃるだろう。僕より2歳ほど年上だから70を超えている方。

本映画タイトルの「うりずん」は「潤い初め(うるおいぞめ)」が語源。「冬が終わって大地が潤い、草木が芽を吹く3月頃から、沖縄が梅雨に入る5月くらいまでの時期を指す言葉」(パンフレットより引用)。沖縄地上戦は1945年4月1日に始まり同年6月23日に終わる。6月23日は現在「慰霊の日」である。
うりずんの 雨は血の雨 涙雨 礎の魂 呼び起こす雨 小嶺基子
本作の監督ジャン・ユンカーマンには、僕はまだ観ていませんが『チョムスキー9.11』(2002年)・『映画 日本国憲法』(2005年)も。出演者のダグラス・ラミスは津田塾大教官の頃に知った。国分寺にあった(今もある?)「ほんやら洞」にも出入りしていたような気がする。僕は彼の本、何冊か読んでいる。英字紙の記事で彼に手紙を書いたこともある(天皇に関する記事)。ラミスは現在は沖縄在住。ロドリコ・ハープは、由美子ちゃん事件から40年後の1995年9月4日の女子小学生暴行事件の加害者3人の一人。音楽は小室等。

アップした写真、上は映画パンフレット、下は「沖縄米軍基地問題 検証プロジェクト」の刊行物。
沖縄はもう独立しか存続する道、ないんでしょうね。僕の今から10年半前の当ブログ記事
僕は「沖縄独立」を支持したい
こちら
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by tiaokumura | 2016-08-21 14:46 | 映画 | Comments(0)

「AERA」「JAPAN CLASS」

f0030155_12284015.jpgAERA ’16.8.22
2016年8月22日発行
朝日新聞出版
特別定価410円
(奥村)大特集は「先生が忙しすぎる」。勤務先の富山国際学院では専任のお二人にはずいぶん長時間労働していただいている。僕自身は1日6時間強しか働いていません(恥)。昔(半世紀以上前^^)、18歳で進学のために上京。進学先は総合大学だったんですが、前身が師範学校だったせいでしょうね、教師志望が多かった。若い時ってアホなこと考えるもんで、「温暖な静岡県での高校教師」が人生で一番いい環境だとか思う同級生もいて、自分もそっちに行けたらとチラっと考えたことも^^。教育実習は附属高校でやったかなあ。で、同級生には教育畑で名を成した方も何人か。
さはさりながら、今の教師は大変だ。本誌によると、「学校で仕事をする時間は?」の集計結果、9時間以下は小学校で約11%、中学校で約8%で、高校で6.4%です(p12)。これ、平日「授業のある日」の平均で、全国の公立小中高の教員5373人の回答結果。睡眠時間は小中高とも平均で6時間を切る。「管理職試験」は「小中ともほぼ1倍」だそうです。優秀な人材は公教育ではなく塾業界に流れているかも。

JAPAN CLASS
どうせニッポンのことだから
2016年8月7日 初版第1刷
東邦出版
1000円+税
(奥村)これで7冊目になるのでしょうか、「JAPAN CLASS」。神保町・そうがく社に注文しお盆明けに勤務先に届きました。大特集は「「ニッポンで暮らした~い!」日本の生活ってウチの国より全然いいじゃん!」、「世界中の観光客が一挙集結!?大阪にドハマリする外国人続々」の2本。特集は「白髪まじりの野球小僧・イチローに全米大興奮!」「世界中の女性を美人にする熊野町の化粧筆」「「日本はボクらの兄貴分!」。日本とフィリピンの意外な関係」「世界中が大注目!変態自動車レース国・ニッポン」の4本。
今、出井康博『ルポ ニッポン絶望工場』(講談社+α文庫)を読んでるのですが、「ニッポンで暮らした~い」って、どうなんだろう。『ルポ ニッポン絶望工場』に出てくる「事実」、日本語教師としてつらい気持ちにも。私も犯罪者の片棒をかついでいるのかも。
「大阪」、僕はどちらかと言うと苦手。神戸・京都は泊まったことがありますが、大阪はない。大阪って外国人観光客に人気あるんですね。

当ブログ、前記事に続き雑誌2誌の紹介。
アップした写真は、紹介雑誌2誌と共に波多野千寿さんの作品と彼女からの暑中見舞いハガキも。写真の波多野作品は白馬時代からの友人・ブチュから先日東京で食事した際にプレゼントされました。土と火の芸術=陶芸、波多野作品は青が特徴で、今回作品の茶は自然を意識した色合いなのかも。あるいは加齢に伴う人生観の反映か。僕は先日波多野さんにゴダールの絵ハガキを送ってたのですが、彼女、それ喜んでくださったみたく、別の友人からの<勝手にしやがれ>と2枚、「額に入れ、玄関と廊下の壁にかけ」たそうです^^。

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by tiaokumura | 2016-08-20 12:28 | | Comments(0)

「文藝春秋」「クロワッサン」

f0030155_1329214.jpg文藝春秋 2016年9月号
文藝春秋
平成28年9月1日 発行
特別定価950円

クロワッサン 2016年8月25日号
マガジンハウス
2016年8月10日 発売
特別定価480円

「センテンス スプリング」^^、すっごい勢いですが、こちら月刊誌「文藝春秋」を僕が買うのは、又吉以来約1年ぶりかなあ。村田沙耶香『コンビニ人間』、載ってます(pp406-482)。僕はあまり小説を読まないのですが、ゆっくりゆっくり4分の1まで読み進めました。川上弘美の選評が載っているが(pp398-399)、本作について以下。
・・・こちらは反対に笑ったのです。はじめての種類の、笑いかたでした。おそろしくて、可笑しくて、可愛くて(選評で「可愛い」という言葉を初めて使いました)、大胆で、緻密。圧倒的でした。
選者は他に山田詠美・村上龍・島田雅彦・小川洋子・宮本輝ら。ここ10年程の芥川賞では、僕は楊逸『時が滲む朝』・黒田夏子『abさんご』・又吉直樹『火花』、読んでます。
本誌、他にも読み応えあり。立花隆「天皇制の限界」、半藤一利・保坂正康「我らが見た人間天皇」、「戦前生まれ115人から日本への遺言」、永六輔「テレビが日本人を恥知らずにした」、深田太郎×三田完「阿久悠日記 全二七冊を読む」、佐藤優「ベストセラーで読む日本の近現代史」、伊集院静「文字に美はありや」、葉室麟「大獄」など。これだけのラインナップで1000円弱なんですから、雑誌好きな僕ならずともお買い得かも。

僕にはメルマガで「Hanako」「anan」「クロワッサン」から定期的に案内が届く(無料)。本号、内容に惹かれ購入。「よりそう言葉、はげます言葉。」。オール女性。女性が自由で元気な時代って、いい時代なんでしょうね。90代の内海桂子、吉沢久子、佐藤愛子の他に、黒柳徹子、野際陽子らも。
内海桂子「九十四ですよ 酒は一合 ごはんは二膳 夜中に五回はお手洗い 百まで六年訳はない 皆様どうぞよろしく願います」「くよくよ悩んでる人には、そんな暇があったら、まず動いてみなさいよって言いたいね」
本誌で初めて知ったのですが、ユニセフ親善大使の黒柳は、「今年はネパールには行きました」(p14)。

富山国際学院は夏・冬・春の休みがそれぞれ約2週間あり、今年の学院生の夏休みは遠足の翌日の8月6日(土)から21日(日)まで。自分、立場上、休み期間中に何かあれば、スタッフ・学院生から僕のケータイに連絡が入るのですが、今のところ、8月16日現在、特別なことは起こってないみたい。一応、休み中は24時間ケータイ、onしてます。自分自身の休みは8月11日から今日までで、明日8月17日から出勤。明日は、メールチェック、電話・お客様応対、授業準備、教材作成などでしょうか。ありがたいことに来週は外部からの授業依頼があり、出稼ぎできます。僕の担当は6日間で各日45分×3。

突然ですが、ところてんが食べたい。「心太」、難訓語でよく出てくるかも。今朝スーパーに買いに行ったのですが、見つからなかった(泣)。
それにしても、幼いころ親戚の軒先で食べたそうめんとか、アイスキャンデー売り屋から買ったアズキアイスとか、あまり明るいと言えない夜店屋台のかき氷とか、井戸水で冷やしたスイカやキュウリ・トマトとか、種を気にしながらのまくわうり(富山では「まっか」)とか、中学部活の後でごくごく飲んだ水道水って、なんであんなにうまかったんでしょうね。記憶って知らず知らずのうちに美化してるのかも。

久しぶりの6日間連続投稿。次にこういうのできるのはいつのことでしょうね。
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by tiaokumura | 2016-08-16 13:29 | | Comments(0)

ありがとう近代美術館 PART1 マイ・ベスト×ユア・ベスト

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ありがとう近代美術館 PART1 マイ・ベスト×ユア・ベスト
富山県立近代美術館は1981年7月に開館し、積極的に「20世紀美術」の紹介をしてきました。来年富岩運河環水公園へ新築移転オープンするため、これが当館での最後の大規模なコレクション展になります。本展では、2014年に行った来館者アンケート「富山近美コレクション ここが聞きたいQ&A」の結果を活かし、作品の見どころやエピソードをお伝えするとともに、当館コレクションとゆかりのある方々のコメント「わたしの1点」を添えて、来館者の皆様に人気の高い作品約100点を選りすぐり展示します。
富山県立近代美術館
~9月4日(日)
公式サイト:こちら

美術館や図書館は、この国では月曜日が休館なんでしょうが、富山県立近代美術館は8月15日(月)オープン。帰省客やお盆休みの人に見てもらいたいがための月曜開館なんでしょうね。10時ころに入館した僕の頃には人はまだ少なかったですが、会場を後にする頃にはポツリポツリと。家族連れ、カップルなど。少年少女、どんな風に展示、見るんでしょうね。驚いたり触りたくなったり。
展覧会リストによれば101点の展示。マックス・エルンスト『森と太陽』、アンリ・マティス『版画集『ジャズ』より』、パブロ・ピカソ『肘かけ椅子の女』、ルネ・マグリット『真実の井戸』、ジョアン・ミロ『パイプを吸う男』、ポール・デルヴォー『夜の汽車』、マルセル・デュシャン『トランクの箱<特装版>』、ジャスパー・ジョーンズ『消失Ⅱ』、サム・フランシス『ブルー・イン・モーション3』、アンディ・ウォーホル『マリリン(10点組)』、ベルナール・ビュッフェ『闘牛士』、フランシス・ベーコン『横たわる人物』。そしてアルベルト・ジャコメッティ(Alberto Giacometti1901-66)『裸婦立像』。本展パンフレットに絲山秋子『不愉快な本の続編』が引用されている。主人公の乾ケンジロウが『裸婦立像』に「魅せられて、突拍子もない行動をとる」のだそうです。こういう小説、あったんですね。僕、約35年前、富山にUターン(都落ち^^)して『裸婦立像』との初対面-富山に戻ってよかったと思ったもんです。それ以来今回まで、「なんだかとてもしんどい時」、これを観に来たもんです。ジャコメッティ以外にも上掲のようなすばらしいコレクションの数々がある富山県立近代美術館。
本展、日本は杉山寧・平山郁夫・前田常作・南佳子・横尾忠則・福田美蘭・草間彌生・亀倉雄策・田中一光・福田繁雄・永井一正・浅葉克己ら。郷倉父娘、金山康喜・野見山暁治はそれぞれ隣接して展示。ここでは僕は、横尾忠則・野見山暁治の講演も聞いている。
ジョルジュ・ルオー(Georges Rouault1871-1958)がないのはどうしてなんでしょうね。残念。あと、マルク・シャガール、アンリ・トゥールーズ=ロートレック、ジャン・デュビュッフェ、ジョージ・シーガルもない。これらは「PART2」になるのでしょうか。
会場入り口に久泉迪雄の「「富山近美」ことはじめ」が掲示。そこには、瀧口修造・大岡信・東野芳明・河北倫明・山崎覚太郎の名、そして中田幸吉・中沖豊の名も。
1981年7月開館の富山県立近代美術館は2017年に富岩運河環水公園(「環水公園」の名付け親は大岡信)に移転。名前も変わるようです。

僕が思う富山三大文化は、この近代美術館と、SCOTおわら風の盆。利賀SCOT、今年は受付2日目にTELしたのが失敗じゃった。お目当ては完売。とほほ。今年は利賀に行くの、やめました。「風の盆」のほうは、かねてから行きたかった3日→4日に行けそうです。雨じゃなきゃいいのですが。3日(土)夜遅くに八尾(やつお)入りして4日(日)早朝までかの地で過ごそうと思う。体力、いささか心配・・・。
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by tiaokumura | 2016-08-15 11:58 | 美術 | Comments(0)

言の葉つれづれ:秋来ぬと・・・(2016年8月)

ドグミド・ソソルバルム
自分の好きなところから離れると、人間として魂が無くなってしまう。
喜多條忠
物書きを目指していた僕は、傷つき、戦い、挫折することでしか良いものは書けないと思った。だから、彼女の優しさに埋没してしまうようなら、何も書けなくなる、それが怖かったのです。
中島敬二
Know・Howは大切だが、それ以上に大切なものはKnow・Whatである。
末盛千枝子
時間はかかるけれど、あきらめずにいれば、いつしか困難を乗り越え、強くなっていることに気づく。苦しかったことも、今の自分の一部なんですよね。
イナカ川柳
ジャスコ裏畑・老人・地平線 気がつけば隣の嫁は外国人 無農薬作るオヤジは酒びたり 議員さん親戚5人が立候補 ラブホテル潰れた後にケアハウス
白鵬
強い人が大関になる。横綱は宿命だ。
宮本直治
人生において、病気になったという事実は変えることはできませんが、病気になった意味を変えることはできると信じています。
オリビエ・ロワ
今の現象はイスラム教徒の過激化でなく、過激派のイスラム化だ。
筒井清忠
結局人の仕事は若い時に与えられたものを一生かけて解くということなのかとこのごろふと思う。
大槻文蔵
稽古を十二分にして自信をもって舞台に臨み、それでいて謙虚であること。それでも舞台はいい時も悪い時もある。
片岡仁左衛門
ああ、これで東京ではもう主役として出し物ができなくなる。これからは、主役の役者に請われるような脇役を目指そう。
野村万作
出来上がった作品をなぞるだけでなく、ひとつひとつつくり上げる。古きを尊び過去を背負いながら、時代の価値観とともに現在を歩き、未来に向かわなければ芸術は死滅する。
世阿弥
稽古は強かれ 情識はなかれ
閑吟集
昨日は今日の古へ 今日は明日の昔
渡辺白泉
戦場へ手ゆき足ゆき胴ゆけり 
戦争が廊下の奥に立つてゐた
金子兜太
霧の車窓を広島馳せ過ぐ女声を挙げ
朝蟬よ若者逝きて何の国ぞ
スティーヴン・キング
世の中に愚問がひとつある。口に出せない質問だ。

ここ富山も連日暑いですが、立秋の日には「風の音にぞ」ってか風に涼しさを感じたことも。
残暑お見舞い申し上げます
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by tiaokumura | 2016-08-14 07:50 | 言の葉つれづれ | Comments(0)

2016年7月・ブログ内ランンキング

当ブログ、2016年7月15本投稿記事でした。「PC訪問者」は1日平均49.42人でした。訪問者数が回復した6月から再び激減。7月の「PCアクセス数」は2,610。「リンク元URL」は、100以上だけ挙げると、1位「www.google.co.jp」821アクセス(以下同じ)、2位「search.yahoo.co.jp」714、3位「www.exblog.jp」309、4位「userconf.exblog.jp」204でした。

7月の「記事ランキング」は、
第1位<2011年10月23日付>「僕は20歳だった。それが人の一生でいちばん美しい年齢だなどと・・・」(ポール・ニザン)(93アクセス。以下同じ)
第2位<2016年7月6日付>久しぶりの入院&手術(81)
第3位<2009年6月16日付>富山県思考大会問題作成委員会『思考大会問題集 思考力の開発』小学生用・中学生用(64)
第4位<2016年7月7日付>七夕(43)
第5位<2016年5月15日付>中学国語教科書を読む(30)
第6位<2006年5月7日付>こんな授業・あんな授業(5)漢字の読み方のルール(24)
第7位<2016年7月18日付>『ベトナム語母語話者のための日本語教育』『日本語教師のためのCEFR』(22)
第8位<2006年2月10日付>こんな授業・あんな授業(2)日本(語)の歌(18)
第9位<2011年8月31日付>高橋和巳、生誕80年(15)
第9位<2016年6月22日付>遠藤さんたちと@沢瀉食堂(名古屋)(15)
でした。
100アクセス超えはなし。第3位、久々のランキング入り。第7位、僕は今、今期の芥川賞の村田沙耶香『コンビニ人間』を読んでますが、「新人のベトナム人のダットくん」も出てきます。第8位、最近はやってませんが、かつては日本(語)の歌も日本語授業でけっこう取り上げてました。第6位も日本語教育ネタ。促音(っ)や音読み2音(2音目が、いうきくちつん)などです。

検索キーワードランキング」のほうは
第1位・富山(37アクセス。以下同じ) 第2位・奥村隆信(21) 第3位・okumuratakanobu(19) 第3位・・日本語教師(19) 第5位・思考大会(12) 第5位・日本語(12) 第7位・奥村(10) 第8位・富山国際学院(9) 第9位・ブログ(7) 第9位・記述(7)
でした。

「1月の川」リオ・オリンピック、日本、すごいですね。皆さんもそうでしょうか、オリンピックになるとナショナリストになっちゃいます、自分^^。
女子柔道70kg級で田知本遙(たちもと・はるか1990-)さんが金メダル。姉の愛(めぐみ)さんに金メダルをかけてのツーショット、TVを見てて熱いものがこみあげてきました(照)。遙は前回ロンドンでは負傷し、2013年リオでの世界選手権では1回戦敗退、ドーピング騒動、代表入りが困難な時期、そして2016年8月10日リオ・2回戦で世界ランキング1位のポリン選手に有効を取られた、だがノーシード(彼女は世界ランキング12位とか)からの優勝。挫折からの栄光です。月並みですが、勇気と感動をありがとう、です。富山県勢は、60年ローマ・64年東京オリンピック体操男子団体で三栗崇(みつくり・たかし1939-)さんが金を取ってますが、個人では初だそうです。
富山国際学院の学生からときどき柔道・剣道・空手・相撲とか聞かれます。自分、中学時代、体育で柔道を選択した。あれは寒稽古の納会だったんでしょうか、五十嵐君に開始早々ズデンと投げられてしまった^^。進学した高校では、それがトラウマじゃったんかも^^、剣道を選びました。剣道部には田代君とか、カッコいい連中がいた。長身・面長の美少年剣士。空手は全くダメ。「アチョー」っくらいっす^^。相撲は小学生の頃でしょうか、近くの不動尊の大会に出てたかも。そこ、吉葉山(よしばやま1920-77)が巡業に来てた。
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by tiaokumura | 2016-08-13 09:20 | このブログのこと | Comments(0)