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平民社@大塚駅北口広場近く

僕がこのブログを開設してどのくらい経ってからだったろうか、大学生時代以来の親友哲ちゃんから、
ブログ物見高子の道草日記 1、2の散歩
を教えてもらった。
物見高子さんは、一時ご都合によりブログ更新がままならない時もおありでしたが、毎日のように更新なさっています。物見さんのご許可を得て、「物見高子の道草日記 1、2の散歩」は右にリンクさせていただいてます。僕はほぼ毎日同ブログを訪問してます。大塚散策(僕の通っていた大学は茗荷谷だったので、「大塚」は馴染み深い地名です)など毎回興味深い記事満載のブログです。
「物見高子の道草日記 1、2の散歩」の今日の記事は
大塚にあったのか・・・
です。
物見さんは、新聞に入っていた「豊島区史跡めぐりウォーキング」で「平民社」が「大塚駅北口の辺りにあった」(同記事より引用)ことを知る。僕も平民社が大塚にあったことを知りませんでした。物見さんのブログは写真もすばらしいブログで、今回の記事にも都電・ドクダミの写真あり。記事から引用させていただくと
今日も平和に都電が走ります。/この写真には100年前のものは何ひとつありません!/南口の天祖神社のイチョウの大樹は知っているでしょうけど・・・
ドクダミの花は、100年前の日本でも同じように清楚に咲いていたでしょう
とあります。

幸徳秋水は現在の大塚駅北口広場近くにあった借家に住んでおり、平民社は同地を拠点」(Wikipediaより引用)に1903年11月に始まった。1908年には巣鴨に移転。当ブログのご訪問者の中には東京の地理に詳しくない方もおられると思いますが、大塚と巣鴨は近くになります。1910年3月、平民社解散。そして
1910年5月25日 宮下太吉、爆発物製造の嫌疑で松本署に逮捕『近代日本総合年表』岩波書店より引用)
     6月1日 湯河原で幸徳秋水逮捕(同書より引用)
1911年1月18日 大審院、幸徳秋水ら大逆事件被告24人に死刑判決(同書より引用)
     1月24日 12人の死刑執行(同書より引用)
などとなります。管野スガの死刑執行は幸徳秋水らの死刑執行の翌日です。

2010年は「大逆事件」から100年。再審請求は年内に実現するのでしょうか。
なお、2010年安重根(안중근。アン・ジュングン)の死刑執行から100年になります。

黒岩比佐子さん堺利彦(「大逆事件」の時は収監中で難を逃れた)の本を年内に出版されます。ぜひ読んでみようと思っています。
黒岩さんのご本としては、6月下旬に『古書の森 逍遙』が工作舎から刊行されます。こちらもぜひ読んでみようと思っています。同書については入手し次第、こちらのブログでご紹介します。
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by tiaokumura | 2010-05-31 21:29 | このブログのこと | Comments(4)

アジアの夢コンサート2010(3)

f0030155_17113171.jpg(5月30日夜・記)
ベトナム障害児自立支援チャリティコンサート
アジアの夢コンサート2010

ボランティア参加。

午後2時開演。川渕映子さんのあいさつ→常願太鼓「海岸組」トゥモロ小栗久美子ハイチュウウエイノ
僕は、「富山ダルク」(常願太鼓「海岸組」でもある)のメンバー中の3人とともに「ステージ設営」係。コンサート中、リハーサル中にステージ床に貼っておいためばりに合わせ、出演者ごとにマイクを運ぶのが主な仕事。
昼の部は午後4時半頃終演。

夜の部が始まる前に、アップした写真を撮る。写真右から、谷中秀治さん(WAYNO)・小栗久美子さん谷中ひとみさん(WAYNO)・ハイチュウさん、そしてボク(照)。頭のラインを辿るときれいなカーブになってるんですね、写す時は気がつきませんでしたが。
小栗久美子さんベトナム竹琴「トルン」の奏者。2つ前の記事でYouTubeから彼女の演奏をアップしてあります。YouTubeでは小栗さんご出演のホテル・アローレ(石川県加賀温泉)のTVCFもあります。小栗さんは今回のコンサートでは「狩りにいく」「タイグエン地方へ帰る」「泉のトルン」「工場の月」「ピアノソナタ『悲愴』第二楽章より」。他にWAYNOと「つながっているねみんなみんな」をセッション。アオザイ姿も素敵なミュージシャンです。
ハイチュウさんとお会いするのはこれで2回目です。ハイチュウさんのブログ(右にリンクしてある)、お忙しいのでなかなか更新されませんが、ときどき訪問させていただいています。当ブログのこと、ハイチュウさんはご存知で、ちと照れくさかった^^。今回のハイチュウさんは「美しい昔」「島んちゅぬ宝」「ハナミズキ」「晴れる日が来るから」。「見上げてごらん夜の星を」は昼の部だけでしたが、谷中秀治さん(ベース)・ひとみさん(キーボード)・トゥモロ・小栗久美子さんも参加。「ハナミズキ」には谷中さんご夫妻も参加。
そして谷中さんたちのWAYNO。フォルクローレ系って括りになるんでしょうね。僕が初めて聴いたのは富山市民国際交流協会のイベントでだったと思う。WAYNOを聴くのは今回で4回目になるかなぁ。村門@富山市上本町でのライブにも富山国際学院のスタッフ3人と聴きに行った。今回の2回のステージ、時間が押していてプログラムの曲目全曲はできなかったみたいです。Waynoの「ふるさと」ではハイチュウさん・小栗久美子さん・トゥモロも参加。谷中秀治さんがボーカルの「つながっているねみんなみんな」は足立原貫さん(「草刈り十字軍」の創設者)の作詞、谷中さんの作曲になるようです。初めて聴く曲ですが、心にじわーっと来ました。足立原さんは、山崎正一(1912-97)に退職金(山崎は東京大学教授だった)を寄託され、「山崎賞」の創設者でもある。山崎賞は、1973年第1回が村上陽一郎で、廣松渉(1974年受賞。以下同じ)・坂部恵(1976)・柳父章(1987)・しんかい6500運航チーム(1991)・王敏(1992)・赤坂憲雄(1996)らが受賞、残念ながら2000年第26回の金森修で終了しました。

29日朝のNHKラジオでこのイベントが紹介されてて期待してたんですが、お客さんの入りは僕の予想をはるかに下回ってた。残念です。6月10日(木)に今回のコンサートの「反省会」がある。僕も気がついたことなど少しその場で話してみたい。この間、高才弘さんので知った「プロボノ」、僕が理想とする組織・運動体のヒントを得たような気がする。プロボノも6月10日に話題にしたい。谷中秀治さんの今回のコンサートの関わり、まさに「プロボノ」でしょうね。

今回午前9時~午後9時のボランティア、体力が心配でしたが、なんとか無事務めあげることができ、9:15頃教育文化会館に停めておいた車で帰宅。ボランティアをやるといろんな収穫があって楽しいのですが、今回の一番の収穫は「富山ダルク」と出会えたことでしょうね。

今朝の北日本新聞にこのコンサートの記事あり。でもいくら字数の関係とは言え、その記事中に小栗久美子さん・WAYNOの名が出ていない!トホホですよね。

今年のぷちボラは、「全国日本語教師研修@アリス学園」が1回目で、「アジアの夢コンサート2010」が2回目になるか。年内に「国際交流フェスティバル」「イタリア美術セミナー」などでぷちボラしたく思っていますが、老齢の身(嘘爆)、どうなりますことやら。

今回得た情報を一つ。中村哲さんが富山にいらっしゃいます!
アフガンに命の水を~ペシャワール会 中村哲 26年間の現地報告~
6月17日・開演19時、アイザック小杉文化ホール。
残念ながらその日の僕は金沢出張。富山でめったにないチャンス、中村哲さんのお話、ぜひ聞きたかった。
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by tiaokumura | 2010-05-29 17:11 | 富山 | Comments(0)

アジアの夢コンサート2010(2)

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(5月30日午後・記)
チャリティコンサート・アジアの夢コンサート2010@北日本新聞ホール(5月29日)に「ステージ設営係」ボランティアとして参加。

29日8時半頃教育文化会館の駐車場に車を入れる。9時集合ってことだったんで時間が早いのでコンビニで讀賣新聞を買い、北日本新聞社の前庭で御影石?の椅子に座って読む。北日本新聞社の前で讀賣読むなんてトンデモナイことじゃったかもしれん(激爆)。9時5分前、そろそろ中に入れるかもと思ったが、北日本新聞本社ビルはロックされたまま。守衛さん?に事情を話しロックを解除していただきその上更に誘導していただいて(自分、めっちゃ方向オンチなんっす^^)、2Fホールへ。ところがまだだれも来とらん雰囲気。エレベーターで下に降りたら、谷中さんご夫妻(WAYNO)が搬入のため車横付け中。お二人のお手伝いで楽器類を2Fまで運ぶ。WAYNOは5人グループですから楽器類も多く更にマイクなどもあるから、エレベーター、10往復くらいかかった。
谷中秀治さん・ひとみさんのご指導の下、ばみり。お二人がステージ上に楽器やマイクの位置をセットされ、それに合わせてばみり。テープに数字を書きマイクに貼り、その数字と同じ数字をこれまたテープに書きステージ床に貼る。「場をみる」=ばみる→ばみり、って業界用語。ボクは有経験者なんで^^前よりはちょっと段取り上手になってる。今回はダルクの3人がボクのアシスタント^^なんで心強い。そうなんっすね、今回のぷちボラ、ボクって「ステージ設営係」チーフ格。実質のチーフは谷中秀治さんで僕はサブなんですけど、ま、出世しました、自分(激爆)。

ダルク」って僕は今回初めて知りました。「富山ダルク」のメンバー中の3人が今回のコンサートで僕と一緒にステージ設営係。Drug Addiction Rehabiritation Center=DARC。「覚醒剤、有機溶剤、市販薬、その他の薬物から開放されるためのプログラムを持つ民間の薬物依存症リハビリ施設」(web上の「全国ダルク」より引用)。ボクは20代に××××や×××××や××××××をほんのちょこっとしか経験してないのですが、ダルクの人たちがドラッグで体験したすさまじい快楽・薬物依存を絶つためのすさまじい葛藤は、ボクなんかの想像をはるかに超えるものでしょうね。
ボランティアをやったおかげで、富山ダルクの入所者の何人かと話をする機会もあった。富山ダルクは岩瀬浜に入所施設があり現在のメンバーは20代から55歳までの18人(記憶アホなんで以下も含め記憶間違いもあるかもしれない)。7時起床・12時消灯、共同生活をしながらさまざまな訓練や活動をし、「“薬物を使わないで生きる”」から「薬を使わないクリーンな生き方をし、成長していくことが回復」(「全国アルク」より引用)。富山ダルクは今回のコンサートでは和太鼓「海岸組」で参加し、同時にコンサートボランティアも。ボクは話し下手で年齢差も大きかったんですが、ダルクのTさん・Mさん・Yさん(3人がステージ設営係)らとあれやこれや楽しく話しできました。彼ら、カッコイイし礼儀正しい。和太鼓集団「海岸組」、すごいパフォーマンス。僕は和太鼓って田耕「鬼太鼓座」や鬼太鼓座出身の林英哲くらいしか知りませんでしたが、「海岸組」はもちろんまだ素人集団なんでしょうが大迫力の演奏でした。「海岸組」、富山で最大のお祭り・山王祭りで3ステージあるそうですから、富山の方はぜひお出かけください。
彼らの演奏を聴きながら、今度ロシアの子どもたち、富山国際学院で日本語研修プログラムがあることを思い浮かべた。子どもたちに和太鼓も聞かせてやりたいなぁと思った。で、富山ダルクの責任者・林敦也さんとその辺り話してみた。ポートラム終着駅から富山ダルクは近い。子どもたちに練習風景を見せてやろうかと思ったが、練習時は、周りへの騒音を配慮して太鼓ではなくタイヤを叩くそうです。ロシアの子どもたちが富山にいる間に、海岸組のステージを見せられたらいいなぁ。不思議な縁で出会った「富山ダルク」、これからもお付き合いいただけたら嬉しい。

リハーサルハイチュウ小栗久美子トゥモロウエイノ常願寺太鼓海岸組。出演者ごとにばみり
アップした写真はウエイノのリハーサル風景。ステージに下げられたタペストリー、ナスカの地上絵を模したものでしょうね。ウエイノのメンバーは、写真左からHideji Taninaka(ベース)・Francisco Rodriguez(ギター)・Cesar Fereria(パーカッション。ボクのせいで写真には写ってませんが^^)・Luis Vircherrez(ケーナ・サンポーニャ。WAYNOのリーダー)・Hitomi Taninaka(キーボード)。写真左、体が右半分しか写ってないのは小栗久美子さんです。小栗さん、ヘンな写真になってごめんなさい。

(5月30日夜・追記)
富山ダルク」のHPはこちらです。
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by tiaokumura | 2010-05-29 11:26 | 富山 | Comments(4)

明日5月29日(土)2時&6時、アジアの夢コンサート2010@北日本新聞社ホール(富山市)

アジアの夢コンサート2010」の最終・スタッフミーティングが5月27日にあるという案内メールを金森理津子さんからいただいて、ミーティングに参加してきました。5月27日午後7時過ぎ、富山YMCA堤町校到着。駐車場に停めて、YMCAに入る。川渕映子さん(草の根NGO アジアの夢 代表/NPO法人 地球の夢 会長/ドリーム・ブリッジ・プロジェクト実行委員会 代表)先着。宮崎さゆりさん(詩人・活動家。著書に『柿と夕日とお月様』)もおられた。宮崎さんとお会いするのは2年ぶりかもしれない。宮崎さんについては、当ブログ2008年4月27日付「宮崎さゆりさんに伺った生理用品の話」などをご参照ください。妻も娘もおらんワシ、生理用品なんて無縁なばずなんに「なんでお前が生理用品と関係あるんじゃ」と詰問されそうですが(ま、まだ生理がある若い恋人でもできりゃぁ、必要になるかもしれんけんど^^)、宮崎さんたちは「あんね布ナプキン」ってのを開発された。その生理用品は女性の体に優しいということらしい。タンポンと子宮系病気とはどうやら因果関係があるそうなのです。宮崎さゆりさんと少し話し、宮崎さんは7時半前にお帰り。
金森さんの司会進行でミーティング。出席は、川渕さん谷中さんご夫妻竹川先生伊藤さん津田さん、僕。僕はボランティア参加ですが、他の方々は実行委員格。僕が何を担当するかも話し合われた。「ピンスポット」係になりそうになって、「それは自分にできないんじゃないかなぁ」と思った。めちゃムズかしそうなんですね、「ピンスポット」って。で、結局その役は他の方に回り、僕は前回に続き「ばみり」のボランティア。「ばみり」は動詞「ばみる」(場を見る)からできた名詞。ステージ上にミュージシャンンの楽器や立ち位置をテープなどで貼っておき、出演者交代時などにマイクや楽器をステージに運ぶ役割です。明日の僕は、前回同様谷中秀治さんに教えていただいて「ばみり」をやります。今回は「ダルク」の若い衆(?)3人もステージ設営係ということで、ちょっと楽かも。午前9時から午後9時まで、長時間のボランティアなんで、息切れせんよーにガンバらなきゃ(照)。
5月29日のプログラムもできました。以下プログラムより抜粋。

平和の祈りを音楽にのせて
アジアの夢コンサート2010

2010年5月29日(土) 北日本新聞社ホール
主催:「ドリーム・ブリッジ・プロジェクト」実行委員会
昼の部(14時~)
出演 常願太鼓「海岸組」・トゥモロ・小栗久美子・ハイチュウ・ウェイノ
夜の部(18時~)
出演
常願太鼓「海岸組」(木枯らし・楽波・断章・八丈)
小栗久美子(狩りにいく・タイグエン地方へ帰る・泉のトルン・荒城の月・ピアノソナタ「悲愴」第二楽章より)
ハイチュウ(美しい昔・島んちゅぬ宝物・ハナミズキ・晴れる日が来るから)
ウェイノ(ナリワラック・ティエラ(地球)・ミスキ・ペルーのワルツ・花祭り・出逢い・チューニュの花・コンドルは飛んでゆく・つながっているねみんなみんな・ふるさと)

谷中秀治さん(「ウェイノ」のベーシスト)にウェイノ(WAYNO)ってYouTubeにないみたいですけど、って聞いたら「ある」ってお返事。帰宅して検索したら確かにありました。ただどの映像も谷中さんが入っていないメンバーでのもの。
YouTube、小栗久美子さんで検索したらヒットしたので、その内の一つを下にアップしておきます。小栗さんの楽器はベトナムの竹琴「トルン」です。アップしたYouTube、演奏曲目が「El Cóndor Pasa」なんで、ひょっとしたらウェイノとのセッションが明日見られるかもしれません。

北日本新聞社ホールはキャパ250。せめてその6割はお客さん入ってもらえたら嬉しいのですが、どうなるでしょうね。
当ブログをご覧になっておられる方が多数明日のコンサートにいらっしゃることを願っております。ステージでうろちょろしているジジイがおったら、それは私です(激爆)。

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by tiaokumura | 2010-05-28 18:42 | 富山 | Comments(2)

高才弘さん、「プロボノ」としてTVにご出演

今日勤務先の富山国際学院でメールをチェックしてたら、高才弘さんからのメールがあった。
高さんとは数年前に初対面。富山国際学院のパンフレットをリニューアルしたくて、「どなたかやってくださるいい方がいないかなぁ」と考えた。うち、ビンボーな日本語学校で、でも、相手の方にワガママもつい言っちゃう「クライアント」なんっすね(恥)。「柳原正年さん@大楽セミナー」は、お顔が広くうちの学校や僕のこともご理解いただいており「チャンスの前髪をつか」むことにも長けていらっしゃる方で、柳原さんに事情を話しどなたかご紹介いただけないかとお願いした。そして柳原さんからご紹介いただいたのが、ボクなんかには濃すぎる^^腕利きデザイナーの高才弘さんでした。訛りからいくと関西ご出身で実に楽しいお笑い系(ごめんなさい、高さん)で、グラフィックデザイナーとしての腕は一流・アメリカ留学経験もおありみたく英語もペラペラ(僕は英語ようわからんのですが、「ペラペラ」に感じた)。高さんは、富山国際学院にも取材に見え、学院生も巻き込んでパンフ用のデータを収集された。偶然なんですが、高さんの事務所で働いていらっしゃる永井真知子さんは、僕が90年代前半にお知り合いになった方でした。いろんな「偶然」ってあるもんなんですねぇ。高さん・永井さんのおかげで、すばらしいパンフレットができあがりました。
その後高さんとはいろんなイベントですれ違ったり、高さんの事務所で阪井由佳子さん@にぎやかとバッタリ出会ったり、阪井さんのライブのご連絡いただいたり・・・まあ、富山国際学院は高さんの「お得意様」にはなっていない/なれない(大恥)のですが、高才弘さんとはいいお付き合いをさせていただいております(=ボクの勝手な思い込みで、高さんにははなはだメーワクシゴクかもしれんけど^^)。
高さんも柳原さんも、僕にとっての「貴重なメンター」のお一人になられるでしょうね。いろんな方に助けられ恵まれている自分、ありがたいことです。

さて、高さんのメール。「プロボノ」で今夜6時半頃、BBTテレビに出演する、といった内容でした。
帰宅して6時半過ぎ、TVのチャンネルを合わせる。でも、こないだちょっとこのブログに書きましたが、自室のTV、リモコン壊れてて(恥)・・・。で、手であちこちチャンネルを合わせても高さん出てこない(泣)。チャンネル3と10はNHKなんで民放じゃない。富山の民放は確か3チャンネル分あったように思う。KNBは日テレ系で正力松太郎の関係で僕が子どもの頃からある。残り2チャンネルは富山TV・チューリップTVだったか・・・。BBTってのはどこだったか・・・。まぁわかんないままに、時間が経ってしまい、高さんのTVご出演、結局見られないままに終わった(泣)。

7時前、高さんのケータイにTELする。高才弘さん、6時半前にもう出ちゃってたんですって! 残念至極。高さんは録画なさってたそうですから、いつか見せてもらおうと思う。
プロボノ」、今回初めて知った言葉です。Wikipediaにありますからご興味がある方はお調べください。

以上のこと、高さんに「ブログ記事にする」ってこと、ご了解済みです。
高さんのブログ「ちゅう・ぶら・りん」をリンクすることも、本日ご本人のご了解を得たので、右にリンクしておきます。高さんのところは僕と同じ「エキサイトブログ」です。
高さんのブログ記事「プロボノ」はこちらです。
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by tiaokumura | 2010-05-26 20:14 | 富山 | Comments(2)

グサン・マルトハルトノさん、ご逝去

グサン・マルトハルトノ(Gesang Martohartono)さんが亡くなられたことをさっきまで知らなかった。クロンチョンの名曲『ブンガワン・ソロ』を作った方である。「20日、インドネシア・ジャワ島ソロの病院で死去、92歳。」(web上の朝日新聞より引用) 。
僕が子どもの頃、同曲を松田トシで知りました。その当時、この曲は「インドネシア古謡」扱いだったんでしょうね、マルトハルトノさんがお作りになったことは日本に知られていなかったみたいです。YouTubeから下に松田トシ版をアップしておきます(音源悪いのはしかたないのでしょうね、60年以上経ってますから)。中学生の頃だったか、同曲は小林旭でヒットした。その時はマルトハルトノさんのことは知られていたんでしょうかねぇ、日本で。
『ブンガワン・ソロ』のオリジナル、僕は当ブログ記事「インドネシアの方たちと」にアップしています。タバコ吸いながら歌っている方はグサン・マルトハルトノさんになられるのでしょうか。

グサン・マルトハルトノさま
同じアジアの別の島国に育った者です。あなたの『ブンガワン・ソロ』は永遠に残る名曲です。このような曲を私ごとき者に受容させていただいたこと、厚く感謝申し上げます。
今いらっしゃる場所でも、ぜひ音楽活動をなさってください。
ここに謹んでグサン・マルトハルトノさまのご冥福をお祈り申し上げます。

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by tiaokumura | 2010-05-24 19:57 | 追悼 | Comments(0)

久々の白山茶屋

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(5月23日夜・記)
昨日土曜日、富山国際学院のスタッフのお一人の代講で金沢出張。90年代前半、まだ『にほんごのきそ』の時代、「日本語教師は1時間の授業に3時間の準備をしなければならない」なんってぇのを読んだか聞いたかした。「世の中にゃあ、すっごい仕事もあるもんだ。ワシには無理」と思ったものだが、今「日本語教師」をやっとるわけですから^^、「因果は巡る応報の♪」かもしれん(激爆)。今回の代講(最初で最後の授業メニュー)は3時間授業だから、計9時間の準備がいる。いや、もちろんベテラン教師ならそんなに時間かけんでもいいのですが、ワシレベルの教師はそんなわけにはいかん。富山国際学院内での授業ならテキトー(恥)に誤魔化せるかもしれんけど、今回の授業は「クライアントあり」ですもんね、キンチョーします。「これで準備OK」のGOサインが出せないままに当日朝を迎える(大汗)。4時半に起きちゃいました(自爆)。5月のこの時刻、もうすっかり夜が明けてますよね。午前11時頃までああだこうだ準備しながら、ときどき数独や朝日新聞。数独、レベル8・9にまで来ました、自分(自慢~~♪)。朝日新聞、興味深い記事いくつか。「サザエさんをさがして」は「ガリ版」。哲ちゃんが一つ前の記事にコメントしてくれてますが、『ありばいのためのこらあじゅ』は後輩のナベちゃんが鉄筆で書いてくれたものです(ナベちゃん、その節はありがとう!)。「うたの旅人」は森田童子『ぼくたちの失敗』。とっくに取り上げられていると思ってたのですが、まだだったんですね。僕はこのブログでは2009年4月11日付などで触れている。その時の記事は富山大学時代の同級生akiraを励ますためのもので、かねごん先生がコメントを寄せてくださり、そのお返事に「就活に追われる大学生、しょっちゅうケータイをチェックしていなければならない高校生、親の経済状態で進路が決まる中学生-青春の光と闇はすっかり変質してしまっている。孤独感に耐性もできぬまま、KYにならぬよう必死。華やぎを偽装しなければならない。」などと書いた。1年経った今も若者たちを取り巻く状況、同(おんな)じなんでしょうね。「うたの旅人」の保科龍朗記者、西村記者(今はもうおエライさん?)・内村記者(理系記事ご担当)と並んで僕が思う今の「朝日記者・三名文家」です。「無痛のまま刺さって抜けなくなる、やわらかい針のように、むきだしの心の暗部をやすやすと貫いてしまう歌」なんてぇ書き方、保科記者ならではです。でもこういう表現をする新聞記者って「出世」は無理かも(核爆)。この日の朝日「数独」は★★★★★、挑戦のし甲斐のあるものです。ワシが正しければ答えは「6+4=10」っす。5月29日の朝刊が楽しみっす^^。日野原重明「私より先輩のバイオリニスト」、文章中に鈴木鎮一も登場。
そして朝日新聞に小松茂美先生の訃報記事。私は東京教育大学時代に先生の授業を受講しました。池田亀鑑との関係からのご出講だったのかもしれない。TやIやYやMやWやといった有名諸先生がおられた同大学で、小松先生はナマイキ盛りのボクには「無名」な存在だった(北森先生や厳本先生たちも当時のボクにはそうだった)。訃報記事にも書かれていますが、先生のご出発点は広島体験・平家納経との出会いでしょうね。白川静先生が「漢字学」を打ち立てられたように小松茂美先生は「古筆学」を打ち立てられた。教育大時代の小松先生は「非常勤講師」みたいなお立場だったんでしょうね。僕は国文だったんで「専門科目」か「関連科目」で通年の授業をとったんでしょうね。もし「一般教養科目」でとっていたとしたら、東京教育大学って実にすばらしい大学だった(でしょうね)。『平家納経』、この間の富山県水墨美術館に若冲を見にいったとき、田中親美(1875-1975)による模写があった。小松茂美先生の入手しやすい/読みやすい本としては『かな-その成立と変遷』(岩波新書。1968年)があります。一時入手困難だったようですが、今は復刊されてるみたい。

JR特急。車中、讀賣・日経。両紙とも小松茂美先生の訃報記事あり。ジャーナリズムの文化レベル、いまだ地に落ちず、なんでしょうね。金沢駅構内の「菜香楼」で五目あんかけラーメンセットの昼食。
1:15頃、代講会場入り。方向オンチってしょうがないんですね、2回迷子になる。1回は休憩時間にタバコを吸いに外に出てもどれなくなった(大恥)。もう1回は授業が終わって事務所にカギを返しに行く時道がわからなくなって守衛さんにロック解除していただいた(大恥)。
1:45~4:45授業。

今回の代講のアフターファイブの楽しみは「白山茶屋」。久しぶりになります、白山茶屋は。
方向オンチなんで(大恥)、都ホテル側に入ってしまって焦る。まぁそうは言っても10回くらいは通っているお店なんで無事のれんをくぐって入店。
「お母さん」から「久しぶりやねぇ」「先生の紹介で若い男の子2人、このあいだ来たよ~」「痩せたんじゃない」などと金沢弁で立て続けに言われる。「男の子」、さてハテナ?、「男の子」なんて付き合いない。いぶかしげなボクに向かってお母さん、「私みたいなものにすりゃ、みんな『若い』になるのよ」って言われた。「若い男の子2人」ってひょっとしたらKuさんとMさんか、KaさんとIさんなのか。ま、どうでもいいことですけどね^^。「痩せた」って言われた時、お母さんが僕の顔を見てそう思うのは先々週のことがあるので「そうかも」と思った。ところがお母さん曰く「お腹が、前来てたときより凹んでる」ってことだった。恐るべし、お母さん。スーツでびっしり決めているオクムラくん^^のお腹を観察しておられたとは!
お母さんにアドバイスしていただいて菊姫は「山ハイ仕込み」「金けん」。お店のお品書きに拠れば、前者は男酒・後者は女酒。冷奴、鳥皮焼、カモ肉あぶり、ブリ大根煮を注文。今日のお造りをお母さんから聞いて、カワハギにする。カワハギのお刺身が食べられるのは、日本広しと言えども奥村家・白山茶屋などごく一部でしょうね(ちゃうか?)。「悔しかったら都会のお金持ちさん、食べてごろうじろ」でしょうね(嘘爆)。〆はカニゾースイ。でも、体調不良じゃないのでしょうが、注文し過ぎだったかも。お酒・ブリ大根煮・ゾースイ残してしまって、お母さんに謝った。
マスターに家へのお土産を聞いたら、「フグ糠づけ」を薦められた。帰りに金沢駅構内の「ヤマカ水産」で購入。

まぁ代講、うまくいったかどうかはともかく、無事終了しホッ。学院長たる者、こんなんもさらっと簡単にこなせるべきなんでしょうね。

明日午前は病院検査。「酒・タバコ・コーヒー」についても「減らせ/やめろ」と言われるかもしれない。まぁ「我や先、人や先」なんで、「運命」甘受するしかないのでしょうね。
明日午前、○○党による「日本語教育振興協会の必殺仕分け」がある。その情報は前から得ているのでこのブログにその不当性を訴えようと思っていたのですが、書かぬまま当日を迎えます。いずれ「仕分け」について書こうと思う。
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by tiaokumura | 2010-05-22 18:22 | 美味録10年 | Comments(2)

詩「ありばいのためのこらあじゅ」

なにゆえに太陽は問ひ給わずや。
愛する人々(もの)の破滅なき不幸を願ひ
愛さざる人々の栄光なき幸福を願ひ
後悔なき呪ひの神話を胸に抱き続けた少年に、
なにゆえに太陽は問ひ給わずや。
   *
誤りは常に過去にあり、正義は常に未来に
ある世界の中で、めざめた瞬間に、己れの
醜い未来を思い出した人間が生きる事は
全く不可能だ。要するに、そういう世界では
彼は異質なのだ。
   *
詩は死、全てを語るが何も告げない
詩は私、僕しか知らない
《ことば》はわたし わたしは《ことば》
あなたは《もの》 《もの》はあなた
   *
よく眠るための美しい夢
目覚めるための輝く朝日
明日(あす)も生きるためのはにかんだ決意
明後日(あさって)も在るための膨大な偶然性

予感されないままに私は願望を規定した
   *
僕は知らなかった
 昨日(きのう)咲いた花がくちなしだった事
 一人の人間が一篇の小説を書ける事
 秋成には三人の母がいた事
 教育には評価がある事
を僕は知らなかった
だから僕は対抗させた
 情熱には死
 真理には趣味
 全体には部分
 日常には非日常
を僕は対抗させた
だから僕は誰をも愛し誰にも愛されなかった
   *
権現様の石畳
小(ちい)っちゃな少女のおまじない
嘘つき坊やの苦労話
   *
——「先生はいつから煙草を喫いだしたの?」
——「お母さんはどんな人ですか?」
そんな質問には答えられない。それは
私小説に属するから。僕の告白しうる以上の
告白を要求するから。
   *
沈黙は無関心、饒舌は無能
から来ることを彼らは知っていたのだろうか。
   *
決して自分が無駄な努力などしているのでは
ない、という素朴な信仰。崖の上の信仰。
   *
見つけたのは誰? 見つかったのは幸福
見つかったのは何? 見つけたのはあなた
   *
夜明け前にさよならはない
別れるのはいつも真昼

別れる時にバラードはない
僕達に残るのはいつもエピソード

僕達の過ぎた道に僕はいない
光が僕を隠してくれる

光の中に風は舞わない
夜明け前はまだ続く
   *
あなた
 既視感(デジャ・ヴュ)にとらえられて
  全てを見た と主張する あなた
あなた
 発想の瞬間にすれ違ったイメージを
  ちっとも大切にしなかった あなた
あなた
 愛されているという自負心が
  非難の根拠ではなかった あなた

同時代の全ての《あなた》達よ
別れる時には全てを葬れ
別れる場所では出会わないようにせよ
何もしなかったのがあなたの罪で
何も知らなかったのがあなたの愚かさであったとしても
別れる時には全てを葬れ
語り合う事が僕達に保証された既得権で
出会う事が残された唯一の慰めであったとしても
別れる場所では出会わないようにせよ
   *
あなたは合理主義者だから
風と桶屋の楽しいデュエットを非難する
あなたは合理主義者なのに
無風地帯の危険さに気付いていない
あなたはいい人だから
後悔ではない反省の毎日を楽しんでいる
あなたはいい人なのに
無能者という軽蔑に耳を傾けない
あなたは寂しがり屋だから
架空の舞台で踊りに熱中している
あなたは寂しがり屋なのに
つぶやき声の青白い少女の顔を見ない

同時代の全ての《あなた》達よ
寓話から教訓を抹殺せよ
善良になる前に舞台を壊せ
痩せた豚の喜劇を繰り返すな
そして
太ったソクラテスが
あなた達の世界に出現し
木樵(きこり)が死神を呼ばなくてもよい日よ
早く来い
   でも実は そんな日は来ないのです
   ありばいハイツモ消極的(こらあじゅ)ダッタ


自註
①これは僕が21歳の時、東京教育大学・学生文化会のサークル誌に発表した詩(?)です。
②当時読んでいた吉本隆明、J.L.ゴダール、高橋和巳、A.カミュ、寺山修司、P.ニザン、富永太郎、立原道造、埴谷雄高、カール・ヤスパース、オディロン・ルドン(画家だから「見ていた」です)、キェルケゴール、ハイデッガー、唐木順三、折口信夫、ミケランジェロ・アントニオーニなどなどの、それこそ「コラージュ」(もっと言えば「パクリ」^^)な詩でしょうね(記憶がはっきりしないのだが、森有正、辻邦生、メルロ・ポンティ、アルベルト・ジャコメッティ、南方熊楠、マイルス・デイヴィス、ジョルジュ・ムスタキ、S.キューブリックなどなどとは、まだ出会っていなかったかと思う)。でも、あれから42年経った今(僕は今63歳)、こうして読み返してみると、これまでの人生の3分の1の時点でものしたこの作品、今でも当時の志や理想や感受性などが残っているのだから、わが人生の記念碑(「青春の思い出」)にはなるんでしょうね。「ありばい」ってここでは「不在証明」であり、「レーゾン・デートル(存在理由)」とか「自分探し」でもあるのでしょうね。
③詩に一箇所だけ「注」を付けておきます。「痩せた豚」「太ったソクラテス」は大河内一男・東大総長の1964年3月卒業式訓示の「太った豚より痩せたソクラテスになれ」(実際には原稿段階だけだったとか)を踏まえています。あとにつけるべき「注」はまぁ・・・今はほとんど思い出せません(大汗)。
④この「詩」はかつてすっかり忘れていました。このブログを始めて3か月くらい経った頃、「若奈ちゃん・迅ちゃん」のことで僕は「『何もしなかったのがあなたの罪だ』」という記事をここに投稿した(2006年2月18日付)。「何もしなかったのが~」は僕がどこかで読んだ一節だとすっかり思い込んでいたのですが、大学以来の親友哲ちゃんが、それは僕が書いた詩の中の一節だと連絡してきた。ビックリ仰天でした。すっかり忘れてましたもんね。で、物持ちのいい^^哲ちゃん、な・な~んと全文(詩「ありばいのためのこらあじゅ」)をメール添付で送ってきてくれた! それ以来、僕、PCに保存。
⑤④から更に幾星霜^^。「ありばいのためのこらあじゅ」はまた忘却の彼方だった。本年5月15日夜、僕は学生時代のサークル仲間と萬屋天狗本店で飲み会。そのときの様子は3つ前の記事ご参照。「ありばいのための~」、また話題になったんですね(照)、そこで。
⑥そんな事情です(事情説明、長すぎ~^^)。上掲の詩、(   )内は原文ルビ、斜体字は原文傍点付きです。あとは(たぶん)オリジナルのままです。
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by tiaokumura | 2010-05-20 19:48 | 言の葉つれづれ | Comments(5)

こんな授業・あんな授業(14)A・B・C組合同 大学進学ガイダンス

日本語学校の大切な役割の一つが「大学進学予備教育」であることは否めない。だがもし僕の勤務先の富山国際学院が「それだけ」の教育機関だったら、ボクみたいなワガママ男(大汗)にここまでの勤続(今17年目に入った)はムリだったでしょうね。おかげさまで僕は大学で教えたり県費研修生を担当したり外国籍の子どもの授業やったり短期集中日本語研修やビジネス日本語なども経験させていただいている。でもまぁ勤務先での僕の大きな役割・僕に期待される仕事として「大学進学予備教育」があるのは十二分に自覚している。

本日「大学進学ガイダンス」を実施。4月中にやってもいいのですが、諸般の事情を勘案すると今日くらいがいいタイミングでしょうね。準備・説明担当は学院長である僕の役目(来年からはスタッフに任せようと思う。僕がいつまでもやってたんじゃぁダメ)。2年次3クラス卒業予定者中の大学進学希望者を集め、クラス担当教師も出席しての「大学進学ガイダンス」-人前で話すのが大の苦手で、しかも同僚4人のご臨席も賜って^^なのだから、キンチョーします。レジュメ用意したけど、それを棒読みしてもしょうがないので、あれこれ学生の興味を呼び起こすような工夫を織り交ぜての90分。アイスブレークには「外国人が日本の大学に進学するために絶対必要なのは何だろう?2つあるんだけど」ってような質問を使う。あとまああれやこれや、冷や汗をかきながらの(恥)約90分でした。説明の日本語は中級後半ちょっと前くらいの表現・一般語彙。

以下、「レジュメ」より
今日の予定
 第1部 大学進学ガイダンス
 第2部 先輩に聞く(ここは卒業生が担当)
はじめに
キーワード
大学進学カレンダー
第1章 日本の大学
 1 日本の大学
 2 日本の大学で私費留学生になる
第2章 最近の大学入試データ
 1 2009年日本留学試験
 2 2010年富山大学・金沢大学入試
 3 2009年度富山国際学院
 4 日本留学試験と進路
第3章 後悔しない大学選び
 1 大学選びから入学までの流れ
 2 どうやって大学・学部・学科を選ぶか
 3 情報をどうやって集めるか
第4章 これからのこと
第5章 各クラス担任より
質疑応答

説明責任」って言葉がありますが、サービス業である教育においてもそれは大切である。学院ができること・しなければならないこと・できないこと・しなくてもいいことをちゃんと学生が納得できるように説明し、学生が進学にあたってしなければならないこと(自己責任)を本人たちに充分理解してもらっておく-理想ですがそういうのちゃんとやっておかなければならない。そこが疎かになると「進学指導」は学生の不満・ミスマッチ・誤解etc.が山積になっちゃうでしょうね。100m13秒でしか走れない人に「がんばれば11秒で走れるようになるよ。希望を持って!」なんて類の「教育」的スタンスを取るケースが教育業界では往々にしてあるが、「現実」を自覚させるのも教師のきっと重要な役割なんでしょうね。勿論その際「フォロー」がその先に必ずあり、そういう力(教師力)を、僕なんかのレベルの教師はしっかりと養成できるよう努力せねばならない。

まぁ本日の「大学進学ガイダンス」、60点くらいは取れたような気がするので^^、今夜は韓流ドラマ『IRIS―アイリス』を見て安眠できそうです(激爆)。
幸いうちはスタッフがしっかりしているので、「学院長先生様」の大ボケ・失敗・とちりなどは、スタッフがちゃんと尻拭いしてくれるので、ボクは幸せ♪っす(照)。
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by tiaokumura | 2010-05-19 20:32 | 僕は学院長2年生 | Comments(0)

吉岡治さん、ご逝去

吉岡治さんが亡くなられた。今朝の北日本新聞の訃報記事より冒頭部分を以下引用させていただく(同紙28面8段右)。
「天城越え」や「大阪しぐれ」など多くのヒット曲や童謡で知られる作詞家の吉岡治(よしおか・おさむ)さんが17日午後、東京都内の病院で死去した。76歳。山口県出身。葬儀・告別式は25日午前11時から東京都中央区築地3の15の1、築地本願寺第二伝道会館で。喪主は(以下略)
今日仕事が終わって帰宅して、Wikipediaで「吉岡治」を読んだ。

歌謡曲」(僕が「作詞・吉岡治」で出合った順で以下記すが、記憶間違いもあるかもしれない)では『悦楽のブルース』(歌手・島和彦。以下同じ)・『真夜中のギター』(千賀かほる)・『真っ赤な太陽』(美空ひばり)・『八月の濡れた砂』(石川セリ)・『さざんかの宿』(大川栄策)・『大阪しぐれ』(都はるみ)・『天城越え』(石川さゆり)・『命くれない』(瀬川瑛子)がカラオケで歌詞をほとんど見ないで歌える。40代後半以上の多くの方々もきっとそうでしょうね。吉岡さんが童謡『おもちゃのチャチャチャ』で野坂昭如(のさか・あきゆき)の補作をしたことは、今回の訃報記事で初めて知りました。僕が「歌手・真理ヨシコ」で知った同曲、もちろん歌えます。Wikipediaに出てくる『細雪』(五木ひろし)・『忍ぶ川』(川中美幸)・『情け川』(新沼謙治)・『演歌みち』(松原のぶえ)・『Let’s Dance Baby』(山下達郎)・『燃えてヒーロー』(沖田浩之)・『あわてんぼうのサンタクロース』、僕は歌えません。

吉岡治さん作詞の歌謡曲については既にこのブログで『八月の濡れた砂』と『天城越え』を別々の記事で取り上げていると思う。今回は、既に書いたことと重複するかもしれないが、『天城越え』について書く。
あなたは不倫経験がありますか? いや、別にお答えいただかなくても結構です(汗)。『天城越え』は不倫ソングでしょうね。あなたたちの7割以上は不倫経験がないでしょうね。でもあなたたちの過半数はこの歌が好きである。なぜなんでしょうね。「日本人の心性」にピッタリはまった曲が『天城越え』なんでしょうね、きっと。そういう演歌の名曲は他にいくつもあります。

40歳未満の不倫はさておいて、いくつかのケース(片不倫-一方が配偶者あり、一方が配偶者なし-かW不倫かを問わない)を僕なりに以下綴ってみる。
40代の不倫夫が妻に不倫を悟られた。彼は『天城越え』を聞きながら、自分の為したことがいったい「罪」か「失敗」のどっちなのか、しばし黙考するでしょうね。
40代の不倫妻-「みんなしてるからいいんじゃないの」か「私にとっての夫の存在価値を確認するための、これ、作業・必要悪なのよ」と思うのだろうか。
50代不倫夫は「もう一・二歩先に踏み込みたい」「いや、深入りしない内に後腐れなく別れたほうがいのかも」と悩む。
50代不倫妻は「情熱行の果ての心中」「マディソン郡の追体験」みたいなことを夢想する。
60代不倫夫は「まだSEXが可能な自分だったんだ」とか「女の歓心を引き止めるためにあとどのくらいの貯金が使えそうか」なんてことを思う。
60代不倫妻は「第二の人生はこの人と」とか「手をつないだりペッティング程度でいいから、ときめきを感じたい」などと思う。
70代不倫夫・不倫妻ってぇのも、イマドキありそうですね。ひょっとしたら、80代・90代だって。
一方で、上述は「不倫未経験者」のあなたの現実ではない。でも何人かのあなたは、不倫をしてみたいとちょっと願望する、つまり「不倫(婚外恋愛)予備軍」。あなたの幻想・幻視は許されてもいいような気がします。
いったい何なんでしょうね、人間が「不倫」というカタチに感じることは。愛とSEXと結婚の三位一体が崩壊し機能不全を起こしている現代の必然が、不倫(または「不倫願望」)なんでしょうか。王朝時代の「不倫」と何が同じでどこが違うんでしょうか。日本人固有の不倫観って絶対あるような気がしますが、どうでしょう。

吉岡治さんご自身にどの程度不倫経験があるのか僕は知りません。でも吉岡さんには不倫実体験はなかったような気がします。だからこそ、『天城越え』においてここまでの名作詞をものすることができたんじゃないでしょうか。吉岡さんの想像力の為せる技、です。また、たとえ吉岡さんに実体験があったにしても、それを昇華して得られた詞。著作権もあるので全詞引用は避けますが(web上では「二木紘三のうた物語」などで全詞を読むことができます)、『天城越え』は詞の隅々にまで実に血が通った、一フレーズ・一単語が変わっても全体の構成が狂ってしまう、五・七のこれ以上はないという展開、名詞と動詞の渾然一体-そんな詞です。
「誰かに盗(と)られるくらいなら/あなたを殺していいですか」「ふたりで居たって寒いけど/嘘でも抱かれりゃあたたかい」に人は魅かれるのでしょうね。演歌が嫌いな人は逆にこういうのが嫌なんでしょうね。同様に「何があってももういいの」「戻れなくてももういいの」「あなたと越えたい 天城越え」で、不倫妻及びその予備軍も不倫夫及びその予備軍も、「これまでの人生」と「これからの人生」の結節点に位置するであろう「不倫」について何かを得ようとする・・・

吉岡治さま、すばらしい作詞の数々ありがとうございました。今は、旧知の作詞家・作曲家・歌手たちとそちらで旧交をお温めください。

不倫中の方も不倫願望者も、不倫なんて不潔・演歌なんて大っ嫌いの方も、今はしばし名曲『天城越え』(作詞・吉岡治、作曲・弦哲也、歌・石川さゆり)をご堪能ください。


PS
ぼくハあなたニふりんヲススメテイルわけデハゴザイマセヌ。念のため。
不倫で最も傷つくのは不倫された配偶者であることも全くその通りです。
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by tiaokumura | 2010-05-18 18:47 | 追悼 | Comments(2)