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仙台からの避難留学生、無事一時帰国の途に

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富山国際学院は3月14日が学習発表会、15日が卒業式だった。あれは確か16日午後、スタッフの一人のケータイに学生A君から「仙台の日本語学校の友だちが富山に避難してきた」との連絡。翌17日午前11時に、その学生を富山国際学院に連れてくるようにと指示。
17日、定刻通りに学院生A君とその友人の留学生B君が来る。B君によると、仙台から山形、さらに鶴岡・村上と出て新潟に入り、新潟から富山へとJRで避難してきたとのこと。日本人の僕でもその避難行、大変でしょうね。そこはイマドキなんでしょうね、A君がネットであれこれ調べ、B君にケータイでルートを教えていたみたい。若者の行動力に感服。B君の日本語学校にTELやFAXで、無事富山に来ていること・学院としてこういうことをしてあげようと思っているなどを伝える。富山国際学院は例年通りなら18日で終了し春休み入りなんですが、今冬は大雪休校が4日もあったので、3月24日まで授業(最終日は進級テスト)。B君には17日午後から授業に参加してもらうことにする。他に学院としてできることなどいくつか対処。
こういう経験、学院長2年生のボク^^、初めてですもんね、とりあえず自分の対処がこれでよかったのか不安もあったので、一段落したところで、丸山茂樹校長(I.C.NAGOYA)と上戸総務部長(日本語教育振興協会)に「かくかくしかじか」とTELで報告。日本全国には日本語学校が約450校あるんですが、あとで「火事場泥棒」とか非難されるのいやですもんね。お二方とも僕の対処、それでよかったとおっしゃっていただけ、一安心。
A君からもう一人避難学生がいて学院に連れて来たいという相談があったのは22日だったか。C君にもB君と同じように対処した。
仙台の日本語学校は、僕なんかの想像もできないような大変なご苦労なさった(今も続いている)ことでしょうね。向こうのトップと電話で話したら、4月18日再開とのことでした。それまで間があるので、B君・C君は一時帰国したいと言う。飛行機は今回の原発でチケット入手困難・飛行機代高騰のようですが、いつも海外出張で利用しているワールドトラベルサービス(富山市)の浅田さんが手際よく手配してくださって、3月30日の富山-大連が取れた。

アップした写真、富山空港で大連便搭乗前の左からA君・B君・C君と僕。肩を組み合いました(照)。僕の左手はガッツポーズのつもりで(激爆)、B君・C君に「東北は負けない!日本はあきらめない!困難にあって日本人は支え合う助け合う!」ってことを宣言しました。2人とも僕の気持ちがわかってくれたみたい。2人は仙台の日本語学校再開に間に合うように再入国します。仙台は魯迅が藤野先生と出逢った地でもある。前途有為な中国人留学生2人の、仙台での留学生活が実りあるものであることを切に希望したい。

15日の学院長式辞@卒業式では今回の大震災に式辞の半分近くを使い、次のようなことも話した。

私どもが今生活している現在の形の日本列島ができたのは、今から約1万3,000年から1万2,000年前と言われております。日本列島の歴史において今回のような巨大地震がかつて起こっているのかどうか私は存じませんが、今回のような大規模な地震・津波及びそれに伴う火災・原子力発電所の故障といった被災を経験するのは、私ども日本人の歴史において初めてです。「未曾有」という言葉があります。「これまでに一度もなかった」という意味の言葉です。日本国は今その未曾有の国難-国の困難-に直面しているのです。被害状況さえ明らかになっていない今、この後日本が復興するまでに何年かかるか全くわかりません。でも私たち日本人は決してあきらめません! 私たち日本人は決して負けません!
卒業生・修了生の皆さま。皆さまが留学生活を送られた日本には、昔から「困った時はお互い様」「助け合い」の精神があります。日本人は今、互いに持てるものを分かち合い助け合っております。皆さまはそのような情景の目撃者であります。どうか皆さまのご家族・ご友人・知人に、そのような日本国の懸命な姿をお伝え下さい。皆さまが留学生活を送られた日本は、皆さまにとって辛いこと・いやなこともおありだったでしょうが、皆さまが誇りに思っていい・素晴らしい国なのです。
このあとも日本国で留学生活を続けられる方々には、いろいろご不便をおかけすることもあるかと思いますが、皆さまがそれぞれに生活される場で、日本の復興にお力をお貸し下さい。

原発人災さえなければ・・・」と今誰もが思っているでしょうね。後方の安全地帯にどっぷり漬かっている僕がエラソーなことを言うようですが、首都圏がパニック状態になるようでは、外国から見て日本沈没が近いと思われてもしょうがないでしょうね。
「1~4号機を廃炉に」というニュースですが、ド素人なんで違ってるかもしれませんが、ここまでの事故対処って再稼動のためのそれだったんでしょうか。最初っから廃炉前提の処理しとく手ってなかったんだろうか。
富山は安心安全なのですが、それでも大連便、空港職員に聞くとちょっとした帰国ラッシュのようです。原発不安で帰国する中国人(や諸外国人)を僕(たち)は責めることはできない。うちの学生1名もどうしても親の不安が解消できないということで1か月の休学届を書いた上で帰国中です。
仙台からの避難留学生には、日本で見たこと・聞いたことを遠慮しないで中国で話してほしいと言っておきました。中国に限らず世界には今とんでもない噂・デマが乱れ飛んでいる(例えば中国では塩が放射能に効くとかで買いだめ行動が生じたとか。あるいは富士山が爆発するとか、首都圏が壊滅状態だとか)。彼らのおかげでそのような風評が少しでも減り、日本人がへこたれていないということが伝わってもらえると嬉しい。
2人は富山で不便な生活を送ったはずですが(仙台と違って「いなか」ですもんね^^)、それでも富山にいい印象を持ってくれたみたい。「いつか先生に会いにまた富山に来ます」と、まあたとえお世辞でもそう言ってくれたんで、日本人の一人として少しは責任が果たせたかと、日本人ジジイ、嬉しく&少しウルウル(照)。
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by tiaokumura | 2011-03-31 20:20 | 東北地方太平洋沖地震 | Comments(0)

3月29日、名古屋出張

高山本線ワイドビューひだ6号、予定より10分遅れで富山駅発車。
今年初めての県外であり、昨年12月17日以来の名古屋出張であり、昨秋9月28日以来のワイドビューひだ号である。僕は名古屋出張は往復とも北陸本線を利用することが多いのですが、今回は行きに高山本線を利用。早春の沿線が見たかった。たぶん東北地方と似た風景が高山本線にはある。高山本線で過ごすことによってともすれば疲れがちな自分の充電がしたかった。JR料金は北陸本線往復とあまり変わりません。ちょっとぷちゼータクかな。残念なのは帰りの高山本線の便がないこと。夕方の飛騨路もいつか味わいたい。

車中、例によって讀賣新聞・日本経済新聞。両紙ともやはり東北地方太平洋沖地震関連記事が気になる。讀賣は「東日本巨大地震」、日経は「東日本大震災」です。
讀賣新聞
「医療チーム 疲弊させない」(奥村:福島・いわき市での医療支援、地域医療再生)、「震災避難所に遊び場を/子供 心の傷いやす」(奥村:今回心が最も傷ついているのは震災弱者の子どもたちでしょうね。将来の日本を支える子どもたちが、1日も早く、居場所・学校教育・友だち・遊び・栄養を獲得でき、将来の夢や希望が持てるようになってほしい)、「買い物通じ被災地支援」(奥村:「寄付付き商品」、僕も買うつもりです。ただ、火事場泥棒でしょうね、便乗義援金詐欺もあるそうですから、お互い気をつけたい)、「文芸月評 人間の生 真正面から」(奥村:不正確な記憶だがJ.P.サルトルの言葉で「飢えた子どもの前で文学は何ができるか」がある。今「文学」も試されているのでしょうね。本記事には、桐野夏生・島田雅彦・村上春樹ら)、春日武彦「震災どう乗り越える」(奥村:僕がこの間の記事で書いた「自粛」のことも)。
日本経済新聞
文鳥「保身より最善を尽くせ」、9面「ロシアに資金流入」、12面「企業の風評 ウェブで監視」、「オノ・ヨーコ、ショーン・レノン、矢野顕子ら、チャリティコンサート@コロンビア大学」。オノ・ヨーコのメッセージは「私たちの心臓の鼓動は世界中で同調している。一緒に祈り、あまりに多くを失い苦しんでいる人たちを、寛大に、迅速に支援しよう」(オリジナルはたぶん英語でしょうね。「寛大に」の日本語訳、これでいいのかどうか・・・)。社説「被災地の復興は政府と自治体の共同で」(奥村:もう始まっているようですが、「四川方式」、日本にも有効でしょうね)、13面「深夜営業、再開相次ぐ」「食品の製造・販売/生活必需品を優先」「主な製造業の工場稼動・復旧状況」、15面・西條郁夫編集委員「震災が変える会社と社会の距離」、25面・藤本隆宏東京大学教授「経済教室 『現場重視』を復興の起点に」、「被災ショック、不眠・不安」、32面・赤坂憲雄福島県立博物館長「広やかな記憶の場を」「絆の力を被災地へ/渡辺謙らが動画サイト」(奥村:渡辺と小山薫堂が動画サイト「kizuna311」を立ち上げた。渡辺が「雨ニモ負ケズ」、佐藤浩市が谷川俊太郎「生きる」をアップし、他に吉永小百合、役所広司、クリント・イーストウッドら)。
定期購読している朝日新聞と北日本新聞だけではわからないこと・知ることができないことが、讀賣・日経で情報が得られる。
猪谷を通過するあたりで讀賣・日経を読み終える。
今回の旅のお伴は、藤岡靖洋『コルトレーン ジャズの殉教者』(岩波新書)、NHKラジオテキスト「入門ビジネス英語」4月号、『ポケット数独3』(ソフトバンク クリエイティブ)。『コルトレーン ジャズの殉教者』についてはいつか当ブログの記事にします。「第5章 決意 2 至上の愛」「第2章 三人の友 1 マイルス・ディヴィス」を詠み終えました。

高山本線沿線、おそらく東北地方と似た情景が広がるのでしょうね。森や山や川や崖や平野、田畑、民家や公民館や学校や神社仏閣、温泉地や観光地、国道や土手やダムや発電所などなど。私の家は15年ほど前まで米を作っていたのですが、沿線の田、耕し終えた田や水を張った田(休耕田もある)。このあたりは田植えはいつごろになるのでしょうか。東北地方に現出している黙示録世界を想うと悔しさで胸がふたがれるのですが、山紫水明の日本、被災地の一日も早い再生を祈るとともに、高山本線車窓に広がる情景に天災・人災被害がありませんように、たとえあっても最小限で留まりますようにと願う。
下呂、確かビジネス日本語で知り合った遠藤さんの故郷。車窓から眺めるに温泉街の壮観。東北地方では蔵王温泉が僕の唯一行った温泉なんですが、東北の名湯の数々、被災状況はどうなんでしょうか。美濃太田を過ぎるあたりから濃尾平野に入る。日本語教育先進地の可児市は、美濃太田から太多線。

ワイドビューひだ号、名古屋駅ホームに入線。入線ホームにある「どぇりゃぁ亭」で山菜きしめん・300円也。ご夫婦あるいは親子なんでしょうか、ここでいただくきしめんは、うまい・安い・早い。
前回の経験で懲りたので(自動改札で往復切符が出なかった^^)、有人改札を出る。「驛釜きしめん」で家へのお土産、味噌煮込みきしめん購入。
12時半頃、大名古屋ビルヂング。エレベーターに乗ろうとしたら丸山茂樹校長(I.C.NAGOYA)とバッタリ。12Fの会議室に入り会議のセッティングのお手伝い。
1時~5時、会議。
帰りは北陸本線しらさぎ13号。車中、北陸地区の日本語学校4校、各1人ずつ会議に出席していて、席を共にする。メンバーがよかったんでしょうね、ここ数ヶ月の食欲不振・胃腸不具合が起こらず、(少し)飲みかつ喰いかつおしゃべり。
富山駅北口からポートラムに乗り、10時過ぎ帰宅。
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by tiaokumura | 2011-03-30 21:13 | 僕は学院長2年生 | Comments(2)

「被ばく」表記・地震名の統一

まだまだ混乱が続いている中で余計なことかもしれませんが、2つ書きます。

1.「被ばく」表記
被曝を「被ばく」表記しているメディアがありますが、どうなんでしょう。私たちは「ひばく」と聞けば「被爆」です。国際的にもヒバクシャHibakushaが通用している。今回の原発の人災の場合、「被ばく→被曝」です。一部メディアの紛らわしい交ぜ書き(僕は交ぜ書きは大っ嫌いです。漢字の冒涜です)はやめるべきじゃないでしょうか。常用漢字表(先日改定された)に載っていないのなら、緊急に「」字を入れるべきです。あるいは「被曝」にし「曝」にルビを振る。
白川静博士が漢字学で築き上げられたように、漢字は歴史と文化の所産である(と僕は思う)。イマドキの言い方で言えば漢字はアーカイブである。何世代か後にも「被曝」が正しく伝えられるように、「被ばく」表記のメディア(及びweb上も)は「被曝」に変えるべきではないでしょうか。漢字の「曝」は決して難しくない。左に日・右に暴で「曝」-小学校中学年でも書けるようになるのではないでしょうか。私が日本語教育で教えるなら「日・日・共・*(この部分、PCでは出ない)」に分割して教える。「曝」は爆と音符が通じ、日+暴で字義も明らか。
東京電力の下請け・孫請けが危険に狩り出されているのはやりきれない想いがする。大企業の論理なんでしょうね。もちろん、東京電力社員のご苦労には頭が下がるのですけど。
まもなく(いや、もう始まっている?)「戦犯探し」が始まるのでしょうね。「マグダラのマリア」や「悪人正機」と同じで誰が誰を糾弾できるか甚だ疑問ですが、菅直人・東京電力社長はA級戦犯に括られるのでしょうね。「文化大革命」じゃあるまいし、そんなことをしても何にもならない気がするのですが。「TV出演評論家」「専門家」はB級戦犯になるのかなあ。

2.地震名の統一
管見によれば今回の地震には「東北地方太平洋沖地震」(気象庁が3月11日に命名)・「東北関東大震災」(NHKなど)・「東日本大震災」(朝日新聞・日本経済新聞など)・「東日本巨大地震」(讀賣新聞など)など、主な名称だけで4つある。今回の地震を後世に伝えるにあたって、幾つも名称があるのは混乱を招くのではないだろうか。また検索エンジンで同じ地震が別のキーワードになってしまい、ヒット数に間違いが生じるのではないだろうか。政府・自治体・警察・自衛隊・消防隊・医療従事者・東京電力などが連携して行動する時、共通名称をどうしてるのだろうか。
地震名の統一はできないのだろうか。私自身は今回の被災地と津波を考えるとたとえ長くても「宮城岩手福島・太平洋沖大震災」がいいと思うのですが、どうでしょうね。「東日本」と名付けても、東日本の都道県で被害が少ないかあるいは被害がほとんどなかった地域もあるのだから適当だと思えない。首都が東京にあるわが国で地震名に「関東」を入れたい気持ちもわかるが、首都圏の混乱は福島第一原発に拠るものだから、名称に入れるのは遠慮なさったほうがいいような気がしますが。
なおWikipedia英語版の場合(2011年3月28日アクセス)、逐語訳では(literally)Northeast region Pacific Ocean offshore earthuakeで、記事見出しは2011 Tohoku earthquake and tsunamiです。このような表記態度がWikipediaが信頼される一因でしょうね。
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by tiaokumura | 2011-03-28 19:31 | 東北地方太平洋沖地震 | Comments(0)

被災者月金の創設、平成徳政令の施行を

今日午前タイヤ交換。富山にUターンして30年以上になるのですが、こんなに遅くタイヤ交換をするのは初めてです。富山、日差しは春を感じさせるが、大気はまだ充分春ではなく肌寒い。例年なら今頃は最高気温10℃以上のはずですが、今年はどうもおかしい。3月になっても何度も雪が舞ったし、三寒四温だって二温五寒みたいなペース。
タイヤ交換後ガソリンスタンドへ。僕は2か月に3回くらい給油。今までほとんど気にしていなかったのですが、掲示を見ると今日は150円でした。
寒さ・ガソリン、被災地はもっと厳しい状況なんでしょうね。

安否不明者は依然多数、復旧はまだら模様、支援物資もミスマッチ・格差未解消、神戸の経験・教訓がストレートに生かせない現場。そして何より原発の恐怖。何党であれ誰であれ今回の未曾有の国難に立ち向かうのは困難なのでしょうが、菅直人にはもっとリーダーシップを発揮して司令塔の役割を果たしてほしいし、政府にも真の「政治主導」を実現してほしい。少なくとも責任転嫁ごっこだけはやってほしくない。

今回のことで後藤新平(ごとう・しんぺい1857-1929)が語られることが多くなりましたね。偉人後藤新平の業績はたくさんあります。例えば、当ブログで何度か取り上げているハルビン学院は後藤の文装的武備論に基づいて発足した(同学院は当初は「日露協会学校」)。今回後藤が脚光を浴びているのは関東大震災後の後藤の帝都復興。当時60代後半の後藤は第2次山本権兵衛内閣で内務大臣兼帝都復興院総裁。「大風呂敷」後藤の案では国家予算1年分を帝都復興に注ぐつもりであったが、政財界の猛反対にあい結局その半分弱しか使えなかった。
かれこれ5年くらい前になるか、僕は当時富山大学3年生。立川健治教授の授業で「『原敬日記』講読」を取った。当ブログにもその頃のことちょっと書いている。原敬(はら・たかし1856-1921)は後藤より1歳年上、同じ陸奥国出身(後藤は胆沢郡、原は盛岡)。立川教授の授業で講読した『原敬日記』中、同じ東北出身の後藤新平との会見の日の日記は感動モノです。「朝敵」出身になるんですね、彼らは。例えば原はこう書いています。
「・・・吾々東北の僻地に生まれて今日に至りたれば、他の藩閥者流の如き女々しき態度の不可なること、・・・」(明治39年10月30日付より。原文は漢字カナ文。漢字かな文に直し、濁点・句読点を補った-奥村)
僕が東北人に厚い信頼を寄せ東北魂を信じているのは、後藤や原や宮沢賢治らがいるからである。かの地の人々は・出身者は今回のことで決してへこたれない。幾世紀にも亘る中央からの差別の歴史、海の幸・里の幸・山の幸の供給源、集団就職・出稼ぎによる首都圏発展への貢献、原発による首都圏への電力供給などを思えば、東京人(千葉都民・埼玉都民・神奈川都民らも)は東北の地に感謝こそすれ、計画停電や節約生活など文句を言わず我慢の範囲とすべきなのである。

復興までには5年・10年あるいは三世代くらいかかるかもしれない。今はまだ日本に好意的な諸外国も、原発不安が重くなり復興が長引くにつれ、「日本切捨て」に走るかもしれない。カネが自己目的化した連中は、リーマンショックに懲りず「ビジネスチャンス到来」とばかりに悪しき資本主義の牙を剥くだろう。株の乱高下・円相場・原油価格高止まりが気になる。円高がやがて一気に円安に反転し原油高が諸物価高騰を押し上げインフレの嵐が日本を襲う-そんな悪夢が来なければいいのだが。

今こそ後藤のようなグランドデザインが描ける人物が必要である。ここで僕は庶民の一人として2つのことを提言したい。
1.被災者月金の創設
避難・疎開がおびただしい人数に達しているが、人間やはり元の地で生活が営めるのがベストである。神戸とまた異なる面もあって難しいこともあろうが、慣れ親しんだ土地(あるいはそれに近い環境)での復興は、見ず知らずの本来無縁の土地で生計を営むよりは困難が少ない。
今回被災に遭った方々に年金ならぬ月金を支給する。今現在、次の仕事(従って給料も)や生活手段の見通しが立っていない人々がほとんどなのではないだろうか。1世帯1か月15万円くらい(あるいは現行の生活保護くらい)の月金があれば、次のステップへの準備に少しでも役に立つ。不要な人は辞退すればいいので一律に給付する必要はない。また、自立(失礼な言い方ですが)できるようになれば月金停止を申し出ればいい。
財源をどうするか。①僕は大震災前からずっと「消費税15%」論者です。後方地に消費税15%(現行5%+復興目的税10%)を適用する。無論生活必需品への不適用、生活弱者への配慮も同時に実施する。②年金生活者の皆さんのお力をお借りする。年金10万円以下はゼロ、10~20万円は1割、20万円以上は2割を提供していただく。高齢者の皆さんは戦後日本を作った功労者であり苦しい年金生活中の方もおありでしょうが、ここは「分かち合い・支え合い」の精神で復興に一役買っていただく。③国内外の見舞金は10兆円を越えるのではないでしょうか。その中から1兆円程度を年金基金に当てる。④国会議員の賃金を3割カットし財源に回す。⑤給与所得に5%の復興目的税を付加する。
国民1人当たり1千万円近い借金があるこの国である。被災者月金のために安易な国債発行は断じて行ってはならない。そんなことをしたら、後続世代の苦しみを増すばかりだし、国債格付けがますますダウンし最悪紙屑になってしまう。あるいは日本国債を外国資本に買い占められ首根っこを押さえられることもある。
2.平成徳政令の施行
被災者・被災企業等のローン・リースをなしにする。そのことによる銀行・リース会社の損害は莫大だろう。だが、この後被災者・被災企業が活動を再開したいと思っても被災前のローン・リースの足かせは大きい。改めてローン・リースを組もうとした場合、前のそれと二重負担になる。
ここは思い切って震災前のローン・リースは、わかりやすい言葉で言えば「チャラ」にできないものだろうか。銀行・ローン会社の損害補償には当面は「子ども手当て」「高速道路」を当てるのがよかろう。
東北人は「借金の踏み倒し」と罪悪感を感じられるかもしれないが、ここは銀行・リース会社・政府に感謝して生活再建・工場再生に専念されればいい。

ド素人の考えだが、以上の2つ、実行性はどの程度あるんだろう。効果は期待大なんだけど。

後藤で思い出したが小沢一郎(岩手1区4区)と取り巻きガキ政治家たちは何をしているのでしょうね。小沢がリーダーになって、小沢チルドレンを班別にして被災地でボランティア活動中なのでしょうか。中国訪問団のエネルギー、今こそ発揮すべき時なんじゃないかなあ。

(3月28日午後・訂正
小沢一郎は岩手1区ではなく岩手4区です。大変失礼いたしました。お詫びして訂正させていただきます。
岩手4区は後藤新平の出身地(現在は奥州市)を含みます。
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by tiaokumura | 2011-03-27 15:38 | 東北地方太平洋沖地震 | Comments(0)

第57回全日本チンドンコンクールは中止すべきだったのだろうか

富山市の夏の風物詩に8月1日の「花火大会」がある。7・8月は全国各地の花火大会シーズンですが、富山市の場合「8月1日」に行われることに大きな意味がある。
1945年8月1日、アメリカ軍による市名入りの空襲予告ビラが富山市に投下された。水戸・八王子・舞鶴・久留米など全国11都市にも同様のビラ。同夜午後10時米軍機が富山上空に現れるもそのまま東に飛び去ったので市民は「ビラはハッタリだったのだろう」くらいに思い眠りに就く。当ブログの2007年8月2日付記事に引用した「富山大空襲を語り継ぐ会」から孫引きする。
1945年8月2日午前0時36分~2時27分(焼夷弾投下111分間)
174機のB29、焼夷弾51万7千発余り
死者推定3千人、負傷者約8千人、被災世帯2万4914戸(109592人)
「富山大空襲」を扱った名作に中山伊佐男『八月二日、天まで焼けた』がある。中山は当時15歳、母と妹を失う。中山たちが逃げ回った地区は、現在の私の勤務先の富山国際学院から目と鼻の先である。『八月二日、天まで焼けた』(高文研。今も入手可かは不明)は、僕が奥村学習塾をやってた頃、『はだしのゲン』シリーズと並んで貸し出し上位だった。
富山市の8月1日の花火大会は、富山大空襲で亡くなった方々の慰霊であり、戦争の悲惨さ・無意味さをいつまでも語り継ぐためのイベントである。

夏の風物詩が花火大会なら、春の富山市の風物詩は「全日本チンドンコンクール」だろう。私は人ごみが苦手なので、花火大会もチンドンコンクールも当日それ目的で出かけることはないが、多くの富山市民・富山市外の富山県民の楽しみイベントでしょうね。どちらも富山県外からの見物客もあるイベントです。
「全日本チンドンコンクール」がなぜ富山市で行われるのか。
先述の富山大空襲で焦土と化した富山市だが、官民一体の勤勉で粘り強い努力によって復興しやがて1954年には富山産業大博覧会を成功裡に終える。いやこれはひとり富山市のみならず、日本各地の市町村・日本全国津々浦々、敗戦から不死鳥のように奇跡の復興を成し遂げた。富山市の「全国チンドンコンクール」は当時の商工会議所副会頭のアイディアで1955年に開始。復興富山市のシンボル的イベントである。その後「全日本チンドン選手権大会」に名称を変え、1981年からは「全日本チンドンコンクール」。チンドンがここまで富山市に定着した功績者に高沢滋人がいる(今は故人)。いずれ当ブログでご紹介したい。

さて記事タイトルである。
昭和天皇の時もそうだったが、歌舞音曲はまかりならぬとのお達しで世の中は「自粛」ムード。流行ってるのはビデオレンタル屋とラブホだけ、なんて言われた。昭和天皇の時は一個人だったが、今回は未曾有の国難であることは間違いない。
3月23日の実行委員会-会長の富山市長と副会長の富山商工会議所会頭は欠席。これもなんかヘンだが-で「東日本大震災とニュージーランド地震の被災者に配慮し、中止を正式決定した」(北日本新聞2011年3月24日付)。今年は4月8~10日に開催予定だった。同記事には、チンドンマン3人のコメントも載っている。
こういう時だからこそ勇気や夢、希望を与えないといけない。やめることで被災地はよくなるのか。(富山市)
災害復興の思いを込めてやってほしかった。塩釜(宮城県)のチームも来られると聞いていたので残念だ。(大阪市)
中止は残念だが、被災地の仲間やファンのことを考えるとやむを得ない。来年は倍の力で盛り上げたい。(長崎県)

私は第57回全日本チンドンコンクールは中止すべきではなかったと思う。
富山から全国に元気を発信すればよかったのである。日本は/日本人は今回のことで負けない/お互いに支え合い助け合っていこうというメッセージを送ればよかったのである。原発は人災だからまた話は別だが、地震津波で絶望に襲われても東北魂は必ずや復興の地を築き上げるのである。豊かな恵みを齎してくれていた海が牙を剥き、父祖伝来の地が崩れ割け寸断され、愛する家族や友人や教え子や社員を喪い、後方の安全地帯にのうのうと暮らす私たちの想像を絶するようなご苦労を被災地の方々が今この瞬間もなさっているのは間違いないが、僕は東北再生を信じ、そのために自分のできることを惜しまず継続していきたい。
チンドンコンクールの純益を全額被災地に送る・コンクール上位者を岩手宮城福島に派遣する・会場で募金をする・YouTubeにアップして被災地の皆さんに楽しんでいただくなど、被災地に役に立つ活動はいくらでもできるはずである。プロ野球の「電気喰い虫」と違ってチンドンは、二本の足でほとんどがアコ-スティック楽器で町を練り歩きステージでパフォーマンスを行うのである。年配者の中には、子どもの頃、チンドンのスタンダードナンバー『竹に雀』を追っかけた経験がある方も多いのではないだろうか。チンドンは老若男女共通の数少ない娯楽である。

非国民」「パーマネントはやめませう」「ぜいたくは敵だ」「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」。このような類のスローガンがやがて叫ばれるのだろうか。そんなことで東北人は喜ぶのだろうか。
過剰な自粛」はそれこそ「自粛」してほしいと僕は思う。
こういう記事を載せるとブログ炎上必至かな。ついでに言うと、ACの仁科母娘の広告(僕も何度か見ている)に非難が殺到しているそうだが、それもおかしな話だ。
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by tiaokumura | 2011-03-26 20:17 | 富山 | Comments(4)

ブログ「アジア子どもの夢 東北地震支援プロジェクト」のご紹介

高才弘さん(有限会社コーズ代表)からCcで3月24日13:56付でメールが送られてきた。
被災地支援のブログを作りました。
ということです。早速そのブログ「アジア子どもの夢 東北地震支援プロジェクト」にアクセスする。その後高さんのケータイにTELし、同ブログの当ブログでの紹介許可を得た。
高さんは、富山国際学院がNPO法人に組織替えしたとき、パンフレットのリニューアルを誰かに頼もうと思って柳原正年大人(大楽塾)に相談してご紹介いただいた方です。高さんは「フツーのおっさん」の風貌ですが^^、まあ肩書はデザイナー兼プロボノになるでしょうか、僕が折に触れ相談に乗っていただいているチューターのお一人です。
「アジア子どもの夢」(川渕映子代表)は、年に1回程度チャリティコンサートのお手伝いなどをさせていただき、一方で何かの時に川渕さんたちにアドバイスいただいたりしています。
ブログ「アジア子どもの夢 東北地震支援プロジェクト」から引用。
「アジア子どもの夢」は、ベトナム戦争で被災した子どもたちの自立支援、四川大地震やインドネシア津波の被災者支援を行ってきた草の根NGOです。今回、東日本大震災の被災地へ救援物資を届ける活動を始めました。

今回、ネット上ではツイッター・FaceBook・ブログなど、中にはひどいのもありますが、21世紀の新しい交流手段として大いに力を発揮しているようですね。今回ご紹介しているブログ「アジア子どもの夢 東北地震支援プロジェクト」(右にもリンク)、皆さまにもぜひアクセスしていただき活用していただきたいと思います。今現在の記事は、
「集まった支援物資」「2011年3月20日(日)石巻市湊地区」「現地の救援物資リクエスト 湊地区・参道会館」
です。

救援物資、「必要なところに必要なモノを必要なだけ素早く」が理想なのでしょうが、物流ルートの困難もあって、ミスマッチやまだら模様の救援も多いようです。後方の地域の輸送手段(飛行機・船・トラック・バイク・自転車など)・灯油軽油ガソリン・食料・水などをもっともっと提供できたらいいでしょうね。そのことによる後方地(いわば銃後)の我々の不便も互いに分かち合える。世の中、買いだめする馬鹿・日常と変わらぬ浪費家は必ず一定数はいるものですが、そんなに多くいないはず。

被災地の皆様全員に、一刻も早く必要なモノの必要な量が次々に届きますように。
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by tiaokumura | 2011-03-24 19:36 | 東北地方太平洋沖地震 | Comments(0)

Erik Satie : Gymnopedie No. 1(YouTube)


(3月21日午後・記)
昨夜「癒しのメロディ エリック・サティの世界」を観た。BS朝日、午後9時から約2時間。3月13日放映予定だったのが1週間遅れてオンエア。成海璃子(なるみ・りこ1992-)がガイド役。
僕がエリック・サティ(Erik Satie)を初めて知ったのは20代半ば、池袋で働いていた頃に女友達に教えてもらった。田舎出の身には、音楽の教科書でドビュッシーやラヴェルの名前くらいは知っていてもサティなんて言われても全くわからなかった。

エリック・サティ(Éric Alfred Leslie Satie)は1866年5月17日オンフルール(Honfleur)に生まれ、1925年7月1日パリに死す。
TV番組、12歳でパリに出るまでサティが過ごしたオンフルールが成海音楽紀行の出発点。
サティの父は海運業を営む。6歳のときに母を亡くす。8歳の時サン・レオナール教会の神父から音楽の手ほどきを受け、パイプオルガンに魅せられる。生家はサティ博物館として現存。番組中、成海はオンフルールのヨットハーバーのレストランでガレットを食べていました。僕、昨夏の神戸で食べた。
パリではコンスタンチノープル通りに、音楽出版業に転じた父・ピアノ教師の継母らと住む。やがてパリ音楽院(Paris Conservatoire)に進学するも彼には退屈な日々、教師からも散々。ロマン主義が最先端な当時、サティはアヴァンギャルド過ぎたんでしょうね。同音楽院を中退し「黒猫」(Le Chat Noir)でピアニスト。1888年、『ジムノペディ 1番』作曲。
1889年、パリ万博。ジャポニズム沸騰。番組中で『ジュ・トゥ・ヴー』『グノシェンヌ 1番』『ジムノペディ 1番』が琴演奏された。演奏者の名前をメモし忘れたのですが(みやざき某さん?)、彼女の言うサティの「呼吸するような自然の間(ま)」、なるほどと思った。「日本人のサティ好き」(30以上のTVCMでサティが使われているそうです)、こういうところにも一因があるのでしょうね。
シュザンヌ・ヴァラドン(ユトリロの母)との出会い・同棲・破局。『ヴェクサシオン』はシュザンヌとの別れの後にできた曲。タイトルが「いやがらせ」で840回繰り返せってんですから、サティさん、すごすぎる^^。でもシュザンヌはサティの初恋の人でありその後サティは生涯女性と関係することはなかったそうです。
オーヴェルジュ・ドゥ・クルでピアニスト。彼の音楽を理解する者が少ない中ドビュッシーと出会う。ドビュッシーは彼の音楽を高く評価し『ジムノペディ 1番・3番』を管弦楽に編曲。
困窮するサティはモンマルトルのアパート(1890-98年住む)を引き払いアルクイユのアパートへ引っ越す。アパートからパリのシャンソン酒場まで12kmの道を徒歩で通う。私たちにお馴染みのあのスタイルで。因みに彼、同じ服7着を着回し、黒い傘を100本持っていたそうです。「貧乏紳士」と言っても「着たきり雀」じゃなかったんですね。
1905年、スコラ・カンドルムに39歳で入学。音楽家としての飽くなき追究心からの入学でしょうね。普通ならできないし、しないでしょうね。サティは自分より20歳くらい年の違う若者たちと混じって対位法を学ぶ。1908年、最優秀で卒業。
時はベル・エポック、アール・ヌーヴォー、エコール・ド・パリ。サンジェルマンの「ドゥ・マーゴ」でつるむコクトー、ピカソ、サティは世間をあっと驚かせるコラボ「パラードPARADE」を発表する。
1925年7月1日、苦しみながら亡くなる。59歳。簡素な墓には「偉大な芸術家で 心やさしい名誉市民 ここに眠る」の墓碑銘。
番組中では上述と重なりますが、『ゴシック舞曲』『ひからびた胎児』『ジムノペディ 1番』『ジュ・トゥ・ヴー』『グノシェンヌ 1番』『ピカデリー』『家具の音楽』など。一部、高橋アキが演奏。
このTV番組、パリ観光ガイドにもなってるのでしょうね、モンマルトル、シテ島、サンジェルマン、カルチェラタン、ピガール、モンパルナス、マレなど。エッフェル塔、ノートルダム寺院、サントシャペル教会、オペラ座、オルセー美術館、サクレクール寺院、サンジェルマンデプレ教会など。
また、うどん・まんが喫茶・ゴスロリなどパリのイマドキのジャポニスムも番組中に挿入。

私のような偏屈者は「癒し」という言葉は苦手なのですが、音楽の力は偉大である。
被災地の皆さま。放射線の恐怖と戦いながら原発事故処理に当たられているFukushima50・自衛隊員・東京電力社員、そしてそのご家族。被災地で救命救援復旧活動に携わっていらっしゃる関係機関各位・ボランティアの方々。
皆さまの心がサティ(や他の)音楽によって少しでも安らかになられることを祈念いたします。

(注)
この記事は、Wikipedia英語版・日本語版・フランス語版も参考にしました。
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by tiaokumura | 2011-03-20 18:56 | 音楽 | Comments(0)

竹内正人さん「妊婦さんへ-震災を受けて-」

ブログ「風と虹」より以下孫引き転載いたします。(奥村)

産科医 竹内正人さんのいのちのブログより転載させて頂きました。

妊婦さんへー震災を受けてー 
さまざまな情報が飛び交い妊婦さんも不安に思っていると思います
そんな妊婦さんとご家族へQ&A式のメッセージです
1)こんなときはどう過ごせばよいのですか?
普段どおり心穏やかに過ごせるにこしたことはありませんが、そうはいかないですよね。被災地の妊婦さんは言うにおよばず、そうでない地域の方も、報道を見ているだけで動揺し、何もする気がおこらなくなっていたかもかしれません。東京でも、スーパーにはものがなくなってゆくし、各地でガソリンがなくなってゆくなど、生活もいつも通りにはいきません。被災者の方々に何もしてあげられることはできないと、自分を責める方もいることでしょう。
震災が起こって数日間は、仕方なかったことです。ただ、これからは、できる範囲で生活のリズムを立て直し、規則正しい生活を取り戻し、体を動かすようにしてゆきましょう。そうすることで、あなたの気持ちも少しずつ心穏やかになってゆきます。今あなたができる一番大切な仕事は、あなたと次の世代の命である、赤ちゃんの環境をできるだけ整えることです。食事は質素になっても、赤ちゃんには優先的に栄養は供給されるので、あまり心配しないでください。節電をしながらも、厚手の服、靴下などを身につけて、体を冷やさないように対応していってください。
あなたは、赤ちゃんとつながっている。それは、赤ちゃんもあなたのことを守ってくれているということです。きっと、大丈夫です!
2)放射能の影響はどの程度心配したほうがよいでしょうか?
現時点では、母子には心配ないと考えてよいでしょう。
放射線とは目で直接見ることができません。また、音や匂いもないので、日常では意識することはないと思いますが、自然界にも放射線があります。私たちは1年間に宇宙や、大地、空気中のラドンや食物から平均2.4mSv(ミリシーベルト)という量の放射線を受けています。レントゲンなどの放射線検査も含めると日本人1人平均で5mSvの被ばくを受けています。
放射線の人体への影響のうち、胎児へ影響が出てくるのは、一般には最低100mSvを超えた量の被ばくがある場合です。今回、12日午後1時に原子力発電所の敷地境界で1時間あたり約1mSvの放射線量が計測されました。これは大きな線量ですが、基準となる100mSvとは、単純に計算しても妊婦が敷地内に100時間いた場合の線量となり、現実的ではありません。
放射線被ばくの防御の3原則は以下のとおりです
① 距離
線量は距離の2乗に反比例します。具体的には、敷地境界で1時間に1mSvの放射線は10kmはなれると、1×1/100で、0.01mSvとなります。
② 時間
被ばくの時間が短ければ、それだけ被ばく量も少なくなります。
③ 遮蔽
屋外より屋内にいれば、より被ばく量は少なくなります。
3)停電や電車本数減少で、タクシーがつかまらなかったり、道の渋滞も考えられます。陣痛などの時には、救急車を呼んだらまずいでしょうか。
通常の陣痛では、タクシーは呼ぶべきではありませんが、病院にたどりつく手段がない場合は、病院に連絡して指示を仰ぐようにしましょう。どうしても必要となれば、救急車を呼んでかまいません。ただし、今は呼んでもなかなか救急車が来ない状況も想定されます。落ち着けというのが無理な話ですが、これまでの経過が正常であれば、痛みが強くなってきても赤ちゃんは大丈夫です。もし、万が一、万が一ですよ。病院に間に合わないうちに赤ちゃんが生まれてきてしまったら・・・、そんな場合は、パニックになるかもしれませんが、ここは覚悟を決めて自然にまかせましょう。こうして生まれてきた赤ちゃんは、幸いたいていは元気です。
ここから念のために、緊急時の対応を書いておきます。夫かそばにいる方が(温かい)タオルを何枚か使って、とにかく赤ちゃんをよく拭いてあげること。おっかなびっくりになるでしょうが、ゴシゴシという感じで、全身隈なくです。背中をこすると泣いてくれるでしょう。髪の毛やわきの下の濡れも忘れずよく拭いてあげてください。
赤ちゃんがぬれていなければ、乾いたタオルや毛布でつつんで、お母さんが抱っこします。とにかく保温が大切です。お臍の緒はそのままで結構です。20~30分くらいすると、後陣痛があって胎盤が出てくるかもしれません。その後に出血があると思いますが、こうしたお産では出血もたいていは500ml以内です。大きめのビニール袋があれば、胎盤を入れて、臍の緒はそのままにして病院へむかってください。なお、毛布でくるんで抱っこをすると、それまで泣いていた赤ちゃんがピタリと泣きやみます。その時は、赤ちゃんの手を軽くとってみてください。もし、緊張があれば、赤ちゃんは元気で、泣きやんだのは、元気がないからではなく、お母さんに抱かれて心地がよいからです。
大丈夫です。
(転送可)



(奥村付記)
岩手県一関市に住む姪(長姉の長女)のブログ「風と虹」2011年3月18日付の記事を転載しました。
TVで被災地での出産も取り上げられていましたね。私のような者でも感動し勇気づけられます。当ブログを訪問される妊婦さんはいらっしゃらないでしょうが、必要な方にこの情報が伝われば幸いです。
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by tiaokumura | 2011-03-20 09:09 | 東北地方太平洋沖地震 | Comments(0)

義援金

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(3月18日夜・記)
年度末もあって毎日バタバタ。どこぞの首相と違って、組織トップたる者、イライラせずうろたえず司令塔としてしっかり職務を果たすべきなのですが、小人の悲しさ、ボクはスタッフや学生にいやな思いをさせているかもしれない。.

3月11日、卒業生クラス授業終了。ご担当の先生方、まだまだ仕事は残っていますが、ご苦労様でした&ありがとうございました。

3月12日(土)、床屋・親鸞展・末弘軒(ワンタンメン+α)・紀伊國屋書店(ホワイトデー用8冊・岩波文庫ワイド版『歎異抄』購入)。

3月13日(日)、終日自宅。

3月14日、学習発表会。今年は卒業生のスピーチ。僕はあいにくプライベートレッスンがあって、最後の1人半しか聴けなかったが、なかなか好評のうちに進んだみたい。発表会のあと、全員で黙祷。民族・文化・宗教などによって「黙祷」の形は異なるでしょうから、「黙祷」の日本人なりの意味を学生たちに伝え協力を呼びかける。日頃ワガママで教師の手を焼かせる学生もみごとなまでに「黙祷」を捧げてくれた。黙祷がなおった後、募金を呼びかける。これもビックリなのですが、日頃決して豊かな恵まれた生活を送っているとはいえない学院生たちがさっそく募金に応じてくれた。自分では募金活動は1週間くらいかかるかなぁと思ってたのですが、学生・教師ほぼ全員がその場で募金箱に入れてくれたようです。

3月15日、卒業式。式辞の半分近くを使い今回の地震のことを話す。日本は/日本人は決してあきらめない/負けないと話す。後半ではアントニオ猪木の「元気・根気・勇気」を引用。
卒業式後簡単なパーティ。パーティの最後に学生・教師が全員丸くなってひと言ずつ述べる。富山国際学院の全ての中で僕が最も好きなシーンの一つです。今年も教えられること・感銘することがいっぱいのスピーチだった。僕は既に式辞を述べているので、短いスピーチの後詩吟「送元ニ」。来年は「仕舞 高砂キリ」の予定。
卒業生たち・教師はこの夜、席を改めて卒業打ち上げ。2年前までは僕も参加していたのですが、去年・今年と仕事があって不参加。卒業式の夜、僕は魚津で3時間くらいの授業。授業でも地震のことが話題に。ニューヨークタイムズもルモンドも、海外メディアはこぞって日本人の秩序ある行動を賞賛していましたが(暴動も略奪もなく、互いに助け合っている)、この日教えたインドネシア人学生たちも異口同音に日本人の素晴らしさを訴える。原発事故が拡大するまでは、おそらく外国・外国人は同じように思っていたことでしょうね。原発はそのような正の面のほとんどを吹っ飛ばした。

3月16日・17日、授業・接客・電話・メールなどなど。原発の恐怖が学生たちにあるので、一堂に集め現状について説明。あれこれ噂や怪しげな情報が飛び交っているのですね。「富山で安心安全な留学生活を送る」が学院のミッションなので、こういうときこそ不安を取り除かなければならない。富山が万一の時は、みんなの命を守り全員が無事に母国に帰れるよう全精力・全財産をかけるなど説明。学院生たち、まずまず僕の話がわかってくれたみたいですが、学院生たちがこの後どのような行動をとるか、いろいろ想定し準備しておかなければならない。
東北地方某市の日本語学校から1名、学院生を頼って富山に避難。学院としてできる限りのことをしてあげたい。被災地以外の日本語学校で、このようなケースがたくさん出ていることでしょうね。

3月18日、通常より早目に出勤。あれこれ業務。10時、日本語教師になりたいという方、アポ来訪。ゆっくりお話ししたかったのですが、30分くらいしか時間がとれず。今回お会いしたこのような方にこそ日本語教師として活躍していただきたいのですが、学院は新年度も現有12人のスタッフで足りている(そのことは事前に話済み)ので、何かのときに参加していただきたいということで別れる。このブログや讀賣の記事のこともご存知で、照れくさかった^^。
11時に学院で学生3人と待ち合わせ、北日本新聞社本社ビルへ。こういうことで北日本新聞社を訪れるのは富山国際学院としては四川大地震以来です。新聞社の駐車場が満杯で路上のパーキング利用。集まった義捐金/義援金を1階受付で渡す。私たちが今できる最大のことは「お金」でしょうね。「お金」、どんな形であれ被災地の役に立ってもらえたら嬉しい。アップした写真は北日本新聞社本社ビル1階で撮りました。手前が学生代表3人です。その後4人、10階で昼食。天ぷらそば、おいしかった。同僚の宮田妙子さんからも聞いていたのですが、北日本新聞社10階の食堂(11時半オープンか)、値段・味ともお薦めです。今食欲が全盛期の3~4割に落ち込んでいる僕にはボリュームが多かったですが。被災地の方々を思うと、こうして暖かい部屋で窓外に立山連峰の雄姿を見ながらのんびりとおいしい食事がいただけることは、とてつもないゼータクなんでしょうね。
1時から4時半までE組担当最後の授業。6時過ぎ帰宅。
明日は土曜出勤。川田有紀子先生の観世流華川会のお稽古には参加できそうにない。とほほ。ま、こういう時ですからしょうがないでしょうね。
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by tiaokumura | 2011-03-18 11:26 | 東北地方太平洋沖地震 | Comments(2)

被災地からの声

ブログ「大験セミナー わくわく日記」2011年3月17日付:お願い致します
自宅の固定電話が本日ほぼ1週間ぶりに復旧しました。多くの方々が心配し、自宅に電話をかけて頂いたようですが、ようやく我が家のライフラインが復旧した感じです。
ガスの配給もなんとか大丈夫とのこと、一関市の残りの問題は、食料と灯油とガソリンということになります。
岩手県のガソリンのほとんどが北海道の製油基地から運ばれてくるのですが、石油タンカーが停泊する釜石港、大船渡港、気仙沼港が壊滅的な状況ですので、日本海経由での輸送ということになり、陸路は雪と氷に閉ざされた羽奥山脈を横断する道は通れず、かなりの迂回を余儀なくされております。
また西日本からの輸送も、まだ到着していません。被災地では寒さで体調を壊し命の危機に曝されている方々がいっぱいおられます。自家発電用の燃料はもちろんのこと、こちらから被災している親戚や友人を助けに行くにしても、ガソリンがありません。お米などの食料を運ぶことも出来ません。
どうかガソリンや灯油の買いだめを自粛して頂き、東北地区に1日も早くガソリンを回して頂ければと思います。
東北は米どころです。日本の食料の供給地です。3月も後半になり田植えに向けて田おこし等の農作業が始まる時期ですが、機械を動かすガソリンがありません。5月の田植時は河川からの水あげが必要ですが、そのポンプもガソリンでしか動きません。
一滴でもガソリンが必要です。高校野球や各種のスポーツ大会の開催の有無が話し合われているようですが、申し訳ありませんがそんな余裕は今の日本にはないと思います。自国での食料の確保、国民の命が優先課題です。
各団体の、良識ある決断をお願いしたいと思います。スポーツは日本が復興すればいくらでも出来ます。今は人命を救うためのエネルーギー資源確保が一番大切です。45万人が避難所で頑張っています。本当によろしくお願い致します



(奥村付記)
かねごん先生(岩手県一関市)のブログ「大験セミナー わくわく日記」より、ご本人の許可を得て、3月17日付の記事を転載させていただいた。
未曾有の国難にあって、安全地帯にいて日常が営めている私(たち)も試されている。後方の私(たち)は何ができるか・何をしなければならないか・何をしてはいけないか、正しい想像力をもって行動したい。既に私たち日本人が過去の歴史において、関東大震災・アジア太平洋戦争・オイルショック・昭和天皇危篤逝去などの際に誤った想像力をもって失敗したことを忘れずに。
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by tiaokumura | 2011-03-18 07:33 | 東北地方太平洋沖地震 | Comments(0)