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モーリス・ピアラ監督『ヴァン・ゴッホ』

f0030155_9543192.jpg今日は「3月30日の日曜日」なんですね。讀賣「編集手帳」、日経「春秋」が『フランシーヌの場合』(作詞:いまいずみあきら 作曲:郷五郎 歌:新谷のり子)を取り上げていました。
3月30日(日)午前、車を繁華街の駐車場に入れる。総曲輪通りを歩いてたらグランドプラザで「とやまベーカリーマルシェ2014」ってのをやってました。
フォルツァ総曲輪で映画。「ヌーヴェル・ヴァーグ以降のフランス映画で最高の監督のひとり」(中条省平)だそうですが、モーリス・ピアラ(Maurice Pialat1925-2003)ってまったく知りませんでした。彼の「没後10年・後期代表作4本 特集上映」という企画ですが、残念ながら富山では『ヴァン・ゴッホ』1本のみの上映。あとの3本は『愛の記念に』『ポリス』『悪魔の陽の下に』です。

ヴァン・ゴッホ』(原題Van Gogh)
・・・描かれているのは、ゴッホの人生の最期の2ヶ月間―絵を描き、ワインを飲み、踊り騒ぎ、女たちと寝る、そして誰にも心の奥底を明かさない、孤独な人間の姿である。・・・(パンフレットp7)
1991年 フランス 160分 フランス語
監督・脚本・台詞:モーリス・ピアラ
衣裳:エディット・ヴェスペリーニ
美術:カティア・ヴィシュコフ
出演:
ジャック・デュトロン(Jacques Dutronc1943-。ゴッホ) アレクサンドラ・ロンドン(Alexandra London1973-。マルグリット) ジェラール・セティ(Gérard Séty。医師ガシェ、マルグリットの父) ベルナール・ル・コク(Bernard Le Coq1950-。テオ) 他

3時間近い大作。僕は画家の伝記映画はこれまでに『モンパルナスの灯』(モディリアーニ)・『カラヴァッジョ』などを観ているが、この映画は正直、あまりおもしろくなかった。「ゴッホってこうだったん?」って疑問が生じる描き方だし、やたら愛が前面に出てくるし、必要以上に長いシーンがあったり・・・。でもかのゴダールが絶賛したってんですから、僕のほうが間違ってるんでしょうね。ジャン=リュック・ゴダールが書き送ったそうです。
親愛なるモーリスへ
今回のあなたの作品は驚嘆に値する。ほんとうに驚嘆に値する作品だ。
いまにいたるまで我々の哀れな眼差しに覆われていた、映画の地平の遥か彼方を行っている。
あなたの眼差しは、カメラに、女の子や男の子たちを、そして空間と時間と色彩を、
血気盛んな子供のように追いかけまわしに行かせる偉大な心だ。(映画パンフレットp7)
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by tiaokumura | 2014-03-30 09:54 | 映画 | Comments(13)

さようなら観音湯 ありがとう観音湯

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(3月30日午後・記)
粕谷謙治さん・モンゴル出張壮行会@カエン、の後、柳川友美さんと別れ粕谷さんと二人、観音湯へ。
今から45年ほど前の約1年、当時CiCビルはまだない時代で須田ビルだった。戦後闇市の名残りでしょうね、地下には雑多な店があった。そして僕は須田ビルに接するコロムビア会館というパチンコ屋で働いていた。須田ビルには「日活」、今のマリエの角には「シロー」というパチンコ屋があった。「シロー」は「コロムビア会館」の姉妹店で、SというN車販売会社の社長が両店のオーナーだった。今、駅前にパチンコ店はゼロ。コロムビア会館のマネージャーの川崎さんは釘師でもあり、閉店後、サブマネ格の野口さんが横でその日の台の出具合を書いた帳簿を読み上げ、川崎さんがハンマーで台を調整していく。コンピュータ制御の現代からは想像もつかない光景でしょうね。そんな仕事の後、野口さんに連れられて通ったのが「観音湯」。野口さんは先代松緑似の恰幅のいい美男子。

・・・昭和の雰囲気を色濃く残す老舗の銭湯が今月末で幕を閉じる。JR富山駅前の繁華街で1930年に創業した「観音湯」。当初の建物は富山大空襲で焼け、宮大工の手で立て直された。ヒノキを使い、たたずまいに風格がある。地域の住民だけでなく、登山帰りの県外客にも愛された・・・(2014年3月21日付・北日本新聞「天地人」)

アップした写真、居合わせた大阪からの観光客の方に撮っていただいた。屋根の先まで写っていればよかったのですが、残念。
番台で400円払って入る。脱衣籠、懐かしい。裸になって体重計に乗る。この体重計、貫(かん)・瓩(きろぐらむ)の表記。僕は15貫ちょっとあった。56kgくらいか。
観音湯のいわれになった「馬頭観音」。観音様の下の「龍」。「贈 職方一同」と書いた「柱時計」。浴室に置かれた「ケロリン」の黄色い洗面器。
昭和レトロ、ノスタルジー。取り壊される宿命なのだろうけど、観音様や龍、玄関の屋根など、どこかに移して保存してくれたらいいのですが・・・。

さようなら観音湯 
僕の青春の1ページを彩ってくれた観音湯 ありがとう

粕谷さんは翌日、小松→仁川からウランバートルへ。
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by tiaokumura | 2014-03-25 21:34 | 富山 | Comments(4)

粕谷さん壮行会@カエン

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(3月29日夜・記)
僕の初の海外出張は6年ほど前の中国になるかなあ。あの当時の岸井みつよ学院長が中国北部担当、僕が中国南部担当ってことで、その年、学生面接試験などで福州と西安に行った。中国語はもちろん英語もわからん(今も変わらず)のに、よう海外出張したもんだ。2011年に末期癌が見つかって海外出張に行けなくなって久しい。今年あたり、1回くらいは海外に出たいが、どうだろう、体調。海外は仕事で瀋陽・福州・西安・ハノイ・カトマンズなどに行っています。あとトランジットでは北京・上海・広州・バンコク・大連なども。1回目の海外出張でトラブル続出だったのが良かったんでしょうね。そういうのが当たり前って思えて、海外出張はあんまり怖くない。言葉の問題はあるが、現地の食べ物もほぼOKだし(発癌後の今はどうか・・・)。
この春、富山国際学院専任1年目の終わりに、粕谷謙治さん、海外出張デビュー^^。2013年度は柳川友美さん・粕谷さん・僕の3人が専任の体制で、その3人で粕谷さんの壮行会。柳川さんのお薦めのお店、「カエン」で3月25日(火)午後6時から。
カエンは韓国料理専門店。僕は初めてのお店。「火炎」で「カエン」とか。同店ホームページより引用
「薬食同源」をテーマに、韓国で流行の料理を再現したメニューは、ニンニクや唐辛子、ゴマなど健康増進効果の高い香辛料と、たっぷりの野菜を組み合わせております。(中略)韓国通の方も、韓国料理が初めてという方も、辛いのが苦手という方もきっとご満足いただけると思います。(後略)
飲み物は生ビール中・3杯。激辛苦手な僕のために柳川さん(富山大学人文学部朝鮮出身。韓国で日本語教師経験あり)がメニューからあれこれ選んでくれた。
プルコギ チャプチェ チヂミ トッポギ
〆は「冷麺」と「たまごワカメスープ」。スープはおいしかったのでお代わりした。
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by tiaokumura | 2014-03-25 18:57 | 職業としての日本語教師 | Comments(0)

開田君・山澤君と@車屋

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(3月29日夜・記)
3月24日(月)午前10時より、富山国際学院教員会議。年に4回くらいは実施したい/すべき全体の教員会議ではあるが、非常勤講師の方々の学院に対する温度差も当然あるだろうし、2013年度で13人の大所帯ともなると、年度末の1回がやっとかも、教員会議は。
まずは、2013年度総括。専任3人の総括、ABCDEF各組の総括、外部授業の総括。それから僕のほうで2014年度について。今回異動あり。非常勤の方でお一人ご退職。その報告とご本人挨拶。2014年度は専任3人・非常勤9人体制です。学年暦を配布し新年度について話す。内部授業、外部授業、コンプライアンスなど。午前の最後は専任の粕谷さんによるレクチャー「ICTの現在(いま)」。学院では彼が一番その分野に秀でているので、今回僕がお願いしてレクしてもらうことにした。今や日本語教育でもICTは当たり前の時代です。金のない富山国際学院(大汗)、どこまでICT導入できるやら^^。

3月24日(月)夜開田敏昭君と1年ぶりに再会。彼と僕、家が向かい同士だった。小学4年で彼は引っ越して行った。去年の車屋での飲み会の記事に彼との関わり、書いてあるはず。山澤修一君とは中学で友達になった。彼との「再会」の奇遇は、これも当ブログで記事にしてます。開田君と山澤君は富山中部高校の同級生。
開田君も山澤君も一流のビジネスパーソンだった(今は引退)。二人の武勇伝を聞くのは楽しい。自分とは別世界のできごと。とりわけバブル時代はおもしろい話多々。僕、バブル、まったく無縁だった。塾やってた。いや、塾が流行ってたのはバブルのおかげじゃったんかも。
アップした写真、左から、山澤君、車屋のご主人、僕、開田君。ここ、これで3回目かなな。1回目は副島健治教授(富山大学)・粕谷さんと。2・3回目が開田君・山澤君・僕。この夜はお刺身・トリ軟骨揚げ・湯豆腐など、〆はここの絶品、鯖の棒寿司。
帰り際、壁に(写真の僕の左肩あたり)観世流のカレンダー。「檜書店のですよね」とご主人に聞く。なんとビックリ、小西弘通先生(観世流シテ方)からもらわれたとのこと、世間は狭いもんですね。小西先生は月1回の能楽堂での富山観世塾の折、こちらに立ち寄られるみたいです。

来年3月23日(月)6時@車屋、を約して解散。
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by tiaokumura | 2014-03-24 20:32 | 美味録2014 | Comments(0)

第15回 ハルビン学院記念碑祭

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第15回 ハルビン学院記念碑祭
「ぬくもりある」同窓会の意志を引き継ぎ、学院記念碑に参集しカロートに眠る同窓遺族共々 桜の下で「松花の流れ」を歌おう、富士高女有志とともに、ハルビンへの想いを寄せて・・・
日時 平成26年4月16日(水)
    11時 黙祷・分骨・遺品収納式
         「松花の流れ」全員で合唱
        式後集合写真(グループ別)撮影
    12時 昼食は用意いたします(1500円位)
    14時頃 解散
場所 高尾霊園・哈爾賓学院記念碑前
連絡先 恵雅堂出版内「哈爾賓学院連絡所」TEL03-3203-4754 FAX03-3207-5909
恵雅堂出版の「哈爾賓への懐いー恵雅堂、想い出の源泉」はこちら

ブログではさまざまなご縁ができる。宮明正紀さんとのご縁も奇縁と言うべきか。内村剛介のことを書いた僕の記事が宮明さんの目に触れ、やがて「哈爾賓学院」のことへとつながり、今、僕は「哈爾賓学院同窓会・期外」にならせていただいている。
詳しい経緯は
2009年8月2日付「哈爾賓学院のこと」
2009年1月31日付「内村剛介さん、ご逝去」
などをご参照ください。

哈爾濱学院寮歌 松花の流れ」(作詞・中島国男 作曲・岸谷隆一郎)
壱番
松花の流れ手に汲みて 東亜の渕にいざつらむ
四江の煙波に櫂とりて 文化の潮に棹ささば
昨日の非とは誰かいふ 江東健児君見ずや
 しょうかのながれてにくみて とうあのふちにいざつらむ
 しこうのえんぱにかいとりて ぶんかのしおにさおささば
 きのうのひとはたれかいう こうとうけんじきみみずや
七番
古琴の友よいざ行かん 欧亜の文化正教の
草蘆の知己を西窓に 訪ねて広きシベリアを
文化の風に孕ませて 濁波を蹴らん五大州
 こきんのともよいざいかん おうあのぶんかせいきょうの
 そうろのちきをせいそうに たずねてひろきシベリアを
 ぶんかのかぜにはらませて だくはをけらんごだいしゅう
「松花の流れ」はこちらでメロディが流れます。
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by tiaokumura | 2014-03-23 15:44 | このブログのこと | Comments(0)

富岡鉄斎展@富山県水墨美術館

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62歳ころまで病気とはとんと無縁だったのが、歯の治療に始まって脳動脈瘤やら前立腺やら末期癌やら、自分、まるで病気のコンビニ^^みたいになって、最近はついにアッパレ「痔主」にまでなってしまった(大汗)。自分、人生でそんな悪いことはしとらんだつもりですが、神様、そうは判断してくれなんだんでしょうね。
土曜日の朝9時前、家を車で出て、コンビニで讀賣・日経、GSでガソリン給油。9時過ぎ、痔で通っているH医院。「最近、どう?」ってHドクに聞かれ「悪くなってはいないようです」と答える。「じゃ、いつもの薬を」。「3分診察」どころじゃない短さで終わった^^。ここ、「医薬分業」じゃなく、窓口で支払い&薬。今回も坐薬・塗り薬・錠剤などで、合計3000円弱。
9時半過ぎ、富山県水墨美術館、到着。僕には初めてになるのですが、富岡鉄斎(とみおか・てっさい1836-1924。京都生まれ。大正13年の大晦日に急逝)の作品約50点が鑑賞できる。

画人 富岡鉄斎展
・・・その画業を伝統的な南画・文人画を学んだ初期、大和絵や琳派、浮世絵などを積極的に学んだ中期、そして鉄斎らしさを発揮し自由奔放に遊び、熟成した画境を示した後期の三期に分類し構成・・・
富山県水墨美術館
~3月23日(日)
公式サイト:こちら

前期「画技の研鑽」・中期「独自性開発」・後期「老いてますます学ぶ」、及び「鉄斎の粉本」という構成。鉄斎は董其昌(とう・きしょう1555-1636)の「万巻の書を読み、万里の路を行き、もって画祖をなす」が口癖だったそうです。また「わしは儒者であって画師ではない」とも。小林秀雄は「鉄斎は、画家と呼ばれるのを嫌い、自分は儒者であって、絵は余技である、と常に言っていたさうだが、彼の最後の夢の具体化を眺めていると、そんな言葉も寝言に思へ、彼の得意の画賛も、もう大した用はなしていない様に見える。そういう私達の見方が間違っているとは考えない」と言っている、去年センター試験に小林秀雄が出題されて話題になりましたが(僕らの受験時代は小林秀雄は出典トップくらいだった)、鉄斎について述べたこの文章もわかりにくく、鉄斎をくさしているように誤読されそうですが、褒めてるんです^^。
鉄斎のすごいところは「空間のあつらえ」と「造形の妙」でしょうね。71歳の作「妙義山図・瀞八丁図」(六曲一双屏風。絹本着色)にそれが最もよく表れている。
鉄斎って、岡倉天心やフェノロサのこと、どう思ってたんでしょうね。
「粉本」には蕪村・江漢などがあった。
「人物図貼交屏風」には12人が描かれていますが、宮本武蔵や芭蕉や羅山や石川丈山などと並んで高遊外売茶翁(1675-1763)も登場しています。
鉄斎は日本各地を訪れていますが、残念ながら富山には足跡、ないようです。

奥村が勝手に選ぶ「鉄斎10選」。今回の富山展、前期・後期に分かれ途中展示替えがあったようです。僕が観たのは「後期」です。作品名・鉄斎の年齢・形態の順。展覧会「作品リスト」による。
普陀落迦山(52歳・屏風)  妙義山図・瀞八丁図(71歳・屏風) 松石不老図(80歳・軸装) 朝晴雪図(84歳・軸装) 茶旗「喫茶去」「瀹心原」(88歳・軸装) 水郷清趣図(88歳・軸装) 福禄寿図(88歳・軸装) 邪馬渓図・宝珠川図(?歳・軸装) 富而不羈図(89歳・額装) 十六羅漢尊図(88歳・軸装)
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by tiaokumura | 2014-03-22 10:19 | 美術 | Comments(2)

松川の橋めぐりと遊覧船試乗

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(3月22日夜・記)
ブラ富山」は富山市内を歩きながら富山の歴史や文化に触れる活動。このイベント、インターネット市民塾で知ったかと思うが、これで5回目くらいの開催でしょうか、たぶん僕は皆勤。3月21日(金・春分の日)の「ブラ富山」は
松川の橋めぐりと遊覧船試乗
で、八人町公民館に9時集合。開始前に早めに会場到着。既に10人くらい。いつもガイド役をなさってる方のお名前を存じ上げていなかったのでお聞きする。「堀さん」という方。今回の参加者はいつもより少なく20人くらいで、女性のほうが圧倒的に多い。女男比、2:1か。
まず、堀さんのパワーポイントを使ってのレクチャー。
9:15ころ公民館を出発。あいにくの天気。僕は傘が嫌いなので持参しなかったが、他の皆さんは皆、傘差し歩行。
塩倉橋。「市役所前の大通りに架る橋。ちょうどここに富山藩の塩倉があったことからこの名にされた。」(当日配布レジュメより)。
みぞれ空のような寒い中、松川沿いを歩き、松川茶屋に到着。店主&船主の中村さんのお話を伺う。今回のブラ富山の目玉、松川遊覧船試乗はこのあいにくの天気で出航を見合わせたいとの中村さんのお話で、一同、とりわけ自分^^ガッカリ。
中村さんは観光客相手に慣れてらっしゃるのでしょうね、松川の漁業(あゆ・ます・さけなど)・ます寿し・富山城・船大工・神通川流通・橋など、飽きさせず上手に話される。麺処・甘味処でもある松川茶屋でコーヒーをいただく。滝廉太郎資料館も併設されていてそこも覗く。そうこうする内に天気が曇り空になり、誰言うともなく(自分が一番じゃったかも^^)中村さんに「船、出せるんじゃないですか」と問うと、中村さん、男気というかサービス精神旺盛なんでしょうね、「よしっ」ということになった。どういうわけか、乗船料は通常1500円なんですが、「ブラ富山」ということで無料。ちょーラッキーっすよね^^。
アップした写真、出航直前に。右には桜並木が写っています。松川は富山の桜名所でもある。
塩倉橋→七十二橋→安住橋。次の舟橋までの間に何軒かます寿し店が見えた。舟橋を少し行ったところで折り返し。あられ、かポツリポツリ。桜橋(国の登録文化財)→華明橋。華明橋は、明治以降にでき今も賑やかな桜木町=「華やかで、ぼんぼりの灯も明るい歓楽街」(レジュメより)に架かる橋ということで、このように命名されたそうです。
中村さんの名ガイドによる船旅終了。約30分のゼータク。
再び松川茶屋。甘酒400円也をいただく。中村さんのガイド付きで滝廉太郎資料館を見学。滝廉太郎、幼少期1年8か月、父親の仕事の関係で富山に住んでいた。今の富山大学附属小学校に通っていた。「荒城の月」は断言できないようですが、廉太郎の楽曲の何曲かに富山の影響が見て取れるそうです。
中村さん、ありがとうございました!
松川遊覧船の公式サイトはこちら

十返舎一九の狂歌に
めずらしや かかるはや瀬を舟ばしの 自由自在は神通の川
があるそうです。松川茶屋でもらった「『神通の河川文化と松川』の覚書き」に書いてあった。同じくいただいた「神通川の河川文化~川魚漁と川舟から~」も貴重な資料でしょうね。
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by tiaokumura | 2014-03-21 11:02 | 富山 | Comments(0)

水野吉徳さんと@ごんべい舎

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(3月22日夜・記)
他の国はどうか知らないが、日本の場合、業種・職種の男女比ってどれをとっても偏っているでしょうね。日本語教育業界も同じ。日本語学校では女:男=8:2、大学・大学院では7:3って感じでしょうか。海外の日本語教育では、近年、元気な女性の進出が盛んなように思いますが、それでも男:女=7:3でしょうか。
富山国際学院の20年余の歴史で、男性教師はIさん、僕、Sさん、*さん(名前、忘れた^^。息子さんが確か筑波大だった)、水野吉徳さん、粕谷謙治さんのたった6名。女性教師数は、うちは定着率がいいので20余年の割に少なく、20人くらいかなあ。2014年度は専任3人・非常勤9人の体制で、女:男=10:2です。
水野吉徳さんがどういう経緯で富山国際学院に就職されたのか、僕は知らない。若い・イケメン・指導熱心と、僕にいずれも欠ける三要素の持ち主で、学院でも人気抜群だったでしょうね。水野さんは在職中に富山大学社会人入試を突破して富山大学生に。体育や語学も若者たちと一緒に取り組んだんでしょうね。僕にはまねのできないことです。その後学部卒業し修士課程に。加藤重広先生(当時、富山大学助教授)の薫陶も受けていらっしゃいます。僕が富山大学編入試験を受けたのは水野さんの影響もある。
水野さんは数年前に海外で教えたいということで富山国際学院を辞職。水野さんのマンションでお別れ会をした。このブログに記事があるかも。

3月18日(火)、今年度最後のクラス授業(高校受験補習はまだ残っている)F組の1限を終えて教員室に休憩に入ってビックリ。水野さん、発見^^。帰国して富山に18日に来る、という粕谷さんへのメールが10日ほど前にあったのだが、その後連絡がなく、18日朝を迎えた時点で、水野さんとの再会はほぼあきらめていた。そんなところへの水野さん出現ですもんね(激爆)。5時半CiCロビーで待ち合わせを約す。
夕食、やきとりと富山料理とどちらがいいかと聞くと「富山」とのことで、ごんべい舎に行くことにする。ここ、県外の人も何回か案内してて、好評を得てる。
当夜はよく食いかつ飲んだ。ヨッパになったので記憶があちこち定かじゃないが^^、水野さんの海外、3年マレーシア、2年タイ、1年カンボジア、だったか。今はタイ?。今回はOPIの学会出席を兼ねての帰国だそうです。

水野さん、あいかわらずパワフルで安心しました。
海外での生活、すっかりなじんでいらっしゃるようですが、
ご健康にはよくよくご留意を。
次回ご帰国の折には、ぜひまた飲み会やりましょう。


僕は今年ひょっとしたら海外での授業が実現できそうだが、今までのところ海外での日本語教師経験ゼロです。ベトナム出張の折、1時間ほどハノイの高校生に漢字学習についてレクチャーしただけ。死ぬ前に1回くらい、日本語教師@海外、経験してみたい。
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by tiaokumura | 2014-03-18 19:11 | このブログのこと | Comments(2)

江玉さん「中国伝統芸能変面について」

f0030155_15353336.jpg3月16日(土)午前11時半頃、ライトレール城川原駅に駐車。ポートラムに乗り(ややこしいですが^^、「ライトレール」が路線名、「ポートラム」が車両名です)富山駅北口へ。北口近くの「ワンダーラボ」に入る。今回、県内高校に中国人留学生がありその入学前事前日本語研修を担当している。その課外活動の下見に「ワンダーラボ」を訪れた次第。ここは北陸電力が設けている一般市民向けの科学施設。今回の留学生には3回の課外活動を予定していて、その1回目が3月15日(土)で「富山市科学博物館」だった。2回目の3月29日(土)は、ワンダーラボ→CiC(図書館→TCA→百円ショップ)、4月5日(土)はセントラム(市内電車)→富山市郷土博物館(富山城)→お花見@松川、の予定。
CiCビル5Fの春々堂で昼食。自分、顔、覚えられたんでしょうね(照)、チェイサーじゃないお冷やが来た。自分、薬飲むんで、氷の入らない水、リクエストしてるんです。昼食、これもすっかり「定番」になった、薬膳カレー。今回はちょっと食がブレーキ気味で心配したが、ほぼ完食できた。

この日の外出のメインが
富山市民国際交流協会 国際教養委員会 中国語集中講座
平成25年度特別講座
江玉さん「中国伝統芸能変面について」
会場、もうビッシリ。最前列が空いてたので、恥ずかしかったけどそこに着席。見知った顔、何人か。
江玉さんは1989年、四川省生まれ。2010年に日本留学。
講座はまず四川省について。かの地は三国時代には「川」「蜀」。「天府の国」。世界遺産に「黄龍」など。パンダも有名ですよね。四川料理が辛いのは、湿度が高く汗が出にくいので発汗のために辛くなっているそうです。なるほど。「郷土料理」というものは洋の東西を問わず、その味にちゃんとバックグラウンドというか理由づけがあるんでしょうね。四川の茶館文化。蓋椀茶。ジャスミン茶だそうです、四川は。
川劇について。中国四川省に伝わる古典劇。明代には既に成立していた。「京劇」は北京・北京語、「川劇」は四川・四川方言。川劇の代表作に伝統劇では三国志を題材にした「十字坡」、現代川劇に「小城故事」。川劇の1番の特徴が「変面」で、「マスク(仮面)を一瞬のうちに変えて、喜怒哀楽を表現する」。変面は仏教の「諸行無常」に通じる。
文化大革命は多くを破壊しましたが、「川劇」も危うい運命をたどった。江玉さんは「川劇人材育成政策芸術学校」に入学。1年生は80人だったが7年後に卒業して川劇団に入団できたのはたった8人。公務員テストで合格したのはさらに減って4人だけ。
来日のきっかけは四川大地震。富山国際学院でも義捐金を募集しました。あの地震の際、日本の救助隊が被災地に入っていた。ある母子を救うために懸命になったが、母は授乳しながら命を落とした。その母の遺体に黙祷する日本救助隊の写真が「13億中国人を感動させた日本救助隊」に。江さんもそれまでは軍国主義国家日本のドラマや映画を見て育ってきたので反日感情が強かったが、その写真を見てそういう日本人ばかりではないことに気付いた。
2010年に日本留学。2012年7月には中国留学生ボランティア団体の一員として石巻に入って、公演も。その時の写真もパワーポイントによるプレゼンに入ってて、横断幕には「冬は必ず春になる 日本ファイト 東北がんばれ」とあった。
江さんは今、龍谷大学国際文化学部。4月から院生のようです。
休憩の後、約15分の川劇。アップした写真、その1シーン。面は12変化だったそうです。ただ江さんが何度もおっしゃってましたが、仮面変化だけなら「マジックショー」なわけで、芸術として鑑賞するのが大切なんでしょうね。
質問のあともご披露。漢族とチベット族の恋愛の歌。歌だけでなく少数民族が幸せに生活できる中国であってほしいですね。

TBSのカメラが入っていた。江玉さんのドキュメント作成中とのこと。5月4日(日)午後10:15からの『ホームカミング』という番組で放映されるそうです。富山ではチューリップテレビ。
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by tiaokumura | 2014-03-16 15:35 | 富山 | Comments(0)

思い出の本たち:ゴダール全集(竹内書店)

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ゴダール全集
監訳=蓮実重彦 柴田駿
すみやかにそしてゆるやかに/世界と/自分自身を/忘れそして知ること/思考しそして語ること/おかしなゲーム/これが人生だ ゴダール

『ゴダール全集』2 ゴダール全シナリオ集Ⅱ
(帯より引用)無機的なきらめきにまで抽象化された<日常>が、透明な陽光のなかに自在に変幻するゴダールの世界は、さながら音楽的空間をなし、明晰さへの渇仰に貫かれながら、まごうかたない<永劫の現在>を現前させる
(本巻所収)『女と男のいる舗道』『軽蔑』『恋人のいる時間』『気狂いピエロ』などのシナリオ
蓮実重彦「解題―『気狂いピエロ』を中心に」 監訳者「あとがき」
1971年11月11日 第1刷
1200円

『ゴダール全集』3 ゴダール全シナリオ集Ⅲ
(帯より引用)『アルファヴィル』から『ウイークエンド』まで、急激な変貌をとげたゴダールが、二つの戦線に拠って、政治的現実と文化的修正主義に対して戦いを挑み、「映像」という特権的な存在の解体を企てるマニフェスト。
(本巻所収)『アルファヴィル』『男性・女性』『メイド・イン・USA』『彼女について私が知っている二,三の事柄』『ヴェトナムから遠く離れて』『ウイークエンド』などのシナリオ
ジャン=リュック・ゴダール ジャン・コントネー「赤い映画=対談」 蓮実重彦「あとがき」
1970年10月30日 第1刷
1200円

『ゴダール全集』4 ゴダール全エッセイ集
(帯より引用)ゴダールは饒舌な語り口を詩的イメージに結晶させながら、激しく情況に闘いを挑む。その闘いの姿勢は、「時代の巨きな思想」として鋭くつきささる!
(本巻所収)「初期評論」「ふたたび批評の筆を執る、そして最初の短編映画」「二つの戦線―『アール』紙と『カイエ・デュ・シネマ』によって闘う」「『勝手にしやがれ』の年」「フィルムとその周辺」で構成 「原註及び訳註」 「ジャン=リュック・ゴダール その人と作品の歴史」 保苅瑞穂「訳者あとがき」
1970年1月15日 第1刷
1200円

ジャン=リュック・ゴダール(Jean-Luc Godard1930-)は2014年現在ご存命で、1970年時点で「全集」なんて変なんですが、全集刊行当時の雰囲気としては僕のような熱狂的なゴダールファンがいたので、その時点でしかも日本語で「ゴダール全集」刊行も変じゃなかったんでしょうね。もしその後(ゴダールは当時40歳前後)ゴダールにスキャンダルとかあって^^映画界から追放なんてリスク、出版社は考えなかったんでしょうかねぇ。勇気ある刊行でした。「全集」と称していますが、もちろん、当該時点でのシナリオ・発言など全4巻。定価は当時としては高額だった(今の6000円くらい?)でしょうが、けっこう売れたかも。竹内書店は「ギネスブック」もそうだったかも。
Wikipédiaの”Jean-Luc Godard”より冒頭部引用。
Jean-Luc Godard est un cinéaste franco-suisse, né le 3 décembre 1930 à Paris. Auteur complet de ses films, il en est fréquemment à la fois réalisateur, scénariste, dialoguiste, et il en maîtrise le montage. Il y apparait occasionnellement, parfois dans un petit rôle, parfois non comme acteur mais comme sujet intervenant. Producteur et écrivain, il est aussi critique et théoricien du cinéma.
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by tiaokumura | 2014-03-15 14:04 | 思い出の本たち | Comments(2)