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シェリフ・モハメドさんにエジプトのお話を伺う

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(9月30日朝・記)
9月27日(金)午前、富山国際学院でA組の授業をやっていて体の異常を感じた。尾籠な話で恐縮だが^^お尻から何かが漏れている。1時間目の休み時間(9:45~)にパンツの中にそっと手を入れて(照)確かめてみる。ヌルッとした液状の感覚。手を出してみると赤く染まっているではないか。女性の生理の時ってこんな感じなんかなあと、冷静なようなアホなような感想を持つ。2時間目開始。どうも血が止まらない。学生に「30分ほど自習していて」と告げて自宅に取って返す。車の座席にうっすら血の跡。ズボンとパンツに血が染みている。それらを脱ぎ捨てて、パンツを2枚重ねでズボンもはきかえる。学院に戻り授業再開。漏れが気になるがそこはプロ、あわてず騒がず(嘘爆)授業をこなす。学生は僕の異常に全く気付かない様子。ありがたい反面、それって自分が学生から見られていないってことも意味するからちょっぴりガッカリも。
12時半の授業終了後、もう一度自宅にもどり着替え。これでズボン2本、パンツ3枚をダメにする。学院に戻る前に、最近できた学院近くの大手ドラッグストアで成人用おしめを買いトイレで履き替える。奇妙な感覚は否めないが一安心。
危機は誰にでもやってくるもので、危機に襲われた時にどのように対処できるかでその人の力量が測れるのでしょうね。危機管理。今回の対処その1、着替える。対処その2、PCで「肛門科 富山市」で検索し病院を探す。対処その3、9月30日(月)の名古屋出張・会議参加のキャンセル。まずまずの危機対応か。
9月28日(土)、土曜日でもやっている病院が家から車で約10分のところにあり、9時前にそのH医院に行く。1時間以上の待ち時間を覚悟してたのですが、ものの10分くらいで診察に。検査で肛門に器具を突っ込まれて、痛かった(泣)。けっきょく、、でした。もっと悪いことも覚悟してたので、少し安心。
僕はもともと腰痛持ち、それが2年前に末期癌が見つかり、今回は痔主^^(じぬし)に。これで認知症(だいぶボケ始めている)を併発すれば、「腰痛+癌+痔+ボケ」と晴れて日本人男子の典型になれるかも(激爆)。

9月29日(日)昼過ぎ、富山駅前CiC。昼食をどうしようかと思い、ふと5階に「薬膳カレー」があることを思い出した。エレベーターで5階へ。ここは富山名産品など売っている階。フロアー内の「癒楽甘(ゆらくかん) 春々堂(ちゅんちゅんどう)」に入る。有名な薬品メーカー「廣貫堂(こうかんどう)」のお店。カレーは痔によくない気がして、注文は「豆乳中華粥」にする。量が多い(ご飯2杯分はありそう)。食べきれるか心配だったがおいしく完食。食事に困ることが多い今の自分には、「豆乳中華粥」は久々の大当たり。これからCiCではここを利用しよう。薬膳カレーもおいしそう。

1時半から、富山市民国際交流協会(TCA)の「文化交流委員会」主催の「もっと知ろう世界のくらし」の
第8回 エジプト・アラブ共和国
を受講。似たイベントに「多国言語文化交流クラス」ってぇのがある。2つの違い、僕はようわからん^^。「多国~」のほうはこれまでに何回も受けていますが、「もっと~」のほうは今回初めての受講。
講師はシェリフ・モハメドさん。富山大学博士課程で、同大学和漢薬研究所で抗癌剤の研究に取り組んでいらっしゃる。エジプトのGizaご出身。
お話はパワーポイントを使っての宗教・スポーツ・食べ物・結婚式・楽器と日用品など。もちろんピラミッドや観光のことも。
1時間弱で話が終わり、あと(3時まで)は自由に質問。「アラブの春」、今回の軍部介入、ナセルのこと、ロゼッタストーン、ナイル川のこと、大砂嵐(おおすなあらし)などなど、僕もけっこうあれこれ聞けました。
アップした写真、見づらいですが右がシェリフさんです。抗癌剤ご研究ってことで、「僕は末期癌です。効果のある抗癌剤を早く開発してください」とシェリフさんにおねだりしておきました^^。
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by tiaokumura | 2013-09-29 15:13 | 富山 | Comments(2)

「越中富山十万石ブラ歩き」公開講座

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(9月29日朝・記)
アップした写真、右から柵さん(インターネット市民塾)・村沢さん(割烹「まる十」)・僕・吉田さん(インターネット市民塾)。せっかくの写真ですが、逆光で顔がよくわからない(汗)。窓越しには立山連峰が望めるのですが、ケータイ写真の悲しさ、全然写っていません。
何年前になるか僕は「インターネット市民塾」に、ほんの短い期間・ほんのちょっぴり、参加してました。その後、メールでいろんな案内をいただき、一方で年会費も払ってはいるのですが、活動にはとんとご無沙汰。昨日、9月28日(土)、久しぶりにインターネット市民塾に参加しました。

「インターネット市民塾」ってのは、パンフレットから引用すると
市民が、自ら作った講座・サークルを開催する、いうなれば「知のフリーマーケット」です。ここでは、市民が「自分の知識を誰かに伝えたい」「一緒に学ぶ仲間を増やしたい」という思いを持ち、市民講座として自分の講座を作ったり、その講座に集まる受講者が共に学びあったり・・・様々な集まりの中で、新たなきずなによって元気な地域活動も生まれています。
「富山インターネット市民塾推進協議会」の理事長は山西潤一教授(富山大学人間発達科学部)。市民塾のHPはhttp://toyama.shiminjuku.comです。
今でこそ類似の活動は全国的に存在するでしょうが、発足当時は先鋭で革命的で開拓者的で冒険的で無謀な試み^^だったでしょうね。アップした写真の柵さん吉田さんは発足当初からのスタッフです。生涯学習、e-learning、集合知、参加型活動、生きがい作り、仲間作り、双方向性、地域密着、共生、ダイバーシティー(多様性)など、現代の「学び」のさまざまな形と密接に結び付く活動でしょうね、インターネット市民塾は。

さてその市民塾の9月28日(土)は
「越中富山十万石ブラ歩き」公開講座
会場:タワー111ビル 21階
でした。「タワー111ビル」は富山駅北口から市内電車ポートラムで一駅。富山で(たぶん)一番高いビルです。勤務先の富山国際学院の教室からも眺めることができます。111(トリプルワン)の最上階からの眺望はすごいんでしょうね、今回初めて「21階」から市街地・立山連峰を眺めました。
当日の講座は3つ。浦畑奈津子さん(富山市郷土博物館学芸員)「富山城の歴史」、古川知明さん(富山市埋蔵文化財センター所長)「富山城の発掘」。もうお一人はXさんで「私達の富山弁」。ところがこのX氏、なんでこんな暗い話ができるのかってぇくらい陰鬱な講座で聞いてて不愉快になった。よっぽど質疑応答で挙手して批判しようと思ったが、こういうところが富山県人の悲しい性(さが)なんでしょうね^^、何も言わなかった。『あまちゃん』人気の理由の一つは「方言」でしょうが、そんな時代にあってX氏の富山弁観はいただけない。彼の意見を僕なりにまとめると「屈折したコンプレックスの産物が富山弁」って主張です。富山弁を語る際には簑島良二・中井精一は欠かせないと思うが、参考文献にお二人の名はなかった。そこもおかしい。

アップした写真の村沢さんは富山国際学院の近くの割烹「まる十」のご亭主。すっぽんなどの高級割烹なので、ビンボー人の僕なんかは年に数回しか行けませんが、同僚の粕谷さんと利用してます。村沢さんは考古学や古代史やジャズや民俗学などにも造詣が深い方で、食事に行くといろんな話が聞けます。

越中富山十万石ブラ歩き」の次回は実際に町を歩きます。10月12日(土)。もちろん申込み済み。癌の関係で体力が心配ですが、とても楽しみです。
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by tiaokumura | 2013-09-28 15:06 | 富山 | Comments(0)

夕食@ディンタイフォン(名古屋)

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(9月26日朝・記)
旅の楽しみの一つは旅先での食事。地元ならではの食事だったり、富山にはないお店での食事だったり。9月23日(月・秋分の日)、岐阜県美術館で「オディロン・ルドン 夢の起源」展を観た後、名古屋にもどり、JRセントラルタワーズ12階の鼎泰豐(DIN TAI FUNGディンタイフォン)で夕食。店の前の順番待ちの行列は10人くらいで、あまり待ち時間なく入店できた。
鼎泰豐(日本漢字表記。正しくは繁体字表記)は何年か前に日本語教育世界大会で台北に行ったとき、台湾の知人女性に連れて行ってもらって初めて知った。同店の公式サイト(日本版)はこちらです。東京・京都・大阪・熊本など日本国内に13店あるようです。名古屋店は僕は3回目になるかなあ。
9月23日の夕食は、テーブルのスタンドメニューに載っていた「ハッピーアワービールセット」にした。生ビール+小龍包(4個)+小鉢。抗癌剤をやめて3か月くらいになるかなあ、最近少し食欲が出てきたような気がする(錯覚かもしれないけど^^)。それで、このセットだけではものたりなさそうなので「海老・豚肉入り蒸しギョウザ(4個)」も頼んだ。僕が鼎泰豐で餃子を食べるのは初めて。
後日知ったことですが、JRセントラルタワーズ11階には糖朝が入ってるんですね。糖朝は鼎泰豐の系列になるそうで、それも知らなかった。去年だったか、東京青山の糖朝で名物の点心を食べました。9月30日に名古屋出張があるので、同夜の夕食は糖朝にしようかな。
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by tiaokumura | 2013-09-23 17:30 | 美味録13 | Comments(0)

オディロン・ルドン 夢の起源@岐阜県美術館

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(9月25日午前・記)
3連休の最終日9月23日(月・秋分の日)岐阜県美術館オディロン・ルドン(Odilon Redon1840-1916)を観に行く。今回の旅のお供本は3冊。
モハメド・オマル・アブディン『わが盲想』(ポプラ社)
堤和彦『NHK「COOL JAPAN」かっこいいニッポン再発見』(NHK出版)
末木文美士『日本仏教史』(新潮文庫)
『わが盲想』は買ってからなかなか読み終われなかったのだが、今回の旅で読了できた。日本語教師としてもずいぶん参考になる本。例えば漢字学習、例えば日本語の特質、例えば日本語学習法、例えば異文化との遭遇などなど。NHK-BSの『COOL JAPAN』は好きな番組の一つ。僕は日曜午後6時からの再放送で観ています。末木は朝日新聞に思想・宗教関係で月1回か連載してます。
JR名古屋、1:30東海道本線新快速に乗車。→尾張一宮→岐阜。岐阜駅を出て「信長ゆめ階段」ってのを降りバスターミナルへ。バス停「県美術館前」がある市橋行きのバスがよさそうなのだが、1時間に1本しか便がなく、今は約45分待たなければならない。バス案内所で受付嬢にアドバイスをしてもらう。ここからタクシー利用はどうも高そう。彼女によると、JRで西岐阜に行けばそこから美術館までは歩いて15分とのこと。そうするか。西岐阜からならタクシーもそんなに高くんなさそうだ。再び岐阜駅にとって返し普通に乗車、西岐阜で下車。駅前をウロウロしていたら、「くるくるバス」ってぇのを見っけ。ラッキー、100円で美術館に行ける。コミュニティバスとかなんでしょうね。

オディロン・ルドン 夢の起源
19世紀末から20世紀初頭にかけて活動したフランスの画家、オディロン・ルドン(1840-1916)。本展では、フランス・ボルドー美術館や当館を含めた国内の美術館が所蔵する名品約150点により、画家の青年期から晩年までを展観します。とくに、これまで日本ではほとんど紹介されることがなかった青年期の作品、そしてルドンに影響を与えた画家たちの作品および資料展示は、ルドン芸術の源泉を知る貴重な機会となるでしょう。
象徴主義の画家として知られるルドンですが、一方では実証主義的な自然科学への関心を持ち続けていました。また他方では19世紀前半のロマン主義からの影響も受けています。これらは初期の木炭画やリトグラフによる作品の中のモティーフに見ることができます。そしてふるさとボルドーでの修業時代におけるいくつかの出会いは、その後の芸術形成に決定的な影響を与えるとともに、重要な二つの要素「夢」と「自然」を発見させることになるのです。精神的なものと物質的なもののはざまで揺れ動きながら独自の芸術を目指したルドン。本展では、夢と自然が「黒」による独創的な作品や、さらに色彩による幻想的な作品においてどのように変容していったのか、ルドンの幻想的な芸術の起源と進化の道筋をたどります。(公式サイトより引用)
岐阜県美術館
~10月27日(日)
公式サイト:こちら

本展は「幻想のふるさとボルドーー夢と自然の発見」「「黒」の画家の登場―怪物たちの誕生」「色彩のファンタジー」の3部構成。さすがルドンコレクションでは日本一の岐阜県美術館(僕は3回目の来訪になるか)、すばらしい展示作品群です。シリーズ「夢のなかで」「エドガー・ポーに」「起源」「ゴヤ頌」「夜」「悪の華」もたっぷり。ただ自分はやっぱ「黒」のルドンが好きで、「色彩」のルドンはイマイチかなあ。
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by tiaokumura | 2013-09-23 15:33 | 美術 | Comments(0)

ファラー・カーン監督『恋する輪廻 オーム・シャンティ・オーム』

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(9月16日午前・記)
僕が初めて見た外国映画は何だっただろう。田舎育ちの身、中学生までは日本映画だけだったでしょうね。大手五社(東映・大映・日活・松竹・東宝、だったか)や新東宝や独立プロなどが群雄割拠し、日本映画の観客動員黄金期だったかもしれない。「洋画」は高校生になってからでしょうか。高校で人文地理ご担当の本木英子先生(ご子息は映画監督の本木克英)のお薦めで『尼僧ヨアンナ』を見た記憶がある。同じころに『マイ・フェア・レディ』も。オードリー・ヘップバーンの全盛期。
大学進学のため上京してから、映画にハマった時期がある。都会の孤独生活・鬱屈した青春・苦手な学術世界などからの逃げ場として「映画」があった。低料金の名画座や京橋の近代フィルムセンターなどに通って、多い年は年間80本くらい見た。友人たちとオールナイト(「網走番外地」「昭和残侠伝」「人間の條件」「宮本武蔵」などのシリーズ)にも通った。スクリーンに見入り、その時は一時的に何もかも忘れることができた。
初めて見たインド映画サタジット・レイ監督(Satyajit Ray1921-92。『大地のうた』など)でしょうね。

15年ほど前になるか『ムトゥ 踊るマハラジャ』を知った。レイ監督とは正反対の娯楽映画。富山での上映がないってことで金沢まで観に行った(ところがその後高岡で上映された^^)。恋して歌って踊ってー超娯楽大作インド映画のエンタメ性・パワーに圧倒された。
本作、僕にとっては『ムトゥ~』以来のインド映画。ハリウッドならぬボリウッド映画って云い方するそうです、近年は。

何度生まれ変わっても、また君に恋をする。
豪華絢爛、ロマンチックで魅惑的な/輪廻・ミュージカル・エンタテインメント!!!
(ちらしより)
恋する輪廻 オーム・シャンティ・オーム』(OM SHANTI OM)
2007年 インド 169分 ヒンディー語
監督・原案・振付:ファラー・カーン(Farah Khan1965-)
作曲:ヴィシャール=シェーカル
作詞:ジャーヴェード・アクタル
キャスト:
シャー・ルク・カーン(Shah Rukh Khan1965-。オーム・ブラカーシュ・マキージャーとオーム・カブールの二役) ディーピカー・パ-ドゥコーン(Deepika Padukone1986-。シャンティプリヤとサンディの二役) アルジュン・ラームバール(ムケーシュ) シュレーヤス・タラブデー(オームの友人バッブー) キラン・ケール(オームの母親ベラ) 他
日本語字幕:松岡環
公式サイト:こちら

簡単なコメント(奥村):
①筋は恋・輪廻・復讐、そして散りばめられるお定まりの歌と踊り。普通に楽しめる映画です。
②セットの豪華さではこちらですが、『ムトゥ 踊るマハラジャ』のほうが楽しかった。
③終わりの方でインド映画の俳優たち(50人くらい)が次々と登場し歌い踊る。インド映画マニアにはたまらないシーンでしょうね。僕には誰が誰だかチンプンカンプンですが。
④エンディングの俳優・スタッフ紹介がオシャレ。特にカーン監督のところは必見。
⑤レイ監督の名前がちらっと出てきます。
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by tiaokumura | 2013-09-15 16:24 | 映画 | Comments(0)

Subashさんにネパールのお話を伺う

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(9月14日朝・記)
僕が初めて外国に行ったのは、2000年8月、妻と二人っきりのパリ・6泊8日。53歳にしてやっと初めての外国旅行だったから、ずいぶん晩生(おくて)だったかも。自分、当時も今も日本語以外はチンプンカンプンで、よう行けたもんだと我がことながら感心する。2回目の外国は中国になるだろうか。2000年に用意したパスポートはその後けっこうな数のスタンプが押されている(10年パスポートなので、今は2冊目)。パリはプライベート旅行だったが、あとは全部「仕事出張外国旅行」になる。パリを再訪したいが、もう無理でしょうね。
ネパールは2008年から3年連続で訪れている。2011年に末期癌が発覚しなければその後も毎年訪れるつもりでいたのだが、無念、2010年で中断し、おそらく再び行くことはないだろう。

9月14日(土)、富山駅前CiCで「多国言語文化交流クラス」を受講。このクラス、いつもは午後1時半からだが、この回は3時半~5時で、同クラス第113回「ネパール&ネパール語」、講師は富山在6年、富山医科薬科大学(現在は富山大学)でかゆみの研究をなさっているSubash Adhikariさん。お話は日本語で。日本語学習歴は1年とのことですが、実にきれいな日本語でした。
①ネパールを数字でとらえる。848の鳥類、500の蝶、世界トップ10の高山のうち8つがネパール、103民族、92言語、3000以上の寺院。
②国旗は世界で唯一四角形ではない国旗。赤は国民の勇敢さ、青は平和を表す。2つの三角形はヒマラヤの山々であり、ヒンドゥー教と仏教も表す。
③国鳥はニジキジ、国花はシャクナゲ、国家動物は牛。
④民族は、インド・アリア系とチベット・ミャンマー系に2大別される。
⑤シェルパ族、ネワール族、タール族について動画(音楽・踊り)も交えて説明。
⑥「とにかく祭りが多い国」。9月末または10月初めの「ダサイン」(奥村注:ネパールはヴィクラム暦)。目上の人が目下の額にティカをつける。ティカは米・赤い色素・ヨーグルトからなる。「ティハール」は5日間。初日が「カラスの日」、以下、犬・メスの牛・オスの牛・兄弟の日と続く。カラスは死の神様が乗る。「ティーズ」は女性の祭り、この日女性は断食し1日中踊りっぱなし。
⑦義務教育制度はない。識字率は65.9%(2011年)。国民医療保険制度は存在しない。
⑧東西150km、海抜70~8848mの国に、実に多様な生物がいる。生物多様性。
⑨民族・宗教においても同様に、多様性の中の共生。
この日のお話にも出てきましたが、日本人はお釈迦様をインド生まれと思っていますが間違い。ネパールのルンビニで誕生した。富山に確か「ルンビニ園」って施設があります。
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by tiaokumura | 2013-09-14 17:50 | 富山 | Comments(0)

朗読と音楽の夕べ:高橋治『風の盆恋歌』

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(9月14日朝・記)
足音のない踊りは、灯の数が少なくなった町筋を影絵の動きを思わせながら進んで行く。めっきり数が減った見物の人たちは、踊りの動きに魂をぬきとられたように囁きひとつ交わさずに見とれていた。/(略)/胡弓の音が遠くなり、やがて消えた。そこでとまると、都築はえり子の肩を抱いてやりながら振り向いた。/「・・・ああ」/えり子が声を引き加減にしてのんだ。その位置からは、胡弓の音も歌の声もなく、二列に坂をのぼるぼんぼりの灯の間を、踊りだけが宙に漂いながら揺れて近づいて来る。どこかに操る糸があって、人形の列を思いのままに動かしているように見えた。/「あなた、これは、・・・ねえ。この世のものなの」/えり子は身じろぎもせず踊りを見つめたままで聞いた。/(略)/その夜、白みかけた光が、窓から僅かに白麻の蚊帳の白さをうかび上らせて来る中で、えり子は都築の胸に顔を埋めたまま眠った。(高橋治『風の盆恋歌』新潮文庫pp144-145)

9月13日(金)夜、今週月曜に続き、高志の国文学館に行く。この日は「朗読と音楽の夕べ」の第3回。
朗読者:鎌田香奈
作品:高橋治『風の盆恋歌』
演奏:富山県民謡越中八尾おわら風の盆保存会

鎌田は地元民放のアナウンサー。彼女が悪いんじゃなく、作品とはミスマッチだったでしょうね。朗読者は40代後半か50代の女性がよかったでしょうね。鎌田の朗読はたぶん3か所。えり子が都築の八尾の家を初めて訪れる場面(新潮文庫pp48-58)、2人の間の往復書簡(pp147-149)、そしてえり子が都築の後追い心中をする場面(pp277-284)。朗読の合間におわら節の演奏・演舞が入る。とりわけ朗読最後のあとはすばらしかった。朗読者が舞台そでに引き下がる。弾き手3人がステージ上の椅子に座る、歌い手が2人立つ。おもむろに歌いだし、やがて男一人が左手から登場し踊る。男が左手に下がったあと、今度は女2人が出て踊る。そして最後に男がまた登場し3人で踊る。
冒頭に引用した個所の朗読はなかった。作品中、最も有名な個所だと思うが。

不倫」。古今東西、「不倫」が主題の名作の小説、いくつもあるでしょうね。現実世界では、たぶん「浮気」が「不倫」と言い換えられるようになったころから、一般市民の意識も変わってきたんでしょうね。いや、「言葉」と「意識」とどっちが先か後か、「鶏と卵」みたいなもんかもしれませんが^^。いずれにしても、昔、当ブログに書いたような気がしますが、私たちの父母の世代までは、愛(心)とSEX(体)と結婚(システム)の幸福な三位一体があったのが、それがアンバランスへと崩れ去って、「不倫」「婚外恋愛」の時代になったんでしょうね。
「風の盆」=不倫、じゃ全然ないのですが(汗)、3日間で多い年には30万人という観光客にもなる越中八尾おわら風の盆がそうなった元凶は、高橋治『風の盆恋歌』、石川さゆり『風の盆恋歌』(作詞・なかにし礼、作曲・三木たかし)でしょうか。

おわら風の盆」「利賀演劇祭」「県立近代美術館」の3つが富山の3大文化コンテンツってえのが僕の持論。当ブログ、「おわら風の盆」で検索すると何本も記事がヒットします。ずいぶん前、今から7年前の記事に「七七七オワラ五」を作ってました、自分。以下に引用。
あひにきたのか ひとめをぬすみ こよひひとよの オワラ かぜのぼん
やつおぼんぼり よつやつみやり かさなるふたり オワラ かぜのぼん
どこまでおちる あいよくぢごく ままよこよひは オワラ ゆめのなか
ぢごくごくらく あのよのことよ むすぶからだは オワラ うつしよぞ
さんもじなまえ わがせになぞる あすはきえゆく オワラ えにしかな
ちぶさにはがた のこしてみても つぎのあふせは オワラ からてがた
かみのほつれげ なほしてやるぜ おまへあしたは オワラ ひとのつま
とこののこりが かいでてやりたい ゆあむおときき オワラ むせぶほど
よあけまたずに わかれるふたり きみはみやこへ オワラ かぜのぼん
いだがはのぞいて とびこむふりを みせておまへは オワラ なきわらひ
きみはひとづま こどももふたり せめてこよひは オワラ かぜにまへ
(「八尾7」2006年8月30日付)
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by tiaokumura | 2013-09-13 17:47 | 富山 | Comments(0)

久しぶりの富山大学

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(9月11日朝・記)
9月10日(火)富山国際学院生の引率で富山大学へ。午後1時、同大学黒田講堂前に集合。夏休みのはずなのに車の駐車スペースを探すのに苦労した。人文学部の裏手に停めようと思ったのだが、ここも超満員。某学部前にやっと見つかった。来校目的から外れるかもしれない、ここでの駐車は。この日は
外国人留学生のための富山大学説明会
がある日。15年ほど前からだろうか、この説明会、だいたいこの時期に行われる。当日は、副学長の挨拶→大学及び入試の説明→留学生体験発表、と続き、休憩をはさんで学部ごとの懇談。「留学生体験発表」にはうちの卒業生も登壇することがあるのだが、今年は人文学部・経済学部・工学部各1名にうちはいなかった。学部懇談は、人文・経済・工・芸術文化の各学部。僕は人文学部を傍聴した。
予定より早く3時過ぎに終了。会場の学生会館を後にして、人文学部棟へ。僕は5年前に人文学部言語学コースを卒業している。言語学は7F。7Fでエレベーターを降り、言語学学生のたまり場である演習室に入ろうとしたらロック状態。夏休みなのでだれも来てないんでしょうね。せっかく差し入れを持ってきて先輩風を吹かせたかったんにぃ(激爆)。呉人惠教授の研究室の明かりがついていたので、部屋をノック。実に久しぶりに先生にお会いできた。5年ぶりかなぁ。ちゃんと僕のことを覚えていてくださった。先生は僕の卒論の指導教官。アポなし訪問なので長居はできないが、それでも先生はお忙しい中、20分以上も快く応対していただけた。僕の癌のこともすでにご存じで、労りのことばもかけていただいた。
アップした写真、左が呉人惠(くれびと・めぐみ)教授。
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by tiaokumura | 2013-09-10 15:36 | このブログのこと | Comments(2)

シュトウットガルト弦楽六重奏団とフルートの夕べ

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(9月10日朝・記)
9月9日(月)夜、「高志の国文学館 開館1周年記念 特別企画」の
シュトウットガルト弦楽六重奏団とフルートの夕べ
を聴く。富山の古名は「高志(こし)」、それにちなんで命名の文学館が「高志の国文学館」、辺見じゅんを初代館長に予定していたのが彼女の急逝で中西進が館長になりオープン。早いもんですね、もう「開館1周年」なんですね。
コンサートは6時開始なのだが、時間があったのと混みそうな感じがしたので5:15頃に会場に入る。熱心なクラシックファンなのでしょうね、20人くらいが先着。リハーサル中に出会えてラッキー。
開演前、東京教育大時代のクラスメートの山下富雄君に会う。元気そうでお互い安心。6時開演。初めに小出俟子さんによる曲目解説。

演奏者:「シュトウットガルト弦楽六重奏団(Stuttgarter Solisten)」アルベルト・ブェーゼン(第1バイオリン) カール-ハイツ・シュレンカー(第2バイオリン) ルドルフ・クライスナー(第1チェロ) ゴットフリート・ハーン(第2チェロ) リディア・バッハ(第1ビオラ) ミヒャエル・マイヤー・ラインハルト(第2ビオラ)
共演:小出信也(元NHK交響楽団首席フルート奏者)
プログラム:
①ボッケリーニ「弦楽六重奏曲ニ長調」
②モーツアルト「フルート四重奏曲イ長調」
ブルックナーグルック「精霊の踊り」
④ブラームス「弦楽六重奏曲第1番ロ長調作品18」(第2楽章)

「弦楽六重奏団」なんて珍しいでしょうね、僕は初めてです。1970年結成。
①のボッケリーニ、聞かない名前です。名前からするとイタリア人でしょうね。小出さんの解説によると、10年ほど前パリの骨董店でボッケリーニの楽譜が見つかった。1776年作曲、1780年出版。その曲をシュトウットガルト弦楽六重奏団がよみがえらせた。「200年間も演奏されていない・・・今回日本で初めて演奏」(リーフレットより)。どことなく既聴感のある第1楽章、軽快で時にユーモラスな第2楽章、そして、荘重な感じで始まりバイオリン・チェロ・ビオラがそれぞれ存在感を主張しつつも全体に溶け込む第3楽章が来て、最後は、バイオリンのリードで踊るような感じで始まり主旋律が繰り返され終局へと向かう第4楽章。ざっとまぁそんな感じの約20分の弦楽六重奏曲です。
③は当初プログラムにはなかった曲。
④はルイ・マル監督『恋人たち』のテーマ曲に使われていたそうです。『恋人たち』、確か観ているはずだけど。ルイ・マルはヌーヴェル・ヴァーグ監督の一人。『死刑台のエレベーター』『地下鉄のザジ』、傑作です。
アンコールはブラームスの「ハンガリアンダンス」。そのあとも拍手がなかなか鳴り止まず、再アンコール。チャイコフスキー「カンタータ」だった。それが終わっても聴衆の拍手はやまず帰る人もほとんでいなかったのですが、さすがにもう演奏はありませんでした。

夏の終わりというか秋の初めのクラシック・コンサート、堪能できました。こういう演奏が無料で聴けて、観客も満員で、マナーもいい。富山の文化力、なかなかなものです。

(9月11日訂正
演奏曲目の「精霊の踊り」はブルックナーではなくグルックです。お詫びして訂正いたします。コメントでご指摘くださいました「いつものkag・・・」様、ありがとうございました。
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by tiaokumura | 2013-09-09 17:08 | 音楽 | Comments(2)

本延寺 @七尾

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(9月10日朝・記)
9月8日(日)七尾2日目。投宿先の井田屋で5時前に目覚めるが、また寝て、起きたのは6時半。入浴・TVなど。7時半、朝食。ご飯は抜き。干しがれい・味噌汁がおいしかった。寺本益英先生実弟のぶの2人は僕が朝食を終えるころに食堂に。前夜は、僕はシングル部屋、2人はダブル部屋で宿泊した。
9時前、七尾駅前「ミナ・クル」。今回の七尾旅行は、実弟ののぶが、富山―七尾間の切符以外のほとんどを手配してくれていて、彼は観光ボランティアも午前・午後と予約していた。その午前担当の方と「ミナ・クル」で顔合わせ、打ち合わせ。ボランティアの人の車で観光に。
七尾城址。ここはかつて能登畠山氏の居城。長谷川等伯の実父・奥村文乃丞は畠山氏の家臣だった。11代義隆の時代に上杉謙信によって落城。謙信の例の「霜は軍営に満ちて 秋気清し 数行の過雁 月三更・・・」はこの時詠んだ漢詩。七尾城は1581年に前田利家が入城している。日本百名城の一。「謙信も絶賛 戦国の巨大山城」(パンフレットより)。
麓に降り、荏原製作所創業者の畠山一清ゆかりの「七尾城史資料館」に立ち寄る。七尾城の本丸には一清の「七尾城址」と書いた巨大な石碑が建っていた。午前3つ目は「能登国分寺展示館」。
観光ボランティアの方ご推奨の「雅亭」で昼食。大海老天ぷらうどん、3人でビール中瓶1本。うどんはかなりを弟に食べてもらったが、おいしかった。うどんなんて実に久しぶり。末期癌になって麺類のうどん・そばはダメになってたんですね(ラーメン・そうめん・パスタはOK)。

午後は別の観光ボランティアの方が担当。午前の方もそうだったが、ご自分の車での観光案内、僕と同じかちょっと年上の感じだが、実にえらいもんです。お二方とも勉強熱心でいろんなことをご存知で、我々の質問にも的確に答えられる。全国各地にこういうボランティアの方々がおられるのでしょうね。僕には無理なボランティアです。
午後はまず「一本杉通り」。老舗などが並ぶ商店街です。和ろうそくの「高澤ろうそく店」。「花嫁のれん館」。この地は花嫁が婚家入りするときにのれんが飾られるそうです。土地の風習っていろいろなんですね。花嫁のれん館でくじを引いたら「500円券」が当たった。ちょーラッキー^^。それを使って老舗お菓子店「花月」でお土産を買う。
後半は「山の寺寺院群」。「約四〇〇年前、前田利家が能登領主になった時、新しく小丸山城を築いた。能登方面からの攻撃に備え・・・二十九ヶ寺を防御陣地として配置し・・・」(パンフレットより)、それが現在16寺残る。まずは等伯ゆかりの「本延寺」。寺へのアプローチが実に風情がある。ここは等伯の生家・奥村家の菩提寺。アップした写真は、等伯が彩色を施したと言われる「木造 日蓮坐像」。まさか実物を観られるなんて思ってもいなかったのですが、お寺の方が快く見せてくださいました。ブログにこの写真を載せること、了解済みです。次いで高山右近ゆかりの「本行寺」。「ゼウスの塔」「右近歎きの階段」「高山右近修道所跡」など。高山右近はこの地に26年だったか留まったそうです。最後は「長壽寺」。ここも等伯ゆかりの寺。ここでもお寺の方がずいぶん親切にしてくださり、「牛蒡茶」もふるまわれた。八百屋お七って親が能登出身なんですね。ここには八百屋お七の「お題目供養塔」がある。

午後4時前、寺本先生・弟と七尾駅前で別れる。七尾→津幡→富山。富山駅で降りて改札を出ようとしたら切符が見当たらない。七尾から乗ったって正直に^^告白したら、しっかり七尾―富山の料金を取られました。そりゃまあそうでしょうが、とほほ。
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by tiaokumura | 2013-09-08 14:43 | 美術 | Comments(2)