<   2009年 09月 ( 19 )   > この月の画像一覧

京都出張

f0030155_1147415.jpg
10月2日夜・記
9月30日・10月1日の平成21年度日本語教育セミナー@京都に出るため、9月30日朝、富山を出発した。9月の県外は、名古屋・金沢・東京に次いで京都で4箇所目になります。
讀賣・日経購入。当日の讀賣は切り抜き記事特に無し。日経は、①槇原稔(三菱商事相談役)「私の履歴書 アジアの文化 大事に」(東洋文庫のことが出てくる)、②「ほくりく人話題」-中2就業体験 助っ人は大学生」(富山県の「14歳の挑戦」が、荒井明富山大学准教授のコメント付きで取り上げられている)、③竹田博志「作家の強固な意志にじむ」(「麻生三郎とそのコレクション展」が話題で、麻生のジャコメッティ観「弱さも強さもありのままに存在する一直線な美しさはうつくしい」が引用されている)。
サンダーバード(以下「TB」。富山から京阪神に行く時に利用する電車)は10:45頃、左手に琵琶湖。ボクは方向オンチなんでようわからんのですが(恥)、TBは琵琶湖の西岸を走るんでしょうか。福井の次は京都になるんでしょうね。琵琶湖周辺、トンネルが多い路線でもある。山や宅地がトンネル通るごとに見え隠れ。「今日は今津か長浜か」でしたっけ「琵琶湖周航の歌」。琵琶湖が見えてからほんの10分くらいでしょうか、京都になる。堅田あたりから高層ビル(っても京都だから東京みたいじゃないけど)、でもさすが京都だからビルに負けじと緑も多い。TB車内で京都からの乗り継ぎの案内放送を聞いていると(地下鉄・かめおか・きのさき・まいづるなど)、高橋和巳『邪宗門』の千葉潔を思ったり、歴史・人物や歌枕・名刹などを思ったりする。

京都。曇り、小雨も。TB車中から見た景色、山の上4割以上は雲がかかっていましたから、京都の天気はそういうことなんでしょうね。JR京都駅から地下鉄乗り場へ。方向オンチなんで何度か案内表示を確認する。ボクにしては上出来で地下鉄切符も買え、ホームに到着。ところが、ホーム1・2番線のどちらに乗ればいいのかわからない(泣)。学生さんが3人いたので教えていただく。地下鉄に乗る。車内アナウンス、東京と比べるとずいぶん冷たい(と思う)。いくら耳を澄ませても田舎者のボクにとって最小限の情報しか放送してくれない。とほほ、ですよネ。
なんとか「丸太町」で降りる。外は小雨で傘は無し。バス停に学生さんがいたので「仙洞御所」(せんとうごしょ。「せんどう」とも。庭園は寛永年間に小堀遠州作事。「妙心寺」も「仙洞御所」ですから、「仙洞御所」は固有名詞ですが普通名詞に近いのかも)」への道を尋ねる。信号3つ目を左折とのこと。雨に濡れながら歩く、歩く。寺町通りを左折。しばらく歩いてアップした写真の門にたどり着く(写真右手に見えるのが仙洞御所)。
仙洞御所、今年1月だったか、寺本益英先生(関西学院大学教授)・実弟と一緒に訪問するチャンスがあったのですが、僕は仕事があって訪問できなかった。今回の京都出張で泊まるパレスサイドホテル京都御苑の向かいだったので、仙洞御所(と冷泉家)を訪れようと思った。もちろん中には入れないのは承知の上。仙洞御所について、当ブログご訪問者の中にはご存知ない方もおられるかもしれませんね。今は一世一代(一世一元)ですが、明治になる前までは天皇が上皇・法皇になることが可能なシステムでした。そんな上皇・法皇のための御所が仙洞御所です。下々のボクが言うのも畏れ多いことですが^^、天皇の隠居所です、わかりやすく言えば。「仙」は中国思想の影響なんでしょうね、「仙人」からでしょうね。

名残りは尽きないのですが、仕事もあるので早々に京都御苑を出る。雨脚やや激しい。タクシーを拾い、教育セミナー会場であるパレスサイドホテルに向かう。
ホテルのレストランで昼食をと思ったのですが貸切状態で空席なし。ホテル近くの喫茶店でピザトースト・コーヒー。12:50頃、平成21年度日本語教育教育セミナーの受付を済ませる。
[PR]
by tiaokumura | 2009-09-30 11:47 | 僕は学院長1年生 | Comments(4)

ドナルド・キーン『日本人の戦争 作家の日記を読む』(文藝春秋)

f0030155_19211097.jpg
ドナルド・キーン(Donald Lawrence Keene1922-。2008年に文化勲章受章)
『日本人の戦争-作家の日記を読む』

角地幸男
2009年8月30日 第2刷
文藝春秋
1714円+税

この間のシルバーウィークで放映されたNHKTVドラマ『白洲次郎』、当ブログご訪問者の多くがご覧になったことでしょうね(当ブログはそういう性格のブログだと思う)。痛快無比、「日本にもこういう快男児がおったんだぁ」というのが率直な感想ですね。薩摩治郎八(さつま・じろはち1901-76)や佐藤優などもつい連想しました。で、素晴らしいドラマだったんですが、皆さんはどうだったでしょうか、1箇所、どうしても気になる箇所があった。白洲が辰巳栄一の許を訪れ徴兵忌避を願う場面です。その前に白洲が営農指導を受けていた鶴川村の青年に赤紙が来て召集された(後、南方で戦死)。そして、白洲にも(当時白洲は普通なら徴兵されない年齢だった)赤紙が来る。白洲の論拠はたぶん2つだったんでしょうね。
①自分は徴兵される年齢ではない。
②自分は今次の戦争は愚かな戦争であると思っている。そのような愚かな戦争で命は落したくない。戦後の日本復興に全力を注ぎたい。自分はそれに値する人間である。
シナリオ(台本)を読んでいなく、記憶に頼っているので正確ではありませんが、概ねそういう論じ方だった(まちがってたら陳謝)。どうなんでしょうか。喉にささった魚の骨のように、今も気になり考えています。

新聞何紙かの書評を見ても評価が高く、よく売れているのでしょうね、博文堂さんから届いたドナルド・キーン『日本人の戦争 作家の日記を読む』、第1刷から1か月半で2刷です。初出は『文學界』2009年2月号とのこと。秋の夜長の読書にぴったりの本です。
永井荷風・高見順・伊藤整・山田風太郎・清沢冽・内田百閒・渡辺一夫・梨本宮伊都子・平林たい子らの、「主に大東亜戦争が始まった昭和16年(1941)後半から、連合軍の日本占領の最初の一年が終わる昭和21年(1946)後半まで」(序章)が範囲の日記が取り上げられている。注釈・参考文献・人名索引付きの良書です。
僕はアジア・太平洋戦争敗戦後1年以上経ってこの世に生を享けた。自分が戦前に生まれていたら-と想像することがたまにある。きっと軍国少年でしょうね、自分。あるいは尋常高等小学校を卒業し父の農作業の手伝いをし、赤紙が来たら忌避する知恵もなく戦地に赴く。ほんとか嘘か知りませんが、醤油を大量に飲んで徴兵逃れをした例もあるそうです。
本書でキーンは日本人を弾劾しているわけではない。また、歴史を逆照射して、文学者・知識人の「罪」を暴いているのでもありません。むしろ(誤読かもしれませんが)時代に抗えない「(日本)人」への共感、時代精神に覆い尽くされたときの避けようもない恐怖・迷妄への同情?が感じられる文章です。もちろん、鋭い指摘が数多あります。高見順・山田風太郎について語る箇所は、例えばこうです。「もっとも、二人が将来に記憶されるのは、それぞれに名声をもたらした小説よりもむしろ日記によってであるかもしれない。・・・日記の方が、まだしも事実に近いようである」(「第十章 占領下で」p.225)。

あとがき」は、そこ以外は角地幸男訳なのですが、「(原文日本語)」です。永井荷風について書かれたキーンの文章は、本書執筆の動機に強い関係があります。東都書房刊『永井荷風日記』は岩波書店で『断腸亭日乗』として刊行された(流れ・順番はそうです)。ところが「荷風自身か、荷風の名誉を重んじる編集者が、元の日記にかなり手を加えたに違いありません。」(「あとがき」p.227)との推察。2書対照例が2つ取り上げられています。『永井荷風日記』と『断腸亭日乗』の具体的な異同例、僕は初めて知りました。

明日朝京都出張(1泊2日)で富山出立。旅の道連れは本書と冷泉為人『冷泉家・蔵番ものがたり』にします。
[PR]
by tiaokumura | 2009-09-29 19:21 | | Comments(0)

白土三平『カムイ外伝』、復活

f0030155_1834945.jpg
正直に告白すると、僕は映画『20世紀少年』を見ていると吐き気がする。大勢の同コミック・映画ファンの皆さん、ごめんなさいね。「ともだち」が××××君かどうかもし僕が知っても、嘔吐感はぬぐえない。原作者を責めているのではありません。同コミックは21世紀ゼロ年代を代表するコミックになるのでしょうが、「正義」「聖戦」が古今東西の地上でイデオロギーに使われるのはある意味しょうがないとしても、「友達」があのようにイデオロギー化され洗脳の道具にされるのには耐えられない。あのような世界を描きえた(独裁者が「ともだち」として登場するかどうかは別として、起こり得る世界です)原作者の浦沢直樹さんの力業に感服します。

『カムイ外伝』はおそらく『20世紀少年』とは対極に位置するコミックです。どちらが上とかではありません。唯物史観というイデオロギーに支配されていないんじゃないかなぁ。その『カムイ外伝』、本年喜寿の白土三平(しらと・さんぺい1932-)は「作・構成」に名を連ね、画は岡本鉄二で、「ビッグコミック」に連載再開されました(「ついに9年ぶりに本誌登場」)。筆のタッチもコマ割りも擬音語も死体も女体も・・・私の知る白土ワールドです。「ちょっと違うなぁ」もありますが、それはもっと連載が進めば白黒がはっきりするでしょう。
「外伝」があればもちろん「正伝」もあります。『カムイ伝』です。web上であれこれ調べられますから、ご興味がある方は「カムイ伝」「白土三平」「赤目プロ」「ガロ」などをキーワードにご検索を。
この間『剱岳 点の記』を観に行った時、予告編で『カムイ外伝』をやってました。監督崔洋一、脚本宮藤官九郎+崔洋一で、佐藤浩市・小雪・土屋アンナが出て・・・となると、カムイ役の松山ケンイチが誰か知らないボク(恥)もぜひ観たくなる。ただ今公開中ですが、僕は観に行く時間が取れるかどうか。
『カムイ伝』では、「正助(しょうすけ)」や「草加竜之進(くさか・りゅうのしん)」や「ナナ」も好きですが、意外かも知れませんが、「夢屋七兵衛(ゆめや・しちべえ)」のファンです。

『カムイ外伝』の復活には田中優子(1952-。法政大学社会学部教授)の功績も大でしょうね。ボクは結局まだ読んでいないのですが、評価が高い田中優子『カムイ伝講義』(2008年。小学館)。江戸と言えば杉浦日向子(残念ながら故人)ですが、田中も江戸に精通し、お召し物も和服だそうです。田中のああいう講義を受けられた法政大学の学生諸君は幸せでしょうね。田中は広末保に師事したとのことですから、アカデミックにはもったいない人物かも^^。
『カムイ外伝』連載誌の「ビッグコミック」はもちろん『カムイ伝講義』と同じく小学館です。

連載誌「ビッグコミック」(300円?)は毎月10日・25日の発売(富山は1日遅れ?)です。買い漏らさないようにせねば。海外出張と重なった時は、誰かに購入方依頼しておこう^^。
コミック誌買うんは、レディコミ以来数年ぶりかもしれん(謎爆)。
[PR]
by tiaokumura | 2009-09-28 18:34 | | Comments(2)

ひもはやくれ われにがうりき めうがあり

朝6時半。自室から庭に降り立ち、みょうがが植わっている一画に向かう。腰をかがめ、食べ頃のみょうがを5つ6つと摘む。隣家からラジオ体操が流れる。
台所の流し台でみょうがの泥土を丁寧に落す。小皿に盛りラップをかけ、食せられるまでの半日間、冷蔵庫でお休みいただく。午後5時半、おもむろにグラスを取り出し冷凍庫に収める。夕食前は、ちょっと忙しい。みょうがを冷蔵庫から取り出し、柳刃で縦4つに切り分ける。切れ味が鈍い包丁だとみょうがの細胞がぐにゃぐにゃになる懼れあり。二皿に取り分けて食卓自席右手に。一皿には味噌を添え、一皿には鰹節をかける。程よく冷えたグラスを冷凍庫から取り出し、食卓の自席左手に置く。
わが家の夕食は午後6時過ぎ。口をあけてから冷蔵庫で保管している『強力』(ごうりき。鳥取県琴浦町の地酒。畏友宮崎健二君からいただく)を、グラスにとくとくと注ぐ。今宵の酒の肴はみょうが(とブリかま塩焼き)。味噌で食べ、あるいは鰹節・醤油で食べる。さくさくとした食感、口中に広がる爽やかさ、かすかに鼻孔をくすぐる芳香。このようにみょうががいただけるのは、そのような年齢に達したという証しならん。

富山県大山町にはみょうが寿しという佳品がありますが、みょうがは脇役食材でしょうね。みそ汁の具、薬味、味噌漬け、天ぷらなど。みょうがもそうですが、いちじく・なつめ・ぐみ・うど・ざくろ・くり・たらのめなども、加齢とともにおいしくいただける里の幸・山の幸。舌も「本卦還り」するものなのかもしれません。
大学のキャンパスの最寄り駅は地下鉄茗荷谷駅でした。何年間も利用してたのですが、あの当時はみょうがのことなんかほとんど連想しなかった。若かったんでしょうね。茗荷「谷」とは大仰なと思うが^^、かつてあの一帯は茗荷の群生地だったのかもしれない。近くに小石川植物園がありました(今もあるはず)。

みょうがって「食べると馬鹿になる」とかいう俗説のせいか、あるいは音の響きが悪いのか、詩歌類に取り上げられることがほとんどないですよね。こういうときに頼りになる林望『旬菜膳語』(2008年10月。岩波書店)にも見当たらないようです。同書で発見(僕が知らなかっただけかもしれない)。「芭蕉が元禄七年八月十五夜の折に、伊賀の庵で振舞をした時の、芭蕉自筆の献立が残って」(同書p.195)いて、同書に引用されている。それを見ると、吸物の中に「めうが」が出てきます(吸物のメインは「しめじ」)。芭蕉は同年10月12日(1694年11月28日)に没していますから、林が書くように「このキノコ尽しの献立(木くらげ・しめじ・松茸など-奥村)の風流は、なにやら物悲しく身に染みるよう」(p.197)です。芭蕉翁を想う時、富山県民としては少々胸が痛む。元禄二年七月中旬(西暦1689年8月下旬)に担籠(たご)の藤波を観に行こうとした芭蕉(46歳)なのですが、「一夜の宿かすものあるまじ」と越中人某に言い脅されたのですね。奈古・二上山・岩瀬野は訪れたのですが(『曽良随行日記』)、「翁、気色不勝」(同)はあながち暑さのせいばかりではなかったのかもしれない。まあ翁の急逝までそれから5年3か月ありますから、越中人某には何の罪もありませんが。「早稲の香や分け入る右は有磯海(わせのかやわけいるみぎはありそうみ)」。有磯海も万葉以来の歌枕です。

ひょっとして芭蕉にみょうがの句がないかネットで調べてみましたが、見つかりませんでした。ご存知の方、ご教示を。
芭蕉翁になり代わって(嘘爆)、駄1句。
ひもはやくれわれにがうりきめうがあり(日もはや暮れ われに「強力」「みょうが」あり)
調子に乗って^^もう駄1句。
あきのよひひんやりとろりいなたひめ(秋の宵 ひんやりとろり 稲田姫)
稲田姫(いなたひめ)』は鳥取県米子市の地酒。『強力』と同じく宮崎健二君よりいただいた。「あきのゑひ」(秋の酔い)でもいいかも(激爆)。

庭のみょうが、今日の午後刈り取りました。来夏にまたみょうがが食せるまでの辛抱です。おいしいものをいただくには「待つ」ってのも義務です。旬あってこその食ですよね。
夕食を終え、再び庭に降り立つ。虫の音、風のそよぎ-富山もすっかり秋の風情。今週土曜日は伊賀も東京(江戸)も平泉も大垣も大阪(大坂)も、そして富山も十五夜。
[PR]
by tiaokumura | 2009-09-27 19:51 | 美味録09年 | Comments(6)

続・持つべきものは友なり

f0030155_18135624.jpg
当ブログ記事に何度かご登場していただいている宮崎健二君(現在「がんぴ舎」社長)とは、1965(昭和40)年4月、僕が進学した大学の同じ専攻のクラスで出会った。爾来44年のお付き合いを願っているので、僕のこれまで生きてきた期間のおよそ7割を占めている計算になります。小林秀雄が青山二郎を評して「青山は天才だ、俺たちは秀才だが」とのたまったそうだが、それに倣って^^申せば「宮崎は天才以上だ、ワシは馬鹿だけど」とでもなろうか。こと改めて宮崎君についてここであれこれ述べるのはやめにして、一つだけ宮崎君と僕の「友情」エピソードを述べる。先日観たNHKドラマ『白洲次郎』中、戦災で焼け出された河上徹太郎夫妻が白洲次郎・正子宅(武相荘)に2年間居候する場面がありました。実は僕も、もちろん戦災ではありませんが浮世の不義理を重ねて(恥)住むとことてもなく、当時東京都東久留米市だったかに住んでいた宮崎君のところに居候させていただいた。ぐうたら男の僕は「居候3杯目はそっと出し」のヤドカリマナーも心得ず、1か月も経たないうちに追い出されてしまいましたが(激爆)。でも、宮崎君や哲ちゃん(当ブログのご常連)といった大学以来の友人、あるいはあれやこれやの人生往来で出会った男友達・女友達に、多くを学び裨益されたことを思い、感謝の念で一杯です。確かに自分はアホな人間なのですが、でも、そんな自分を承知の上で友達付き合いしてもらっている。

宮崎君から昨日、彼の地元の鳥取県のお酒が送られてきました。アップした写真左が「強力(ごうりき)」、右が「稲田姫(いなたひめ)」です。哲ちゃんならどういうお酒か説明できると思いますが、日本酒オンチなボクには化粧箱入りで送られてきた2酒に書かれている情報の引用だけでご勘弁いただきたい。
強力」は大谷酒造(鳥取県琴浦町。横綱琴桜って確か鳥取県出身じゃなかったでしたっけ)の純米吟醸。ラベルには、酵母は「協会9号」、原料米品種が「強力85%・山田錦15%」、精米歩合50%、日本酒度(+)5.5などの情報があり、杜氏氏名には曽田宏(出雲杜氏)とあります。
稲田姫」は稲田本店(鳥取県米子市)の純米大吟醸。命名の由来は出雲神話からのようです。「強力」ほど情報は得られないのですが、精米歩合38%とあります。ナポレオンのようなすりガラスボトル入りです。

宮崎健二君、ありがとう! 君がメールでご指摘のように、確かに僕は学生時代より酒が強くなった。日本酒の味わいなどわからぬ自分、ガブ飲みなどせず毎晩少しずついただきます。

ゼロ年代の初め頃だったか、朝日新聞だと記憶するが、鳥取の女性蔵人の西本恵美さんの言葉に感動し、今でも手帳にメモして折に触れ読み返している。西本恵美さんのその後は何も存じ上げないが、以下に西本さんの言葉を引用して当記事を終えたい。
自分の仕事は何百年も先人たちが続けてきたことのつなぎに過ぎない。悪い時代もあれば良い時代もある。そして良い時代が自分の時代でなくてもいい」。
[PR]
by tiaokumura | 2009-09-25 18:13 | 美味録09年 | Comments(0)

持つべきものは友なり

f0030155_1192465.jpg
富山国際学院では、外部授業も何箇所か担当している。先週の木曜日だったか、その内の1箇所からメールが届いた。いわばクライアントからのメールなので丁重に読んだところ、新型インフルエンザ対策についての文面だった。手短に言うと、新型インフルエンザが北陸地区でも大流行の兆しを見せている、ついては貴学院で消毒液を用意され当該教室に備えておいていただきたい、とのことだった。富山国際学院ではもうかなり前から消毒液(スプレーでシュッシュッとするタイプです)や体温計を常備しているのですが、予備はない。スタッフが急いで市内のドラッグストア数軒に買いに行ったところ、どこも売り切れ!だった。さぁ、困った。僕の危機管理能力が問われる場面。頭の中であれやこれやフラッシュバックのように「できること・できそうなこと」の手探り状態しばし。そして、まだほんの3か月前にお知り合いになったMさんのことが閃いた。Mさんは医療関係の方で、いつぞや新型インフルエンザ対策について懇切丁寧なメールを送ってくださった。確かMさんの別のメールでは、消毒液など備蓄していらっしゃると書いておられた。記憶アホな自分ですが、こういう危機になると、ドーパミンが働いて脳内細胞が活性化するんかもしれん(嘘爆)。で、図々しくもMさんにTELして事情をお話しした。ダメモトだったんですが、なんと!Mさんは快く手持ちの消毒剤などを送ってあげようとのありがたいお返事。5連休になるので連休明けに届くように手配してくださり、本日無事に届きました。アップした写真にある品々です。
速乾性手指消毒剤 ヒビスコール 5L
アルスフェイスマスク 50枚入り×4
外皮消毒剤 アルコット100 104枚入り×2
ヒビスコール小分けボトル

医療のことなんてとんと分からないボクですが(恥)、上記の品々、きっと素人のボクが簡単には入手できないものばかりだと思います。Mさんのおかげでピンチを脱することができました。ありがとうございました!
Mさんとはまだ「友だち」とまでは行っていないかもしれませんが、貴重な品々をお送りいただき、「持つべきものは友なり」って人生訓が脳裏をよぎりました。
WikipediaもGoogleもしばしば利用し貴重な情報も得ています。でも人的ネットワークが、いざという時には一番役に立つんでしょうね。ここ数年、ボランティア活動などを通じていろんな方と出会って、僕のヒューマン・リソース、ずいぶん構築されてきたと思う。どんなにPCが発達しようが、どんなにネットが進化しようが、最後は生身の人と人とのつながりですよね。

(追記
記事中「Mさん」としたのはMさんにご迷惑がかからないようにと考えてのことで、他意はございません。
[PR]
by tiaokumura | 2009-09-24 11:09 | 日本語教育 | Comments(2)

『美術館コンサート』、聴いて来ました!

午後3時15分頃、愛車で家を出る。途中、秋に予定している富山国際学院のスポーツ大会でお世話になっているKさん宅に寄る。その後、コンサートが何時に終わるかわからないので、最近お気に入りの「一龍」で中華そば(照)。
4時過ぎ、富山県立近代美術館。常設Ⅱで「シモン・ゴールドベルク生誕100年 音楽家からの贈り物」を鑑賞。ゴールドベルクのコレクション寄贈全19点。マリノ・マリーニ(1901-80。ジャコメッティと同年生まれのイタリア人彫刻家)の『小さな曲芸師』(1956)・『糸状の小さな馬』。ジャコメッティと一脈通じるところがあり、フォルムを極限まで追求している。パウル・クレー(1879-1940)は『遥か北の町』(1926)。知らない名前ではカンディンスキーに師事したというヘルベルト・バイヤー(1900-85)の『1966/39』(1966年の39番目の作品ってことでしょうね)など。ゴールドベルク、目利きだったんでしょうね、表現主義・抽象・具象、彼の人柄が偲ばれるコレクションです。常設Ⅳでは、瀧口修造コレクション「ミロと瀧口修造」特集。こないだゴーギャン展でポスターが貼ってあった慶應義塾ナントカって展覧会、瀧口も展示されるんでしょうね。お新香で何杯もお代わりできる人っていますが^^、僕はジャコメッティ『裸婦立像』とルオー『パッシオン』さえあれば富山に何年でも住めるので(激爆)、両作品も観て来ました。収蔵作品の質から見て富山県立近代美術館は日本国内TOP10に入る美術館です(って、僕だけが言うとるんかも^^)。ビュフェ(県立近代美術館では「ビュッフェ」と表示)の『闘牛士』、戻ってました。

中2Fの喫茶店でコーヒーを飲み(350円)、5時過ぎ、コンサートの長蛇の列に並ぶ。音楽(耳で聴く。音楽家の指遣いなんてド素人のボクが見たってようわからんし^^)だし、どうせたくさんの人だろうから、早くに列には並ばなかったんですね、僕。最後列、傾斜はないが天井桟敷みたいな席に陣取る。定員300名ってことですが、400人以上はいらっしてたんではないでしょうか。そのくらいの人数だと、狭い富山^^、知ってる方が一人くらいはいらっしゃるもんで、川田有紀子先生「華川会」でときどきご一緒する方がカップルでお見えになっていました。
ウォルター・ピストン(1894-1976)『ヴィオラとチェロのための二重奏曲』。ヴィオラ・菅沼準ニ、チェロ・花崎薫。作曲家も曲も初めてです(恥)。レオナード・バーンスタインはピストンの弟子だったそうです。
シューマン『ヴァイオリン・ソナタ 第1番 ヘ短調 作品105』。さすがにクラシックど素人のボク(恥)もこれは聴いたことのある曲です。ロマン主義ってこういう曲に具現されるでしょうね。ヴァイオリン・安芸晶子(エール大学でゴールドベルクと同僚だったそうです。パンフレットに「伝えたい『彼』の姿勢・音楽」を寄せられている)、ピアノ・ジョアン・バネッティ
ベンジャミン・ブリテン『幻想曲 作品2』。作曲家も曲もこれまた初めて(恥)。ベンジャミンは「日本の紀元2600年記念の式典音楽を委嘱されて『シンフォニア・ダ・レクイエム』を作曲したものの、日本政府によって演奏拒否された」(パンフレットより)そうです。イギリス人作曲家らしい曲でした。オーボエ・古部賢一、ヴァイオリン・安芸、ヴィオラ・菅沼、チェロ・花崎
3曲演奏が終わって、何回も拍手が鳴り止まなかったのですが、アンコールはありませんでした(泣)。イマドキはそういうご時世なのか、あるいは、無料でこんなすばらしいコンサートが聴けたのだから「アンコール」なんて「もってのほか」だったのか(激爆)。
演奏中にショッキングなことが何度もあった。フラッシュ撮影してる馬鹿者がいた。マナーという点ではワシも馬鹿でアホじゃけんど、もっとひどい人間がいました(メロスじゃないけど^^激怒)。

夏のボーナスも出とらんご身分なんにぃ(汗)、会場で『シモン・ゴールドベルクの遺産』(5枚組。EMI)、買っちゃいましたぁ。1932年ハイドン『セレナード』、1948年バッハBWV1042、1991年ドビュッシー『ヴァイオリンソナタ  ト短調』(ピアノ・山根美代子)などが収録と来た日にゃあ^^、ボクならずとも買いますよね。←と、いささか慰め口調かも(大汗)。明日からの昼食外食は、6枚持っている「お昼食券」(富山国際学院の隣りのビル内のレストランで使用可)で凌がなきゃあなるめぇ(激爆)。

9月27日の「チャペル・コンサート@立山国際ホテル・アルプスの星教会」のプログラムは、バッハ『ゴールドベルク変奏曲』(演奏は安芸・菅沼・花崎)・モーツァルト『オーボエ四重奏曲 ヘ長調』(古部・安芸・菅沼・花崎)ですって(もう1曲はシュトニケ『弦楽三重奏曲』)。「とほほ」ですよね。このコンサートに行ける幸運な方、ぜひ当ブログにコメントを!

(付記)今回の『美術館コンサート』については、当ブログこちらもご参照を。
[PR]
by tiaokumura | 2009-09-23 20:55 | 音楽 | Comments(4)

今夜も楽しみなTVドラマ『白洲次郎』

日本国史上初の^^シルバーウイーク、いかがお過ごしですか。祝日に挟まれた日は休みにするってんでしたっけ、オセロゲームみたいな発想(爆)でできた「国民の休日」。次回のシルバーウィークは6年後だそうです。6年後・・・う~ん、遠い目です(爆)。
5連休前の金曜日、富山国際学院の各クラス担当者にお願いして、連休中の注意事項を話してもらい、併せて僕のケータイ番号も学生に周知するよう頼んだ。長期休み中は僕のケータイ、110番役なんですね(激爆)。学生に危機が訪れた際は、たとえ火の中水の中、いかなる修羅場にも飛んでいこうと、これはまぁ気持ちだけですが^^、富山国際学院トップの務めと心得て(あきらめて?^^)います。「富山国際学院のごくせん」かも、自分(嘘爆)。まあ幸い今のところはな~んにも起きてませんが。

連休中もお仕事に従事されていらっしゃる方には申し訳ありませんが、僕は割りとのんびり過ごしています。
NHKも粋な番組編成をするものです。シルバーウィーク中に3夜連続のNHKドラマスペシャル『白洲次郎』白洲正子(1910-98)のことは以前から名前くらいは知っていましたが、白洲次郎(1902-85)のことは生前はほとんど知らず、皆さんもそうでしょうか、10年ほど前からの「白洲次郎ブーム」で「日本にもすごい男がいたもんだ」という認識に至った。白洲次郎「関連」本はあまたあるようですが、彼の肉声が読める『プリンシプルのない日本』がベストでしょうね(他に平凡社コロナ・ブックス『白洲次郎』も入門書として最適)。同書、僕は新潮文庫本で持ってるのですが、辻井喬が「プリンシプルのあった人」を書き、青柳恵介が解説を書いています。
第1夜「カントリージェントルマンへの道」(再放送)はオンタイムで見ました。第2夜「1945年のクリスマス」(再放送)はリアルタイムで見られず、昨夜初めて見た。
このドラマ、神戸の教会での「イエスはん、わてのこと好いてはる」(だったか)の関西弁の讃美歌の場面、次郎がケンブリッジで指導教授から手厳しい批評を受ける場面、次郎と正子の「お見合い」場面、次郎が薩長を批判して正子に”Shut up!”と引っぱたかれる場面、正子が緋袴をつけて仕舞を演じる場面、次郎が他の日本人の誰よりも早く空襲・食糧難を予測して鶴川村に疎開する場面、次郎と近衛文麿・吉田茂との交流場面、次郎がマッカーサーに「日本は確かに戦争に負けたが、奴隷になったわけではないっ」と啖呵を切る場面などなど、印象に残る名場面の数々。
ドラマを見る前は「伊勢谷友介、who?」だったのですが(僕の場合、『大地の子』の上川・『蝉しぐれ』の内野もそうだった)、今こうして見ていると伊勢谷以外に白洲次郎役はいないだろうというくらいの適役。朝日新聞のドラマ評「サブch.」で柏木友紀が以下のように書いていました(「白洲次郎像、見事に醸成」)。
・・・伊勢谷友介は、前2話に比してはるかに奥行きを感じさせ、えぐみと渋みが溶け合って甘さも感じさせる当たり年ワインのよう。白洲の具現化として、後世までイメージが残るに違いない。
すっごい褒めようですね^^。今夜の第3話「ラスプーチンの涙」が楽しみです。

第2話で青山二郎(1901-79)が出てましたね。小林秀雄も出てたみたいですが気がつかなかった。で、青山二郎役は歌舞伎役者が演じてますが、僕には「外れ」のような気がする(TV桟敷の勝手な批評です、市川亀治郎ファンの方はお気になさらぬよう)。青山二郎はオーソン・ウェルズ(1915-85。映画監督。『市民ケーン』『審判』など)のイメージです、僕は。2人の顔、よく似てます! 正子が購った骨董品について青山にシドロモドロで説明して一喝される場面・青山がテーブルに酒をぶちまけて火をつける場面など、「史実」に基づいているのでしょうが、どうも僕には青山役の俳優が適役に思えない。青山二郎ってぇ人はもっとすごかったんじゃないでしょうか(小林秀雄曰く「僕たちは秀才だが、青山は天才だ」)。
ついでに勝手なTV桟敷評を続けると、中谷美紀(白洲正子)・奥田瑛二(白洲文平)・原田美枝子(白洲芳子)・石丸幹二(牛場友彦)はぴったし、岸部一徳(近衛文麿)はもうちょっと(細川元首相が最適役かも^^)で原田芳雄(吉田茂)は気品より乱暴さに傾きすぎなような気がする。高橋克実(辰巳栄一)はわからない。今夜の第3話では松本蒸治(幣原内閣国務相)・永野重雄(日本製鉄)も登場するそうです。鳩山一郎とか池田勇人はどうなんだろう。

principle」、日本語では原則とか原理の訳が当てられるのでしょうが、手元のOXFORD REFERENCE DICTIONARY(1986)では6つの定義が出ていて(p.661l)、
1.a fundamental truth or a general low or doctrine that is used as a basis of reasoning or action.
6.a fundamental source, a primary element.
とのことです。
白洲次郎は「プリンシプルのない日本」(「諸君!」1969年9月号。『プリンシプルのない日本』所収pp.216-231)で「私は・・・戦後は永久に続くという考え方だ」とし、「新憲法なりデモクラシーがほんとに心の底から自分のものになった時において、はじめて『戦後』は終わったと自己満足してもよかろう。」と述べている。「政権交代」とやらの今の文脈に次郎の発言を置いてみると、発言の重みをひしひしと感じます。
今夜の第3話では日本国憲法制定が出てくるが、白洲の日本国憲法観を、長くなるが以下引用しておく。
新憲法のプリンシプルは立派なものである。主権のない天皇が象徴とかいう形で残って、法律的には何というのか知らないが政治の機構としては何か中心がアイマイな、前代未聞の憲法が出来上がったが、これもズブの素人の米国の法律家が集ってデッチ上げたものだから無理もない。しかし、そのプリンシプルは実に立派である。マックアーサーが考えたのか幣原総理が発明したのかは別として、戦争放棄の条項などその圧巻である。押しつけられようが、そうでなかろうが、いいものはいいと率直に受け入れるべきではないだろうか。(pp.225-226)
いいものはいい」なのですね。因みにご本人は触れていませんが、英文のsymbolを「象徴」と「翻訳」したのは白洲次郎だそうです。

今月は池澤夏樹のゴーギャンを観、『官僚たちの夏』もちょっと観て、『白洲次郎』を3話観る。TV視聴時間、今月は8時間以上になりそうです。こんなにTVを見るのは今年初めてかも(照)。自室の1995年製のmaruman社のTV受像機、ガンバっています(爆)。まだまだ持ってもらわんならんこのTV、デジタル化なんて嫌いだぁ。貧乏人泣かせの企みじゃないかしらん、地上デジとかは。

(9月24日・追記)
Wikipedia白洲次郎の名言の数々を読むことができます。Wikipediaによると、マッカーサー相手の啖呵は
「われわれは戦争に負けたのであって、奴隷になったのではない」(Although we were defeated in war, we didn't become slaves.)
です。本記事で僕が引用した言い方はやや違っていたような気がしますので、正確なところをここに追記しておきます。
[PR]
by tiaokumura | 2009-09-23 14:09 | このブログのこと | Comments(0)

2009年9月20日、東京滞在17時間(下)

9月20日(日) 午前11時半頃、東京国立近代美術館を出てシャトルバスで東京駅へ。中央線で新宿に出て、小田急線で下北沢。やっぱ方向音痴なんですね、ボクって(大恥)。何度も訪れているカフェカナンへの道がわからず、何回か店主の研次にTEL。かの本多劇場からほんの1分のところにあるカフェです。約1か月ぶりのカナン。「富山で一番おいしい」(ってことは「世界で一番おいしい」ってことです^^)小林のます寿しをお土産に渡す。『コースト・オブ・ユートピア』(蜷川幸雄演出。シアターコクーン)などの話。おいしいコーヒーをいただき、向かいの中華料理店で食事。ケータイがキレそうなので、カナンのカウンターのところのコンセントに差し込み充電させてもらう。

下北沢から井の頭線で吉祥寺、吉祥寺から中央線で東小金井、東小金井からタクシーで多磨霊園。本当はこの23日が林玄さんの祥月命日なのですが、都合がつかないのでこの日墓参。門近くのふじ家石材店で供花・線香を買い、お墓までの地図をもらう。
空は雲一つない青空。途中、阿南惟幾(あなみ・これちか1887-1945)の墓。お若い方はご存知ないでしょうが、敗戦の日の未明、「一死以ツテ大罪ヲ謝シ奉ル・・・」の遺書を残して自刃した陸軍大臣です。現在彼はどのように「評価」されているのでしょうか。
一人で来たので心配だったが、幸い迷うことなく「林家之墓」の前に。しばし、墓中の林玄さん(享年88歳)に語りかける。林玄さん(僕の在職時は社長)のことは、当ブログ、こちらなど。

ふじ家石材店でタクシーを呼んでもらい国分寺へ。南口から歩いて林家へ。道が心配だったのですが、過去の記憶などたどりながら、こちらもほとんど迷わずに行けました。東京時代の最後、僕は国分寺北口の本多町でアパート生活をしていて、約1年、コーヒーの勉強で林家に通っていた。
林秀子夫人ご在宅。小林のます寿しをご仏前に供えお参り。なんとなく禅宗かと思ってたのですが、林家はうちと同じく浄土真宗でした。秀子夫人と、昔話・たれかれの消息・美術や音楽の話など、約1時間半語らう。林玄社長にも秀子夫人にもボクはお世話になりっ放し。ご恩のあるお二人です。

林家を辞去し国分寺駅へ。途中「ほんやら洞」の前を通る。お店、けっこう込んでました。国分寺から吉祥寺に出て、吉祥寺から下北沢。下北沢は人気のある街なんでしょうね、若者中心にいっぱいの人・人・人。カナンでこの日2回目の^^一休み。充電が終わったケータイをもらって、6時半頃お店を出る。

下北沢→新宿→池袋。
新文芸坐。この日フリッツ・ラング『死刑執行人もまた死す』を上映で、それを観る(800円)。
フリッツ・ラング(Friedrich Christian Anton “Fritz” Lang1890-1976)はジャン=リュック・ゴダール『軽蔑』(原作アルベルト・モラヴィア)に出ていて知った。ゴダール(Jean-Luc Godard1930-)は、映画の先輩としてラングをイマドキの言い方で言えばリスペクトしていた。ラングは『軽蔑』の中で商業主義に堕落した映画界について語っていたか。『軽蔑』にはブリジット・バルドー(愛称B.B.ベベ)が出てた。ベッドで全裸(ただし後姿)の妻カミーユ(B.B.)が「わたしのどこが好き?」と夫ポール(ミシェル・ピッコリ)を問い詰める。『ゴダール全集第1巻』(竹内書店)に『軽蔑』のシナリオが収められていたと思うけど、本棚のどっかにもぐりこんでて見つけられないが、だいたいそういうシーン。妻と夫の関係がこの映画のモチーフの一つ。妻にとって俗物主義の夫は「軽蔑」すべき存在だったのでしょうね。でもフツーの夫(男)にしてみれば、あんなすてきなお尻のベベに問い詰められても、妻の期待に添える答えようなんてないでしょうね(爆)。
フリッツ・ラングを『軽蔑』で知って、その後、京橋のフィルムセンターでドイツ映画特集があったとき、彼の名作『ニーベルンゲン(Die Nibelungen1924)』『メトロポリス(Metropolis1927)』『M(M1931)』などを観た(記憶違いもあるかも)。
ラングはドイツで名作を何本も撮っていたのですが、ユダヤ人だったためフランスから更にアメリカへ亡命。『死刑執行人もまた死す(Hangmen Also Die!1943)』は彼のハリウッドでの作品。ベルトルト・ブレヒトが脚本に参加している。今回の新文芸坐では134分の完全版での上映。映画の舞台はナチス支配下のプラハ。ゲシュタポはドイツ語、プラハ市民は英語の映画。ナチス高官の暗殺をきっかけに、ゲシュタポによるプラハ市民(とりわけレジスタンス)への厳しい探索が続く。フィルム・ノワール系になるのでしょうか、ハラハラドキドキの展開で途中飽きるということのない映画でした。

池袋東口23:00発の夜行バスで富山へ帰る。
[PR]
by tiaokumura | 2009-09-22 10:50 | このブログのこと | Comments(6)

2009年9月20日、東京滞在17時間(上)

9月19日(土)、富山発23:01急行能登に乗車。夜行列車って言い方しなくなったんでしょうが、能登は北陸(こちらは寝台車。自分の結婚式の後、翌日の羽田発千歳行きの飛行機に乗るために利用した。「初夜」が寝台列車だったんですね、ボクって^^)と並んで、北陸線の現存する唯2本の夜行。そしてこれまた北陸同様、数少ない東京(上野)直行でもある。車中、数独(最近またほぼ毎日取り組むようになりました。中毒気味^^)・缶ビール(「秋味」。昔アメリカ人男性に日本語を教えていたとき、彼から「おいしい」と教えてもらった)。夜行バスと違って電車は明るいのが難点ですが、アイマスクをかけて夢路に。みどりの窓口で「連休中なので込んでいるかも」と言われて指定席にしようか迷った。でも、自由席、ガラガラでした。4人掛けを利用してベッド代わりにして眠る。

翌朝6:05上野着。山手線で東京駅へ。駅のトイレで洗面、構内の飲食店で大江戸そば。お店の人に「日本橋口」を尋ねる。「八重洲口」はよく聞くけど、日本橋口ってわからなかった(恥)。でも日本橋口に出たら見覚えのある光景だった。以前「オリオン」って夜行バスで上京した折、ここが終着だったんですね。駅前にいた係員にゴーギャン展のシャトルバスの乗り場を教えてもらう。だが、始発にはまだまだかなり時間がある。どうしようかと思いながら東京駅を出たところでタバコを吸ってたら、50代?の女性が「ここでタバコを吸っていいんですか」と聞いてきた。叱られるのかと思いきや、彼女もタバコを吸いたかったのだが禁煙区域になっているのではないかと思ったらしい。禁煙かどうかお上りさんのボクにはわからない。僕はいつも携帯灰皿も持ち歩いていて、まわりに人のいないところで吸うのは構わないと思うのだけど、どうなんだろう。名古屋駅前もそうだけど、病的なまでに日本全国禁煙拡大中。タバコのみとしてはいやな時代である。周囲に人がいない広い空間だったらタバコを吸ってもいいと思う。愛煙家の勝手な言い草か。
東京駅、時間がまだたっぷりある。日曜日なので築地へ行ってもダメだろうと思い、山手線1周半。いつも思うが、東京というところは電車でも街中でも、長身颯爽イケメン・ファッションセンス抜群シニア男性・ドキっとする美少女・目が覚めるような美女・立ち居振る舞いが只者ならぬおばあさんをよく見かける。日本全国どこでも、そのような層は一定割合で存在するものだろうが、東京は人口密度が高いせいか、半日もいれば合計20人くらいには出くわす。反して××や×××(特に名を秘す^^。日本の大都会の中の2都市)ではあまり見かけないのは、この2都市の成り立ちの歴史から来るのだろうか。××と×××の両都市は大都市としての文明機構は有していても、文化を尊重する気風に欠けているのかも。両都市とも食文化が不毛な点も共通している。

ゴーギャン展。東京から丸の内線で大手町に出、大手町から東西線で竹橋。大手町の長い通路はうんざり。東京駅から大手町まで歩いたほうが良かったくらい。
9時過ぎ、東京国立近代美術館。前売り券は持たないので、当日チケットを買うための列に並ぶ。50人目くらい。9:50頃、売り出し開始。人は多いことは多いが思っていたほどの人数ではない。チケットを購入し、入場の列に並ぶ。あまり待つことなく入場。ここでオクムラ君はいいアイディアを思いついた。「たぶん展示は編年順だろう。ゴーギャンの作品が全て傑作であるはずはない。でも人は展示順に観ようとするだろう。よし、真っ先に『我々は~』のところに行こう。きっとまだそこは人が少ないだろう」ってアイディア。展示は第1章・第2章・第3章の構成。そして僕の予想通り、第1章は既に人ごみ・人だまりあちこち。そういった部屋を足早に突っ切って第3章の展示ルームへ直行。ありました!、『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』。観客はまだ30人程度。ゆっくり観られました。大作から3mくらいの至近距離で、細部まで脳裏に刻み込むような感じで勢い込んで観ました。ボストン美術館なんて僕には行けっこないから、これが最初で最後の『我々は~』とのご対面。
それから第1章に取って返し、人いきれの中で観てまわる。第2章・16のところにあるべきはずの『かぐわしき大地』がない。係員に聞いたら、8月30日まで展示し引き揚げたとのこと。大原美術館にしてみれば自分のとこの「目玉」だから、「そんなに長いこと貸してあげられないよ」ってことでしょうか。大原美術館で観ているから、まぁいいけど。
[PR]
by tiaokumura | 2009-09-22 10:37 | 美術 | Comments(2)