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ネパール大地震・募金活動

f0030155_10155563.jpg4月25日(土)休日。昼食を終え、ネットサーフィンしていてビックリ。朝日新聞のネットニュースサイトにネパールでマグニチュード7.8の地震速報。地震発生は現地時間で正午前になるでしょうね、ネパールと日本との時差は3時間15分です。
富山国際学院のネパール人留学生の最初は、かれこれ10年以上前になるか、ニマ・ドルジェ・ラマさん。僕は当時「非常勤講師」で彼の入学に携わらなかったんですが、確か、富山県芦峅寺(あしくらじ)にあるS建設会社のご紹介だったように記憶している。ニマさんのご両親が同社と縁があり、ニマさんのご両親が飛行機事故で亡くなり、残った息子を世話したいという同社社長の意向だった。今でこそ、ネパール人は、中国人・ベトナム人に次いで3番目の日本語学校・語学留学生を占めていますが、当時は富山はもちろん、全国的にもネパール人の就学生(当時は「留学」ではなく「就学」ビザだった)は極めて珍しかった。ニマさんは早稲田大志望だったが残念ながら不合格だった。その直後、彼から日本語ローマ字メールをもらった。悔しい気持ちが綿々と綴られていた。そんな悔しい思いをした彼だったが、みごとに中央大学に合格。大学卒業後しばらく日本で働きその後帰国した。
僕は富山国際学院の学生募集試験でカトマンズ出張を3回しています。最初は2008年。飛行機はバンコク→カトマンズだったんですが、トリブバン空港(カトマンズ)に降りられず、隣国インドのコルカタ(私たちには「カルカッタ」ですが)に臨時着陸。トリブバン空港では停電にも遭遇し、いささかカルチャーショック^^も。それから3年連続でカトマンズ出張。癌を発症しなかったらその後も毎年行くつもりでいたのですが、2011年6月の末期癌発見で出張はなしに。死ぬまでにもう1回くらいはカトマンズに行きたいと思っていますが、実現、どうだろうか。
ありがたいことにご縁があって富山国際学院には毎年ネパール人学生が数人在籍しています。聴講生もかつて1人か2人いた。今年度は2年生に2人、1年生に5人、計7人います。
4月27日(月)、富山国際学院に出勤して、義捐金募金の準備。封筒・新聞記事を用意。まず午前の2年生2クラスを訪問。地震のこと、募金のことを話し、カンパしてもらう。午後、1年生3クラス、同様に行動。1年生、来日してまだ半月ってとこなんですが、僕の話、わかってくれたみたい。教員室にも募金封筒掲示。
翌日4月28日のことだった。2年生のニマ・ゲル・シェルパさんが教員室にやって来て、「富山駅で募金したい」との申し出。それはすばらしい、と思った。ただ、そういう募金活動、70年近い人生(照)で僕はやったことがない。警察とか市とか駅とかの許可がいるんだろうなあ、と漠然と思った。何か所かTELで問い合わせる。富山市民国際交流協会の日南田美幸さんから、富山市環境整備部に頼めばいいのではないかとご教示。さっそく同部にTELするも、あいにくと担当者不在。まもなく、同部のTさんから学院に電話があり、マリエの前なら募金活動OKとのお返事。さっそくニマさんを呼び、活動について話し合う。ダンボール箱を募金箱に転用、サイドに新聞の写真記事を貼り付けるなどする。
4月29日(水・昭和の日)、9時半、富山国際学院集合。ネパール人7名、ベトナム人1名、専任の粕谷さん、それに僕。簡単に打ち合わせ。アッピール文など相談する。僕「ネパール人にもいい人・悪い人がいる。日本人にもいい人・悪い人がいる。募金していて、いやな日本人も出てくるかもしれないが、そんな時は粕谷先生や僕が応対しますから、心配しないで」などと学院長っぽく(嘘爆)説明して、安心感を抱かせる。彼ら・彼女ら、使命感に燃えすぎて失望させるとかわいそうですもんね。
学院から歩いて約15分。富山駅前・マリエ前に陣取る。「私たちはネパール人留学生です。今、富山で日本語を勉強しています。ネパールで大きい地震がありました。義捐金を集めています。ネパールを助けてください。よろしくお願いします。ありがとうございます」-彼ら・彼女らなりに精いっぱいのアピールでしょうね、一人ずつあるいはみんなで唱和。『みんなの日本語』5課の学生もいるのだから、よくこれだけの日本語が言えたものです、感心。約1時間の募金活動。嬉しいことに、たくさんの通行人が募金してくださいました、100人近かったかも。横浜や福岡からの旅行客、家族連れ、カップル、小中高校生、お年寄り、ギャル、幼児、ビジネスパーソン、おばさんなどなど実にいろんな方々。声をかけられて年甲斐もなくジワ~ってのも何度か(照)。アップした写真、募金活動中。途中、非常勤講師の宮田さんもご参加。
11時、活動終了。歩いて学校に戻る。学生に、1・5・10・50・100・500円玉、1000円札と種別に分類し個数・枚数を数え封筒詰めするように指示。1人が「先生~」って来たので何ごとかと思ったら「5千円札」。これ、入れて下さった方がいたんですね。集計も学生にやってもらう。合計41650円でした。封筒をホッチキスで留め保管。5月1日の午後、学院で募金した分と今回の分と2口、日本赤十字社富山県支部に持って行きます。

それにしても学院生の企画そして行動力、実に感心しました。教師って、学生のこと、過小評価しがちなんかも。教師としていい勉強になりました、ネパール大地震・募金活動

マリエ前で募金してくださった皆様、ありがとうございました!
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by tiaokumura | 2015-04-29 10:15 | このブログのこと | Comments(0)

「昭和の日」に『昭和天皇実録 第一』(東京書籍)を拾い読む

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今日4月29日は「昭和の日」。戦前は「天長節」、そして僕の生まれ育った戦後は長らく「天皇誕生日」だった。没後、「みどりの日」そして「昭和の日」で定着。「昭和も遠くなりにけり」か。
昭和天皇実録 第一』(東京書籍。平成二十七年三月三十日・第一刷)は明治34(1901)年4月29日(月曜日)の記述から始まる。この日、後の大正天皇の第1男子として生まれる。命名・裕仁。同書で彼の毎年の誕生日の記述を追ってみた。以下、西暦表示(誕生日での満年齢)。

1902年(1歳)、幼子は5日前に感冒を発病し誕生日どころじゃなかったのかも(事実は、以下に書くようにそうではなかった)。4月29日の記述、なし。遅れて5月5日午後3時に伯爵・川村純義邸で「初御誕辰の祝宴」。夜は東宮御所で祝宴。同日の記述に祝宴が遅れた事情が書いてある。スペイン皇帝の祖父が亡くなり、4月24日から10日間、宮中喪だったんですね。
1903年(2歳)。事情がわからないのですが、「御都合により御祝は延引」。5月7日に前年と同じく伯爵・川村純義邸で立食。夜は、東宮御所で内宴。「西洋料理を御会食」。
1904年(3歳)。「1904=人喰う鷲をやっつけろ」で覚えましたよね、日露戦争。「露国との戦争中であることが配慮され」、川村伯爵別邸で内輪だけの祝宴。Wikipediaに拠ると、川村純義(かわむら・すみよし1836-1904)は明治天皇の信任が篤く、皇孫(昭和天皇)の養育係を任じられたそうです(秩父宮も担当)。白洲正子は彼の外孫(川村の長女が正子の母)、バロン西は孫娘の夫。川村はこの年の8月12日に死去。『実録』のその日の条に、彼の経歴等が詳述されている。海軍大将を追贈。
1905年(4歳)。「天皇の御不例及び皇太子・同妃が葉山御用邸御滞在中のため、御祝いは御延引」。代わりに「花見の御宴」として、弟の雍仁親王(秩父宮)と鮒釣り・昼食など。なお、5月27・28日の日本海海戦について同月29日に東宮職御用掛や侍医から聞いている。大喜びだったでしょうね、きっと。
1906年(5歳)。午前、拝賀・参賀を受け、両親に「御拝顔」、祖父母に「御拝顔」。明治天皇からおもちゃをもらった。この日、伊藤博文が謁しています。翌日月曜日は青山で観兵式を観る。
1907年(6歳)。この日、水兵服着用。弟二人と明治天皇に「御拝顔」。午後は柳川一蝶斎の手品を鑑賞。
1908年(7歳)。この年4月9日幼稚園を卒園、4月13日、学習院通学開始。学習院での時間割が紹介されていて、国語・算術が中心で(読み書き算盤?)、他には唱歌遊戯・手工・訓話・図画。体育(体操)ってまだないみたい。「御帰殿後は御学友が交代で出仕し、復習や運動・お遊びの相手を勤める」。この年の誕生日は水曜日で学習院を欠席して「御誕辰祝賀」。午後、丸一の太神楽などの余興を両親と鑑賞。
1909年(8歳)。学習院2年東級。2年目の時間割は、国語・算術・訓話などが1年に引き続きあって、新たに綴り方・体操・書方などが加わる。4月29日、前年と異なり「宮城御参内は諸般の事情により行われず」。「諸般の事情」って何でしょうね、気になります。午後は父親と鷺流の狂言を鑑賞。
1910年(9歳)。金曜日で学習院は欠席せず、2時限で早退。この年の余興は能・狂言。両親・弟たちと鑑賞。能は観世だったんでしょうか、流派の記述なし。
1911年(10歳)。学習院の時間割には新たに地理が加わる。祖母宛の手紙が掲載されている。4月13日発送。「・・・東京は桜もちつて今は若葉の美しいころとなりました。・・・休みの間はしんじゆくや、どう物園などへまゐりました。・・・御ばば様おからだをおだいじにあそばせ・・・」。自称詞・光宮の、数少ない「肉声」でしょうね、こういう手紙類は。4月29日(土)、学習院登校。母が「大患中」のため、祝宴は中止。
1912年(11歳)。4月29日(月)、学習院登校・早退。一人で参内し、祖父母に「御拝顔」。この年の余興は講談・奇術。講談と奇術が交互に演じられ、講談は早川貞水の「小野川・雷電の相撲」など、奇術は養老一座の「火喰い」「兔の出現」など。東宮御所での祝賀は父が旅行中のため延引。
1913年(12歳)。前年7月29日午後10時43分、明治天皇崩御。したがって、この年の「御誕辰の祝宴等の行事は行われず、平常通り」に通学。4月29日は火曜日だった。夕刻、内閣総理大臣山本権兵衛が謁している。誕生祝いになるのでしょうか、前日に父よりグレーハウンド犬「キク」をもらっています。

昭和天皇実録 第一』は明治43(1901)年4月29日(月)~大正2(1913)年12月31日(水)をカヴァーしています。
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by tiaokumura | 2015-04-29 07:05 | | Comments(0)

学院長、7年目

f0030155_12494766.jpg慌ただしい日々を過ごし、まだ難問をいくつか抱えているとは云え、今は少し落ち着いて「日常」を過ごしている。
思い起こせば2015年3月24日、地元業者による下新町(しもしんまち)から芝園町(しばぞのちょう)への引っ越し。お金がないビンボー日本語学校^^としては、業者による引っ越しの前後にスタッフや学生による(ほとんど無償の)引っ越しの日々があった。ちょうど春休み中ではあったが、授業もいくつかある中での引っ越し作業-富山国際学院の歴史の中で1度か2度の「引っ越し」(今回が最初です。次回はいつになるのでしょうね。僕は関知しないのでしょうね、きっと)になるのでしょうが、めっちゃ大変だった。かく言う僕は、外部授業があることを口実に^^ほとんど引っ越し作業に携わらなかった(恥)。
そうそう、春休み前に名古屋入国管理局による視察もあった。本年2月だったか、名古屋入管に今回の校舎移転のことを話すと、書類作成せよとのご指示。名古屋入管からは、書類を精査して不備がなければ現地視察もしたいとの通達だった。富山国際学院は定員60人のミニ日本語学校ですが、語学留学生申請は名古屋入管なので、当局としてはちゃんとした日本語学校校舎(立地も)かどうか、確認せねばならないのでしょうね。名古屋-富山って遠いので、入管さん、ひょっとして口だけで視察チェックはないかもとちょっと思ったのですが、当局はやるべきことはちゃんと実行。さすが、ですね~。3月17日(火)午後2時、女男2人の係員、まず旧校舎にご来校。北陸新幹線が3月14日に開業し、名古屋-富山は不便になった。お2人は「特急しらさぎ」で名古屋→金沢(北陸新幹線開業以前はしらさぎで名古屋―富山が往復できた)。金沢で乗り換えての富山入り。係員、さすがですね、僕が電話で視察の足の便を提供しようと提案したのですが、断られました。お2人は、富山駅北口→旧校舎、富山駅南口-新校舎、全部、徒歩だったみたい。係員の校舎視察には、もちろん僕が同行。無事終了。旧校舎では各クラスにご案内。教員室に、これまでの学生の出身国・地域をピンで留めた世界地図が貼ってあったのですが、えらく感動されて写真に撮っておられました。新校舎、まだ机も椅子もない状況。名古屋入管係員、きちんとチェックされて行きました。

校舎移転から約1か月が経った。本記事にアップした写真、移転先の校舎です。「NPO法人 富山国際学院 日本語学校」の文字、読めます。窓に2万円弱で貼り付けました。これでも張り込んだんです、宣伝経費を^^。
ところで、自分、「男に生まれてよかったなあ」と思う一つが化粧。自分、な~んも化粧しとらん。最近では整髪料さえせんこともある。こないだ女子高生がスマホに1日平均8時間使っとるとかって記事読んで、ビックリした。すご過ぎですよね。彼女ら、化粧のほうはどうなんじゃろう。1時間くらいは使うとるかも。
この1か月、通勤ルート、いくつか取ってみたが、だいたい確定してきた。
着替え約5分・化粧約0分(「男に生まれてよかったなあ」っす)、8時、車で家を出る。車庫を出て左折、すぐの十字路を右折してポートラムの踏切手前に至る。ここが1回目の混み場所。遮断機が下りていると特にひどい。僕の側の車線よりもう一つの方が本線になっているので、侵入に気を使う。でも、日本人ってこういう時、いいなあと思う。傍線の様子を察知して、本線の運転手、ちゃんとスペース開けて、侵入を許可してくれるんですね。お互い様、ってやつです。某国(特に名を秘す^^)だとこんなわけにはいかんでしょうね。踏切を渡ると富岩街道に入る。富は富山、岩は岩瀬です。富岩街道に入ってすぐの左手にあるセブンーイレブンに昼食購入で立ち寄る。自分、ここで、おにぎり+味噌汁+おかず1品、500円前後の出費。ここ、「ラ・フォル・ジュルネ金沢」や「エンジン01」のチケットも買ったところ。自分、ここのお馴染みさんかも(照)。「おにぎり」は赤飯・五目・鮭など、「味噌汁」は、なめこ・あさり・豚汁・野菜7種あたり。「おかず」は、かぼちゃ・土佐煮・ポテサラ・いかなど。飽きないように組み合わせ、あれこれ変えてます(照)。コンビニを出て富岩街道に入るときも気を使う。信号が途切れた時を見計らって入ります。そこからはほぼ一直線で永楽町交差点。ここがまた混みどころでもある。ただ交差点の右折ラインは比較的すいていて、颯爽と右折できるのが快感になることもしばしば^^。ポートラムの線路をクロスして進んでから左折、ガードをくぐり中央郵便局前の混み場所に到達。ここ、信号がスリリングなところで(謎爆)、運任せかも。渡った後、市電を右に見て、やがて北陸新幹線開業で改装なった富山駅南口に出る。最初、ここからはまっすぐ走ってたのですが、ある日、めっちゃいいルート、見っけた。「富山駅西口」ってあったんですね。たぶん新幹線開業で命名されたニュースポットかもしれん(前々からあったが、「西口」表示が新しいと思う。間違ってたらご勘弁)。車、ぐにゃ~っと西口を左方向に曲がると、この時間、ほとんど車が通っていない。スイスイ走り五叉路。新校舎への通勤の最初っころ、ここが最大の難関だったのですが、西口ルートを利用するようになってからはここは信号1・2回待ちで短い時間で切り抜けられるようになった。五叉路を左折し、3分ほど走って右に入ると、借りている駐車場に到達。「F」に車を停める。ここから富山国際学院まで徒歩約6分。運動になります^^。時間帯によって小中高校生の通学に出会います。
以前は通勤時間約10分の職住接近でしたが、今は40分前後の通勤時間になりました。まだ慣れず、緊張感のある通勤タイムです。

2015年度開始。僕は学院長職7年目。学院長、ぴっかぴっかの1年生から、中学1年生になったあたりでしょうか、今年度。どこまで任務に耐えられるかわかりませんが、同僚や後の人々の働きやすい環境作りも心がけて、老骨に鞭打って(嘘爆)、一日一日を過ごしていきたい。
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by tiaokumura | 2015-04-26 12:49 | 僕は学院長7年生 | Comments(0)

新入生歓迎会

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(4月25日午後・記)
富山国際学院は1年に2回、4月と10月に語学留学生を受け入れている。したがって入学式は年に2回あって、2015年度4月期生の入学式は先日4月17日に実施しました。そして例年その1週間後に「新入生歓迎会」を行っており、今回は4月24日(金)がその日。学院は先月移転したのですが、新校舎の近くに環日本海交流会館があり、入学式・新入生歓迎会とも、そちらを利用させていただいた。
当日は学院に集まりその後徒歩3分の環日本海交流会館に移動。こういう行事では、アイデアウーマンの柳川友美さん(専任)があれこれプランニングする。今回はまず新入生が一人ずつ自己紹介。その後、2年生・教員から一人ずつ柳川さんに指名されて、1年生の名前を書いた紙を持って、その学生を見つけるという趣向。僕も指名されてネパールのAさん。なんとか合致できました。自分、学院長の身ながら、まだ新入生の顔と名前、3割くらいしかわかっとらん(恥)。歓迎会はまだまだ続くのですが、僕は11時に「富山きときと空港」に着くネパール人学生の出迎えのため10時半頃に中座。アップした写真は新入生自己紹介中のもの。
11時前、空港着。今期の語学留学生で最後に残っていたネパール人学生は、カトマンズ→バンコク→インチョン(ソウル)→富山って経路で入国。11時半過ぎ、出てきました、彼。彼をピックアップして富山市役所へ。ここで異動届を出して、保険にも加入。在留カード(「外国人登録証」は何年か前に廃止された)は、名古屋や成田や関空など大きい空港ではその場でもらえますが、地方空港では発行されない。市役所で登録後1週間くらいして東京入国管理局から郵送されてきます。こうやって新入生を引率しながら、彼/彼女の日本語力のチェックもします。中には上手な学生もいますが、だいたいが初級入口やっとといったところ。今回の彼、車から見える看板の文字を読ませましたが、おぼつかない。「ももたろう」が「みみたらう」など。誤読の原因、おわかりになりますよね。文字順で覚えているものなのですね。4月期生は桜の季節に来富が多く、松川や富山大学などの桜を見て喜びます。日本に来た実感、わくんでしょうね。でも今回の彼は葉桜。
市役所の後、12時半頃に環日本海交流会館に合流。集合写真を撮っているところでした。
この日、富山は最高気温26.7℃。NHKラジオ全国放送の午後5時台で富山の気温、取り上げていました。日本一だったんかも。あと、NHKテレビ富山「ニュース富山人」でも夏日の富山の様子を映していましたが、な・なんと~、うちの学生・先生が10秒ほど出てた。ビックリ。暑い感じがよく出ている一行(学生3人+教師1人)だったんでしょうね。今回の新入生歓迎会では「街中探検」ってオリエンテーリングもあって、テレビのシーン、その最中みたい。オリエンテーリングは、郵便局、富山市民国際交流協会、市立図書館、銀行、市役所などがチェックポイントだったようです。
4月6日に新年度授業を開始し、4月17日・入学式、4月24日・新入生歓迎会。これでちょっと一段落って感じでしょうか。上半期は今のところ、5クラス+派遣3社+プライベートレッスンなど。次の学校行事は8月7日(金)に夏の遠足があります。今年は立山に行く年です(奇数年が立山、偶数年は立山以外)。
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by tiaokumura | 2015-04-24 11:01 | 日本語教育 | Comments(0)

『根付』『千代紙』『京料理』(角川ソフィア文庫)

f0030155_1848361.jpg駒田牧子(こまだ・まきこ)・著 渡邊正憲(わたなべ・まさのり)・監修
根付
平成27年2月25日 初版
ジャパノロジー・コレクション(角川ソフィア文庫) KADOKAWA
920円+税

小林一夫(こばやし・かずお)
千代紙
平成27年2月25日 初版
ジャパノロジー・コレクション(角川ソフィア文庫) KADOKAWA
920円+税

千澄子(せん・すみこ) 後藤加寿子(ごとう・かずこ)
京料理
平成27年3月25日 初版
ジャパノロジー・コレクション(角川ソフィア文庫) KADOKAWA
920円+税

角川ソフィア文庫は文庫界でユニークな位置を占めていると言えよう。僕、ときどき買っています。今回はその「ジャパノロジー・コレクション」シリーズより。Japanology、カヴァー裏に「日本を総合的にとらえることを目的とする学問。日本学。日本研究。」という定義。Sinologyがあるのだから、Japanologyもありでしょうね。どちらも欧米の視点での概念なんでしょうが。そういえばchinoiserie、japonaiserieってのもありますよね。さらにジャポニスム(Japonisme)は西洋美術史じゃ重要な概念。今朝の日経によると、今、東京芸大美術館で「ダブル・インパクト明治ニッポンの美」展ってのが開催中のようです(5月17日まで)。Cool Japanかも。
角川ソフィア文庫のこのシリーズは、「見る楽しみ 知る楽しみ 知られざる○○の世界」「見て学ぶ、和のジャパノロジー・コレクション」(共に帯より)ってことで、○○にそれぞれのトピックが入る。3月末現在、『妖怪』『和菓子』『根付』『千代紙』『盆栽』『京料理』の6点が出ているようです。僕は『妖怪』『和菓子』も博文堂さんに注文したのですが、品切だった。

『根付』駒田牧子は父が駒田柳之(りゅうし)。本書には「製作工程」(pp148-150)はもちろん父からの貴重な情報が満載でしょうね。また「根付の生き字引」(p184)の渡邊正憲が監修している点も貴重。今回初めて知ったのですが、高円宮コレクションに逸品多数あり。他の根付コレクションには、ボストン美術館のあのビゲローコレクションやキンゼーコレクションがあるみたいです。根付は日本人(高円宮殿下・妃殿下のような例もあるが)よりは欧米人によってその美術的価値を「発見」されてるところがあるみたい。似た現象は他にも例がある。
『千代紙』。子どもの頃、姉2人や従姉たちが千代紙で遊ぶのを見たのが「女」というものを意識した始まりになるかもしれない。戦後の貧しい時代だったので、彼女たちの遊ぶ千代紙の素材も粗末なものだったのかもしれない。本書で初めて知った名前・佐久間八重女さんが千代紙「ブームの火付け役」(p14)だったそうです。彼女は「それまでの平面的な姉様人形に工夫を重ね、立体的にして都美術館に出品し、賞を受けた」(p14)。本書、「第一章 江戸千代紙とは」「第二章 千代紙の文様」の2章構成。他の書もそうですが、カラー写真たっぷりでこの値段はありがたい。
『京料理』。「京料理」って格調高くって自分なんかは敬遠したいところですが、本書は京都の家庭料理の紹介。と言っても千は武者小路千家当主十四世の母、後藤はその長女だから、庶民のおばんさいとはかなり異なるのかもしれません。京料理の食材で僕が連想するのは、鱧・湯葉・豆腐・じゅんさい・赤しそあたりでしょうか。僕の初めての京料理って、たぶん「しば漬け」でしょうね。本書、「懐石料理」についても詳しい。pp102-112、「懐石料理の心」「懐石料理の流れ」。いつかお金を貯めて懐石料理をいただくチャンスがあったら、本書持参してみたい^^。「なるほど、そういうことだったのか」って、目から鱗な記事も。
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by tiaokumura | 2015-04-19 18:48 | | Comments(0)

富山国際学院2015年度4月期生・入学式

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地元紙2紙の本日4月18日付で、昨日の富山国際学院の入学式が記事になっていた。ワシ以外じゃと気がつかんくらいちっちゃな記事じゃけんど(激爆)。
アップした写真の、上が北日本新聞、下が富山新聞。
北日本新聞より一部引用。
同学院は、1992年に開校し、これまで千人以上の外国人が日本語を学んできた。今回は、中国、ベトナム、ネパール、タイ、韓国、台湾から29人が入学した。
奥村学院長が日本語と英語で「夢の実現のため、たくさん学んでください」とあいさつ。
富山新聞より一部引用。
奥村隆信学院長が「自分の夢を実現するため、たくさん日本語を学んでください」と激励した。新入生は一人一人、名前や出身国、趣味などを紹介した。
両記事には写真もあり、北日本は「日本語で自己紹介する外国人学生」、富山は「自己紹介する新入生」のキャプション。北日本はネパール女性、富山はネパール男性。通訳の関係で座席を配列して、ネパール人(4月期生5人中4人来日済み)が自己紹介のスタートになった。それで写真もそういう結果に。
同じ事象をどんな記事にするか(何を入れて、何を入れないか)は取材記者それぞれの力量&思惑なんでしょうが、僕の式辞、どちらもほぼ同じ引用。なるほど。ちょっと勉強になりました。今回の式辞の目玉は本居宣長だったんですが、この程度の分量の記事じゃ、そこには触れられないでしょうね。
にしてもビンボー日本語学校、宣伝費なんてほとんどないので、こうして記事にしていただけると、まっことありがたき幸せ、っす^^。今年3月の2年生課外活動「柴田力弥師による着付教室」以来になります、富山国際学院の新聞記事は。あの時は、北日本・讀賣・富山だったかなあ。
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by tiaokumura | 2015-04-18 12:05 | 日本語教育 | Comments(0)

学院長式辞@2015年度4月期生・入学式

2015年度4月期新入生の皆さん、入学おめでとうございます。
富山国際学院12名の教師を代表してお祝いの言葉を述べさせていただきます。
On behalf of 12 teachers at 富山国際学院, I would like to express my deepest congratulations to all of you, 2015 April session students.
今回は、中華人民共和国、ベトナム社会主義共和国、ネパール連邦民主共和国、大韓民国、タイ王国、中華民国からの新入生、合せて29名の入学者になります。
Now we welcome 29 new students from People’s Republic of China, Socialist Republic Vietnam, Federal Democratic Republic of Nepal, Republic of Korea, The Kingdom of Thailand and Republic of China.

今日は皆さんにとってゴールではなくスタートです。皆さんが日本語を学ぶ目的はさまざまですが、皆さんの一人ひとりが、自分の夢の実現のために、富山国際学院でたくさん日本語を学んでください。
Today is not a goal but just a start. Your aims to learn 日本語 are different from each other. I believe you will learn 日本語 to realize your dreams. Learn 日本語 a lot here at 富山国際学院.
江戸時代の国学者に本居宣長(もとおり・のりなが)がいます。彼は『うひ山ぶみ』の中で次のように書いています。
We have one kokugaku scholar named 本居宣長 in Edo period. He wrote in his book entitled うひ山ぶみ or “The Ways for Beginners” as the following.
「才のともしきや、学ぶことの晩(おそ)きや、暇(いとま)のなきやによりて、思ひくづをれて、止(やむ)ることなかれ。とてもかくても、つとめだにすれば、出来るものと心得べし。」
(才能の乏しいことや学びを遅く始めたことや学ぶ時間がないことを口実にして学ぶことをやめてはいけない。絶え間ない努力を続ければ必ず学業は成就する。)
“Never complain that you have neither talent, early-start nor time. Your unremitting efforts lead you to the stage to complete your work.”
そうなのです。日本語を学ぶ努力を毎日続ければ、必ず日本語が上手になり、あなたの夢が実現するのです。皆さんにとって日本語はそんなに難しい言語ではありません。
Yes! Your unremitting efforts to learn 日本語 will lead you to realize your dream through 日本語. 日本語 is not so difficult language for each of you.

さて、皆さんは富山国際学院に入学しました。どうか目も耳も大きく開いて、たくさん聞いて読んで話して書いて、皆さんの輝かしい未来に向かってがんばってください。皆さんの富山国際学院での留学生活がすばらしいものになることを願っています。
Well, you all are new members of our 富山国際学院. Please keep your eyes and ears wide open. Listen to, read, speak and write 日本語 as hard as possible. Keep a tough mind to challenge for the brilliant future. 富山国際学院 welcomes all of you, and hopes you will spend the very best and delightful lives here.
皆さん、ご入学本当におめでとうございます。
Congratulations to you from five countries and one area, again. Thank you.

2015年4月17日
富山国際学院 学院長 奥村隆信
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by tiaokumura | 2015-04-17 13:44 | 僕は学院長7年生 | Comments(2)

言の葉つれづれ@2015年4月

秋元康
間違っちゃいけないと思って選んだ道でも人間は間違えてしまうもの。だから、戻ってくる力を磨いておけばいい。
横尾忠則
自分が見えている道なんて不確かなもの。自らが崩落していく感覚の先に新たな道を見つけることも多い。
川村元気
想像できない唐突な展開、予測が裏切られるアクシデントがあるから、人は泣いたり笑ったりする。つまり人生が感動的になる。
辻芳樹
日本人が「これが本物の味だ」と押しつけても、外国人にその味は届かないことが多いのです。異文化で受け入れられるには「変換力」が必要です。
外部から鍛えられた伝統こそが世界に通用すると考えています。
現場の状況変化を機敏にとらえ、解決策を考える力があれば、欠かせない人材になる。
限界まで追いつめられたとき、人は自分のことをよく理解できる。どこを伸ばせばいいのかもわかる。
日本食が危機になっているって意識をもつ人がどれだけいるか。誇りをもって守ろうという人が何人いるか。誇りと危機意識、両方もつのがあるべき姿だと思う。
久保田万太郎
湯どうふや いのちのはての うすあかり
天野祐吉
言葉を過小評価してはいけない。言葉はときに人に希望を与え、その物事を良い方向に変える。
菊地寛
故人老いず生者追いゆく恨(うらみ)かな
ウィンストン・チャーチル
悲観主義者はすべての好機の中に困難を見つけるが、楽観主義者はすべての困難の中に好機を見いだす。
外山滋比古
物忘れが増えても嘆く必要はなくて、むしろ、整理力が増すのだと考えればいいのではないでしょうか。
その人の生き方が変わるような知識。年を重ねることによって増していく知恵こそが、ほんものの知識だと強調したいと思います。
わからないという挫折から、知ろうとするエネルギーが生まれる。
土井敏邦
国際感覚とは・・・言葉も文化も肌の色も違う遠い国の人たちと、同じ人間としての痛みを感じる感性と想像力を持つことができるかどうか。
森達也
群れの中にいると方向や速度がわからなくなる。周囲がすべて同じ方向に同じ速度で動くから。だから暴走が始まっても気づかない。そして大きな過ちを犯す。
村上春樹
腹が立ったら自分にあたれ。悔しかったら自分を磨け。
トマ・ピケティ
経済学者はもう少し実証的、歴史的な研究をすべきだと思う。
世襲社会、相続財産に依存する社会が戻ってきている。とくに欧州と日本で。経済成長率が低いために、過去に蓄積した資産が重要になるからだ。
21世紀にバランスの取れた成長が果たせるかどうかは、高等教育への投資にかかっている。
村松友視
金沢を知っていることと金沢を考えることは、全然違う。静岡の人が富士山について考えないように、金沢の人は金沢の価値に油断していると思う。
パトリック・ルーカス
彼(習近平―奥村)の言葉にはイメージ的なものも含めて二つの理論が織り込まれています。一つは「中国は特別である」ということ。もう一つは「中国の需要は他者より大事だ」といったものです。
「偉大な中華民族」の復興とは、我々は歴史上重要な民族であり、アジアの中心だった元々の地位に戻ると言いたいのです。
80年代・・・共産党が呼びかける共産主義のイデオロギーを、だれも信じなくなった・・・共産党は、市民の信任を得るため、何か新たなものを必要としました。
共産主義はいわば淘汰され、民族主義が統治に使われ始めたのです。
外国人に譲歩すれば、政府も批判を免れなくなっています。
民族主義だけで中国を定義してはいけません。民族主義は中国の一側面に過ぎない。
師岡カリーマ・エルサムニー
米国も英国も現地勢力も、自らの利益を達成する道具としてイスラム教をずっと使ってきたし、現地もそれに乗っかってきた。こうしたすべてのことが化学反応を起こし、いま爆発している。
戦争や政治にイスラムが利用される中で、ゆがんだ宗教教育がはびこってしまったことも事実・・・
彼ら(ダーイッシュ=「イスラム国」-奥村)に日々殺害されている犠牲者の大半はイスラム教徒・・・
西洋人のイスラム観には「異質なもの」を見る感覚が残っている。日本も一部をそれで踏襲していないでしょうか。
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by tiaokumura | 2015-04-12 08:50 | 言の葉つれづれ | Comments(0)

2015年3月・ブログ内ランキング

2015年3月は15件の記事投稿でした。
3月の「PC訪問者数」は1日平均77.1人(3月計2391人)。100人を超えた日が1日もなかった(泣)。3月の「PCアクセス数」は4030でした。「リンク元URL」は、100以上だけ挙げると、1位「www.google.co.jp」が1559アクセス(以下同じ)、2位「search.yahoo.co.jp」1304、3位「userconf.exblog.jp」400、4位「www.exblog.jp」285、5位「www.google.com」104でした。

3月の「記事ランキング」は、
第1位<2013年4月17日付>村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼』(文藝春秋)(117)
第2位<2015年1月13日付>「昭和天皇実録」、刊行(99)
第3位<2011年8月28日付>五七五(「癌日記」より)(74)
第4位<2011年8月27日付>ある癌患者(男性・64歳 胃癌ステージⅣ)、4つの不安(71)
第5位<2015年3月13日付>学院長式辞@富山国際学院2014年度卒業式(70)
第6位<2009年3月18日付>公立高校受験に失敗した君に(64)
第7位<2015年3月19日付>癌日記:僕の5年生存率は7%台だったかなあ(60)
第8位<2015年3月12日付>観世寿夫 能楽講義(『花もよ』第18号)(53)
第9位<2011年10月23日付>「僕は20歳だった。それが人の一生でいちばん美しい年齢だなどと・・・」(ポール・ニザン)(51)
第10位<2015年3月3日付>こんな授業・あんな授業(29)富山県立ふるさと支援学校で交流(49)
第2位、『昭和天皇実録』、刊行されました。僕は「第一」を買いました。
そういう季節だったんでしょうね、第5位は受験記事。これの元は2006年3月16日付の「7189人の一人になれなかった君に」です。

検索キーワードランキング」のほうは
第1位・okumuratakanobu(72アクセス。以下同じ) 第2位・富山(55) 第3位・東京書籍(31) 第4位・昭和天皇実録(30) 第5位・ブログ(29) 第6位・日本語教師(28) 第7位・日本語(14) 第8位・奥村隆信(13) 第9位・シスプラチン(12) 第10位・歌(10)
でした。
第3・4位、『昭和天皇実録』は教科書で有名な「東京書籍」から出ています。第9位の「シスプラチン」は抗癌剤です。
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by tiaokumura | 2015-04-11 09:33 | このブログのこと | Comments(0)

あの日ここから始まった

f0030155_135742100.jpg僕は就職列車組ではなかったが、『ああ上野駅』(関口義明・作詞、荒井英一・作曲、井沢八郎・歌)は好きな曲である。カラオケでも(台詞は無理っぽいが^^)ちゃんと歌えます(照)。1番の歌詞に「あの日ここから始まった」、あり。
僕は1993年度は富山商船高専、富山工業高専で週1コマずつ日本語を教えていた。今はその両校は合併している。高専はケニアや中国やマレーシアの留学生だった。僕の契約は1994年3月で終了、そのあとは日本語教師としては浪人暮らしの予定だった。当時は奥村学習塾を主宰していたから生活に困るというわけではなかったが、日本語を教えたいという気持ちは持っていた。
自治体が外国語学校を持っているのは、当時も今も珍しいでしょうが、富山市立外国語専門学校(2011年のニュージーランド地震で被害者が出て、それで全国的に知られた学校かもしれない)が市民向けの外国語講座を開いていて、きわめて低料金だったので僕は英語・フランス語・中国語などを習いに通った。いい先生(太田先生・田中先生・銭先生ら)とも何人とも出会えた。1994年の夏には金先生の韓国語集中講座を受講。韓国人の金先生のご主人は日本人のIさんで当時「富山国際学院」専任だった。それが僕が富山国際学院と関係ができるきっかけだった。自分、運の強い人生なんでしょうね。小学校以来、四十万先生・高倉先生・入江先生・城野先生・法先生・宮元先生・前田先生・守田先生・牛丸先生・鈴木先生・小松先生・分銅先生・呉人先生が、僕の小学校(僕は保育園・幼稚園は行っていない)以来大学までの担任の先生方。どの先生にもずいぶんお世話になった。お顔は今でも全員覚えています。自分が教師をやっている今、はたして僕の「教え子」は僕のことをそんなふうに思ってくれているだろうか。←反語(汗)でしょうね、「思っていない」と^^。ま、それはともかく、金允玉先生もわが人生でご縁&ご恩ある先生のお一人。
金先生のご紹介でIさんと会い、富山国際学院の非常勤講師職を希望してみたらと勧められる。やがて面接に漕ぎつける。アップした写真の部屋が僕の面接会場でした。面接官は岸井みつよさん。当時は教務主任だったか(後に僕の前任の3代目学院長)。面接結果がなかなか来ず焦ったが4月から採用になった。「ああ上野駅」じゃないが、アップした写真の部屋(写真撮影時、机や椅子やホワイトボードなど取っ払ってます、引っ越しのため)、「あの日ここから始まった」って心境です、今。
富山国際学院はこの教室がある下新町から2015年3月末、富山市内中央部の芝園町に移転。2015新年度はそこでスタートする。
旧校舎在任中では約30か国・地域の日本語学習者を教えたかなあ。恥ずかしいことだが多くの学習者の名前を忘れた。新校舎で始まる日本語教師人生、いつまで続けられるのかなあ。皆の足手まといにならぬよう、全うしたいのだが。
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by tiaokumura | 2015-04-05 13:57 | 職業としての日本語教師 | Comments(6)