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『都立朝鮮人学校の日本人教師―1950-1955』『茨木のり子詩集』『唐物の文化史』

f0030155_12301233.jpg梶井陟
『都立朝鮮人学校の日本人教師―1950-1955』

2014年3月14日 第1刷
岩波書店(岩波現代文庫)
1240円+税
谷川俊太郎選
『茨木のり子詩集』

2014年3月25日 第2刷
岩波書店(岩波文庫)
700円+税
河添房江
『唐物の文化史―舶来品からみた日本』

2014年3月30日 第1刷
岩波書店(岩波新書)
880円+税

富山大学梶井陟(かじい・のぼる1927-88)という教官がいるのを知ったのは30代で富山にUターンして間もなくだろうか。私立大学なら「朝鮮コース」があっても不思議ではないが、ともかく、あの当時(も今も?)「朝鮮」という言葉は一定の価値観のようなものを付されていた中で、国立の富山大学は当時も今も「朝鮮語・朝鮮文化コース」である。梶井を始め藤本幸夫、和田ひろ美といったすばらしい教官がそこでは輩出。梶井は残念ながら1988年9月9日ご逝去。61歳の若さだった。
本書、親本は1966年1月に日本朝鮮研究所より刊行の『朝鮮人学校の日本人教師』。その後、1974年1月に亜紀書房より同タイトルで刊行。
「都立」朝鮮人学校があったなんて、今や僕を含め一般庶民には想像外のことでしょうね。「朝鮮人の子どもたちにも日本人の子どもたちと同じように学ぶ権利がある」(帯より)-外国につながる子どもたちの高校進学に微力を尽くしている身には、ガツンと来る言葉です。

「現代詩の長女」茨木のり子(いばらき・のりこ1926-2006)の代表作は「わたしが一番きれいだったとき」でしょうね。ただ一般に「有名」になったのは、彼女の凛とした作品である「自分の感受性くらい」「時代おくれ」「倚りかからず」かも。新聞のコラムなどで紹介され、そのことがいいことか悪いことか僕にはわからないが、「詩」が人生の指針になった感じがした。中国では「詩は志の之くところ」だったそうだから、茨木のそのような享受のされ方もむべなるかな、かもしれない。
本書で初めて知った長編詩「りゅうりゅぇんの物語」は衝撃。
本書、大岡信との対談「美しい言葉を求めて」、所収。
茨木のり子が岩波文庫に入る時代になったんですねぇ。

『唐物の文化史―舶来品からみた日本』は書評を読んで買おうと思った。
「唐物とは・・・広く異国からの舶来品全般を総称するもの」(「はじめに」)。「読者の皆さんには・・・舶来品をつねに受け入れつつ形成された日本文化の歴史とはいったい何であったのか考えるきっかけとしていただければ幸いである」(「はじめに」)。
本書の魅力の一つは「権威と富の表象としての唐物のあり方」を「キーパーソン」を通じて叙述する点であろう。聖武天皇・藤原道長・平清盛・奥州平泉氏・徳川吉宗などの項も興味深いが、とりわけ、バサラ大名・佐々木道誉の項(第五章 茶の湯と天下人)は、日本人の在りようにについて深く考えさせられる。
河添房江(かわぞえ・ふさえ)は本書で初めて知りました。1953年生まれ、専攻は「平安文学・平安文化」、現職は東京学芸大学教授・一橋大学院連携教授。
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by tiaokumura | 2014-05-25 12:30 | | Comments(0)

土佐英夫さん、富山大学ご卒業、おめでとうございます!

f0030155_13543578.jpg何年か前、柳原正年さん(富山大楽塾)から米屋保雄さんを紹介された。柳原さんからのメールでは、日本語教育に関心のある方とのことだった。米屋さんはやがて富山大学に社会人入学。社長職にありながらの受験勉強も大変だったでしょうが、何よりも僕のように3年から編入学という道を選ばず、1年から始めたところがすごい。で、実は米屋さんの先に富山大学人文学部に社会人入学された御仁がいる。それが土佐英夫さん。米屋さんと土佐さんは富山高校同期でもある。
先日米屋さんから土佐さんの卒業祝いの食事会をしようとの連絡。3月卒業だから本当はもっと早くにすべきところだったのだが、遅れ遅れて5月になった。米屋さんは同時に、富山大の学生を連れて富山国際学院に来校し、日本語教育についての話を聞きたい、とも。
5月23日(金)、5時・富山国際学院、6時半・magobee(ボルファート内)という予定。ところが僕、ロシア人2名の来客ありで、5時の予定に約30分遅れる。接客を終え401教室に入ると、同僚の粕谷さん、米屋さん・土佐さん・山中さん、それに富山大学生3人あり。日本語教育についてあれこれ質問を受け、粕谷さんと僕でそれらに答える。
6時半頃、学院を出てボルファートに向かう。米屋さんとの食事会はこれで5回目くらいになるだろうか。職業柄なんでしょうね、米屋さん、ずいぶんグルメで、いつもお店をセッティングしてもらい、どのお店も外れがない。今回は学院から徒歩約10分、ボルファートというビル内のmagobee。お店に入ってビックリ! 僕の卒論の指導教官の呉人恵教授が座っていらっしゃるではないか。サプライズゲスト^^。呉人先生には、編入試験時の面接を始め、単位取得やゼミ発表など、僕の富山大学在学中、ずいぶんとお世話になった。お会いするのは去年だったかの先生のライブ(先生は音楽活動もなさっています)以来。
5月23日は愉快な夜であった。ただ自分、ヨッパになったんでしょうね、会の終盤以降の記憶が定かじゃない。気がついたらポートラム待ちの自分だった(汗)。

アップした写真、白いジャケットの方が土佐英夫さん。豪快な方ですが、酒を飲まない(飲めない?)のが意外。土佐さんの肩に手を置いているのが米屋さん。土佐さんの右隣が山中さん。米屋さんは4年生、山中さんは修士2年生です。来春2人は卒業。僕の向かいが呉人先生です。僕の左2人手前が粕谷さん。あとの若者たち4人は富山大生です(お名前、失念^^)。
土佐英夫さん、ご卒業おめでとうございました。
奥様とのドイツ・スコットランド旅行、羨ましいです。どうぞ、のんびり休息&充電を。
米屋さん・山中さんたちと、また食事会しましょう。
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by tiaokumura | 2014-05-24 13:54 | このブログのこと | Comments(2)

瀬名秀明さん「一度も会えなかった藤子・F・不二雄先生が、ぼくに教えてくれたこと」

f0030155_13424121.jpg(5月18日午後・記)
今、高志の国文学館で企画展
まんが家 藤子・F・不二雄のSF(すこし・ふしぎ)
が開催中(6月2日まで)。関連イベントもいくつかあって、僕はそのうちの3つに参加申し込み。5月17日(土)、その3つめになる、
瀬名秀明さん「一度も会えなかった藤子・F・不二雄先生が、ぼくに教えてくれたこと」
の講演を聞いてきた。
僕はもう40代になってたが、瀬名秀明『パラサイト・イヴ』を読んだ時の衝撃は、中高校生の頃に『友情』『こゝろ』『阿部一族』『山月記』などを読んだ時に受けた「衝撃」と匹敵した。映画『パラサイト・イヴ』(葉月里緒菜って今どうしてんでしょうね)も観たし、2作目の小説『BRAIN VALLEY』も読んだ。小松左京や星新一は既にいたが、瀬名秀明(せな・ひであき1968-)は本格的な理系小説家の嚆矢じゃないかしらん。
僕はほぼ無縁世代だが、40代以下には分厚い「ドラえもん世代」「コロコロコミック世代」がいて、しかもある区切りの年代ごとにその思い入れのありようや思い出のシーンが異なっているんじゃないかなあ。日本の漫画文化はすばらしい。『ドラえもん』、今度アメリカでアニメ放映されるそうですよね。

瀬名さんのパワーポイントも使ったお話は、藤子・F・不二雄漫画との出会い、「こんなF先生がすばらしい」、「F先生に教えてもらったこと、ずっと残るであろう難しさ」などといった構成でした。
瀬名さんの講演会、以下、当日のメモから。文責・奥村。「藤子・F・不二雄」は「F先生」と略させていただく。
①仕事場に「藤子・F・不二雄全集」115巻+αを置いている。「毎日それを眺めながら未来への想像力と創造力について執筆している」(リーフレットより引用)。小説『八月の博物館』(2000年)はF先生に捧げている。『のび太と鉄人兵団』(2011年)は小学館・藤子プロ公認のドラえもんノベライズ。書き上げるのに7週間かかった。
②小学館の学年雑誌を読んで『ドラえもん』と出会った。小学4年の時に「コロコロコミック」が創刊。100号(パーマンが表紙)まで全号購入していた。
③中学1年の時、父親の仕事の関係でアメリカ暮らし。本屋が「コロコロコミック」「マンガ少年」を船便で送ってくれていた。
④寺田ヒロオ『「漫画少年」史』(1981)を知り、寺田先生にその本がほしいと手紙を書いた。先生からお返事が来て、その本と『背番号ゼロ』をいただいた。
⑤F先生のアシスタントになりたいと思った。「ひみつ道具発明大会」に応募し、佳作入選。
⑥高校時代は青年まんが誌「スーパーアクション」「コミックトム」でF先生の漫画を読んでいた。
⑦NHKの「課外授業 ようこそ先輩」に出演。母校の小学5年3組の30名が対象。静岡県にある「奇石博物館」で授業。F先生「恐竜のお話を書くなら、恐竜博士になりなさい」は、私の生涯の教えとなりました。ただ、この名言は全集などのどこにも見当たらず、私の幻かもしれない。
⑧「こんなF先生がすごい ダイナミズム編」。大長編になると構図や間合いが冴え渡る!
⑨「こんなF先生がすごい ギャグ編」。抜群のコスチュームセンス!
⑩F先生の成熟。『海の王子』がエポックメイキングだったのではないだろうか。「『藤子・F・不二雄が描かなくなったら向上した』と言われたらうれしい」というF先生の発言の真意・意味はなんだろう。
⑪「すこしふしぎ」の感性をF先生から学んだ。国内外の黄金期SF・ホラー短篇を読むきっかけに。エンターテイメントの素養を教えてくれたF先生。
⑫「こんなF先生がすごい」。ハードSF的アイデアの数々。
⑬ノベライズ『のび太と鉄人兵団』のこと。ドラえもんの公式ノベライズ。原稿用紙480枚。対象年齢は14歳(ルビは小学5年生以上)。ストーリー、セリフはF先生の原作に忠実に。小説としての読み応えを追求する。
⑭『二人で少年漫画ばかり描いてきた』(1977)。F先生「四十三歳、デビューして二十六年。もっと何か、おもしろいまんがが描きたいと思い続けています。夢に終わるかもしれないけれど、その夢が僕らを支えているのです。」。
⑮F先生が一度大長編で描きたかったかもしれないのは、ギリシャ・ローマでは。次に描きたかった物語は、『落窪物語』、ジョン・バッカン『魔法のつえ』。
⑯F先生「子どものころ、僕は”のび太”でした」が本当に意味するものは?
⑰「F先生に教えてもらったこと、ずっと残るであろう難しさ」。子どものときに培った正しい心、まっすぐな向上心、普遍的な好奇心。子どものとき見たドラえもんが、その人にとっての「本当のドラえもん」であり、故郷とドラえもんの記憶はつながってゆく。晩年、代筆させたF先生、「自分がいなくなった後の藤子プロ」のクオリティを気にかけたF先生、いったい”作家”とはなんだろう?

講演のあと、サイン会。
この間のブログ記事を学芸員が読んだわけではないでしょうが(こちらの記事)、今回は講演のリーフレット、用意されていました。アップした写真、それです。
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by tiaokumura | 2014-05-17 13:42 | 富山 | Comments(0)

ハイランドロッヂ時代の仲間と@麗郷(渋谷)

f0030155_1955461.jpg(5月13日朝・記)
林子平は「六無斎」を名乗ったが、僕も林子平ほどじゃないが、金・女・名誉・地位には疎い人生で、3年前には末期癌で「胃無斎」になった^^。そんな自分ですが、師友には実に恵まれた人生である。ありがたいことである。今回の上京、展覧会7つの他に、仲間たちとの会食も楽しみ。
5月10日(土)、渋谷で2つの展覧会を観終えて、再びハチ公前へ。ここで6時、待ち合わせ。今回のメンバーは、ブチュ、コマさん、郁夫。僕は1970年代の8シーズンほど、長野県白馬村・名木山ゲレンデにあった「ハイランドロッヂ」で働いていた。長野オリンピックのジャンプ会場、ここでした。最後の3年はマネージャーも。12月20日頃に入り、3月下旬ころまでいた。毎シーズン、大勢のアルバイトがいた。梁山泊、みたいなバイトたちだったでしょうね。今回の夕食、そんな時代の仲間たちと。
4人落ち合って、「マツコバルー」へ。僕は1日2回目ってことで、お金、いりませんでした。ラッキー^^。それから、台湾料理「麗郷(れいきょう)」へ。ここは、ブチュ・郁夫のお薦めの店。おいしく、飲みかつ食うことができました。3人とも僕の体調を案じてくれたのですが、普通以上に快食快飲できました。メンバーがよかったからでしょうね。アップした写真、左から、ブチュ・コマ(2人は夫婦)・郁夫・僕。バイト仲間のくじら(川嶋直)は郁夫の高校の1年後輩。持参した本、川嶋直『KP法 シンプルに伝える紙芝居プレゼンテーション』(2013年10月5日初版第1刷 みくに出版)、見せておいた。
ハイランドロッヂ時代は年齢差があってずいぶん年下に思っていたが(ブチュ・郁夫は同学年、僕より6歳年下)、こうしてみんな60歳代になると、なんか、あんまり年齢差、ない感じ。
郁夫は外資系でバリバリのビジネスパーソンだったのが、今は「気導術」を取り入れた整体院を八王子で開院。彼からもらったパンフレットによると、「会社の発展に寄与することでの社会貢献から、もっと身近な、ひとへの癒しを通した社会貢献をしたい」とのこと。
ブチュ・コマさん・郁夫、楽しい一夜でした。
ありがとう!
また今度、他のメンバーも交えて、食事会、しましょう。


郁夫と渋谷駅でお別れ(彼は京王線)、ブチュ・コマとは高田馬場でお別れ(二人は西武新宿線)。その後、山手線に乗ったまま眠り込んで危なかった(汗)。「しんばし~」のアナウンスで目覚め、急いで反対周りに乗り換え、池袋22:30ころ到着。セーフ(照)。池袋23時発夜行バスで帰富の途へ。5時半、富山駅到着。
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by tiaokumura | 2014-05-10 19:55 | 美味録2014 | Comments(2)

ジャパン・アヴァンギャルドーアングラ演劇傑作ポスター展

f0030155_16561025.jpg(5月12日夜・記)
1回目の大学生時代に最もよくやったアルバイトは家庭教師。時には食事付きでビンボー学生にはありがたかった。デパートの配送や印刷工場、ウエイターもしたが、思い出深いのは大学1年生夏休みの彫刻のモデル。日展の審査員で通学先の大学のK教授の家に通っていた。さすがにフルヌードにはならなかったが(激爆)、サポーターで男性シンボルを覆ってのポーズ。けっこうキツくって、芸術のためってこともあったんでしょうが、変な気持ちになることはなかった。先生のお嬢さんがサポーターを洗ってくださって、それが何か・・・照れくさいような、むず痒い感じだった。今にして振り返れば、ウブな青春時代だったんでしょうね^^。彫刻モデルの他にも印象深いアルバイトがある。あれは大学8年生の時だったか。今はどうか知らないが、冗談半分で「国立大学は裏表、8年在学できる」とか言っていた。自分、結局8年いて「除籍」の不名誉でした(照)。で、70年代前半頃にやったアルバイトが、土方巽の暗黒舞踏のアルバイト。西武デパートで2日か3日、ほぼ素っ裸で入場入口近くにしつらえられた小舟で漕ぎ手をやる。あんまり恥ずかしいと思わなかったのは、それが芸術だったからではなく、自分、ある意味ではものすごく鈍感というか度胸があるんでしょうね。バイト代、いくらもらったか覚えていないが、和栗由紀夫や芦川羊子、天児牛大、麿赤児らもいたでしょうから、バイト代の代わりにサイン、もらっとけばよかった^^。
あのころは「アングラ」って云ってましたが、「カウンターカルチャー」。70年代の前衛/辺境がいつしか中央に躍り出て、今ではメジャーなビジネスになったのもあるんでしょうね。『現代風俗史年表』(1986年9月初版。河出書房新社)から、例えば「1970年」の項を開いて、あれこれ事象を挙げると
「an-an ELLE JAPON」創刊 アメリカ映画「イージーライダー」 林静一「赤色エレジー」 ジョージ秋山「銭ゲバ」 白戸三平「忍者武芸帳」 TV番組「ハレンチ学園」 TVドラマ「時間ですよ」 TVアニメ「あしたのジョー」 EXPO’70  「モーレツからビューティフルへ」 ちあきなおみ「4つのお願い」 藤圭子「圭子の夢は夜開く」 ビートルズ「レット・イット・ビー」 讀賣ジャイアンツ6連覇 大場政夫フライ級チャンピオン 中山律子 ディスカバージャパン 歩行者天国 ケンタッキーフライドチキン日本上陸 使い捨てライター よど号ハイジャック 三島事件 
など、実に多彩。世情騒然ってできごともあったが、まだまだ右肩上がりが単純明快に信じられた平和な時代だったのかもしれない。

5月10日(土)、午後5時前、渋谷。ハチ公前、すごい人だかり。ここ、待ち合わせスポット、日本一かも。駅前のスクランブル交差点、Cool Japanで外国人に大人気だとか。
展覧会会場まで歩こうかと思ったが、タブレットを見ても道がよくわからないのと、上野でいささか疲れていたので、大奮発、タクシー利用。運転手さんに、ネットで採集しておいた地図を見せる。東京初乗り、700円台でしょうか、料金は780円でした。かっこよく「おつりはいりません」って言いました。おつりっても20円ですが(激爆)。

ジャパン・アヴァンギャルドーアングラ演劇傑作ポスター展
・・・ポスターハリス・カンパニーの2万点以上所蔵する「現代演劇ポスターコレクション」から厳選された、1960~70年代のカウンターカルチャーの一翼を担った、アングラと呼ばれる小劇場演劇の傑作ポスター約100点を展示します。・・・「アングラ演劇」・・・寺山修司、唐十郎、鈴木忠志、佐藤信、串田和美・・・天井桟敷、状況劇場、黒テント、自由劇場、大駱駝艦・・・
・・・横尾忠則・・・粟津潔、赤瀬川原平、宇野亜喜良、金子國義、篠原勝之、平野甲賀、及部克人、串田光弘、及川正通、榎本了壱、花輪和一、林静一、合田佐和子、戸田ツトム・・・アングラ演劇の軌跡を鮮やかに示すとともに、日本が熱く燃えた時代を鋭く切り取り、ポスター自体が発するメッセージは時代を越え今も輝き続けています。・・・(展覧会リーフレットより引用)
アツコバルー ポスターハリスギャラリー(2会場で開催)
~5月19日(日)
公式サイト:こちら

アップした写真アツコバルーで。ここでの写真撮影、1枚に絞って撮ると著作権にひっかかるが、会場全体の雰囲気や何枚かのポスター一緒なら、OKってことでした。状況劇場「腰巻お仙」(作・唐十郎)のポスター(横尾忠則)です。反対側には、1972年6月4日・5日、1973年9月2日~16日、いずれも西武劇場での土方巽のポスターが掲示。
この展覧会、あるのが知らず上京予定に入れてなかった。朝日新聞5月6日の記事で知りました。幸運。
2会場の内、アツコバルーはタクシーで乗りつけでしたが、もう一つの会場ポスターハリスギャラリー、アツコバルーからすぐ近くってことでしたが、なかなか見つからない。開場6時までなので焦って、あきらめかけたところで、ようやく発見。両方、観られました。あの辺、道玄坂でファッションホテルもちらほらあるので^^、カップルで観に行くときはご注意を。「若い二人は夢中になれるから」(井上陽水「リバーサイドホテル」になっちゃうかも(謎爆)。
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by tiaokumura | 2014-05-10 16:56 | 美術 | Comments(0)

尾形光琳「風神雷神図屏風」

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(5月12日朝・記)
5月10日(土)、東京国立博物館本館。距離にしてどれくらい離れているのだろう、今回、俵屋宗達の「風神雷神図屏風」が平成館・特別展示室に来ているので、本館7室常設展示の尾形光琳「風神雷神図屏風」と、両方を一度に観ることができます。
本館に入る。国宝・重文だらけなのでしょうが、そういうのはぜ~んぶ^^すっ飛ばして、光琳「風神雷神図屏風」へ一目散。ちなみに、本館、無料でした。やはり人気作品なんでしょうね、大勢の人。ビックリしたんですが、写真撮影OKなんですね。2000年8月に訪れたルーヴルもオルセーも写真OKだった(一部、フラッシュ禁止だったかも)。「モナリザ」の前なんて、ものすごい人だかり。洋の東西を問わず、ああいう時・所ってみ~んな写真、撮りたがる。でも、日本の美術館・博物館、普通は写真撮影禁止でしょうね。ここ東京国立博物館は例外なんでしょうか。まあそれはともかく、僕も、画面前に人が立たないわずかのシャッターチャンスを狙って、撮りました(アップした写真がそれ)。正面からは無理でした。

12:45、上野で残るは「キトラ」展。長時間並ぶのを覚悟して、僕も列に加わりました。係員のプラカードには「会場に入場まで100分 入場から壁画鑑賞まで30分」の表示。サービスのつもりなんでしょうね、待ち時間用に「キトラ シークワードパズル」が配られた。僕の少し後ろの男性から、係員に「これまで何度もここに来ているが、こんなに並ばされるのは初めて。展示のしかたが悪いんじゃないのか」という叱責も。お怒りはわかるけど、まぁまぁ我慢しましょう、と心の中で僕は思った。待ってる間、読みかけていた岩波新書、完読しました。
ようやく入場。僕の前の祖母・母・男児の3世代組の母親が「途中飛ばして、壁画のところへ直行しよう」と言っていて、僕もその作戦をとることに^^。会場に入ってから、あれこれ展示・パネルなどには見向きもせず、人込みを縫って、壁画3枚の許へ行きました。
飛鳥から東京へ [特別展]キトラ古墳壁画
「四神」より「朱雀」「白虎」「玄武」、「十二支」より「子」「丑」、東京初公開。
東京国立博物館 本館特別5室
~5月18日(日)
公式サイト:こちら
表慶館で「キトラに触れる!」ってのを無料でやってましたが(「肉眼では見られない壁画の世界を サイエンスの目で観る」)、パスしました。
TNM&TOPPANミュージアムセンター」で「キトラ古墳」、観賞。「バーチャルリアリティ作品 4Kライブシアターで飛鳥の宇宙を体感」。約40分。

上野での展覧会5つを観終わり、渋谷へ。
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by tiaokumura | 2014-05-10 12:32 | 美術 | Comments(0)

梅蘭@上野の森さくらテラス

f0030155_11501333.jpg(5月11日夜・記)
旅の楽しみは食事。5月10日(土)の昼食は、最近上野にできた「上野の森さくらテラス」で。ここは「上野松竹デパート」の跡に4月にオープン。上野駅側、上野恩賜公園側、どちらからも入れます。B1Fには「かまくら」など、1Fには「タリーズコーヒー」「サーティワンアイスクリーム」など、2Fには「こて吉」「しゃぶ菜」など、3Fには「イアコッペ」「オイスターテーブル」などが、入っている(←ネット情報)。ほんとうは「オイスターテーブル」で牡蠣を食したかったのだが、玄関前のメニューを見たら、ビンボー人の自分には高すぎた。どうしようか迷って選んだのが「梅蘭」。横浜中華街に本店があるそうです。入る前に店内入口にいたウエイトレスに「お粥、ありますか?」って聞いたら「ある」とのことで入店。
生ビール(中)。小籠包も食べたかったが完食する自信がなかったので、やめる。「海鮮お粥」。ヴォリュームもちょうどよく、おいしくいただいた。
1320円+税106円。

腹ごなしができたところで、再び東京国立博物館へ。公園内、多くの人、人、人。外国人も。この日、風が少しあったが、暖かないい日和。コートを着てたので汗ばむ。
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by tiaokumura | 2014-05-10 11:50 | 美味録2014 | Comments(0)

法隆寺 祈りとかたち

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(5月11日夜・記)
5月10日(土)、「キトラ」のものすごい行列を横目に見ながら、東京国立博物館を出て、右手に進む。東京藝術大学はもちろん知っているが、訪れるのはたぶん初めて。意外かも。
校門(東京芸大はいくつか門があるのかも)をくぐり、守衛所から右手に会場。
法隆寺 祈りとかたち
東日本大震災復興祈念・新潟県中越地震復興10年
構成:「第1章 美と信仰―法隆寺の仏教美術」「特別出品」「第2章 法隆寺と東京美術学校」「第3章 法隆寺と近代日本美術」
東京藝術大学大学美術館
~6月22日(日)
公式サイト:こちら

「東京では、20年ぶりの大規模な法隆寺展」だそうです。
勝手に^^10選。リーフレット記載順による。
菩薩立像(飛鳥時代) 天人(金堂天蓋附属)(飛鳥時代) 毘沙門天立像(平安時代) 吉祥天立像(平安時代) 阿弥陀如来坐像(三経院)(平安時代) 聖徳太子立像(二歳像)(鎌倉時代) 多聞天立像(三経院)(平安時代) 蓮池図(鎌倉時代) 十六羅漢図(鎌倉時代) 安田靫彦「太子孝養像」 杉山寧「救」
平山郁夫も参加した「法隆寺金堂壁画模写」も展示されています。
40年ほど前になるか、畏友・宮崎健二君に紹介された梅原猛の「法隆寺」本、読みたくなりました。

守衛所横を通りもう一つの展示へ。
別品の祈りー法隆寺金堂壁画―
・・・法隆寺旧金堂壁画を全面原寸大で焼損前の姿に復元するとともに、最先端技術のスーパーハイビジョン(8K)プロジェクターを用いて、法隆寺金堂をテーマとした超高精細映像表現作品を展示・・・(公式サイトより引用)
東京藝術大学大学美術館 陳列館
~6月22日(日)

「焼損前」「白黒写真」「再現」の三つがビデオで見られます。「超高精細」ってこれで一語なんかな。どんな語構成になっとるんじゃろう、「超+高・精・細」なのか「超高+精細」なんか・・・。
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by tiaokumura | 2014-05-10 11:07 | 美術 | Comments(0)

栄西と建仁寺

f0030155_10284445.jpg(5月11日夜・記)
5月10日(土)午前9:10、山手線上野。上野駅の中で展覧会のチケットを売っている。「栄西」「キトラ」「法隆寺」の3枚を買う。
上野恩賜公園、東京国立博物館。この日の朝の朝日新聞「天声人語」が「待ち時間80分」と書いていたが、なるほど「キトラ」、もうすごい行列ができている。ここが作戦の立てどころ、なんでしょうね^^。「キトラ」を観る順番をどこに入れるかってぇ作戦。あとになればなるほど混みそうだから早い時間の「今でしょ」^^って考えもあるけど、自分、最後に回すことにした。今回の展覧会は「栄西」「法隆寺」が一番観たい2つで、「キトラ」はそれほどでもない。だから、「高松塚」ならともかく「キトラ」、こんなにすごい人気があるのが僕には不思議。「古代ロマン」なんでしょうか。
「栄西」のほうは「キトラ」とは比べ物にならないが、それでも行列少し。入館。

開山・栄西禅師800年遠忌 特別展 栄西と建仁寺
構成:「序章 禅院の茶」「第1章 栄西の足跡」「第2章 建仁寺ゆかりの僧たち」「第3章 近世の建仁寺」「第4章 建仁寺ゆかりの名宝」
東京国立博物館 平成館
~5月18日(日)
公式サイト:こちら
高校受験では「えいさい」で覚えましたが、本展では「ようさい」です。僕、記憶が苦手で栄西は「西」(さい)・済(ざい・臨済宗)、道元は「道」・洞(とう・曹洞宗)で覚えました。
「四頭(よつがしら)茶会」空間が会場に再現されています。
海北友松が一番多く10点、狩野山楽5点、長谷川等伯2点、伊藤若冲2点、白隠2点、曾我蕭白1点、長澤芦雪1点など。ただし前期・後期通じての点数(リーフレットによる)。 
勝手に^^15選(リーフレット記載順)。
「安」銘天目(中国・南宋時代) 虎関師錬「元亨釈書 巻第二」 海北友松「雲龍図」 香炉釜(室町時代) 毘沙門天立像(鎌倉時代) 十一面観音菩薩坐像(南北朝時代) 十六羅漢図(中国・元時代) 長谷川等伯「竹林七賢図屏風」(友松の影響がありそうなタッチです) 海北友松「松竹梅図襖」 伊藤若冲「雪梅雄鶏図」 長澤芦雪「牧童吹笛図」 白隠「寿字図」 奥田頴川「古染付写花鳥文芋頭水指」 院達「小野篁・冥官・獄卒立像」 俵屋宗達「風神雷神図屏風」(「国宝"風神雷神" 5年ぶりに参上」だそうです)

「キトラ」には並ばず、東京藝術大学に向かう。

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by tiaokumura | 2014-05-10 10:28 | 美術 | Comments(0)

築地すし一番・築地場外市場中央店

f0030155_6371757.jpg(5月11日午後・記)
5月9日(金)富山発22:50の高速夜行バスで上京。今回は7つの展覧会と友人たちとの夕食。夜行バス往復だと、そういう離れ業^^ができるんですね。他人からは「アホかいな」的行動でしょうが(激爆)。
富山発東京行き高速バス、3号車2Cに座席をとる。ところが妙齢の女性から「何番ですか?」と聞かれ「2Cです」って答えたら、どうやら僕は彼女の「3C」に座ってたみたい。いや、「みたい」じゃなくって厳然たる事実(大汗)。ジジイ、ダメですね(恥)。彼女、気立てのいい娘さんなんでしょうね、当方を非難することもなく、事実確認だけで、「わたし、こっちに座りましょうか」とのご提案。助かりました。降りるときに謝っときました。
5:15、池袋駅東口着。朝帰りでしょうね、若者たち、多数。僕も半世紀ほど前は、このあたり、夜遊び組だった(照)。丸ノ内線で池袋→銀座、日比谷線で銀座→築地。
アップした写真、築地での朝食。「築地すし一番・築地場外市場中央店」(まぐろのセリで有名な「築地すし一番」)、僕はこれで3回目かなぁ。カウンターの中のおやじさん、「小野二郎、何するものぞ」ってな感じの頑固な、でも腕のいい握り職人さんです。活〆たい、活〆ひらめ、中とろ。生ビール(中)。「た~いやひらめの~」ですね^^。完食の自信がなかったので、「シャリ小さめで」って注文しました。〆?は「築地丸武の玉子」(198円+税)。テリー伊藤の実家です。おやじさんのお薦めに従い、玉だけで。
築地場外、相変わらずの混みよう。中国語・韓国語・英語なども。東南アジアからの観光客も増えている。もんぜき通りの「井上」、いつもの大繁盛。次回は久しぶりに井上のラーメンにしょよう。
築地→銀座→東京と地下鉄を乗り継ぐ。東京駅からJR中央線。夜行バスでの上京、いつもだと山手線一周(だいたい1時間)して時間をつぶすのですが、今回は「国分寺」に行くことにした。僕の東京時代の住まいは高田馬場(山手線)からスタートし、その後、東武東上線(上板橋・常盤台)、西武池袋線(中村橋・練馬)など、引っ越した。東京時代の最後は中央線沿線に住みたかった。でも三鷹から手前はお金が足りなかったでしょうね。林玄社長(コクテール堂)の自宅・工場が国分寺南口にあり、東京時代最後は工場で勉強させてもらえたので、国分寺北口(確か「本多町」)にアパートを借りた。今回、そこを訪ねてみようと思った。「舞踏会の手帖」ですね(照)。何年か前、大学のキャンパスのあった大塚を訪ねたり、バイトをやってた池袋西口を訪ねたり・・・しました。そういうの(ノスタルジー?)がいいと思う年齢に入ってきたんでしょうね。「末期癌」もちょっと関係があるかもしれない。
ところが、国分寺北口を出て(東京―国分寺は550円)、唖然。浦島太郎、です。まるっきりわからない。タクシーに乗って「本多町」に行ってもらおうかと思ったが、行っても様変わりしててどこがどこやら不明そうなので、あきらめた。
国分寺→新宿→上野。
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by tiaokumura | 2014-05-10 06:37 | 美味録2014 | Comments(0)