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異国の地で読みたい本(1)

選挙特番見過ぎで、今日は寝不足諸氏が多いことでしょうね^^。それにしても戦前のマスメディアの予測的中なんでしょうが、Wスコアどころかトリプルに近い民主vs自民ですもんね。前回は「郵政」、今回は「政権交代」と、オセロゲームの一着手で一挙反転を見る思いです。二大政党制が成熟するまでにまだ2回くらいの総選挙が必要なんでしょうね。今は、小選挙区制がファッショの温床にならないように祈りたい。
民主党に投票された皆さんは性急に結果や利益を求めず、ここはじっくり民主党を育ててやろうという意思表示をされるといいのでは。民主党の代議士は身が引き締まる思いでいるでしょうが、100日後「民主党を選んでよかった」と支持者に思っていただけるようにマニフェスト実現の努力を。そして、やはり気になるのは小沢”選挙上手”の動き。この後、自分の思うとおりにならんからと言って、小沢グループを引き連れて分党=政界再編成なんてならないといいのですが。数でいけば、小沢グループ+自民党半分=200超え可能ですもんね。
当ブログ、相本記事のせい?でしょうね、先週今週とアクセスが通常の倍以上の日も(いつもは1日100くらい)。そして今日に到っては一日アクセスの新記録達成(これまでは557だった)です。明日からはいつものペースに落ち着いてくれるとありがたい。

今日の記事のメインは選挙ではありません(汗)。
秋の海外出張のプラン、先週地元の旅行会社のAさんにお願いしました。10月に1回、11月に2回、僕は異国の地で過ごすことになります。
僕が外国に初めて行ったのは2000年8月のパリ旅行。妻と二人っきりでパリの街を散策した、死ぬまで思い出に残る海外旅行です。あとは中国4回カトマンズ・バンコク・ハノイ1回、計5回の海外出張。パスポートのスタンプ、20以上になっているでしょうか。僕の10年パスポートは来年更新になります。

海外出張では現地で通訳の方もお願いしますが、旅慣れない身としては、日本語がほとんど通用しない飛行機内・到着空港・現地プライベートタイムなど不安がいっぱい。そんな旅先で心を休めるために、今回は何冊かを持っていこうと思います。無論これまでも旅行カバンに本を忍ばせてはいましたが、今秋は意識して本を選択し、異国の地にあってある時は眠れぬ夜のホテルで・ある時はカフェの片隅のテーブルで・ある時は子どもたちの声がする公園で・ある時は初めて食する料理が運ばれてくるのを待つ合間に、持参した本を読もうと思う。
出発までの間、さてでは何を持参するか、あれこれ思案するという人生の楽しみが一つ増えました。

あまり重くないってぇのが海外持参の条件の一つでしょうね。ここで「重くない」ってのは、目方と内容の深刻さの両方の「重さ」です。じゃぁエンタメ系がいいかと言うと、それはない。異国の地で万が一ボクが没することがあった場合、カバンの中身って絶対チェックされますよね、「念のため」とか言われて。そんな時に変なモノがカバンの中に入ってたら、「日本人」の一人として恥ずかしい限り。エンタメ系が悪いってぇんじゃないのですが、「そっか、この日本人、こういうすばらしい本を読んでたのか」と思われるほうがカッコいいじゃありませんか。ん、ワシってええカッコし?

今日現在考えているところでは、夏目漱石『夢十夜』、森鷗外『阿部一族』、中島敦(昨日の朝日新聞に川村湊『狼疾正伝』の阿刀田高による書評が出てました)、『徒然草』、『奥の細道』、『風姿花伝』、本居宣長『うひ山ぶみ』、宮本常一、永井荷風あたりが「候補作」です。確かいずれも文庫本で入手可能なはず。海外出張の荷物はスーツや仕事関係の書類で重くなるので、本は文庫本(か新書本まで)が一番です。また、初めて読む本よりは再読・三読・四読・・・を選んだほうが、非日常の世界で神経をすり減らす海外では無難でしょうねぇ。
「数独」も今回の海外出張のお供をします^^。

まだ先の海外出張ですが、本選びが楽しみです。あと、出発まで新型インフルエンザにかからんようにしとかなきゃ^^。
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by tiaokumura | 2009-08-31 20:05 | 海外出張09余録 | Comments(4)

小西弘通先生「富山”観世塾”」

還暦過ぎて「趣味は何ですか?」と問われても言葉を濁すしかない寂しい^^人生。無芸中食男なんですね、ボクって。で、一念発起ってぇな大袈裟なことでもないのですが、今年1月だったか地元紙の北日本新聞に出てた記事で「富山”観世塾”」を知り、2月から受講しています。講師は小西弘通先生。同塾案内ちらしに拠れば小西師は、「観世流シテ方 富山松友会顧問」という肩書。「重要無形文化財総合指定保持者・能楽協会 大阪支部常議員」も。
先月はイベント参加で欠席したので、今回で2月から通算6回目の受講ということになります。
昨日8月29日(土)、11時過ぎに家を出て、富山駅前CiC3Fの富山市民国際交流協会に立寄る。銭輝老師に仕事のことなどでアドバイスをいただく。話し込んでしまって気がついたら12時15分過ぎ。能楽堂に行く途中で食事する時間もなく、途中コンビニでおにぎりでも買ってと思ったのも叶わず、結局昼食抜きで能楽堂に入る羽目に。とほほ。

小西弘通先生「富山”観世塾”」8月の3曲は、『経正』『班女』『玄象』。今回の小西師は、「経正(幽霊・魄霊)」「花子(狂女)」「尉(翁)・村上天皇」。わずか3時間の間にこれだけの役を演じ分けられるのだから、プロだから当たり前と言えば当たり前なんでしょうが、すごいことです。

経正』。この講座は受講生が25名くらいなんですが、人気がある曲なんでしょうね、地謡などに10人くらいがご参加。いつも横に座っていろいろ教えていただいている富﨑茂樹さんも参加された。
平経正は「一の谷の軍破れ、討たれし平家の公達」の一人。彼は仁和寺で成長し琵琶をよくし、同寺の守覚法親王より琵琶の名器「青山」を与えられる。しかしながら時は平家に利あらず、都落ちする経正は仁和寺に立ち寄り青山を返す。平家一族は源氏の勢いに西へ敗走、哀れ経正は一の谷で討ち死に。やがて法親王の命により経正法要が仁和寺において執り行われる(ここからが能『経正』)。その場には青山も供えられる。そこに現れる経正の幽霊。「亡者も立ち寄り燈火の影に 人には見えぬものながら 手向の琵琶を調むれば」(『大成版 観世流初心謡本 中』「経正」六丁オ。以下同じ)、「あら面白の夜遊や」(七丁ウ)。だが名手が名曲を琵琶で弾ずるのも束の間。「また瞋恚の起る恨めしや」(八丁オ)、燈火の下で戦時の修羅の苦しみに襲われる経正。法要の燈火は経正にとっては地獄の業火になるのでしょうね。「燈火を吹き消して暗まぎれより 魄霊は失せにけり」(九丁オ)。
正直言うと、アホなボクは、『経正』がどうしてこんなに人気があるのかよくわからない。判官(敗者)びいき・夭折者への慈しみといった日本人の心性からなのだろうか。あるいはこの曲が、アリストテレスのいう「カタルシス」をもたらすからなんだろうか。一度舞台での演能を観て確かめたい曲です。

班女』。初めて聞く曲です。世阿弥作の狂女物。『経正』とは対照的に今度は女性がたくさん参加されました。『隅田川』もそうでしたが、女性に人気のある曲なんでしょうね。
この曲が終わって、恐れ多くも畏くも^^小西師からお声をかけられました。ちょうど休憩に入ったので、小西師の前でいろいろレクチャーしていただきました。この塾では毎回3曲選曲なんですが、これまでは平家や八大集や中国古典などの典拠・引用曲が多かった。『班女』で(たぶん)初めて『源氏物語』が登場。「折節黄昏に」「惟光に紙燭召して」(『班女』十二丁ウ)など、「夕顔」の巻です。昨年(「源氏物語千年紀」)、NHKTVで山口富蔵さん(京菓子司末富社長)が源氏物語夕顔巻をベースにした和菓子を創作されるドキュメンタリー番組を見たのを思い出しました。もちろん能には源氏に取材した名曲も何曲もあります。
先生から意外なことを教えていただいた。『隅田川』は『班女』の続篇のような関係にある-つまり、契りを交わしてから別れ別れになっていた二人が京で再会しハッピーエンドで終わるのが『班女』で、二人の間の子どもが『隅田川』の「梅若丸」とのことです。家に帰って『隅田川』を広げてみたら、確かにありました。ワキが梅若丸からの聞き取りについて語る詞に「我(梅若丸)は都北白河に 吉田の某と申しし人のただ一人子にて候が 父には後れ母ばかりに添ひ参らせ」(同書九丁ウ)。それにしても、契りを結んだ女を狂わせ、自分は早死にして一人息子を人攫いに連れて行かれるなんて、吉田少将って男は罪作りな男です。古典にそんなこと文句言ってもしょうがないんだけど(激爆)。

玄象』。これも初めての曲。この曲の鑑賞に際しての基礎知識として2つあるといいでしょうね。①村上天皇。醍醐天皇の子。醍醐天皇の「延喜の治」は日本史の教科書にも出てきますが、村上天皇も父と同じく親政を目指し「天暦の治」。末裔は「村上源氏」ですね。『玄象』との関連では、村上天皇は琵琶の名器「玄象」のコレクターであり自らも琵琶の名手。②『経正』に登場する「青山」、それから「玄象」「獅子丸」は唐伝来の琵琶の3大名器。いわば琵琶のストラディバリウスです。
藤原師長は当代きっての琵琶の名手。日本ではもう学ぶことはないと思い、琵琶の先進国・唐に渡ろうとする。今だったらジュリアード音楽院留学みたいなことでしょうね。彼は須磨で老夫婦の塩屋に一夜の宿を取る。師長は請われるままに琵琶を弾くが、それを聴く老翁の振る舞いに師長は只者ならぬ気配を感じる。「名人、名人を知る」といったところでしょうか。やがて老夫婦の琵琶・琴の合奏に驚嘆する師長。実はその翁こそ村上天皇であり、師長の渡唐を思いとどまらせようとして現れたのである。師長は、村上天皇から海中に沈んでいた獅子丸(村上天皇が下界の竜神に命じて持って来させるってぇのですから、スケールのでかい話です^^)を授けられ、秘曲を伝授される。

今回、松下覚さん(富山松友会会長)から来年もこの塾が続くというアナウンスがありました。仕事もあるので毎回参加は無理ですが、来年も受講しようと思います。そして、来年の6月頃には「地謡」で参加できたら-と夢見ています。それまでは聴くだけ・インプットだけです、受講っても(恥)。
「還暦後の手習い」ですが(照)、「趣味は謡です」と言える日がいつか来ますように。
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by tiaokumura | 2009-08-30 15:28 | 謡を習う | Comments(0)

「集団読書テキスト」シリーズを推す

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8月11日、東京駅で上越新幹線乗車待ちの間、駅構内にある榮松堂書店に立寄った。特にお目当ての本もなかったのですが、2冊購入。その内の1冊が村上春樹『沈黙』。見慣れない装丁の本で、社団法人全国学校図書館協議会というところが出している「集団読書テキスト」第Ⅱ期の1冊だった。同書、編者は「全国SLA集団読書テキスト委員会(本巻担当 千國徳隆)」。本文前に村上春樹写真・20行の村上春樹紹介があり、本文(30ページ。総ルビではないが、読み仮名は多目)が来て、本文後に「注解」(「オピニオン・リーダー」「悼んであまりある」「煽動」など本書の場合は全部で16例)が付き、そしてそのあとに「村上春樹の年譜」(1949~2007年までカヴァー)が付くといった構成。定価はなんと184円!(税別)。
これは僕の「推測」なんですが、このシリーズって、「朝の読書タイム」でしたっけ?、始業前か始業直後にクラスで読書をするって活動、その活動のために開発された教材なのかなぁと思う。違ってたらごめんなさい。低料金、簡にして要を得た著者紹介・注解・著者年譜は、僕にそんな推測をさせました。
こういうシリーズに接することができる中高校生(あるいは小学高学年も読めるか?)は幸せだと思う。学級文庫などでぜひ読んでほしい。あるいは、お小遣いを握り締めて本屋さんに行って、シリーズ中から1冊または数冊を物色する喜び・悩みを経験してほしい(でも、地方の本屋さんには置いてないかなぁ。学校で注文できるのかも)。いやいや、僕が知らないだけで、このシリーズ、もう何年も前から「中高校生」は日常的にフツーに接しているのかもしれませんね。僕が目にしたのは榮松堂書店が初めてでした。

写真、博文堂さんにまとめて注文した9冊です。『高瀬舟』『鼻』『最後の一葉』『赤毛連盟』『首飾り』『黒猫』『藤野先生』は第Ⅰ期、石田衣良『夕日へ続く道』(石田衣良の小説はこれまで『シューカツ!』しか読んだことがない)、吉本ばなな『ムーンライト・シャドウ』は第Ⅱ期です。小説が多いですが、詩・ノンフィクションもあります。各書の構成は、上述の村上春樹『沈黙』と(たぶん)同じ。
これも僕の「推測」ですが、第Ⅰ期はクラシックまたはセミ・クラシック中心、第Ⅱ期は現代作家中心といった分け方でしょうか。Ⅰ・Ⅱ期とも、書名を見ると目利きの選び方になっています。

このブログに中高校生がアクセスしてくることはごく稀でしょうが、今回の記事は、そんな彼ら・彼女らに読んでほしい本(シリーズ)を紹介させていただきました。
中高校生諸君! 奥村ジイちゃん^^にダマされたと思ってでもいいから、本シリーズ読んでみてね♪
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by tiaokumura | 2009-08-25 20:19 | | Comments(2)

ベティさんと約3年半振りに再会

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(8月23日午後・記)
7月11日の「日本語ボランティア登録者研修会」でお世話いただいた山﨑眞理子(やまさき・まりこ)さん(ゆうゆう)から、「夜久(やく)さんから『ベティさんが富山にいらっしゃる』という情報がもたらされた。ベティさんはぜひ奥村さんに会いたいとのこと」というメールが10日ほど前に届いた。ベティさんは僕の「自慢の教え子」のお一人。夜久さんはベティさんの富山での生活をサポートされていた方。
僕が最後にベティさんとお会いしたのは2006年3月12日。その日は富山国際学院での同僚の水野さん(現在はタイで日本語教師)・大岩さん(現在は結婚され増山姓)と一緒に、帰国されるベティさんの送別会。記憶アホのボクがようそんなこと覚えてるってとこですが^^、実はこのブログ、アーカイブにもなっていて、2006年3月12日に送別会の記事が4本アップしてあるんで、それでわかるんですね。

8月20日午後6時、富山駅前CiC1Fロビーで、ベティさん・増山さんと待ち合わせ。再会のハグ(&キス^^)。歓迎会はどこがいいかなぁとしばし考え、富山駅前にある「ごんべい舎」にした。
最近の僕は、日々の営みにおける自分の立ち位置が、聞き上手・ファシリテーター・ホストといったあたりになるように努めている。ベティさんの歓迎会でもホスト役に徹しようと思った。いずれも故人ですが、菊池寛・白洲次郎・吉田健一・辻静雄といった方々はもてなし上手だったと思う。中には毒舌もあっただろうが、場を共有する相手が寛ぎ心を開くためのホスピタリティでは超一級の文化人たち。ボクなんかは遥かに及ばないが、遠くヨーロッパから懐かしい富山に来られたベティさんには、富山のおいしいものを食べ仕事の疲れを癒してもらうのが一番のおもてなしです。
かまど料理 ごんべい舎」はゲスト用にここ数年で何回か利用しています。1人5000円もあれば富山の海の幸・山の幸・里の幸それにおいしいお酒が堪能できます。ベティさん歓迎会当夜は、お刺身が白海老・バイ貝・甘海老それに昆布〆。更に、ぶり大根・すり身揚げ・釜揚げ氷見(ひみ)うどんも富山ならではの逸品。他に、これは富山以外でも食せるでしょうが、焼とり・牛スジ煮込み・サイコロステーキ・海の幸サラダ。地酒はベティさんは飲まないってことで某メーカーの全国区^^生ビール。

ベティさんが富山国際学院を卒業されたのは2004年3月になるのかなぁ。僕はその前の年にしばらく彼女に日本語を教えました。優秀なことはもちろんですが、ベティさんは大変な努力家であった。そりゃそうですよね、彼女にとっては初めはわけのわかんない漢字だったことでしょうが、めげることなく勉強された。僕がベティさんの担任だったある日、僕はベティさんに「ベティさんはとてもがんばっていらっしゃるけど、富山国際学院在学中に日本語能力試験1級合格は無理。12月の日本語能力試験は2級を受験して高得点で合格してください」といったようなことを言った。ところが彼女は僕のその言葉を「非漢字圏出身のベティには日本語能力試験1級合格なんて一生無理」と受け取ったのですね。「誤解」です。でもベティさんは「なにくそ、1級に合格して奥村を見返してやる」と思われたんでしょうね、翌年(そのときはベティさんは富山県内の専門学校に在学中)みごと日本語能力試験1級合格。合格通知が届いたその日、彼女は僕にメール添付で合格証写真を送ってくれました。ベティさんの「誤解」を僕が知ったのは、ベティさんが専門学校を優秀な成績で卒業され、帰国の際の送別会(2006年3月12日)の場。ベティさんがそんな想いでいたなんて僕は全然想像してなかった。教師って恐い職業なんでしょうね。教師は学生をone of themで捉えがちですが、学生にしてみれば教師は時にはallな存在-そんなことも思った。
8月20日は上述のエピソードも含め、楽しく語らい楽しく食べ楽しく過ごしました。ベティさんに富山の食をおいしくたくさん召し上がっていただけたのも僕の大いなる喜び。
アップした写真、真ん中がベティさん、左が増山さんです。

記憶アホなんで違っとるかもしれませんが(汗)、ベティさんはチェコスロヴァキア(当時)で生まれたハンガリー人。現在はスロヴァキアで日系自動車メーカーに勤務されるかたわら、ご自身の会社を立ち上げ翻訳などのサービスを提供。「教え子」がこうして日本語を使って大活躍されているのを知ると、日本語教師冥利に尽きます。ともすれば落ち込みがちな今日この頃ですが(恥)、日本語教師を続けようという意欲・勇気が、ベティさんによって増幅されました。ベティさんに感謝!です。

右にもリンクしておきましたが、
ベティさんの会社Graciellaのサイトはこちら
ベティさんのブログ「舞妓さん♪」はこちらです。
皆様、どうぞご訪問を。どちらもみごとな日本語です。

ベティさん、もう帰国されましたか?
8月20日は久しぶりにお会いでき、楽しくかつ有意義に過ごせました。ありがとう!
また来年、ぜひ会いましょう!

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by tiaokumura | 2009-08-20 18:30 | 日本語教育 | Comments(0)

黒木和雄2作品@新文芸坐

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(8月23日午後・記)
8月17・18日と「日本語学校教育研究大会」に参加。2日目は研究発表・ポスター発表・新日本語能力試験説明など。
ここで00年代後半の日本語教育の流れを僕なりに概観すると、3つの特徴が見られる。①学習者の多様化に伴う教材・教授法の工夫(例えばweb活用など)、②学習者中心から更には学習者主体への展開(例えばピア・ラーニングなど)、③CEFRに刺激されての日本語能力測定評価の再構築(例えば日本語教育スタンダードなど)。僕のこの理解はたぶんそんなに的外れじゃないでしょうね。本当は、④日本語教師の労働環境の整備、なんてぇのも挙げられりゃいいのだけど、それは全くない(爆)。
十年一日のごとき授業をやっているボクのような日本語教師は、このままじゃ早晩「老兵」で終わっちゃうでしょうね。「日本語教育は英語教育の10年(20年?)遅れのコピーだ」という言い方もされ、それはそれで事実でもあるが(世界で最も発達しているのは何といっても英語教育)、しかし業界人^^としては日本語教育も進化し続けていると言いたい。そうですよね、ご同業の皆様?

8月18日夕方、池袋。大学時代以来の友人・哲ちゃんにTELで教えてもらった「とことん」に入る。ここ、池袋東口に昔からある「耕路」という喫茶店の近くです。お店に入ってから、「ああ、ここは哲ちゃんに連れてきてもらった」と記憶が蘇る。記憶アホなもんで、こういうことしょっちゅうです(恥)。福島地ビールの「ブラウンビア生」2杯、レバ刺し・とりわさ・おぼろ豆腐・子持ちししゃも・なんこつ唐揚。〆に「クセになる雑炊」、更にデザートに「バニラアイスクリーム」。何でもよう食う男っす、自分(照)。雑炊とアイスクリーム、熱いものと冷たいものを同時に急いで食べる。次に観る予定の映画の上映時間が迫ってたんですね。計画性のない男っす、自分(恥)。

富山に帰る夜行バスは池袋東口を23:00に出発する。それまでの時間をどう過ごすか考えて、今回は映画を観ることにした。富山の本屋さんに「ぴあ」を買いに行ったのですが置いてなかった。でもネットは便利ですね、音楽・演劇・映画・展覧会などあれこれ調べて、「新文芸坐」に観たい映画があった。
例によって方向音痴で「とことん」から「新文芸坐」への途中で迷って、公園にいた人に道を聞く。線路沿いからちょっと入った道の左に「新文芸坐」の入っているビルがありました。周りはフーゾクっぽいお店が多く、ちと恥ずかしかった(爆)。
受付で「シニアなんですけど、証明書なきゃダメですよね」と恐る恐る^^申し出たら、「かまわない」というお返事。ちょーラッキー♪。フツーの映画館なら4000円近く払わなきゃならないところを、1000円で2本観ることができました。逆に言うとボクは押しも押されもせぬ「シニア顔」ってことなんだけど。パッと見70代かもしれん、自分(激爆)。
黒木和雄(1930-2006)は『とべない沈黙』(1966年)で知りました。「六本木で遊んでる女の子」とかいう触れ込みの新人女優・加賀まりこのデビュー?作。東宝とのゴタゴタでATG(「アートシアターギルド」。新宿にあった。地下は蠍座だったか)で上映。黒木作品では他に『日本の悪霊』(1970年。観世栄夫・土方巽も出ていた)、『竜馬暗殺』(1974年。清水邦夫が脚本参加。原田芳雄・松田優作ら)なども観た。黒木和雄の「戦争レクイエム三部作」及び遺作の『紙屋悦子の青春』はいつか観たいと思っていたが、「新文芸坐」で2晩にわたって2作品ずつ上映された。4作品中僕が観たのは、『TOMORROW明日』(1988年。井上光晴原作。桃井かおり・南果歩・佐野史郎ら)と『美しい夏キリシマ』(2002年。柄本佑・石田えり・原田芳雄ら)です。『父と暮らせば』(2004年)・『紙屋悦子の青春』(2006年)は翌19日上映。

『TOMORROW明日』
最初のシーンは広島の小学生の男の子がカブトムシを捕まえるために木によじ登る。股をこすりつけながら登っている時に、「おちんちんが固くなった、なんか気持ちいい」と下で待つ友達に告げる。僕も含めて男の子なら誰もが経験する「性の目覚め」ってやつでしょうね。それから、市電や結婚式や別れなど、ごく普通の庶民の日常生活が丹念に描き込まれ、そして「明日」がやってくる。原爆がスクリーン一杯に炸裂して、映画は終わる。暗示された部分の重さに慄く。
『美しい夏キリシマ』
自分のせいで沖縄出身の友だちを死なせてしまったという想いから抜け出せない小林中学生・宮脇康夫(柄本佑が好演。明の長男ですよね)が主人公。いつ観てもすごい原田芳雄がここでも怪演(康夫の祖父役。原田は黒木作品の常連)。豊島一等兵役の香川照之(父は猿之助、母は浜木綿子。『剱岳 点の記』では宇治長次郎役)の石田えりとのSEXシーンもすごかった。8月15日敗戦。敗戦の報を聞く豊島一等兵のふてぶてしい表情、すっかり老け込んだ感じの康夫の祖父。最後、進駐軍に竹やりで一人刃向かって行く康夫少年。空はあくまでも高く青く、美しい夏。
フィルムの劣化が気になりましたが、自伝的要素の濃い黒木和雄2作品、約4時間堪能しました。

今回初めてだったんですが、池袋発の夜行バスを待つ間、「新文芸坐」で映画を観るのもいいもんだなぁと思った。
同映画館では9月に『緋牡丹博徒 お竜参上』『人生劇場 飛車角』『昭和侠客伝』などが上映されます。かつて池袋にあった「人生座人世坐」や「文芸坐」で友人たちと『網走番外地』『人生劇場』『昭和残侠伝』『日本侠客伝』『緋牡丹博徒』『宮本武蔵』などのシリーズをオールナイトで観ていた頃を思い出しました(照)。

(8月29日・訂正追記
哲ちゃんの当記事へのコメントを読むまで自分の間違いに気づきませんでした。「人生座」→「人世坐」の間違いでした。お詫びして訂正します。僕の勝手な記憶では、池袋の2つの映画館は、人生「座」と文芸「坐」だったように覚えてました。そのくらいはネットでちゃんと確かめられることだったのに、早合点でした。関係各位に陳謝です。哲ちゃんには感謝です。
哲ちゃんが同じコメントでご指摘のように、両館はかつて三角寛(みすみ・かん。「ひろし」とも。1903-71)が経営していました。「三角サンカ選集」(現代書館)の第十五巻は『人世坐大騒動顛末記』だそうです。
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by tiaokumura | 2009-08-18 20:20 | 映画 | Comments(6)

ロサ会館@池袋西口ロマンス通り

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(8月22日夜・記)
8月17・18日の「平成21年度 日本語学校教育研究大会」参加では、1泊するホテルをネットで探し、池袋西口の「池袋ロイヤルホテル」にした。B&Bで5500円。手ごろな値段でしょうね。
カフェ・カナン@下北沢鈴木健司さん(大原日本語学院)と店主の研次も交えておしゃべり。カナンを辞したのは午後10時過ぎだったか。それから参宮橋→新宿→池袋で、鈴木さんと池袋でお別れ。
池袋西口を出て、ふと思い立って「ロサ会館」を訪ねてみることにした。ここは僕の青春の思い出の場所の一つである。ロサ会館の5Fだったか6Fだったかにあった「エリート」というジンギスカン料理の店(「成吉思汗」の表記だったか)で僕は働いていた。今でこそジンギスカン料理店は都内に何軒もあるでしょうが、あの当時は珍しかった。どのくらいの期間働いたかはもう忘れたが、あさま山荘事件のときだから、もう37年以上前になるか。若い方にはご記憶にない事件でしょうが、「あさま山荘事件」の「TV生中継」は1972年2月28日で、累積視聴率は98.2%でした(『現代風俗史年表』河出書房新社に拠る)。
ロサ会館はあの当時と同じビルなんでしょうね。でももちろんテナントはすっかり変わっていた。「エリート」は台湾人が経営者で、その人にもマネージャーのFさん・チーフのKさんたちにもずいぶん可愛がっていただいた。同僚には中卒が多かったが、そんな「垣根」は気にせず男女とも遊んでもらった。騙されたこともあったけど不快な思い出ではない。半年位してだろうか、マネージャーから「ヘッドウエイター」を任じられ、黄色の制服から白い制服になったときは、みんな喜んでくれた。あのままあそこで働いていたら、今頃はどうしてたんだろう。生来の悪いクセなんでしょうね、結局ボクは長続きせず、やめてしまった。前後していわゆる「お水の世界」でもちょっと働いて、それは期間は短かったけど、人生経験としては大きな意味のある時代だったと思う。お姐さんたち(年下もいた)にいろいろ教わったりお寿司をご馳走になったりした。池袋は今はどうなんだろう、あの頃の西口はK組が強かったと思う。任侠道の生き残りみたいな人もまだ何人かいた時代。
ゲームセンターなんでしょうね、ロサ会館への若者の出入りを見ながら、上に書いたようなノスタルジーにしばし浸った(照)。

8月17日の宿泊ホテルは、東京芸術劇場(野田秀樹が芸術監督だとか)から少し先にあった。
ホテルの部屋のTVで、ウサイン・ボルトの100mをリアルタイムで見ました! すごすぎですよね。今回は北京と違ってよそ見なぞせず^^走り、9秒58。まさか僕が生きている間に9秒5台の走りが見られるなんて、全くの驚き。更に5日後の200mでは19秒19!ですもんね。ご本人には「不可能はない」なんでしょうが、人類のすばらしさ・すごさを実感させるボルトの100m・200mの驚異的な世界新記録です。ボルトは怪我さえなければまだ5年は選手生活を続けられそうですから、このあと9秒5の壁の突破や19秒0台なんてのもあるかもしれませんね。ボルトの「独走」だけではこれ以上の記録を伸ばすのは難しいでしょうから、二番手・三番手でボルトを脅かす選手が待望されます。
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by tiaokumura | 2009-08-17 22:50 | このブログのこと | Comments(0)

カフェカナン@下北沢

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(8月22日夜・記)
8月17・18日と
日本語学校教育研究大会
に参加してきた。
今年で第21回を数えるそうだ。僕はこれで3回目の参加になるだろうか。
僕が尊敬する野田尚史先生(大阪府立大学)に初めてお会いしたのもこの大会だった。

今回は、往復夜行バス利用、ホテルはネットで安くて良さそうなところ(そんなんあるんかしらん^^)を物色した。自腹ともなるとそういうもんですよね(爆)。
日曜夜22:50富山駅発。20分くらい遅れて池袋には朝5時半過ぎ着。丸の内線で銀座へ出て日比谷線乗り換え築地に。池袋から築地まで190円ってぇんですから、安いもんです。地下鉄初乗りは160円。これまた、田舎の交通機関料金を考えると驚異的。地方が加速度的に疲弊するのは無理からぬことだと、妙な納得。
築地では「もんぜき通り」に面した井上でラーメン(650円)の朝食。35年ほど前にコックをやってたとき、週に何回かアメ横にはピーナッツ・とチーズ、築地には牛肉と豚肉(合い挽き用)を買いに通い、月に1回は合羽橋に調理用具を買いに通ってました。その当時築地でよく食べたのが井上のラーメン。「築地でラーメン」なんてアホかいなと思われるでしょうが、あの当時は寿司を食うお金なんてなかったんですね(今もさほど変わんないけど^^)。で、もんぜき通りには他にもラーメン屋さんがあるのですが、僕の一押しが井上。朝からラーメンってぇのはシニアにはいかがなものかと思いますが(照)、何十年ぶりかで食べました。ご店主、(当たり前でしょうが)あの頃と同じ方でした。
築地から日比谷線で上野に出て、上野の長い通路をえっちらほっちら歩く。平日だからなんでしょうか、JR上野、通路に通勤客が整列してました。ボク、そんなこと知らんもんでうっかり割り込もうとしてしまった(照)。上野乗車の山手線で1周半。ビンボー人の生活の知恵かも、これ。上京の折にときどき山手線でぐるぐる回ってます。新聞読んだり読書したり居眠りしたり。お金があまりかからないヒマつぶし。
大会受付にほどよい時間に新宿下車。小田急線で参宮橋。大会会場は「国立オリンピック記念青少年総合センター」(略称「オリセン」)です。日本語教育振興協会(略称「日振協」)はよくここが会場になります。先日の日振協20周年もここでした。

日本語学校教育研究大会・1日目
ラウンドテーブルが3つで、「教えること・学ぶこと」、「学生支援・学校運営」、「市場調査・募集活動」。僕の思っている「ラウンド・テーブル」とは異なり、パネル・ディスカッションみたいな感じでした。他に、「日本留学試験『日本語』の改定について」。
昨年お世話になった鈴木健司さんをオリセン庭の喫煙所で発見(激爆)。昨夏、田舎者の僕が宿泊予定のホテルにどういったらよう分からんだところを、鈴木さんに助けてもらったんですね。その時のことはこちらの記事をご参照。1日目夜の交流会でも親しくお話しでき、鈴木さんをカフェ・カナン@下北沢にお誘いした。
写真はカフェ・カナンにて。右が鈴木さん、真ん中が店主の研次です。漢字で書くとすぐはわかりませんが、ダブル・ケンジですね(爆)。背景にあるのは『注文の多い料理店』のステンドグラス?です。男二人が料理店に入ろうとしている場面が描かれていました。

鈴木健司さま、今回もありがとうございました!
七夕みたいなお付き合いですが^^
来年もお会いしたく思っております。
お忙しい日々をお過ごしでしょうが、ご自愛のほどを。

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by tiaokumura | 2009-08-17 21:53 | 日本語教育 | Comments(0)

アジア太平洋戦争の敗戦から64年

1945年8月15日。この国が「終戦」と偽ったその日は、海外のほとんどの国々にとっては「戦勝記念日」「解放記念日」である。敗戦の翌年10月6日、僕は生まれた。「戦争を知らない子どもたち」の一人である。
幼児期、軍需工場の後なのだろうか、家の近くに異臭を放つ工場跡があった。
少年期、内戦下で洗脳され薬づけにされ子ども兵士にされることなく、チャンバラごっこに興じた。
中高校生時代、「受験」「交通」という名の戦争はあったが、戦火を逃げ惑うことはなかった。
おとなになって、徴兵も志願兵も無縁だった。
もっとおとなになって、生活に困らない程度の収入と帰る家を持った。
もっともっとおとなになって、勝者の側が垂れ流す「戦争生中継」をTVで見ていた。
永山則夫(1949年生。1997年8月1日処刑)にも森恒夫(1944年生。1973年元旦独房で自殺)にもなることなく、僕は平穏無事に人生を終えることだろう。
海の向こうではいくつもの戦争があった。僕たちは、60年以上戦争を体験しなかった人類初の世代になるのだろう。戦争を防ぐために努力したわけではなかったから、ただ運が良かったとしか言いようのない人生である。
現代史の文脈に即して言えば、東西冷戦が始まり日本はアメリカの強大な軍事力に庇護された、日本は朝鮮戦争・ベトナム戦争の「おかげ」で経済成長を成し遂げえた、アジア諸国が日本を受け入れ時には羨望してくれた。戦争を防ぐために努力したわけではなかったから、ただ運が良かったとしか言いようのない日本である。

『戦争を知らない子どもたち』

初めて聞いたときは、「なんてノーテンキな歌なんだ」と思った。しかし、上の世代からは「ワガママでこらえ性がない、簡単に逃亡する」、下の世代からは「理屈っぽいウザい、さっさと退場してくれ」と非難されても、この『戦争を知らない子どもたち』は世代を代表する歌でしょうね。ただし僕がカラオケで歌うことはない曲です。縁もゆかりもありませんが、北山修杉田二郎も同学年です。
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by tiaokumura | 2009-08-15 20:08 | このブログのこと | Comments(0)

安記@横浜中華街

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(8月14日午後・記)
8月11日午前、そごう横浜店でビュフェ展を観たあと、みなとみらい線で元町中華街駅に。
横浜で2泊もして中華街で一食もしないって変ですよね^^。この日の昼食は中華街で摂ることにした。「横浜中華街 街道指南」ってマップを広げて、どこにするか物色。この地図(発行は横浜中華街発展会協同組合。無料)中の「中華料理」リストは、広東・北京・上海・四川などの料理種別が店名の横に色分けアイコンで表示され、更に薬膳・点心・粥・火鍋なども表示。横浜中華街の全中華料理店を網羅してはいないのでしょうが、とても便利です。AED設置店も一目瞭然です。
横浜中華街に数ある中華料理店の中から今回選んだのは「安記」。僕、中華粥大好きなんですね。中国出張ではいつも朝食で中華粥食べるのが楽しみです。同地図中で「粥」アイコンがあるお店は、「好々亭」「馬さんの店 龍仙」「謝甜記 貮号店」「六鳳居」と「安記」の5店。意外と少ない感じですね。「粥」を謳ってない店でも粥は置いてるのでしょうけど、わからない店に入るよりは「安記」が料金も高くなくおいしそうで家庭的だと思って(店名からだけでそう判断するのだから、ボクって優秀な姓名判断家かもしれん^^)選びました。関帝廟通りと中華街大通りを結ぶ小路・香港路にあり、前回の横浜旅行で入った「山東」から近い。こじんまりとしたお店で(20人くらいでいっぱいになりそうなお店)、予想通り^^「料金も高くなくおいしくて家庭的」でした。平日昼のせいか、4割程度の客の入り。
テーブルについてまずは生ビール。せっかくだから青島ビールとか雪花ビールとかにしとくべきだったか。メニューに中国ビール、あったようななかったような。ザーサイのお通し、レバ皿・シュウマイ・ラーメン、そしてエビ粥、生ビール2杯。お料理は、地図では広東料理と書いてありましたが、日本人向けにアレンジした味付けでした。そういうのは、それはそれでおいしかった。

50代半ば頃だったかなぁ、どうも自分は話し上手になるのは無理と自覚。で、それなら「聞き上手」になればいいと開眼^^。いや、開き直ったってぇのが正しいかも。「聞き上手」になるストラテジー、2つ気をつけています。「あいづちや応答詞を過不足なく織り込む」「相手その人ならではの話題を選ぶ」。
もう一つ。実父は7人?きょうだいの唯一の男で、地主の息子。弁も立つ人で、戦前は花柳界でもずいぶんモテたそうな。既に故人で存命者も少ないので詳しくは聞かずじまいですが。そんな実父のDNAを受け継いだか、ボクもご幼少のみぎりから^^女性にモテています。ってぇも僕の場合は主におばあちゃん層です(激爆)。妙齢の女性にはとんとご縁がありませぬ(恥)。僕って「人畜無害男」で、60代以上の女性は安心して僕といろんな話ができるんでしょうね。そういうとき、お相手が80歳以上なら別ですが、「おばあさん」とは呼ばず「おかあさん」という呼称を使うのも僕の作戦^^です。
で、何が書きたいのか(大汗)。「安記」でも、ただおいしいものを食べているだけじゃつまんないので、お店の女主人・そのお母さんともおしゃべりをした。福建省出身の安一族写真のお母さんで4代目とかです。横浜生まれ・横浜育ちで、祖先の故郷に行きたいとは思わないとのこと。そういうもんなんでしょうかねぇ。「日本で差別や偏見などいやな目にも遭ってこられたのでは」と水を向けると、「まぁそういうこともなかったわけでもないけど、それでもここが私のふるさと、安心して住める街」といったお返事。日本人の中には「ガイジンなんか、みんな母国に帰ればいい」と思っている方もいますが、「日本」という国はこのおかあさん達のようなたくさんの「外国人」によって築き上げられ支えられているのは、紛れもない事実です。朝日新聞でときおり「在日華人」シリーズを連載してますが、あれはどちらかと言うと「ニューカマー」物語。ニューカマーもオールドカマーも、外国人との共生ってこの5年くらいがヤマでしょうね。日本にまだ魅力が残っている間が勝負です。そこに失敗すると日本は「世界の孤児」「非常識国家」「落陽帝国」になっちゃうでしょうね。
写真上の棚には、やはり横浜中華街ですねぇ、関帝が祀ってあります。なぜか観音様も。お客さんにいただいたそうです。時計の下には「元祖粥店 安記」。

「安記」で昼食後、地下鉄で横浜に出て東海道線に乗り換えて東京。地震のため東海道新幹線のダイヤが大いに乱れ、駅構内はずいぶんな人。何とかっていうカリントウを購うための行列もあった。家に「塩ひよこ」「塩豆大福」「貝新の佃煮」の土産購入。栄松堂書店で村上春樹『沈黙』購入。この本、全国学校図書館協議会から出てる「集団読書テキスト」シリーズの1冊です。僕は「ウエッジ文庫」も最近初めて知りましたが(恥)、この「集団読書テキスト」も初めて知った。選択眼がよく、構成もみごとで、定価も中高校生向きです。帰宅してから数冊、博文堂さんに注文しました。中学生・高校生がこういう本をどんどん読んでくれるとすばらしいでしょうね。
東京駅構内は、JR東日本の戦略なんでしょうね、土産店・飲食店・専門店などがたくさんあって賑わっている。旅慣れない僕にも充分楽しめました。構内の「フェアリーケーキフェア グランスタ店」でコーヒー、フレッシュバニラ(カップケーキ)。その後、上越新幹線乗り場に移動。
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by tiaokumura | 2009-08-11 12:52 | 美味録09年 | Comments(2)

ビュフェとアナベル-愛と美の軌跡 展@横浜そごう美術館

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(8月14日午前・記)
この間の朝日新聞に浅野忠信とCHARAの離婚記事が載っていた。僕はどちらもファンなんで残念ですが、でも離婚せざるを得ない理由があったのでしょうね。お二人の今後のご活動に期待したい。
浅野とCHARAもそうですが、古来、男女が出会いパートナーとしてともに生き、互いに刺激しあい高めあい(時には残酷な傷つけあいや別れもあるが)それぞれに(あるいは共同・協働で)豊かな成果を挙げた-そんな例、いくつもありますよね。思いつくままに挙げると、与謝野鉄幹と晶子、白洲次郎と正子、キュリー夫妻、ロダンとカミーユ、サルトルとボーヴォワールなど。1+1が3にも5にもあるいはそれ以上になった、ということでしょうか。
ビュフェ(Bernard Buffet1928-99。「ビュッフェ」とも表記)とアナベル(Annabel Buffet1928-2005)もそんなカップル。互いにパリ生まれの二人が知人の紹介で出会ったのは1958年5月、その年の12月にはサントロペの教会で二人っきりの結婚式。以下、展覧会のリーフレットから引用します。
・・・鋭い直線による構図と黒を基調とした色彩は、独特の陰鬱な雰囲気を漂わせ、ビュフェは20代で一躍パリの画壇のスターへと登りつめたのです。/そして、30歳の夏、南仏のサン・トロペを訪れた彼は、ひとりの女性と運命的な出会いをします。女性の名はアナベル。美しい容姿と洗練された身のこなしで、モデルとしても活躍していたアナベルは、初対面のビュフェとすぐに意気投合し、ふたりはその半年後に結婚。以来、ビュフェの死まで、彼らは仲睦まじく生涯を過ごしました。・・・

僕がビュフェを意識して初めて観たのは富山県立近代美術館だったと思う。余談ですが、同美術館、地元民だからって宣伝するわけじゃぁありませんが^^、瀧口修造・大岡信・永井一正らが関わってきたので、すばらしいコレクションの数々です。ハコモノ行政の負の遺産とかで、全国各地で美術館・博物館・ホール・図書館などの危機が起きており、同美術館もその例外ではないみたい。しかし富山県はなんとか維持していってほしい。熱心な学芸員による好企画も多い。9月23日に美術館コンサートがあり、僕も申し込んでおきました(抽選結果はまだ)。富山にもゆかりのあるシモン・ゴールドベルグ(1909-93)のメモリアル・コンサートです。美術館閉鎖の危機を乗り越えるには、①(管理に難しい問題もあるかもしれませんが、)各地の美術館がその収蔵品を貸し出ししあう、②企画段階からボランティア(「若者・ヨソ者・バカ者」を巻き込む)を活用する、③参加型の企画を増やす、④(人件費が大変でしょうが)閉館時間を遅くする、⑤ジュニア・シニアに標的を絞る、といったアイディア(たぶん実施済みでしょうね)しか思いつきませんが、人類の貴重な財産がたな晒しにならないように願いたいものです。

今回の横浜旅行プランには「ビュフェとアナベル-愛と美の軌跡 展」(BERNARD BUFFET ET ANNABEL)は入っていなかったのですが、地下鉄構内のポスターで知り、横浜2日目・8月11日の午前に行ってきました。
8月11日、モントレー横浜で目覚め。午前5時頃にまた地震があって驚いた。前夜に続いてですもんね。ただ揺れがさほどじゃなかった(前夜は大きかった)のと眠気でそのまま寝てました。後で新幹線・高速道路に大きな影響があったことを知りました。
ホテルの高い値段の朝食を嫌って、ホテル外の徒歩3分くらいのカフェでクロックムッシュ・コーヒー・オレンジジュースなど。ずいぶん安く上がりました^^。ホテルに戻って着替え・荷造りなどしてフロントでチェックアウト。荷物2つは自宅に宅配便。

元町中華街駅からみなとみらい線で横浜駅。展覧会会場の「そごう美術館」は「そごう横浜店」の6F。今回は約60点の展示で、もちろんこんなにまとまった量のビュフェを観るのは初めて。2人の関係を示すキーワードとして’Significant others(重要な他者)’。知らなかったのですが、ジャン・ジオノ(『木を植えた男』)とのコラボもビュフェにあるのですね。1953年『RECHERCHE DE LA PURETE(純粋さを求めて)』の挿画が会場にありました。他に「アトリエ」(1947)・「キリストの十字架からの降下」(1948)・「パレットのある自画像」(1948)・「肉屋の少年」(1949)・「サーカス」(1955)・「青い闘牛士」(1960)・「カルメン」(1962)など。残念ながら図録は売ってなかった。
展示(ベルナール・ビュフェ美術館所蔵品がほとんどか)の中ではビュフェ晩年の髑髏像が最も目を引く。「死No.16」は、髑髏が中央部に大きく描かれ、その口中などは真っ赤に塗られている。髑髏をこのように描いた例を僕は知らない。生と死の対立。時々刻々と間断なく着実に侵食する死とそれに抗おうとする生とでも言おうか。パーキンソン氏病を病んだビュフェが自死するのは、この年1999年10月4日のことである。
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by tiaokumura | 2009-08-11 11:25 | 美術 | Comments(0)