<   2011年 01月 ( 12 )   > この月の画像一覧

岡林信康『山谷ブルース』(YouTube)


今夜の夕食中にNHK第1ラジオ「地球ラジオ」を聞いていたら、日本でセカンドハーベスト運動に携わっていらっしゃるアメリカ人の方がゲストだった。
セカンドハーベスト」、ご存知ですか。賞味期限が切れたり流通経路に乗らなかったりして廃棄処分になりそうな食品を無償で譲り受け、必要な人々に届ける-僕の理解ではそういう運動です。食べ物にとっても食品企業にとっても日々の糧さえ得られない方々にとっても、実に有意義な運動でしょうね。Wikipedia日本語版に拠ると、セカンドハーベストジャパンは「日経スペシャル ガイアの夜明け」(テレビ東京系)でも取り上げられたそうです。

アップしたYouTube、「地球ラジオ」ゲストのアメリカ人が好きな曲とのこと。彼は山谷でも活動なさっていたそうです。
山谷-「さんや」も「かまがさき」も「ひのでちょう」も、もう地名抹消になってるんでしょうね。
岡林信康(1946-)は僕より2か月半ほど年上。同志社大学神学部で佐藤優の15年ほど先輩になる。ただし、岡林は中退し佐藤は神学修士までに。
「フォークの神様」岡林信康。『くそくらえ節』『がいこつの唄』『手紙』『友よ』『チューリップのアップリケ』『私たちの望むものは』『俺らいちぬけた』(順不同)なども。美空ひばりに楽曲を提供も。毀誉褒貶さまざまな岡林ですが、こうして若い頃の彼の歌を聞いていると、同世代としてはさまざまな感慨に浸ってしまう。ノスタルジーと弾劾するなかれ(照)。この歌に想像力が持てた僕は「今いずこ」なんでしょうね。焼酎も今やすっかり様変わりした感がある。
この歌の出た頃(1968年)は、家永教科書検定裁判も進行中だった。僕、大学時代に家永三郎(1913-2002)先生の授業も取っていました。「太平洋戦争史論」が講義題名だったか、大教室満員の講義でした。岡林の歌を聞きながらそんなことも思い出した。家永先生が教科書裁判のどの判決を聞かれたときのメディアインタビューであったか、山中鹿之助の
憂きことのなほこの上に積もれかし 限りある身の力試さん
を引歌されていた。家永先生も岡林同様に毀誉褒貶が激しい方だった。批判者は家永三郎の戦前を問題にしていたのでしょうね。今「家永三郎」の評価はどうなってるんでしょうね。それはともかく、僕は今の人生において「限りある身の力」を試しているのでしょうか、疑問でしょうね。

明日も富山、雪かきでしょうね。富山市はもとより県内多くの自治体の除雪費は底をつき先が見えぬまま追加中。富山の雪は確かにこの地に豊饒を齎す源泉なのでしょうが、もうそろそろ「憂き雪よ もうこの土地に 積もるなかれ」なんて愚痴りたくなります。
雪に悩まされていらっしゃる各地の皆様。止まない雪はない。もうひとがんばり・ふたがんばり・みがんばり、致しましょうゾ。

2011年1月、当ブログのこれがやっと12本目の投稿です。1か月12本の投稿なんて2009年2月以来です。ちなみに最小は「2008年7月・11本」です。
当ブログの今月の記事は「これにて打ち止め」です^^。
当ブログ愛読?諸兄姉殿、また2月にお会いいたしましょうゾ。
[PR]
by tiaokumura | 2011-01-30 19:00 | 音楽 | Comments(0)

2次関数から生まれたドレス????

残業せん男なんで(恥)、いつもはだいたい5時半前には勤務先の富山国際学院を後にする。でも今週はちょっと忙しい週で、明日木曜日は久しぶりに午前・午後と通しての授業担当日になり明日出勤してから準備するわけにもいかないので、明日の午前クラス・午後クラスの授業準備をあらあら済ませて学院を後にした。帰宅したのは6時10分頃(勤務先から自宅までは、他の先生方には申し訳ないくらい非常に近い)。
わが家は元・農家なので冬の夕食は午後6時開始。サラリーマン家庭には信じられない夕食時間でしょうね^^。奥村学習塾をやっていた頃は、従って僕は9時過ぎに「孤食」でした。で、今夜の場合、帰宅して着替え→仏壇→入浴。それから夕食の場に。夕食の部屋にTVはない。自然にラジオ(NHK第1が多い。稀にKNBラジオ)を聞くようになる。NHK第1土・日の「地球ラジオ」、好きな番組です。

今夜、NHKラジオ第1をなんとなく聞いてたら、東大の数学の先生が話してた。2次関数の話。難しいことはよう聞き取れなかったんですが、代数学や線形・非線形なども出てた。専門的なことは全くわからないのですが、聞いててビックリしたのは、2次関数(一般式はy=ax・+bx+cですよね。「2乗」ってPCでどう出すんだろう)を使ってドレスを作ったって話。その先生、高校時代に2次関数と解に関する試験問題で、解が2コ(2点で交わる)、解が1コ(1点で接する)以外に、解がゼロも答案に書いたんですって。高校の数学の先生も偉かったんでしょうね。彼に102点をあげた。でも教育現場でそういうのは許されなんだみたいで、先生は結局彼を100点にして、他の生徒の点数を-2点したとか。でもそれが彼の原体験になったんでしょうね、やがて彼は数学の道に。虚数の世界を研究されたのかもしれない。
2次関数を使ったドレス」って見てみたい。ラジオ番組のゲストの先生は、ボクなんかにはとうてい無理なんですが、数学に「美」を感じられる。彼によれば、文学が文字によって「美」を表現できるように、数学は数式によって「美」を表現できるということだそうです。
ドレス、確かに作れるでしょうね。型紙(ラインが2次関数? イマドキだからCGで?)さえあれば、素材を用意してお針子さんがカッティング・ソーイングして・・・。ファッションショーにも出られるでしょうね。
ネットではまだ調べていませんが、「2次関数から生まれたドレス」、ちょっと探ってみます。

こういう時に教えてもらえるのが大学時代以来の友人の哲ちゃん。つい思わず食事中に彼のケータイ・自宅にTELしたんですが、つながりませんでした。残念。彼なら今回のこと、いろいろ知っていそうです。また折を見て連絡してみます。

明日、富山、雪はどうなんかなぁ。

(1月28日夜・追記
ネットで探したら「解説委員室ブログ:NHKブログ」に行き当たり、
視点・論点「数学モデルが拓く新世界」
という文章が読めました。上述の「東大の数学の先生」の合原一幸という方の文章です。文章中にはドレス・ハイブリッドカー・癌治療の例が出てきます。
http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/60017.html
で読めると思います。
[PR]
by tiaokumura | 2011-01-26 19:42 | このブログのこと | Comments(2)

ワールド・カフェ初体験

f0030155_12591265.jpg
(1月23日夜・記)
昨日1月22日(土)、ワールド・カフェ初体験。
会場は「とやまスローライフ・フィールド」の一画。自分、カーナビなんてしゃれたものは装備しとらん軽なんで^^、マップ本やネットで自宅から行き先までの道を調べる。運転下手+雪模様+初めて+方向音痴(四冠王!)なんで1時間半かかると見込んで、受付9時から逆算して7時半過ぎに自宅を出る。家から8号線に出て高岡方面へまっしぐら。本郷西を左折して41号線を走る。東老田、古沢、北押川と過ぎ、平岡を右折。途中迷ったところもあるが、方向音痴のボクにしては順調なドライブで、8時過ぎには会場近くに到着。ただ場所がようわからん。雪かきしてらっしゃる方に尋ねる。その方、「とやまスローライフ・フィールド」のスタッフでした。8時過ぎ駐車場に車を入れる。9時の受付開始までにずいぶん時間があるので、車の中で新聞や本を読んでいようかなと思ってたら、定村誠さんの車がパークイン。定村さんは今回の「ワールド・カフェはいかが?」の仕掛け人。定村さんは僕が2008年11月の「ファシリテーター入門講座」を受講したときの先生です。「会場で待ってもいい」とのことで、駐車場から少し歩いたところにある会場に入る。
会場は民家風の建物。柱はどこかから移築したんでしょうね。床暖房。部屋の隅に妻がお気に入りだった作家の人形が飾ってあった。朝比奈さんと約2年3か月ぶりの再会。定村さん・朝比奈さんはご夫婦。夫婦別姓です。

「ワールド・カフェはいかが?」の講師は西村勇也さん。参加者24名。「チェック・イン」「ホスト」などの説明。「チェック・イン」はアイスブレークになるのでしょうが、ワークショップとはずいぶん異なる。西村さんから今日のワールド・カフェの5つのルール
4~5人で1組、時間を区切ってグループを変える、グループ移動の際に1人は必ず残る、各ラウンドは1つのテーマ、発言者はトーキング・オブジェクト(今回は石)を持つ
の説明。次いで3つのエチケット
今考えついたこと・思いついたことを話す、発言者の言うことを理解しながら聴く、模造紙にメモや絵をかく
の説明。ワールドカフェって言うと「相手の発言を否定しない」ってのがルールのように思っていましたが、そうでもないのですね。

午前3ラウンド。「テーブルの話し合いで心に残ったこと」と「西村さんへの質問」をメモパッドに書いて窓に貼り終了。
昼食は「オーガニックな昼食」ってことで、山の幸・里の幸のご馳走。昼食時、西村先生・太田さん(行政書士。ビザのことなどで僕がしばしばお知恵をお借りしている方)・寺尾さん(高校教諭)とご一緒で、あれこれ話す。西村さんとワールド・カフェとの出逢いについてもお話が聞けた。

アップした写真、昼休みに会場の玄関前で撮りました。僕の勤務先の富山国際学院の同僚(&先輩)の宮田妙子さんも今回の「ワールド・カフェはいかが?」を受講してて、宮田さんに撮っていただきました。

午後1:20再開。まず西村さんが「質問」に答える。「石を使うのはなぜか」「グループを変えるのはなぜか」「1人残るのはなぜか」「テーマはどんなものがいいか」などなどの質問に答える。
3:20、ハーベストへ。ハーベストってのは議論が拡散し収束へ向かったあとの「収穫」ってことでしょうか。受講生から5つの議題を募集。5グループに別れて3ラウンド。議題発題者はラウンドを通じて「話し合いから自分とプロジェクトに対して何を学びましたか?」「あと他にまだ何が足りないでしょう?」「次にどのようなステップが取れるでしょう?」のステップを踏む。このことによって、ロードマップ・アクションプランができていくのでしょうね。
午後のラウンドで坂本由美子さんと同じテーブルになった。坂本さんは北陸にワールド・カフェを広めたいと思ってらっしゃる。今日1月23日、坂本さんは西村さんを講師に招いて「百万石ワールドカフェ」近江町いちば館交流プラザで開催。坂本さんが富山でもワールド・カフェを開けるよう、可能な限りお手伝いしたい。坂本さんの「百万石ワールドカフェ研究会」のサイトはこちらです。

ワールド・カフェはそれ自体が目的ではなく、ツール・手法になるんでしょうね。教員会議・授業・ボランティア活動などで「ワールド・カフェ」が活用できたらと思っている。
にしても、ワークショップもそうですが、カタカナ語多すぎて、英語苦手なボクには居心地が悪い時も^^。World Caféは1995年にJuanita BrownとDavid Isaaccによって開発されたそうですから、英語多いのはしょうがないんでしょうね。でも、概念を明示できる・世界でおそらく唯一の文字である「漢字」、もっと使えんもんなんでしょうかねぇ。ワールド・カフェ=お茶場なんて・・・やっぱ無理っぽい^^。でも「振り返り」「協働」なんて語もあるんだから、ワークショップにしてもワールド・カフェにしてももっと和語・漢字語、使えそうな気がします。

人見知り激しいボク(恥)としてはこういうのに参加するのは勇気がいるのですが(受講料の4000円は今の自分にもなんとか工面できる額だった)、定村さん・朝比奈さん・太田さん他3分の1くらいの方が既に1回以上会っている方だった。ここ数年、自分なりのネットワーク、できつつあるんでしょうね。この日、今回初めて出逢った方数名と名刺交換もできました。

西村勇也先生、皆さま、1月22日はありがとうございました!
またどこかでお会いできるのを楽しみにしております。

(1月24日夜・追記
ネットサーフィンしてたら「ワールド・カフェはいかが?」講師の西村勇也さんのブログがありました。1月22日の「ワールド・カフェはいかが?@富山」、23日の「百万石ワールドカフェ@金沢」も写真付きで紹介されています。写真、よくよく見ると「これ、ワシじゃないか」なんてちょー恥ずかし画像もあり(激爆)。西村勇也さんのブログ「ダイアログBar-対話の場から生まれる創造-」こちらです。
[PR]
by tiaokumura | 2011-01-22 12:59 | 富山 | Comments(2)

富山県庁訪問

f0030155_14303494.jpg
ご紹介くださる方があって、今日、富山県庁に行って「外国につながる子どもたち」(耳慣れない言葉でしょうが、両親あるいは父母のいずれかが「外国人」である在日の子ども、です)の「県立高校入試」について話してきました。僕のような口下手で頭の回転が遅い馬の骨が行って劇的に変わるなんてことはありっこないのですが^^、まぁ、自分なりに話してきました。
米田哲雄先生(勉強お助け隊)の資料によれば、富山県内の「外国につながる子どもたち」、平成21年度で中学校生徒は133人・高校生徒は44人(実はどこにもきちんとした公的統計はない。米田先生のお調べです)。日本人の富山県高校進学率(県立+私立)がほぼ99%だから、「外国につながる子どもたち」の高校進学率がいかに低いか明らかですよね。
富山県内では米田哲雄先生青木由香さん(アレッセ高校進学PROJECTinとやま)らが「外国につながる子どもたち」の高校進学(のみならず、それ以外のことも、です)にご尽力なさっている。富山県は、今はどうなんでしょうか、かつては長野県と並んで「教育県」と言われてた。教育行政には予算や人などさまざまな困難もあるのでしょうが、外国につながる子どもたちの高校進学にあたって行政側でご配慮いただけたらありがたい。これも米田先生の資料に拠るのだが、「外国人(籍)にかかわる高校入試の特別措置」が平成23年度でない(選抜要綱に外国人(籍)についての言及がない)のは富山県を含む21道府県のようです。半数以上の都府県が、「試験時間延長」(秋田県など)・「漢字ルビ」(鹿児島県)・「特別枠」(福島県・岐阜県など)・「英語・中国語・ハングル・スペイン語・ポルトガル語の説明あり」(愛知県)・「受験科目数軽減」(奈良県・島根県など)といった特別措置をとっているようです。
また同じく米田先生の資料に拠れば、「教育振興基本計画」が未策定(平成23年1月現在)は富山県・大阪府・福岡県・佐賀県・大分県の5府県とのこと。
富山県の教育行政をここで責めているのではない。「外国につながる子どもたち」は衰亡しつつある日本国の貴重な人財(人的財産)でもある。米田先生・青木さんら(私も少し)ボランティア活動も県内で広がりを見せているのですが、教育行政のほうでも何らかの施策を実行される日が近いことを願いたい。

アップした写真、前面の木にご注目。都会や暖かい所の方々には珍しい光景でしょうね。雪国では雪が降る前に雪囲いや雪吊りをします。金沢兼六園の雪吊りは全国ニュースで放送されてるかもしれませんね。
バックの建物は富山県庁。昭和初期の建築物になるのでしょうか。威圧感もありますが、僕は電気ビルなどと並んで富山市内で好きな建物です。レトロ、ってことでしょうか。
県庁は今回が初めてじゃなく、四半世紀くらい通いました。富山にUターンして塾に勤務し、それから奥村学習塾を立ち上げ、それでその間は高校入試発表を見に毎年3月に県庁へ。全高校の合格者名簿がそこに揃っている。塾関係者が殺到するのでしょうね、名簿の引っ張り合いなんて年もありました^^。何事にも「歴史」ってあるもんで、発表も「名前」から「受験番号」へと様変わりました。四半世紀も通っていながら、やっぱボクってめっちゃ方向音痴なんでしょうね、毎年毎年県庁内で迷子になった。オリジナルの建物に建て増したんでしょうね、ボクのような方向音痴には伏魔殿・迷路です、富山県庁は^^。
県立高校合格発表の日は1年で一番緊張する日だったなぁ。自分の指導力の白黒がハッキリ示される日ですもんね。塾生全員合格なら帰宅して昼ビール飲みゃいいんですけど、ダメな子がいた時は真っ暗。僕は塾を再開することはおそらくもうないのですが(別の形の塾「非母語話者のための日本語塾」はやってみたい)、かねごん先生(岩手県一関市)たち「塾屋」さんたちには、引退するまで合格発表の緊張は続くのでしょうね。「塾屋」の皆さま、富山の地からエールを送らせていただきます。

今週始まった新しい仕事、まずまずのスタートが切れました。少しホッ、かな。
明日は「ワールド・カフェ」初体験です。時間があったらこちらに投稿します。
[PR]
by tiaokumura | 2011-01-21 14:30 | 富山 | Comments(0)

根深誠『ヒマラヤのドン・キホーテ』(中央公論新社)

f0030155_20351951.jpg
根深誠(ねぶか・まこと1947-。明治大学山岳部OB。日本山岳会会員)
ヒマラヤのドン・キホーテ
 ネパール人になった日本人・宮原巍の挑戦

2010年11月10日 初版
中央公論新社
1800円+税

本書の帯から三浦雄一郎の本書推薦の弁(「プロスキーヤー・冒険家 三浦雄一郎氏絶賛!!」)を引用する。
「宮原さんは三十歳代で壮大な夢をヒマラヤに懸け、山奥に三ツ星クラスのホテルをつくり、七十歳代でネパール国土開発党の党首になり、人生そのものを冒険的に生きている。
 この作品は登山作家・根深さんがネパールの政治、歴史、探検史も含めて描いた、夢を追い続ける男の物語であると同時に、ヒマラヤ五十年の物語でもある」

簡にして要、本書紹介において私がこれ以上付け加えることとてないのですが、以下蛇足あれこれ。

僕が初めてネパールを知ったのは中学生くらいでしょうか。僕が中学入学の9年前になるのですが、その頃使われていた「中学校社会科地図帳」が手元にある。『復刻版地図帳 中学校社会科地図帳 昭和25年版』(帝国書院。平成18年11月20日発行)。同書p.50に、インド連邦、チョンホワ(中華)民国に挟まれる形でネパールが載っている。「カトマンド」「エヴェレスト山」「ヒマラヤ山脈」「ドラーギリ山」「カンチェンジンガン山」など。槙有恒らの日本山岳会のマナスル初登頂が1956(昭和31)年5月9日だから、小学生の僕、「ネパール」って国名聞いたかもしれない。日本隊のエヴェレスト登頂の頃は東京にいました。
50歳代の半ば頃まで「ネパール」とはとんと無縁だったでしょうね、僕は。そんな僕が勤務先の富山国際学院で生まれて初めてネパール人に会ったのは今から10年ほど前になるか。ニマ・ドルジェ・ラマさんだった。富山県芦峅寺(あしくらじ)は山が縁なのでしょうね、ネパールと関係が深い。当時芦峅寺の方でお世話する方がいらっしゃってシェルパ族のニマさんが富山国際学院に入学。ニマさんが学院在学中に王宮銃撃事件(ビレンドラ国王以下10人が犠牲。真相は未だに藪の中)があったかもしれない。彼は卒業後中央大学に進学、現在はカトマンズ在住。一昨年・昨年と僕はカトマンズ出張で彼のお世話になりました。富山県はもう一つ利賀(とが)がそばの関係でツクチェ村と縁が深く、一昨年だったか僕は友好記念のパーティに招待されて利賀で1泊しました。
ニマさんの卒業後、ネパール人の入学は絶えていたのですが、数年前から毎年何人かネパール人が入学するようになった。これはひとり富山国際学院のみならず全国的に日本語学校へのネパール人入学が増えている。
僕、カトマンズに去年まで3年連続で出張しました。僕はネットや『地球の歩き方』などを通じてネパールのごくごく初歩的な知識はあるかなぁ。僕の理解ではネパールは多民族・多宗教・多文化が平和裡に共生している国です。最近はマオイストが力を伸ばし一方で政治がうまく機能していない国。ってエラソーなことを言っても日本も年変わりで首相が変わり政権交代したはいいが政治が機能していない点では同工異曲でしょうが。僕はカトマンズでは不愉快な思いをしたことがほとんどありません。ネパール人には親日派が多い感じです。

本書からネパールの歴史を抜粋する(「ネパール近代政治略年表」pp308・309)。なお、ネパールは日本と同じくらいの歴史を有する国です。
1951 王政復古→1962 政党禁止、パンチヤート制確立→1972 ビレンドラ国王即位→1990 パンチヤート制崩壊。ネパール会議派のバッタライが国王指名で首相に→1993 ネパール共産党毛沢東主義派(マオイスト)結成→2001 王宮襲撃事件。ギャネンドラ国王即位→2004 マオイスト人民政府樹立→2005 非常事態宣言→2006 ゼネスト→2008 制憲議会選挙、マオイスト第一党に。マオイストのプラチャンダ首相就任
まるっきり大ざっぱでおわかりにくいでしょうが、ネパール政治史の概略です。1月16日付の朝日新聞に「ネパール国軍と/毛派の対立なお」という記事でネパールニュースが載っています。昨年の僕のカトマンズ出張時、7回目の投票でも首相が選ばれないという事態だったのですが、朝日同記事によると「16回にわたる首相指名投票で新首相が決まらず、暫定状態の現政府が存続する異常事態が続いている」とのことです。
以上をお読みになって「ネパールってひどい国だなぁ」って方もおられるでしょうが、そんなことはありません。確かに生活は苦しいでしょうが、私たち日本国民よりよっぽど逞しく凛々しく日々の生活を送ってらっしゃると思う。ネパールの人々にとって「政治混乱」は年中行事、中国人民じゃありませんが「上に政策あれば下に対策あり」なのかもしれませんね。

本書の主人公・宮原巍(みやはら・たかし1934-。長野県青木村出身)の原体験の一つはカルカッタだっただろう。日本大学山岳部・桜門山岳会は1962年に初のヒマラヤ登山隊を結成し、宮原もその一員として参加する。一行は神戸を立って途中香港・ペナンなどを経てカルカッタに入る。
・・・痩せ細った人たちが憑かれたように日々の食を求めて犇き合う姿。それは宮原に、人間として生きるということは、どういうことなのかを根底から問い直させるには十分すぎるほどの衝撃的な光景であった。(p.67)
1966年、宮原はさまざまな準備をして(こういうところが宮原さんの偉いところ・すごいところなんでしょうね)、横浜港を立ちネパールに向かう。
宮原はカトマンズでネパール政府家内工業局に勤務。その後について僕ごときがここで圧縮して紹介するのは宮原さん・根深さんに非常に失礼なことだと思うので略させていただきます。本書で各自お読みいただきたい。
宮原さんのすごいところは、宮原さんの夢・志に共鳴する多くの仲間の協力を得るところ。山仲間の強い結びつき、企業や役所の賛同者-宮原さんでなければ不可能なことばかりなのでしょうね。本書を知るまで宮原巍さんのことは全く知らなかった蒙を恥じたい。
本書のすばらしいできあがりは、宮原さんをよく知る根深さんならではなのでしょうね、宮原さんの上田での初恋(pp93-96)や還暦でのエヴェレスト登頂挑戦(pp184-191)も出てきます。また本書にはヒラリー卿、橋本龍太郎、ジミー・ロバーツ、河口慧海らも出てきます。

今日本の国際的地位は低下の一途を辿っている。しかしながら、私たちがよく知らないだけで、ネパールの宮原巍のような方が、あるいはモンゴルであるいはアフガニスタンであるいはケニアであるいはペルーで・・・現地の人民のために日夜粉骨砕身なさっているのでしょうね。安全地帯にいる僕なぞはただただ「がんばってください」と言うくらいしか能がないのが恥ずかしい。

付記
2011年1月16日付朝日新聞・読書欄に、刊行から2か月以上経っていますが、石川直樹による本書の書評が載っています。
[PR]
by tiaokumura | 2011-01-17 20:35 | | Comments(0)

当ブログ、なかなか更新できませんが・・・

f0030155_2034618.jpg
阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)から間もなく16年。即死・圧死で多くの犠牲者が出た。震災後命を落とされた方も多い。
改めてここに謹んで
犠牲になられた方々のご冥福をお祈り申し上げます

また、その後の人生が大きく変わった方々に、富山でのほほんとした人生を送ってきた私のような者が申し上げるのも失礼なことですが、どうぞこれからの人生がすばらしいものでありますように、とご祈念申し上げたい。

阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)の貴重な遺産の一つは「ボランティア」であろう。それまでは教会や寺院や篤志家の「奉仕」だったのが、あの大地震や日本海油流出がきっかけでこの国に「ボランティア」が市民権を得た。私なんぞはほとんどボランティアとは無縁な人生を送っているが(恥)、年代・性別・職業などの属性を問わず日本国でボランティア活動に参加する方が増えた。同時に、「ボランティアは人のためもあるが、何よりも自分のためでもある」という精神が広まったのは喜ばしい限りである。
鳥取県琴浦町(巨人→阪神の小林繁はここ出身だそうです)やタイガーマスクの話を知ると、「あぁ、日本ってまだまだいい国だなぁ」と思う。「無縁社会」「孤族」は深まる一方なのだろうが、そういう社会にあっても微力ながら自分も何かできるようになりたい・何かしなければならないと思います。
全都道府県にタイガーマスクが出現したようですね。「タイガーマスクさんたち」は最初は物品が多かったみたいですが、今はお金もまじって来たようですね。富山ではルンビニ園でした、タイガーマスク。余計なことを言うようですが、そして僕は「お金のガリガリ亡者」と言われるかもしれませんが、「物品よりお金がいいんじゃないかなぁ」と思います。「お金」の機能の一つは「交換価値がある」ですもんね。もちろんランドセルや文房具もいいでしょうが、中にはミスマッチもあるかもしれない。そういう点、お金は便利なんじゃないでしょうか。5万円どころか1万円だって「タイガーマスク」できない自分がナマイキなことを申し上げたようでしたらご容赦を。

ここのところ仕事関係が忙しくなかなかブログ更新できません。来週はもっと忙しくなり、月に20記事投稿と思ってはいるのですが、また今月も無理です。
訪問のたびに更新がなくって「オクムラ、何やってんだ」ってご叱責もあるやもしれませんが、そんなわけでしょっちゅうご訪問いただいても新しい記事はあまりありませんので、当分の間、悪しからずご了承下さい。

今の自分、終わる仕事があれば新しく始まる仕事もある。「終わる仕事」ばっかになったら、ネットで×炭注文になっちゃうんでしょうね、自分(激爆)。

についてご心配いただいている方もおありです。アップした写真、今夜のわが家です。今シーズンは雪かきは2回だけです。島根・鳥取は例年になく大変のようですが、富山は雪は今のところ大したことはありません。富山国際学院は冬シーズンの「雪で休校」もある学校なんですが、今シーズンは今のところ休校ゼロです。もちろん雪国ですのでこの先はわかりませんが。

次回の更新がいつになるか不明ですが、引き続き当ブログをご訪問いただけましたら、ブログ主宰者といたしましては幸甚です。
[PR]
by tiaokumura | 2011-01-13 20:34 | このブログのこと | Comments(2)

井波律子『中国名詩集』(岩波書店)

f0030155_1956338.jpg
井波律子(いなみ・りつこ1944-。国際日本文化研究センター名誉教授)
『中国名詩集』
2010年12月15日 第1刷
岩波書店
2800円+税

高橋和巳(たかはし・かずみ1931-71)を通じて『詩経』の「詩は志の之くところ」(詩者志之所也)を知った。高橋からは李商隠も知った。40年以上前のことである。
本書、膨大な中国詩からのアンソロジー。現在このような試みができるのは井波律子を措いて他にはいないでしょうね。原詩が読み解け、中国詩史(少なくとも国風から元・明・清まで)に精通し、詩を生んだ風土も押さえることができ、一方で日本の中国詩受容(『万葉集』『和漢朗詠集』はもとより『源氏物語』なども)を視野に収めておかなければならない。もちろん「詩がわかる」人間でなければならない。
本書の編集方針は
・・・まず「春夏秋冬」から「英雄の歌」まで、11の大きなカテゴリーを立てた上で、一つ一つの大カテゴリーをさらにいくつかの小カテゴリーに分類し・・・あてはまる詩篇をどんどんピックアップしてゆき、そのなかからもっともすぐれた作品、魅力的な作品を選定していった。(pp.ⅳ-ⅴ)
劉邦から毛沢東まで137首所収。
本書pp.ⅰ-ⅳの中国詩通史は私のような初学者に便利。
索引は、「標題句索引」(ここで「標題句」とは井波が詩中から抜き出した代表句であるようだ。初句とは限らない。例えば王維『送元二使安西』の標題句は「西のかた陽関を出づれば 故人無からん」)、「詩題索引」、「詩人別詩題索引」、「詩句索引」(前掲『送元二使安西』で言えば「謂城の朝雨~」「客舎~」「君に勧む~」「西のかた~」で引ける)と実に丁寧。「作者の生没年、字号、本籍地一覧」「時代別作者一覧」「関連地図」もある。

僕にとって李賀はゼッタイ『陳商に贈る』(「長安に男児有り 二十にして心已に朽ちたり」)なのですが、井波は『馬詩』を選んでいます(pp.218-221)。
最近墓が見つかったようだと言われる曹操は『歩出夏門行』。曹操は『三国志演義』ではすっかりヒール役を割り当てられているようですが、文武両道・軍事と文学に通じた大人物だったんでしょうね。本書に収められた曹操から一部引用。
志在千里 烈士暮年 壮心不已(p.382)
「ときに曹操53歳」(p.385)。

井波律子は富山県高岡市生まれ。僕より2年年上。高校まで富山だったんでしょうか。地元紙でも名前を見ることがあります。富山在住の僕、いつか講演を聞きに行くチャンスがあるかもしれませんね。井波は現在の岩波文化人の一人でしょうね、岩波書店から何冊も刊行している。

本書で初めて知った詩の中では詹義(生没年不詳。南宋)の「・・・老来 方に一青衫を得たり 佳人 我に問う 年は多少なるや 五十年前 二十三」(p.194)がいい。
本書で毛沢東は『沁園春・雪』(「数風流人物 還看今朝」)が所収。今の中国共産党指導部には詩をよくする方もおられるのでしょうか。
中国人が最も好きな外国はアメリカで最も嫌いな外国は日本でしょうね。同様に日本人が最も好きな外国はアメリカで最も嫌いな外国は中国でしょうね。そんな「今」ですが、日本で刊行された本書に多くの愛読者があること、中国人たちにもっともっと知っていただきたい。僕たち日本人が中国で日本発のコミック・アニメ・ゲームが人気があることを知っている程度には。
[PR]
by tiaokumura | 2011-01-09 19:56 | | Comments(2)

山下敬二郎さん、ご永眠。


第1回日劇ウェスタン・カーニバルが開催されたのは昭和33(1958)年2月8日(『現代風俗史年表』p.115)。僕は小学生だったんでしょうかねぇ。わが家にTVが来た頃でしょうが、田舎なんでTVニュースになってたかどうか、見た記憶はない。なんとなく東京でそういうのがあったっての知ってたんでしょうか。今年中学のミニ同期会あったら、友だちに聞いてみます、そのあたり。当時の僕、ウェスタン・カーニバルのことを知って「東京はすごいなぁ」と思ったか、あるいはオナニー覚えてたでしょうからウェスタン・カーニバルに「セクシュアリティ」を嗅ぎ取っていたかもしれない(照)。
山下敬二郎さんが1月5日に亡くなられた。僕の記憶では柳家金語楼(1901-72。落語家・NHKテレビ「ジェスチャー」など・映画出演も多数)の息子ってイメージも強い。山下さんは、ミッキー・カーチスさん平尾昌晃さんと並んで「ロカビリー三人男」。エルヴィス・プレスリーやポール・アンカやニール・セダカらの影響が強いんでしょうね。でも今と違って音楽情報の入手は困難な時代だったから、進駐軍などに行って、耳だけでロッククンロール(ロカビリー)を吸収していったことでしょうね。
今でも昭和回顧の映像でよく「日劇ウェスタン・カーニバル」が取り上げられる。女の子たちがテープを投げたり、ステージ上の三人男を引き摺り下ろそうとしたり。イマドキのコンサートやライヴとはかなり違ってるでしょうね。山下敬二郎の、鼻にかかった歌声・リズムの刻み方・ときどきまざる英語-女の子たちにはたまんなかったことでしょうね。地方から上京した女の子たちもきっといたんでしょうね。「不良」なんて言葉が生きていた時代。

昨年12月だったと思う。なんて番組だったんだろう、「ロカビリー三人男」がTV出演していた。3人がお互いをけなし合ったり、悪態ついたり、今ではすっかり伝説になったエピソードを語ったり。「同時代を生きた友情なんだろうな、いいなぁ」「自分が彼らの年齢にたどり着けた時、こんなエネルギー、発散できるかなぁ」「自分たちの場合、語り合う共通項、なんになるんだろう」などと思った。もちろん番組中でそれぞれが持ち歌も披露しました。コラボもあった。今にして思うとあの番組、生じゃなくって録画だったのかもしれません。
山下敬二郎さんたちのおかげがあって、日本人が生活様式でアメリカに憧れアメリカを手本にしたんでしょうし、その後の音楽シーン(内田裕也・矢沢永吉ら)が切り開けたんだと思う。
僕は大学進学で上京後、日劇の近くまで行ったことがあると思う。でも中には入ってないでしょうね、きっと。

アップしたYouTube『ダイアナ』『Long Tall Sally』を歌ってらっしゃいます。女性は奥様の直子さんなんでしょうか。『のっぽのサリー』をもじって言えば、山下さんは”Long-tail-rock’n’roller”だったでしょうね。

山下敬二郎さま、今は安らかにお眠りください。いや、あなたのことでしょうから天国でもロカビリーなさるかも。
「オヤジ、あんたよりオレ、2か月くらい長生きしたゼッ」とお父上におっしゃるかもしれませんね。
[PR]
by tiaokumura | 2011-01-07 19:08 | 追悼 | Comments(0)

富山ダルクへの寄付のお願い(奥村隆信)

f0030155_206668.jpg
当ブログ2010年12月31日付にも書きましたが、「富山ダルク」との出逢い、僕にとって2010年の「新しい出逢い」のひとつでした。
富山ダルクとは5月29日の「チャリティコンサート アジアの夢コンサート@北日本新聞社ホール」で出逢いました。同コンサート、僕は「ばみり」のぷちボラで参加。富山ダルクは「和太鼓集団 常願太鼓『海岸組』」で出演し、また何人かは僕のアシスタントをしてくださいました。富山ダルクのメンバーと、ボランティア中、喫煙タイム(非常階段に喫煙所、あった)や食事時などに少し話すことができた。薬物依存症の彼ら。
彼らは、ボクなんぞの経験しなかったSEXの快楽を経験し、僕なんかの想像もつかないような天上世界を仮想体験し、どんどん自分がでかい人間・強い人間になっていってると錯覚し、善悪見境なく必死になってお金をかき集めて薬を購い求め、更なるエクスタシーを求める負の連鎖にからめとられたことでしょうね。そうこうする内に、学校や職場から追放されあるいは逃走し、友人・知人を失い、家族からも見捨てられ、死しか己から逃れる道はないかと思い、なれの果ての生き地獄。彼らは、当然なんでしょうが、僕が池袋時代や富山のパチンコ屋時代にちょっと覗き見た裏社会にも精通している。「なんで彼が」って思うくらい好青年が多いのですが、逆説的かもしれませんが、「だからこそ」なんでしょうね。つまり、誰でも「彼」になる可能性がある。

富山ダルクのホームページ(こちら)から引用する。
薬物依存症はまず、"今日一日薬物を使わないで生きる"ここからスタートします。そして、その事を毎日続ける事によって、薬を使わないクリーンな生き方をし、成長していく事が回復となります。
 ダルクでは、自助グループへの参加や、医療機関との連携も欠かせないプログラムの一環として行っております。
 スタッフは全員が薬物経験者です。新しい入寮者は仲間です。薬物依存者同士、病気の分かち合いをしながら、回復、成長し、使わない生き方の実践をしていきます。
 薬物依存症からの「回復」というのはクスリをやめる事がゴールなのではありません。それは回復していくためのスタートなのです。「回復」の状態とは、人生の問題がなくなる事ではなく、人生の問題に正面から向き合うことができるようになることです。ダルクのプログラムはそれを目指しています。

なお、「ダルク」はDrug Addiction Rehabilitation Centerの略です。

アップした写真は「富山DARC 第17巻 日本海通信」。「年末年始のカンパ願い」掲載。一部引用します。
本当に勝手なお願いだと思いますが、施設修理費、冬に向けての準備費などのご協力を皆さまにお願いしなければなりません。皆さまの力をお貸し下さい。
写真にある「払込取扱票」は郵便局で入手できます。
口座記号番号 00230-9 133722
加入者名 富山ダルクを支援する会
でお願いします。また同施設は物品も受け付けています。E-mail、
toyama-darc*nifty.com
の「*」を「@」に変えて、詳しい情報を同施設にお問合せください。

「あんまらっちゃ、好き勝手やってそうなったがやろがいね、自業自得だちゃ」「ワシ、ボーナスも出なんだが。寄付なんて悠長なことしとる余裕ちゃないが」「そんな助け、国や地方自治体がやりゃいいがやないけ」という方も多いでしょうね。でも、ちょっぴり・ほんのちょっぴり寄付しようかなと思っていただけたら、当記事を書いた者としては幸甚です。あなたが寄付行動を起こされたら、もちろんとても嬉しいです。
[PR]
by tiaokumura | 2011-01-04 20:06 | 富山 | Comments(4)

2011年読書始め

f0030155_19434442.jpg
東洋・早稲田、2強の争いでしたね。三連覇か三冠か。高野が転んだ時はドキッとしましたが、21秒差で早稲田総合優勝。渡辺駅伝監督の学生時代以来18年ぶりの総合優勝。胴上げ解禁がなり、渡辺は感無量でしょうね。インタビューで彼、東洋・駒沢(東海も入ってくるでしょうね)に触れもう来年を見据えてました。2012箱根駅伝、もう始まっている。それにしても早稲田、愛ちゃんはいなくなってしまいましたが、駅伝以外にも野球・ラグビー・アメフトなど、大学スポーツで一時の低迷を完全に脱している。
シード権も秒差の争い。國學院が最後の最後でコースを外れたときは心配しましたが、幸い國學院はシード権獲得。監督(駒沢OB)も嬉しかったでしょうね、
今頃一番悔し涙を流しているのは柏原竜二君かもしれない。「1分とは言わない、せめて49秒、自分が貯金しておけば」という思いかもしれない。でも、1・2年のときはただ「すごいっ」の一言だった柏原君、往路インタビューで「田中―っ」と叫んだ君は一皮も二皮もむけて大きく成長した。重圧につぶされることなく、1年後にも君の雄姿をTV画面で見たい。最終学年になる柏原はどんな想いで来年の箱根に臨むのでしょうね。柏原世代も充実しているし、1・2年にもキラリ光る逸材が揃う。1年後が今から楽しみです。
それにしても長野県佐久長聖ってすごいんですね。小林・世羅・西脇工・報徳・仙台育英などこれまでにも高校男子駅伝には超高校級の学校がいくつもありましたが、今回の箱根駅伝、いくつもの大学で「佐久長聖」を見た。同校、指導者がすばらしい方である。
蛇足3つ
池袋時代に付き合っていたSY(北関東出身)は東洋大生でした。今頃彼女、首都圏で「おばあちゃん」かな。
「劇団ひとり」を初めて見たとき「渡辺康幸」そっくりさんと思った(激爆)。
素朴な疑問。日本全国大多数の大学に出場権が不可能な(不条理!)箱根駅伝、それでもこれだけ全国を熱狂させるのは何なんでしょうね。東京・富士山でしょうかねぇ。日本の生き延びる道を示唆してるのかも、箱根駅伝って。

2011年の読書始めです。
藤井貞和(ふじい・さだかず1942-。立正大学文学部教授、詩人)
『日本語と時間-<時の文法>をたどる』
2010年12月17日 第1刷
岩波書店(岩波新書
800円+税

ボクにはきわめて難解な本です。ようやく94ページまで(ときどき先にも飛びますが)たどりつきました。ご記憶にあるでしょうか、受験古典で「き」「けり」って勉強しましたよね。藤井によれば
「き」は一回的な、喪われていまにないはずの過去を認識する。(p.85-86)
けり-時間の経過(過去から現在へ、過去からつづいていまにある時間)(p.ⅰ)
ということになる。表面はなんとなくわかるんですが、さぁ、難しい。テンスとアスペクトなんて考え方、まちごうとるんかいな、って思ってしまう。
藤井は『源氏物語』「明石」を引用し(この箇所には、内在も含め「けむ」以外の「き・けり・つ・ぬ・たり・り・あり」が登場する)、
これらを使い分けるのが、かれらのごく日常の言語生活だった。(p.ⅲ)
と喝破する。「これら」は藤井では「時の助動辞」と名付けられる。
藤井はものすごい研究者なんでしょうね。ロドリゲス・大槻・山田・橋本・時枝はもとより、松下・佐久間も射程内に収める。「人名索引」には大森荘蔵・世阿弥・廣松渉などなど、それだけ見ていても目がくらむような人物群。
一方では「詩人の魂」も兼備してるんでしょうね。「凡例」の
現代語訳は直訳を避けて、意訳を試みる。詩歌には「。」「、」「そして「-」をほどこしてある。「-」は枕詞や序詞による喩法および係り結びを示す詩歌の句読点である。(p.ⅸ)
は「研究者にして詩人」ならではの工夫でしょうね。藤井の創意による句読点法は
花の色は-移りにけりな。いたづらにわが身、世に古る。ながめせしまに(p.76)
といった表記です。この表記、何らかの形で取り入れたい。
今まで全く知らなかった「アオリスト」(pp.90-92。「煽る人」じゃありませんよ^^)、かつての「言語学徒」としてはきちんと把握しときたい。
当ブログで過去を非過去で書くことがあります。誤読かもしれませんが本書を読んでて、「僕にも古代日本人の血が流れているのかなぁ」とふと思った。

藤井は「あとがき」に書く。
古文の機微にどう分けいればよいか、史前史的な日本語成立論までを視野にいれ、巨細にわたり絶えず道筋を明らかにしてくれたのは、「日本古典文学大系」の『万葉集』以来の大野晋氏であり、特に感謝の念をささげたい。(p.223)

本書、「わかんないときは立ち止まらずどんどん読み進めればいい」ってオクムラ方策^^で今月中には通読を終わりたい。

明日が「仕事始め」、木曜が「授業始め」、そして土曜には「仕舞始め」(照)と続きます。
[PR]
by tiaokumura | 2011-01-03 19:43 | | Comments(2)