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京都出張(後)

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(11月3日朝・記)
最近は午前5時前後に起きることが多いのだが、10月31日(水)は京都のザ・パレスサイドホテルで午前6時半ころ起床した。シャワー・朝食など。朝食は1Fで。日本語教育振興協会(略称「日振協」)の上戸さん、ラボ日本語教育研修所の黒崎さんと同席。クロワッサン・ロールパン、オレンジジュース・ミルク・コーヒー、サラダ、ベーコン・ソーセージ、フルーツなど。久しぶりにけっこうな量の朝食だった。
朝食後、京都御所に散策。この日(10月31日)から秋の一般公開(11月4日まで)。今年は明治天皇(めいじてんのう1852-1912。在位1867-1912。諱は睦仁)の生誕160年、崩御100年だそうです。時間が早いので中には入れなかったが、京都御所・仙洞御所(こちらは予約制)のお庭を歩く。出勤でしょうね、歩行者・自転車など行き交う。観光客も少し。冷泉家のほうにも行きたかったのですが時間が心配でホテルに帰る。
11月2日から11日まで京都非公開文化財特別公開だそうです。冷泉家・真珠庵・北野天満宮・上賀茂神社・東寺五重塔・法性寺な21箇所が対象。もう1泊できたら観たかったですね。

平成24年度日本語教育セミナー(京都セミナー)」2日目。この日は発題1本。
山本弘子(カイ日本語スクール)「著作権法と教材作成~生教材はどこまで使えるか」
富山国際学院はNPOなんですが、設置母体によって違ってくるんですね、著作権法への対応。知りませんでした。「認識チェック」で
①新聞記事を切り抜き、人数分コピーして学生に配布
②レンタルDVDのコピー、録画したテレビ番組を教室で見る
③プリント類にネット上から画像をコピーして使用、配布する
④市販教材、問題集を部分的にコピーする
が著作権法に触れるかどうかグループ内で話し合う。皆さんはどうですか。どれもやってしまいそうな(実際にやっている)事例ですよね。
このブログでは新聞記事・本・webなど出典を明記して引用してますが、著作権法上ではそれだけじゃダメなのかもしれません。

分科会。3グループに分かれる。僕は第3分科会。司会が亀山さん(アジア学生文化協会)、サブ司会が岩城さん(J国際学院)で、江副さん(新宿日本語学校)、加藤さん(インターカルト日本語学校)、黒崎さん(ラボ日本語研修所)、永井さん(京都民際日本語学校)、松本さん(東京平田日本語学校)、大野さん(ノースリバー日本語スクール)、村上さん(麻生工科自動車大学校)と僕。2日間の発題を中心に話し合う。人見知りが激しい男ですが(恥)、気さくな雰囲気の中で割と発言できた。
14:15から全体会。4時半終了。
富山国際学院にTEL、引継ぎなど。

アップした写真は、夕食。京都駅構内の「京のおばんざい料理 味彩や」で。京都セミナーの昼食時にも話題になりましたが、「おばんさい」とは「お番菜」で「普通のおかず」といったような意味だそうです。おばんざい盛合わせ(青菜のおひたし、おから、大根のぜいたく煮、かぼちゃなど6種)・おでん(こんにゃく、たまご)・太刀魚の幽庵焼き・湯豆腐、グラスワイン(白)。期待したほどの味ではなかった。

前回の京都出張の帰りのサンダーバードはずいぶん込んでて、福井あたりまで立ちん坊だった。今回心配だったが、京都で空席があり座れた。
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by tiaokumura | 2012-10-31 17:29 | 僕は学院長4年生 | Comments(0)

京都出張(前)

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(11月2日朝・記)
10月30日・31日と京都出張。7月13日以来今年2度目の京都出張になる。今回は、
平成24年度日本語教育セミナー(通称「京都セミナー」)
への参加。京都セミナーは1泊2日で、これで2回目の参加になるか。会場はザ・パレスサイドホテル。パレス=京都御所(仙洞御所も)、でまさに御所のサイドに位置する。
9:14富山駅始発サンダーバード。今回の旅のお伴は、
白洲正子『鶴川日記』(PHP学芸文庫)
森毅『数学受験術指南 一生を通じて役に立つ勉強法』(中公文庫)
の2冊。

12:09京都駅着。地下鉄烏丸線へ。途中、駅構内にある「八天堂」でチョコぱんとクリームぱんを1個ずつ買う。八天堂というのは広島のお店のようです。
地下鉄烏丸線丸太町下車。歩いて10分ほどでホテル着。受付。アップした写真は、受付直後。富山で寒かったのでこの日はコート着用。でも、京都では男性10人に1人くらいしかコートを着ていなかった。加齢によるか癌によるか理由がわからないが、最近ずいぶん寒がりになったようだ。暑かった富山もここのところ一気に寒くなってるのは事実のような気がするが。毎年思うことだが、富山って「秋」が短い。

今回の京都セミナーの全体テーマは
日本語学校教育の質をいかに発信すべきか
で、31校34名の参加。代表・校長級が10人、あとは教務主任・教務部長が主。日本には現在450くらいの日本語学校があるから、ずいぶん少ない参加数である。100人以上は参加すると思っていたので意外。
1日目。佐藤次郎日本語教育振興協会理事長「開会挨拶」。京都セミナーはこれで8回目だそうだ。及川信之実行委員長(東京三立学院副校長)「趣旨説明」。この日は発題及び協議が中心。発題は3本。
平岡憲人(清風情報工科学院日本語科・校長)「日本語信用度センター計画」
山口修(京都文化日本語学校長)「自己点検・自己評価等プロジェクトをベースとして」「ISOにおける語学教育規格の検討状況について」
真崎裕子(私立専門学校等評価研究機構事務局長)「専門学校における第三者評価制度の実施状況について」

5時半ころ終了。富山国際学院にTEL。
午後6時から交流会。初対面の方々(3分の2以上がそれにあたる)、既知の方々と交流。グラスワイン(白)、オードブル、デザートなど。佐藤理事長と「仲介手数料」の話など。佐藤理事長は東京教育大の大先輩でもある。

8時過ぎ交流会終了。部屋に戻ってシャワーなど。部屋はツインで、参加申し込み時に丸山茂樹校長(I.C.NAGOYA)にお願いして同室に。
午後11時頃就寝。
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by tiaokumura | 2012-10-30 12:44 | 僕は学院長4年生 | Comments(2)

癌日記:TS-1、14クール目

10月23日付朝日新聞記事に「がん生存率公表 全がん協、中核的28病院」(辻外記子記者)があった。記事は、
がん診療の中核的な役割を担う全国31の病院でつくる「全国がん(成人病)センター協議会(全がん協)」は22日、患者のがんがわかってから5年後に生存している割合「5年生存率」を病院別に公表した。
というものである。同記事の終わりに、
部位やがんの進行度を示す病期、性別、年齢などを入力すると、5年生存率がわかるウェブサイトもつくった。30種類以上のがんについて調べることができる。データは(http://www.zengankyo.ncc.go.jp)へ。
とあった。5年生存率がわかったからといってどうなるもんでもないでしょうが^^、自分、アクセスしてみました。

全がん協会生存率」には「くわしいデータ」「かんたんデータ」と2種あるようだ。
かんたんデータ」で、部位(胃)、性別(男)、臨床病期(4期)と入れる。相対性生存率の折れ線グラフと生存率の表が出る。1年生存率39.9%、2年生存率18.2%、3年生存率11.9%、4年生存率8.9%、5年生存率7.1%であった。
一方「くわしいデータ」のほうには、部位(胃)、性別(男)、臨床病期(4期)、年齢(60歳代)、診断から現在までの生存日数(500日)と入れる。相対生存率の折れ線グラフと生存率(実測生存率と相対生存率)の表が出る。ただこちらは5年生存率が無表記だった。0%なんじゃろか(汗)。1年相対生存率0.843(こちらは小数表記)、2年相対生存率0.414、3年相対生存率0.279、4年相対生存率0.216であった。
どちらのデータにも「このがんについて」「病期とは」「治療の方法」「このがんの生存率」「医療者に何を聞くか」「今後期待される治療法」という項目があり、クリックすると更なる情報が得られるようになっている。

僕は、2011年5月末、A病院の検査で癌が発覚。A病院から紹介されたB病院で胃癌4期と診断。2011年6月20日にB病院入院。6月27日、長時間にわたる手術により、胃全摘出・脾臓膵臓摘出、肝臓3分の1除去。約1か月半の入院。その間に抗癌剤TS-1(ティーエスワン)の1クール目、シズプラチン1回目注入。2012年2月19日、腸閉塞で救急車によりC病院搬入。同29日、B病院で大腸癌・腸閉塞手術。3月23~25日の入院(シスプラチン投与)後、入院なし。
今日10月29日から抗癌剤TS-114クール目に入る。14クール目は4週服薬・2週休薬、シスプラチンはなし。
この1年間で、尊敬する島津謹市兄、宮崎さゆりさん(詩人)のご夫君、川渕映子さん(地球の夢)のご主人、富山国際学院スタッフの粕谷謙治さんのご母堂の訃報を知った。母の死は今年2月6日。人の運命(さだめ)のはかなさ。「人や先、我や先」である。

かつては吉川弘文館の歴史手帳を使っていたが、ここ10年以上は高橋書店のNo.104を使っている。年々カレンダーや手帳の発売、早まっていますよね。まだ10月だというのに、来年の手帳をもう購入しました。その新しい手帳、確か去年からだと思うが、3年間分のカレンダーがついている。2013年・2014年・2015年。「主(あるじ)ありとや、三年(みとせ)のち」ですよね(激爆)。
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by tiaokumura | 2012-10-29 06:56 | 癌日記 | Comments(2)

『尹東柱詩集 空と風と星と詩』(岩波文庫)

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金時鐘・編訳
尹東柱詩集 空と風と星と詩
岩波書店(岩波文庫)
2012年10月16日 第1刷
540円+税

尹東柱(윤동주ユン・ドンジュ1917-45)をご存知でしょうか。彼の名を知らなくても、彼の代表的な詩「序詩」(1941年11月20日作)、
死ぬ日まで天を仰ぎ
一点の恥じ入ることもないことを、
葉あいにおきる風にさえ
私は思い煩った。
星を歌う心で
すべての絶え入るものをいとおしまねば
そして私に与えられた道を
歩いていかねば。

今夜も星が 風にかすれて泣いている。

(『尹東柱詩集 空と風と星と詩』p9)
は、どこかで見聞きされたのでは。

本書・金時鐘(キム・シジョン)「解説に代えてー尹東柱・生と死の光芒」から、尹東柱の経歴を辿る。
清怨としか言いようがない詩情を流露してやまなかった非命の民族詩人」「悲憤やるかたない殉節の民族詩人」(p149)尹東柱は、1917年12月30日北間島(ブッカンド。現在の中国吉林省延辺朝鮮族自治州)で生まれた。1941年、延禧専門学校を卒業。
卒業記念として77部限定版の18編(解放後「序詩」の標題が付く一篇が加えられて19篇)の自選詩集『空と風と星と詩』の出版を思い立ちましたが果たせず、自筆で三部の詩稿集を作り、李教授と友人の鄭に一部ずつ贈りました。鄭が保管した一冊が、今日の尹東柱詩集の原本となりました。(p152)
1942年4月2日、立教大学文学部英文科に入学。いとこの宋夢奎(ソン・モンギュ)は京都帝国大学西洋史学科に入学。10月1日、同志社大学英文科に転学。
1943年7月10日、宋が独立運動の容疑で下鴨警察署に逮捕。7月14日、尹も同じ容疑で下鴨警察署に逮捕。1944年3月31日、京都地方裁判所で改訂治安維持法第五条違反の罪で懲役2年の判決。宋も4月13日、同罪で懲役2年。二人とも福岡刑務所に投獄。
1945年2月18日午前3時36分、尹東柱獄死。
尹東柱の臨終を見たという日本人の若い看守は、「東柱さんは何の意味かわかりませんが、大きな声でひと声叫んで息をひき取りました。やさしい人でした」と語ってくれています。(p154)
遺体は火葬されて故郷に戻り、3月6日、龍井の東山教会墓地に埋葬。

本書の構成は、『空と風と星と詩』19篇、「『空と風と星と詩』以外の作品から」として47篇、原詩、金時鐘「解説に代えて」、金時鐘「あとがき」。
尹東柱の詩は、立原道造(たちはら・みちぞう1914-39)の「抒情」、八木重吉(やぎ・じゅうきち1898-1927)の「倫理」を思わせる。政治性が付されて読まれることが多い詩人なのだろうが(とりわけ「序詩」は運命的な匂いを帯びていると感じられてしまう詩である)、若い詩人の純粋な詩情をストレートに鑑賞されるべきだとも思うが、いかがだろうか。彼の詩は、「序詩」もいいが、「恐ろしい時間」(pp22-23)、「風が吹いて」(pp24-26)、「星をかぞえる夜」(pp31-34)が好きだ。

なおWikipedia「尹東柱」によると、同志社大学構内に「尹東柱詩碑」、かつての下宿先(現在は京都造形芸術大学敷地の一部)に「尹東柱留魂之碑」が建てられているそうである。
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by tiaokumura | 2012-10-28 07:27 | | Comments(0)

日本のこころ 大本山相国寺・金閣・銀閣名宝展@富山県水墨美術館

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爽やかで穏やかな秋の日の午前、「日本のこころ 大本山相国寺・金閣・銀閣名宝展」を富山県水墨美術館で鑑賞。
富山県水墨美術館のホームページより、同展について引用。
 臨済宗大本山相国寺は、室町三代将軍足利義満によって創建され、わが国の政治、学問、文化に大きな足跡を標した寺院です。足利家の寺である相国寺からは多くの画僧が輩出され、日本の水墨画の歴史は、相国寺によって発展したといっても過言ではありません。また、義満公によって創建された北山山荘を母体とする金閣鹿苑寺は、力強い北山文化を築いた拠点となり、八代将軍義政公の東山殿を母体とする銀閣慈照寺は、華麗な東山文化を築き、その精華は相国寺派寺院として脈々と受け継がれています。
 本展覧会では、承天閣美術館の協力を得て、大本山相国寺、金閣鹿苑寺、銀閣慈照寺に所蔵されている名宝の数々を紹介します。室町時代から江戸時代の水墨画の名品にスポットをあて、その魅力の神髄に迫ろうとするものであり、また、やまと絵と水墨画の流れをくんで花開いた江戸時代の絵画、各寺院に伝来してきた名物茶道具など、あわせて68点を、前期・後期に分けて展示します。


相国寺・金閣・銀閣について、展覧会図録より抄出。生没年は奥村が付加。
相国寺:正式名称は「萬年山相國承天禅寺(まんねんざんしょうこくじょうてんぜんじ)」。創建・足利義満(あしかが・よしみつ1358-1408)、開山・夢窓疎石(むそう・そせき1275-1351。ただし、創建時すでに故人)。京都五山の第2位。臨済宗相国寺派の大本山。
金閣:正式名称は「北山鹿苑寺(ほくざんろくおんじ)」。足利義満の北山殿が義満没後臨済宗相国寺派の禅刹に改められた。開山・夢窓疎石、「鹿苑寺」は義満の法号「鹿苑院殿」から。
銀閣:正式名称は「東山慈照寺(とうざんじしょうじ)」。足利義政(あしかが・よしまさ1436-90)の東山殿が義政没後臨済宗相国寺派の禅刹に改められた。開山・夢窓疎石、「慈照寺」は義政の法号「慈照院」から。

本展覧会の前期は11月25日まで。全68点中、前期は40点余。後期は11月6日~25日。
前期の展示は、長谷川等伯(はせがわ・とうはく1539-1610)は「探梅騎驢図(たんばいきろず)屏風」(相国寺蔵)、俵屋宗達(たわらや・そうたつ?-1640?)は「蔦の細道図(つたのほそみちず)屏風」(相国寺蔵)他、伊藤若冲(いとう・じゃくちゅう1716-1800)は「竹虎(ちくこ)図(双幅)」(鹿苑寺蔵)、など。等伯「探梅騎驢図~」はどこまでが等伯の筆になるのかわかりにくく、後期の「萩芒図屏風」のほうが傑作のように思う。若冲は画題が「虎」なのでリアリティに欠け(しかたないですよね)、彼らしさを期待すると失望する。
そんなわけで勝手に^^前期トップ5(展示順)。
①周文「真山水図」、②能阿弥「雲龍図」、③狩野元信「中商山四皓図・左右山水図」、④円山応挙「七難七福図絵巻」(絵巻なので一部しか見られない)、⑤吉州窯(きっしゅうよう)「玳玻盞散花文天目茶碗(たいひさんさんかもんてんもくちゃわん)」。

富山県水墨美術館・本展の公式サイトはこちら
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by tiaokumura | 2012-10-27 13:56 | 美術 | Comments(0)

新入生歓迎会@岩瀬スポーツ公園

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富山国際学院は語学留学生を4月と10月の年2回受け入れている。今日10月26日(金)、2012年度10月新入生の歓迎会入学式は先週金曜日に行なっています。新入生歓迎会、以前は「いこいの村」というところでバーベキューをやったものですが、ここのところ秋の新入生歓迎会はスポーツ大会が恒例になってます。BBQもいいのですが、学院生にはイスラムもヒンズーもおり、更にベジタリアンもとなると食材選びが大変。そういう点スポーツは、音楽や数学や美術などと同じで世界共通(実際は後述するようにそうでもないのだが)。4年前、当時廃校になった小学校が学院の近くにあって、そこで初めてスポーツ(ビーチバレー)をやった。そこは今は県立高校の新校舎建設中で使えない。3年前から、岩瀬スポーツ公園の中にある「健康スポーツドーム」を使用している。4時間借りて5120円(学生対象料金にしてもらっている。コート一面1時間640円。一般は960円)。ビンボー日本語学校^^にはありがたい料金設定である。
スポーツ大会はアイディアウーマンの柳川さんがあれこれ企画してくれる。当日は、学生・教師が富山駅北口に午前9時集合。僕はドーム使用料支払いのため、9時半ころ先に現地に。家から車で10分の近距離です。学生たちは富山駅北口からポートラム乗車。ポートラムは21世紀型の公共交通機関として今や全国区(更には海外からの視察もあるとか)。蓮町駅下車、そこから徒歩20分ほどで現地に。
新入生自己紹介→在校生代表歓迎あいさつ→教師自己紹介と続く。スプーンレース→カニレース→片足ムカデレース。僕は病弱の身(恥)なのでゲームには参加せず得点記録係り。片足ムカデレースは難しくってレース成立せず。ついで本日のメインスポーツになる「ドッヂボール」。昨年も当ブログで書きましたが、ドッヂボールはルールがわかりにくい。我々日本人にはドッヂボールなんてお馴染みのスポーツですが、国際的にはそうでもないんでしょうね、初めてやるって学生が多い。それでも2年生は昨年経験しているからでしょうね、今年は割りとスムーズに実施できた。赤・青・黄・緑の4チームの総当たりリーグ戦。
全競技終って表彰式、記念撮影。学院の今年度は13人の教員なんですが、強制したわけでもないのに、11人の教師が参加。ありがたいことです。アップした写真はドッヂボール風景。広いドームなので映りが悪い。

数日前の新聞記事で知った「全がん協生存率」ってぇのをネットで調べてみた。「胃癌4期・男」で調べると1年生存率39.9%2年生存率18.2%だった。1年生存は3人に1人くらいだったのですね。自分、昨年6月に癌発覚(胃癌4期)だったので1年は経過している。深く考えていなかったけど、運がいいほうだったんですね、自分は。さてでは来年の新入生歓迎スポーツ大会に出られるかどうかを思うと(2年生存率は5人に1人弱)、ちょっぴり感慨深い今日のスポーツ大会だった(照)。
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by tiaokumura | 2012-10-26 15:35 | 日本語教育 | Comments(0)

大谷翔平君、MLBに挑戦

webの毎日新聞より転載。
夢に向かって、大谷覚悟のメジャー挑戦
毎日新聞 2012年10月21日 21時39分(最終更新 10月21日 22時31分)
 高校球界屈指の右腕が自らの思いを貫いた。21日、夢を追い求め、米球界を目指すことを表明した岩手・花巻東の大谷翔平投手。日本では前例のない選択だけに困難が予想され、帰国後3年間の復帰制限というリスクもあるが、「覚悟して行かないといけない」と自覚は十分。新たな道を切り開く挑戦が始まる。
 「早い段階であっち(米国)に行きたかった」。直接、大リーグを目指す理由を大谷はこう説明した。プロ野球に進んだ場合、海外フリーエージェント(FA)権の獲得は早くても9年かかる。花巻東の佐々木洋監督によると、大谷には早く渡米して、長い選手寿命の中で活躍したい考えがあるという。
 95年に野茂英雄が大リーガーとなって以降、日本選手が次々とメジャー入りし、大リーグは日本人にとってなじみの深いものとなった。佐々木監督は「(直接)メジャーを目指す子供たちが出てくる」と指摘。大谷も、松坂大輔(レッドソックス)らの活躍に刺激され、大リーグを夢見るようになった。
 言葉や文化の違いなどから大谷を思いやり、国内球団を勧める周囲の声に悩んだが、大リーグへの強い思いは変わらなかった。異国の地で激しい競争を勝ち抜き、マイナーからはい上がるのは容易ではない。それでも、09年に同じように日米どちらの球界に進むか揺れ、涙ながらにメジャー断念を表明した花巻東の先輩、菊池雄星投手(西武)とは対照的に、大谷の表情は明るかった。
 「できるだけ早く(メジャーに)上がれるように頑張りたい」。大リーグのマウンドに立つ夢に向かって突き進む。【立松敏幸】

大谷翔平(おおたに・しょうへい1994-)。「翔」は戦うと飛ぶイメージの源義経から、「平」は奥州平泉から、それぞれ取ったそうだ(Wikipedia「大谷翔平」より)。193cm・86kg、最速160km/h。日本では超高校級だろうが、メジャーでは普通かもしれない。日本ではそれなりの実績があってもアメリカでは最底辺からの出発になるだろう。それでもメジャーに挑戦する心意気やよしである。
日本の若者のハーヴァードなどへのアメリカ留学が減少し、中国・韓国と大きく差を広げられている。就活・留年などの事情もあるのだろうが、10年後・20年後を考えたとき、大きな損失が生じるだろう。そんな中、野球ではあるが大谷翔平君のMLBチャレンジは快挙である。
菊池雄星ダルビッシュ有に憧れていた大谷君は、やがて自らが憧れられる存在になる可能性大である。アメリカでは厳しい競争が待ち構えているだろうが、東北魂で雄々しく立ち向かっていってほしい。
それにしても、ダルビッシュ有、田中将大、菊池雄星、大谷翔平を生み出した北国パワーはすごい。東京中心のプロ野球地図を塗り替えていますよね。
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by tiaokumura | 2012-10-22 07:11 | このブログのこと | Comments(2)

信時潔作曲『海ゆかば』(朝日新聞「歌の旅人」)

僕は1946年10月生まれだから戦無派・完全戦後派。だが軍歌・戦時歌謡(国民歌謡)・戦前流行歌の「ここは御国を何百里」も「貴様と俺とは同期の櫻」も「若い血潮の予科練の」も「徐州徐州と人馬は進む」も「泪羅の淵に波騒ぎ巫山の雲は乱れ飛ぶ」も「俺も行くから君も行け狭い日本にゃ住み飽いた」も「あああの顔であの声で」も「さらばラバウルよまた来るまでは」も「昭和昭和昭和の子どもだ僕たちは」も「とんとんとんからりと隣組」も歌える。なぜなんでしょうね。歌うことを強制されたわけでもないし、家族や近所が歌っていたわけでもないし、神国日本や特攻や七生報国や昭和維新に憧れたわけでもない。「歌の力」というものは、想像以上に強く深く濃いのかもしれない。
2012年10月20日付朝日新聞「うたの旅人」信時潔作曲「海ゆかば」だった。朝日新聞はこの歌を「戦後長い間、タブーのように忌避されてきたが、最近、見直しが進んでいる」ということで取り上げたのだろうが、朝日と「海ゆかば」は僕には意外な組み合わせである。
記事中には信時潔(のぶとき・きよし1887-1965)の写真も載っているが、明治生まれの僕たちの祖父の典型的な顔のように思われる。彼の父は大阪北教会の牧師。「賛美歌がルーツともいえるこの荘重、静謐な歌が、なぜ軍国主義を後押しした音楽とみなされるようになったのだろうか。」。記事は述べる。
・・・この歌がにわかに「特別扱い」になったのは、潜航艇でハワイの真珠湾をめざした特別攻撃隊(9軍神)の戦死報道(42年3月)で放送されたあたりからだった。/さらに、山本五十六連合艦隊司令長官の戦死(43年4月)、アリューシャン列島玉砕(同年5月)などの悲劇的なニュースには、この歌がきまって流された。敗色が濃くなるにつれ、この歌はいっそう、鎮魂歌の意味合いが濃くなった。・・・
信時は戦後、公職につかず、ひっそりと暮らした。「海ゆかば」が、結果として若者を戦場にむかわせたことに、自責に似た思いがあった、といわれる。

「『海ゆかば』は、ラジオ放送用の曲として生まれた。・・・日本放送協会は国民精神総動員運動の一環として、万葉集から大伴家持の歌を選び、信時潔に作曲を依頼、1937年10月、放送された」(同記事より)。
万葉集巻十八・4094。聖武天皇の詔書に呼応する形で大伴家持(おおともの・やかもち718?-785)は高揚した気持ちを「陸奥国に金を出だす詔書を賀く歌」に詠う。その一節に父祖代々の「言立て」(誓い)として引用されているのが「海ゆかば~顧みはせじ」である。時に天平21年、越中守・大伴家持は31歳であった。死後、官位を剥奪されるなんて思ってもみなかったでしょうね。
海行者 美都久屍 山行者 草牟須屍 大君乃 敝尓許曽死米 可敝里見波 勢自
海行かば 水漬く屍 山行かば 草生す屍 大君の 辺にこそ死なめ 顧みは せじ
うみゆかば みづくかばね やまゆかば くさむすかばね おほきみの へにこそしなめ かへりみはせじ
海を行くのなら水につかった屍、山を行くのなら草むした屍をさらしても、大君のそばで死のう。わが身を顧るようなことはしない
(原文・訓み下し文・現代語訳は、高岡万葉歴史館・編『越中万葉百科』草間書院 による)

朝日新聞「うたの旅人『海ゆかば』」は、文・牧村健一郎、写真・水野義則
10月21日は69年前、東京・神宮外苑で出陣学徒壮行会があった日だ。この壮行会でも歌われ、地の底から湧き出るような大合唱が、神宮の森を震わせた。」(同記事より)

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by tiaokumura | 2012-10-21 06:56 | 音楽 | Comments(0)

2012年度10月新入生・入学式

木曜日はずいぶん寒い一日でしたが、昨日金曜日は秋晴れのいいお天気でした。
昨日2012年10月19日(金)、2012年度10月生の入学式及びガイダンスを行なった。語学留学生で未来日が2名いるが、予定通りに実行。来週金曜日は新入生歓迎会です。
毎度悩みの種の学院長式辞、今回は前回のを流用した(恥)。
以下「学院長式辞」、①~⑫は在校生による中国語・英語通訳が入る箇所。

富山国際学院2012年度10月新入生の皆さん、入学おめでとうございます。

今、皆さんは日本に留学できた喜びが80%、これからの不安が20%といったところでしょうか。皆さんの富山国際学院での語学留学期間は人によって違いますが、日本で・富山で・富山国際学院で、実りある留学生活を送ってください。

富山国際学院は日本で一番小さい日本語学校です。そして学校のある富山は、東京や大阪と比べるととてもいなかです。富山には、ディズニーランドもスカイツリーもユニバーサル・スタジオ・ジャパンもありません。富山国際学院に入学してガッカリした人もいるかもしれませんね。

でも日本一小さい日本語学校、いなかの日本語学校だからこそ、いいところもあります。

まず、この学校には13人ものすばらしい先生方がいます。皆さんが、日本で一番小さい富山国際学院でたくさんのいい先生に出会えるよう願っています。

それから、学校の名前に「国際」という名が入っているように、いろいろな国・地域からの学生が富山国際学院で日本語を勉強しています。この学校の2012年度の学生には、中華人民共和国・ネパール連邦民主共和国・ベトナム社会主義共和国・カナダ・中華民国・タジキスタン共和国・タイ王国・フィリピン共和国・インドネシア共和国・ブラジル連邦共和国・大韓民国出身の学生がいます。
皆さんが、富山国際学院で、同じ国出身者だけではなくいろいろな国・地域の友達ができるよう願っています。

富山は確かににいなかですが、大都会のようなひどい誘惑や生活苦や危険は、全くないとは言えませんが、少ないです。大きな地震や津波の心配もありません。
皆さんが、いなかの富山で安全安心な留学生活が送れるよう願っています。

さて、皆さんがこの学校で勉強する日本語は、けっして難しい言語ではありません。たくさん話してたくさん聞いてたくさん書いてたくさん読んで、日本語が上手になってください。今はまだ無理ですが、3か月後くらいには今日のような通訳がいなくても大丈夫なほど日本語が上手になってください。

これからの留学生活では、泣いたり笑ったり怒ったり喜んだりいろいろなことがあります。いいこと・楽しいこと・嬉しいことばかりではありません。つらいこと・いやなこと・苦しいこと・困ったこともたくさん出てきます。

料理・掃除・買い物・洗濯・お金の管理など、今までは親がやってくれていたことを自分でしなければなりません。アルバイトでは叱られたり失敗したりも出てくるでしょう。

私たち13人の日本語教師は皆さんのために精一杯の努力をします。皆さんも、自分自身のために、母国の家族や友人のために、ここ富山で悔いの残らない留学生活を送ってください。日本留学を通じて皆さんが大きく成長することを願っています。

皆さんのこれからに期待して学院長式辞を終わります。
入学、ほんとうにおめでとう!

2012年10月19日
富山国際学院・学院長 奥村隆信
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by tiaokumura | 2012-10-20 06:38 | 僕は学院長4年生 | Comments(0)

癌日記:10月18日(木)、CT検査

10月18日は9月6日以来の病院日、予約診療
今回持参した本は
丸谷才一『快楽としての読書[日本編]』(ちくま文庫)
森まゆみ・中島岳志『帝都の事件を歩く』(亜紀書房)
丸谷才一(まるや・さいいち1925-2012)さん、亡くなられましたね。彼の小説は吉永小百合で映画化された『女ざかり』以外全く読んでいない。文学史関係もほとんど興味がない(難しすぎる^^)。僕にとっての丸谷は、スピーチの名手、優れた書評家、エッセイの達人、だった。彼の旧仮名遣い使用の文体も好きです。これまでに自分、いろんな人の文体を真似たことがあるんですが、丸谷の普通体に文脈の要求によって丁寧体が混ざるところ(書き言葉と話し言葉のコードスイッチングとも言えるか。逆もあり)なんかは、影響受けています(←大家に不遜な言い方だけど)。本書では冒頭に「書評とは何か」を扱ったエッセイ3編が採録。書評は122あり、井上ひさし『私家版日本語文法』・『広辞苑(第四版)』・須賀敦子『ミラノ 霧の風景』・辻邦生『背教者ユリアヌス』・橋本進吉『古代国語の音韻について』・村上春樹『スプートニクの恋人』・吉田健一『私の食物誌』・吉田秀和『ソロモンの歌』・吉行淳之介『砂の上の植物群』・和田誠『倫敦巴里』など。
森まゆみ(もり・まゆみ1954-)は「谷根千」で有名ですがちゃんと読むのは初めて。中島岳志(なかじま・たけし1975-)が森を案内役にして東京を散策する。中島の「まえがき」から引用すると、「空間は時間を記憶しています」(p16)、「私は東京を生きている方と一緒に、帝都の時間を歩いてみたいと思いました。生活者でなければわからない東京の肌感覚を、しっかりと言語化してこられた方と、東京の時空間を掴みたいと思いました。」(p17)。森の「あとがき」では、「中島岳志さんは私の息子といってもいい年頃である。」(p332)。本書本郷編では、石川啄木・金田一京助・樋口一葉・宮沢賢治・井上日召・朝日平吾・森有正・暁烏敏らが出てくる。宮沢賢治と田中智学(たなか・ちがく1861-1939)との関係も丁寧に説明している(p32)。

8時半、病院受付。中央処置室で採血。採血のナース、入院中に担当だったことのあるSナースだった。僕のことを覚えてらっしゃってちと照れくさかった。9時半、放射線科。担当ナースがこれまた僕のことを覚えてらっしゃって照れくさかった・その2^^。彼女によると、僕は2月にCT検査を受けている。自分、そんなこともすっかり忘れてました。血圧測定、CT検査の説明、注射など。CT検査。検査中、造影剤注射、体が熱くなる。
11時過ぎ、血圧測定(104-69.脈拍61)・体重測定(着衣で54.3kg)。11時半前、外科診察室。主治医のTドクから説明。CT検査結果―肝左葉に多発病変あり、次回MRI検査に。CTはレントゲン、MRIは磁気という違いがあるようです。癌の転移は見られない、軽い貧血気味ではあるが腫瘍マーカーも基準値内で「今のところ上出来」(Tドク)。抗癌剤TS-1は、このままで推移していけば、手術後2年間の服用で2013年6月で終わりになりそう。
次回の診療予約は11月29日(木)TS-1の14クール目は10月29日から4週間服用・2週間休薬。

会計。今回は「画像診断」が1970点で、26850円→8060円支払い。院内の食道で昼食。おにぎり1つ・鮎塩焼き1尾・ブリかま塩焼き、計500円。ブリかま塩焼きは半分以上残してしまった。
薬局。TS-1が28日分で9100点。「大建中湯」「タフマックE」「フリバスOD」「フェロチーム」など計8種類の薬で、10979点。109790円→32940円支払い。

午後1時過ぎ、富山国際学院に出勤。4時まで勤務。
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by tiaokumura | 2012-10-19 07:39 | 癌日記 | Comments(2)