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日本社会から「性善説」が消えていく

45年以上前、高校生だった僕は京都大学か早稲田大学に行きたかった。
京都大学は、各受験科目にかなりの実力がないと合格不可能。つまりハイレベルのオールラウンド高校生じゃないと合格は無理。理科は2科目必要だったか。僕は英数も人並だったし中学時代から理科が苦手だったので、京都大学突破は無理だった。ただ、中学時代の友人の山澤君が法学部に進学したので、彼の下宿に遊びにいって何泊かさせてもらったことがある。百万遍あたりの雀荘で彼らとマージャンを打ったがコテンパンにやられた。山澤君は僕が見るところ接待マージャンや修羅場マージャンができる腕の持ち主で、京大生ってすごいなぁと恐れ入った。
早稲田大学は英語とあと社会か数学か選ぶ受験科目だったか。とにかくその2科目(3科目?)に特化して高校3年間(あるいは高2・高3)で受験対策すれば「ひょっとして」も可能だったかもしれない。でも、僕の場合、やはり家の経済状態(ふつうのサラリーマン家庭だった)を考えるととてもじゃないけど「私立に行きたい」なんて言えない。高校在学中に進学大学で育英・県・町と奨学金がもらえそうだったけど(あの頃は-本当はいけないことなんでしょうが-育英+1の奨学金がもらえた)、授業料の工面は難しかった。バイトしまくれば可能だったんかなぁ。ま、どっちみち早稲田受験しても不合格だっただろうけど。ただ、こちらも高校同窓のU君やN君が早稲田に進学し、高田馬場に下宿した僕はルームメートのH君を誘って、U君たちのアパートにマージャンを打ちに行った。ここでも自分がいかにマージャンが弱いか打ちのめされるだけだったけど^^。
僕の大学受験、結局1期校1つ・2期校1つ(当時は国立大学は1期・2期に分かれていた。共通1次もセンター試験もない時代)を受けることにした。1965(昭和40)年2月か3月、1期校受験で上京。受験教室、縦1列に10数人いたでしょうか。倍率を考えるとその中で合格は1人か2人。でも運がよかったんでしょうね、1期校合格できました。高校時代の大学受験経験はその1回だけでした。でも後に還暦近くになって富山大学人文学部の編入試験を受けることになるんだけど^^。

京都大学で入試問題の数学・英語がネットにリアルタイムで流れた。ケータイカメラで撮って外部に流しそこから投稿したのでしょうね。単独犯はありえない(と僕は思う)。早稲田や立教や同志社でも似たような手口があったそうだから、web上にそういうネットワーキングがいくつかできているのかもしれない。主犯は天才的ハッカーで愉快犯なのかもしれない。その周りに役割分担ができている。お互いに面識はないか薄い。その連中、ITや会場周辺の電波状況もよく調べているのでしょうね。そのあたり、僕のようなメカ音痴には想像を超えます。あるいは韓国や中国の例から「学習」しとるんかもしれん。
これからは、たとえ人権侵害と言われようとも(そんなことはないと僕は思うけど)、ケータイやその類を全て一時預かりにしボディチェックもして、という対策を取らなければならないのでしょうね。ごく一部の輩のせいで、従来不要だった人手・設備投資が必要になる。

僕も大学受験時、妄想した。「過去問じゃなくって、今年の試験問題、わからんかなぁ」「前の席の受験生が天才で彼/彼女の肩越しに解答、見えんかなぁ」「採点官、たまたまその朝に夫婦喧嘩してて心乱れてる。僕の受験番号1271を1273と間違えて採点し、合格答案にしてくれんかなぁ」「発表前の合格発表会場に忍び込んで、番号こっそり書き直せんかなあ」などなど。まぁ悪ガキだったかも(激爆)。でもそれらは「妄想」のレベルに留まっていた。皆さんも、似たような妄想なさったんじゃないでしょうか^^。

「大学受験生は不正行為はしない」という性善説の上で試験は成り立っている。受験中に不正行為をした者は即排除。それでもいろんな不正はあったんでしょうね。でも、まさか京都大学で今回のような不正が生じるとは、ほとんどの人が思ってもみなかった。監督官の怠慢も厳しく問われるのでしょうが、たとえそうであっても一概に監督官を責められない。おそらく時給800円くらいかあるいはボランティアで監督やってたんじゃないでしょうか。
IT技術の進化はさまざまな弊害ももたらす。今回のこと、予測してた人もいるでしょうが、「まさか」ってのが僕たち「性善説論者」一般の感想でしょうね。

ホームで列に並んで電車を待つあなた。後を見ると母子、その筋っぽい男性、草食系男子、ビジネスマンなどなど。でも、まさかその中に突然突進してあなたをホームに突き落とそうとする人物がいるなんて、思いもしませんよね。ホームであなたは性善説
買い物に行ったショッピングモール。映画のポスター見たり本屋を覗いたり健康食品チェックしたりジムのパンフ手に取ったり。でも、まさかそうしている間に刃物を持った人物が無差別に襲い掛かるなんて、思いもしませんよね。ショッピングモールであなたは性善説
露天風呂であなたはいい気分。「いっいゆっだっなー」なんて歌っている。仕事のことも忘れしばし癒しの時間。風呂の中には数人。でも、まさかその中の一人があなたの頭を押さえつけ浴槽に沈めようとするなんて、思いもしませんよね。露天風呂であなたは性善説

国際社会で日本人は「お人好し」なのかもしれないけど、ビジネスパートナーとしてあるいは上司としてあるいは同級生としてあるいは技術指導者としてあるいは・・・さまざまな場面で、某国人や某国人や某国人etc.と比べて日本人は好かれている。それはあなたも私も「性善説」を信じているからじゃないでしょうか。日本人のこれまでの蓄積が、国際社会での日本人の評判を呼んでいる/いた。「だますよりだまされたほうがいい」という日本人の心性も同じルーツでしょうね。
でも今や私たちは「性善説」に拠って立つことが困難になっている。「性悪説」に立ったほうがいい社会現象が数限りなく起きている。
日本社会はどうなっていくんでしょうね。でもまぁ僕は性善説を基本にして残りの人生を生きていきたい。難しいことなんでしょうけど、あきらめない。
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by tiaokumura | 2011-02-28 20:20 | 言の葉つれづれ | Comments(0)

「隠し文学館 花ざかりの森」記念講話「館長、35歳の三島を語る」、当選しました!

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昨日帰宅したら嬉しい便り。往復はがきで申し込んでいた
「隠し文学館 花ざかりの森」記念講話「館長、35歳の三島を語る」
の当選案内。
僕、これで毎回当選です。確率から言って、実に運がいい男です。

今回の「三島由紀夫展」については当ブログこちらに書きましたが、以下、北日本新聞2月26日付記事より一部ご紹介します。
(前略)今回は自決の10年前に当たる1960(昭和35)年にクローズアップした。
 原稿用紙2枚の直筆稿は「青春の敵」と題し、婦人公論2月号に発表した評論。若者の創作活動に対する意見を辛辣に述べている。
 三島が作、演出を手掛けた「通し狂言 椿説弓張月」のポスター、連載小説「宴のあと」の最終回を載せた中央公論10月号も展示した。杉田欣次館長は「文芸から演劇、映画まで幅広い分野で活躍した三島について、多くの人に知ってもらいたい」と話している。

余計なことですが、引用中「~にクローズアップした」って表現、「~をクローズアップした」または「~に焦点を当てた」「~にフォーカスした」じゃないかなぁと思うのですが、僕の間違いか。

今回の「三島由紀夫展」期間中(2月26日~3月21日)、「記念講話」の他にあと2つ関連イベントがあります。
絵本の読み聞かせ 13日午前10時半
文章講座 20日午前10時半
申し込み方法は、
往復はがきにイベント名と開催日時、郵便番号、住所、氏名、電話番号を書き、〒930-0916 富山市向新庄町2の4の65「隠し文学館 花ざかりの森」に送る。
定員は20人、締め切りは各開催日の10日前。

とのことです(北日本新聞2月21日付記事による)。
僕は文章を書くのにいつも悩んでいるので、「文章講座」に申し込んでみたい。ただ、年度末なんでやりくりがつくかどうか。

3月6日(日)10時半からの記念講話が楽しみです。1年ぶりに杉田節が聴けます^^。
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by tiaokumura | 2011-02-27 16:04 | 富山 | Comments(0)

まだまだ希望は捨てないでいたい

痛ましい遭難である。
犠牲になられた145人(地元警察発表)の「みたま やすかれ」と祈りたい。

私は富山市立富山外国語専門学校(1985年4月開校)と少しご縁がある。
公立の外国語専門学校って珍しいでしょうね。ウロ覚えだが、当時の富山市長が文化や教育に造詣のある方で、それで同校や桐朋や能楽堂が富山にできたと聞いたことがある。
同校には一般市民向けの公開講座がある。1987年3月になるでしょうか、その中の「英語入門」を受講した。当時の僕、奥村学習塾を開塾して数年、ちょうど塾ブームだったんでしょうね、あまり宣伝せずとも募集でき、日々の授業もまぁ自分なりの理想を求めてあれやこれや取り組んでいた。だが物憂い気分もあった。「青い鳥症候群」だったのかもしれない。「このままの自分じゃダメだ」と思い何かを習おうと思っていて、新聞記事を読んでだったか富山市立外国語専門学校(通称「外専」)を知った。どうせ英語を習うなら最初っから習おうと「入門」を受講した。講師のお名前は忘れたがお顔は覚えている。僕は今語学教師の端くれをやっていますが、あの先生の授業がすばらしかったことを今もまざまざと覚えている。受講生の8割は女性だった。中には戦中にあって英語を学ばなかった方々もおられた。生涯学習の範となる方々がたくさん受講されていた。2年目は「初級」に進んだ。その時に出逢った太田英一先生には感謝しきれない恩義がある。僕、人生で初めて英語学習に目覚めたんですね、太田クラスで。あの時ほど英語を一生懸命に学んだことは先にも後にもない。先生は受講生に「3分間スピーチ」を課された。「よし、毎回挑戦してみよう」とあれこれネタ探し&発表準備。あの当時はDaily Yomiuriが安くって定期購読し、あるいは当時金沢にあった丸善でBob Greeneのペーパーバックなどを購った。その時のスピーチは”Thus Spake a Middle-aged Man”(「中年男かく語りき」)という題で妻に筆で題字を書いてもらい、冊子を30部ほど作り友人知人に配った。天皇のことでダグラス・ラミスに手紙を書いたのもその頃だし、太田クラスの文集"KALEIDOSCOPE"の編集を手伝わせていただいたのもその頃。その次の年は「中級」に進んだ。今もそうでしょうか、外専は中級からネイティブ講師。期待が大きかっただけにガッカリ。今日本語教師なんで自戒しているが、語学教師ってネイティブなだけじゃダメなんですね。その女性講師、一生懸命さは伝わるのですが語学教師としては実力不足だった。翌年は、自分の実力も顧みず上級の「国際理解」のクラスを取った。スーザン・浦上先生。ご主人が日本人で僕の自宅近くにお住みだった。後に日本語教師になる僕には「プロの語学教師というのはこういうものなのか!」と、毎回眼から鱗であった。あの時の経験が今日本語教師としての自分の中で生きている。
外専通いの年月の中で英語検定にもチャレンジした。級は何も持ってなかったので5級からチャレンジ。受験会場、ほとんど中学生で、当時40代の僕は非常に照れくさかった。受験回数ごとに4級→3級→2級と進んだ。英検って3級から面接試験がある。僕、外専で2次面接試験を受けました。偶然なんでしょうが、3級も2級も川端國昭先生でした。先生に英語を習ったことはなかったのですが、外専に出入りしていてお顔は存じ上げていた。試験で緊張している僕をお優しい笑顔で包んでくださり、おかげで両級とも1回で突破できた。英検、その後は仕事が忙しくなり上の級は受検していない。受けても無理ってのもありますが^^。
外専では他に、田中啓子先生にフランス語を習い、キム・ユンオク先生に韓国語を習い、銭輝老師に中国語を習った。キム先生のご主人は当時は富山国際学院の専任で、そのご縁があって僕の今の勤務先の富山国際学院に入ることができた。銭老師には今もあれこれアドバイスをいただいている。
富山市立富山外国語専門学校は、勤務先の富山国際学院の進学相談で何度か訪れたこともある。同校は初めは外国人留学生は想定外だったようだが、その後門戸が開け、僕の知る限りでこれまでにロシア・中国など6名が同校に合格している。

川端國昭教授スーザン・浦上先生クライストチャーチに入られた。少し前の朝日新聞記事で知ったのですが、川端先生の娘さんの奈良女子大2年生も行方不明なのです。川端先生のご心労たるや僕なんかの想像を超えるものがあるでしょうね。学生想いで良き父親である川端先生は、今朝の北日本新聞で「父の立場隠し 毅然と」と報道されている。
かつて僕は外専のスーザン・浦上先生の授業を引き続き受講したかったのですが、ご出産で休職された。お子さん(小学生?)を置いてのご出張、スーザン先生も現地で貴重な支援をなさるに違いない。
神保正准教授もクライストチャーチに出発された。神保先生とはボランティア活動で年に1回くらいお会いしています。頭の回転が速く、状況把握能力に優れた方です。

民主党、またバカをやりましたね。前原外相、救援の政府専用機に家族を乗せたいということで、同乗希望者名簿を出すように学校に連絡してきた。ところがその後飛行機のキャパの関係で無理ってことが判明し、その提案はナシに。そんなこと最初っからわかっとらんかったんでしょうか。リップサービスにもほどがある。前原って、前から思っていましたが、本当に無能な外務大臣です。やっとでさえ心痛な家族・学校関係者の神経を逆撫でするバカさである。あんな大臣に外交は任せておけないでしょうね。インテリジェンスのイロハもわかっていないんじゃないでしょうか。他にも今の民主党ってアホな発言・行動、多すぎる。

King’s Educationの富山外国語専門学校生12人(19歳10人・22歳1人・61歳1人)を含む多くの方々の行方がまだ不明。地震発生から5日目の夜になったが、過去にも事例があるようにまだまだ救出者の希望は捨てないでいたい。
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by tiaokumura | 2011-02-26 20:13 | 富山 | Comments(8)

おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒 滋酔郎

記憶アホなもんで(恥)ついつい忘れてしまいそうだった2月25日、今日でした。
いつも通りの朝。8時前に病院に来るようにとのことだったので、7時半過ぎ自宅を出る。途中、中学生・高校生の登校風景。8時前病院到着。病院の駐車場、けっこうスペースあり。雨が近いような曇り空。
大病院って学生の見舞いなどで日赤などに行くことはありますが、自分のことでは今回のS会病院が初めて。必ずしも加齢のせいではないでしょうね、僕、受付などようわからん(照)。でもまあ教えてもらってなんとか受付を済ませる。
待ち時間、新聞を読んでこんだんで朝日新聞を読む。待ち時間の長さを覚悟で『実践・漢字指導』(くろしお出版)も持って行ってたのですが、8時半前に名前を呼ばれる。検査室に入る。諸注意や着替え。ベッドに横たわり、フェースヘル(ってんでしょうか)をかぶる。なんかロボコップになった気分^^。ヘッドホンからバロック音楽。こういうときってバロックかモーツァルトあたりなんでしょうね、BGMって。ワシみたいなんは演歌が似合いそうじゃけんど^^。鼻の頭がかゆいので困った。
15分ほどでMRI検査終了。それから脳外科に行ったら、血圧測るようにとの指示。測り方がようわからんで(恥)、教えてもらう。最高血圧138・最低血圧78・脈拍数85。これってどうなんでしょうね。
脳外科前で45分ほど待って、受診。これで3回目になるか、主治医の方。握力も測るんですね、意外でした。自分、中高校生頃は、スポーツやっとったんで握力まぁまぁだったはず。今回は右が40・左が38。かなり衰えたんでしょうね。
PC画面見ながら主治医の説明。右脳動脈瘤、前回と変わらないみたい。医師から「血圧注意・禁煙・禁酒」の指示を受けて退室。自分、血圧はともかく禁酒・禁煙は無理っす(大恥)。僕の最近は、晩酌=キリン中ビン1本弱、フロンティアライト(この銘柄、発売中止みたい)=1日20本弱です。因みに僕の場合、薬なんてもんはないんですね。

10時過ぎ、会計を済ませる。僕は3割負担なんでしょうね。「MRI撮影」など4項目で2150点・21500円で、6450円を払う。1万円札持っていっとったんで「つけ」にしなくて済みました(激爆)。
会計の後、自宅・富山国際学院にTEL。

ご心配をおかけした方もありますが、上述のようなことで、今のところ緊急にどうこうってことはありません。

帰りの車中、ちと考えた。「我や先、人や先」-僕も死についてよく考えておくべき状況になってるんでしょうね。僕は、病死・事故死・他殺・自死、どれになるんでしょうね。高所恐怖症なんで、落下しながらの死は御免被りたい^^。理想は「自宅で笑みを浮かべながら静かに」でしょうね。
日本人の死因で一番多いのはでしょうか。僕も癌で死ぬのかもしれませんね。そんなことを帰りの車中で考えていて、3つのことも頭をよぎった。
①「ガンかて笑って死ねるんや」の中村正尭医師(国立大阪病院)。
②ガンを告知されて「がーん」と言ったマルセ太郎(1933-2001)。僕、マルセ太郎、好きでした。マルセ版『泥の河』『ゴッドファザー』『道』『天井桟敷の人々』『椿三十郎』『ライムライト』『砂の器』など、DVDとかあったら見てみたい。マルセのような芸人、もう2度と現れないでしょうね。
江國滋(1934-97)。若い方には江國香織(1964-)の実父と言えばおわかりになるでしょうか。俳号が滋酔郎。名句の数々があるのでしょうが、僕の覚えているのは1句だけ。
おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒
ダンディすぎる~、って感がします。

次回の病院検査は8月12日(金)。忘れんよーにせんにゃ。

以上、久々の「メメント モリ」でした。今夜はこれから「風呂敷残業」します(照)。
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by tiaokumura | 2011-02-25 20:04 | メメント・モリ | Comments(0)

団塊世代よ、「ばか者」になろう!

韓国人男性は一生で3回までしか泣かない」と聞いたことがある。「おぎゃあ」と生まれた時、母親が死んだ時、そして祖国が滅んだ時-確かそんなことだったような気がする。「母親」は単に「親」だったかもしれない。そうだったら「4回」になるけど。祖国が滅んだ時が泣く時の1回に数えられるのは、中国・日本・アメリカに蹂躙された歴史や「恨」の民族意識から来るのでしょうか。

本記事、昨日の続きになるか。
団塊世代の皆さん、いかがお過ごしですか。ご当地も春の息吹を感じられる気候になったでしょうか。あるいは周囲に残雪が見られる土地にお住みでしょうか、あるいは・・・。
皆さんにおかれましては、孫の世話・年金計算・病院通い・健康法情報交換・老いらくの恋・生涯学習などもいいでしょうが^^、今日はちょっとこの記事をお読みください。私は当ブログ主宰者の奥村隆信(1946-)です。
政治も外交も経済も不確実で不透明な日本国。あなたには他の世代にはない余裕があるはず。もちろんあなたはご多忙な日々をお過ごしでしょうが、1日24時間の中のほんの少しの時間でもよろしいですから、日本国であなたの持つさまざまな能力を発揮していただきたい。
今の日本社会ではさまざまな困難を抱えて生きにくい人生を送っている人が何人もいる。そんな人のためにあなたがちょっと支援できることはないでしょうか。あなたの社会人としての経験を生かす、あなたがお持ちのスキルを活用する、あなたのお金から少し援助する(寄付する)、あなたの空き時間を活動に提供する、あなたが呼びかけ人になって新しい運動を立ち上げるetc.-あなたにはできることがきっとあるはずです。何をすればいいかわからない時は、ネットで検索すればあちこちヒットするはず。
もちろん活動にあたっては警戒心も必要でしょう。決して怪しげな団体にたぶらかされたりムダなエネルギーやお金を費やしたりしないようにしてください。

男性諸君。昔見た映画で、花田秀次郎は我慢に我慢を重ね遂に悪玉一家の許へと殴り込む。高倉健、かっこよかったですね。花田って「ばか者」キャラでしょうね。
女性の皆さん。皆さんは、時には茨を切り裂き時には身を翻し颯爽と時には男性排除・女だけで、娘・女・母・祖母・人間として生き抜いてこられた。
団塊世代の皆さん。「ばか者」になってみませんか。あなたの人生、費用対効果(時には大切ですが)・Money comes firstは止めにしましょう。
余談ですが僕、日本ほど社会主義な国はないと思う。そこがこれまでの日本の良い点だったと思う。かと言っても無論あなたが社会主義者になる必要はありません。また、「乃公出でずんば」なんて力入れる必要もありません。ちょっとあなたの能力を支援に割いていただけたら幸甚です。
あなたのミッションは
あなたや私が享受できた人生並の人生を、後続世代(在日外国人も含む)も享受できるようにすること
です。キザな言い方をすればNot Bad Future(NBF^^)に尽力です。Better Futureにしたいところですが、それは難しそう。
冒頭の韓国人男性のような緊張感を持って、あるいは志や夢を抱いて、残りの人生を生きられればいいですね。

団塊世代の皆様、「ばか者」になってみませんか。
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by tiaokumura | 2011-02-21 19:47 | このブログのこと | Comments(0)

よそ者、わか者、ばか者

勤務先の富山国際学院は僕を入れてスタッフ12人(他に育児休業中1人、外部授業のみ担当1人)です。12人中で、富山生まれは6人・「旅の人」(富山ではこういう言い方をする)が6人かなぁ、若者は20代ゼロ・30代は2人かな、馬鹿者はKさんとボクか^^。
僕が小学生か中学生の時だったろうか、住民運動会であいさつに立った男性が「今日は『女のくせに、女だから』はやめましょう」と呼びかけた。戦後の課題の封建制度打破だったんでしょうか。記憶って難しいところがあるので、ひょっとしてこの記憶はセレクティブ・メモリーの類かもしれない。

昨日の記事を書きながら(打ちながら?)、花森安治(1911-78)・松田道雄(1908-98)や「思想の科学」(雑誌は1946-96。ただし途中休刊あり)を思い浮かべた。「女・子ども」のための世界構築にも功があった人物であり運動であった。

僕、これまでの60余年の人生で、いくつかの組織に属しいくつかの運動に加わって来たんでしょうね。このブログで以前にも書いたが、残りの人生で関わるであろう組織・運動について考えることがある。かつてのような先鋭で特権で教条主義の組織・運動はもう不要でしょうね。21世紀の理想の組織・運動を考えてみる。
例えば、坂東眞理子を富山県知事に担ぎ出そうとする。そこには、政策の対抗軸を嗅ぎ出す選挙のプロ、共感が呼べる広い呼びかけができる人物、戦術戦略会議でおいしい飲食物を提供できる人、富山県の地理に詳しく運転上手な数人、マスメディア対策に精通した仕掛け人、キャンパスや街角で若者を巻き込めるお兄さん・お姉さんたち、企業内投票先叛乱の地雷を埋め込めるビジネスパーソンなどなどが必要でしょうね。
例えば、サードカルチャーキッズのサポート。そこには、出生・園児段階からデザインできる町の教育者、教科指導ができるプロボノ、行政や法律に明るい実務家、地域あちこちの居場所・駆け込み寺主宰者、教育が子どもの人生の重要なファクターであることを親に説得できる人、バイリンガルあるいはトリリンガルの日本語母語話者、母語文化保持について見識を持ち有効な手立てが打てる人などなどが必要でしょうね。
例えば、ある映画を富山で自主上映する運動。そこには、映画に惚れ込み運動の全体像が描けるコアになる数人、チラシの文案・デザインに長けた人、上映会場を探し交渉できる人、採算が取れる動員数を確保するため奔走できる人、広報宣伝戦略が練れる人、当日のモギリ・客席整理・ロビー活動などができる人、上映中に手話通訳や保育ができる人、上映後に残って片づけができる人、映画から発展して「次」の道を進む人などなどが必要でしょうね。
ミーティングでは、ファシリテーター(ワークショップ)やホスト(ワールドカフェ)も当然必要になる。フラットであることは大切だが、悪しき多数決・悪平等・無責任体制は避けねばならない。
一つのミッションが済んだら、あっさりと解散する。ミッション毎に離合集散が起こり、ゆるやかなネットワークも一方で醸成される。

何で読んだか、だれに聞いたか、「よそ者、わか者、ばか者」という言葉。21世紀の組織・運動の中核をなすのが「よそ者、わか者、ばか者」でしょうね。
よそ者」、地域の縛りから自由な人でしょうね。しがらみから逃れていて、しかも地域の今後について想いが馳せられる人。一過性じゃないことが大切かも。
わか者」、それは年齢じゃないのでしょうね。シニアでも青春者はいる。まぁそうは言っても、「わか者」として無茶ができるのは30代前半までかもしれない。
ばか者」、ご本人には名誉な称号でしょうね。僕も「ばか者」としてあの人この人を思い浮かべられる。団塊の世代は「ばか者」の供給源になるでしょうね。

市民運動家上がりの限界なんでしょうか、菅直人、崖っぷち。八方塞がりから脱出は困難。いろんな怨み節を残して間もなく折れるんでしょうか。
この国にあって僕は、「よそ者、わか者、ばか者」に期待するところ大である。「よそ者」でも「わか者」でもないボクは「ばか者」を目指すべきなんでしょうね。

今日の昼食、三が日以来の昼酒(照)。干いわし・ゲンゲのおみそ汁、そしてあいまぜ雑炊。みそ汁と雑炊なんて奇妙な取り合わせでしょうね(汗)。こういう食事(ビールはともかく)、富山ならではです。

今朝の朝日新聞「読書欄」、佐野眞一「on reading」は森達也『A3』・内澤洵子『世界屠畜紀行』と並んで黒岩比佐子『パンとペン』を取り上げていた。須賀敦子の時と似てるんでしょうね、没後も黒岩比佐子は更に多くの読者・支持者を得ている。

僕は明日から多忙。無事週末を迎えられますように。「終末」なんてことにならんよーに(激爆)。
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by tiaokumura | 2011-02-20 20:34 | このブログのこと | Comments(0)

今夜はひとりカラオケ@PC前かも^^

今朝の朝日新聞「うたの旅人」『女ひとり』でした(文・伊藤千尋、写真・小杉豊和)。僕はこの歌を聞き始めた頃は「恋に憑かれた女」だと思っていました(照)。正しくは「恋に疲れた女」。でも彼女は「女ひとり=自立した女」で、うじうじと未練がましく男をひきずっていない。「戦後強くなったのは女と靴下」と言われた時代から約15年経ち、男が相変わらず「男」を引きずっている時代(今も続いているか)にあって、「天の半分を支える」(毛沢東)女性は「恋に疲れても襟を正して自らの力で新たな人生を生きようとする、凛とした女性」(伊藤千尋)として時代のさまざまを切り開いていった。先日獄中死した永田洋子(1945-2011)は時代のエアポケットに落ちた犠牲者であったのかもしれない。
僕は大学時代、実習旅行で三千院・嵐山・大覚寺は訪れたことがあるような気がする。高山寺はどうだったかなあ。朝日記事中で、伊藤千尋は結城紬の若きデザイナーの上村絵里加を誘い、1月末に三千院を訪れる。今回の記事には田中優子も登場し、「着物」がメインテーマでもある。「女ひとり」絡みで常寂光寺の市川房枝揮毫「女ひとり 生き こゝに 平和を 希う」も取り上げられている。
『女ひとり』。名詞止め・着物を織り込んだフレーズの対句の詞、古都を思わせ女を想わせる曲調、デュークエイセスの絶妙のハーモニー-日本人が日本人である限り、永遠に残る名曲でしょうね。

ボク、来週から仕事が忙しくなる。一瞬たりとも気を許せない仕事もあれば、まだ予定が確定しない仕事もあり、戦略を思い巡らさねばならない仕事もあり、もちろん通常の仕事もあり、更には年度末に向けて着実に推し進めなければならぬ仕事もある。
ワシ、息抜きと言おうか英気を養うと言おうか、今夜はひっそりと「ひとりカラオケ」なんぞで過ごそう(照)。長いこと、カラオケ、やってないんじゃないかなぁ。この間の中学ミニ同期会が最後だったかも。
以下、YouTubeより3曲アップ。でも2曲はアップ不調(1記事で3曲って重過ぎるんでしょうか?)みたい。削除するかもしれません。自分のPCには「お気に入り」に3曲とも入れてあります。
1曲目は朝日記事で「鼻歌では歌えない、とメンバーが言う」(谷道夫)『女ひとり』
作詞・永六輔、作曲・いずみたく、歌・デュークエイセス。昭和40(1965)年。


2曲目は『カスバの女』
作詞・大高ひさを、作曲・久我山明、歌・エト邦枝。昭和30(1955)年。後に緑川アコらの競作でリバイバル。

3曲目は『おんなの宿』
作詞・星野哲郎、作曲・船村徹、歌・大下八郎。昭和39(1964)年。

3曲ともYouTubeの「懐メロカラオケ」です。
「カラオケでこんな暗い歌歌って、あんた、英気養えるん?」ってコケにされそうですが^^、ま、ワシの場合、これでいいのだ。天秤座・AB型なんで、もともとネクラなんっす、自分。

追記
うまくアップできないので『カスバの女』『おんなの宿』は削除しました。
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by tiaokumura | 2011-02-19 19:48 | 音楽 | Comments(2)

丈草句抄(中)

「丈草句抄(上)」はこちらです。
(注1)本記事は多くを堀切実・編注『蕉門名家句選』(岩波文庫)に拠っている。堀切実先生に厚く感謝申し上げます。
(注2)句や原文の引用にあたっては、読みやすさその他の理由で仮名遣い・用字用語など奥村の恣意によったところがある。ご容赦願いたい。

内藤丈草(ないとう・ぢやうさう。寛文二(1662)-元禄十七(1704))。尾張の人・俳人・芭蕉十哲の一人。
彼が生きた時代は寛文・延宝・天和・貞享(貞享暦が採用)・元禄になる。彼が没した約20日後、宝永に改元、以後正徳・享保・元文と続く。碩学・小西甚一によれば「享保から宝暦にかけての約半世紀は、俳諧史における藝術的暗黒時代」(『日本文学史』講談社学術文庫版p160)になるのだから、丈草が生きた時代は幸せな時代だったのかもしれない。
近松と西鶴が競い合ったのは丈草の20代、生類憐愍令は丈草26歳の時、赤穂浪士の討ち入りは丈草40歳の時になります。丈草は、近松・西鶴、生類憐愍令、赤穂浪士をどう見てたんでしょうね。
芥川龍之介(1893-1927。俳句に「青蛙おのれもペンキぬりたてか」などがある。岩波文庫に昨夏刊の『芥川竜之介俳句集』あり)に『枯野抄』(1918年)という短篇がある。青空文庫ではこちらで読めます。『或日の大石内蔵助』の前年の作品です。芥川26歳、芥川の中期の作品に位置づけられるのでしょうね。因みに僕が高校時代に好きだった『煙草と悪魔』は1916年、同じく『地獄変』『奉教人の死』は1918年です。
芥川の『枯野抄』執筆動機に「漱石山房」があったでしょうね。単純に図式化すれば「芭蕉=漱石、丈草(芥川では丈艸)=芥川」とでもなるのでしょうか。芥川一流のシニスムで芭蕉の臨終を描く。「花屋日記」(後世の偽書。子規も芥川も小宮豊隆もそれを承知の上で高く評価している)が冒頭に引用されそこには「丈艸」もあるが、作品中では丈草は芭蕉・木節・治郎兵衛・基角・去来の次に登場する。
・・・基角の後には、法師じみた丈艸が、手くびに菩提樹の珠数をかけて、端然と控へてゐたが、・・・(「青空文庫」より引用)
芥川は第8段で、師の死に臨んでの丈艸の心境をかなりな分量を割いて描写しています。誤解を招く前に念のために述べておきますが、芥川は丈草の俳諧を高く買っています(ひょっとしてそれは対丈草の芭蕉の評価以上かもしれない)。
芥川『枯野抄』の話が長くなりましたが(汗)、僕が芥川も丈草も好きだということを述べたかったのです。芥川は、彼なりに解釈した「真実」を描こうとしたのでしょうね。芥川『枯野抄』、若い方には用字・語彙・文法・時代背景などに抵抗を感じるかもしれませんが、人生で1回くらいは読んだほうがいい芥川作品です。20代で読むのと60代で読むのとでは、読後感、きっと違ってる。

芭蕉と丈草」について略年譜を作っておく。なお、丈草の1級史料に向井去来「丈艸誄」があり、誠に便利な時代になったんですねぇ、ネットのこちらで読めます。
寛永21(1644)年 松尾金作(後の宗房・桃青・芭蕉)、伊賀に生まれる。
寛文2(1662)年 内藤林右衛門本常(後の丈草)、尾張に生まれる。
延宝3(1675)年 宗房、江戸に下る。
延宝8(1680)年 桃青、深川に芭蕉庵を結ぶ。
元禄2(1689)年 芭蕉、3月27日に「おくのほそ道」出立。「行く春や鳥啼き魚の目は泪」
           芭蕉、9月6日、大垣着。「蛤のふたみにわかれ行く秋ぞ」
           この年、丈草、去来の落柿舎において芭蕉に入門。
元禄4(1691)年 芭蕉、江戸に帰る。
元禄7(1694)年 10月12日、芭蕉が亡くなる。去来・丈草らが看取る。
芭蕉没後の丈草は、「三年の心喪に服して木曽塚無名庵に籠り、さらに近くの竜が丘仏幻庵に移って無為静安の生涯を送」(堀切実より引用)り、
元禄17(1704)年 丈草、亡くなる。

丈草句抄
①うづくまる薬の下(もと)の寒さかな
元禄7年10月11日夜、芭蕉が夜伽の句を門人たちに勧めたときの丈草の句。芭蕉は門人たちの句の中でこの句のみ「丈草、出かしたり」とほめた。
②以下は、芭蕉没後の作。掲出順・作句年は堀切実・編注『蕉門名家句選』(岩波文庫)に拠る。
②昼寝してみせばや庵(いお)の若葉風(元禄8年)
③聖霊(しょうりょう)も出(で)てかりのよの旅寝かな
④朝霜や茶湯(ちゃとう)の後の薬鍋
⑤春雨や抜け出たままの夜着(よぎ)の穴
⑥陽炎(かげろう)や塚より外に住むばかり
⑦石経(せっきょう)の墨を添えけり初時雨(しぐれ)
⑧帰る空なくてや夜半(よわ)のやもめ雁(かり)
⑨入る月や時雨の雲の底光り(元禄13年)
⑩木枯らしの身はなお軽し夢の中

堀切実・編注『蕉門名家句選』(岩波文庫)に所収の丈草句は110ですが、その内の約80句は芭蕉没後の作で、その内のかなりの数が蕉翁を思慕する句。上記②~⑩はその中から奥村が恣意により抄出した。もし「一句を選べ」と言われれば、「木枯らしの身は竹斎に似たるかな」(狂句木枯らしの身は竹斎に似たるかな)を踏まえた、
木がらしの身は猶かろし夢の中
でしょうね。
-続く-

参考文献
堀切実・編注『蕉門名家句選』(岩波文庫。1989年9月)
小西甚一『日本文学史』(講談社学術文庫。1993年9月)
歴史読本 臨時増刊『万有こよみ百科』(新人物往来社。昭和43年12月)
大日本人名辭書刊行会『大日本人名辭書(三)』(講談社学術文庫。昭和55年8月)
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by tiaokumura | 2011-02-16 19:59 | 言の葉つれづれ | Comments(2)

濱川祐紀代・編著『日本語教師のための 実践・漢字指導』(くろしお出版)

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昨日の会議@富山国際学院で、70年代・80年代の日本語教育について知っている方がおられて、会話はベラボーにうまいのに漢字が全然ってアメリカ人の話が出た。僕の日本語教師としてのスタートは90年代だから、その頃はまぁ僕にとっては「伝説」のような時代です。でも僕も似たようなエピソードを聞いたことがある。飛行機で日本人がアメリカ人と乗り合わせた。流暢な日本語を操るアメリカ人。ところがその人、文字はからきしだった。「けーざい」とか「めーじいしん」とか漢字ではなく音で覚え、英訳(あるいは英語説明)を通じて使いこなしていたんでしょうね。ジョーダンとかアルフォンソが数少ない「日本語教育書」だった頃のことでしょうね。ドナルド・キーンとかエドワード・サイデンステッカーのような方も一方ではいらっしゃったのだから、当時の日本語教育の評価は難しいかも。いずれにせよ、今はアーサー・ビナードのような方もいますから、昔日の感でしょうね。
現役の日本語教師としてはいつまでも「非漢字圏の漢字指導は難しい」などとぼやいていられない。

すばらしい本が出ました。買うかどうか迷った末にとりあえず個人で購入したのですが、すばらしいので勤務先の富山国際学院でも購入しました。みんなに読んでほしい。
濱川祐紀代・編著
『日本語教師のための 実践・漢字指導』

2010年10月22日 第1刷
くろしお出版
2200円+税

濱川祐紀代(国際交流基金)という方は失礼ながら存じ上げなかったのですが、著者には加納千恵子(筑波大学)・徳弘康代(名古屋大学)も。お2人とも、現在の「漢字教育」の第一人者です。日本語学校ではイーストウエスト日本語学校の専任講師2名も参加。帯から引用すると、本書、
学習者の多様なニーズに合わせた漢字指導法やアイデアが満載!
○最新の漢字指導実践報告
○バラエティに富んだ教室活動(タスク)例の紹介
○学習者の漢字教育に対する様々な声も収録

です。
第3部 学習者の声」は貴重。中国語・韓国語・タイ語・モンゴル語・ポーランド語・ロシア語の各母語話者の気持ちが綴られている(pp200-211)。ロシア語母語話者の場合、「先生方には・・・効果的で楽しい教え方を考えてほしい」(p211)と訴える。中国語母語話者は「日本語教師のみなさん、・・・漢字語彙の指導にもっと力を注いでください。」(p200)と綴る。
2010年度の僕は、前期は非漢字圏・後期は漢字圏(と言っても今や「漢字圏」は、大陸・台湾及び東南アジアの華人くらいですが。韓国は、教育政策が最近また変わってきたようだがハングル世代は非漢字圏)を担当。あれやこれや自分なりに漢字教育を展開している。非漢字圏では、①漢字学習の導入段階で漢字学習の重要性・おもしろさをきちんと説明する、②圧倒的な漢字(形声)が意味符+音符であること、③従って分解すること・部首が大切、④宿題・テストを工夫し漢字アレルギーに陥らないようにする、⑤一定数までいったらマッピングやフィールドワークやパズルなど「わかる・楽しい・役に立つ」を取り入れる、⑥電子辞書やケータイやiPADの活用。漢字圏では、①あくまでも「日本語」の漢字だという意識を持つこと、②音読み・訓読みとは何か、どう使い分けるか、③促音化・連濁など漢字語彙のいろんなルールを明示する、④漢字及び漢字語彙には必ず文法情報もつける、⑤読み書きだけのテストは作らない、⑥発音を聞いていただけでは安心できない(有声・無声、特殊拍など)のでできるだけひらがな表記(発音記号になる)させる。←例えばまぁこういったあたりに気をつけているかなあ。

本書、巻末に「リソース情報」として、教材・字典・web教材・編年の文献一覧などがあり、隅々まで行き届いた配慮が感じられる本。ただ、「索引」はもう一工夫あってもよかったんじゃないかなぁ、と思った。

同じ頃に出版された「くろしお出版」の本、もう1冊も博文堂さんから届いたのですが、こちらは期待外れでした。残念。
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by tiaokumura | 2011-02-14 20:12 | 日本語教育 | Comments(0)

岡万

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(2月13日夜・記)
2月13日(日)に朝9時から勤務先の富山国際学院で会議。で、会議出席の名古屋組は前泊。週末は天気大荒れってことで、何度かの打ち合わせでも話題はいつしか雪に。表日本、「大雪」だったんですね。同じ日本列島に住む住民同士なんだから、たまには「裏」日本は穏やかな天気で「表」は雪ってぇのも許されていいかと。雪国の我々から見れば、表日本の大雪たってたかが知れてますもんね(激爆)。首都圏在住の物見高子さんのブログを見たら「天からの手紙 続々と」でした。名古屋も東京も雪が3cmも積もれば大雪でしょうね。
13日の朝日新聞の天気予報を見ると富山は9時から雪だるまの整列。でもここんところ天気予報は外れっぱなしで、富山、たいした雪降ってない。僕は金・土と晴れ間を縫って自宅周りの雪かきをしました。残った積雪を散らばらせるんです、早く融けるように。その後雨が降った日にゃ「余計なことせんにゃよかった」と徒労感に襲われることもありますが^^。

新聞の天気予報も気になったんですが、13日の朝日新聞「フロントランナー」天児牛大(あまがつ・うしお1949-)でした。「あるがままの世界と普遍探る」、「『踊りに関わりない物事からこそ汲むべきものある』」。かつての異端・辺境が今や「フロント」ですもんね。安易に時代に迎合しなければ、必ずフロントとして認知されるんでしょうね。ボクなんかは周回遅れの似非フロントランナーかもしれん(嘘爆)。
記憶って不思議なもんで、体験した時間の長さはあんまし関係ないんでしょうね。ほんの数日のバイトだった池袋西武デパートでの「燔犠大踏鑑」。ボクも白塗りにされちゃいました^^。あの時は同じ空間に土方も元藤も天児も麿も芦川もおられたんかもしれん。家庭教師・彫刻モデル・印刷工場・歳暮配達・ウエイター・予備校講師など学生時代にいろんなバイトしましたが、暗黒舞踏のアルバイトは「思い出に残るバイト」です。
天児の青春時代は僕にも重なる。「何となく漂っていることが許される空気が、当時はどこかにあった。」。天児は唐十郎・寺山修司・土方巽・大野一雄・池田満寿夫・澁澤龍彦らと出逢い、「私はまだ若かったから知識がおっつかなくて大変だったけど、創作に向かう人々のいろんな姿を見られたのは大きな糧になった。」。
天児は最初「山王塾」(山王に稽古場があった)にしようと思ってた。それが、麿赤児に「山っていうんなら海をつけた方がいいんじゃない? 日本には両方あるんだから」ということで「山海塾(さんかいじゅく)1975年設立」にしたそうです。中国古典『山海経(せんがいきょう)』も頭にあったようです。
その後の天児牛大「山海塾」のヨーロッパでの大成功は皆様ご承知の通り。

名古屋組と13日に飲みニュケーション^^。
僕は富山にUターンして30年くらい経つが、未だに富山の飲食店、よく知らない。学習塾を主宰してた頃は、別に一匹狼を気取ってたわけじゃないけど、塾業界人とはほとんど付き合いがなかった。年に何回か外で飲むようになったのはここ数年のことでしょうね。富山国際学院でクラス担当してて卒業式の夜などに「白木屋」や「魚民」に学生の案内でお呼ばれ。県外では出張時などあちこち食べ歩きしてますが、富山では「越中守」になったころからでしょうね、おいしいお店調べだしたのは。行った順で言うと、ごんべい舎・五万石・千里山荘・太平橋・ちゃぶ有・小川・真酒亭あたりかなぁ、富山のお薦めは。まだ行きつけの店はありません。
今回名古屋組を案内ってことで、どこがいいかわからなくて、中学・高校同期の中西彰君にお薦めの店を聞いてみた。彼のお薦めは「ちゃぶ有」「岡万」で、今回は僕は行ったことはないのですが、「岡万」にしました。「岡万」は釜飯の店で酒肴もいいとのこと。富山国際学院のスタッフの高木けい子さんもご推奨だった。
名古屋組男性3人とCIC1Fで6時半待ち合わせ。岡万は東横インの2F。そんなに大きいお店じゃないんですね、30人も入ればいっぱいか。
アップした写真、岡万の刺身盛合せ。刺身嫌いな人には眼をそむけたくなる光景でしょうね(激爆)。皆さん、話題豊富。「トリプル投票」やエジプトも話題になりました。富山は北海道のおいしい昆布の消費地でもある。今回食べた「白子・松前」「かき・松前」は、昆布締めとはまた趣が異なりおいしかった。〆にボクは温かい氷見うどん。10時半過ぎ富山駅前で別れる。

翌日9時から富山国際学院で会議。朝4時頃から降り始めた雪で8cmくらいの積雪。名古屋組はどえりゃぁ驚かれたでしょうね^^。富山住みの僕らにはちっとも珍しくない一日の天気の移り変わりなんですが、会議中外は晴れたかと思うと雪が舞う。イギリスじゃないけど、In Toyama there are a lot of seasons in a day.ですもんね^^。

今回の岡万、幸い小間物屋にならんで済んだ(照)。ボク、今月25日に病院検査なんですが、今の酒・タバコ、往時の半分くらいになってて、まぁ健康なんでしょうね。
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by tiaokumura | 2011-02-12 18:55 | 美味録11年 | Comments(0)