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蓑島良二『とやま キトキト魚名考』(北日本新聞社)

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蓑島良二
『とやま キトキト魚名考』
平成22(2010)年9月15日発行
北日本新聞社新書(北日本新聞社)
952円+税

蓑島良二(1930-)は富山県福岡町出身、富山弁研究の第一人者。本書、僕は『おらっちゃらっちゃの富山弁』についで2冊目になる。県内各地でよく目にする「富山弁番付表」(正式名称は失念)は彼の監修による。同番付、僕の勤務先の富山国際学院にも掲示してあります。因みに真田信治(1946-)も富山出身(五箇山)です。
本書は蓑島が地元紙・北日本新聞に2003年10月から2年間連載した中から80篇選んだもの(「あとがき」p168に拠る)。「オキノジョロウ」がないのは、もともとないのか、あるいは選ぶ過程で落とされたのか。不詳。本書、在野の好事家(褒め言葉です)蓑島の博覧強記が存分に生かされている。
本書では、それぞれにカット(津田武美、蓑島宗夫)・英語名(ゲンゲはSoft eelpout)・分類(ズワイガニは十脚目クモガニ科)が付いている。

本書から僕が勝手に「富山美食TOP10」を選ぶとしたら、第1次候補はアオリイカ・アマエビ・イイダコ・カワハギ・ゲンゲ・サヨリ・シロエビ・ズワイガニ・タチウオ・トビウオ・バイ・ヒラメ・ブリ(わが家ではツバイソ→フクラギ→ブリ)・ホタルイカ・マダラあたりになるか。本書にないものではアユ・イワガキ・オキノジョロウなども入ってくるでしょうね。本書は「『魚名』考」で美食本ではないのだが、当然のことながらそれぞれの食し方/調理法も併記してある。富山にももちろん郷土料理があれこれありますが、食材に恵まれている土地柄なのでほとんどが刺身・鮨タネで食せるのは、他都道府県にはなかなかない特長でしょうね。体験したい方はぜひご来富を。そういうの、現地じゃなきゃ味わえません。
高校生の頃は都会に憧れていた。そして大学進学は首都圏を選んだ。30代にUターンし爾来約30年、今こうして蓑島の快刀乱麻な筆致に接すると、「食在富山 よくぞ富山に生まれ育ちける」ってな心境になる。人間、加齢にともない郷土愛に目覚めそれが深化していくんでしょうね。県外の人が来富されると「富山は飲食店、どこでもだいたいハズレがない。海の幸・山の幸・里の幸、ぜひ味わって行って」と言うし、県外出張の折なぞ「これは」って人に「越中守」の名刺を渡して富山を宣伝している。こないだの金沢での研修で神吉宇一さん(AOTS)に「奥村越中守」なんて言われて照れくさかった^^。
僕は飲食中に能書きを垂れる人が嫌いだが、本書を読んでいると「カンパチって富山弁ではヤケンパチながよ」などと薀蓄を傾けたくなりそう(爆)。
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by tiaokumura | 2010-10-31 15:49 | 富山 | Comments(0)

小西弘通先生「富山”観世塾”」10月

先月は私用で受講できなかった小西弘通先生「富山”観世塾”」、本日受講。8月は28日にあり『経正』『三井寺』『俊寛』でした。あれからわずか2か月で富山の気温、20度くらい下がっているでしょうね。午前中床屋さん・博文堂さん支払い&注文、12時前に家を出て、一龍で昼食後、12:50頃、富山能楽堂に入る。
今月は『紅葉狩』『井筒』『遊行柳』の3曲。

『紅葉狩』、小西師がまとまりに区切って範を示し、それを受講生がその都度繰り返す。今年度は1曲目がこの方式になっています。僕のようなズブの素人にはありがたい試みです。
45年ほど前の大学生時代、クラスメートの宮崎健二君・山下富雄君らが銕仙会に入っていた。寿夫の時代なんでしょうね。昨年だったか宮崎君と金沢で夕食をともにした折、『紅葉狩』の初めのほうを披露していただいた。若いときに覚えたことってなかなか忘れないものなんでしょうね、美声でした。
『紅葉狩』は平維茂がワキ。彼の信濃守時代の山賊退治の武勇伝を下敷きにしたんでしょうね、観世小次郎信光(世阿弥の甥・音阿弥の子。世阿弥が亡くなった頃に生まれている)が作る。鹿狩に来た維茂だが、さる高貴な女性たちの紅葉狩に遭遇し、邪魔をせぬようにとそっと通り過ぎようとする。ところが、美女に「ちょっと寄って宴をともになさいませんか」と誘われる(「一河の流れを汲む酒をいかでか見捨て給ふべき」)。ボクなんかすぐお誘いに乗っっちゃうでしょうね(恥)。いかな武将といえども維茂とて男、「さすが岩木にあらざれば心弱くも立ち帰る」。文選の「人、木石に非ざれば」を踏まえている詞章。「心弱く」ってとこ、ボクなんかと違って維茂サンは罪の意識があったんでしょうね(激爆)。それとなく女性を観察すると、この世の人とも思えない「紅深き顔ばせ」で、維茂はただ「胸うち騒ぐばかりなり」。彼、数ある仏教の戒めの中でも上位にランクされる飲酒を重ね、美女の舞いに見とれる。やがて維茂は「シテ:月待つ程の仮寝(うたたね)に」。シテは「夢ばし覚まし給ふなよ」を繰り返す。伏線になるのでしょうね。『紅葉狩』は大成版で全九丁なのですが、ここまでで8丁オモテ2行です。こういう構成、観世信光の作劇術のなせる業でしょうね。中入りが入り(維茂、夢の告を得る)、ふっと目覚めた維茂の許に出現する鬼。「今まで存りつる女」は実は観客の期待通り「化生」だったんですね。「その丈一丈の鬼神の角はかぼく眼は日月面を向くべき様ぞなき」ってぇんですから、すさまじい。でもさすが世に聞えた武将維茂、「少しも騒がずして」、夢のお告げで得た剣でみっごと鬼退治。
発表当時、民衆がどの程度観劇できたか知らないが、信光新作の立ち回りに興奮の坩堝状態だったでしょうね。そして、後世の浄瑠璃・歌舞伎・文楽・映画などにも『紅葉狩』の趣向は大なり小なり影響を与えたことでしょうね。

2曲目、『井筒』。『紅葉狩』同様、お能の人気TOP20に入る曲でしょうね。世阿弥元清伊勢物語から自由自在に換骨奪胎した名曲。
この曲、恋愛至上と思わせつつ「亡婦魄霊」(十丁オ)ともあって、ボクのようなヒネクレ者はそっちのほうに注目してしまう(激爆)。そういうの、「夢幻能」への冒涜でしょうか。でも「夢も破れて覚めにけり/夢は破れ明けにけり」と「は/も」を使って対句でエンディングにしている世阿弥の「恋愛観」、ご本人に伺ってみたい気もします。いや、ここでの「夢」は恋愛観から来るのではなく、ワキ僧の能中での役割のエンディングを示しているだけなんでしょうね、きっと。

3曲目、『遊行柳』。謡本が用意できず、いつもあれこれ教えていただいている富崎茂樹さんの大成版をお借りしました。
この曲、世阿弥の『西行桜』に「触発され、あるいは挑戦して創られた観世信光晩年の作品」(増田正造『能百十番』平凡社、p.107中)。この曲も『紅葉狩』同様、全体の4分の3を過ぎたあたりで一気に大団円へ向かう。よく知らないのだが、『紅葉狩』との差は信光の加齢によるものだろう。仏教讃歌みたいな終わり方は、応仁の乱の時代の「厭離穢土」みたいな気分を反映しているのだろうか。勝手な想像を許してもらえば、同じ信光作品でも『紅葉狩』のような大衆の喝采は浴びなかったことでしょうね。でも、『西行桜』『遊行柳』は「両曲とも、能独自の表現の世界の、一つの極を示すものであろう」(増田前掲書、p.107中)。
西行の「道のべに清水流るる」は曲中に「・・・しばしとてこそ立ちとまり」で引かれている。詞章が「・・・しばしとてこそ/立ちとまり、・・・」と続くからなのでしょうか。どうなんでしょうね。
謡とは全く関係ないのですが、この間の成都や西安のニュースで知ったのですが、あれって中国語で「示威游行」ですって。知りませんでした。「へ~」ですよね。

川田有紀子先生に11月27日の華川会の忘年会に誘われました。
当ブログで確かめてみたら、昨年は12月3日に太平橋での同会に出席しています。今のところ当夜は空いているので、喜んで参加させていただこうと思っています。今年もベニズワイガニが食べられるのかも^^。
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by tiaokumura | 2010-10-30 20:40 | 謡を習う | Comments(0)

新入生歓迎会@岩瀬スポーツ公園

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(10月31日午後・記)
富山国際学院2010年度10月期生、10月15日(金)に入学式・ガイダンスを行い、10月29日(金)に新入生歓迎会
今回の新入生歓迎会は、スタッフの中のアイディア・ウーマンの柳川知美さんの発案で岩瀬スポーツ公園内にある健康スポーツドームで行うことに。昨年は旧・愛宕小学校の体育館を借りてビーチバレー(富山県朝日町が発祥の地だとか)だった。今年は旧・愛宕小学校が県立高校に衣替えするとかで建替えに入り使えなく、柳川さんがあちこち探して「健康スポーツドーム」が候補にあがった。学校行事、ビンボー日本語学校としては「いかに安くあげるか」もポイントで(照)、金さえあればTDLもUSJもOKなんですが、まぁビンボーミニ世帯、工夫を厭ってたら何もできません(激爆)。
候補の健康スポーツドームは予約できないとかってことでしたが、ダメモトで10月22日(金)に僕が借りられないか相談に行ったところ予約できた。着慣れないスーツ^^で行ったんがよかったか。いや、公共施設なんでもともと予約可だったんでしょうね。

10月29日(金)9時過ぎ、僕は家から車で5分ほどの会場に行って手続き。学院生・スタッフは富山駅北口に9時集合。ポートラム(路面電車)に乗り蓮町駅下車、歩いてスポーツ公園へ。僕はポートラムはよく利用しているのですが、スタッフ・学院生はほとんど乗ったことがないみたい。今回の新入生歓迎会、ポートラム体験も「目玉」のつもりです。
アップした写真、みんなを待つ間に撮りました。正面が健康スポーツドームです。先週僕が予約に行ったときは8人くらいの女性たちが中でテニスをなさってました(テニスコート2面あり)。

2010年度10月期生新入生歓迎会、10時半頃開始。新入生自己紹介などの後、スポーツ。これまた柳川さんのアイディアで赤・緑・黄・青の4組に分かれ3種目実施。スタッフは審判役など。
1種目目は「カニ」。2人1組になり背中合わせになって手を組む。リレー方式。
2種目目、「ムカデ」。縦列になり、右手で前の人の右足を持ち左手は前の人の肩に添える。団体戦。
メインは「ドッジボール」。日本人にはお馴染みのスポーツでしょうね。僕なんかの場合、小学生頃にやったような記憶がある。今のボクからは想像もつかんでしょうが当時のボクはけっこうスポーツ少年だったんで(照)、ドッジボール、うまかった気もします。←記憶を勝手に美化しとるかも(汗)。
粕谷謙治さんがルール説明。でも「日本の常識=世界の常識」ではないんですね。ようわからん学院生もたくさんいたみたい。僕が東南アジアのどこかに留学してセパタクローやるようなもんでしょうね^^。総当りリーグ戦。最終3戦目でやっとルールが飲み込めた学生もおったかも(激爆)。
余談ですが、「ドッジ」ってLONGMAN DICTIONARY OF CONTEMPORARY ENGLISH(Longman Group Ltd., 1978)に拠ると、to move suddenly aside、to avoid by so doingってなことだそうですです。ボク、知りませんでした。そう言えばtax-dodgingなんて言葉、ありますよね^^。
「スポーツに歴史あり」で、日本ドッジボール協会のHPで見ると、ドッジボールの原型は20世紀初頭の「デッドボール」。大谷武一教授(東京高等師範学校)により大正15(1925)年に「ドッジボール」という名称に。「ドッジボール」って日本人が名付けたんですね。サドンデスがVゴールになったのと同じような配慮が、デッド→ドッジにあったんでしょうかねぇ。
スポーツって国民性(今回は5か国・地域)や民族性が窺い知れる。そしてそれ以上に興味深いのは、教室では目立たない学生がヒーロー/ヒロインになったり(逆もあり)、おとなしい学生が意外と好戦的だったり(逆もあり)、友だち関係が明らかになったり・・・ってところ。教師としては学院生のそういうところもきちんと把握して授業や指導にあたらなければならない。
競技が終了し、集合写真・表彰式など。

ポートラムで帰るために公園を後にするみんなと別れ、アラキで昼食。アラキは麺類(とりわけラーメン)で評判の店で、岩瀬スポーツ公園から近いのでこの日の昼食はここでと前夜から狙ってた^^。15年ほどぶりに行ったんですが当時の場所にはなくて、プレハブみたいな店舗で営業中。車を停めて入店してビックリ。すっごい客数。立地条件から言うと圧倒的に不利なはずですが、近隣のサラリーマン・OLらがこの店お目当てでこぞって来店って感じです。超人気店。おなかがすいてたので、ラーメン+ライス。
帰宅してシャワー&着替え。1時頃学院に出勤。東京から2人連れの来客があり、1時間ほど応対。

土曜日夜、寝ようと思ったらこむら返り&腰痛。年を取ると疲れが遅れてやってくる、とか言います。思い当たる原因は金曜日のスポーツ。大した運動量じゃなかったんですけどね。日頃の運動不足、ここに極まれり、かも。もっと運動しなきゃ。

学校行事、この後はしばらくなく、2011年3月14日(月)に学習発表会、15日(火)に卒業式を予定。
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by tiaokumura | 2010-10-29 09:20 | 日本語教育 | Comments(0)

国際交流フェスティバル2010(11月13日・14日)@CiCビル

前記事に続き11月の富山県内お楽しみを一つご紹介。
先日、富山市民国際交流協会から、
国際交流フェスティバル2010@富山駅前CICビル
のスケジュールなどが送られて来ました。
僕は11月14日(日)にステージ係で「ぷちボラ」予定です。14日(日)の5F多目的ホールのステージは以下のプログラム。島津謹市兄貴たちに指導していただいてうまく任務を遂行したい。
外国人カラオケ大会→バンド演奏→ゴスペル→二胡演奏→韓国の歌→ロシア民謡舞踊→マレーシア舞踊→インドネシアの歌→ボサノバ→カポエイラ→ブラジルサンバを楽しもう!→閉会式
他にもさまざまなプログラムあり。その中からいくつかご紹介。
13日@CiCビル5F多目的ホール
開会式→オープニング パフォーマンス→ピアノ演奏と歌→ベリーダンス→フォホ→サルサ→ハワイアンバンド演奏→雅楽演奏
各国紹介ブース&チャット・ルーム@CiCビル3F第1、2、4会議室
13日 韓国 シンガポール 中国 ネパール フィリピン 米国 カナダ ジャマイカ トリニダード・トバゴ ブラジル チェコ モルドバ ロシア オーストラリア エジプト カメルーン コートジボワール コンゴ民主共和国 日本 他
14日 韓国 シンガポール 中国 ネパール フィリピン 米国 カナダ ジャマイカ ブラジル チェコ モルドバ ロシア オーストラリア エジプト カメルーン コートジボワール コンゴ民主共和国 日本 他
ロシア語スピーチコンテスト@CiCビル3F学習室1~3(13日)
外国につながる子どもたちのための勉強お助け隊@CiCビル3F学習室4(14日)
~こどもプログラム~世界の歌あそび@CiCビル3F学習室5
トルコの のび~るアイスがやってくる!@CiCビル5F多目的ホール(14日)
ハワイアンカフェ”ワイキキ” @CiCビル3F展示コーナー(13日・14日)
などなど。
お問合せは富山市民国際交流協会内「国際交流フェスティバル実行委員会2010」にTEL・FAX・Emailなどで。

僕、12日(金)、夜行バスで東京へ。池袋に早朝着いて築地で朝食、その後北千住で研修。研修後、池袋で夕食。池袋発夜行バスで14日早朝富山に戻る。14日は「日本留学試験@金沢大学」の日で、僕は「金沢駅」を担当で14日早朝はそのままJRで金沢へ。金沢でお役目を果たしたら富山に戻り、帰宅して着替えて富山駅前CiCビルへ、って予定です。
15日(月)は中学時代の仲間と「千草会@ちゃぶ有」。16日(火)夜は「ラテンパーティー@ラ・アンサンブルビル」。そんでもって^^同じ週の18日(木)の夜行バスで名古屋に行きセントレア空港から香港出発。
↑ハードスケジュール、いい年こいたオッサン、大丈夫なんじゃろか(大汗)。
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by tiaokumura | 2010-10-28 19:38 | 富山 | Comments(0)

山中貞雄『丹下左膳餘話 百萬兩の壷』『河内山宗俊』@フォルツァ総曲輪

ご当地もそうでしょうか、こちら富山、昨日から一気に寒くなりました。昨日の最高気温は一昨日の最高気温の半分だったかも。昨夜帰宅してこたつを出しました。勤務先の富山国際学院の同僚から聞いたのですが、ある学生が「富山は夏と冬の間が短い」と言っていたそうです。僕もそう思う。こないだまで猛暑だったのがもう暖房がほしい季節に入っている。夏が暑いと冬はその分寒くなるとか。富山国際学院生、これからの寒さをなんとか乗り切ってほしいものです。

「弁当は忘れても傘は忘れるな」と言われる当地、それでもそれなりに楽しみもいくつかあります。人の営みですもん、当たり前ですよね。僕の11月は東京出張・海外出張・外部授業各1回を予定しいてあわただしい日々になりそうですが、そんな中にあってもいくつか楽しみあり。今回はその中から1つご紹介。

山中貞雄『丹下左膳餘話 百萬兩の壷』『河内山宗俊』@フォルツァ総曲輪
ご訪問者の中には山中貞雄をご存じない方もいらっしゃるでしょうね。「山中貞雄」、『広辞苑 第六版』は3行、『大辞林 第三版』は4行なので、『大辞林』から以下引用(表記は恣意による)。
やまなか・さだお(山中貞雄1909-1938)。映画監督、京都生まれ。自由闊達な時代劇で天才を謳われたが、二十数本を撮ったのみで中国で戦病死。『国定忠治』『丹下左膳餘話 百萬兩の壷』『河内山宗俊』『人情紙風船』など。
どこかに眠っているフィルムがあるのかもしれませんが、今のところ山中作品で見つかっているのは(不完全なようだが)『丹下左膳餘話 百萬兩の壷』『河内山宗俊』『人情紙風船』の3作品だけのようです。もし新たに発見されたら世紀の大ニュースでしょうね。
溝口健二(1898-1956)、小津安二郎(1903-1963)は僕の場合ご存命中にぎりぎり間に合っています。『秋刀魚の味』(小津監督。岩下志麻・笠智衆・岡田茉莉子・佐田啓二ら。1962松竹大船)はほぼオンタイムで見ているし、京橋のフィルムセンターや名画座に通って溝口作品・小津作品を観ている。だが残念ながら山中貞雄は観た記憶がない。まさか2010年代の富山で山中作品に出会えるとは思ってもいなかった。朝日新聞富山版フォルツァ総曲輪スタッフがときどき書いているのですが、先日「山中作品@フォルツァ総曲輪」の記事を読み非常に嬉しかった。
フォルツァ総曲輪のHP(右にもリンクしてある)で調べると、11月6日(土)~11日(木)-水曜休館-の13:00~が『河内山宗俊』、14:40~が『丹下左膳餘話 百萬兩の壷』のようです。僕は7日(日)ならなんとか観られそうです。
山中が活躍した時代(監督としては1932-37)、彼らには今とは比べものにならないくらいの時代閉塞感があっただろう。中国戦線が拡大の一途を辿った時代。多くの有能な若者の命が奪われた。陸軍歩兵曹長山中貞雄、1938(昭和13)年、河南省開封市の病院で没、享年28。
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by tiaokumura | 2010-10-27 20:05 | 映画 | Comments(0)

久しぶりに白山茶屋

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(10月24日夜・記)
昨日10月23日(土)、地域型講師研修・講義見学会@石川県国際交流センターに参加。石川県国際交流センターが入っているビルはリファーレ。先日リファーレで代講して迷子(激爆)になってここはちとトラウマがあるのですが^^、今回は無事でした。

9:14富山始発サンダーバード16号。乗車前に駅舎内のコンビニで讀賣・日経2紙を購入し車中で読む。土曜日のせいでしょうか、当ブログに紹介するほどの記事なし。ごめんなさい、讀賣・日経さま。高岡駅を通過するころには読み終え、持参した
黒岩比佐子『パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』(2010年10月7日第1刷 講談社 2400円+税)
を読む。一つ前のブログ記事に「まだ届かない」って愚痴ったおかげでもないでしょうが^^、金曜日に博文堂さんから配達。その夜、まずは「第五章 大逆事件」から読み始めました。これ、僕なりの読書経験から来るストラテジーなんですが、小説を除き本を最初から順に読み進めるってことはほとんどありません。著者に失礼な読み方なんでしょうが、このほうが読みやすい。悪い習慣でしょうね。
黒岩の最新刊(前著は『古書の森 逍遙-明治・大正・昭和の愛しき雑書たち』)は、
これまで歴史の裏側に埋もれていて、見えにくかった事実をできる限り掘り起こし、売文社の全体像に迫ってみたい。(p.12)
黒岩単著が(たぶん)ほとんどそうでしょうが、本書も主要参考文献・人名索引が充実している。
平岡敏夫『北村透谷と国木田独歩』も引用して堺利彦の「敗者の視点」「反権力」を説明し「土蜘蛛」までに触れるのは、いつもながらの黒岩の真骨頂。ページにしてほんの3ページだが、こうして文章化するまでに黒岩の払った労力たるや私なんぞの想像を超えてすさまじいものであったことだろう。別の例では野口男三郎(p.47)。黒岩本で男三郎が出てくるのは驚くにあたらないが、黒岩が本書で堺利彦と男三郎の巣鴨監獄でのすれ違い・別れに触れるのを読むとき、彼女のこれまでの取材力がこういう一端にも反映している(「神の頭は細部に宿る」)と思い、いささか感無量。

金沢駅到着。朝ごはんを兼ねて白山そば。
10時過ぎリファーレ入り。ワークショップも予定なんでしょうね、4テーブル配置で僕はAグループ。本日の講師の神吉宇一さん(AOTS)にご挨拶。神吉さんにはこれまでに幕張・北千住でご指導いただいています。11月13日の北千住でもお世話になる予定。
午前、神吉さん「ビジネス日本語教育再考~アジア人財の取り組みを通して~」、WS。
午後、講義見学会・アジア人財参加留学生による体験談など。
「ビジネス日本語」は苦手分野ですが、意見もまぁまぁ出せて、充実した研修だった。

4時半頃終了。この日の神吉さん、羽田-小松往復利用で前泊後泊なしですって。東京―金沢ってそういうの可能なんですね。夜行バスで東京往復のボクには羨ましいような反面、もっと金沢が味わえればいいのにとちょっと同情も^^。

ビジネスでお世話になっている田中隆夫さん(アップした写真右の方)をお誘いして白山茶屋
入店、店の方に顔を覚えていただいていて光栄至極^^。ま、ボク、常連までには至ってませんが、お店の方に声をかけていただけるって嬉しいもんです。白山茶屋、僕に教えてもらったという来客もあったそうです。
田中さんはさっそく菊姫メニューから1本、僕はまずは生ビール(中)。都会住みの田中さんのためにメニューから刺身・おでん(つみれ・じゃがいも・糸こんにゃく・竹の子など)・ぶり大根・黒作り・たら煮つけ・鴨あぶり煮など注文。ママやマスターに教えていただいて、菊姫の「山ハイ」「生生酒」「菊」「金ハイ」(名称、間違いもあるかも)など。
8時頃までたっぷり飲み食い。これで一人3000円程度なのだから、実に愉快。都会でこれだけ飲み食いしたら5000円は超えるでしょうね。

金沢駅で田中さんと別れる。富山方面の電車なぜか遅れていて、駅構内のカフェでエスプレッソW。
魚津行きサンダーバード35号に乗る。車中再び黒岩比佐子『パンとペン』
堺利彦の「赤藻川」という小説が『富山日報』(大ざっぱに言うと、中越新聞→富山日報→北日本新聞、です)に載った(p.75)などという記述は、黒岩以外では不可能な史実発見でしょうね。
なお本書タイトルの『パンとペン』は、堺『売文社』広告の「ペンとパンの交叉は即ち私共が生活の象徴であります。」から来ている。
あとがき」から引用。
死というものに現実に直面したことで、「冬の時代」の社会主義者たちの命がけの闘いが初めて実感できた気がする。いまは、全力を出し切ったという清々しい気持ちでいっぱいだ。
日本の古本屋メールマガジン」10月22日号の【自著を語る(45)】からも1箇所引用。
これまで書かれなかった堺利彦の真の姿を知っていただければ、著者としてそれに優る喜びはありません。

9時半頃富山駅着。ポートラムで帰宅。
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by tiaokumura | 2010-10-23 18:45 | 美味録10年 | Comments(1)

黒岩比佐子先生「お詫びと近況」(ブログ:古書の森日記)

何年か前に実弟を通じてご面識を得るようになった寺本益英教授(関西学院大学経済学部)からメールをいただいた。寺本教授のご許可を得ていないんですが事後承諾できっと転載をお許しいただけると思うので、あまりいいことではありませんが教授からの私信を以下一部転載させていただく。
16日、東京へ出かけ、黒岩先生の講演をお聞きしました。興味深い内容でした。少しお話ししましたが、体調はすっきりしないそうで、遠距離の外出などはやはり厳しいそうです。11月か12月に予定しておりました関学の講座も、今年は難しいようです。ご都合がつけば先生にも聴講していただく予定でしたが、残念です。
黒岩比佐子先生東京堂書店神田本店での講演会は何人か立ち見も出るほどのご盛況だったようです。私も行きたかったのですが、ここのところ仕事が立て込んでいていけませんでした。
黒岩先生の現在のご体調を考えると、今秋の関西学院大学でのご講演もご無理のようです。黒岩比佐子先生の関学でのご講演は2011年以降の楽しみにとっておきます。

自分、黒岩比佐子ファンなので、もちろん『パンとペン――堺利彦と「売文社」の闘い』(講談社)は博文堂さんに9月中に予約しておきました。ところが10月21日現在まだ届かない! 僕思うに、『パンとペン』は売れ行きがいいので富山の僕にまで回ってこないのだろう。近日中には届くでしょうから、黒岩ファンを自称する身としてはかなり出遅れですが^^きちんと読んでみます。

黒岩ファンならご存知でしょうが、黒岩比佐子先生ブログ『古書の森日記』は病魔との闘いの記録でもある。
黒岩比佐子さんをご存知の方もご存知ない方もぜひ同ブログにアクセスしてください。一人の人間にとって、生きる・調べる・書く・本を出すとは何か、私たちが勇気づけられる記事満載です。
黒岩比佐子先生ご本人のご許可を得ていないので転載しませんが、
「お詫びと近況」
だけでもぜひお読みください。
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by tiaokumura | 2010-10-21 19:51 | | Comments(11)

李白『静夜思』(YouTube)


李白(Lǐ Bái701生-762年10月22日没)、字は太白、青蓮居士と号す。「詩仙」「詩侠」「文曲星下凡」と呼ばれ中国歴史上最高の詩人。日本にもファンが多い。日本人のあなたは清平調詞も白髪三千丈も朝辭白帝彩雲間も黄鶴楼も牀前看月光もきっとご存知。
勤務先の富山国際学院にはあちこちから無料の誌紙が送られてきます。その中の「大紀元時報」10月14日号で初めて知ったのですが、私たち日本人が覚えた五言絶句「静夜思」は
牀前看月光
疑是地上霜
挙頭望山月
低頭思故郷

ですが、かの国では
牀前明月光
疑是地上霜
挙頭望名月
低頭思故郷

だそうです(YouTube映像ご参照。漢字は正体字か)。一・二・四句の脚韻は日中同じです。
日本は明代の李攀竜『唐詩選』、中国は清代のコウ(草冠に衡)塘退士『唐詩三百首』をそれぞれテキストにしている関係から日中で齟齬が生じたようです。明のほうが清より古いなどとは申しませんが^^(どちらも李白より遥か時代が下る)、なんだか某島の領有権のこともつい思いました。
日中の李白の詩の違い、起句、日本は動詞が入って動きがあるのに対して中国は静謐な感じでしょうか。転句、「山月」のほうが故郷を偲ぶにはいいような気がしますが、中国版は月そのものに焦点をあてて月を故郷を映し出す鏡のように捉えているのでしょうか。

西安で反日デモ。「愛国有理」なんでしょうか。憤青や蟻族なのかどうか僕には不明。デモは綿陽に飛び火(更には武漢にも)。僕は綿陽は初めて知った市ですが、なんと人口500万人超だそうです。全く知りませんでした。
李白の名詩でさえ日中の差があるのですから、日中が互いに理解し合うのにはまだまだ多くの歳月がいるのでしょうね。
僕はもう年なので(恥)
抽刀断水水更流、挙杯消愁愁更愁(水を斬れども水切れず 愁いを晴らす酒もなし-奥村意訳
の心境にはとうていなれませんが、願わくば、長安(西安)の大学生諸君におかれてはたとえ就職難はあっても反日デモで日系店舗に投石なぞなされませんように。東京の中国大使館へのデモの映像、大学生諸君はご覧になったのだろうか。
千葉県船橋市の小中高校生の中国訪問団、訪中中止になったそうです。若い人たちの交流がこういった事情で途絶えることだけはあってほしくないと思う。
今週金曜日、李白の祥月命日。
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by tiaokumura | 2010-10-18 18:50 | このブログのこと | Comments(2)

2010年度10月期生 入学式・ガイダンス

2010年10月15日(金)、富山国際学院2010年度10月期生の入学式・ガイダンス。僕は会場設営(っても大袈裟なもんではありませんが。まぁ2人もいれば15分足らずで準備OKっす^^)、学院長式辞、ガイダンス説明役を担当。

午前11時過ぎ、同僚の粕谷謙治さんの司会進行で始まる。こういう式は男声(テノールかバス)がいいんでしょうね。うちは現場第一主義で権威主義に走らない日本語学校なんですが、それでも入学式・卒業式は通常とは異なってある程度厳粛な雰囲気を学生に味わってほしい。ハレとケでしょうか。僕は式服着用で臨む。いつもと違うファッションなので在校生に冷やかされました(照)。
学院長式辞、通訳つき。

富山国際学院2010年度10月新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。
今ここで、富山国際学院13人の教員を代表して、皆さんにご入学のお祝いのことばを述べさせていただきます。
今、皆さんは日本に留学できた喜びが80%、これからの不安が20%といったところでしょうか。2012年3月の卒業までの1年半、日本で・富山で・富山国際学院で、実りある留学生活を送っていただきたいと思います。
(中略)
皆さんがこんなにたくさんの日本語を聞くのは初めてかもしれませんね。今日私が話したことの中で皆さんの記憶に残ることが一つでもあったら、私は嬉しいです。
これから1年半、泣いたり笑ったりいろいろなことがあります。いいこと・楽しいこと・嬉しいことばかりではありません。つらいこと・いやなこと・苦しいこと・困ったこともたくさん出てきます。
私たち13人の日本語教師は皆さんのために精一杯の努力をします。皆さんも自分自身のために、母国の家族や友人のために、ここ富山で悔いの残らない留学生活を送ってください。日本留学を通じて皆さんが大きく成長することを願っています。
皆さんのこれからに期待して学院長式辞をおわります。
2010年10月15日 富山国際学院・学院長 奥村隆信

実は今回前々日に第2稿を作って(ボクにしては上出来な準備進捗っす^^)、その段階では外国語学習方法についてのエピソードも式辞に入れようと思っていた。ハインリッヒ・シュリーマン(1822-90)も考えたんですが(激爆)、ここは日本語学習なんでアーネスト・サトー(1843-1929) にして原稿を作った。

富山国際学院で日本語を勉強する皆さんのために、一つお話をします。
今から100年ほど前に日本で活躍した外交官にアーネスト・サトーという人がいます。サトーは父はドイツ人、母はイギリス人です。ペキンで少し漢字を勉強した後、1862年9月20歳の頃に横浜に来ました。彼は日本で日本語をどのように勉強したのでしょうか。今のようにいい教科書も辞典もないしパソコンもCDプレーヤーもDVDプレーヤーもちろんありません。そういう時代にアーネスト・サトーは、積極的に日本人と話し日本人を通じて日本語を学んでいったのです。特に彼のすばらしいところは英語やドイツ語に翻訳しないで日本語は日本語のままで吸収していったところです。外交官アーネスト・サトーは、私たち日本人にとっては、古い日本から近代国家に日本が変わることができた恩人の一人です。
さて、アーネスト・サトーにも今のあなたにも2つのことは共通して大切なことだと思います。つまり、アーネスト・サトーの日本語学習法から、皆さんにもできることが2つあるのではないでしょうか。
1.富山国際学院の日本人教師や皆さんのまわりの日本人を大いに利用してたくさん話してください。
2.この学校の日本語の教え方は「日本語直接教授法」といって、日本語で日本語を教える教え方です。皆さんはできるだけ母語に翻訳しないで日本語を日本語のままで覚え使えるようになってください。

↑ってな具合に作ってはみたものもどうも出来が芳しくない(汗)。今回はボツ。

学院長式辞→新入生自己紹介→担当教員自己紹介と進み、記念撮影。

その後ガイダンス。ガイダンスは一転してリラックスムードで、でも大切なことはきちんと伝わるようにしなければならない。
富山国際学院での日本語学習・アルバイト・犯罪・交通ルール・アパート生活など。学生と教師、お互いの信頼関係は一朝一夕にできるものではないが、今日のこの日、新入生たちが「この学校なら安心だ」「この先生たちなら、いろんなことが率直に相談できる」「富山は初めてだけど、なかなかいい町みたいだな」「留学生活って母国で思っていたのとはかなり違って大変なんだな。がんばらなきゃ」と思ってくれれば大成功なんでしょうが、どうだったでしょうね、今日の入学式&ガイダンス。
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by tiaokumura | 2010-10-15 19:36 | 僕は学院長2年生 | Comments(4)

21世紀版「テレビが来た日」

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刘晓波效果(劉暁波効果)なんでしょうね、先週金曜・土曜と久しぶりに2日連続で200超アクセスでした。昨日Googleで刘晓波を検索してビックリ。Google「ブログ」じゃここが1番目に来てる! 日が経つに連れ徐々に検索ランキングは下がるでしょうが、それにしてもビックリです。

昨日10月10日午前、ヤマダ電機テレビを買いに行く。富山国際学院の同僚の宮田妙子さんから、「テレビ、3~5万円で買えますよ」ってな情報を得た。TVなんぞに10万・20万の大金をつぎこむ余裕はないが(自慢してどうすんねん^^)、5万円なら清水の舞台から飛び降りる気分で何とか工面できる経済状態。それに韓流ドラマ『アイリス』も見づらかったし、チャンネルによってはパートカラー(時には白黒も^^)か乱れ画像も起きるテレビなんで、寿命とっくに来てたんでしょうね。買い換える時こそ至れ。
家から車で約20分のヤマダ電機。10:15の開店とほぼ同時に店内へ。ありました、36800円のテレビ。でもお金、それで済まないのですね。5年保証が1840円、95年製造marumanのTVの引取り3360円がプラスされ、〆て42000円の出費。5万円以内には収まりましたが、このモトを取るまでには5年以上はTV見んならんでしょうね。TVジジイになんぞなりたくないけど^^。
朝日新聞の投書欄で身につまされる投書を読んだ。僕より15歳ほど年上の女性の投書。彼女、地デジとやらになって僕と同じでTV受像機を買い替えんならんのだけど、そのためのお金がない。「先進国日本」なんてエバっていられない投書でした。今の時代、TV視聴って生存権に属するんじゃないでしょうか。子ども手当ても大切だろうけど、国か地方自治体、彼女のような方々にTV受像機をプレゼントってできんのだろうか。国民投票で地デジになったわけじゃないのだから、そんくらいのサービスあってもいいような気がする。

昨日買ったテレビ、そのままでは見られんようで、近所の電気屋さんに配線をお願いする。今朝9時半、僕くらいのご店主が自宅に見える。
10時過ぎ、今日来富する富山国際学院10月新入生富山空港出迎えのため家を出る。11時、富山大学黒田講堂の前で同行するCさんと待ち合わせ。富山大学、3日間の学園祭をやっていた。時間があったので正門前からの並木道を歩く。ほとんどが学生であまり一般客はいそうにない感じ。ステージではジャズをやってた。
Cさんは中国で日本語能力試験1級を取り来日、富山大学研究生1年の後、人文学部に入学。僕は06年4月~08年3月に富山大学に在籍したのでひょっとしたら富山大学五福キャンパスで彼女とすれ違っているかもしれない。彼女、卒論は立川健治教授の指導の下で日中戦争時の軍馬調達研究。ユニークな研究ですよね。立川教授、僕、「原敬日記講読」の授業を取ってます。成績はもちろん優でした(照)。富山空港までの車中,彼女とあれこれ話し、軍国歌謡にこういうのあります、ってことで「徐州徐州と人馬は進む徐州いよいか住みよいか」を歌ってあげた。「軍馬」が「マドレエヌ」になったんでしょうね、自分でもそんな歌が口をついて出てビックリ。
富山空港、午前11時20分着。大連便が既に11:05に到着しててちょっと焦った。無事、新入生出迎え。

2時頃帰宅。電気屋さん、屋根にあがってまだ工事中。5時過ぎ、
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見られるようになる。
アップした写真、山口百恵ファイナルコンサートです。「21世紀版 テレビが来た日」に彼女の映像を見られるなんてちょっと出来すぎの感も。あれから30年になるんですね。三浦百惠(1959-)さん、お元気なんでしょうね。
もうこれでテレビは買わんでもいいでしょうね、ボク。3年後か5年後か10年後かは知らねども、円高が行き着くところまで行き反転しインフレ突入した頃、「ああ、2010年秋に42000円でテレビを買っておいてよかった」と思うんでしょうかねぇ。その前にボクの寿命が尽きて昨日買ったテレビ、誰かに引き取ってもらってたりして(激爆)。
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by tiaokumura | 2010-10-11 17:48 | このブログのこと | Comments(0)