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2011年5月の読書

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もう5月も終わりに近いというのに、富山の今日、最高気温20℃いかなかったんじゃないだろうか。自室のこたつ、例年ならもうとっくに解体しとる頃なんですが、今年はまだ使用中です。
そんな5月の僕の「読書」、今年は「月に三冊以上完読」が目標なんですが、今月はバタバタしとってまだ1冊もまともに読み終わっとらんがで(恥)、写真だけでのご紹介でご勘弁を^^。

読書絡みの話題を一つ。
朝日新聞5月28日付「再読 こんな時こんな本」は「読むジャズ」(春山陽一)でした。書店員がお薦め本を紹介するコーナー、今回は宮崎穣(八重洲ブックセンター八重洲本店)って方が担当で、
山下洋輔『新ジャズ西遊記』(平凡社)、中山康樹『マイルスを聴け! Version8』、菅原正二『ぼくとジムランの酒とバラの日々』(駒草出版)
の三冊。かねごん先生(一関)のブログにもしばしば登場する菅原正二の本、宮崎によると「日本で一番音が良い(一番音が大きい)といわれる店のあるじの、レコード再生にかける全身全霊の熱意が各所から読み取れる。読むと、お店に行ってみたくなるはずです」。一関の「ベイシー」、死ぬまでに1回は行っておきたいですね。記事には『ぼくと~』の表紙写真も載ってて、そこにはMy DAYS OF WINE and ROSES with JBL。
「記者のお薦め」は、和田誠・村上春樹『ポートレイト・イン・ジャズ』(新潮文庫)。「見るなら」には先日当ブログで取り上げた『死刑台のエレベーター』。DVD、紀伊国屋書店販売で3990円だそうです。
どうでもいいことなんでしょうが^^、「マイルス」って、僕もずっと「マイルス」で通してきたのだけど、藤岡靖洋では「マイルズ」なんですね。どっちが正しいんだろう。
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by tiaokumura | 2011-05-30 19:40 | | Comments(4)

「和田とも美さん 韓流に乗らず究める」(朝日新聞「フォーラムとやま」)

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最近当ブログをご訪問いただくようになった方にはにわかに信じがたいことかもしれませんが、僕は2006年4月に富山大学人文学部言語学コース3年次に編入学し2008年3月に卒業しました。年齢で言うと59歳から61歳のことです(照)。右の「カテゴリ」に「僕は大学3年生」「僕は大学4年生」「卒業論文」とあるのは、その当時の大学生活を綴ったものです。自分なりに充実した2年間じゃったかなぁとは思いますが、今はもう怖くて(謎爆)当時の記事を読み直すことはほとんどない。
富山大学では専攻の言語学では呉人惠教授・安藤智子准教授に多大なご指導を受けました。半ばジジイ化しとる「学生」、ご指導、大変じゃったでしょうね(激爆)。自分、2年間で卒業しようってんですから好きな授業を自由に選択ってのほとんどできなかったのですが、何人か今でも印象に残る先生方がいらっしゃる。還暦前後でナマイキな学生だったからでしょうね、「つまんない教官」も約*名おらっしゃったけんど^^。

今朝(2011年5月25日付)の朝日新聞富山版の「フォーラムとやま」は和田とも美先生(富山大学准教授)で「韓流に乗らず究める」(成川彩記者)。写真キャプションは
「浮ついた韓流には乗れない」と話す和田とも美・富山大准教授
記事から和田先生の略歴を辿ると,高校→東京外大→ソウル大大学院→富山大学教官ということになろうか。
富山大学生時代に僕は、和田先生の授業は2006年前学期「朝鮮言語文化概論」を受講した。先生、当時30代半ばってことになるでしょうか。今回この記事を書くにあたって先生の授業ノートを探してみたが見つからない(泣)。僕、2年間の富山大学生時代で「これは」って授業のノートは取ってあるんですね。読み返すこともないのでしょうが「青春」の形見なんでしょうね(照)。ところが整理が苦手なのでどこかに紛れ込んだみたい。
先生の授業は日本植民地時代の朝鮮大衆文化がテーマだった。取り上げるジャンルは音楽・映画・文学・舞踏・ジャーナリズムなど。毎回膨大な資料が配られ、それらは普通に集めようとしても困難なものばかり。崔承喜(최승희チェ・スンヒ1911-69?)も当然出てきました。DVDだったんでしょうか、映像も見ることができた。崔承喜は、高野悦子が岩波ホールで藤原智子監督『伝説の舞姫・崔承喜-金梅子が追う民族の心-』を上映したので知った方が多いかもしれませんね。
和田先生の授業では毎回最後にその日の授業の感想・質問を書かせる。そういうの何とかっていうのですが、記憶アホなんで忘れました(恥)。翌週先生が書かれた質問に答える。ある時、質問者の名前は言われないのですが「あ、ワシじゃ」ってのがあった。で、内容も忘れた(記憶アホ^^)のですが、視点がいいとか褒められてめっちゃ嬉しかった(激爆)。
先生は学生に阿らない・厳しい先生でもある。ある時学生の質問で「日本が植民地にしたおかげで朝鮮はインフラが整備され後の発展があったのではないか」といったような質問があった。「大東亜戦争」もそうですが、ときどきそういうアホな発言をする政治家がいますが、この学生、アホなわけではなく単純に「歴史を学んでいない」せいでしょうね。本人が悪いのではなく教育が悪い。和田先生は「日本が植民地にしてなければ、朝鮮民族はもっと早く発展していました」といった感じできっぱりご回答。
人文学部棟の外には、今はもうなくなったでしょうが、あの当時は喫煙場所があった。ある時そこで喫煙していたら和田先生がお子さんを抱いてやってこられた。その頃には自分もいっぱしの大学生になっとったもんで^^図々しくも「先生、どうなさったんですか」とお聞きした。先生「子供が熱出して、保育園、預かってくれないの」というご返事。育児と大学の両立、大変なんでしょうね。富山大学、育児施設あれば全国・全世界から優秀な女性研究者、集まってくるんじゃないでしょうか。大学も難しい時代-富山大学も大胆なプロジェクトを打ち出さなきゃ、生き残れないでしょうね。

朝日記事にもありますが「富山大の韓国・朝鮮文学研究は知る人ぞ知る老舗」です。僕の若い頃、梶井陟(かじい・のぼる1927-88)が高名だった。梶井陟は『36人の日本人 韓国・朝鮮のまなざし』(明石書店 2005年)にも「他日を期した人物」として与謝野鉄幹・石川啄木・幸徳秋水らと共に取り上げられています。
僕は富山大学生時代、藤本幸夫教授の最終講義「私と朝鮮学」も受講しました。和服をお召しになった奥様が僕の斜め後ろで聴講されていました。藤本先生は今は確か麗澤大学だったか。

僕は小中学生の頃「在日」のクラスメートもいた。高校生時代の『キューポラのある街』では帰還シーンもあった。政府・自民党・社会党・日赤・総連あげての「北の楽園」への「帰還」運動。「在日」は「生き地獄・日本」より「北の理想国」に生きる場を求めた。あれから約半世紀、原発も「安全安心」「クリーンエネルギー」というふれこみだった。いつの時代にもだまされるのは・犠牲になるのは「庶民」なのだろう。東京での大学生時代、初めて参加したデモは「日韓基本条約」反対だった。日本の戦争責任をあいまいにし南の独裁政権に手を貸すことの愚に反対してのフランスデモだったか。『イムジン河』を聴いたのも東京時代だった。時代は一気に下って映画『シュリ』との強烈な出会い。『冬のソナタ』もけっこうハマった。梁石日『血と骨』も井筒和幸監督『パッチギ』もよかった。日本語教師として韓国人・朝鮮族学生とも何人も出逢っている。

朝日記事によれば和田先生の研究テーマは李光洙(이광수イ・グァンス1892-1950)。韓国では「夏目漱石のようなポピュラーな存在」だそうで「韓国留学時代に書いた博士論文を日本語で書き直し、今夏にも単行本として出版」のご予定だそうです。なお、崔承喜も李光洙も現在の韓国では「親日派」です。かの国で「親日」は、ご存知でしょうが、「売国奴」です。一日本人としては痛恨至極です。
記事タイトル「韓流に乗らず究める」は、和田先生の以下のようなことから。記事引用。
大学ホームページの教員紹介には「『韓流』について勉強するところではありません」とうたい、現代語もおぼつかない学生に容赦なく古典を学ばせる。授業で見せるのは韓流スターのドラマではなく生の韓国人が出るドキュメンタリー。お蔭様でブーム以来学生は減少傾向という。
引用最後の一文はイマドキの大学・学生への痛烈な皮肉でしょうね。「お蔭様で」なんてよくぞ成川彩記者書いた!と言いたい。僕だったら「(激爆)」なんてのを句点にしたかもしれん(激爆)。
和田ひろ美先生のような硬骨漢(先生は女性だけど^^)が大学教官であると思うと、僕なんぞはなんだかホッとする。

写真上でだが、久しぶりに拝見する和田ひろ美先生のお顔。なんだかお疲れのような表情で、教え子(遥か年上じゃけんど^^)としては心配。
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by tiaokumura | 2011-05-25 20:57 | 富山 | Comments(0)

土井佳彦さん(NPO法人多文化共生リソースセンター東海)のお話を伺う

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(5月22日夜・記)
5月19日(木)、富山駅前CiC3Fであった講演に参加。
土井佳彦(NPO法人 多文化共生リソースセンター東海 代表理事)
地域の”構成員”としての外国人-東海地域の事例から-
主催 富山市民国際交流協会(TCA)

5時からと聞いていたのでそれに間に合うように富山国際学院を出て徒歩で会場に向かったのですが、4:50頃に会場で受付してたら司会者の「それでは土井さんお願いします」ってな声が聞こえて焦った^^。
前から3列目があいていたのでそこに座る。イマドキはみ~んなそうなんでしょうね、パワーポイントを使いながらの土井さんの講演。僕は手元のレジュメに書き込みながら拝聴。
愛知県は東京に次いで全国第2位の約21万人の外国人が住むそうです。日本全体220万人の約1割。講演、「主な活動」「多文化共生」「東海地域の事例」「東日本大震災から・・・」と進む。最後に「市民の国際化とは心に国境を持たないこと」で終わる。
質問時間があったので挙手して(小心者のワシにはずいぶん勇気がいった^^)直接質問。
「NPO法人富山国際学院で日本語教師をやっている奥村と申します。貴重なお話ありがとうございました。今回の東北地方太平洋沖地震では私もネットの恩恵を被りました。ただ節電チェーンメールにも引っかかって、ネットって怖いなぁというのも実感しました」で切り出す。
「今回の被災で自分も何かしたいと思いました。その一つで、5年ほど前に始めたブログで約40日間そのトップに『東北地方太平洋沖地震に関する外国語による情報提供』を貼り付けました。そのことで土井さんに2つ質問させていただきます。
私は日本語以外はチンプンカンプンなのですが、そのような外国語情報リソースを載せるのはどうなんでしょうか。掲載したリンク先は、日本語教育学会・朝日新聞・東京外大・仙台国際交流協会・弘前大など信頼できる筋なのですが、でも自分が全てアクセスして確認した情報ではない。外国語がわからないのですから、信憑性だって得てません。私のような場合、情報発信にあたっての信憑性の確認はいかがすべきなのでしょうか。
もう1つ。私如き者が貴重な情報を勝手にブログに貼ることは許されることなのでしょうか。ネチケットとか言います。私はやってませんがtwitterやFaceBookもそうなんでしょうが、個人が勝手に今回のように貴重に構築された情報を展開する際のマナーとかモラルはどのように考えたらいいのでしょうか」
とまあ、長すぎる&個人的すぎる質問(恥)ですが、大意そのような質問をさせていただいた。
愚問だったかもしれないが、今回の土井さんの講演を知って以来、ぜひ土井さんにお聞きしたかった質問です。
土井佳彦さんは実に丁寧に答えてくださいました。土井さんのご回答、引用を間違えるとご迷惑をかけるので割愛しますが、キーワードは「緊急時」でした。
質問時間、ボクで時間切れじゃった。質問を用意してた方々、ごめんなさい。

講演の後CiC5Fで土井さんをメインゲストに懇親会。各テーブルに分かれてで僕は泉興長先生とご一緒でした。1941年12月8日のこと・1945年8月15日のこと・音韻のことなど、先生から貴重なお話をたくさん聴けました。いつか機会があったらゆっくり3時間くらい先生のお話を聴きたい。
懇親会途中で土井さんの席に伺い、さっきの質問の材料のブログ記事「東北地方太平洋沖地震に関する外国語による情報提供」をお見せする。アップした写真日南田美幸さん(富山市民国際交流協会)に撮っていただきました。土井さんってサービス精神旺盛な方なんでしょうね、ブログ記事、胸にかざしていただきました^^。
日南田さんから「土井さんを囲んでの2次会があるのでいかが?」と誘われる。もっと土井さんのお話を聴きたかったので即OK。図々しすぎる男じゃったかも(汗)。

6:15、土井さん・日南田さんと東急エクセルホテルのロビーで待ち合わせ。3人で徒歩で環水公園へ。30分近く歩いたでしょうね。土井さん、環水公園の夜景に「こんなの名古屋にない!」と感動されてました。
スターバックスに入る。原和子先生(ゆうゆう)が先着でテーブルにたくさん広げてお仕事中でした。原先生は僕が日本語教師を目指していた頃に既にしてカリスマ日本語教師。ここ3年ほどでやっと原先生の目を見て会話できるようになりましたが(激爆)、原先生はボクにとって永遠に「原節子」です(謎爆)。
スタバではバニラクリームフラペチーノ550円。僕は環水公園のスタバは初体験です。ここ、富山国際学院から近いので、これから孤独になりたい時^^、ときどき利用しそう。公園にはフレンチの鉄人・坂井の店もオープンしています。
土井さん・原先生・日南田さん、それにもう一人と僕の計5人でおしゃべり。ゼータクな時間でしょうね。ポートラムの最終になるので10時半頃辞去。

ここ数年、それまでの人生の数倍の出逢いがある。普通この年では人生の収束に向かうわけですから、自分って幸せな人生なんでしょうね。そんな僕が最近とりわけ感じているのが30代の魅力ある人々。土井佳彦さん青木由香さん(アレッセ高岡)が代表格でしょうね。共通点は、PCに強くいろんなメディアを使い分け使いこなしていること、話が上手で外国語が堪能なこと、柔軟な発想ができること、フットワークが軽いこと、周囲から絶大な信頼を勝ち得なおかつ(だからこそ、かも)多くの賛同者・支援者を得ていること、凹まず打たれ強くタフな精神を持っていること、志や夢を持続していることなどでしょうか。僕にないものばかりです。世代に囲い込んでものを言うのは危険なところもありますが、僕が最近出逢う30代を見ていると、「日本はまだまだ大丈夫だなあ」と思う。

一時期は絶不調だった体調、ここのところ少し持ち直している。今日の収穫を反芻しながら&月(十六夜だったんでしょうか)を見ながら富山駅北口へ。ポートラム最終で帰宅。

土井佳彦さま、本日は長時間ありがとうございました。
またお目にかかれる日があるのを楽しみにいたしております。

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by tiaokumura | 2011-05-19 19:34 | NPO | Comments(2)

岐阜県美術館でルドンを観る

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(5月22日午後・記)
カーテンを閉めないで寝てたせいもあって5月18日(水)午前6時過ぎ、宿泊先のチサンイン名古屋で目が覚める。夜間頻尿^^、旅先でもあんまし変わんない。3回以上はトイレに行ったかなあ。とほほ。いったん目が覚めたがまだ寝ててもいい時刻なので、カーテンを閉めてもう少しまどろむ。
8時前起床。シャワー・出発準備、チェックアウト。
今回の名古屋1泊、この機会に岐阜県美術館行きを予定に入れてた。僕は数年前大原美術館(倉敷)に行って、国内で行きたい美術館は残り川村美術館(千葉県)と岐阜県美術館の2つになった。岐阜県美術館は、オディロン・ルドン(Odilon Redon1840-1916)のコレクションでは日本一なんですね。僕は20代の頃に粟津則雄の本か何かでルドンに出逢った。性に合ってたんでしょうね、好きになりました。フランス語版でハードカヴァーのルドン画集も買いました。東京時代に古本屋に売ってしまったの、今でも後悔してる。2000年夏、妻とパリに行った時、オルセーでルドン作品観賞。ルーヴルもオルセーも確か写真撮影OKなのですが(日本の美術館を知る者としては不思議)、ルドンの展示室は照明が落としてあってフラッシュ撮影したら係員に注意された苦い思い出も。あれ、撮影禁止だったのかフラッシュ撮影禁止だったのか、どっちだったんだろう。
今回の名古屋出張で待望の岐阜県美術館行きの時間が取れた。

5月18日(水)、JR名古屋駅構内の「おらが蕎麦」で朝食、とろろざるそば。東海道線で名古屋→岐阜、約30分。岐阜駅からはバス。バスターミナルのボランティアガイドなんでしょうね、ユニフォーム姿の女性に乗るバスを教えていただく。JR岐阜→県美術館、バス約15分。
早く着きすぎたので庭のベンチで讀賣・日経2紙。午前10時前、「どうぞ」という声で館内に。ロッカーに荷物を預ける。
受付嬢に「富山からルドンを観に来たのですが」と申し上げる。でもこれ、嘘じゃないけど、正確な言い方じゃなかった。「名古屋出張を利用してルドンを観に来ました」と言うべきだったかも。僕は事前にネットでチェックしていて、この日行ってもそんなにルドン作品は観られないとわかっていたのですが、受付嬢は富山からの遠来の客に申し訳ないと思われたのでしょうね、今観られる作品はわずかしかない旨、恐縮しながら話される。ルドンコレクションの図録も過去のルドン展の図録もないとのこと。グッズもあいにく水曜は売店休みで入手不可。でも彼女から貴重な情報が得られた。7月4日~10月3日は岐阜県美術館は再整備工事のため休館するのですが、その間所蔵のコレクションを静岡・京都・東京と巡回。巡回展のタイトルは「夢見る世紀末 ルドンとその周辺」。僕、静岡は無理なので、京都か東京で観ようと思う。
京都:美術館「えき」KYOTO 10月15日~11月13日
東京:三菱一号館美術館 2012年1月17日~3月4日
今年は行きたい美術展は、「レンブラント展」(6月25日~。名古屋)・「空海と密教美術展」(東京)・「プラド美術館所蔵 ゴヤ~光と影」(東京)の3つだったのですが、楽しみが増えました。

常設室になるのでしょうね、320円の入館料。
第2室「ルドンと黒い幻想の系譜」で、『ゴヤ頌から』の「Ⅰ夢の中で私は空に神秘の顔を見た」・「Ⅳ胚芽の如き存在もあった」他2点。
第3室「ルドンと親交のあった画家たち」で、「ダブル・プロフィル」「オディロン・ルドンの肖像」「わが子」「エドゥアール・ヴュイヤール」「ピエール・ボナール」「リカルド・ビニェス」「ジュリエット・ドデュ」の7点。
他にポール・ゴーギャン(「ノアノア」など)、熊谷守一、伊東深水など。

退室してロッカーから荷物を取り出して館内で少し休んでたら、さきほどの受付嬢に声をかけられた。先ほど以外の情報あれこれ教えていただく。5月29日の日曜美術館(NHK-E)はルドン特集だそうです。朗報ですね。彼女がおっしゃるのには、前日か前々日だったか、千住明・森田美由紀らが撮影に訪れたそうです。先日の「レンブラント10選」や今夜放映の「国芳10選」のような「ルドン10選」みたい。10作品の中には当然岐阜県美術館所蔵の何作品かも入っているのでしょうね。
アップした写真、ブログ掲載許可を得て受付嬢に撮っていただきました。
受付嬢さま、いろいろありがとうございました。

名古屋に戻り、駅構内の「驛釜きしめん」でざるきしめん。会議までまだ時間があったので、「MERMAID CAFÉ」でクロックムッシュ(ライ麦)&コーヒー。名古屋は喫煙に厳しい土地柄なのですが、ここの2Fに喫煙可がある。
1時から4時過ぎまで東海北陸地区日本語学校協議会

会議のあとJR名古屋駅内の高島屋。三省堂で本を見る、ただし1冊も買わず。ふと思い立って帰りの列車内での夕食を買いにデパ地下^^に。駅弁は昔「峠の釜飯」が好きだったけど、他はあまりおいしいと思ったことはない。今回、デパ地下でお惣菜あれこれを買うことにした。100g単位で買えるもの多いし、あれこれ選べるし、えりすぐりの名品揃いだし、これ、我ながらいいアイディア。今までどうして思いつかなかったのだろう。でも、生存権さえ脅かされている被災者の皆さまには、食べたいものを好きなだけ選べるボクは犯罪者みたいになりますが、なにとぞご容赦を。
「瀬戸内産タコとシャキシャキ野菜のサラダ」「生ハムとルッコラのサラダ」「トリ軟骨から揚げ」「キス天ぷら」「トマトミックスサンド」を買いました。食欲が往時の3割以下の今の身には、いずれも食欲をそそられるものばかり。
名古屋17:48発しらさぎ13号沓水さん(金沢)・蒋さん(富山)と3人。しらさぎ宴会(激爆)。さきほどのメニューと、アルコールは富山から持参した缶入り水割り。いつも一緒の福井の佐藤さんは今回欠席で残念。

次回の名古屋出張は6月24日の予定。
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by tiaokumura | 2011-05-18 10:40 | 美術 | Comments(0)

初めての、一泊二日名古屋出張

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(5月22日午後・記)
東海北陸地区にある40余の日本語学校は、丸山茂樹先生(I.C.NAGIYA)をリーダーに年に何回か名古屋で地区協議会を行っている。その今年度1回目が、日本語教育振興協会(略称「日振協」)の佐藤理事長・上戸部長も招いて5月18日(水)に開かれ、その前夜には懇親会。仕事のやりくりがつきそうなので僕は懇親会・協議会ともに参加することにした。名古屋1泊。富山国際学院で僕は、2008年度にそれまで15年弱の非常勤講師から専任になり、2009年度は学院長職に就き、ここのところ毎年4回以上は名古屋出張があるが、名古屋で泊まるのは初めてです。40年以上昔の大学生時代に、高校時代の親友の奥野君が名古屋のある福祉関係の大学に進学していて、年末年始に名古屋で泊まったことがある。それ以来でしょうね、名古屋泊は。
出張が決まって、以前「アジア人財」でお世話になった田中さん(I.C.NAGOYA)にホテルの手配を頼んだ。うちんとこはビンボー日本語学校なもんで(汗)、「できるだけ安いところで」と頼んだら、さすが田中さん、「3440円」ってのを探してくださった。名古屋で3440円なんてすっごい。でもデフレ日本、喜んでばかりはいられないのだろうけど。

ここのところの名古屋出張は行きは高山線・帰りは北陸線ってパターン。5月17日(火)午前中は富山国際学院で執務、昼頃歩いて富山駅に。ステーションビル3Fの「越中茶屋」でざるそば600円。八尾そば。+150円で大盛りにする。でも量が多かった。ざる2枚分はあったでしょうね。なんとか完食。こういうときは生ビールも頼むのだが今回はなし。
富山発13:02ひだ14号。例によって讀賣・日経2紙。この日はめぼしい記事はなかった。
春の高山本線。富山・速星・越中八尾・猪谷・飛騨古川・高山・下呂・美濃太田・岐阜・名古屋。旧国名でいけば越中・飛騨・美濃・尾張になるのでしょうか。列車の進行に身を任せ、車窓からの風景をぼんやり眺める。きざな言い方をすれば、日本の原風景が展開されているのでしょうね。ただどうしても被災地の光景が重ね合わされていくばくかの罪悪感も。いつもなら車中は読書に耽るのですが、今回は持っていった2書、藤井省三『魯迅-東アジアを生きる文学』(岩波新書)・内田百閒『東京日記 他6篇』(岩波文庫)を全く開かなかった。
車内販売で「スジャータアイスクリーム抹茶」270円。僕はアイスクリームなんてめったに食べないのですが、列車に乗っていてなぜか食べたくなった。最近めっきり食欲が落ち、でもその反面無性に食べたくなるものが出てくる。それは時に冷たいとろろそばや氷見うどんや大門そうめんだったりあんパンや大福やピザトーストだったり冷奴や茶碗蒸しや温泉卵だったり雑炊や中華粥やたらちりだったりウドや銀杏やタラノメだったり砂肝やトリ皮やレバ刺しだったり・・・。我ながら自分の食行動が不可解なことが多いのですが(ほとんどが高いものじゃないのは貧乏性だからなんでしょうね^^)、まぁそんなときには食欲を抑えることはしないで素直に食べたいものを食べています。これでいいのでしょうね。ひだ車中のアイスクリーム、冷凍状態だったんでしょうね、食うのにいささか難儀しました(激爆)。

名古屋入線。「どえりゃぁ亭」で冷やしきしめん。ここ、いつも込んでる店です。名古屋は(大阪もそうですが)僕はおいしいものにはほとんど出会ったことがない。名古屋の食ベスト3は、丸山先生に連れていっていただいた、石鍋裕プロデュースの焼き鳥屋(店名、忘れた^^)が第1位。そこは確か沖縄産の塩を使っていた。2位が「どえりゃぁ亭」(JR名古屋駅ホーム)、3位が「驛釜きしめん」(JR名古屋駅構内)。

今回1泊のホテル「チサン イン 名古屋」は太閤通り口から徒歩約6分、代々木ゼミナール近く。方向音痴のボクですが、ほとんど迷うことなく到着。チェックイン。フロントでもう500円出して少し広い部屋をと勧められたが、500円がもったいなくって(汗)断った。
アップした写真、僕の宿泊ルーム。8平米だったか、確かに「ちょー狭―ッ」ですが、おっさんの1泊はこれで充分です。
シャワーして休んでたら沓水博厚さん(アリス学園)からTEL。偶然なんですが今回、彼もチサンインなんですね。ロビーで待ち合わせて一緒に懇親会の会場に。

6時半から懇親会@嘉文(東洋ビルB1F)。20名くらい。僕の飲み物はビール少し・ジンライム・お茶、料理は数品を少しずつ。
懇親会の後、有志が丸山先生の案内でツインタワー上階のバーで2次会。アルコールは飲みたくなかったのでオレンジジュースに。バーでジュースなんてマナー違反かも^^。丸山先生から「今日は元気がないね」と言われ「体重が10キロくらい減って」と申し上げたら、ビックリされた。
11時半頃ホテルに戻る。
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by tiaokumura | 2011-05-17 17:41 | 僕は学院長3年生 | Comments(0)

中学ミニ同期会@はるや

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(5月22日午前・記)
アップした写真、僕を中心に(嘘爆)、花崎・敬ちゃん(荒井)・谷口・中西・やんまー(山澤)の面々。6人は中学同期生です。花崎・敬ちゃん・谷口・僕は小・中・高校同じ、中西は中・高校同じ、やんまーは中学だけ同じ。
12歳・中学1年生の時、やんまーと出逢い、彼の魅力にひかれ親友に。彼はバレー部、僕はハンドボール部(&陸上競技)で、確か3年の時は一緒に生徒会もやった。彼とは高校・大学は別々で、はたちの頃、京都の彼を訪ね何日間か彼の下宿にやっかいになった。それが最後でいつしか音信不通に。僕が30年ほど前富山にUターンした後、ぜひ彼に会いたいと思ったが杳として行方知らず。Qu’il est facile de se quitter, difficile de se retrouver!(別るるは易し、されど、再び会ふは難しー奥村私訳)ってやつでしょうね。
ところが人生って不思議なもんですねぇ。2009年10月11日付「ブログの奇跡? 中学時代の親友YS君が・・・」にも書きましたが、やんまーが当ブログ「京大生よ、お前たちもか!」(2006年1月27日付)にコメントを寄せてきて、それがきっかけで再会の運びに。FaceBookではそういう旧友の「再会」ってよくあるのでしょうね。僕の場合は「ブログ」ですが、ネットってすごいもんですね。

このメンバーでの飲み会、3回目になるかなぁ。今回は中西が選んだ「はるや」、富山駅南口近くのお店。
中学時代の仲間って気をはらずにお互い好き勝手が言える。それぞれにその後五十年の人生をしょってるから完全に昔に戻ってってのはありえないでしょうが、それでも話が弾んだ。当夜は、ここんところ体調が悪い僕を皆があれこれ気遣ってくれて申しわけなかった。酒も食も進まず会食中気分も悪くなったが、友情のありがたさに浸れた夜だった。
中学時代って青春の入口で、後の人生のあれこれが芽生え始めた時期なんでしょうね。友情や勉強やクラブや恋-いやなこともあったでしょうが、五十年も経つと記憶が浄化されて(っていうか、都合の悪いことは忘れちゃうんでしょうね^^)どっぷりとノスタルジー漬け。今の中学生を思うとずいぶん恵まれた中学時代だったんでしょうね、自分たちは。

2次会、例によって^^カラオケ。花崎は「明日仕事があるので」ってことで脱落。ワシかて翌日名古屋出張なんだけんど(激爆)。お店は中西の行きつけの某スナック@桜町。さっきは体調不良だった自分、歩いているうちにかなり元気回復。先客が1組あり、めちゃくちゃカラオケうまい連中。そのグループとこちらとほぼ交互にカラオケ。僕は
ハナミズキ(空を押し上げて手を伸ばす君 五月のこと)
圭子の夢は夜開く(赤く咲くのはけしの花 白く咲くのは百合の花)
PRIDE(私は今南の一つ星を見上げて誓った)
愛のままで・・・(小鳥たちは何を騒ぐの 甘い果実を欲しいのですか)
を歌った。今考えたらぜ~んぶ、女性歌手の歌だった^^。
メンバー中では歌のうまさでは中西が抜群だけど、でもカラオケは心で歌うもの。三分間のワンマンショーで自己陶酔すりゃいいんです。←ってぇのがオンチな自分の持論です(汗)。聞かされるほうは迷惑じゃろうけんど^^。

生まれ月順では僕が一番に「高齢者」入りするみたい。花崎と僕は現役で他はリタイア済みだが、いずれも僕なんか及びもしない人材。まだまだできることがあるはず。活躍を期待したい。
次回の中学ミニ同期会は11月14日(月)。それまでには酒食、全盛期の6割以上には達しておきたい。そうじゃなきゃ、会費、損じゃもんね(激爆)。
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by tiaokumura | 2011-05-16 20:17 | 富山 | Comments(2)

ゴダール@シネモンド(金沢)

シネモンド(金沢)の『ゴダール・ソシアリスム』上映及びそれに伴う「ジャン=リュック・ゴダール映画祭」の日程がわかりました。正確な情報はシネモンド公式サイトのこちら

『ゴダール・ソシアリスム』(Socialisme 2010)は6月4日(土)~17日(金)。同映画の公式ホームページ日本語版はこちらです。
「ゴダール映画祭」上映作品と上映日は以下の通り。
『勝手にしやがれ』(À bout de souffle 1959):6月5日(日)・8日(水)・11日(土)
『気狂いピエロ』(Pierrot le fou 1965):6月4日(土)・6日(月)
『はなればなれに』(Bande à part 1964):6月9日(木)・13日(月)・15日(水)
『右側に気をつけろ』(Soigne ta droite 1987):6月14日(火)・16日(木)
『映画史特別編 選ばれた瞬間』(Moments choisis des histoire(s) du cinéma2004):6月7日(火)・10日(金)・12日(日)・17日(金)

金沢に住んでりゃ全部観に行くのですが、富山から通いとなると全部は無理。上映時間が未発表なのですが、『気狂いピエロ』は6月4日(土)、『勝手にしやがれ』は5日(日)、『映画史特別編 選ばれた瞬間』は12日(日)がなんとかなるかなあ。『ゴダール・ソシアリスム』はそのどこかの日と組み合わせる。

映画の話題をもう一つ。
朝日新聞富山版では「佐伯龍蔵」という人と「CR.ミール」という人が月に何回かフォルツァ総曲輪上映作品について記事を投稿している。お2人は地元在住で映画愛好家なんでしょうね、文章力もすばらしい。いつかお会いしてゆっくりお話を聞きたい方々です。
朝日新聞富山版5月13日付はCR.ミール「老いてなお加速 若松作品の魂」若松孝ニ(わかまつ・こうじ1936-。『甘い罠』『壁の中の秘事』『赤軍-PFLP-世界戦争宣言』『寝取られ宗介』『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』『キャタピラー』など)監督の次回作は『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち』だそうです。三島役はARATA(あらた1974-。『赤軍-PFLP-世界戦争宣言』で坂口弘役。他に『20世紀少年』シリーズ『キャタピラー』など)。ARATAって若すぎるような気もしますが、市ヶ谷の三島が確か45歳だったから、役としては決して無理な年齢じゃないんでしょうね。同映画、森田必勝・古賀裕靖らも出てくるのでしょうね。
11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち』は2012年春公開予定。

ジャン=リュック・ゴダール(Jean-Luc Godard1930-)は80歳、若松孝ニは75歳。人生って年齢じゃないのでしょうけど、2人、すっごいですよねぇ。
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by tiaokumura | 2011-05-15 11:25 | 映画 | Comments(0)

人生初(?)の健康診断

オクムラ老人^^、2日続きの病院通いです。

昨日金曜日は前立腺肥大症でA医院に。勤務先の富山国際学院では今年度の新しい試みとして、僕の第1・3金曜日の午後は半休にしている。6月はまた変更予定ですが、昨日5月13日は4月22日に次いで僕の2回目の「半休」でした。4月22日に初めて行ったA医院、昨日5月13日に再び。イマドキは便利なんですね、TELかメールで事前予約ができる。13日8時頃、ケータイからA医院にTELしてガイダンスに従って午後3時の予約を取る。その後学院に出勤して、メールなどチェック→C組授業→引継ぎ・授業記録など→同僚の粕谷さんと昼食@ちんかぶ(飛騨ラーメンの店です)→粕谷さんのアパート→学院、などと過ごし2時過ぎ頃帰宅。それからA医院に。
夜間頻尿がひどいので(照)4月22日の半休を利用して初めて行ったA医院。昨日は診察でその後を聞かれ、「夜5回以上だったものが3回に減った」と答える。検査はなかった。薬をもらって帰宅。夜間頻尿って睡眠不足をもたらすので、早く直したいものです。

先月、学院に生活習慣病予防検診の案内が送られてきた。ここんところ、食欲不振・酒量喫煙量減・睡眠の質低下・もの忘れ・目や耳や脚力の衰え・鬱傾向やストレスや心労などなど、ぜ~んぶ加齢に伴う「当たり前」っぽいものばかりなんだろうけど、健康不安があり、まぁ、この機会に1回検査を受けてみようかと思った。僕はこれまで大病とはとんと無縁だった。30代に1回年末年始に1週間くらい肺炎で入院したくらい。丈夫な体に産んでくれた親のおかげ、戦後の幼児少年時代の食生活のおかげでしょうね、この年まで特別な薬は常用せずサプリメントやドリンク剤の類も不要でカロリーメイトなどとも全く無縁。でもここ半年くらいはヤバい健康状態なんかもしれん。今回の検診で肺・胃・大腸・前立腺・肝臓・膀胱などそこいら中の部位に癌が見つかるかもしれんけど、そりゃぁまぁ、これまで健康管理を怠ってきた報いとして受け入れるしかないんでしょうね。
検診申し込みのTEL、まず案内のリストにあるB病院にかける。ここは学院から近くて便利なのだけれど曜日・時間帯が合わず。次にC病院、こちらは自宅から比較的近いのだけれど、これまた曜日・時間帯が合わず。3件目の自宅近くのD病院が土曜日実施で、こちらに申し込む。
前日9時以降飲食禁止、翌日も検査終了まで飲食禁止。そういうのってキツいかと思ったけど、意外と平気だった。困ったのは検便。前日・当日の2回分必要なんですね。検便なんて小中学生以来かも。あの頃はマッチ箱に収めて学校に持っていったなあ。ほのかに恋心を寄せていた女の子も検便持参で、ちょっと人生観変わったかも(激爆)。イマドキの検便はプラスチック製?の容器。トイレにトイレットペーパーを何枚も敷いた上に検便採取用の紙シートを載せて、そこに排便。容器中の棒を取り出してそこに便をこすりつける。自分、不器用男^^なんですけど、なんとか2日分採取できました。ただ、入れてから気がついたんですが、色で前日・当日と区別してあるのを知らず、逆に入れてしまった。

5月14日9時半頃、D病院の駐車場に車を入れる。土曜日でも込んでるもんなんですね。
受付。「生活習慣病健康診断」6840円、「肝炎ウィルス検査」590円、計7430円を先払い。
診察室のようなところに入る。囚人服のようなものに着替える。看護師?のいくつか質問に答える。身長・体重を測る。ここでビックリ。自分、身長173cm・体重63kgだと思ってたのが、看護師の記録しとるのを見ると、小数第1位はよう見えんだけど、170・54の数字。身長、年を取ると縮むんでしょうね。体重、確かにここんところの食欲不振で激減してて、でもなんか恐くて自宅の風呂場の体重計に乗れなかった。ズボンゆるゆるだしベルトの穴も2つばかし開け直しているので、体重激減は覚悟しとったのですが、まさか54kgとは! 看護師さん、もう一度測りなおしてくれましたが、ほとんど変わらなんだ。
他の検査には、血圧、視力・聴力、肝炎検査の採血(注射、痛かったぁ)、レントゲン、心電図など。左耳が高音の聴こえがよくないそうで、これも加齢からでしょうか。
バリウムを飲んで胃の検査。他人の話はときどき聞いてますが、自分、バリウム初体験。中学理科の中和を思い出した^^。

1時間ほどで検査が終わって(本を持って行ってたけど読む時間はなかった)、PC画面を見ながらの医師の説明。医師によると「今のところ」特別なことはない、ってことですが、政府や東電と同じで「今のところ」は説得力がない^^。肝臓が人より下がり気味って言われても医事に疎いのでなんのことやら。胃は、念のため後日胃カメラ(胃内視鏡検査)をやることにしました。
他の病院はどうなんだろう、データを紙媒体でもらえるかと思ったのですが、ここは口頭での説明だけでした。後日結果を送ってくるんでしょうか。
今回、たぶん人生初の検診を受けましたが、この程度の検診じゃ、いろんな癌はみつからないのでしょうね。

250円の金券、プレゼントされる。売店で讀賣新聞と100%ジュースとガム1個買ったら、340円だった。
11時過ぎ帰宅。

今朝の讀賣新聞に日本人男性平均寿命80歳・世界第2位の記事。自分、こんなには無理でしょうね。生まれた瞬間に死に向かっている生物。自分、あと何年なんでしょうねぇ。メメント・モリ
バリウムはなるべく速く排泄したほうがいいそうです。僕、今夜は下剤を飲んで寝ます(激爆)。
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by tiaokumura | 2011-05-14 21:13 | メメント・モリ | Comments(8)

こんな授業・あんな授業(17)久々の、日本留学試験「記述」対策

自動車・コンビニ・塾・アパレル・IT・フーゾク・電機・流通・宗教などどこの業界もそうでしょうね、日本語教育業界もまぁそれなりに「変化」があります。変化が全て「進歩」っちゅうわけでもないところが、まぁナニですが^^。
最近の日本語教育業界の大きな変化の一つが三大テストの「改正」。①日本語教育能力検定試験、②日本語能力試験、③日本留学試験、はそれぞれ歴史も対象も異なりますが、業界の「三大テスト」になるでしょうね。
①では、シラバスが変更になった。①は今のところペーパーテストだけなので「合格=日本語教師力がある」わけではないのですが、合格しておくと就職には有利でしょうね。日本語教師のスタートラインに立てる。富山国際学院はスタッフ12人中11人が合格済みです。全国的には日本語学校の教員の60%くらいしか合格してないそうですから、うちんとこは珍しいかも。
②はJapanese Language Proficiency Test(JLPT)、世界規模の試験です。語学試験としては「書く」「話す」がないので欠陥もありますが、まぁ今のところこれしかない。②は従来「4級~1級の4レベル」だったのが「N5~N1の5レベル」になった、試験構成が変わった、測定能力の基準が変わった、Can-Do-Statement(日本語で何ができるかを文の形で明示する)を取り入れる(ただし今年は未導入)といった改訂。

日本語学校にとっては③の日本留学試験(略称「日留試」)が一番大切です。試験構成は、日本語は記述と日本語(読解・聴解・聴読解)、文系科目が総合科目・数学コース1、理系科目が理科(物理・化学・生物から2科目)・数学コース2。日本人のセンター試験みたいな位置づけです。
僕はここ2年、1年次のクラスを担当してたので、今年C組担当で、日本留学試験対策は久しぶりになります。先日C組担任の徳橋陽子さんと副担任の僕とで打ち合わせて、授業プランを立てた。C組(2010年10月入学生が中心)は3月まで『大地』という初級教科書だったのですから、そもそも「日留試」対策なんてムボーなんですが^^、そんなことを言ってたらプロの日本語教師は勤まらない。無理を承知で結果を出してこそのプロでしょうね。
日留試は年に2回、6月と11月にあるので、C組学生の場合、例えば「記述」だったら、6月はまぁ全国平均(50点満点の30点くらい)に近いところを目指す、ってのが現実的な目標でしょうね。5月段階では、「試験形式に慣れる、集中力をつける(記述+日本語は、約120分、休憩なしの試験)」ってあたりを押さえることになるでしょうね。

本日「記述」対策の第1回目を担当。初めに日留試のこと・記述のことなどガイダンス。
漠然と対策やっててもしょうがないので、
 東日本大震災による被災地の復興のために、「消費税を現在の5%より上げて、それを復興財源にあてればよい」という案が出ています。このような方法の長所と短所を説明し、あなたの意見を書きなさい。
本日はもういきなり^^このテーマで取り組む。教師「これを、初級が終わってまだ1か月ちょっとしか経っていない君たちが、30分以内で400字程度書いて50点満点の30点以上取るには、どうしたらいいのかなあ」。学生に一方的にストラテジーを教え込むのも一方法でしょうが、それでは内発性がない。付け焼刃・メッキはあかんのですね。まぁ細かいところの指導は企業秘密ですが(嘘爆)、学生にそれなりにストラテジーを自覚させる。まだ試験まで1か月あるので(6月19日に金沢星陵大学ってところで本番)、急ぎすぎずbutゆっくりしすぎず、そのあたり作っていきます。
対策1回目なので、すぐ原稿用紙に書くのではなく、長所・短所を話し合わせる。欧米系や韓国人はそういう話し合いっての得意ですが、中国人は(日本人もそうですが)苦手。意見を言うのもどっちかというと不得手が多い。中国も日本も教育システムがそういうところ、うまく機能してないのでしょうね。それでも教師が誘導したり挑発したりしているうちに、ポツリポツリと出てくる。長所①お金が集めやすい、②一定以上の額のお金が集まる、③国民に連帯感・一体感が生まれる、など。短所①奥村先生や自分たちのような貧乏人は負担が大きい、②税率をかなり上げないと復興財源にはならない、③消費意欲が薄れる、など。こうやって議論することで、なにごとにも長所・短所、プラス・マイナスがあるものだということに気づけば、この段階では充分でしょうね。そして、短所やマイナスもやり方次第でいい方向に持っていけることもあるというような議論に発展していけばもっといい。後は、自分一人でそういった作業ができるようになること。論理的な思考を、しかも母語以外で、っての、決して簡単なことじゃないでしょうね。

明日は、予想される3つの出題パターンのうちの上記とは別のパターンの
 現在、日本では、肉体的にも精神的にもおとなしい男性、いわゆる「草食系男子」が増えています。
 最近の若い男性の変化について、あなたの国や知っている地域の状況を説明してください。
 そして、その状況はこれからどうなっていくと思うか、あなたの考えを、理由を挙げて書いてください。

または、
 現在、日本では、「結婚しない女性」「結婚したくない女性」が増えています。
 最近の女性の結婚観の変化について、あなたの国や知っている地域の状況を説明してください。
 そして、その状況はこれからどうなっていくと思うか、あなたの考えを、理由を挙げて書いてください。

のどっちかにしようと思っています。
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by tiaokumura | 2011-05-12 20:08 | 日本語教育 | Comments(0)

イズミ オキナガさんのブログのご紹介

泉興長(いずみ・おきなが)先生と初めてお会いしたのは1993年夏、富山市立外国語専門学校の市民向け夏季集中講座「韓国語」の受講生としてだった。講師は金允玉(キム・ユンオク)先生。記憶アホなボクがなぜそんなによく覚えているかと言うと、金先生のおかげで僕は今の富山国際学院に就職できたからです。
泉先生は僕の父親くらいの年齢で、当時は富山市立外国語専門学校の中国語講師だったか。10日間の集中講座の後、受講生有志が勉強を続けたいと思い、当時はマリエ内にあったとやま国際センターのロビーを借りて勉強会を何回かやった。先生はもちろん金先生で、泉先生も僕も参加した。何かの拍子に金先生のご主人が富山国際学院という日本語学校の専任のI先生(今は別の日本語学校にご勤務)だとわかった。金先生がご主人を通じて富山国際学院に僕のことを伝え、それから僕が学院に履歴書送って、それから学院で面接を受けて・・・ってな感じで僕は富山国際学院に晴れて^^奉職ってぇわけです。爾来20年近く勤続(非常勤時代が長かったが)しとるんですから、人間の運命って不思議なもんです。自分、運がいい男なんでしょうね。韓国語を勉強しに行っとって、日本語教師の職を得たってぇのは、これもある意味セレンディピティserendipityかもしれん(激爆)。

泉興長先生とはその後、年賀状のやり取りが続き、年に1~2回、何かの集まりで偶然ご一緒になる、といった関係。
先週の土曜日、その泉先生と、前記事のPindo Mamosebetsui先生「多言語文化交流クラス:南アフリカ共和国&セソト語」で今年初めてお会いしました。クラス開始までの時間、久しぶりにおしゃべり。その時に泉先生がブログを始められたのを知りました。本日の記事で泉先生のブログをご紹介させていただきます。以下はその日に泉先生からいただいたブログ案内(2010年11月12日付)からの転記。

こんどGoogleのサービスを利用して、宿願のブログを はじめました。まだ、ヨチヨチ歩きです。
(1)「いたち川散歩・・・行雲流水・イタチ・イデタチ・starting」http://okinbo.blogspot.com/
いたち川(常願寺川水系)の ほとりに住んでいるので、ふるさと富山を見なおし、考えなおす場になればと思っています。8月から10回公開。
(2)「七ころび、八おき・・・わたしのリレキ書、イキザマ90年の記録」http://okinbo2.blogspot.com/
大正~昭和~平成の3代、北海道~東京~中国(天津・唐山・大同・張家口)~富山まで。90年間の「行動の記録」です。あらかたは失敗の連続でしたが、それでも おかげさまで、まだなんとかイキをしています。10月26日スタートしたばかりです。
ひとりでも おおくのひとに、このブログをよんでいただけたらと願っています。
イズミ オキナガ


イズミ オキナガさんの2つのブログ、私はまだ全部読んでいませんが、写真あり歴史あり深い話あり貴重な資料ありなどで目下ハマり中です。皆さまもぜひアクセスなさってください。

イズミさんは多彩な面を持っていらっしゃいますが、その一つが在野の音韻研究家。研究成果のいくつか(論文・カードなど)を私もいただいております。
先生のご研究を私ごときが解説するのもおこがましいことですが、私なりに理解できた範囲でまとめると、言語間に共通の・音韻(音素)による意味弁別性があるのではないか、ということになるでしょうか。系統を同じくする言語間でそういうのがあっても当たり前ですが(印欧語など)、もちろんそういうことではなく、全く類縁関係のない言語間に「同一の音素=共通な意味・文法情報」がある。世界の言語には私なんかがとんでもないと思う調音法・調音点もあるものですが^^、でも人間の発声器官・発音方法には人種共通に「限界」もあるわけで、そんなことも合わせ考えると、イズミさんの仮説、確かに説得力あります。まぁそのあたりは私がゴチャゴチャ言うよりは、イズミさんのブログにこれからもいろんな例証が出てくるはずですから、皆様、そういうところも楽しみにイズミさんのブログをお読みください。
チョムスキーの普遍文法と同じで、人類が言語を獲得して以来の・人類に生得な音素DNAってあるのかもしれませんね。日本語母語話者で英語・中国語教師でもあるイズミさんならではの(イズミさんは世界のいろんな言語にも積極的にかかわっていらっしゃる)、壮大でロマンあふれるご研究じゃないでしょうか。90歳になられてもパワフルなイズミさん。私なんか爪の垢でも煎じて飲ませていただかなきゃぁ、ですね。

ちょっと話はズレますが、Pindo Mamosebetsuさんのセソト語の「別れのあいさつ」が韓国語と同じ発想なんですね。Pindoさんの説明を聞いててビックリしました。leave側とstay側でお別れ表現が異なるんですね。南アフリカと東アジア-遥か離れた距離にある2言語間で共通の発想がある。言語って、まっこと不思議なもんですね。
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by tiaokumura | 2011-05-10 20:00 | このブログのこと | Comments(0)