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当ブログを開設してから8年が経ちました

2005年12月29日15:06、
初投稿です。
日本語教師って何だ?って人もあるかもしれませんね(汗)。
毎日更新は無理かもしれませんが、いろんな思いを伝えていこうと思っています。
これから、よろしくお願いします。

という「はじめまして!」がこのブログの始まりでした。
これまでにも何度か当ブログ開設の経緯を書いていますが、このブログは2005年の年末に、NPO法人になったのを機会に富山国際学院のHPをリニューアルしたらという当時の学院長の岸井みつよさんのお薦めで、能登貴史さん(PCTOOL)の許に同僚2人と5日間の講習に通い、その最終日に能登さんから「今、ブログってのがはやってて、誰でもできるから、3人、やってみたらどう?」と誘われて始めました。以来、一昨日12月29日が8周年。飽きっぽく&メカ音痴な自分が、ようもこんなに続いたものだと、我ながら感心しています。継続は力なり、おかげさまで開設当初は想像もしなかった多くの方々にご訪問いただいております。開設以来の記事は2198件、PCご訪問者は25万人弱、コメントは3127件になります。
この8年間で僕は、50代から60代になったり、主宰していた奥村学習塾を廃業したり、富山国際学院では非常勤講師→専任→学院長になったり、富山大学人文学部言語学コースに編入学して卒業したり、学院生募集で海外出張したり、国内あちこち仕事や遊びで出かけたり、少しばかりの本を読んだり映画や展覧会を観たり音楽に酔いしれたり、末期癌を発病して癌を生き癌と過ごしたり、別れがあったり新しい出会いがあったり、社会に強い関心が出たり見失ったり、自殺者の気持ちがほんの少しわかったり生きる喜びに震えたり・・・8年って長いような短いような。自分の人生なのだからいささかの後悔も持ってはいけないでしょうね。

このブログは、僕が出会った「人・モノ・こと」のご紹介が主で、他のブログに見られるような自分の意見や主張の発信はほとんどありません。かと云って己をさらけ出しているかと云えば、ネットの怖さもあって、生活は7割・心は6割・仕事は5割と云った開放具合でしょうか。Facebookやツイッターが全盛の時代にあってブログなんてのは「時代遅れ」なツールになりつつあるのかもしれませんが、この後も
日本語教師・奥村隆信 ひとり語り
を続けていく所存でございます。
拙いブログではございますが、
来年もよろしくお願い申し上げます

2013年もあと10時間余。
この1年間ありがとうございました
皆様 どうぞよいお年をお迎えください
2014年が 皆様にとってすばらしい年でありますように

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by tiaokumura | 2013-12-31 13:37 | このブログのこと | Comments(2)

レフ・クレショフ『二人のブルディ』

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昨日に続き今日12月29日(日)、「レフ・クレショフ傑作選」の3作目を観る。

二人のブルディ
1929年 65分 サイレント
監督:レフ・クレショフ(Лев Владимирович Кулешов1899-1970) ニーナ・アガジャーノワ=シュトコ
脚本:オシップ・ブリーク
撮影:ピョートル・エルモーロフ アレクサンドル・シュトレンコ
出演:セルゲイ・ペトロヴィチ・コマロフ(1891-1957) ウラジーミル・アレクサンドロヴィチ・コチェトフ(1906-80) 他

セルゲイ・コマロフは昨日観た『ボリシェヴィキの国におけるウェスト氏の異常な冒険』(1924年)で「眼帯の男」役、これも昨日観た『掟によって』(1926年)で夫婦の夫役で出ていた男優。「クレショフ組」の重要メンバーの一人なんでしょうね。パンフレット『モンタージュ理論を生み出した男―レフ・クレショフ傑作選』によると彼は、「クレショフ工房の俳優教育の片腕として活躍、国立映画大学(VGIK)でも俳優教育を担当した。」(p15)とのことです。
赤軍vs白軍の内戦下のロシア。ブルディ(コマロフ)はサーカスの老道化師。息子のブルディ(コチェトフ)に跡を託し引退しようと決め、翌日が親子共演演目「2ブルディ2」のお披露目日。ところが赤軍に肩入れする息子ブルディは白軍に逮捕され銃殺刑を免れない。父ブルディは白軍の大佐に息子の釈放を訴え、大佐は息子を救うことを約束してくれたはずだが・・・。告白せねばなりませんが、この映画、途中で寝ちゃいました(大恥)。観客は僕ともう一人の男性のこの日。目が覚めたら、画面では複葉機が飛んでいて赤軍と思しき兵隊たちが地上に。終わりがようわからんままに「完」でした^^。

クレショフ効果」をWikipediaから引用。
「クレショフ効果」とは、ひとつの映像が、映画的にモンタージュ(編集)されることによって、その前後に位置するほかの映像の意味に対して及ぼす、性質のことをいう。さまざまな映像群とは、ある映像群がほかの映像群に対して、相対的に意味をもつものである。観客にとって、映像がばらばらに単独で存在するわけではなく、つながりのなかで無意識に意味を解釈することがもたらされるのである。本効果は、映画的な説話論の基礎なのである。

この日、街中の駐車場はどこも満車かと覚悟してたが、10分も待たずにグランドパーキングに入れた。入ってから空いてるところを見つけるのに苦労したけど。駐車後、「ドンク」でパンを購入し、「フォルツァ総曲輪」で映画。駐車料金400円でした。今日の富山は昨日と同じく晴れ間の広がる穏やかなお天気でした。
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by tiaokumura | 2013-12-29 14:50 | 映画 | Comments(0)

レフ・クレショフ傑作選

f0030155_1048592.jpgセルゲイ・エイゼンシュテイン(Серге́й Миха́йлович Эйзенште́йн1898-1948)の『戦艦ポチョムキン』は「僕の好きな世界映画ベスト10」に必ずランクインする名作だが、エイゼンシュテインの師のレフ・クレショフ(Лев Владимирович Кулешов1899-1970)のことは全く知らなかった。不明を恥じる。今日12月28日(土)フォルツァ総曲輪で初めて彼の作品を観ることができた。明日12月29日の1本と合わせて今回の「レフ・クレショフ傑作選」は3作品の上映。
レフ・クレショフについてパンフレットより引用。
レフ・クレショフは、帝政ロシア時代から映画界で働き、ロシア革命後はソビエト政権に傑出した才能を買われて映画づくりと後進の育成を任された。「モンタージュ派」と呼ばれるソビエト映画の基礎を築き、1920年代のソビエト無声映画黄金時代をもたらした。彼やその弟子たちが論文や本として発表した映画理論は、日本を含め世界中で教科書として読まれた。第二次世界大戦後は、亡くなるまで映画教育に専念した。(『モンタージュ理論を生み出した男―レフ・クレショフ傑作選」p4)

ボリシェヴィキの国におけるウェスト氏の異常な冒険
1924年 73分 サイレント
監督:レフ・クレショフ
脚本:ニコライ・アセーエフ、フセヴォロド・プドフキン
撮影:アレクサンドル・レヴィツキー
出演:ポルフィーリー・ポドペード(1886-1965) フセヴォロド・プドフキン(1893-1953) 他
掟によって
1926年 80分 サイレント
監督:レフ・クレショフ
脚本:ヴィクトル・シクロフスキー
撮影:コンスタンチン・クズネツォフ
出演:ウラジミール・パーヴロヴィチ・フォーゲリ(10902-29) アレクサンドラ・セルゲーエヴナ・ホフローワ(1897-1985) セルゲイ・ペトロヴィチ・コマロフ(1892-1957) 他

『ボリシェヴィキの~』はドタバタコメディ。アメリカ人のウェスト氏がボディガードのジェディを伴いソビエト連邦の視察に訪れる。しかしあれこれ災難続きのウェスト氏。やがて、彼が金目になると踏んだ詐欺師一味が「ボリシェヴィキ」に扮した悪党たちに彼を誘拐させ・・・。最後は本物のボリシェヴィキが氏を助け出し、めでたしめでたし。助けてくれたボリシェヴィキに案内され、すっかりソ連が気に入ったウェスト氏は、ニューヨークにソ連礼賛の電報を打つ。最後は政治臭紛々でどうかなあって感じですが、クレショフ工房第1作の『ボリシェヴィキの~』、見応えがありました。
『掟~』のほうはガラリと変わってシリアスなサスペンスというか心理劇映画。黄金採掘の男4人・女1人のグループ。虐げられていた男がある日怒りが頂点に達し男2人を射殺する。残った男1人・女1人が彼を監禁する。そのあとの展開、正直退屈な時間が流れるのですが^^、2人が殺人者を裁くあたりからまた緊迫した映画になる。映画の最後(ネタバレになるので書きませんが)をどう評価するか意見が分かれるところでしょうが、僕はどうも納得いかない最後でした。
明日は『二人のブルディ』を観ます。
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by tiaokumura | 2013-12-28 10:48 | 映画 | Comments(0)

癌日記:今年最後の通院

f0030155_18402142.jpg12月26日(木)癌の予約診療日。今回は8時半の予約で、8時過ぎに病院の駐車場に着き、受付。この日は採血・検尿から。その前に血圧を測定、最高が139、最低が64、脈拍数72。血圧低めの僕が最高血圧139なんて実に珍しい。ここんところアル中気味のせいかも(大汗)。採血、あいかわらず担当看護師泣かせで簡単に行かないが、まぁなんとか。検尿、おしっこまずまずの量が出る(照)。次いでこの日のメインである「腹部造影CT」。これで何回目になるでしょうか、これ。この検査は、朝食抜き&同意書要。看護師の問診そして造影剤注入のための注射挿入。CTそのものは10分もかからないでしょうか。造影剤注入前と後で画像撮影。
この後、主治医のTドクによる診察なのだが、CT撮影後の診察までの待ち時間が長かった。10時半頃ようやく名前を呼ばれる。体重測定。57.2kg。冬の服装着衣での測定とはいえ、57kg台は実に久しぶり。ここのところずっと55kg台だったんですもんね。この調子なら60kg突入も夢ではないかも。
主治医のTドク、いつもながらの丁寧な説明。CT画像異常なし、腫瘍マーカーもOK、白血球数などいくつもLやHがあったのがほとんど消えた。これらの結果に、Tドクも主治医として大いに喜んでくださっている。今回印象に残ったこと2つ。
①Tドクの話。僕が胃癌ステージⅣであることは紛れもない事実なのだが、ステージⅣイコール末期癌ではない。僕の場合はもう「末期癌」という言葉は使わなくてもいいのではないか。そういうTドクの説明だった。胃癌・大腸癌・肝臓癌が見つかってから2年半。「5年生存」が癌の場合一つの目安で、僕は半分まで来たことになる。「先生のおかげです」と申し上げたら「そんなことはない」とご謙遜。自分、あれこれと運・巡り合わせがよかった、ってこともあるのでしょうね。「癌と戦わなかった、割と素直に状況を受け入れた」というのも大きかったかも。
②Tドクは、これも運命だったんでしょうが、僕の中学高校の同級生。そんな気安さもあって、近藤誠のことを初めて話題にした。Tドク、昔近藤医師から乳癌の件でTELをもらったこともあるそうです。彼の近藤評価-乳癌、、大腸癌、統計学などから行けば、彼の考え方は否定できない。だが他の部位の癌や、個別の癌患者のケースを考えた場合、彼の考えは危険なところもある。例えば、僕の場合。近藤理論に従って癌を放置していたら、今頃は生きていない。Tドクの話はそんなふうなことだった。
次回は2014年2月20日(木)10時の診療予約。ここのところ8週間に1回のペースの通院。2月は検査は何もせず、今後どうするかの相談。ひょっとしたら通院のペース、もっと長いスパンになるかもしれない。

会計。12040円。現金の持ち合わせが少なく^^カード支払いにしてもらった(恥)。
薬局。ずいぶん時間がかかり少しイライラ。7080円。
アップした写真、病院玄関前から。この写真ではわかりにくいですが、この日(この前日も)、富山はのどかなお天気で、立山連峰がくっきり見えた。。

12時前、富山国際学院に出勤。2時から今年最後の日本語授業(この日はプライベートレッスン)。5時過ぎ同僚の粕谷さんと3人、学院を出て徒歩で富山市役所。展望塔が開放されているということで、人生初の富山夜景観賞。富山もけっこう光輝いている。
そのあと3人、「秋吉」。僕は生ビール・ヤキトリ・焼きおにぎり・赤だしなど。ここんところ正直シンどい毎日なのだが、久しぶりにお気楽な気分^^に少し浸れた。
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by tiaokumura | 2013-12-27 18:40 | 癌日記 | Comments(6)

「フェルメール光の王国展」in TOYAMA

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この間、地元の民放がフェルメール(Jan Vermeer van Delft1632-75)のTV番組を放映していた。なんでだろうと思って見ていたら、この展覧会が富山であるからなんですね。

福岡伸一 監修・総合
「フェルメール光の王国展」in TOYAMA
フェルメール全37点のリ・クリエイト作品を一堂に展示。
富山市民プラザ(2階ギャラリー)
~2014年1月29日(水)
観覧料 一般・大学生900円 小・中・高校生450円
公式サイト:こちら

これ、僕は去年、東京のフェルメール・センター銀座で観ている。その時のブログ記事はこちら。こういうのも「巡回」って云うのでしょうか、事情は分かりませんが、富山でも開催。ただ、銀座の時は鑑賞定員限定でワイン付きで、富山会場にない「しかけ」もいくつかあったように思う。
前記事の中山公男『西洋の誘惑』(1968年。新潮社)から引用。中山は『デルフトの眺望』(1658年頃。マウリッツホイス蔵)を取り上げている。
・・・この絵の良さは、この地方の街の視覚的印象と完全に同質のものであり、その空気のなかに、その光のなかに入ることのない限り、永遠に把握しえないものであったのだ。まるでけし粒のような微細なタッチが、家並みの形や一枚ずつの煉瓦や瓦の質感までを表現している。港に憩う舟の帆柱や船腹の板の長い航海に疲れた質感すら見える。画面上方三分の一を占める空の雲のにぶい輝きと微妙な色彩のうつり変わりは、この低地帯の空の完全な表現である。空と家と舟を映す水面はさらに美しい。絵の前に立っているとき、私は完全に、この凝縮化され、微視化され、近視化された風景のなかに入りこんでしまっている私自身を感じた。(p29)
なお、同書には『デルフトの眺望』が白黒図版で収められている。技術かコストか著作権かわかりませんが、この本、図版は1枚を除き全て白黒です。45年ほど前に初めてこの本を読んだときにはそういうことが気にならなかったのは、今になってみると摩訶不思議。時代、だったのか、僕の想像力が豊か、だったのか。

今回観ていて、re createってやっぱり空しいと思った。遠目にはともかく、近寄ってみると、立体感に欠け本物の持つ色彩感は再現できていない。そりゃそうでしょうね、いくら技術が進化したって本物の持つ迫力にはかなわない。小泉八雲の怪談で、振り向いた蕎麦屋が「ノッペラボー」だったシーンが思い浮かぶ。
そうは言いながら、このような試みに果敢にチャレンジした福岡伸一をはじめとするスタッフには敬意を表する。同展カタログからメンバーの一部をご紹介。
作品製作:廣済堂 プリンティング・ディレクター:木村文男(廣済堂) キャンパス製作:船岡廣正(フナオカ・キャンパス) 額装:高野淳一

福岡伸一(ふくおか・しんいち1959-)には『フェルメール光の王国』(2011年8月。木楽舎)がある。
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by tiaokumura | 2013-12-23 16:02 | 美術 | Comments(8)

中山公男『西洋の誘惑』(新潮社)

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中山公男
西洋の誘惑
カバー写真:奈良原一高
昭和43年6月30日発行
新潮社
1250円

大学時代以来のわが畏友・宮崎健二君の署名Miyazakiが残る本。彼からいただいた本である。いや、ひょっとしたら何かテキトーな口実をつけて宮崎君から奪い取った本かもしれぬ(大汗)。今回この記事をモノするにあたってWikipediaで検索したところ、公益財団法人吉野石膏美術振興財団が運営する「中山美術文庫」があることを知った。吉野石膏って虎のTVCMでおなじみの会社ですよね。中山美術文庫の公式サイトはこちら
「中山美術文庫」サイトから、中山公男(なかやま・きみお1927-2008)の略歴を引用させていただく。
美術評論家。1950年東京大学文学部哲学科美学美術史学卒業。1953年同大学大学院特別研究生修了。女子美術大学講師、多摩美術大学講師、日本大学助教授を経て1959年国立西洋美術館主任研究員。1968年万国博覧会参事、西洋美術館学芸課長。1971年退官。1986年より群馬県立近代美術館館長、1987年~90年筑波大学教授、1991年~97年明治学院大学教授。さらに全国美術館会議会長、美術館連絡協議会理事長なども務めた。
<おもな著書> 「西洋の誘惑」(1968年、新潮社)、「モナ・リザ-永遠の女性の謎-」(1974年、美術出版社)、「モローの竪琴」(1980年、小沢書店)、「画家たちのプロムナード-近代絵画への誘い-」(1991年、悠思社)

アップした写真の本書、我が人生においての思い出の本の1冊である。今年の夏、私(たち)は藤圭子(ふじ・けいこ1951-2013)の傷ましい訃報に接したが、この本の発行の翌年、藤圭子の歌の数々は巷を癒していた(と思う)。本書と藤圭子の接点は全く何もないのだが、僕自身の人生の中では両者は同居する。
本書は「序・価値の孤独」の後に「1・フェルメール」が置かれている。本書の元は「芸術新潮」連載だったので、中山を通じて初めてフェルメールを知った人も多かったことでしょうね。本書最終の「結・少年の橋」(中山は大阪船場の生まれ。そこは橋の多い町だった)に登場する人物は順に、伊東静雄・保田与重郎・デュフィ・ユトリロ・ルソー・シャガール・ドローネ・ボナール・萩原朔太郎・マン・ボードレール・ゴーガン・杜甫・北村透谷・乃木希典・岡倉天心・永井荷風・和辻哲郎・三木清風である(pp365-377。明記されていない人名は奥村が推定)。「結・少年の橋」は
私は、一人の被誘惑者に過ぎない。
で結ばれる。

なお、中山は丸谷才一(まるや・さいいち1925-2012)と旧制新潟高等学校での友人。
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by tiaokumura | 2013-12-22 14:26 | 思い出の本たち | Comments(0)

遠藤さんと@寅福(名古屋)

f0030155_1817362.jpg(12月21日午後・記)
12月18日(水)名古屋行き。名古屋で、仕事2つ・プライベート1つ。今回は時間の関係でJR特急しらさぎ利用往復が無理で、往復を高速バス利用にした。
早朝に富山を出て、午前10時過ぎ名古屋着。あおなみ線で名古屋競馬場前下車。あおなみ線はSuicaが利用できる。名古屋入国管理局富山国際学院の語学留学生は年に2回、4月と10月に入学で、その申請のために、4月生においては12月中旬、10月生においては6月中旬にそれぞれ名古屋入管に申請しなければならない。富山空港(最近、「きときと空港」とかの名称になったそうです。なんか、やり過ぎのような気がしますが^^、そんな時代なんでしょうね、地方活性化のためには)にある入管では申請はできないんですね。昔から自分は役所とか税務署とか入管とかの公権力にはからきし弱い人間で(恥)、これで名古屋入管も10回以上は訪れているのですが、いまだに「慣れる」ということには至らない。今回も名古屋入管で「とほほ」な体験があった(激爆)。名古屋入管では毎回知人に出くわすのですが、今回は珍しく(初めてか?)誰とも会わなかった。
お昼前に名古屋入管での仕事を済ませあおなみ線で名古屋駅に戻る。名古屋駅構内の「驛釜きしめん」でかけきしめん。ここ、行列ができる人気店でおいしいのですが、僕は昼食時に体調があまり芳しくなく完食できなかった。おわびでもないが、同店のお持ち帰り味噌煮込みきしめんを購入。
昼食後、次の用事まで時間があったので、徳川美術館・ボストン美術館に行こうと思った。念のため行き方を確認しようと駅構内の観光案内所を訪ねて、ショック。な・な・な~んと、この日、徳川美術館もボストン美術館も休館中との観光案内嬢のご説明。オクムラ君立ち往生の巻、っすね^^。どうするか。案内嬢のお薦めの名古屋城に行くことにした。
地下鉄東山線で栄、名城線に乗り換えて市役所前下車。ここでもSuicaが通用しました。市役所前で外に出ると雨。この日の名古屋、肌寒かった。雨と寒さで一瞬引っ返そうかとも思ったが、かといって時間つぶしの妙策も思い浮かばず、地下鉄市役所前から名古屋城目指して傘なしでコートの襟を立て歩く。方向音痴の悲しさ、順調なら5分で城内に入るのでしょうが、ぐるりをうろちょろ。金山体育館(大相撲名古屋場所ってここでやってたような記憶があるが)を右手に見て名古屋城門前に着く。観覧チケット購入。「名古屋城本丸御殿」が復元され一般公開中。こういうのはあまり僕の趣味ではないが、貴重な建造物なんでしょうね。檜、障壁画、飾金具、部屋の数々。観てるうちにかなり疲れてきた。外に出て城域内にあった休憩室で休む。自販機でホットココア。ベンチに腰掛け、黒猫としばし戯れる。
名古屋駅に戻り、4時、もう1つの仕事を済ませ、5時半に名古屋駅構内「金の時計」前に。遠藤さんと待ち合わせ。今回の楽しみは遠藤さんとの夕食。アップした写真、その風景です。遠藤さんとは「アジア人財」というプロジェクトで出会いました。7年ほど前になるでしょうか。遠藤さんと僕は同学年になります。ただボクなんかと違って遠藤さんは、バリバリのビジネスパーソンとして生き抜いてこられた方。今は悠々自適の生活、でしょうか。遠藤さんからおもしろい言葉を聞いた。「シニアはきょうようときょういく」ですって。「教養」「教育」って何のこと?って思ってたら、遠藤さんの解説。「きょうよう」は「今日、用がある」で、「きょういく」は「今日、行くところがある」って意味だそうです。「今日は何か用事がある」「今日はどこか行くところがある」-そういう日々ならいいが、そういうのがなくなると、シニアはボケたりアブなくなったりするってことでしょうね。誰が言った言葉か知りませんが、「きょう、よう」「きょう、いく」は名言です。皆さんはご存知でしたか、この言葉。
8時過ぎまで遠藤さんに付き合っていただく。遠藤さん、ありがとうございました!ぜひまた来年もお会いしましょう。
JR名古屋駅構内のTakashimayaに入っている三省堂で8時半まで過ごす。それから(三省堂は8時半で閉店)JRハイウェイバス待合所でバス待ち。今回は海外出張などでお世話になっている富山の旅行社のAさんに切符手配をしていただいた。「船車券」になるんですね、高速バスのチケットって。23:15名古屋発に乗る。JRバス、狭いが横3列、1人ずつの座席。
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by tiaokumura | 2013-12-18 18:17 | 美味録13 | Comments(4)

「越中富山十万石ブラ歩き」富山の老舗巡り

f0030155_14292636.jpg12月11日(水)のBS朝日「城下町へ行こう」で富山が取り上げられていました。ご覧になりましたか。案内人はピエール瀧。『あまちゃん』で鈴鹿ひろ美の行きつけの上野の寿司屋「無頼鮨」の店主「梅頭」をやっていた俳優です。クドカンの『あまちゃん』は濃いキャラ満載の番組でしたが(激爆)、彼もその一人。ふるさと北三陸に戻った弟子の種市の許をバイク(ハーレーダビッドソン?)で訪れるシーンなんて、名場面の一つになるでしょうね。←『あまちゃん』を観とらんだ人にはなんのことかさっぱりわからんでしょうけんど^^。BS朝日「城下町へ行こう」では薬都富山、前田藩富山、幻の天守閣、売薬、北前船、薩摩藩との昆布の縁などが出ていました。越中富山の売薬が明治維新の影の立役者だったなんて、じぇじぇじぇです。

さて12月14日(土)、「ブラ富山」に参加。僕は同イベント、これで、レクチャー1回・町歩き3回と、皆勤です、たぶん。今回はあいにくのお天気で朝から雪。参加者は僕を入れて9人。いつもは30人以上はいるのですが、この日はキャンセル多数だったんでしょうね。
家から市電2本を利用して、9時過ぎに集合場所の八人町公民館に着く。この日は悪天候も予想してなんでしょうね、主催者側が「戦前の富山」の映像を2本ご用意。2本ともめったに見られない貴重な映像でした。
1本目は中田勇吉制作の16mmフィルム。高校生時代、富山総曲輪(そうがわ)通りに清明堂・瀬川、中央通りに中田の3軒の本屋がありました。中田書店は茶の木屋と云う薬種問屋から出きてきたお店。明治時代の中田清兵衛は実業家で、銀行・水力発電所にも関わった。富山の基礎を築いた人物の一人でしょうね。中田家の家系からは戦後の富山県知事も出ている。勇吉は清兵衛の息子にあたるのでしょうか。フィルムは昭和12年1月2日、「雪のない寅年」で始まる。西暦では1937年に当たります。初売出し風景、祭礼の後は、東四十物(ひがしあいもの)町内会の活動。当時町内会館を造ろうということで、その地鎮祭・落成式が映し出される。戦闘帽姿も見られ、戦時色が濃くなりつつある時代なんでしょうね。富山の大雪の年と云えば僕には「三八豪雪」「五六豪雪」ですが(どちらも富山で経験)、戦前にも豪雪あったんですね、フィルムには「勤労奉仕」と題して町内総出の大雪除雪も出てきました。除雪はしんどい作業ですが、このシーンの登場人物たちには深刻さは見られず、大勢が楽しみながら除雪している感じです。除雪ってよりは「楽雪」かも^^。フィルムは食糧増産(とうもろこし・かぼちゃ・ジャガイモなど)の後、富山の老舗着物店・蔵島屋当主の葬式風景。町の有力者だったんでしょうね、ずいぶん盛大な葬式です。今は見かけませんが、棺を運ぶ人は網笠をかぶっています。「防空演習」もかなりの時間がフィルムに記録されています。集合→待機→演習開始→焼夷弾落下→ガス弾演習→演習終了。
もう1本は当時の写真屋「精美堂(しょうびどう)」の撮影による8mmフィルム。昭和17年2月18日の護国神社から始まる。西暦1942年。舞鶴から岩瀬港に入港した軍艦を記念した海軍省関連のセレモニー。さらには陸軍記念日の護国神社。市電、今とはルートが違いますが写っていました。電停「ゐくおもし」(「下奥井」です)前の富山化学。当時は富岩鉄道か。富山駅停車場からの出征風景も。悲惨なのはシベリア帰りの富山連隊でしょうか、行進中の白木の箱の葬列。かの地での戦没者あまた。箱の中には紙切れくらいしか入ってないのではないでしょうか。このフィルムには戦後の競輪場や広貫堂も出てきますが、昭和15~17年の富山が主だそうです。ずいぶん昔ですが、僕の生まれる数年前と考えれば、見ていても何かしら「想い」が交差します。今の僕は下品な顔ですが(恥)、あの当時の富山市民たちは実に豊かないい表情です。「逝きし世の面影」でしょうか。

フィルム2本鑑賞のあと11時過ぎ、メンバーからの希望もあって町歩きをすることに。僕はこの日、今シーズン初のタイツ着用(照)で準備万端でした。
今回「富山の老舗巡り」のコースは
ノーベル賞・田中耕一さん→女傳蒲鉾→旧八人町小学校→中彦かまぼこ→荒町交差点→蝦町(密田家)・藤ノ湯→旧古寺町→富山四十物町郵便局→中教院→中田清兵衛旧宅→蔵島屋→竹林堂本舗→中町→石谷もちや→三番町と島川あめ店
でした。「島川あめ店」はBS朝日の番組でも出ていました。
歩いている途中、竹久夢二を話題にされている方がいて(夢二の縁筋が経営していたカフェがこのあたりにあった、とか)、お相手との話を聞くともなしに耳を傾けていると、「かぐらがわさんと云う人が・・・」と聞こえた。「かぐらがわさん」が熱心に夢二の跡を辿っているという話だった。ビックリ。「kaguragawa」さんは当ブログつながりの方。こちらのブログ主宰者です。ご本人には何度かお会いもしている。世の中、いろんなつながりが発生するもんです。
今回の町歩き、最後、富山寺で解散。このお寺は元は「冨山寺」名で「ふせんじ」が本来の呼び名とか。今回も丁寧なガイドをしていただいた方にお礼を述べて場を離れる。ガイドの方、これで3回目になるがまだお名前を聞いていない(恥)。春になったらこの「ブラ富山」再開だそうで、人生の楽しみがまだまだあります。

西町で市電に乗り富山駅前で下車。駅前のCiCビルの5F「春々堂」で昼食。「豆乳中華薬膳粥」、けっこうヴォリュームがあるのですが、完食できた。
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by tiaokumura | 2013-12-15 14:29 | 富山 | Comments(6)

INSPIRE クリスマス ライブ@Bodegas Mambo

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アップした写真、左手前から2人目が呉人恵(くれびと・めぐみ)教授。僕が7年前に編入学した富山大学人文学部言語学コースでの恩師。卒業論文のご指導もしていただいた。
呉人先生はジャズコーラスグループINSPIREのメンバー。12月8日(日)、富山市総曲輪(そうがわ)にあるBodegas Mambo(ボデガス・マンボ)で
INSPIRE Christmas Live 2013
があって、僕もお邪魔させていただいた。6時過ぎにお店に入る。想像以上の人の数。せいぜい30人くらいの客と予想してたのですが、とんでもない、80人くらいで店内ごったがえしていた。
INSPIREは女声2人+男声2人。メンバーはMio(Top)、Meg(2nd)、Natz(3rd)、Mark(Bass)。Megが呉人先生です。当日は2ステージ。ファーストステージは「Almost Like Being in Love」で始まり、「上を向いて歩こう」まで5曲。Mioが司会進行役。セカンドステージでは「Jingle Bell Rock」や「少年時代」。「We wish you a Merry Christmas」を歌唱指導付きで観客参加で一緒に歌った。
久しぶりのライブ、楽しかった。同席したテーブルの方々とも会話が弾んだ。写真にはおられないが、着席したテーブル、お隣は富山大学の哲学の准教授だった。
アップした写真、左一番手前の方は、Markさんのお母さん。呉人先生の後ろはピアノの先生、その右、音楽業界の方。僕の後ろは、サンタに扮したNatzさん。
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by tiaokumura | 2013-12-08 20:44 | 富山 | Comments(2)

2013年11月・ブログ内ランキング

ブログ内ランキング11月の結果が出ました。11月は18件の投稿、PCアクセス数は7026、PC訪問者数は4452人(1日平均148.4人)でした。今のペースで推移すれば、新年早々に「PCご訪問者通算25万人」が達成できそうです。ちょっと楽しみ(照)。毎日投稿のブロガーもたくさんいらっしゃいますが、僕の場合は無理。月に15本以上が目標です。ここのところ毎月それは達成できている。でもブログが「義務」に感じられてきたら、終わりでしょうね。

11月の「記事ランキング」は、
第1位<2009年6月16日>富山県思考大会問題作成委員会『思考大会問題集 思考力の開発』小学生用・中学生用(133アクセス。以下同じ)
第2位<2011年8月26日>ある癌患者(男性・64歳 胃癌ステージⅣ)、4つの不安(93)
第2位<2013年11月15日>緊急学習会「みんなで考えよう!特定秘密保護法案」(11月17日@サンフォルテ)(93)
第4位<2008年11月23日>思い出の本たち(2)小笠原豊樹訳『プレヴェール詩集』(77)
第5位<2013年11月10日>2013国際交流フェスティバルinTOYAMA(70)
第6位<2013年10月25日>新入生歓迎会@岩瀬スポーツ公園(64)
第7位<2011年10月23日>「僕は20歳だった。それが人の一生でいちばん美しい年齢だなどと・・・」(ポール・ニザン)(51)
第8位<2013年11月10日>コンサート「NT CONNECTION 越中越後 仏独ノ盟」(47)
第9位<2013年11月1日>癌日記:8週間ぶりの通院(41)
第10位<2013年11月17日>イルマン・ラーグ監督『クロワッサンで朝食を』(37)
第1位「思考大会」・第2位「癌患者」は、先月に続き1・2位。「プレヴェール」が第4位ってのは、ブロガーとして不思議。5年も前の記事。なんでなんでしょうね。こういう現象、ブログではよく起きる。第7位の「ポール・ニザン」も同様です。

検索キーワードランキング」のほうは
第1位・富山(144アクセス。以下同じ) 第2位・井波純子(98) 第3位・奥村隆信(54) 第4位・思考大会(52) 第5位・富山県思考大会(43) 第6位・httpwwwnhkorjpnnetradio(41) 第7位・ブログ(31) 第7位・日本語(31) 第7位・日本語教師(31) 第10位・奥村(24)
でした。
井波純子さん、先月ご逝去。享年62。まだまだこれからも活躍できる方であった。ここに改めてご冥福を祈りたい。
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by tiaokumura | 2013-12-04 07:51 | このブログのこと | Comments(0)