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たかさごや この うらぶねに ほを あげて

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(7月1日夜・記)
僕は日本人なので、中学や高校の歴史でについて知り、あるいは高校生時代に小林秀雄『無常といふ事』を読み(白洲正子はまだ読んでいなかった)、能のほんの初歩的な知識は持っている(つもり)。大学に進学し、小西甚一先生の授業を受け、あるいはクラスメートが銕仙会に入っていて、「謡が趣味だったらずいぶん豊かな人生が送れるだろうなあ」と思ったが、とは無縁で人生を送ってきた。
あれは2008年の12月だったか、地元の北日本新聞で小西弘通先生(観世流シテ方)「富山"観世塾"」の案内を読んだ。富山は加賀(前田家)や高岡(前田家の分家)の影響で宝生なんだろうなぁと漠然と思っていたので(今でも清明堂にも紀伊國屋にも謡本は宝生流しか置いていない)、観世流があるなんて知らなかった(恥)。記事中の連絡先に電話し、「全くの素人なのですが受講できますか」と恐る恐る^^申し出たら、「どうぞどうぞ」とのことだった。その時の電話の主、松友会会長・松下覚さん。「富山"観世塾"」には翌年2月初参加だったか。その後「華川会」を教えられそちらにも参加。ただ、どちらもなかなか参加できないでいる。末席を汚す弟子としてはせめて出席率だけでもと思うのですが、いかんせん仕事がある身、行けたり行けなかったり。60代後半になってもっと時間ができたら、もっとちゃんと謡を習いたい。

数ヶ月前、「富山"観世塾"」(富山能楽堂)の日、松下覚・松友会会長にビクトリアクラブ(ウラジオストク)の子どもたちが富山国際学院に来るので、子どもたちに謡体験をさせてやりたいとお話ししたら、松下会長は先生役を快く引き受けてくださった。ボクって、見かけはひ弱ですがケッコー図々しい男なんですね(激爆)、偉い人にもついお願いしてしまいます。「ロシアの子どもに謡体験」なんて本邦初^^の(無謀な^^)試みかもしれませんが、ご快諾していただいた松下会長には感謝するばかりです。今時の言葉で言えば松下会長は「プロボノ」です。ビンボーな日本語学校なんで(恥)一円も報酬をお出しできないことを承知で先生役を引き受けてくださった。あるいは僕にとって松下会長は「メンター」でもあるでしょうね。
世の中の人間には、「前例がないから やらない/やれない」タイプと「前例がないけど/前例がないから やってみよう」タイプがありそうですが、公務員向きは前者^^で、日本語教師は後者の資質がある人向きな職業でしょうね、きっと。

6月27日(日)午前10時、松下会長と富山国際学院で打ち合わせ。
6月28日午後1時過ぎ、ビクトリアクラブ(ウラジオストク)の子どもたち、謡体験。富山国際学院の近くにある地区センターの20畳の和室をほとんどタダみたいな料金で借りることができて、そこが謡教室。
子どもたち、入室第一声が「さむらい~」でした。松下会長、紋付袴だったんですね。
松下会長から、能の歴史・謡のこと・日本文化のことなどレクチャー。通訳はターニャさん。
4人・3人に分かれてお稽古。各グループ約10分。正坐、大変でしたが、けっこうきちんと座っていました。補助プリント1枚使用。表には『高砂』のストーリー。『まんが 能百番』(平凡社)pp224-225のまんが(渡辺睦子)の日本語部分をスタッフの増山満美子さんがロシア語に翻訳。裏は、『高砂』3箇所の横書きの漢字かな版とかな版。僕が作成しました。かな版は例えば
たかさごや この うらぶねに ほを あげて この うらぶねに ほを あげて つき もろともに いでしおの なみの あわじの しまかげや とおく なるおの おき すぎて はや すみのえに つきにけり はや すみのえに つきにけり
といった感じ。現代仮名遣い。ひらがな(カタカナもそうですが)って発音記号にもなるところが、こういう時にとても便利。ひらがなさえ読めれば、音が出せる。

休憩の後、全員一緒に謡。アップした写真がそれです。紙を持って立っていらっしゃるのがターニャさん。紙には僕の下手な文字で(大汗)、「たかさごや・・・」が書いてあります。
最後に松下会長の仕舞。
終わって皆で後片付け。松下会長が着替えるところも、子どもたち興味津々でした。

日本で言えば中1~高1のロシア人子どもたちに謡を体験させて何になるのだ、って批判もあるでしょうが、子どもたちの心のどこかに今回の体験、きっと残ると思う。それがやがて30代あるいは50代になって何かの拍子にふと脳裏に思い浮かぶ。そんなことになってくれれば、「仕掛け人」としてはそれで充分です。

松下覚会長
ロシアの子どもたちに貴重な体験をさせていただいて
どうもありがとうございました!
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by tiaokumura | 2010-06-29 14:16 | 日本語教育 | Comments(0)

昭和46(1971)年 東京女子大学文学文科系国語入試問題・問題文三

大学時代以来の畏友・哲ちゃんから「東京女子大学文学文科系国語入試問題・問題文三(昭和46年)」関連の資料をいただいたのは6月上旬。ずっとほったらかしにしてたのですが、先週金曜日の名古屋出張の車中、「東京女子大学文学文科系国語入試問題・問題文三(昭和46年)」に挑戦してみました。JR「しらさぎ」の小松―福井が確か40分くらいなのでその区間でやってみました。大問3題で試験時間120分なので、1題40分という計算です。

なぜ東京女子大入試問題かは後にして、まずは、奥村の考えた「解答」をご紹介(照)。
問題文 三
 下記の文章は、ある数学者が高校生に向けて、数式の書き方には幾通りもあり、そのどれかだけが正しいとは言えない事、またその問題と関連づけて、日本語が論理的でないと決めてかかる態度が正しくはない事を、述べた文章から、抜き書きしたものである。これを読んで解答用紙の問に答えよ。(必要な事は問題文に述べてある。数学の知識はほとんどいらない。)
(句読点表記を除き、原文のまま-奥村注)
(問題文章は省略-奥村注)
問一(下線1の根拠となる実例を問題文章中から探し、なるべく原文に近い述べ方で書く-奥村注)
x+yは、英語文をそのままに数式に「翻訳」しただけで、「演算子を被演算項の左に書くやり方」もできれば、「演算子を全部右に出して書くこと」もできるから。
問二(下線2の内容をもっと砕いて述べた表現を問題文章中から抜き出す-奥村注)
一通りにしか分析できず、したがって一通りの解釈しか成り立ちません。
問三(下線3の「説」に筆者が《 》をつけている気持ちを、30字以内で説明-奥村注)
「日本語は論理的でない」という説が本当は正しくないから。
問四(与えられた数式を問題文章中の解説に従って「逆ポーランド記法」で表す-奥村注)
(順に)zxy―÷、xyz÷-、xyz-÷、yzx÷-
問五(1~6の主張で、「筆者の意見と常に両立しうるものに○」「筆者の意見と絶対に両立しえないものには×」-奥村注)
1× 2× 3○ 4× 5× 6○

なんで今「東京女子大学文学文科系国語入試問題(昭和46年)」か。
時系列でご説明。肩書は当時。
齋藤正彦(東京大学)が『数学セミナー』1970年9月号に「高校生諸君 日本語と論理」を書く(同誌pp.17-21)。
水谷静夫(東京女子大学)が①の後5分の2くらいを、1971年の東京女子大学文学文科系国語入試問題の大問3問(試験時間120分)のうちの1問として出題する。
全国高校長協会『大学入試問題所見集(国語科)』で②が批判され、新聞記事にもなる。④から「所見の中核部分」(水谷)を以下孫引きする。
ちょっと見ると数学の問題かと思われるほどである。しかし、じっくり読んでいけば、記号論理学から日本語の論理性に至る言語論で、設問もそれほど難解ではない。しかし、国語の問題文として、ここまで凝る必要があるだろうか。受験者に心理的圧迫を与えかねないし、こういう問題文で、出題者が入試問題の新しさを意図されたとしたら、やはり、奇をてらった問題文と断ぜざるを得ない。
『数学セミナー』1972年3月号に、水谷静夫が「ある入試問題(国語)をめぐって 入試に奇をてらう? 高校長協会『所見集』に答えて」を書く(pp.33-35)。「国語教育」「大学入試問題」「大学教育」についての卓見と警鐘に満ちた文章。1箇所だけ引用させていただく。
大学教育を受けようとする者にはこの程度の文章を理解する国語能力が必要で、そういう要求が無理ではないと信ずるからこそ、出題した(原文の傍点は省略-奥村注)
⑤④と同じ号に、齋藤正彦が「ある入試問題(国語)をめぐって もっと論理を」を書く(p.36)。1箇所だけ引用させていただく。
国語科の主目標は文芸教育ではなく、日本語という言語の構造や歴史を認識させ、その基礎の上に、日本語を自由にあやつる能力(理解および表現双方の)を身につけさせることだと思う

話は、④⑤から38年後に飛ぶ。
哲ちゃんが僕に齋藤正彦『日本語から記号論理へ』(日本評論社)をプレゼントしてくれ、僕がブログでその本を紹介した(2010年6月3日付)。
⑦その記事に哲ちゃんがコメントを寄せてくれた。コメントでは上述①~⑤のことに触れてあり、後日彼から「東京女子大学文学文科系国語入試問題・問題文三(昭和46年)」関連の資料コピーが送られてきた。

そんなわけで、僕が東京女子大の入試問題に取り組んだってわけです。実際に解いてみんことには、その問題がいいか悪いか判断できませんもんね。
僕の大学入試は昭和40(1965)年ですから、この入試問題に取り組んだ女子高校生たちは現在57歳くらいになるでしょうね。上掲④に拠ると「当の問題の成績平均は配点の55%ほどで、受験者の四割は60%以上の得点だった。この値は問題作成時の予想と合い、また他の問題での得点との相関も満足できる状態だった」そうです。また、入試を突破して東京女子大に入学してきた学生に水谷が聞いたところ、「幾人もがこう言った:初め驚いたが読んでみると難問でなく、文法の思ってもみなかった捉え方を知って面白かった」。

もう40年近い「昔」の入試問題ですが、「大学入試のあり方」「大学は入学してくる学生にどんな力を期待するか」「国語力・日本語力」「大学は何をするところか」など、現代に示唆することの多い「昭和46(1971)年東京女子大学文学文科系国語入試問題・問題文三」とそれを巡る一連の「騒動」です。④・⑤は、今読んでも決して古くない。
↑ってエラソーに評論家みたいなこと書いてますが、一番気になるのは、僕の解答^^。当時の女子高生と同じ40分でやってみましたが、どうなんでしょう成績のほどは。問一~三は7割、問四・五は3割できてるかなぁ。7割+3割で10割です(激爆)。

この記事を載せる前に哲ちゃんにTELした。「東京女子大学文学文科系国語入試問題(昭和46年)」にご関心がある方は、右にリンクしてある「亀書房」にアクセスしてください。そこにメールフォームがあります。入試問題資料を希望される旨をお書きになれば、哲ちゃんが後日郵送してくれるはずです。このブログで知ったってことを書かれてかまいません。
なお、上記①齋藤正彦「日本語と論理」『数のコスモロジー』(ちくま学芸文庫)に収録されています。
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by tiaokumura | 2010-06-27 09:09 | このブログのこと | Comments(0)

観世流華川会@割烹小川

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(6月30日夜・記)
観世流華川会・川田有紀子先生から「平成22年『いこう会』」のご案内をいただいたのは6月上旬だったろうか。「いこう会」は、いい候・行こう・憩うがかけてあるそうで、6月26日の昼の部が富山市民俗民芸村、夜の部が割烹小川。僕は前日の25日が名古屋出張なので「いこう会」に参加するかどうかかなり迷ったが、夜の部に申し込んだ。でも
毎月のお稽古に励んでいるうちに今年もあっという間に6月を迎えました。
って文面に、「ワシなんか参加していいんかなぁ」って自責の念ひとしきり^^。自分、サンフォルテで行われている華川会の「お稽古」、メンバーには入れていただいていますが、ほとんど参加しとらん。謡入門者は『鶴亀』から入るのですが、川田先生のご指導のおかげでなんとか『鶴亀』の最後まで行けたが、2曲目の『橋弁慶』に入ってからは1回しかお稽古しとらん。土曜日がお稽古日なのですが、仕事が入ったり出張があったりで、今年はまだ1回も行っとらん(恥)。

6月26日夜、観世流華川会「いこう会・夜の部」
アップした写真、左手前から富崎さん(当夜の幹事)・碓井さん・川田先生の息子さん、正面が川田先生のご主人、更に右奥からお名前失念(ごめんなさい)・割烹小川の女将さんの千鶴子さん・川田先生・中川さん・僕。確かもうお一人ご参加でしたが、アップした写真には写っていらっしゃらないみたい。
当夜は楽しく過ごさせていただけました。謡いをなさる方って、性別年齢を問わず、人生に余裕があり、ビジネスパーソンとしても優秀で、上品で教養があり、多芸多趣味な方々ばかり。かつかつの人生を送りビジネスシーンで右往左往し無教養下品おのこで無芸大食無趣味な自分には、高い峯を仰ぎ見るような方々ばかりです。
当夜の座の中心は中川社長。昭和2年のお生まれですから、僕には叔父にあたるようなご年齢でしょうか。僕は専ら聞き役・質問役で、中川社長の戦前・戦中・戦後の人生や富山における観世流の歴史などを拝聴いたしました。
当夜は碓井さんと初めて親しくお話しさせていただけた。ウラジオストク絡みで、今富山国際学院に来ているビクトリアクラブのことも話題になった。そして、興味を持たれた碓井さんからありがたいお申し出があった。碓井さんの奥様が和菓子・表千家の先生をなさっていらっしゃるそうで、奥様がビクトリアクラブの課外活動に協力できるかもしれないというお話。人の縁なんでしょうね、こうしてまた富山国際学院の活動に対してご理解ご協力いただける方が出てこられ、感謝の極みです。
当夜は越中おわら風の盆も話題に。今年の9月3日24時過ぎだったかに華川会のメンバーで八尾に集まろうという話になった。メンバーの中に八尾ゆかりの方がいらっしゃるようです。9月上旬は名古屋出張がありそうですが、今年の9月3日は金曜日なのでなんとか時間をやりくりして参加したい。ただ、今は9月3日24時以降もものすごい人出だそうです。おわら風の盆の風情に浸るなんてことは、21世紀の今はもう不可能なんでしょうね。残念かつ寂しいことです。
当ブログご訪問者の方々の中には「観世流華川会」についてご存じない方もいらっしゃることでしょうね。華川会のHPは右にリンクしてあります。同HPの川田有紀子先生主宰者からのメッセージ」から以下一部引用。
現在、華川会は富山と大阪を拠点に「謡い(謡曲)」「仕舞」の稽古をしております。性別・年令・経験を問わず楽しく活動して、身近な日本文化を感じていただくために仲間を求めていますので、是非一度お近くの教室へお越し下さい。
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by tiaokumura | 2010-06-26 19:26 | 謡を習う | Comments(0)

名古屋出張

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(6月29日夜・記)
昨年度は名古屋出張、8回くらいあったかなあ。僕の名古屋出張の目的は大別して3パターン。名古屋入国管理局申請、日本語教育振興協会・東海北陸地区維持会員の会議、それと今携わっているプロジェクト関係。
去る6月25日に名古屋出張があり行き先は名古屋入国管理局富山国際学院・学院長を務める僕は、年に4回名古屋入国管理局に出張しています。これって日本語学校トップが必ずやらんならんことでもないのですが(前任の岸井みつよ学院長時代、僕は何回か名古屋入管に出張した)-実際他の日本語学校さんは、中国人事務職や日本人事務職がご担当-、ビンボーなミニ日本語学校ってこともあって(うちんとこ、事務職なんて雇える体力がない^^)、日常の入学問合せへの対応も学生の募集活動もさまざまな書類チェックも入管への申請も、まぁほとんどが「学院長」の職掌分担。別に僕だけが負担が大きいってぇわけじゃなく、富山国際学院内外の仕事、学院内外日本語教師計14人のスタッフで協働や分担でやりくりしています。そういう日本語学校があっても許されますよね(照)。外部に多くの理解者・協力者があればこそ、そういう体制でやっていけるのでしょうね、ありがたいことです。

9:09富山発しらさぎ6号。富山-金沢は例によって讀賣・日経。新聞がそんなに短期間で変わるってことはないでしょうから、これは僕の側によるのでしょうが、最近の両紙(っても購読するのはせいぜい週1回ですが)、ピンと来る記事が減ってきている。今回(6月25日朝刊)は、日本経済新聞最終面(文化)、日比谷孟俊「吉原と宿縁 研究に情熱」が良かった。日比谷は慶應義塾大学大学院教授で「私の専門はエレクトロニクスの材料の研究や、宇宙での微小重力状態を利用した研究」。そんな日比谷がある年の法要がきっかけで、先祖が江戸吉原で妓楼(遊女屋)を営んでいた和泉屋平左衛門だったことを知る。そこからが日比谷のすごいところで、彼は「和泉屋の歴史の研究に乗り出した」。日比谷の探求の結果、次々と明らかになる史実。日比谷は同記事を
・・・私は吉原細見と浮世絵を結ぶデータアーカイブの構築に向け(中略)本格的に研究し始めた。これを博士(文学)の学位論文に仕上げてみたい。
と結ぶ。
確か土方巽のアーカイブ、慶應大だったと思う。慶應はそういう点でも最先端なんでしょうね。それにしても世の中にはすごい方がおられるものです。
甚だ僭越ながら、日比谷孟俊先生のご研究の成就をお祈りしたい。

金沢-小松、数独level8を2問。
小松からは「東京女子大入試問題」に取り組む。詳しくはこの2つ上の記事をご参照。
米原で新幹線に乗り換え。新幹線のひかり3号車、喫煙可^^。名古屋12:21着。

アップした写真、名古屋駅中央通り「驛釜きしめん」。名古屋の「食」の代表格きしめん。僕、名古屋に行ったさいにはなるべく食するようにしています。これまで食べたきしめん、勝手にTOP3を選ばせていただくと①高山線「ワイドビューひだ」が入線するホームのきしめん(立ち食い)、②驛釜きしめん、③新幹線が入線するホームのきしめん(立ち食い)、になるでしょうか。まだ8軒くらいしか食べ歩いていないので、もっともっとおいしいお店があるのでしょうが、今のところはこういったところです。ホームの立ち食いって、そば・うどん・きしめん、いずこもおいしいですよね。
「驛釜きしめん」での昼食、大奮発^^して「冷し海老おろしきしめん」(850円)。同店は持ち帰りもできて、今回は夏向けのきしめんを買って帰りました。

1時半~2時半、名古屋入管。終わって、大名古屋ビルヂング3F・I.C.NAGOYA

夕食は「そば・焼鳥居酒屋 右衛門」、名古屋新幹線通りに店を構える。僕は焼鳥はタレが嫌いで(変わり者かもしれない^^。今まで「これは!」ってタレに出会ったことがほとんどない。素材を生かしたタレってないんでしょうかねぇ)、「塩派」。以前丸山茂樹先生(I.C.NAGOYA)に連れていっていただいた、石鍋裕プロデュースの焼鳥店はうまかった。確か沖縄の塩を使っていたか。右衛門では、皮・砂肝・軟骨・レバーなどの焼鳥(塩)、ハツ・ミノ・小腸のホルモン、それに生ビール(中)2杯。〆に「そば」とも思ったのですが、なんだか残しそうなのでやめる。同店の手羽先・つくね・えびふりゃ~・ひつまぶしは次回以降のお楽しみに。名古屋コーチンはお金が貯まった暁に食べます(激爆)。

名古屋から新幹線で米原に出、米原でしらさぎに乗る。帰りの車中は
中井久夫『私の日本語雑記』(岩波書店。2010年5月28日1刷)
を読む。「図書」連載が単行本化された。当ブログでご紹介と思っているうちに1か月が経ってしまいました。6月27日付朝日新聞斎藤環の書評が載ってましたよね。そこで紹介されていた中井のエピソード-
「本の背表紙を眺めていると中身が全部出てきて苦しいからと、すべて逆さまに並べていた」「ドイツ語の読書で疲れた頭をフランス語の本で癒していた」
って、すっごいですよね。
9時半頃、富山着。ポートラムで帰宅。

次回の名古屋出張は9月上旬になるかなあ。次回の行きは久しぶりに高山線にしようかなあと思っています。
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by tiaokumura | 2010-06-25 12:33 | 僕は学院長2年生 | Comments(0)

さようなら、アダムさん

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(6月27日夜・記)
四半世紀ほど主宰した奥村学習塾は数年前に廃業した。「塾教師」が天職かなぁと思ったこともありましたが、どうやらそうではなかった。今は日本語教師@富山国際学院。これが「天職」かなぁと思うこともあるが、どうなんだろう。天職かどうかなんて、自分が決めることじゃないし、死ぬ瞬間までわからないことなんでしょうね。

今年度上半期の富山国際学院・学院内授業で、僕はF組担当。佐野久美子さんが担任(3日授業)、僕が副担任(授業は2日担当)です。今学院スタッフは僕を入れて12人いますが、佐野さんは石川純子さん・宮田妙子さんと並んで、富山国際学院勤務歴先輩です。3人も先輩がいるからこそ、僕は学院長職を務められているんでしょうね、ありがたいことです。

F組の僕は水・木曜日担当。ただ僕には学院長としての仕事もあるので、佐野先生に曜日変更・代講をお願いすることもしばしば。
火曜日、佐野さんから引継ぎ。授業進度・学生の様子・宿題などを引き継ぐ。水曜日は早目に出勤。メールチェックなどした後、授業準備。当日の教材のチェック・授業構成の確認など。
午後1時前、4Fの教員室を出て3FのF組教室へ。
F組、1時~4時半の4コマ(1コマは45分)授業。「こんにちは~」と明るく入室。学生の顔をざっと眺めて彼ら・彼女らの本日の体調・授業に向かう意欲などをつかむ。授業開始の「掴み」にはあれこれの方法を使っています。
授業、まずはシャドーイング。教科書『大地』とシャドーイング教材を併用。
次いで前日の宿題。漢字教科書『Write Now!』を回収。この漢字教科書、4コマ目までに返して漢字授業をやらねばならないので、休み時間3回を利用して添削。他の宿題、時間をしっかりかけて解答・解説。「スパイラル」な指導ではこういうところが大切。どの学生はどこまで理解し、どこからが未習得かを確認する大事な時間です。
聴解は、これまで割と3コマ目に取り上げることが多かった。ちょうど教師も学生もだらけてくる時間帯なので、そのころが適当って考えからです。ただF組は2コマ目に取り上げることが多い。担任の佐野さんが各種聴解教材の『大地』との対照表を作ってくださっているので、聴解教材、それに従ってやっていけるので楽&便利。
メインの『大地』は2コマくらい使う。
漢字は0.5コマ強。F組の学生はオール非漢字圏出身なので、短時間で集中が大切だと思う。前日の復習、新しい漢字(1日4字くらい)の情報を提示したり空文字書いたり。「空文字」って意外と効果がある。大人の学習者がそんなんやってくれるかって危惧もあるもんですが、これが意外なことに童心に返って?嬉々として取り組んでくれる。こういう点、教師と学生って(誤解を招く言い方になるかもしれませんが)「共犯関係」なのでしょうね、教室では。
授業最後に宿題提示。「宿題」をコースデザインの中でどう位置づけるかは、とても重要なことだと思う。1日わずか(←異論もあるだろうが)180分の日本語学習では「授業内でできないこと」が多いし、授業であえてやる必要度が低いシラバスもある。日本語教師によって、あるいは日本語教育機関によって、宿題の取り扱いはさまざまでしょうが、僕は宿題を多く出すタイプの日本語教師です。もちろん(他の日本語教師と比べて相対的に)たくさん出す以上は、なぜこの宿題を出すか、について「説明と同意」を心がけている。
授業が終わり教員室に戻る。5時過ぎまでF組副担任・学院長としての仕事をこなす。

アップした写真F組・6月24日です。
アダムさん(写真、前列中央。その右が佐野さん、左が僕)が6月25日でおやめになるのですが、僕は6月25日は名古屋出張でアダムさんの最後の日にはいないので、前日にお別れのご挨拶など。
アダムさんが奥様と富山国際学院にお見えになったのは3月下旬だったか。入学希望者に応対するのも学院長の役目の一つなんで、僕が対応した。その時のアダムさんご夫婦にとって最もお知りになりたかったことは、「富山国際学院は日本語を学ぶに値する日本語学校か」ということだったでしょうね。アダムさんに限らずおそらく全ての入校希望者の一番の関心はそれでしょうね。面談で、アダムさんが「新出語彙はどうやって教えるのか」と英語で質問され、僕は絵カードを使って実際にやってみた。それも含めてのことでしょうね、後に奥様からアダムさんが僕に対して好感を持たれたということをお聞きして、とても嬉しかった。
4月5日、アダムさん、初めての日本語学習開始。そして、6月25日、12週間の日本語学習を終えられた。6月22日(火)のF組で、昨年の日本語能力試験4級を実施。アダムさんは280点近い点数で合格(400点満点・240点以上で合格)。アダムさんはひらがなもカタカナもわからないレベルで始められ、ここまで来られたのだからすばらしい。漢字も大好きになっていただけた。自作教材『Write Now!』準拠・漢字練習プリントの11課までを差し上げたら、喜んでくださいました。
教師は学生によって鍛えられる」という。僕もアダムさんに日本語指導をする中で鍛えられ多くを学ばせていただいた。
アダム・カペルさん、お別れはつらいけど、これからも日本語の勉強を続けてください。
ときどきでいいですから、メールをください。僕は英語がわからないので^^、日本語でお願いします。
またお会いできる日があることをお待ちいたしております。

アダムさんはプロ級の写真の腕前。アダムさんのweb上の写真館Adam Koeppel's Photostreamこちらです。
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by tiaokumura | 2010-06-24 16:36 | 職業としての日本語教師 | Comments(0)

ヤァヤァヤァ! ウラジオストクの子どもたちがやって来た!

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(6月24日夜・記)
僕が「ウラジオストク」なる地名を知ったのは中学か高校のころかなぁ。帝国書院『復刻版地図帳 中学校社会科地図帳 昭和25年版』(平成18年11月20日発行)にウラジオストクは「ウラヂオストック」で載っています。余談になりますが、僕の最も古い記憶は昭和24(1949)年11月で、自宅の前で「弟が生まれた~」って叫んでいる光景。その弟も昨年めでたく還暦を迎えた。「ウラヂオストック」が載っている昭和25(1950)年は同時に、まだ「チョンホワ(中華)民国」「ハヌ(韓)民国」の時代です。60年前になります、昭和25年は。
おそらく「ウラヂオストック」表記で知った地名、「ウラヂオ+ストック」だとずっと思っていました。それが「ウラジ+オストク」だということを知ったのはつい数年前です(恥)。ウラジオストク(キリル表記Владивосток、英語表記Vladivostok、漢字表記符拉迪沃斯托克/浦塩斯徳、ハングル表記블라디보스토크/울라지보스또크)は、「ウラジ=所有する(possess)+オストク=東方(the East)」つまり「東方を所有する」という意味のようです。ロシア帝国にとってウラジオストクは、東方経営の要衝の地、対日本・中国・朝鮮にとって地政学的に重要な位置、閉ざされた西方に対してロシアの貴重な不凍港だったのでしょうね。

話は一気に現在に飛びます^^。ウラジオストクに「ビクトリアクラブ」というのがあります。ウラジオストクの子どもたちの放課後の市中のクラブになるのでしょうね。そこでは英語やPCや日本語などが教えられている。かれこれ10年ほど前からになるでしょうか、ビクトリアクラブの子どもたちが夏休みを利用して富山国際学院で集中日本語研修。昨年は都合でなかったのですが、今年も子どもたちがやって来ました。これまでは富山県伏木港に入港する「ルーシー号」での来日だったのですが、例のロシア政府の関税の影響で中古車のロシア輸出が激減し、定期航路の「ルーシー号」は廃止。今回は新潟入りでした。
このプロジェクト、ロシア関係には強いスタッフの増山満美子さんがチーフで僕はサブ的な立場(今回は授業は担当しない)。子どもたちに事故事件トラブルがないよう気をつけ、いったん事件事故トラブルが発生したら直ちに出動^^ってぇな役回りです。子どもたちには僕の名刺を渡してケータイ番号も教えてある。約3週間、24時間ケータイチェックってぇ体制です。スーツが苦手なんですが、イザという時のために期間中は富山国際学院のロッカーにスーツを常備しておきます^^。スーパーマンならぬ「スーパージジイ」になれりゃぁいいのですが、無理でしょうね(激爆)。
日本人の子どもが駐車場でハンバーガーを食べてても、あるいは公園を手をつないで歩いていても、あるいは自転車でちょっと飛ばしていても、あるいは9時近くに夕涼みをしていても、あるいは10時頃塾から帰るところでも、それらは「ほほえましい」光景なんでしょうが、ロシア人の子どもたちの場合はそうはならない。学院や僕のケータイに通報がきたり、警察沙汰になったり、日本人の怒声が響いたりする。そのことを批判する立場には僕はありませんが、子どもたちの「危機」にはきちんと対応したいと思う。

子どもたちは7年生~10年生。日本風に言えば中1から高1に相当するでしょうか。
もし皆様が彼ら・彼女らを見かけられたら、「おはよう~」とか「富山はどう?」とか「日本語の勉強、むずかしい?」とか声をかけていただけると嬉しいです。もちろん悪いことをしてたら叱ってやってください。
彼ら・彼女らには狭い意味の日本語学習だけではなく、いろんな体験(謡・おわら・茶の湯・学校訪問・書道・七夕・プラネタリウム・街中探検などなど)もさせてやりたい。
滅びの道を歩みつつある日本にとって、彼ら・彼女らは貴重な存在ではないでしょうか。僕は富山国際学院の利害からそう言っているのではなく、日本の将来にとって彼ら・彼女らは貴重な財産になると確信する。
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by tiaokumura | 2010-06-23 12:36 | 日本語教育 | Comments(0)

右中大脳動脈に「無症候性・未破裂・脳動脈瘤(約3.5mm・整形)」、ってことです、自分

先週金曜日、脳外科では富山県下でトップレベルとかの評判のS病院に行ってきました。結果は
無症候性・未破裂・脳動脈瘤
部位)右中大脳動脈瘤
大きさ)長径:約3.5mm
形状)整形
ってことでした。

5月上旬だったかの「鬼の霍乱」で始まった今回の「病気」、とりあえず結論が出たってことでしょうか。
この病気の「今後の危険性」は「約1%/年」が「破裂」で、破裂者の1/3が「生命の危険」、1/3が「後遺症」、1/3が「元の生活に復帰」だそうです。数学が苦手なんですが^^、300人中298人は大丈夫ってことでしょうか。←あまりにもノーテンキ&ポジティブすぎるかも^^。
「治療」には手術か保存的加療があり、主治医は今は「保存的加療」がいいとのこと。具体的には、「血圧の調節」「禁酒」「禁煙」。う~ん、困りました。血圧はここ3週間くらい朝晩計測してました。僕、これまでの人生で血圧なんてほとんど測ったことがなかった。で、測ってみたら、全期間中で見ると、朝は上が最高値167・最低値61で下が同じく89~75(脈拍は同じく91~73)、夜は上が最高値146・最低値87で下が91~60(脈拍は同じく100~72)。1個人でずいぶんバラつきがあるもんじゃなあって思いますが、医者によると血圧の心配はいらないそうです。「困った」ってぇのは、僕に「禁酒」「禁煙」は無理っぽいこと(恥)。医者も「こいつには無理だろう」と思われたんでしょうね、だんだん減らすようにってことでした。

今までちゃんと「自分の死」に向き合ってこなかったのですが(恥)、これを機会に「自分の死」について想い準備しておこうと思う。還暦過ぎてやっとそんな心境になるなんて「遅すぎ~」かもしれませんが。自分は「タダモノ論者」なんで、死後の世界も極楽天国地獄も信じてません。死んだら火葬され骨になりやがて骨は大地に溶け込むと思っています。でも、そんな考え、このあと変化していくのかなあ。

僕にはまだやりたいことがいくつもあります。「海外で日本語を教える」などいくつも夢がある。そんないくつかある「夢」の中でも、元気なうちにぜひ実現したいことが一つある。軽自動車のボディに「小中学生の勉強&外国人の日本語、教えます」って書いて全国を巡回すること。車にはノートパソコン・自炊道具・寝袋・3日分の食糧&水・クレジットカード・現金3万円くらい・薬・日本地図(5万分の1。ナビはない)などを積んでおく。行く先々で、生声で宣伝する。小中学生や外国人がやってきたら質問に答える。で、授業料はご本人の申告で現金または米・野菜などでいただく。教え方が下手だったり効果がなかったら「お代はいりません」。可能なら塾や日本語学校などで教えさせていただく。予定としては201×年7月上旬に富山を出発して日本海側を北上。神社・お寺や公園で野宿。岩手県に入ったら、かねごん先生とこに仁義切って2宿3飯の居候^^。それから北海道に渡り道南道央道北と走り、網走・知床あたりまで。北海道から青森に戻って太平洋側を南下。東京はビジネスチャンスが多そうだから(激爆)、2週間くらい逗留。できれば四国・九州沖縄まで巡回したい。
↑そんな夢を実現するためには「禁酒」「禁煙」なんでしょうが、意志薄弱(大恥)なんで、う~んムズい。まずは「節酒・節煙」から始めました。「禁酒禁煙」が成就したら、こちらのブログでご報告します。

本記事のタイトルを見て、ご心配のメール・TELを何人かの方からいただきました。お騒がせなタイトルだったみたく(大汗)、申し訳ございませんでした。今のところ別段命に別状はありませんから、
ご安心を!

9月10日に再びMRI・MRA検査。脳動脈瘤が5mmになると危ないそうですが、どうなってるでしょうね。
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by tiaokumura | 2010-06-21 18:43 | メメント・モリ | Comments(10)

庵功雄先生を囲んで

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(6月22日夜・記)
6月19日(土)、「2010年度日本語教育学会北陸地区研究集会」に参加してきた。お勉強とか学術とかはちょー苦手な自分なので(恥)、こういうのにはなかなか参加しない。北陸地区研究集会は、数年前に富山大学であった研究集会が初体験で今回がやっと2度目になるだろうか。北陸地区は石川→富山→石川→福井→石川といった順番みたく、今回は金沢大学が会場。僕たちが高校生だった頃は国立大学は1期校・2期校制で(共通1次はまだない時代)、高校2年生のときの僕は第1志望が金沢大学で第2志望が富山大学だった。高2の夏休み、八尾出身のお寺の息子のS君と金沢大学の下見に行ったことがある。当時の金沢大学は兼六園の近くの金沢城内にキャンパスがあったか。その後、各地の大学で郊外にどんどん移転って動きがありましたよね、金沢大も例外ではなく現在は角間などに移転している。先週の木曜日、入管の研修で金沢大学角間キャンパスに行ってきました。で、今回の北陸地区研究集会はそのキャンパスではなく、金沢市中心部にある金沢大学サテライト・プラザで開催。

僕は午前の研究発表はスキップし、午後からの講演・ワークショップ、それに夜の懇親会に参加。
講演
庵功雄先生(一橋大学国際教育センター准教授)
日本語教育から見た「は」と「が」-産出に結びつく規則化を目指して-

WS
テーマ1「ボイス:受身、使役」
テーマ2「テンス・アスペクト」


講演では「は」と「が」の産出のために「規則の数を学習者が操作可能なレベルにまで刈り込んだ規則を作る」、その「規則のカバー率80%を目標とする」(レジュメより)。具体的に庵先生のフローチャート及びそのカバー率の実証データのご紹介があった。日本語教師が「経験則」「暗黙知」でやっているさまざまな習得を促す試みを思うとき、庵先生のねらいはボクのような未熟な日本語教師にとって示唆を受け裨益するところ大である。「文法」って苦手なカテゴリーですが、ここ数年「文法」業績では庵先生はフロントランナーのお一人であることは間違いない。なかなか拝聴する機会のない庵先生のご講演を聴けて、とても嬉しい。
WS、卒論で「テイル」をやったのでテーマ2に参加しようと思ってたら、グループ分けは希望ではなく座席で決まり、僕はテーマ1になった。島は大学教官2人・ベトナム人留学生・院生?、それに日本語学校が沓水さん(アリス学園)と僕の計6人。ファシリテーター役の大学教官の進行がお上手で、僕も気楽な雰囲気の中で何回か発言することができた。『みんなの日本語』を題材に初級レベルで「受身・使役」のどこを教えるか/どこは教えないかということで活発に議論。
休憩時間には桑原陽子先生(福井大学留学生センター)に、今僕が関わっているメーリングリストのことでアドバイスしていただけた。
凡人社の販売コーナーで本を2冊購入。ご担当のNさんは、前日富山国際学院に営業活動でご来校。
富山国際学院スタッフでは、林さん・粕谷さんが参加。3月までスタッフだった加藤敬子さんに会えたのもよかった。

懇親会は6時から金沢駅近くの居酒屋「せん」で。確か富山にもある居酒屋チェーンです。
酔っ払う前に(激爆)、庵先生ご監修の『にほんご これだけ!』(ココ出版)にサインしていただく。こういう図々しいこと、ついやってしまう自分っす(照)。
懇親会、25人くらいの出席でしょうか。ほとんどの方が初対面で、何人かの方と名刺交換。僕の向かいが杉森先生(米国カラマーズ大学アジア研究センター)。杉森先生は富山市のご出身。僕の左隣りが泉先生で台北で日本語教師をなさっているとか。僕は今夏台北に行くのですが、台北事情や戦前の台湾における日本語教育とその影響(とりわけ朝鮮半島との差異)などをお聞きすることができた。
アップした写真、中央が庵功雄先生、右が中河和子さん(トヤマヤポニカ)
庵先生と同席するというチャンスは最初で最後でしょうから^^、先生にはいくつか質問や自分の悩みをぶつけさせていただいた。こういうのできるのって、懇親会出席者の特権でしょうね。先生からいただいたご解答/ご回答、今後の日本語教師人生に生かしていきたい。最近思っている僕の「教材観」なんですが、今最も求められている教材は、それが紙媒体であれwebやモバイルであれ、「ドラえもんのどこでもドア」な教材なんでしょうね。そして、それは従来の記述文法に基づいたシラバスからは絶対に生まれない。
中河さんとは、僕はトヤマヤポニカが日本語教師人生の出発点なので、20年ほど前に同僚。今回みたくゆっくり話したのは実に20年ぶりくらいになるでしょうね。

庵功雄先生、6月19日はありがとうございました!
「文法」は苦手な自分ですが、先生のおかげで蒙が啓けいくつものことを学ぶことができました。今後の実践に生かしていきます。

お勉強ってどうも似合わん自分ですが(汗)、このあとは7月31日・8月1日は台北、8月7日・8日は北千住(昨年までは幕張だった)に参加してきます。
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by tiaokumura | 2010-06-19 20:22 | 日本語教育 | Comments(0)

映画『カラヴァッジョ 天才画家の光と影』+丹羽洋介氏「トークライブ」

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ブログは意見や主張を発信するのがメインではなく、僕が出会った(あるいは、興味を持った)人・モノ・ことを「語る」のが主なブログです。そういう点でものたりない・没個性なブログかもしれませんが、僕はまぁ、このブログ、気に入ってます。
で、今回は「こと」のご紹介(「ひとり語り」)。7月に富山であるイベントをご紹介します。

会場 フォルツァ総曲輪
Cinema&Talk
映画「カラヴァッジョ 天才画家の光と影」
華やかなルネサンスが終焉した時代に、徹底した写実描写、劇的な明暗対比や感情表現で「聖マタイの召命」、「果物かごを持つ少年」など数々の傑作を遺し、多くの人を魅了した画家カラヴァッジョ。情熱的に愛し、自身の信念を貫くために闘いを挑み、そのために多くの敵を作った彼の人生はローマ、ナポリ、シチリアへと流転する。絵画の依頼主であったヨーロッパ貴族による教皇の座をめぐる争いの中で、ある時は時代の寵児に、ある時は反逆者の烙印をおされた画家の真実の姿とは?
上映期間
7月3日(土)~9日(金) 12:20~14:40 15:00~17:20
7月10日(土)~16日(金) 10:30~12:50 15:00~17:20
トークライブ~没後400年バロック絵画の巨匠カラヴァッジョとその絵画の魅力~
ゲスト:丹羽洋介氏 フレスコ画家

7月4日(日)15:00~16:30

村川いづみさんがコーディネートされている「イタリア美術セミナー」(ジュリアーノ・デルペーロ講師)、昨年は海外出張と重なってできませんでしたが、何年か前からぷちボラさせていただいています。同セミナー、一昨年はジョット・ディ・ボンドーネ(Giotto di Bondone1267?-1337)で、スクロヴェーニ礼拝堂の壁画も取り上げられた。その時のブログ記事(2008年10月19日付)に「フレスコ」について書いているので以下そのまま引用。引用中の「資料」はジュリアーノさんがセミナー用にご用意されたレジュメのことです。

フレスコって「新鮮な」という意味のイタリア語なんですね。知りませんでした。英語のfreshなんでしょうね。以下、資料より引用。
フレスコ(fresco)は「新鮮な」を意味するイタリア語。(略)壁に漆喰を塗り、その漆喰がまだ「フレスコ」である状態で、つまり生乾きの間に水または石灰水で溶いた顔料で描く技法。(略)古くはラスコーの壁画なども洞窟内の炭酸カルシウムが壁画の保存効果を高めた「天然のフレスコ画」現象と言うこともできる。

皆様は、没後400年というと長谷川等伯(1539-1610)が真っ先に思い浮かばれるでしょうが、ミケランジェロ・メリシ・ダ・カラヴァッジョ(Michelangelo Merisi da Caravaggio1571- 1610)も没後400年です。
当ブログご訪問者はカラヴァッジョよりフェルメールファンのほうが圧倒的に多いでしょうが、「劇的な明暗対比」の点でカラヴァッジョとフェルメールを比較してみるのもおもしろいのかなあと思います。フェルメール(1632-75)はカラヴァジョが亡くなって22年後に生まれています。

例によってWikipediaなどで調べてみたところ、本映画についていくつか情報を得ました。
①映画の公式サイトはこちら。銀座テアトルシネマなどで既に公開済みのようです。
②Wikipediaに拠ると、この映画は「2007年にイタリアで放送された全2話のテレビ・ミニシリーズ」で「日本では2010年に劇場用映画として1本にまとめられて公開」とのことです。
③監督はアンジェロ・ロンゴーニ、撮影はマウロ・ボナンニ、カラヴァッジョ役はアレッシオ・ポーニ。イタリア語、上映時間は133分。
7月4日「トークライブ」の丹羽洋介さんは「・・・富山大学名誉教授・・・フレスコ壁画家として高松市役所、香川大学をはじめ多くの壁画制作を行う。イタリアの壁画研究の著書多数」(リーフレットより)。リーフレットにはお写真も載っているのですが、神父さんみたいなご容貌の方です。

僕は、今のところ仕事が入っていないので、7月4日(日)、12:20~14:40と映画を観て15:00~16:30のトークライブに参加しようと思っています。ひょっとして、村川いづみさんと会場でお会いできるかもしれませんね。
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by tiaokumura | 2010-06-18 20:04 | 美術 | Comments(0)

DVD『アフガンに命の水を ペシャワール会26年目の闘い』

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日曜日の『パキスタンストリート』の試写会、大盛況でした。深川良美さんの熱い想いが実ったこと、僕もとても嬉しい。僕が会場のフォルツァに入ったのは午後1時45分頃。いつものスクリーンのあるほうじゃなく、右の小劇場みたいな部屋でした。80人以上は既に先客だったろうか。それからも続々詰めかけ、座席が足りなくなって深川さんたちが椅子を運び込んでおられた。合計120人以上は入っていたでしょうね。そのくらい富山県で集まると一人くらいは知っている人がいるもので^^、富山国際学院に2~3回いらっしたことがあるパキスタン人男性に会い、隣りあわせで映画を鑑賞しました。それからこれまた富山国際学院をご訪問されたことのあるCさんもお見えになっていた。彼女は僕のブログをご覧になっていらっしゃるそうで(照)、先日僕が書いた中村哲さんの講演に参加できないという記事をお読みになっていて、講演が聴けない僕のためにDVDを貸してくださった。アップした写真のDVDです。
Cさま、DVDありがとうございました。

日曜日は帰宅して時間がなく観られなかったが、月曜日夜DVDを2回観ました。自室のTV、たぶん20年以上の年代物^^ですが、映像、きれいにちゃんと映りました。先週の水曜日『アイリス』を見とったら、「このテレビは2011年7月に見られなくなります」ってなテロップが流れた。勝手に地デジとかやっといて、そんな言い草ないだろうと思ったが(激爆)、テレビ買い替えできんビンボー人・マイノリティ・テレビ難民の自分、テレビ人生もう危ういんかもしれん。

DVDは
『アフガンに命の水を ペシャワール会26年目の闘い』
企画 ペシャワール会
制作 (株)日本電波ニュース社
語り 菅原文太
演出 平山穂波
撮影 谷津賢二/柿木喜久男/大月啓介
取材 アミン・ウラー・ベイグ
定価 2500円+税
収録時間 56分
2009@Peshawar-kai & Nihon Denpa News Co.Ltd.


DVDでは、「緑の大地計画」「ペシャワール会試験農場」「診療所」「イスラム神学校マドラサ」などが描かれています。「描かれている」なんて言い方は不謹慎かもしれませんが。
考えるだけだったら誰でもできるかもしれません。中村哲さんのすごいところは考えを計画化し実行されるところ。そしてその信念の底にあるのは「戦争軍隊はいらない。みんなが生活できる共同体を作るためには、医療・水・食べ物・教育が絶対に必要だ」ということでしょうか。26年以上の活動をそんな単純化しては誠に失礼極まりないのですが、DVDを観てそんなふうに思いました。随所に中村さんの構想力・実行力が窺えるのですが、例えば日本の伝統工法の蛇籠を取り入れるとか、例えばカンバリ砂漠に水路を引こうとか、例えば換金作物として茶を考えるというところとか、例えばマドラサで「読み書き」を教え「底辺からの教育」を目指すとか、すごいところだらけです。僕の引用では不正確なので、皆様各自このDVDや中村さんのご著書でご確認ください。
「『国際貢献』って言葉は好きじゃない。福岡とアフガンしか知らない自分は『地域協力』こそウマが合っている。だからこういう活動をしているのだ」といった趣旨の中村さんのお話も強い印象に残った。
こないだの「仕分け」で緒方貞子さんも槍玉にあがっていましたが、緒方さんや中村哲さん日本人が世界に誇れる日本人だと僕は確信する。
DVDでは伊藤和也さんも登場されます。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

多くの方々がこのDVDをご覧になられることを切に願っております。

ペシャワール会入会案内から以下転載。
年会費
 学生1000円より、一般会員3000円より、維持会員10000円より、団体会員30000円より
会費・寄付などの納入方法
 郵便払込口座 01790-7-6559
 加入者名 ペシャワール会
*お振込みの場合は、必要事項をご記入の上、郵便局へお出しください。
*ご入会の際は通信欄に「入会」と明記してください。


(6月21日・追記
当ブログ開設以来初めてのことになりますが、奥村の都合により、当初アップ記事から4箇所削除いたしました。
ご訪問者の皆様、悪しからずご了承ください。
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by tiaokumura | 2010-06-16 18:34 | このブログのこと | Comments(0)