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吉本隆明「思考の話」(『数学セミナー』1970年11月号)

2014年1月12日付の当ブログ記事「吉本隆明全集(晶文社)」に、わが畏友・哲ちゃんがコメントを寄せてくれた。

『吉本隆明全集』がいよいよ出るのだなぁ!
順調に刊行が進むとして,完結まで丸7年かかる。出版社として,よくぞ踏み切ったものと,エールを送りたい。
大学2年のときだったか,吉本の詩「固有時との対話」のことを貴兄から教えてもらったのが,ぼくの吉本との出会いだった。その後,ずいぶん彼の作品を読んだものです。
全集,ぼくも読みたい。

僕が彼に「固有時との対話」を教えてたなんて、まったく意外。あのころ(もう半世紀近く昔^^になる)は、僕に限らずみ~んな「背伸び」してたんでしょうね。青春の甘く苦い思い出かも(照)。
続いて、哲ちゃんは再度のコメントで吉本のエピソードについて書いてきてくれた。

ぼくが携わっていた『数学セミナー』には,TEA TIMEという随筆欄があって,数学を専門としない著名人に,数学についての思い出や考えなどを書いてもらっていた。1970年4月に入社してまもなく,編集会議でこの欄の執筆者候補が話題になったとき,ぼくが吉本隆明の名前を挙げたところ,編集顧問の遠山啓先生が,「そうだ,吉本に頼んだらいい」と,即座に賛成された。
その年の11月号に掲載された「思考の話」をpdfにてメールで送ります。
校正のとき,一二点,確認すべきことがあったので,吉本さんに電話をして,少し話をしたのだけれど,とても丁寧で,気持ちの好い応対をされたことが強く印象に残っています。
1979年9月,遠山啓先生が亡くなられて,ぼくは葬儀で受付の手伝いをした。夕方近くに吉本さんが来られて,知り合いの人たちと何やら話しておられた姿を,ぼくは遠くからときどき見ていたのだった。


後日、「思考の話」がメール添付PDFで送られてきた。読んでみるも、ちょー難しい(恥)。記事中の吉本隆明(よしもと・たかあき1924-2012)の写真、40代後半でしょうね、若々しい。
エッセイは集合の話から始まる。4月から中学に入学の「娘」が出てきますが、長女のハルノ宵子(はるの・よいこ1957-)のことでしょうね。あの頃、中学数学教科書に「集合」が入ったっての、話題になってた記憶がある。矢野健太郎の本が売れてちょっとした数学ブームだったのもあの頃だったかも(記憶が違ってたらご寛恕を^^)。著作権があるので哲ちゃんからのPDFはアップしません。今回の全集が「書かれたすべての著作を断簡零墨にいたるまで収録し」「単行本未収録の評論・エッセイ・推薦文など二百七十余編をはじめて収録」(全集内容見本より引用)とのことですので、この「思考の話」も第11巻(1966-1972)あたりに収められることでしょう。
「思考の話」には遠山啓(とおやま・ひらく1909-79。1944年、東工大助教授。1949年から同教授)が出てくる。ネットで検索すると「TETRA’S MATH」というサイトの記事がヒットしました。そこ(「吉本隆明が受けた遠山啓の講義」)に吉本の文章が引用されており、孫引きになりますが、吉本にとって遠山は「敗戦にうちのめされた怠惰で虚無的な学生のわたしが、一度も欠かさずに最後まで聴講したたったひとつの講義」であった。
「思考の話」では、認識論になるのでしょうか、吉本が命題1・命題1の系・命題2を立てて空間と時間について論じている。文章中で「数学について語るには、あまりに資格を喪失しすぎたわたし」と謙虚ではあるが、この前には『言語にとっては美とはなにか』を上梓し、このころから後に『共同幻想論』『心的現象論』が続くのだから、吉本にとってはまさに「思考」が言語化され深化し焦点化する時期にあたるのでしょうね。

余談ですが、今年のセンター試験の「数学1・数学A」の第1問〔2〕は集合の問題でしたね。
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by tiaokumura | 2014-01-29 08:43 | | Comments(0)

井波純子さんを偲ぶ会&NNTネットワークパーティ

f0030155_1240542.jpg1月26日(日)、2日続きのフォルツァ総曲輪
午前10時過ぎ、自宅を車で出る。今回初めてになるが、ポートラム城川原駅に駐車。いつも見てたのですが、城川原駅には車5台くらいの駐車スペースがある。月極(←これについてはアーサー・ビナードのおもしろい話があるが、それはまたいつか^^)かと思ってこれまで横目に見てたのですが、どうもそうではないみたい。今回、初めて駐車してみました。駐車スペースがなかったら(既に満車だったら)、富山国際学院まで行ってそこに駐車と2段構え(家に戻るって選択肢を入れれば3段構え)だったんですが、幸い1台分、空いていた。城川原駅ポートラム乗車→富山駅北口下車。JR富山駅の地下通路を通って、富山駅南口へ。2015年春の北陸新幹線開業に向けて、工事中多し。首都圏では北陸新幹線のTVCMも始まってるのかも(既に制作済みのようです)。富山駅からセントラム(環状線)乗車→グランドプラザ前下車。徒歩約10分、フォルツァ総曲輪。

この日、フォルツァ総曲輪ライブホールで2つの催し。まずは
井波純子さんを偲ぶ会い
11時から。井波さんは昨年11月ご逝去、62歳。井波さんのことは当ブログではこちらなど。会は金澤敏子さんの司会で進行。お兄さんの杉下蕎さん、ご主人の井波久治さんとお話。「大地の会」の島田朋子さん、川渕映子さんと続き、山崎雄弘さんのメッセージ(代読)と歌。それから「思い出の一言」ということで、今井幹子さん・朝比奈裕子さん・室伏昌子さん・本田恭子さん。そして最後は、向井嘉之さん。向井さんとは僕は昨年だったか面識を得た。朝日新聞の中国の痛痛病の記事をお送りしたとろ、思いがけず、細川嘉六ふるさと研究会編『民が起つ 米騒動研究の先覚と泊の米騒動』(能登印刷出版部)をいただいた。
「偲ぶ会」というのがあるのは聞いたことがありますが、僕自身は今回の井波さんの偲ぶ会が初体験。井波さんのお人柄でしょうね、すばらしい感動の会でした。スピーチをなさった方も、僕のような口下手にはもう遥かな存在に思われる話し上手な方々ばかり。井波さんの主な活動は「大地の会」「フィリピンの孤児を支える会」だったようですが、そちらはもちろん、井波さんは志と勇気の方だったのだなあと、縁ある方々の話を聞きながら思った。どなたかが引用しておられましたが、井波純子さんの「ボランティアは、体張って、身銭切って」、けだし名言。
ここに改めて井波純子さんのご冥福を祈りたい
ありがとうございました、井波さん  合掌

アップした写真、休憩時間に。真ん中は阪井由佳子さん(にぎやか)、右は高才弘さん(グラフィックデザイナー)。

1時から
NNTネットワークパーティ
が始まる。今にして思えば、昨年のこのパーティでお会いしたのが僕の井波さんの最後だった。井波さんから『NPOが動く とやまが動く』(桂書房)を買ったっけ・・・。
阪井由佳子さんはバンド「イワズモガナ」のヴォーカリストでもある。昨年に続き懇親会で演奏。ただし今年はあとのメンバー2人が不在ってことで、ウクレレ弾き語り2曲。
それから室伏昌子さんの司会でトークセッション。医療関係のテーマ(「突然ですが、地域と医療について考えてみませんか」)で、「ホっこり計画」の藤田健太郎さん、「家庭医」の三浦太郎さんがゲスト。初めて知ることも多く、興味深い内容だった。
午後2時過ぎ、終了。
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by tiaokumura | 2014-01-26 12:40 | NPO | Comments(0)

ハッティー・ダルトン監督『僕が星になるまえに』

f0030155_16231517.jpg僕(1946年生まれ)は子どもの頃、ホームズやルパンや明智小五郎が好きだった。家にはそういう本があった記憶はないから、学校の図書館や友達の家やあるいは貸本で読んでたのかなあ。今にして思うと怪盗ルパンもシャーロック・ホームズも子供向けのリライトシリーズで読んでたんでしょうね。それに翻訳だから謎解きなんかも原書とは違ってたんでしょうね。英語で原書が読めたら、シャーロキアンになれてたかも(嘘爆)。
ホームズでは、ジェレミー・ブレット(Jeremy Brett1933-95)のTVドラマシリーズ『シャーロック・ホームズの冒険』(1984-94)が印象に残る。映画・TV・舞台・CMでホームズをやった俳優は何十人もいるでしょうが、彼が白眉でしょうね。だからNHKで『SHERLOCK』が放映されると知った時、あまり興味を持たなかった。イマドキのホームズ像だったですね、あの『SHERLOCK』は。まもなく新シリーズ『SHERLOCK3』が放映されるようです。『SHERLOCK』でホームズをやったのがベネディクト・カンバーバッチ(Benedict Cumberbatch1976-)。その彼が末期癌青年を演じた映画が『僕が星になるまえに』です。
今日1月25日(土)、フォルツァ総曲輪で観て来ました。
29歳の誕生日を迎えたジェームズ。だが末期癌患者の彼に30歳の誕生日はない。親友のマイルズ、デイヴィー、ビルと4人、旅に出る。時には熱く、時には激しく、互いの友情を確かめ合う旅。だがいさかいが過ぎて、本当の友情が試される場面も。「ロード・ムーヴィー」ってジャンルがありますが、これもそうでしょうね。やがて4人は目的地のジェームズの「世界で一番好きな場所」である湾にたどり着く。ここに到着したらあとは家に戻るものと思っていた3人は、ジェームズから思いもしない決心を聞かされる。苦悩する3人。そして・・・。ラストシーンはネタバレになるので書きません。

僕が星になるまえに』(原題Third Star)
2010年 イギリス 93分 英語
監督:ハッティー・ダルトン(Hattie Dalton)
脚本:ヴォーン・シヴェル(Vaughan Sivell)
音楽:ステファン・ヒルトン(Stephen Hilton)
キャスト:ベネディクト・カンバーバッチ(ジェームズ) トム・バーク(Tom Burke1981-。デイヴィー) J.J.フィールド(J.J.Feild1978-。マイルズ) アダム・ロバートソン(Adam Robertson。ビル) 他
公式サイト:こちら

今回上映のフォルツァ総曲輪は僕が1年に10回くらいは通う映画館。ここがあって助かっています。ボランティアで運営されているとか、僕ももう少し元気になったら何かしたい。
フォルツァ総曲輪では近々次の映画も上映される。待ち遠しい。
マルガレーテ・フォン・トロッタ監督『ハンナ・アーレント』
ザッカリー・ハインザーリング監督『キューティー&ボクサー』
奥田瑛二監督『今日子と修一の場合』
モーリス・ピアラ監督『ヴァン・ゴッホ』
フォルツァ総曲輪のHPはこちら
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by tiaokumura | 2014-01-25 16:23 | 映画 | Comments(4)

薬膳カレー@春々堂(CiC)

f0030155_12371415.jpg
今日1月19日(日)、昨日に続き休日出勤。っても突然仕事に目覚めたってんじゃなくって^^、土日じゃないと都合がつかないってご相談者があって、それに合わせての出勤って次第。
今シーズンの富山、こういう冬って珍しいでしょうね、積雪がほとんどない。雪は降るけど除雪が必要なほど積もるまでに至らないし、曇天続きの北陸の冬のはずなのに晴れてる時間も長い。富山国際学院の学生諸君にとってはいつも厳しい冬なのだけど、今年は少し通学が楽かもしれない。このまま冬が終わるってことはないだろうけど。
12時過ぎ、車を学院に置いて富山駅まで歩く。北口から南口に出て富山駅南口前のCiCビルに入る。この日の昼食は迷わずここに決めていた、CiC5Fにある「~癒楽甘~春々堂」(ローマ字表記ではyurakukan chunchundou)。ここは富山県民なら知らぬ人もいないくらいちょー有名な「廣貫堂」の直営レストラン。僕はこれまでに何回か利用していて「豆乳中華薬膳粥」がお気に入り。でも今日の昼食はそれではなく、薬膳カレー。メニューから写すと
富山の食材と薬膳材料を使ったオリジナルカレー。ライスは富山米「てんたかく」に雑穀米と血行促進効果のある紅花等を入れて炊き上げており、栄養・美容効果抜群!
とのことです。薬膳カレーには2種類あり、僕が食べたのは「とみベジカレー」のほうで、これまたメニューから写すと
~富山県産「かぶ」を使用~
とみベジカレー
季節の根野菜をふんだんに使用して、富山県産の「かぶ」のソテーをトッピング!!  春々堂ならではのオリジナルカレー
ということです。ちなみにもう1種の薬膳カレーは「黒豆とイカスミのブラックカレー」です。
この間tubomimさんがブログで薬膳カレーを紹介してらっしゃいました(こちら)。薬膳カレーは中国語では「药膳咖喱」というそうです。
「とみベジカレー」(「とみ」は富山と富、「ベジ」はベジタブル、なんでしょうね)、完食できました。

この日、CiC5Fで
新春国際交流のつどい2014
があった。これ、毎年今頃にやってるのでしょうが、僕は初参加。2時に始まり、4時過ぎまで。日本人・中国人・ネパール人・ミャンマー人・インド人・エジプト人・アメリカ人などの知人、初対面の人数人などと交流。
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by tiaokumura | 2014-01-19 12:37 | 美味録2014 | Comments(10)

こんな授業・あんな授業(21)ヴィジター・セッション

昨日1月17日(金)富山大学生13人富山国際学院にご来校され、午前3クラス合同授業「ヴィジター・セッション」に参加してくださった。
その前日、粕谷謙治さん(専任)から「明日の授業で、学院長として最初にあいさつ、お願いします」と言われ、フラットな組織を目指し実践している(つもりの)身としては、粕谷さんに「口下手な僕、それは困る、できない」って反抗するわけにもいかず(激爆)、16日(木)の寝る前、そして17日(金)早朝4時起きして挨拶原稿作成。ところが、あいにくなことに、自宅のPCプリンター、印刷しようとしてもうまく働かない。しょうがないので、原稿添付メールを学院に送付し学院で完成することにした。17日(金)、いつもより早めに出勤し、あいさつ準備。←のはずだったのだが、悪いことって重なるもので、1月17日の富山は朝からけっこうな雪、車はノロノロ運転。ちょっと焦った。
挨拶原稿は以下。

おはようございます。
本日はお足元の悪い中、富山国際学院にお出でいただきありがとうございます。
私は学院長の奥村です。どうぞよろしくお願いします。
「人文学部の方、いらっしゃいますか?」
実は私は8年前に人文学部3年に編入学しました。還暦の頃は、和田とも美先生の「朝鮮文化」や立川健治先生の「原敬日記講読」などの授業を受けていました。2008年に卒業しましたので、皆さんの先輩ってことになります。
「1993年生まれの方、いらっしゃいますか?」
富山国際学院は1993年4月に1期生を受け入れました。これで20年以上の歴史があります。日本全国に今、400くらいの日本語学校がありますが、ここは定員60名で、たぶん日本で一番小さい日本語学校じゃないかと思います。そんないなかの小さい日本語学校ですが、これまでに世界30か国・地域出身の学生がここで学んでいます。大塚一朗監督が1月13日に「いなかの子どもでもできる」とおっしゃっていましたが、いなかの小さな日本語学校の富山国際学院もこれまでにいろんなことができているのではないかと自負しています。
さて、今日の授業は日本語教育で「ヴィジターセッション」と云います。
「楽器やる方、いらっしゃいますか?」
「セッション」ってのは、たとえばジャムセッションのように、いろんな楽器がコード進行したりリズム刻んだりアドリブしたりして、その結果、楽器の単純な足し算以上の効果を生み出します。今日、今ここでは、とりあえずは日本人と外国人という図式ですが、同じ日本人でもいろいろですし、外国人と一口にいってもいろいろです。この後の約2時間半、日本語を通していろんな化学反応が生まれると思います。
「外国人と1時間以上共に過ごすのは初めてって方は?」
南方熊楠の言葉に「人の出会いにも季節あり」というのがあります。今日のこの授業が、うちの学生たちにとってももちろんですが、皆さんにとっても貴重な体験になったらいいなと思います。
最後にお願いが2つ。
(略)
ではこの後2時間半、楽しんでお過ごしください。

9時からA組授業(僕はA組の金曜日担当中)。ところが雪のせいで学生の出席悪し。9時半頃、大学生2人、授業見学に見える。9時50分、授業終了。
10時、ヴィジター・セッションの2階教室へ。大学生(学部生12人+院生1人)はちゃんとご出席なんですが、肝心のうちの学生がまだ3分の1くらいの出席。学院長として恥ずべきことではありますが、気取ってもしょうがない^^、学院らしいってことでご勘弁願うしかない(大汗)。初めの挨拶をして、僕は4階教員室に引き上げ執務。

12:20、再び2階教室へ。教室は、外の悪天候と対照的に、すっごい熱気&盛り上がり。僕が入っていったときは、この日の「気づき」発表中でしょうか、粕谷さんが司会役で各グループ(6つくらいの島になってた)から発言。終わりにまた粕谷さんから「あいさつ」を振られ、頭が真っ白な中でとっさに2つばかりのことを話す。

今日気がついたのですが、去年もセンター試験の前日に「ヴィジター・セッション」やってて、当ブログこちらに記事をアップしています。

今回ご参加いただいた富山大学生の皆さん、ありがとうございました!
今回の体験が皆さんにとっても何らかの収穫になっていたら嬉しいです。
学院生との交流、これからも続くといいですね。
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by tiaokumura | 2014-01-18 13:57 | 日本語教育 | Comments(4)

富山第一高校 ありがとう!

1871年の廃藩置県により「富山県」が生まれたが、1876年には「石川県」に編入された。石川県の一部となってしまった当時の富山には暴れ川が多かったが、治水事業にかける予算は石川県の主力である加賀・能登が相手では充分に回ってこなかった。このままでは郷土の発展はないと考えた米沢紋三郎(よねざわ・もんざぶろう1857-1929)らの尽力により、1883年、今日の富山県が誕生した。本年は置県131年になる。
富山第一高等学校は、僕が12歳の年・1959年5月に開校した。公立志向の強い本県にあって富山一高の歴史は決して平坦ではなかっただろう。やがて同校は進学校としての実績を着々と確立し、一方では部活動にも力を入れ、サッカー部は常に全国レベルにあり、また野球部は昨年夏に甲子園でベスト8に進出した。サッカーも野球も「留学」は少なく、地元の中学出身者たちが大勢を占めるとのことである。まあ、ぶっちゃけ、「留学」するほどの魅力が富山県にはないってのが実情かも(激爆)。

今日2014年1月13日(月・成人の日)、国立競技場の第92回全国高校サッカー選手権大会において、富山県代表の富山第一高校(2年連続25回目出場)が石川県代表の星稜高校と戦った。史上初の北陸勢同士の決勝。どちらが勝っても初優勝。富山一高は大塚父子が監督・主将。子は高校でサッカーを続けるにあたって、「監督の息子」としてのプレッシャーもいかばかりであったかと推察する。よくその重圧に耐え、よくぞここまでチームを引っ張ってきたものである。星稜が本田の出身校なら、第一は柳沢敦の出身校である。遜色ない。長峰俊之部長(前監督。長い間富山第一サッカー部を指導してきた名将。第77・78回でベスト4)によると「地元の子どもたち」でできている部だそうである。部員99人(マネージャー5人を含む)中で、親がOBが5人(大塚一朗・翔父子もそう)、兄がOBが8人というのもすばらしい。
試合は前半、富一(「とみいち」。地元での愛称)がシュート数で圧倒するもなかなか得点できない内に、前半34分、相手キャプテンの寺村のPKで先制を許す。後半25分には星稜・森山のゴールで0-2の劣勢。もはやこれまでかと敗色漂い始めた後半42分に高浪のゴールで1-2に。そして「筋書きのないドラマ」はとんでもない舞台を用意していた。なんと、後半アディショナルタイムに富一がPKを得る。キッカーはもちろん大塚翔。5万人近い観客、TVの前の何百万人が見守る中、大塚の右足から放たれたボールはみごとゴールに突き刺さる。まさに起死回生。これ、高校サッカー史上に残るPKでしょうね。大塚一朗監督にとっても終生忘れられない次男の得点でしょうね。親子鷹、ここに極まれり。そして、追ついた者の強み、でしょうか、延長後半9分、村井の左足での決勝ゴールが生まれ、ここに大逆転劇が完結した。みごとな国立最蹴章(国立競技場は建て替えに入り、高校サッカーは今回使用が最後)。準備していたPKストッパーの田子を出すまでに及ばなかった。4166校の頂点に。諦めないってのが勝因でしょうね。
優勝監督インタビューで大塚監督は、「富山県民の後押しがあったから」「地元出身の子たちがほとんど。いなかの選手でもできる」とし、最後に「富山県民の皆さん、やりました!」と叫んだ。
優勝を9分9厘までつかんでいた星稜高校、悔いは残るだろうが、勝負は時の運、みごとな準優勝を誇っていいと思う。

富山第一は私が尊敬する川渕映子さん・阪井由佳子さんの母校でもある。阪井さんのブログ(こちら)では花園(ラグビー)・甲子園・国立での富山第一の活躍がしばしば綴られる。今回の一高サッカーももちろん阪井節が炸裂^^している。

THIS IS TOMIICHI
富山第一高等学校、おめでとう!
富山第一高等学校、ありがとう!

富山県がマイナーな県であることはこの後もあまり変わらないだろうが、今回のサッカー部の快挙はいつまでも語り継がれていくことでしょうね。

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by tiaokumura | 2014-01-13 17:04 | 富山 | Comments(6)

吉本隆明全集(晶文社)

f0030155_1318508.jpg戦後の思想家を一人選ぶとすると、鶴見俊輔や丸山眞男や広松渉や埴谷雄高や加藤周一や森有正らもランク入りするだろうが、きっと
吉本隆明(よしもと・たかあき1924-2012)
がダン凸の1位になるでしょうね。
僕が吉本隆明(あの当時は「りゅうめい」が一般的だった)を初めて知ったのは、大学進学で上京した1965年(東京オリンピックの翌年)、進学先の大学の同級生のH君(今は故人)から。H君は僕の同級生だが2歳年上で秋田出身であった。地方出身者同士のよしみもあったのでしょうね、彼と親しく付き合うようになり当時雑司ケ谷に会った彼のアパートにもたびたび訪れた。彼曰く「『試行』という同人誌のような雑誌があり、そこに吉本隆明と云うすごい日本オリジナルな思想家・活動家が書いている」といったような具合で、吉本を教えてもらった。僕は後に時枝誠記(ときえだ・もとき1900-67)に関心を持ち、吉本『言語にとって美とは何か』あたりが僕がわからないままに吉本を熱心に読むようになった著作かもしれない。
この春に刊行が開始される「吉本隆明全集」の内容見本晶文社から送られてきた(アップした写真はその表紙)。

長く深い時間の射程で考え続けた思想家の全貌と軌跡がここにある
吉本隆明全集
全38巻・別巻1
A5変型・上製カバー装 各巻590ページ(平均)
定価:各巻6000円(平均)+税
第1回配本 3月上旬 第6巻
 初年度は3カ月に一巻刊行
 次年度以降は隔月で刊行予定


「転位のための十篇」は第4巻(他に「固有時との対話」「マチウ書試論」など)、「擬制の終焉」は第6巻(他に「戦後世代の政治思想」など)、「言語にとって美とは何か」は第8巻(単独)、「自立の思想的拠点」は第9巻(他に「カール・マルクス」など)、「共同幻想論」は第10巻(他に「心的現象論序説」など)、「心的現象論」は第30巻(単独)といった構成です。全集の多くがそうであるように編年体の編集です。「心的現象論」は1970-1997ということで終わりのほうの巻に収録。
第37・38巻は「書簡」、別巻に「写真アルバム」「生活史年譜」「著作年譜」。

吉本と富山の関わりを知ったのは30年ほど前だったか。以下、「内容見本」の「略年譜」から一部引く。
1945年4月下旬頃 日本カーバイド工業魚津工場へ同期2人と赴く。・・・製造装置を作る段階から携わる。同社の寮で暮らす間、農村動員で埼玉県大里村で働き、また立山へ登山。・・・8月15日 敗戦の放送を工場で聞き衝撃を受ける。程なく魚津を離れ・・・

「内容見本」ではハルノ宵子(はるの・よいこ1957-。漫画家。吉本の娘、よしもとばななの姉)の「ご挨拶」がユニークでおもしろい。以下一部引用。文中の”おじ様方”は僕たちを指すんでしょうね。
・・・『こんな時、吉本ならどう考えるだろう』と思った”おじ様方”あなたは、もう充分に答えを得ているはずです。ぜひこの全集書斎に、より”箔”を付ける為の小道具として、あるいは高さ調節自由の昼寝用枕として、全集ご購入頂くことを希望します。・・・
よしもとばなな(よしもと・ばなな1964-)は「父と全集」を寄稿。ばななの父親像。
・・・散歩と買い物と夏に海に1週間行くことと2時間ドラマを観る以外には特に娯楽もなく、ほとんど旅行もせず、女遊びもしないし教授にもならないし、酒にもグルメにも興味がなかった父。・・・

「内容見本」には、鶴見俊輔・上野千鶴子・福島泰樹・糸井重里・鷲田清一・中沢新一・見城徹が「推薦のことば」を寄せている。この内、上野と福島が『転位のための十篇』「ちひさな群への挨拶」を引用している。これは僕が吉本隆明の追悼記事(こちら)でも引用している。
ぼくの孤独はほとんど極限(リミツト)に耐えられる/ぼくの肉体はほとんど苛酷に耐えられる/ぼくがたふれたらひとつの直接性がたふれる/もたれあふことをきらつた反抗がたふれる/ぼくがたふれたら同胞はぼくの屍体を/湿つた忍従の穴へ埋めるにきまつている/ぼくがたふれたら収奪者は勢ひをもりかえす
だから ちひさなやさしい群よ/みんなのひとつひとつの貌よ/さやうなら
(『転位のための十篇』「ちひさな群への挨拶」:『吉本隆明全著作集1定本詩集』pp143-144)。

吉本隆明全集」、残念ながら僕は買えないがどこかで読んでみたい。
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by tiaokumura | 2014-01-12 13:18 | | Comments(7)

植出耕一君、ご逝去

2014年1月9日(木)早朝、朝日新聞富山版で植出耕一君の訃報に接した。
8日(水)・9日(木)と彼の名前で検索しこのブログの2009年3月27日付投稿「友がみなわれよりえらく見ゆる・・・」を読んだ方が多かったようである。奇縁というべきか。
「友がみな・・・」はご存知の石川啄木の歌から名付けたタイトルです。僕はこの投稿で、富山県議会副議長に就任した高平公嗣君(高校同期)、富山県水墨美術館長に就任した中西彰君(中学・高校同期)、そして富山県副知事に就任した植出耕一君(高校同期)を取り上げている。「引かれ者の小唄」みたいな記事じゃないつもりですが、読まれた方にとってはどうだっただろう。
「友がみなわれよりえらく見ゆる・・・」(こちら)より、植出耕一君の項を引用する。ただし一部省略。

僕は中学時代にハンドボール部に入ってて、Y中学の植出君とは県体などで何度か対戦した。主将でジャンプシュートが得意だった僕(照)は彼らのチームに連勝したように思うが、それは記憶のでっち上げなんかもしれません、なんせ45年以上昔のことなもんで^^。彼とは進学先の高校で再会した。クラスは一緒になったことはない。高校にハンドボール部がなかったので3年生のときに植出君たちと部を創った。もし今も高校にハンドボール部があったとしたら、それは僕たちが創ったのです。進学校にあってそういう部を創るのは非常なエネルギーが要ったことを後輩諸君は肝に銘じておいていただきたい(嘘爆)。植出君は早稲田大に進学した。僕は彼とは進学大学は異なったが1年生の時に高田馬場の下宿に橋本君と同居していて、近くにあった植出君たちのアパートにマージャンを打ちにときどき通った。マージャンは彼のほうが遥かに強かったように記憶する。僕は2年生になって引っ越したので、その後は全くお付き合いはない。30年ほど前に僕は東京から富山にUターンして、それから彼が富山県庁に勤め出世街道を驀進しているのを新聞報道でときたま目にした。今回は石井隆一富山県知事のご指名で副知事である。

投稿記事後のことになるが、僕は植出君と2010年7月に「高校第77期同期会」で約半世紀ぶりに再会した。僕は高校同期会は初めての出席であった。植出君が僕のことを覚えてくれていて光栄に感じた。激烈な公務の合間にあって、同期生との歓談を楽しむ、いい表情の彼であった。周囲の同期生も「権力者」の彼に阿るという風でないのも良かった。

植出君は副知事ご退任後、「あいの風とやま鉄道」社長に就任。北陸新幹線並行在来線準備会社社長に在職中のご逝去であった。
北日本新聞記事より石井隆一知事のコメントを引用。
素早い決断力と果敢な行動力で県の発展に取り組んだ。北陸新幹線の開業が1年2カ月後に迫る富山にとって重要な時期にかけがえのない同志を失い、残念で痛惜の念に堪えない
同じく寺林敏副知事
豪快ながらも、気配りを忘れない人。引き継ぎの際に「困った職員が相談に来る人間になれ」と言われたことが思い出に残っている。

卒業した高校の校訓は「慎重敢為」であった。植出君はまさに「慎重敢為」を体現した人生であっただろう。
富山県の発展にとって貴重な人材をここに喪い、ご本人にとってもまだまだやりたいことがある若すぎる最期であっただろうが、
ここに謹んで植出耕一さんのご冥福を祈念したい
植出さんについて語る適任者はたくさんおられるでしょうが、彼の人生とわずかばかり関わりがあった者の一人として哀悼の記事を綴らせていただいた。
合掌
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by tiaokumura | 2014-01-11 13:43 | 追悼 | Comments(4)

2014年新春・言の葉つれづれ

正月早々、自分のアホさに愕然とした。1月3日(金)、行きつけのガソリンスタンドで給油。GSの店員から「ステッカーの車検、平成25年10月になってますけど」とのご指摘。一瞬、キョトンで、その次の一瞬に、新年は「平成25年」じゃぁって錯覚(自分、あんまし年号使わない)。でも店員の言葉から数秒で、要するに自分の車の車検が切れてたっていう厳然たる事実を確認。自分、アホですねぇ、指摘されるまで全く気付かなかったって。車検切れて2か月間、車に乗ってた。今乗ってる車は5年前に購入の新車の軽です。昔は車検って間隔もっと短かったような気がしますが、今は新車の1回目の車検って5年後なんでしょうか。にしても、トホホ。どこからも車検がまもなく切れるって案内来なかった。自分の失敗を他人のせいにするのが得意なワシ(汗)ですが、今回の車検切れ、結局、誰のせいでもない(自己責任)、自分がマヌケだっただけです。1月6日(月)に営業再開した近所のモーターズで車検を取りました。取得は2日間で済みました。車検切れの間に何かあったら、どうなってたんでしょうね。ちょっとゾーッとする。
別の話題。本年1月5日(日)に通算のPCご訪問者数25万人に到達しました。2005年12月29日開設ですから8年と1週間で250000人ってことになります。1日平均すれば85人くらいでしょうか。1日1万人訪問なんてブログもたくさんあるでしょうから、自分のとこ、たいしたことないですが、それでも素直に嬉しい(照)。なお、「訪問」と「アクセス」ってのがあるんですが、1人(厳密には1PC)が1日5回このブログに入ってきた場合、PC訪問者数は1、PCアクセス数は5です(たぶん、そういうことだと思う)。スマホやケータイからのカウントは入りません(ブログの設定次第で可能なんかもしれませんが、僕はやってない)。

さて今回の記事は、前回(こちら)に引き続き、手帳にメモした言葉のあれこれをご紹介。
近藤誠:(癌と云えばこの人ですよねー奥村)
毎日好きなものを食べ 酒も甘味も楽しみ カロリーや血圧を細かく勘定しないで いよいよのときにはありがとうと笑い、そういうふうにわたしは死にたい。
西田幾多郎:(「哲学の道」に石碑があるそうですー奥村)
人は人吾はわれ也とにかくに吾行く道を吾は行くなり
渡辺和子:(渡辺の父は2.26の犠牲者ですよねー奥村)
私たちには、他人の生活まで暗くする権利はない 誰がいったかではなく、何がいわれたか、何が問題か、に中心を置く
寺山修司
人間がかかる最後の病気は、「希望」という名の病気である
クラウゼヴィッツ
(勝利に不可欠な条件)相手より優勢な戦力を保有し、その戦力を集中させること
宮英子
生き生きてすこやかに歳いただけど更なる未来どうでもよろし
手ざはりのなめらかなれば新しい手帳はよろし期待を秘めて
森達也
(日本は)ひそかに醸成してきたアジアへの優越感情をどうにも中和できない
ハンナ・アーレント:(ハンナ・アーレントの映画、富山でも2月に上映されますー奥村)
凡庸な悪
橋本武:(2013年9月11日、101歳でご逝去―奥村)
すぐに役立つことはすぐに役立たなくなる
ビートたけし
不幸になる自由がないのに、幸せになる権利だけがあるなんておかしい
伊勢物語
思ふこと言はでぞただに止みぬべき我と等しき人しなければ
論語
遠慮なければ近憂あり

他にメモには「エイジズム(高齢者差別)」「同調圧力」も。エイジズムって上野千鶴子の文章に出てきたんですが、初めて知った言葉です。
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by tiaokumura | 2014-01-08 08:31 | 言の葉つれづれ | Comments(6)

2014年の展覧会から

BS日テレの「ぶらぶら美術・博物館」をときどき見ています。昨日1月4日(土)はその2時間SPで、金沢21世紀美術館も登場。年間150万人ってんですから、すごいもんです。僕も2回か3回、訪れています。いろんな仕掛けがあって何回来ても楽しめる。今年も2回くらいは行きたい。富山―金沢はJRで1時間くらいです。

以下に僕が興味がある今年の展覧会情報をリストアップ。讀賣新聞2014年1月1日付、朝日新聞2014年1月5日付、地元紙の北日本新聞2014年1月1日付を参考にしました。日経と毎日の情報は未確認。
昨年はあちこち行きましたが(鳥取県立博物館、初体験)、今年は無理っぽい。せいぜい5つくらいかなあ、行けるのは。
以下、開会日順に、展覧会名、会場・会期をご紹介。巡回展もありますが省略。
クリーブランド美術館展
 東京国立博物館 ~2月23日
ボストン美術館浮世絵名品展 北斎
 名古屋ボストン美術館 ~3月23日
森美術館10周年記念展「アンディ・ウォーホル展:永遠の15分」
 森美術館(東京都) 2月1日~5月6日
ターナー展
 神戸市立博物館 1月11日~4月6日
柳瀬正夢 1900-1945
 神奈川県立近代美術館 2月11日~3月23日
国際浮世絵学会創立50周年記念「大浮世絵展」
 名古屋市博物館 3月11日~5月6日
発掘!モンゴル大恐竜展
 名古屋市科学館 3月19日~6月8日
東大寺展
 あべのハルカス美術館(大阪府) 3月22日~5月18日
開山・栄西禅師800年遠忌 特別展「栄西と建仁寺」
 東京国立博物館 平成館 3月25日~5月18日
開館15周年記念 ボストン美術館ミレー展
 名古屋ボストン美術館 4月19日~8月31日
「キトラ古墳壁画」展
 東京国立博物館 4月22日~5月18日
法隆寺 祈りとかたち
 東京芸術大学大学美術館 4月26日~6月22日
台北故宮博物院―神品至宝―展
 東京国立博物館 6月24日~9月15日
バルテュス展
 京都市美術館 7月5日~9月7日
オルセー美術館展
 国立新美術館(東京都) 7月9日~10月20日
成田亨 美術/特撮/怪獣 ウルトラマン創造の原点
 富山県立近代美術館 7月19日~8月31日
宇宙博2014
 幕張メッセ国際展示場(千葉県) 7月19日~9月23日
法隆寺展―聖徳太子と平和への祈りー
 岡崎市美術博物館(愛知県) 8月9日~9月21日
生誕130年 竹久夢二展
 高島屋京都店 8月27日~9月8日
円山応挙と四条派
 富山県水墨美術館 9月12日~10月26日
国宝 鳥獣戯画と高山寺
 京都国立博物館 10月7日~11月24日
野口久光 シネマ・グラフィックス展
 京都文化博物館 10月7日~12月7日
高野山開創1200年記念「高野山の至宝」
 サントリー美術館(東京都) 10月11日~12月7日
日本国宝展
 東京国立博物館平成館 10月15日~12月7日
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by tiaokumura | 2014-01-05 11:52 | 美術 | Comments(2)