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千里山荘で春休み\(^O^)/

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(3月31日夜・記)
昨年度は富山国際学院学院長見習(照)だったので「春休み、ほしい~」なんて言い出せん分際じゃった。今年度、まもなく終わりってぇことで、恐る恐る「春休みが2日ほしい!」って専任の方々に申し出たらOKでした。3月30日・31日と春休み(来年はもっと取るゾー^^)。でも貧乏性なんでしょうね、30日午前中、31日2時間と出勤しちゃいました。

2日間、どうやって過ごすかあれこれ楽しい思案。映画はどうも観たいのやってない、どこぞにドライブもどうも億劫-ってぇなことで一夜「ごっつお食い」に走る。
千里山荘五万石グループ。「ごんべい舎」もこのグループです。
さて当夜、まずは生ビール(中)、ついで「風の盆大吟醸1合」。仲居さんにお願いして「おしながき」を書いていただきました。ちとワガママな客じゃったでしょうが、仲居さん、たぶん板長さんに聞きながらでしょうね、筆で「御献立」を書いてくださいました。僕が持っているのがそれです。勧進帳じゃありませんよ(汗)。

奥村様
一、付出し ほたるいか沖漬
一、前菜  山菜昆布〆
        ジーマーミー豆富 木の実味噌
        うるいひたし
        鯛 煮凍り
一、造り  ぶり、まぐろ、いか、甘海老、かじき昆布〆、すずき
一、蒸し物 ふぐ白子みるくむし
一、鍋物  わらび鍋
一、焼物  鱒 豆富田楽
一、揚物  筍子、鰆、山菜いり出し
一、酢物  海鮮サラダ
一、食事  よもぎそば
一、デザート フルーツヨーグルト
平成二十二年三月三十日
千里山荘

五万石は「ご家庭へ、オフィスへ、五万石の旬の味をお届けします。」とのことで、4月3日(土)の会議の昼食、五万石の松花堂を取ってみます。
千里山荘では「観桜歓送迎会プラン 夜桜旬味彩菜」という企画もある。今年か来年、体験してみたいですね。
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by tiaokumura | 2010-03-30 18:55 | 美味録10年 | Comments(0)

インドネシアの方たちと

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富山国際学院のスタッフの一人の熊西さんのアパートで国際交流パーティがあり、僕もお呼ばれ(照)しました。熊西さんは、日本語教師として僕の先輩にあたる方です。新聞やTVで報道されているので皆様もご存知かと思いますが、EPAでインドネシア・フィリピンの方々が来日され、日本各地で介護士候補者・看護師候補者として働いていらっしゃいます。富山県魚津(うおづ)市にも1期生・2期生合わせて4名の方がおられ、その日本語研修を熊西さんが担当。僕も昨年末に2回、熊西さんの代講をさせていただいた。

3月28日(日)午後5時半スタートだったんですが、運転下手・方向音痴なため(恥)、何度か熊西さんにTELし、定刻過ぎてようやっと熊西さんのお部屋にたどり着く(汗)。インドネシア人4人・日本人4人(女子中学生2人を含む)・中国人1人、計9人。初めに各自自己紹介、それからインドネシアについてあれこれお話しをうかがう(「インドネシアについて知ろう!」)。
①インドネシアと日本の国旗の共通点は? どちらも赤と白の2色。インドネシアの国旗は上半分が赤(血を表す)、下半分が白(骨を表す)。
②インドネシアは1万7千以上の島々から成る。面積は189万平方km。人口は世界で四番目で2億2800万人。首都はジャカルタ。気候は乾季(4~9月)と雨季(10~3月)。
③言語はインドネシア語。方言が300以上あり、例えば「寝る」はsare・moro・turu・kulemなど。かつてはジャワ文字・バリ文字・スンダ文字などがあったが、1511年ポルトガル、1602年オランダの進出後、アルファベット使用へ。宗教は、イスラム教が8割以上、キリスト教が9%、ヒンドゥー教が1.7%、仏教が0.6%など。
④インドネシアの中学校は、例えば7時~2時、2時間授業、数学・国語・英語・宗教・生物・物理・化学・PCなど。
⑤インドネシア料理、mi goring(ヤキソバ)・nasi goring(チャーハン)・gado-gado(サラダ)・sate(鶏肉串焼き)など。富山のCiC裏手にインドネシア料理店があるそうで、いつか行ってみたい。果物はkelapa・durianなどトロピカルフルーツが多種多様。

既に僕が知っていたこともありましたが、こうしてその国の方から直接あれやこれやお話を聞くのはとても楽しい。
「インドネシアについて知ろう!」のあと、歌(「インドネシア、わがふるさと」など)や食事や演武など。アップした写真、僕が持っている串3本がsateです。
歌のお返しにブンガワン・ソロ(Bengawan Solo)を歌おうと思ったのですが、歌詞、すっかりわすれとった(大恥)。事前にネットで調べておくべきでした。大失敗。

タリさん・プジさん・イノトさん・アルフィンさん、スリカマシ! 日曜日は「スラマッティンガー」でしたが、またぜひお会いしましょう!

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by tiaokumura | 2010-03-28 18:42 | 日本語教育 | Comments(0)

名古屋出張

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(3月28日午後・記)
祥月命日の出張は避けたかったのですが、自分ではいかんともしがたく、2010年3月25日、本年4回目の名古屋出張=会議参加。今回の会議は12時からと通常より1時間早く、富山発7:09しらさぎ4号利用に。「しらさぎ」、僕はいつも富山駅1番ホームで乗車しているのでそこでの~んびりタバコを吸って待ってると(富山駅1番ホームには喫煙可な場所がある)、線路を隔てた2番ホームにしらさぎが入線してくるではないか。慌てて階段を上り2番ホームへ。危ういところでした(大汗)。

車中、例によってまずは新聞2紙。
讀賣
市川猿之助「時代の証言者」。澤潟屋って団子(だんこ)→猿之助→段四郎が「本来の順番」なんですってね、知りませんでした。海老蔵→団十郎の伝でいけば「猿之助」は「海老蔵」格なんでしょうか。当時の猿之助は幼名の「団子」を名乗って20歳過ぎ、改名の時期だった。ところが当時は祖父が猿之助、父が段四郎で、団子→?と名乗る名がない。「猿之丞」案もあったが「どうもしっくりこない」。で、ここが彼のすごいとこなんでしょうね、「大学卒業翌年に名題昇進のスケジュールは決まって」いたので、な・な~んと「坂田藤十郎を名乗りたい」と言ったんですって。むろん祖父はカンカン(爆)。で次に「初代市川雪之丞」を提案。「雪之丞変化」の「雪之丞」です。こういう襲名にまつわるエピソードを知ると、なんかものすごく愉快になってきませんか、皆さん。さて、1963年2月3日のことです。以下記事より引用します。
祖父が僕を呼んで、こんなことを言ったんです。/「おれは今日、心臓に金の矢が刺さる夢を見た。死というものを予感した。お前が猿之助になれ」
こういう襲名秘話(僕が知らなかっただけかもしれませんが)を聞くと、「圓生」襲名のくだらなさを連想する。候補2人が競演したそうですが、どちらも七代目の器じゃない。遺族と先代円楽で「止め名」にしたわけですから、そんな簡単に七代目を作っていいわけがない。僕は当代円楽も器じゃない気がしますが、どうでしょうか(なっちゃったもんしょうがありませんが^^)。六代目三遊亭円楽は大好きな落語家ですが、「圓生」名跡騒動って、彼の負の遺産でげしょうな^^。

秋田で「東大合格者を今春、大幅に増やした。」。08年度から「高校生パワーアップ推進事業」というのに「年1億円を超える予算を充て」ているそうです。何をやっているか、記事からそのまま引用します。
学力の高い生徒を集めて大手予備校講師の講座を開き、県外の進学校の授業に参加させ、合宿も行った。
なんだかどうかと思いませんか・・・これでいいんでしょうかねぇ。3つのことを思った。何年か前に富山県が税金を使って「日本語学校」を作った。それを民業圧迫とは申しませんが、何億円かの赤字を出して短期間でつぶれた。そのお金の1000分の1でもウチんとこに「補助金」として出していただけたら、もっと有効に税金を使えたんじゃないかなぁ。次の感想。「県立秋田高は東大に16人が合格し、昨年の7人から2倍以上になった」そうですが、「東大」って一体全体そんなに受験に県予算を使うだけの価値がある大学なんでしょうか。いや、きっと「世間」はそうなんでしょうね。「東大を受験しよう」なんて60余年の人生で一度も思ったことがない自分なので、東大の価値って正直なところ、よくわかりません。アホなんでしょうね、自分。1億円の1%でもいいから「外国人の子どもの高校進学」に充てようなんて発想は望むべくもないんでしょうか。3つ目、「受験戦争」を扱った佳作・藤瀬凡夫『カッパ先生』(三一書房)を思い出した。「・・・富山という小さい県で・・・富山高校と富山中部高校が、ともに地方では大学進学率の高い有名高校の看板を掲げている。・・・世間一般の人は東大合格者の数で高校優劣のランクをつけるから、一人でも多く東大へ入れようと、第三学期に近づく頃から私たちは完全にノイローゼになってしまう。」(p.10)。「カッパ先生」の頃(僕らの少し前の高校になるか)は実に牧歌的な時代だったんだなぁ(引用部分からだけではわかりませんが、小説全体はそんな感じ)と思った。

日経
1面トップが「10年度予算成立」じゃないところに日経ならではのスタンスが窺える。1面では「事実」のみを客観的に淡々と記述する。実に見識です。関連記事が、2面社説「民主は疑惑にほおかむりか」、同面「なお『5月危機説』」。3面「11年度以降は増税」。タバコ(ボクは1日40本弱)、参院選前に値上げしてくれりゃいいのに^^「10月から1本あたり3.5円の増税」だそうです。10年度予算、92兆2992億円。子どもの頃「ニコヨンにもっとやれ」なんて予算の語呂合わせありました。2兆54百億円くらいだったんでしょうか。今はそういう語呂合わせってやらんのかな。「国92憎29むな国92」とでも語呂合わせして、「小鳩内閣さんありがとう」と言いましょうか。国債44.3兆円(いつものヨシミ443、国債使おう)、税収37.4兆円(経済劇的回復みなし374て、今は参院選挙優先)、税外収入・「埋蔵金」など10.6兆円(後続世代から取ろう106、今はみんなでハッピーライフ)。
6面、「中国の胡錦濤国家主席・・・訪中しているアフガニスタンのカルザイ大統領と北京で会談・・・」・「ロシア訪問中の中国の習近平国家副主席・・・モスクワ郊外でメドベージュ大統領と会談・・・」。9面、サムスン電子の李健熙前会長(68)が会長に復帰。「09年に連結の営業利益率が8%」のあのサムスン電子の復帰劇ですから驚き、「強烈なメッセージ」です。復帰のキーワードは「中国勢台頭に危機感」。
15面、「しまむら、営業益最高」。「検品作業などを労務コストが安い中国で済ませる『直流』による仕入れは、全体の約3割に達したようだ。」。
32面、「地域通貨 復権の予感」「若狭ガレイ」。
37面、「福井頭取に伊東氏/トップ交代、17年ぶり」「金沢信金 102年目の試練/地域の中小支え信頼回復」。
文化面、林洋子「布に秘めた思い 十選」は「マティスとモデル」。「多様な、平面的な模様を持つ布地を複数画面に描くことで、遠近法的な視覚に支配されない、この画家特有の、装飾的な浅い絵画空間を生み出した・・・」。偶然なんでしょうが「文化往来」にもマティス登場。フランソワーズ・ジロー回顧展が銀座で開催中の記事中に。

今回の会議、アリス学園の沓水博厚さんもご出席。彼は同じしらさぎに乗り合わせていて、一緒に米原で新幹線に乗り継ぎ。沓水さんは今年1月上旬の日本語教師研修@金沢の実行委員長。富山国際学院からは僕を含めて4人がボランティア実行委員として参画しました。沓水さんと柴田さん(アリス学園→4月から名古屋で国語教師で、今は名古屋ご在住)が昼食ご一緒ってことで、図々しくも^^お邪魔虫させていただきました(照)。柴田さんのご推奨で「まるや本店 名駅店」でお昼。開店時間の11時前に行ったんですが、もう行列ができていました。アップした写真、左から沓水さん・柴田さん・僕。おひつの蓋を掲げてポーズ(激爆)。僕、「ひつまぶし」はこれで2回目かなぁ。最初、「ひまつぶし」と誤読してた^^。ついで「ひつま+ぶし」とも誤読。今回柴田さんに教えてもらってわかったのですが、「ひつ+まぶし」です。「ひつ」は「お櫃」、「まぶし」は「まぶす」から。
「同じ釜の飯・・・」とか言いますが、金沢研修をともに縁の下で支えあった沓水さん・柴田さんたち仲間には、「戦友」というか友情を感じる。今回、「同じお櫃のうな丼」も食ったんですもんね(爆)。
沓水さん、柴田さん! これからもよろしくお願いしま~す。職場はそれぞれ異なりますが、互いに競い合いましょう。

昼食の後、12時~5時、明治安田生命名古屋西口ビルで会議。
会議後、沓水さんと「驛釜きしめん」できしめん&生ビール。帰りの名古屋17:48発しらさぎ13号も沓水さんと一緒で、車中楽しくビール(よう飲む野郎たちです^^)&おしゃべり。沓水さんは金沢下車。僕は終点富山で、その後ポートラムで帰宅。
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by tiaokumura | 2010-03-25 11:14 | 僕は学院長1年生 | Comments(2)

大牧温泉日帰り旅行(2)

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(3月27日夜・記)
幹事のハシゲンのノートから転記。
7:50富山駅みどりの窓口前集合、JR8:05富山→高岡8:26、バス8:50高岡→小牧堰堤10:02、船(やまぶき)10:20小牧堰堤→大牧10:50。大牧温泉。船(やまぶき)15:10大牧→小牧堰堤15:40、バス16:05小牧堰堤→高岡17:19、JR17:23高岡→富山17:41。
JR富山・高岡往復640円、バス高岡・小牧堰堤往復2100円、船小牧堰堤・大牧往復2800円、大牧温泉観光旅館7500円。

大牧温泉、一度は行きたかったところです。ハシゲン、いいところを選んでくれた。「日本列島最後の秘境」「船でしか行けない秘境の温泉」。今を去る830年ほど前、平家の落人がこの温泉に出会ったそうです。船の航路の庄川峡、眼前に展開する光景は絶妙。カモシカが望見できたり、レトロな感じの大牧発電所があったり。上陸して旅館への道すがら、「クマがおりますのでお気をつけて下さい」「クマ・タヌキ・キツネ等の野生動物が多く出ますので夜間の外出はお控え下さい」といった立て看板も。ここはTV、特にサスペンスドラマの舞台によくなっているそうです。旅館の渡り廊下に芸能人の色紙がたくさん掲示してあった。
露天風呂に浸かったり(ヨッパになってもうて、皆に心配かけてしまった^^)、お昼を食べたり。旅館には4時間ほどいたでしょうか。今度もし来られたら泊まりたいですね。

青春ってぇものは心の持ちようとか言いますが、今回の大牧温泉日帰り旅行、なんだか自分の最後の青春なんかもしれないと、ちょっと寂しくなった。還暦過ぎて青春やっとるなんて、ちと異常ですが(大汗)。

アップした写真、左奥に大牧温泉観光旅館、手前に船着場。左より、つっちー・ハシゲン・ひげっち・ミッキー・富山大言語学3年生(記憶アホなもんで、名前、忘れた^^)。帰りの船(「やまぶき」)を待つ間、仲居さん(女将さん?)に撮っていただきました。
同行メンバー諸君! 君たちはまだまだ青春真っ盛り。ワシを「反面大人」として、各自悔いの少ない人生を送られんことを切に祈る。今回も遊んでくれてありがとう!
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by tiaokumura | 2010-03-22 14:56 | 富山 | Comments(6)

大牧温泉日帰り旅行(1)

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(3月27日夜・記)
アップした写真、手前がハシゲン、後右からミッキーつっちー・ボク(=ひげっち)。僕とミッキーは同級生、ハシゲンとつっちーは1コ下です。どこのかってぇ言うと、もちろん小中高じゃぁなくって(そりゃそうですよね^^)、地元の富山大学という大学の言語学コースです。ほんとうはこの温泉旅行、写真にはいないけんけんと5人旅の予定だったんですが、彼の勤務先の学院長ってぇのが悪い奴で、自分が遊びたさに彼に休日出勤させちゃって彼は泣く泣く温泉旅行を断念。けんけん、富山駅に見送りに来て缶ビール(発泡酒だけんど^^)差し入れてくれました。
僕は2006年4月、富山大学言語学コース3年次に編入学。同期編入組がけんけん・ミッキー(もう一人「さやえんどう」ってカワイイ女の子も)。富山大学人文学部は2年からコースに分かれるようで、富山大学で僕が言語学を初めて学んだ時、当時2年のハシゲンやつっちーと専門の授業が一緒だった。ボクのようなジジイが入ってきて、言語学コースの若者たち、きっととまどったことでしょうね。でも彼ら・彼女ら、レポートの書き方や試験勉強のしかたや専門のことやPCや生協食堂の利用の仕方などいろんなこと教えてくれました。飲み会やカラオケやキャンプにも誘ってくれた。つまんない授業の時は机を並べて爆睡仲間になった^^。彼らと僕では40歳くらい年齢差がある。40歳!ですよ。僕の40歳上っていうと愛新覚羅溥儀・赤坂小梅・伊東静雄・彌永昌吉・宇都宮徳馬・大野一雄・大村はま・坂口安吾・渋谷天外・杉村春子・朝永振一郎・永田雅一・滝沢修・庭野日敬・本田宗一郎・山本安英・吉行エイスケといった方々です(Wikipediaで調べました^^)。へ~、杉村春子と滝沢修と山本安英って同い年なんですね。
僕は2008年3月に言語学コースを卒業し富山国際学院の専任に。けんけんは同大学院修士課程に進学&3月修了、ミッキーは夏頃だったかにT大学職員として就職。つっちーは僕らの1年後に卒業し就職浪人1年を経てこの4月から晴れてN県A市の公務員、ハシゲンは大学を休学してタイでフィールドワーク活動後復学&卒業、この4月からは「月こそかかれ吉田山」の大学院生。この春、5人で露天風呂行こうってことになり、ハシゲンが幹事になり、3月22日の大牧温泉行きが実現しました。
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by tiaokumura | 2010-03-22 10:18 | 富山 | Comments(0)

Congratulations, Andy-san and Chihiro-san!

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My dearest Andy-san and Chihiro-san,

Congratulations to both of you!
May the coming years,
fill your lives with love and happiness.

One nice Aussie named Andrew came to
Toyama International Academy
with his coming-wife last September.
He started to learn Nihongo there.
He was a very smart learner,
but he had to quit his lessons
cause of his new business.
Andy-san,
I’m proud of teaching you Nihongo,
even though it’s so short time.

Say!
Love means never having to say you are sorry.
Two Lives, One Love!

21 March, 2010
OKUMURA Takanobu
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by tiaokumura | 2010-03-21 15:31 | 日本語教育 | Comments(0)

1995年は僕にとっても分節点だったのかもしれない

あれから15年になるんですね。

プロの日本語教師を模索しつつの浪人生活中に富山国際学院の採用試験を受け合格、1994年4月から富山国際学院の非常勤講師として勤め始めた。いや~、カルチャーショックでした。1クラス20名×6クラスで中国人学生ばかり。それまでに県費研修生などの中国人を教えたことはありましたが、日本語学校はすさまじい現場だと思った。1995年3月・1期生卒業式。僕は非常勤講師席に座り、卒業生60人くらいだったのでしょうね、学院初の卒業式を見ていた。2部屋ぶち抜き・紅白の幕・来賓。式が進行する中で僕の右で女性が泣いている。非常勤講師のIさん。「へぇ~、日本語学校って卒業式で泣く教師もいるんだなぁ」と感心した。
1995年4月・卒業B組担当。授業を担当して2週目だったか、学生が異口同音に訴えかけてくる。「前のX先生はひどかった。今の授業はいいです」と。X先生は富山国際学院立ち上げ時からのスタッフ。僕が直接お話ししたことはほとんどなかったが、自信満々に授業をなさっているように僕には見えた。X先生の件を通じて「日本語教師はいかにあるべきか」を考えるようになった。
1995年から15年、富山国際学院も僕もそれなりに歴史を刻んだ。僕が「日本語教師」を自称できるようになったのは、1998年ころかなぁ。そこから起算すれば12年、富山国際学院で雇ってもらってから16年が経つ。そろそろ僕は「中堅日本語教師」ということになるのだろう。45歳頃に初めて「日本語教師」なる職業を知ってから20年近い歳月が流れた。

今日、土曜日出勤。9時に学院に入り、メールチェックの後、まず仕事リストを作成。それから、緊急の仕事である、2010年度学年暦・学業成績原簿・教員会議当日掲示・2010年度学生在籍クラス検討・2010年10月入学希望者チェックなどの仕事を片付けていった。
そんな慌しい土曜日、初心の頃をふと思い考えた。

1994年は、「同情するならカネをくれ」「松本毒ガス事件」「パンクファッション」「三内丸山遺跡」「萱野茂代議士」「向井千秋宇宙飛行士」「羽田内閣・村山内閣」「豊田章一郎経団連会長」「大江健三郎ノーベル文学賞」「リレハンメル冬季オリンピック」「巨人日本シリーズ制覇」「曙一人横綱」「羽生名人」「鳩居堂前銀座中央通り1㎡2030万円」「マンデラ大統領」「金日成死去」などだった(朝日ワンテーママガジン『データ読本 戦後50年』1994年12月15日初版 に拠る)。その頃は明くる1995年が自分の分節点になるとは思っていなかったが、最近盛んに「15年」が言われるようになって、自分にとっても、1946年の誕生・1965年の上京・1978年の富山Uターンなどと並んで、人生の分節点だったのではなかろうかと思う。
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by tiaokumura | 2010-03-20 20:29 | このブログのこと | Comments(4)

名古屋出張

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(3月18日夜・記)
月曜日・卒業式、火曜日・進級試験とあわただしく過ごす中で、今抱えているトラブルの一つの打開のためには僕が名古屋入国管理局に行ったほうがいいという結論に至り、急遽水曜日に名古屋出張を組み込んだ。担当クラスの代講を石川純子さん(年齢は僕のほうがずっと上ですが、富山国際学院では彼女のほうが先輩です。困った時にはいろいろアドバイスしてもらってます。今年度約10ヶ月間、久しぶりにクラス担当コンビを組んでいる)にお願いした。
いつも米原経由なので、久しぶりに高山線ひだ号(富山から越中八尾・高山・古川・下呂温泉などを経て名古屋に入る。沿線の風景が絶妙)を利用しようと思ったが、時間が折り合わずいつものしらさぎ往復にした。
9:09富山発しらさぎ6号。例によって車中新聞2紙。

讀賣
前川八郎(1912-2010)さんが16日、亡くなられた。見出し「沢村の恋文 橋渡し」。この恋文物語に登場する男は3人。沢村栄治(1917-44)・中島治康(1909-87)そして前川八郎。甲子園球場で恋したのは沢村、『シラノ・ド・ベルジュラック』を参考に文面を考えたのは前川、「チームで一番字がきれいだった」中島が代筆。数日後、沢村は前川に「女性と話ができた。ありがとう」と言ったそうだ。名投手沢村栄治は昭和19(1944)年12月2日、東シナ海において輸送船上で戦死。前川さんが亡くなられ、僕が子どもの頃知った「茂林寺の猛練習」を始めとする東京巨人軍の伝説を物語る人たちは全て鬼籍に入られた。同記事には、昭和11(1936)年ごろ撮影の沢村・前川の写真も掲載。お二人の顔を見ていると、私たちはいつの間に日本人・亜細亜人としての顔を失ってしまったのだろうと、お二人に対して申し訳ない気がする。
白石加代子(1941-)。「『百物語』 90話突入」。秋成『雨月物語』、鏡花『高野聖』、円朝『真景累ヶ淵』、安吾『桜の森の満開の下』などを経て、第90話は『銀河鉄道の夜』。構成・演出は鴨下信一。「賢治の思想が重層的に織り込まれていて、私なりに手を加えようとすると弾かれてしまう難物・・・公演を重ねるにつれて、作品が深まったり広がったりする実感・・・」(白石)。「・・・SCOT退団後、仕事もなかった時代に始め、あっという間に大きくなっていった。女神がほほえんでくれたんです。舞台の神様って、いるんですね」(白石)。99話はどんな作品になるのでしょうね。
低所得世帯 恩恵薄く」。「あしなが育英会」の募金活動をしていた遺児らに、通行人が言ったそうです、「民主党の政策でやるからもう必要ないだろう」。「声を発した男性は、高校無償化などで奨学金が不要になると誤解しているようだ。一度きりでなく、何度も同じことが続いたという。」。民主党、こんな「誤解」を生んでいることを自覚し、マニフェスト有言実行を。決めた以上は財源、どこぞとからでも捻出してもらわねば。小鳩内閣、「できないことはできない」って発信もしてほしいものです。年収300万円なのに借金が9000万円-それが今の日本国。毎年100万円ずつ借金を返していっても90年!、優に3世代はかかる。どうしようってんだろう、民主党政権は。

日経
全人代2010-下―残る課題」。ヴァーチュ、カルフール、利上げや人民元切り上げの先送り、新たな時限爆弾など。
複雑化が組織能力を超越(「『ものづくり』再論 トヨタ問題の含意 3」)」。
大機小機「企業家精神はどこに」は、渋沢栄一(1840-1931)、八百八橋のことなど。「アジア内需」が中国・韓国にすっかり握られつつある現状、日本、大丈夫なんだろうか。「1億人生活者の潜在的ニーズに思い至」れる企業家がどのくらいいるんだろうか。
パッカード米日財団理事長(ライシャワー駐日大使の特別補佐官だった)、「核密約、当時は最良の選択」。アメリカにとってはそういうことだったのであろう。当時の日本にとってもそうではなかったと言えるのだろうか。外交は2国間の冷徹なパワーゲーム。
新規株式公開 韓国市場 調達額最高に」。サムスン生命保険会社が上場し、このあと更にポスコ建設・仁川国際空港公社・ウンジエエナジーなども上場可とのこと。2008年に00年以降最低に急減したのが、「過去最高を更新する見通し」だそうである。日本と韓国、どこがどう違っていた/違っているのでしょうね。
不妊治療 家計にずしり」。民主党は「子どもがほしい」と切に願っている方々のために、「保険適用」「助成金」を真剣に考えるべきでしょうね。
ネットも名誉毀損罪 新聞・雑誌と同基準」。朝日・讀賣も同種の記事を載せているが、日経が表もあって一番わかりやすかった。名前を公表してブログを開設している僕の場合、名誉毀損罪、常に意識しておかなければならないのでしょうね。リスクを覚悟して日々投稿すべきなんでしょうね。
通信激動―上」。1月27日、スティーブ・ジョブスCEO、「我々は世界一のモバイル機器メーカーだ」。ドコモ時価総額がが00年末18兆8600億円→10年3月6兆1200億円に対して、アップルは約25億ドル→約2056億ドル。

名古屋駅着。驛釜きしめん(ここ、名古屋のお気に入りです)でとろろころきしめん780円の昼食。とろろきしめんにするかざるきしめんにするか迷った末、大奮発メニューにした(照)。

古屋入国管理局。事前のTELでの交渉が功を奏して順調に終了。
入管関係者が書いた一般書では、坂中英徳(1944-。慶應義塾大学大学院→法務省。名古屋入国管理局長・東京入国管理局長を経て2005年3月退職)『入管戦記』(講談社。2005年3月17日第1刷)がおもしろい。

しらさぎまで時間があったので、2月27日の名古屋出張前泊ホテル近く堀内ビル1階の「ジュンク堂書店 名古屋店」で1時間強過ごす。買ったのは『数独 上級編7』だけでしたが^^、久しぶりに本屋さん探訪が楽しめた。

名古屋発15:48しらさぎ11号乗車。名古屋出張はこれで20回くらいになるが、名古屋滞在がこんなに短いのは初めて。東海道線で人身事故があったそうで、しらさぎも30分ほど遅れた。
出張中、ケータイやケータイメール数回。便利になったことを喜ぶべきなんでしょうが、どうもいまだにケータイには抵抗感がある。
富山国際学院にTELを入れたら、卒業生でヨーロッパ在住の○―○さんが奥様の○○さんとご来校されてた。会えなくて残念。来年も来日されるので、その時はぜひ夕食会をと約す。

往復の車中、黒岩比佐子本『日露戦争 勝利のあとの誤算』『歴史のかげにグルメあり』(ともに文春新書)を読み耽る。黒岩さん、朝日新聞に「私の収穫」書いてらっしゃいますよね、今。

午後8時頃富山着。富山駅内3Fにある「越中茶屋」で夕食。八尾そばセット(そば+すし3貫+切り昆布の小鉢)+ゲンゲ唐揚+生ビール(中)。そばを温かいほうにしたら、つけそばだった。失敗した。

ポートラムで帰宅。
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by tiaokumura | 2010-03-17 13:46 | 僕は学院長1年生 | Comments(2)

学院長式辞@2009年度卒業式(2010年3月15日)

例年になく多かった雪も今や私たちの眼前からすっかり消え失せ、陽光うららかな今日の佳き日、富山国際学院2009年度卒業式にあたり、富山国際学院教員15名を代表して式辞を述べさせていただきます。
ただ今私が卒業証書を授与させていただいた、中華人民共和国、ネパール連邦民主共和国、バングラデシュ人民共和国、フィリピン共和国、大韓民国、インド共和国、パキスタン・イスラム共和国、スリランカ民主社会主義共和国ご出身の皆様、
ご卒業、おめでとうございます!

恥ずかしながら私は皆さまのような留学生活を経験したことがございません。そんな私は皆様の留学生活を精一杯の想像力をもって理解するしかありません。
皆様の2年間ないしは1年半の富山での留学生活はどのようなものであったでしょうか。
「日本語ができないだけで、俺はなんでこんなにひどい目に遭わなきゃならないんだ」
「母国で私が聞いていた日本・日本人なんて嘘っぱちだったんだ」
「親が工面した学費を僕は無駄にしているのではないだろうか」
「こんなに日本語が習得できないわたしは、馬鹿なんじゃないだろうか」
「初めての雪は嬉しかったけど、雪がこんなに大変だとは」
そんな思いになられたこともおありでしょう。
一方で、
「先生方のおかげで日本語がわかるようになりました!」
「親切な日本人にたくさん会うことができました!」
「ひらがな・カタカナさえよくわからなかったのに、今は漢字大好きです!」
「学校行事・校外学習を通じていろいろな経験ができ、いろいろな出会いがありました!」
「先生、ありがとうございます。志望大学に合格できました!」
そんな思いもおありでしょう。

皆様方のご努力が実を結び、今日こうして富山国際学院での留学生活を終えられることは、今の皆様方にとって何よりの喜びでありましょう。
皆様の前途には、今の皆様以上の喜びがいくつも待っております。しかし同時に数限りない困難も待ち構えております。皆様が幸せである時は、特別に富山国際学院にご報告いただかなくてかまいません。しかしながら、もし皆様が絶望に襲われそうになったその時には、私たちを思い出してください。私たちはスーパーウーマン・スーパーマンではありませんが、つらいあなたの手助けが少しはできるかもしれません。

今日本国には400を超える日本語学校がありますが、富山国際学院はおそらく日本で最も小さい日本語学校です。皆様が、東京や大阪といった大都会ではなく富山の定員60名というミニ日本語学校を日本留学のスタートに選んでくださったこと、そしてこうして無事に卒業されたことに対して、私は感謝の念でいっぱいでおります。「教えることは学ぶこと」でもあります。私は皆様からたくさん学ばせていただきました。
ありがとうございます!

さてここで、卒業される皆様に一つの言葉をお贈りいたします。
小津安二郎という日本映画界を代表する映画監督がいます。残念ながら今は故人ですが、世界映画史上に残る『東京物語』などの名作を世に送り出しました。その小津安二郎の遺した言葉に
なんでもないことは流行に従う。重大なことは道徳に従う。芸術のことは自分に従う
という名言があります。繰り返します。
「なんでもないことは流行に従う。重大なことは道徳に従う。芸術のことは自分に従う」
私はこの言葉を私なりに解釈して座右の銘にしています。それをご紹介します。
自分にとってどうでもいいことは他人に従えばいい。しかし、自分にとって本当に大切なことは自分自身に従おう
です。
実は私はKYという言葉が大っ嫌いです。しかし人生においては「空気を読」まなければならない場面がしばしば訪れます。そんな時はその場の空気に従っておけばいいのでしょうね。しかし、あなたにとって本当に「大切なこと」-それは、自分自身で決定し自分の信じた道を突き進んで行ってください。「自分にとって『大切なこと』が何か」は一人ひとり異なっています。「大切なこと」だと思っていたことが実は「どうでもいいこと」であったり、「どうでもいいこと」が実は「大切なこと」であったりすることもあります。難しいですよね、「大切なこと」の選択基準は。まぁ、そうではあれ、富山国際学院2009年度卒業式でかなりジジイな奥村が
「自分にとってどうでもいいことは他人に従えばいい。しかし、自分にとって本当に大切なことは自分自身に従おう」
と言ったのを、皆様の頭の隅に置いていただけたら嬉しいです。

最後になりますが、皆様の前途に輝かしい未来があることをご祈念しつつ式辞とさせていただきます。
皆様、本当におめでとうございました!

2010年3月15日
富山国際学院
学院長 奥村隆信
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by tiaokumura | 2010-03-15 16:21 | 僕は学院長1年生 | Comments(4)

『惜別の歌』(『惜別の唄』とも)


原詩・島崎藤村(1873-1943。「『若菜集』高楼 わかれゆくひとををしむとこよひより とほきゆめちにわれやまとはん」より)
作曲・藤江英輔(1925年生まれ。1944年・中央大学予科入学、1950年・中央大学法学部卒業。新潮社で雑誌編集などに携わった後退社し、会社を経営)

とほきわかれに たへかねて
このたかどのに のぼるかな
かなしむなかれ わがともよ
たびのころもを ととのへよ

わかれといへば むかしより
このひとのよの つねなるを
ながるゝみづを ながむれば
ゆめはづかしき なみだかな

きみがさやけき めのいろも
きみくれなゐの くちびるも
きみがみどりの くろかみも
またいつかみん このわかれ

きみのゆくべき やまかはは
おつるなみだに みえわかず
そでのしぐれの ふゆのひに
きみにおくらん はなもがな

惜別の歌』の誕生については、「二木紘三のうた物語」内の「惜別の歌(その1)」「惜別の歌(その2)」「惜別の歌(その3)」をご参照。上記の藤江英輔氏略歴は同サイトに拠りました。YouTubeにいくつかある『惜別の歌』からアップしたのは小林旭ヴァージョン。私のような年代の者には、「別れ」と言えば『惜別の歌』、『惜別の歌』と言えば小林旭です。画面に流れる英訳詩(山岸勝榮)、実に素晴らしい!
明日は富山国際学院卒業式。学院長式辞を考えるのに倦んだとき(恥)、この歌を聞いています。明日はいいお天気になりそうです。

残された日は今日一日だというのに、式辞が全然まとまらん(泣)。式辞はやめて『惜別の歌』替歌で誤魔化したらブーイングでしょうね(激爆)。ま、自分もそうでしたが、式辞とか祝辞なんてほとんど誰も熱心に聞いとらんと開き直るっきゃないんかも。
 はるらんまんの はなをめで  なつははなびに ゑひしれて
 ひとこひしさに あきはなき  ふゆゆきふみし としつきや

 あひみてのちは われはきみ  わかれしのちも きみはわれ 
 くにはそれぞれ たがへども  ひとのなさけぞ ありがたき

 かんじてにをは けいごほふ  ぼごのかんせふ なにせうぞ
 わがゆくみちを てらせかし  まなびつづくる にほんごよ
 
 とやまこくさいがくいんせい  れいほうたちを あふぎつつ
 まなびしがくしやさるとても  わがふるさとに とこしなへ
  (曲・藤江英輔 詞・奥村隆信)
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by tiaokumura | 2010-03-14 09:29 | 音楽 | Comments(0)