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2009年上半期が終わる

6月、今日で終わりですね。上半期、落ち込むヒマもないくらいに過ぎた感じです^^。このブログ、今年は月に20回は投稿しようと張り切って?いたのですが、1・3・4月に20記事達成で、あとの月は20未満。上半期は今日を入れて106件でした。7月11日が終わると少し余裕ができるので、月に20件以上は投稿したい(できるカナ?)。
更新が途切れがちな当ブログですが、それでも哲ちゃんつながり謡つながりなどで最近はほとんどの日に1日100人超のご訪問者。ありがたいことです。「シニアブログランキングTOP100」に入っとるかも(嘘爆)。1日ご訪問者10人未満でスタートしたこのブログ、皆様のおかげでこのペースで進めば7月中旬には8万アクセスに達しそうです。8万に到達したら、YouTubeでどこぞの花火大会の映像をアップしようかしらん^^。さっきNHKラジオを聞いてたら、不況のせいで今夏の花火大会、日本各地で中止・縮小だそうです。

疲れたとき、本もいいですが音楽もいい。今回YouTubeからアップしたのは、名曲中の名曲「Bridge over Troubled Water(邦題「明日に架ける橋」)。仕事その他で忙しい日々を過ごすボクですが、昨日の上海ジャズやこの曲で生きる勇気を奮い起こしたい。
歌う前の紹介でnew songと言っています。リリース前か直後なんでしょうね。
サイモン&ガーファンクル。サイモン(Paul Frederic Simon1941-)とガーファンクル(Arthur Ira “Art” Garfunkel1941-)、名前からおわかりのようにユダヤ系。二人は小学校で出会う。学校での劇「Alice in Wonderland」でサイモンはうさぎ、ガーファンクルは猫をやったそうです。やがて高校で同級になり、お互いに相手の音楽の才能にピンと来たんでしょうね、1955年「Tom and Jerry」を結成(グループ名の由来もおもしろいが省略)しプロデビュー。「Hey, Schoolgirl(B面は「Dancin’ Wild」)が10万枚売れてBillboardで49位まで行ったってんですから、まあまあのヒットでしょうね。その後大学に行ったりして音楽活動休止もあったが、「サイモン&ガーファンクル」として再結集し1964年10月19日にアルバム「Wednesday Morning, 3 A.M.」をリリースするも全然ヒットせず、ポールはヨーロッパ、サイモンは大学院へ。でも才能があれば世の中はほうっておかず、必ず認めてくれるもんなんでしょうね。1965年夏、フロリダのラジオ局が1曲のリクエストを受けた。それがアルバム中のシングル「The Sound of Silence」。その後も紆余曲折があったんですが、プロデューサーのTom Wilsonが辣腕だったんでしょうね、S&Gの大ブレークへと持っていく。イギリスにいたSimonがアメリカに戻り、デュオ再々結成。
1970年のアルバム「Bridge over Troubled Water」は大ヒットしたが、二人は別々にソロ活動へ。でも二人は仲が悪いわけじゃないみたく、音楽路線の違いで別れたんでしょうね。

映画『卒業』、皆さんはご覧になっていますか。僕の好きな映画TOP10に入る映画です。映画館で3回観ました。年上の女性によってSEXの手ほどきを受けるってぇのは「よくあるパターン」ですが、『卒業』の場合、Mrs.Robinsonが恋人の母親ってとこが従来にない作りだったんでしょうね。ラストシーンは映画史上に残る名シーン。そして、何といっても映画中に流れるサイモン&ガーファンクルの楽曲の数々のすばらしさ。映画『卒業』でS&Gファンになった方も多いでしょうね。ダスティン・ホフマンの演技もよかったけど、僕はキャサリン・ロスが好きになった(照)。
僕と同世代はだいたいそうでしょうが、The Sound of SilenceもI Am a RockもScarborough FairもMrs. RobinsonもThe BoxerもBridge over Troubled WaterもCeciliaもEl Condor Pasaも、下手だけど歌えます(照)。「カラオケで1曲」だったらScarborough Fairを歌うでしょうね。「聴くほうで1曲」は名曲が多すぎて選択が難しいですが、強いて挙げればBridge over Troubled Water(2位はEl Condor Pasaでしょうか)。この曲、「癒し」なんて安っぽい言葉を超えたところに成立しているように思う。
君がすっごく落ち込んでどうしようもない時にも
君の味方はいるんだってことを忘れないでほしい。
それは、この僕だよ。
僕は「Bridge over Troubled Water」のように
君の支えになってあげられる、
いや、君の支えになりたい。
君がやがて絶望から立ち直り、未来に向って歩き始める時、
その時は、僕は君の後ろにつき従って
「Bridge over Troubled Water」のように
君の心を和ませたい。
だから、君にはぜひ知っておいてほしい、
君は一人ぼっちじゃないってことを。
奥村意訳
「曲」は徐々に高潮していく感じで、「詞」はBridge over Troubled Waterのメタファーが新鮮かつ格調高い。

先日新聞広告でサイモン&ガーファンクルの来日を知りました。かなりの幅の年齢層(8歳から70代まで?)がコンサートに出かけることでしょうね。ファイナルソングがBridge over Troubled Waterで会場一体になっての大合唱かもしれませんね。

(注)この記事はWikipedia英語版を参考にしました。


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by tiaokumura | 2009-06-30 21:05 | 音楽 | Comments(2)

上海に行きたい!

記憶アホなんで自信がないのですが^^、上海には国際線・国内線のトランジットで2回だけ立寄っていると思います。1回目は上海国際線空港(正式名称は忘れた^^)から上海国内線空港(同じく、正式名称は忘れた^^)への移動をタクシー利用。タクシー、異国の地に一人で不安いっぱい、しかも運転手さんの運転がめっちゃすごすぎ(爆)。2回目の上海は、福州から上海に国内線で入り国際空港から関空を目指した。上海って「霧の都」でもあるのでしょうね。飛行機がなかなか飛ばず、空港内でけっこうな時間待機させられました。
今年中国出張の予定があり(ブタインフルエンザの関係で中止になるかもしれないが)、上海に1泊したい。もちろん自腹です。こつこつお金を貯めとこうと思う。上海ではジャズの生演奏が聴きたい。僕にとっての上海は第1義に「ジャズ」なんですね。

下、YouTubeにありました。上海の魅力を十二分に伝える映像です。近未来的な電車、どこか懐かしさを感じさせる上海の子どもたちのカルタ遊び、人形つくりの名人芸、上海の夜景、そしてジャズなど。和平飯店(Peace Hotel)のオールドジャズメンのバンド、高名なんでしょうね。ネットでアクセスや料金、調べておこうと思う。高かったら、「夢」であきらめます。ラグタイムっぽいテイストの演奏があり、あるいはダンモ以前のジャズってきっとこういうスタイルだったんだろうななどと思わせる(←知ったかぶりでスマソ^^)。20年代・30年代・40年代のジャズ。
僕が70代まで生きられるとして、中国人ジャズメンのような「いい顔」にはなれっこないでしょうね。激動の中国を生き抜いたジャズメンに、乾杯!です。


下は『夜来香』(イエライシャン)のジャズ(ラテン?)アレンジです。「へ~」ですよね。ピアニスト、グレート東郷(ってもわからん人多いでしょうが^^)か小さん師匠みたいな味のあるお顔。「上海バンスキング」もいいけど、中国人ジャズバンド「老年爵士楽団」も実に洗練されてる。


下は、英語ガイド付き。演奏は邦題『恋はみず色』ですよね。これまた「へ~」です。僕、『恋は~』、フランス語で歌えます、ブルーブルーラム-ルエブルー(カタカナになっちゃうけど、自慢♪)。音楽的なことはようわからんボクですが、ピアノもベースもドラムもサックスもトランペットも・・・みな超一流の腕の持ち主なんでしょうね。素人のボクも音楽に身を委ねられます。


ジャズも消化できた中国の大きさ・底力はすばらしい。西欧蹂躙も日帝侵略も国共内戦や大躍進や文化大革命も乗り越えて、今こうして上海でジャズを演奏するオールドジャズメンに、何度も「乾杯!」を。
上海に泊まって和平飯店でジャズを聴く-実現したら、きっとボク、ウルウルと来ちゃうことでしょうね(照)。
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by tiaokumura | 2009-06-29 20:04 | 海外出張09余録 | Comments(4)

職業としての日本語教師

7月11日の「日本語ボランティア登録者研修会」の講師を引き受けたのはいいが、レジュメ作成が一向に進まない。山﨑さん(ゆうゆう)には7月4日までに原稿を渡すとお約束したのだけど、果たして間に合うのかしらん(汗)。今週金曜日は東京出張で土曜日早朝に帰富(「富山に帰る」って「帰富」でいいのだろうか。読みは「きと」?「きふ」?)。土曜午後は仕事があるので、レジュメ準備、今週木曜日までに終えねばならない。富山国際学院No.2の高木さんにお願いして、学院での勤務時間中にもレジュメ準備させてもらおうかしらん。学院の仕事じゃないから気が引けるけど・・・。

今回、当ブログにカテゴリ「職業としての日本語教師」を設けました。日本語教師を目指している方のご参考になれば幸いです。日本語教育には無縁な方にも「こういう仕事があるのかいな」と興味を持っていただけたら嬉しいです。

研修会のレジュメを作る資料集めから3つご紹介。

日本国内の日本語教師
文化庁文化部国語課「平成20年度 国内の日本語教育の概要」より。
日本全国に日本語教育機関・施設等は1779(「富山県」は16。以下同じ)ある。1779の内訳は「大学等機関」が597(6)・「一般の施設・団体」が1182(10)。富山国際学院富山県にある一般の施設・団体10のうちの一つです。
日本国内の日本語教師総数は30959人(152人)で、常勤講師4165人(34人)・非常勤講師10729人(53人)・ボランティア等16065人(65人)。僕は富山県内日本語教師152人の一人です。
日本語教師を更に細かく分類すると、「大学等機関」の場合、常勤1912(20)・非常勤3315(23)・ボランティア0(0)、「一般の施設・団体」の場合、常勤2253(14)・非常勤7414(30)・ボランティア16065(65)。僕は富山県内「一般の施設・団体」常勤講師14人の一人ということになる。
以上の基礎データから、いろいろなことが読み取れそうですね。なお、データは「平成20年11月1日現在」です。2つ以上の機関・施設に所属する日本語教師のカウントのしかたについては不明です。

「低収入・非常勤『生活できぬ』」(朝日新聞)
朝日新聞2008年8月24日付「日本語学ぶ場 貧弱」(片山健志記者)は、学習者・地域・教師の3つの観点から日本語教育の問題点を摘出している。以下同記事より引用。
プロの教師の約1万4千人の3分の2は非常勤だ。語学系出版社アルクが「月刊日本語」3月号でまとめたアンケートによると、非常勤の平均時給は1889円、常勤だと平均月給は21万1千円。72%が待遇を「悪い」と感じ、自由回答には「家族を養えない」「国のバックアップが必要」といった訴えが並ぶ。
富山国際学院の場合、非常勤のスターティングを45分1500円(ただし試用3か月間はマイナス100円。時給換算で2000円)、常勤(専任)のスターティングを月給25万円にしている。もちろんこれで充分というわけではないが、全国平均よりは「まし」かも。なお、学院長の月給は非公開です(嘘爆)。

富山国際学院所属日本語教師へのアンケート
日本語ボランティア登録者研修会」で自分のことばかり話しててもしょうがないので、富山国際学院のスタッフに以下のアンケート(無記名)をお願いした。「パワハラ」になっとらんだらいいのですが^^、スタッフ15人(僕を含む)全員に回答していただけました。目下集計・分析中です。
1.あなたはどうして日本語教師になろうと思ったのですか。(複数回答可。ただし上位3つまで)
□収入を得るため □自分の能力や専門が生かせるから □外国人と接したかったから □人生の生きがいを見出すため □仕事を通じて社会貢献できるから □家事や育児や介護など他のことと両立できるから □日本語なら教えられるから
その他(上記以外にあれば
2.日本語教師の仕事で一番楽しいことは何ですか。具体的にお書きください。
3.日本語教師の仕事で一番苦手なことは何ですか。具体的にお書きください。
4.5年後もあなたは日本語教師をやっていますか。
□はい その理由(
□いいえ その理由(
□わからない
5.今後あなたが「プロの日本語教師」として身につけたい能力・資質は何ですか。2つまでお書きください。
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by tiaokumura | 2009-06-28 20:01 | 職業としての日本語教師 | Comments(4)

名古屋出張

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(6月27日夜・記)
昨日6月26日(金)は名古屋出張。2009年上半期は毎月1回名古屋出張ってぇことになります。名古屋ではA・B・C3つの仕事を予定しメインは「C」。
8時半頃富山駅南口。駅近くのコンビニで讀賣・日経その他購う。
讀賣・日経の2紙、この日は読みでがなく、金沢到着頃読み終える。

讀賣では、加藤祐三(元横浜市立大学長)「横浜開港150周年」。加藤が書いているように日本と中国では「あまりにも違う両国近代史」である。日本には外交力がないというのはよく指摘されるところだが(小和田雅子が天皇家の嫁になどならず外交官になっていたら、などと思うのは僕だけかしらん)、江戸幕府の外交力は卓越していたとしみじみ思う。軍事超大国アメリカに対して「幕府の交渉陣は豊かな学識と論争力でペリー側を逆に圧倒し、避戦を貫く。」。和親条約・修好通商条約を経て横浜港が1859年7月1日開港。江戸幕府のインフラ整備にかけた巨費、それに応えうる江戸期に蓄積された土木力はすばらしい。一方の中国(清)は、南京条約によって「富の流出と政治的屈辱に、中国は長く怨恨を引きずる。」。欧州列強が「極東の島国」より中国優先の帝国主義路線をとった「幸運」は確かにあったでしょうね。そうであるにしても、明治前期には、江戸幕府から明治維新と政治支配層ががらっと入れ替わり、おおざっぱに言えば薩長が政治・官僚・軍事・経済を握り、対峙する形で旧幕臣や賊軍出身者が思想・文化・芸術・学問・伝統芸能を開花させた。「負け組」が挽回できる時代でもあったんでしょうね、明治時代は。現代日本には敗者には底なし沼しかない。
この夏横浜を訪れようと思っているが、横浜では「近代日本」に想いを馳せたい。

日経ではトヨタ自動車・豊田章男社長の就任後初の記者会見(1面・3面)。トヨタは膨大な「内部留保」があるだろうから、今のままでも3年は持ちこたえられるでしょうね。トヨタがこけて職を失った人たちに「内部留保」、まわせなかったんでしょうか。
地域に合った『良品廉価』の車を開発する」とのことだが(ある種の「地産地消」でしょうね)、ロシアを除くBRICsでの事業展開がトヨタ再生の大きなカギを握っているでしょうね。記事によれば中国では6%、ブラジル3%、インド2%の販売シェアだそうです。

金沢を過ぎてからは読書。本日の旅のお供は2冊、中井久夫『精神科医がものを書くとき』(ちくま学芸文庫)と高野悦子『黒龍江への旅』(岩波現代文庫)。
敦賀まで『精神科医が~』。それから名古屋まで『黒龍江への旅』。

中井久夫『精神科医がものを書くとき』。「精神科医がものを書くとき」「わが精神医学読書事始め」「私に影響を与えた人たちのこと」「エピソード記憶といわゆるボケ老人」「成長と危機の境界-相互作用とカタストロフィーの力学」などを拾い読む。
書くことは明確化であり、単純化であり、表現衝動の「減圧」である。何よりもまず、書くことに耐えない多くの観念が消え去る。あるものは、その他愛なさによって、あるものは不整合によって、あるものは羞恥によって却下される。おそらく、夜中に大発見をしたと思い、朝にその下らなさに呆れるのと同じことである。(p.015)
「夜中に云々」、ラブレターとかブログ投稿も同じことでしょうね(激爆)。
「エピソード記憶と~」は親の介護に携わる人には大いに参考になる。中井は「『エピソード記憶』を重視することが老人との基礎的な治療関係の上で非常に重要ではないか」と考える。そして「大小便も垂れ流し気味の」「70歳代後半のおばあさん」の例が出てくる。
・・・老人の昔話は、エピソード記憶の風通しをよくして人格を保っていくという努力ではないでしょうか。(p.269)
とあるのを読むと、「昔話」が多くなっているこのブログは「人格を保っていくという努力」の現れなのかもしれないと思いました(照)。

高野悦子『黒龍江への旅』。高野の父・與作は1899年6月27日、富山県下新川(しもにいかわ)郡生まれ。東京帝大土木工学科卒業後、満鉄入社。與作が杉野柳と結婚するにあたっては中谷宇吉郎の尽力があった。他にも高野與作と岩波茂雄との交流(二人の子どもはやがて結婚する)、敗戦時の高野與作の「施設関係図面は焼くな、一部だけは必ず残せ」との叫び、映画『人間の条件』のTV放映を父娘で観る場面など、感動秘話満載。
本書の各章タイトルに「大連」「瀋陽」「吉林」などの地名。瀋陽の旧ヤマトホテルは僕も行ったことがある。そこ(現在は「遼寧賓館」)で富山国際学院の入学選考試験をした。何年前になるか、このブログにホテルの写真と記事が投稿してあるはずです。瀋陽から大連まで夜行列車(硬席)で移動したこともある。
第7章が「哈爾濱-満月に流れる松花江」。本書とは関係ありませんが『剱岳 点の記』の柴崎芳太郎もハルビンを訪れている。柴崎芳太郎・高野與作・内村剛介・亀井健三といったすばらしい方々が過ごした地「哈爾濱」。
旧満州を語る時、たいていの日本人は、忘れられない町、すてきな町として大連と哈爾濱の名をあげる。大連は、山あり海ありの自然と海産物の豊かさで祖国を思い起こさせ、ハルビンは、”東洋のパリ”という呼び名そのままに、西欧をしのばせるエキゾティックな町として人気があった。(p.237)
チャンスがあったらハルビンを訪れてみたい。
高野の「黒龍江への旅」は父の遺骨を松花江に流す旅。
あの時流した父の足の骨はどこへ行ったのだろうか。松花江の水にとけて河床深く沈み、大陸の土にもうしみこんだに違いない。(p.277)

名古屋駅着。構内の「麺・酒処 和」で「冷し五目きし麺」。
昼食後、5時前までに予定の仕事3つ終了。
名古屋駅構内の「名古屋呑食処 みかど」で夕食。写真、「名古屋名物 手羽先」「鶏の唐揚げ」「鶏肉ネギマ」「どて煮」、そして樽生黒ビール(サッポロエビス・ザ・ブラック)。〆には「きしめん」。

名古屋から新幹線で米原に出て、米原で名古屋始発の「しらさぎ」に乗り換え。車中、近くの席で男性が読んでいるタブロイド紙に「M.ジャクソン 急死」の大活字の見出し。
富山に9時半頃着いて、北口からポートラムに乗って帰宅。
今年は少なくともあと2回は名古屋出張がありそうです。
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by tiaokumura | 2009-06-26 17:13 | 僕は学院長1年生 | Comments(0)

『國文學』・『受験の国語 学燈』最終号

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勤務先の富山国際学院では月に何回か、3箇所から図書類を購入している。その中の1箇所が「そうがく社」。そこの社長(店長?)が鈴木さんで、「そうがく社通信」掲載の新刊に対する鈴木さんの1000字を超える書評は、僕には大いに参考になる。地方の日本語学校は、東京や大阪と違って実物を手にとって検討する機会はほとんどない。図書類購入にあたっては、予算の関係もあるし、自分自身の必要度も優先するので、鈴木さんの書評に全面的に頼っているわけではないが、鈴木節炸裂の書評を読ませていただくのは、僕の毎月の楽しみです。鈴木さんとは1回だけですが、お会いしています。幕張の帰りだったか、夏の暑い日だったように記憶する。地下鉄神保町で降りて、さてどっちに歩き出せばいいのか、方向オンチなボク(恥)は迷子になった。神保町の交差点に立って岩波ホールは見えるのだけれど東西南北どっちに行けばいいんだ。「あしたのジョー」の「明日はどっちだ」みたいな気分だった(激爆)。岩波ホールを左背後にして歩きだす。でもどうもなんか違う・・・。けっきょくそうがく社にTELして道を教えてもらいました。路地を入って共産党関係の事務所があって、その先のマンションの中にそうがく社はあった(←うろ覚えなんで違ってるかも)。マンションの1室(あるいは2室ぶち抜き?)は教材教具類でいっぱい。でも通路はきちんと確保してありました。その時に鈴木さんに会っています。その時何を買ったかはもう忘れちゃいました(汗)。
鈴木さんは目利きで物識りなので、チョムスキーやアジア人財や子どもの日本語などでご教示いただきました。今回、『國文學』『受験の国語 学燈』が休刊(実質は終刊・廃刊でしょうね。そのあたりはこのブログ2009年5月28日記事をご参照)になるのを知って、鈴木さんにTELして「青春の思い出の雑誌です。1号だけの注文ですがお願いできませんか」と頼んでみたところ、快く引き受けていただきました。

写真上左が『國文學 第54巻10号 2009年7月号』。特集は「嫉妬考」で鷲田小彌太らが執筆。他に平岡正明が「立川談志 第2回」、和合亮一連続対談「第3回ゲスト 横尾忠則」、松本道弘「同時通訳者が編む 難訳日英辞典」、紅野敏郎「連載 逍遥・文学誌」など。いい連載企画が多いようで、他の『言語学』『日本語学』『英語教育』などに連載が引き継がれるといいですね。
『國文學』休刊のお知らせ」より抜粋。
・・・諸般の事情により平成21年7月号をもちまして、誠に勝手ながら休刊させていただくことになりました。
これまで弊誌をご愛読いただきました読者の皆様、ならびに関係者の方々に、感謝と心からのお詫びを申し上げます。
・・・
「総索引」は無理でも、せめて各号の特集タイトル一覧くらい付けられなかったんでしょうかねぇ。ちと残念。

写真上右は『受験の国語 学燈』。イマドキの大学入試レベルってずいぶん上がっているんですね。ボクにはちんぷんかんぷんな問題ばかりです(恥)。こういうのを解いて大学に入学していくのだから、イマドキの大学生はボクの百倍以上は頭がいいんでしょうね、たぶん。そういう連中とセンター試験でまともに戦って富山大学1年生を目指さんでよかった^^。僕が何年か前受けた編入学試験、簡単だったですもんね。ただイマドキの大学入試国語問題を見ていて気になるのは、選択肢問題が多いこと。配点がわからないのですが、選択肢問題って正解を得るにはちょっとしたコツがあれば(=出題者側に立って選択肢をよ~く睨めば)7割以上はできるもんなんですね。出典に大澤真幸・茂木健一郎が取り上げられていますが、選択肢の正解、ご本人はわかるのかしらん^^。「俺、そんなこと言ってないよ」なんてことがなければいいのですが(爆)。「受験国語」では「著者作者の考え」より「出題者が『この著者作者はきっとこういうことを言いたいのだろうな』という『推定解釈』」のほうが上にくるのですね。試験だから本人に聞くわけにもいかないですもんね。
過去問題をプールしておいて良問を選ぶ、とか、予備校にアウトソーシングする、といった動きがあるそうですが、僕は大学の入試担当教官が苦労して問題を作成するより、「プール」「アウトソーシング」のほうがいいと思う。
『受験の国語 学燈』休刊のお知らせ」より抜粋。
・・・この間、多数の受験生、ならびに先生方の多大な御支援をいただき、今日まで厳しい出版不況下、努力に努力を重ねてきましたが、このたび休刊の止むなきにいたりました。・・・ここに長きに渡り、大変お世話になりましたこと重ねて御礼申し上げる次第でございます。

写真下は僕が大学受験で使った『學燈文庫』。本棚を見渡したら、この3冊が顔を見せていた。45年ほど前に刊行されたこれらの本、ボク、よう持っとったもんです。
3冊は左から、山岸徳平(東京教育大学名誉教授)『歌論・連歌論』、金子武雄(東京大学教授)『近世俳文』、川副国基(早稲田大学教授)『現代評論』。当時の定価は120円~160円。実際の著者は院生か助手かもしれません。

1956年4月が創刊の『國文學』は53年、1948年創刊の『受験の国語 学燈』は61年の歴史である(あった)。
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by tiaokumura | 2009-06-24 20:43 | | Comments(0)

「満寿泉 純米大吟醸」がIWC・SAKE部門で2年連続の金賞受賞

朝日新聞第2富山版2009年6月20日付(庄司直樹記者)でタイトルの件を知りました。
このコンペティションについて全く知らなかったので(恥)、ネットであれこれ調べてみました。「池袋 升新商店」のサイトなどを参考に情報を整理すると、IWCってぇのはInternational Wine Challengeのようで、本来ワイン・コンペだったのが、2007年にSAKE部門(欧米人は「サケ」って発音できず「サキ」になるんですよね^^)が新設された。今年は160蔵313銘柄が出品。純米酒、吟醸酒・大吟醸酒、古酒など5分類で審査。
モンデセレクションには日本酒部門はあるのでしょうか。「日本酒」にグローバルスタンダードなんてぇものが必要かどうか意見が分かれるところでしょうが(ミシュラン、ずいぶんバカにされ嫌われてますもんね^^)、富山県のお酒がIWCで金賞を得たことは素直に喜びたい。

庄司記者の記事から桝田隆一郎さん(42)のご発言を以下引用。桝田さんは明治時代から続く桝田酒造店の4代目です。記事には満寿泉(ますいずみ)を手にした桝田さんの写真もある。
米のうまみが評価された翌年に華やかな酒が受賞するなど審査の尺度が定まらない段階なのに、同じ酒質で連続金賞がとれたのがうれしい。
世間で思われているほど日本酒づくりに技術はいらない。いい米、水に加えて、どんな酒質を目指すかのビジョンの共有が大切なんです。
一握りの飲み手が絶賛する酒がいいとは思わない。飲んだ100人のうち50人がおいしいという酒を理想としてきたが、いまは80人を満足させる酒を目指しています。
引用した桝田社長のご発言に反発する向きもあるかもしれませんね。
同記事よりもう一箇所引用する。
・・・桝田酒造店では「能登杜氏四天王」と全国に名前を知られた名杜氏三盃幸一さんが07年春に引退した。この年の仕込みは、前年に4代目に就任した桝田社長が初めて、自らこうじづくりからかかわった。社長、杜氏の交代をものともしないことを、今回の受賞で証明した。

僕は日本酒はほとんど飲まない。また、食べ物も飲み物も「自分にとっておいしいもの・おいしくないもの」の2種類しかないという味覚オンチである(恥)。「大吟醸」など日本酒についてはその熱烈なファンである哲ちゃんから折節ご講釈を賜るのだけど、哀しいかな、僕にはようわからん世界。それでも金沢通いのつれづれに菊姫・手取川などを味わいました。
その哲ちゃんからかつていただいた本に、
写真集『大吟醸』を出版する会『河野裕昭写真集 大吟醸』(1995年5月15日発行)
がある。ハードカヴァーの大部な本。発起人代表に冨田勲・難波康之祐、発起人に磯村みどり・尾崎亜美・加藤タキ・小室等ら(哲ちゃんの名もあります)、賛助会員には哲ちゃんのお父上や僕の東京教育大学時代の同期生の明知裕司・宮崎健二といった名も。
僕なんかには「宝の持ち腐れ」な写真集でしょうね。「大吟醸製造工程図」が載っていて、写真と見比べながら辿っていると、その一つ一つの工程に匠たちの仕事へのプライドと技が込められているのだろうなぁと、素人のボクも感嘆する。
せっかく哲ちゃんにいただいておきながらあまり眼を通していなかった写真集。この機会にじっくり見てみたい。この写真集、菊姫(石川県鶴来町)が最多回数登場で、他には菊の城(熊本県菊池市)・香露(熊本市)・四季桜(栃木県宇都宮市)・繁桝(福岡県八女市)・上喜元(山形県酒田市)・豊の秋(島根県松江市)・西の関(大分県国東町)・華鳩(広島県音戸町)が取材協力(ただし、酒造会社名は略した)。残念なことに満寿泉(富山市)とは無縁な写真集です。

桝田酒造店、僕はその前を何度か通っています。家から車で10分くらい。富山国際学院の課外活動でも学院生を連れてそのあたりを散策している。課外活動では、富山駅北口でポートラムに乗って東岩瀬で下車。そこでガイドボランティアの方と落ち合う。「岩瀬探訪」で町並みを歩き森家を見学し展望台に昇り運河横を歩きポートラム岩瀬浜駅に着き、ポートラムで帰る、といったコース。四季を問わず晴れた日に運河にかかる橋上に立ち、立山連峰を背景にポートラムが走る光景を見ると、鉄道ファン・撮影マニアならずとも感動します。
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by tiaokumura | 2009-06-22 21:35 | 富山 | Comments(0)

小西弘通先生「富山"観世塾"」

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(6月21日夜・記)
昨日土曜日、午前9時過ぎに富山国際学院に。26日の名古屋出張の準備が遅れていての土曜日出勤(泣)。書類の山を手際よく片付けてたら(嘘爆)、ケータイが鳴った。学院生からで、彼、どうも体調が悪く病院に行きたいとのこと。土曜日にやっている病院ってあるのかな(こういう情報、事前に持っておくべきでしょうね)としばし思案。彼からのTELをいったん切って調べてみたら、運がいいことに、学院近くの内科病院が土曜日は12時まで診察可とのことだった。それを彼にケータイで伝えた後、彼のアパートと病院を往復送迎。日本語教師って何でもやんなきゃならない職業なんですね。狭い意味での授業以外にあれやこれやがあることを日本語教師志望者はご銘記を。「私は授業だけやりたい」ってぇ方は、少なくとも日本語学校勤務は無理でしょうね。

けっきょく出張準備はほとんどできぬまま、時は早や12時近く。ボクって腹が減ると頭が廻らずイライラするタイプで(「小人(しょうじん)」の典型!)、昼食をとることにした。車を走らせて41号線沿いの「一龍」の駐車場に着いたが、先月に続きこの日もカギがかかっている。土曜日は休業にしたのか、それとも廃業したのだろうか、気になる。昼食は、隣の大きいお店で「天どん」。前回は「天どん」を注文したのに「カツどん」が来たけど、今回はちゃんと「天どん」だった^^。ご飯が少なめでちょうどよかった。

いつもより20分ほど早く富山能楽堂に入る。廊下で小西弘通先生に会う。先生はいつも和服姿なのに、今日は上半身シャツ姿。先生のそういうお姿、初めて見ました。
「観世塾」の開始前に冨崎さんや中川社長にあれこれ教わっていたら、松友会会長・松下覚さんが一人の男性を伴われて僕のところにいらっしゃった。ボクは初対面の方とお話しするのは緊張するタイプなもんでお名前を覚える余裕がなかったのですが(恥)、その方は小西先生のお友だちで神戸大学講師の方とのこと(以下「小西先生朋友さま」で綴らせていただきます)。そして、「小西先生朋友さま」がこのブログをご存知とのことでビックリしました! いつの間にか当ブログ、いろんな方々にご訪問いただいているのですねぇ。感謝あるのみです。

富山“観世塾”」、本日は『賀茂』『小鍛冶』『隅田川』。本日の小西師は「里女」「別雷神」、「童子」「稲荷明神」、「狂女」。低料金で・しかも富山で・しかも至近距離で小西師の名人芸が堪能できるのだから、耳福・眼福これに勝るものはない。
3曲に先立ち、ヴォイストレーニングは「草子洗小町」。アホなボクは、タイトルの草書(行書?)が最初「菓子洗小町」に見えた(大恥)。「菓子司小町」なんてありそうですね(激爆)。「霞立てば遠山になる朝ぼらけ」から「和歌の道こそめでたけれ」まで。ヒール役の大伴黒主(ほんとは彼、こんな謀略家じゃなかったんでしょうが)のたくらみが暴かれたあと、ハッピーエンドの大団円=「やまと歌、万歳!」の大合唱部分がこれ。初心者のボクは聴くだけですが(いっつもそうなんですが^^)、超絶技巧みたいな節回し。詞章に付されたメロディー記号、見てるだけで体がねじれそう(爆)。

いつもと異なり、本日は「小西先生朋友さま」が各曲の解説をなさった。2曲目と3曲目の間に、「小西先生朋友さま」による能楽概論も。松下覚会長のご紹介に拠ると、「小西先生朋友さま」は、ナショナルに長らくお勤めになり松下幸之助の通訳もなさった方。定年後に神戸大学講師。外国人に能について教えたりなさっているそうです。謡歴5年だそうですが、地声がボクなんかと違って謡向きなんでしょうね、よく響く声の持ち主です。

1曲目『賀茂』。真ん中あたりでシテとワキのセッションがあり、それに地謡のバックコーラスが加わる。バックコーラスってぇも小西先生の前に陣取ってらっしゃるのですが^^。こういう盛り上がり方を見聞していると、歌垣の古代から日本の歌謡(そしてその発展形の能・歌舞伎・人形浄瑠璃)は集団芸術なんだろうなぁと思う。いい意味でのトランス状態。
2曲目『小鍛冶』。名剣にまつわる能。夢のお告げで一条院は小鍛冶宗近に剣を打つことを命じる。苦悩する宗近。彼の稲荷明神での一心不乱の願いが聞き届けられたのでしょうね、一人の童子が登場し、汝には「相槌」(刀匠のサブです。「あいづち」ってここから来てるんでしょうね)が必ず現れると伝える。帰宅した宗近が祭壇を祭りしばしする内に、稲荷明神が出現し宗近を手伝い、晴れて名剣「小狐丸」が誕生する。正宗・村雨・虎徹などの遥か以前の物語です。『小鍛冶』には、ヤマトタケルノミコトの草薙の剣も出てきます。

そして能といえばこの曲、本日掉尾を飾るのは『隅田川』。ピカソ『ゲルニカ』、ワグナー『トリスタンとイゾルデ』、エイゼンシュテイン『戦艦ポチョムキン』に匹敵する大作。戦争・男女愛・革命に対して、こちらは母子愛。ご存知の方が多いでしょうから、あらすじは省略します。
約1時間の大曲、今回僕は初めて最初から最後まで聴きました。シテは小西弘通先生、子方が川田有紀子先生、ワキ・ワキツレは(たぶん)会員の方、そして地謡に松下会長・小西先生朋友さま他。
全曲すばらしいのですが、謡本の一四丁ウラからの5ページではゾクゾクっと来ました。とりわけ地謡に子方が「南無阿弥陀仏」と唱和するあたり以降は、完全に謡の世界に没入した。母・狂女は子・梅若丸の念仏を唱える声を聞き取ったんですね。ワキもそのように聞き取ったので、「母御一人御申しそうらへ(お母さんがお一人で念仏を唱えてみてください)」と言う。「今一声こそ聞かまほしけれ」と言って念仏を唱える母。それに応えて梅若丸が「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」。続いて、母「あれは我が子か」、梅若丸「母にてましますかと」、地謡「互いに手に手を取り交は」す。だが現世の母子再会も束の間、あとに残るは「ただ標ばかりの浅茅が原となるこそ哀れなりけれ」。
幼くして親がない子を「孤」、子に先立たれて老残の身にある者を「独」-「孤独」はそこから来ていると高橋和巳の中国来歴解説で知った(正確な引用ではない)。『隅田川』を聴いていて「孤独」も思った。

2月の『田村』から今月の『隅田川』まで、これで小西先生の15曲を聴いたことになります。次回7月25日は仕事の関係で欠席せざるを得ないのが残念。7月31日「薪能」での小西弘通先生『百萬』舞囃子のご演能も、立山登山で観賞不能。運がない男なんでしょうね、自分。
8月以降の「富山“観世塾”」の5回、なんとか受講したい。川田有紀子先生の「華川会」も、何回か休まざるを得ないのだけれど、できる限り参加したい。小西先生・川田先生のお導きで還暦過ぎて「謡」の世界に触れられるのは無上の喜びである。

写真、小西先生におねだりしてのツーショットです(照)。

小西弘通先生、昨日もありがとうございました!
懇親会では、富山の海の幸・山の幸・里の幸をご堪能いただけましたでしょうか。先生のカラオケも拝聴したかったのですが^^、これは次回のお楽しみにさせていただきます。
「富山“観世塾”」、いつも聴きっぱなしで参加しないのはまことに非礼ですが、年内はこのような形での受講をご容赦ください。
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by tiaokumura | 2009-06-20 16:43 | 謡を習う | Comments(0)

福原義春『変化の時代と人間の力』・辻井喬『叙情と闘争』

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福原義春
『変化の時代と人間の力
 福原義春講演集』

2007年10月31日第1刷
ウエッジ文庫(ウエッジ)
743円+税
辻井喬
『叙情と闘争
 辻井喬+堤清二回顧録』

2009年5月25日初版
中央公論新社
1800円+税

モノづくり(あるいは商人道)の原点を見失い目先の利益にとらわれマネーゲームに走ってしまったのか、あるいは、政官界との癒着にのめり込み視野狭窄に陥り企業人としての誇りを見失ってしまったのか-素人の僕には分析できないが、とりわけ80年代以降の財界のていたらくは見苦しい。かつて企業は戦後の焼け跡から(朝鮮戦争や日米安保条約やヴェトナム戦争などのおかげもあったにせよ)雄雄しく立ち上がり、あるいは高度成長がもたらした「公害」にも(不十分だったにしても)それ相応の社会的倫理的対応ができたのではなかっただろうか。「終身雇用」「年功序列」「企業内組合」という(良くも悪くも)「三種の神器」が粉々にくだけた00年代の最後の年にあって、しかし私たちは例えば、「利益と人件費の合計を最大にすることが経営者の務めである」と言いきれる、志ある企業人を持っている。彼の名は中尾哲雄、富山県財界の重鎮である。引用発言は朝日新聞記事。今あいにく手元にないので正確な引用ではないのだが、趣旨は外れていない。中尾は富山大学経済学部卒、現在インテックHDのCEO(Chief Executive Officer)。

大相撲にしても歌舞伎にしても茶の湯にしても小唄端唄にしても美術・音楽にしても民俗学にしても・・・日本の伝統文化・学問・スポーツを育て興隆させる「パトロン」として、室町・安土桃山・江戸時代以降、商人・企業人の果たした役割は大きい。歌謡曲業界や映画産業に大きな役割を果たした山口組三代目田岡一雄のような逸材が、いつの時代にも企業人には何十人・何百人といたのである。そんな企業人に列するのが福原義春・堤清二(辻井喬)である。お二人についてご存じない方は、ウィキペディアなどでお調べください。なお、このブログの以前の記事でお二方は既に登場しています。

福原『変化の時代と~』(新刊ではありません。僕が入手したのが今日)は講演集。11編所収。その中の「文化資本の経済学」より。
福原が社外スピーカーとして須田寛に依頼したときのエピソードが出てくる。福原は知らなかったのだが、資生堂と須田とは実は深い関係があった。
・・・つまり、私の十代前の社長のやったことが、十代あとの社長に感動という名の見返りで戻ってきたわけです。(p.244)
そして福原は講演の最後を以下のように結ぶ。
 もはや経済価値だけが支配する社会ではありません。経済価値と文化価値、人間の価値、生活価値、そのほか諸々の価値が同列に並んで、同列に助け合い補完し合って、お互いの価値を減少させたり滅ぼしたりしてしまわないような社会を築き、会社をつくるというのが、私の理想であり願いです。(p.245)

辻井(堤)『叙情と闘争』は讀賣新聞に連載(08年1月26日~09年1月24日)。僕は土曜日に何回か金沢通いをし、その特急車中で連載中の何篇かを読んだ。「森有正のヨーロッパ」は次のように始まる。
 僕は森有正に誘われて、教会で彼が弾くバッハのオルガン曲を聴きにいった。(p.206)
後半は安東仁兵衛や大平正芳や松前重義が出てきて、堤のソ連での交渉話。ピョートル・イリイチの「わが国で役人を勤めあげる3つの方法」に触れたあと、同章を以下のように締めくくる。
 述懐を終えたイリイチのグラスに、僕は携行してきたウィスキーを注ぎながら、思想を持つこと、思想について考えること、それらはとても人間的なことなのだと、森有正のどちらかと言えば暗い、しかし瞳は澄んで光っていた顔を思い浮かべていた。(p.211)
本書、「人名索引」「主要人名録」があるのは重宝。辻井(堤)の活動の広さを物語るのでしょうね、そこには、渡辺一夫・三島由紀夫・武満徹・伊達得夫ら、小林一三・本田宗一郎・盛田昭夫・井深大・藤田田ら、石橋湛山・池田勇人・佐藤栄作らの名が挙がる。

若い頃に資本主義を否定し資本主義社会に組み込まれまいとした自分だが、こうして福原や堤の本を読んでいると、「資本主義」は「現時点での」という留保付きで最高のシステムなのかなぁと思う。資本主義の論理には与したくない青臭い自分は依然としているのだけれど(照)。

トヨタが今回言わば「大政奉還」となった。福原も堤も言わば「オーナー社長」「創業者一族」の類になり、彼らの対極にある「雇われ社長」(目先の利益を上げないとクビになる?)や「乗っ取り社長」(自社の株価があがったら売り抜ける?)たちは、「ワシには福原や堤のような真似はできん」とのたまうかもしれない。真似はできなくてもいいから、企業人トップとしての社会的使命(ミッション)は果たしてほしい。
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by tiaokumura | 2009-06-18 21:31 | | Comments(0)

富山県思考大会問題作成委員会『思考大会問題集 思考力の開発』小学生用・中学生用

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編集人 富山県思考大会問題作成委員会
『思考大会問題集 思考力の開発 小学生用
  考える力が おどろくほどのびる本』

改訂版 平成21年6月15日
(第1版 昭和42年9月1日)
『思考大会問題集 思考力の開発 中学生用
  考える力が おどろくほどのびる本』

改訂版 平成19年7月31日
(第1版 昭和42年9月1日)
発行人 富山県教育会
定価 各1400円(消費税含む)

日本国内の数学教育学界では夙に知られていると思います(東京教育大数学科卒の親友哲ちゃんはご存知だった)、富山県の「思考大会」。小中学生を対象に昭和32(1957)年に第1回が実施され、現在も続いている大会である。富山県が「はたして『教育県』か」は県外の人々が判断すべきことでしょうが、僕のように富山で生まれ富山で高校までの教育を受けた者としては、「思考大会」は「中学校教育研究会(略称「中教研」)」などと共に富山県教育界が全国に(あるいはひょっとしたら全世界に)誇ってもいい教育業績だと確信する。「中教研」は中学校教師の集まりで、4月と11月に5教科の学力調査を行っていて(僕は塾を廃業したので現状に疎いが、今もきっと続いている)、各教科の錬り抜かれた問題たるやすばらしいものばかりである。学習塾主宰者の僕は、テスト問題作りで多くを学ばせていただいた。「新学力観」や「総合学習」などが叫ばれるずっと前から、「中教研学力調査」は良問を発し続けている。
さて、「思考大会」の話である。教科で言えば算数・数学で、僕が小学5年生くらいに始まっている。「思考大会」は、日本で「数学オリンピック」が知られるようになる遥か前から富山県で実施されているのである。僕は、北日本新聞社こども一日記者や弁論大会や童話大会には応募した記憶があるが(記憶違いがあったらご容赦を)、この「思考大会」を受けた記憶はない。本書には昭和36年度第5回思考大会・愛宕会場の写真が載っているが、そこにはまさにあの当時の「僕たち」が写っている。試験監督の男女2人の教師もあの当時の雰囲気を物語っている。僕は天才や神童とは対極に位置する小学生だったので、このような大会があることをたとえ知っていたとしても、ビビって受けなかったでしょうね。そんなことは気にしなくても受けられる大会なのですが。

本書の「推せんのことば」は河野宰治さん。僕が中高校生あたりのころにスポーツ関係で知ったお名前です。富山県教育長を務められ教育界に重きをなされた方なのですが、僕には県内スポーツ発展に寄与された方としての記憶が大きい。河野さんの「推せんの言葉」から、第2段落を引用させていただく。
 ところが、こんな大切なものをじっくり考えるということが、特に戦後における一つの傾向として、軽視されて来た。いわゆる○×式の一連のものがまかり通るように教育の方式が歪曲されて、ものをじっくり考えるよりも、右か左かの即決に頼って、ものごとの判断をすらスピードアップするようなことになってしまったと言えよう。これは、甚だ憂慮すべきことであると、わたしは心配している。人間に与えられた特権とも言うべき考えるということが、こんなことで疎外されることになっては、極端に言えば人間疎外にもなりそうなのである。
お読みになっておわかりのように、河野さんのご発言は決して古びていない。2009年の「今」という時代に読んでも、河野さんの「教育への危機感」「教育哲学」「教育が目指すべきこと」がひしひしと感じられる。現在の例で例えばセンター試験の数学、自分が解けないからって無茶を言うのではないのですが、マークシートゆえの弊害は大きい。マークシートじゃ幾何の問題、出せっこないでしょうね^^。

僕は春先だったか新聞記事で本書が出版されたことを知り、入手したかったので実施団体にTELした。だがあいにく品切れで、「年内に再刊予定なので希望があれば予約を聞いておく」というご返事だった。もちろん予約した。そして今日帰宅したら届いていた。
頭が固くなってしまっている僕ですが(恥)、小中学生の昔に戻った気分で、ときどきこの問題集に取り組んでみようと思います。著作権違反だったら即削除しますが、皆様のために「小学生用」「中学生用」から各1問、下に転載します。よろしかったらチャレンジなさってみてください。
<第1回富山県思考大会(昭和32年)小学生用>正答率16%
 動物使いが、象と、しま馬と、ライオンのこどもを1つのへやの中に入れていました。動物使いといっしょにおればみんな仲よくしていますが、動物使いがいないとライオンのこどもはしま馬にかみつこうとするし、象は長い鼻でライオンのこどもをたたきころそうとします。
 今この3びきの動物を別の1つのへやにうつしていっしょにしたいのですが、2ひきをへやにおいてかぎをかけて1ぴきずつつれて歩かないとにげてしまいます。
 3びきともけんかをさせないように別の1つのへやにうつすにはどうしたらよいでしょう。そのしかたをかいてください。
(p.6。大問3問中の1問。原文ママ。ヒントは省略した-奥村)
<第52回富山県思考大会(平成20年)中学生用>正答率13%
 1本100円のジュースの空きビンを4本もっていくと、ジュース1本に交換してくれる店があります。例えば、ジュースを4本買ったとします。買った4本のジュースを飲んだ後、空きビンになった4本でジュースを1本もらうことができます。ジュースを4本買えば、合計5本のジュースを飲むことができます。
 次の問いに答えなさい。
[問1]900円もっています。最大何本のジュースを飲むことができますか。
[問2]7000円もっています。最大何本のジュースを飲むことができますか。
[問3]ジュースを150本以上飲むには、お金は最低いくらあればよいでしょうか。
(別冊p.13。大問7問中の1問。原文ママ、ヒントはなし-奥村)
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by tiaokumura | 2009-06-16 19:12 | 富山 | Comments(4)

木村大作監督『劔岳 点の記』(2009年)

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(6月14日午前・記)
原作・新田次郎(1912-80)
主なスタッフ
監督・木村大作
製作・坂上順 亀山千広
脚本・木村大作 菊池淳夫 宮村敏正
音楽監督・池辺晋一郎
山岳監督・多賀谷治
企画協力・藤原正広 藤原正彦
主なキャスト
柴崎芳太郎(陸軍参謀本部陸地測量部 浅野忠信)
宇治長次郎(測量隊案内人 香川照之)
小島烏水(山岳会 仲村トオル)
生田信(陸軍参謀本部陸地測量部 松田龍平)
柴崎葉津よ(柴崎芳太郎の妻 宮崎あおい)
古田盛作(元陸軍参謀本部陸地測量部 役所広司)
行者(夏八木勲)

手元に2006年11月に復刻された『中学校社会科地図』がある。「昭和25年9月25日」の奥付があるから、今70歳前後の方々が中学生時代に使った地図帳でしょうね。地図帳には「チョンホワ民国」(首都はナンキン)「ハーヌ民国」(首都はソウル)があり、資料類には1950年代初頭の世界・日本の「今」が興味深く探られる。26-27ページ(中部地方)の綴じ目あたりに「劍岳 3003」が載る。

全国公開に先立つこと1週間。昨日土曜日朝、映画『劔岳 点の記』を観てきた。9時半過ぎに自宅を車で出て約8分の「シアター大都会」。チケット売り場には既に10人ほど。急いで並んでふと後ろを見たら更に数十人の行列ができていた。この日はいくつかの映画の封切日だったんでしょうが、『劔岳 点の記』人気が一番。運転免許証を見せて人生生まれて初めての「シニア料金=1000円」(照)。「スクリーン2」に入ったらもう既に9割以上の客。スクリーンから前列2列目真ん中あたりにようやく席を見つけた。

映画『劔岳 点の記』覚書いくつか。
①今年7月13日に古希を迎える「伝説の活動屋」木村大作(きむら・だいさく1939-)の監督初作品。木村は森谷司郎・岡本喜八・深作欣二・降旗康男・山下耕作・中島貞夫・舛田利雄・大森一樹・チャンイーモウら錚々たる監督の下でキャメラマン。1973『日本沈没』(森谷)・1977『八甲田山』(森谷)・1981『駅STATION』(降旗)・1986『火宅の人』(深作)・1996『わが心の銀河鉄道 宮沢賢治物語』(大森)・1999『鉄道員』(降旗)・2006『単騎、千里を走る。』(チャン・イーモウ)などなど。その木村がCGも空撮も使わず、「”本物の映画作り”を目指し妥協をせずに、自分がやろうと思ったことをやりました。」。小津安二郎だったと思うが「どうでもいいことはみんなに従い、大切なことは自分に従う」を連想させる。
②明治39(1906)年、陸軍参謀本部陸地測量部測量士柴崎芳太郎(1876-1938)は、日本地図で空白地点になっている劔岳の初登頂と測量を命ぜられる。前人未到の劔岳は映画『黒部の太陽』を、山岳会(後に「日本山岳会」)との競争は映画『八甲田山』を連想させる。柴崎が相談に行った元の上司の古田盛作は案内人として宇治長次郎(1872-1945。富山県新川郡大山村出身)を紹介する。
映画は柴崎たち測量隊の軌跡を忠実に再現する。「全部本物の場所で撮影する」「自分の目高で撮っていく」(木村)。CGも空撮も使わずにどうやって雪崩や滑落のシーンを撮ったのか、素人の僕には想像を絶する困難や苦労があったことでしょうね。浅野(柴崎)や香川(宇治)らの役者魂はすごい。自然の前で人間はちっぽけな存在であることは確かだが、そんなちっぽけな人間たちがこのように映画作りを成し遂げたことに深い敬意を表したい。「人間は創造する葦である」と言いたい。
③この映画の主人公は柴崎・宇治であるが、「劔岳」も「主人公」だと言える。その自然美の荘厳さ・人間を拒絶する峻烈さ。僕は登山経験は薬師岳と立山(雄山)しかないのですが、「劔岳」は小島烏水(こじま・うすい1873-1948)がそうであったように今でもアルピニストの憧れの山なのでしょうね。
ここまで読まれてお気づきでしょうが、名峰「つるぎだけ」の「つるぎ」にはいくつかの表記があります。この映画では「劔岳」、広辞苑は「剣岳・劔岳」、大辞林は「劒岳」、前述の社会科地図帳は「劍岳」。さらに原作の新田次郎では新版・文春文庫版でまた異なるから、合計6種ということになります。常用漢字では「剣」が正字?で残り5種が異体字?になるのでしょうか。お山は一つで字種が6種、「ギョエテとは俺がことかとゲーテ言い」ですよね(爆)。勤務先の富山国際学院のスタッフの地元上市(かみいち)ご在住の石川さんに「固有名詞」ではどうなっているのか確かめてみようと思います。
剱岳の標高は、柴崎測量隊計測で2998m、昭和5年に3003m、昭和43年に2998m、平成16年には2999mと変遷。僕は中学では3003mで覚えていたと思う。現在のような人工衛星による観測などない時代の柴崎測量隊の技術の高さに驚く。
④立山曼荼羅(まんだら)・立山信仰・芦峅寺(あしくらじ)・雄山(おやま)神社など、富山県民の僕にはある程度知識があるシーンがいくつもある。映画の「富山驛」は現在の富山地方鉄道(通称「地鉄」)「岩峅寺(いわくらじ)駅」でロケしたそうです。
⑤クレジットでは「仲間たち」としてキャスト・スタッフ・協力地・協力機関などが平等に流れる。こういうところにも木村大作監督の想いが現れているのでしょうね。映画『劔岳 点の記』における撮影隊(木村・浅野ら)と山岳ガイド(多賀谷ら)の関係に、明治期の測量隊(柴崎ら)と案内人(宇治ら)の関係が重なる。
⑥「人がどう評価しようとも、何をしたかではなく、何のためにそれをしたかが大事です。悔いなくやり遂げることが大切だと思います」-古田から柴崎あての手紙の一節。また、映画のパンフレットに曰く、「決して名誉のためでもなく、利のためでもない。仕事に誇りをもって挑む男たち。いま、わたしたちが失くしつつある、日本人の心の物語である。」、「誰かが行かねば、道はできない。」。どれも、つい愚痴をこぼし凹みがちな日本語教師の僕に突き刺さる名言である。
他にも、陸軍の柴崎測量隊への「評価」・この映画の音楽・長次郎谷・明治という時代・新田次郎のこと・修験道などいろいろありますが、このくらいに留める。
この映画の公式サイトは(右にもリンクしてありますが)こちらです。

久しぶりに「また映画館で観たい映画」に出会いました。『おくりびと』に続く富山県ゆかりの名画『劔岳 点の記』。富山県内で1週間の先行上映後、6月20日(土)より全国上映。「百聞は一見にしかず」-皆様もぜひ映画館に足をお運びになって、2時間19分、スクリーンに魅せられてください。こういう映画って映画館の大スクリーンで観るのがベストです。

木村大作監督・皆様、すばらしい映画をありがとうございます!

(付記)
この記事は、映画『劔岳 点の記』のパンフレット(掲出写真上)・「頂に挑む男たちの軌跡 劔岳 点の記」(北日本新聞2009年4月29日付特集。掲出写真下)などを参考にしました。
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by tiaokumura | 2009-06-13 13:32 | 富山 | Comments(6)