<   2009年 05月 ( 18 )   > この月の画像一覧

小西弘通先生「富山”観世塾”」、4回目の受講

昨日は11:45頃に山﨑眞理子さんとの「日本語ボランティア登録者研修会」の打ち合わせを終え、CiCを出る。山﨑さんも僕も互いに忙しい身なので、打ち合わせはこれが最初で最後かもしれない。あとは、メールやケータイでのやりとりになりそう。

5月30日(土)の午後は、小西弘通先生(観世流シテ方 富山松友会顧問)が講師の「富山”観世塾”」。小西先生は、重要無形文化財総合指定保持者・能楽協会 大阪支部常議員でもあられる。「平成21年富山”観世塾”」の初回は1月31日だったのですが、僕は受講せず、2月28日・3月28日・4月25日についでこれが4回目の受講になります。

CiCを出て約30分後、昼食を摂るため前回4月25日と同じ中華料理店の前に車を入れる。ところが、「営業中」とあるのにお店にカギがかかってるんですね。で、隣りにある別の大きな・割と有名な和食店に入る。メニューを見ててなんだか「天丼」が食べたくなって注文。10分ほどして運ばれてきたセット料理。「へ~、イマドキの天丼って茶色っぽいんかいな」と思いつつ一箸つけたら、な・な~~んと、これが「カツ丼」じゃありませんか。でももう箸をつけたもんしょうがない、それに時間もあまりないし、ってことで、カツ丼・おみそ汁・お新香などをパクパク平らげる。食べ終わる頃に仲居さん(って言うのか)が天丼を持ってテーブルに。「天丼をご注文のところ、間違えてカツ丼をお出ししてしまいました」ってな釈明。手には「天丼」あり^^。えっ、それ、食えってんかいな。ワシ、そんな大食漢じゃないし(爆)。お店側のオーダー間違いなんで、ひょっとしたら半額にしてもらえるんじゃないかと、密かに卑しい気持ちがムラムラ(激爆)。でも、僕のそんな願い?をよそに、あるいは見透かされたか、彼女が言うには「天丼もカツ丼も同じ値段ですので・・・」って、なんか的外れ。村上春樹と村上龍の文庫本を間違えて売っといて、「同じムラカミですから」なんて言うんかいな。白いTシャツ買うはずだったんに黒いのが来て「Tシャツに変わりはありませんから」と言うんかいな。ん、なんか適例じゃなかったかも^^。ま、女性には弱いので(恥)、彼女に文句を言うこともなく、すごすごとレジで支払い。確かに資本主義社会に生きざるを得ない我らにとっては、彼女が言う「同じ値段ですから」ってぇのは一理あるわいと、車を運転しながら妙に納得したオクムラ君でした。

能楽堂に行くために駐車場に車を入れようとして、またまた不愉快なできごとが。入口に「○○○○」って立て看?があり、数人のサラリーマンがたむろ。中の一人が「駐車場いっぱいです」と言ってくる。毎月1回の能楽堂通い、こんなの4回目で初めてです。どうやら「○○○○」って会社がフェアか何かやってるのでしょうね、その来客で駐車場満車。それならそれで、50m先にでもその案内板出しときゃいいのにね。ちと文句を言ったら、そんな僕がクレーマーにでも思えたのでしょうね、ずいぶん無礼な態度。本当はどうか知らないが、社員教育がなってない会社(企業のイメージダウン)に思われた。どんな商品を扱っている会社か存じ上げませんが、この不況下、生き延びる企業努力を期待します。でも僕も気をつけなければならないでしょうね。僕の言動が富山国際学院の不名誉にならぬようにせねば。「○○○○」の社員の方々、反面教師になってくださって感謝です。

結局路上駐車して、能楽堂内の和室に入る。小西弘通先生にご挨拶。「花粉症、およろしいんでしょうか」と問う。いつもながらの柔和なお顔で、もう大丈夫とのお返事。先生が関西ご在住なもので、つい調子に乗って「ブタインフルエンザは大丈夫でしょうか」と余計なことまで言ってもうた(汗)。
受付の川田有紀子先生に受講料支払い。例によって(とは言うものの、今日の和室は前回までとは別室でしたが)富崎さんの隣りに席をとる。まわりの方と話してたら「路上駐車はマズイんじゃないか」とのことで、慌てて部屋を飛び出し、車の移動に。
駐車あれこれ苦労して、1時開始に間に合わず。部屋の外で「君の恵みぞありがたき」のリフレーンを聴く。次が始まる合間を縫って忍者^^みたいに入室。「高砂や」を小西先生の後について皆で謡う。「高砂や」は子どもの頃に婚礼か何かで聴いている。思えばあれが僕の謡曲初体験になっているのでしょうね。

今月は『小袖曽我』『杜若』『西行桜』の3曲。小西先生は、曽我十郎祐成・杜若の精・老桜の精。天丼事故・横暴「○○○○」に遭ったせいではないのでしょうが^^、この日は足と腰が痛くて往生しましたが(足を投げ出したりずいぶん行儀が悪かった)、小西先生の名人芸を堪能しました。いつも聴いてるだけの僕ですが(他の方はワキ・ワキツレ・地謡などで随時ご参加)、この日の『杜若』、これまでの曲とずいぶん違って聞えたので、川田先生に「今日の曲はずいぶん難しいんですね」と申し上げたら、先生に「耳がよくなった」と褒められました。いくつになっても褒められるって嬉しいもんです(照)。川田先生に見せていただいたランキングでは、『杜若』は一級、『西行桜』は準九番習の曲です。いつの日にか僕もこういう曲が謡えるようになるのでしょうか。
これで観世塾4回、華川会2回受講。「三日三月三年」って言いますが、謡に触れてから3か月経って、少し謡曲世界が垣間見られるようになった気がする。こうして小西先生や川田先生や松下会長や皆さんの謡を聴いていて、あるいは川田先生について『鶴亀』を習っていて、謡のポイントが自分なりに少しずつわかってくるのは、初心者としての喜び。今のところ、次の3つのポイントを目標にしている。
①一音一音をしっかり謡う(上手・下手の一番の差はここだろう)。
②詞章に付された節には必ずそういうメロディーラインになる必然性があるはずだから、そこのところを理解できるようにする。
③場面状況とことばの意味を正確につかむ。能では「実はさっきの人物は」というどんでん返しが往々にしてあるので、難しいところではあるが。

後片付けが終わって、小西弘通先生に感謝の辞を述べる。先生から「日記、見てます」と言われて照れくさきこと限りなし^^。小西先生は、ときどきこのブログにアクセスされていらっしゃるのですね。
小西弘通先生、いつもありがとうございます。
これからもご指導のほどよろしくお願い申し上げます。


次回は6月20日で『賀茂』『隅田川』『小鍛冶』。終了後1泊の懇親会。僕は翌週に名古屋出張を控えているのでたぶん「懇親会」は無理ですが、観世塾のほうだけでも出席したい。
[PR]
by tiaokumura | 2009-05-31 20:54 | 謡を習う | Comments(0)

山﨑眞理子さん(ゆうゆう)と打ち合わせ

f0030155_11505668.jpg
(5月30日夜・記)
この間からメールやケータイで連絡を取り合っていた山﨑眞理子(やまさき・まりこ)さんと、富山駅前のCiC3Fの富山市民国際交流協会で打ち合わせ。10時半のお約束だったんですが、CiC向いの市営?駐車場で例によって(方向音痴!)迷う。ここの駐車場、どうもようわからん。何回利用しても、車を停めてから後がグチャグチャに(恥)。それに駐車位置も忘れがちなので、今回は3の5、「さんごじゅうご」と何度かつぶやいて覚えた(爆)。声に出すことで記憶って定着することあるんですよね。他の方法では駐車券に駐車位置番号を書くこともやっています。
ぎりぎり10時半に間に合う。もちろん山﨑さんは先着。

このブログで既に書きましたが、僕、7月11日(土)に「日本語ボランティア登録者研修会」ってので講師をやります。この研修会、富山市民国際交流協会が主催で、それを「ゆうゆう」(原和子代表)が請け負っている形、なんでしょうか。
去年、何かの時に山﨑さんから「奥村さん、講師やって!」と頼まれ、原和子先生からもご依頼があった。「ボクなんかが」とも思ったのですが、お引き受けすることにした。理由は3つ。まず、富山国際学院にはゆうゆう出身のスタッフがこれまでに10人近くいること。うちのように自分のところで新米教師を育成できない学校にとっては、「ゆうゆう」さんは貴重な供給源なのです。それに原和子先生は、僕の日本語教師ヒヨコ時代(今もたいして成長してませんが^^)に既に「カリスマ日本語教師」だった方で、僕は当時から尊敬しています。そんなわけで、早い話が、僕はゆうゆう・原先生に恩義を感じています。ボクって、古いタイプの人間なんでしょうね、けっこう義理人情を重んじる男です(照)。そうそう、そういえば昨日の新聞だったかに高倉健写真集の広告載ってましたよね。横尾忠則が編集とか。ヤクザ映画のスチール写真も何枚か出てました。「買おうかな」と思って定価を見たら・・・一ケタ値段が(激爆)。僕の買える値段じゃない。例の定額給付金はもう寄付しちゃったので^^、購入不可能。本屋さんで立ち読みも無理でしょうね。どなたか買われた方おられたら、いつか見せてくださいね。
閑話休題^^。原先生・ゆうゆうへのご恩返しが1番目の理由で、2番目は自分なりにこれまでを振り返ってみるチャンスかなと思った。ひたすら走りっぱなしの日本語教師人生ですもんね。3番目は、僕のような者でも日本語教師になれる・日本語教師は生きがいのある職業だということを伝えたいこと。3万余人の「日本語教師」がいるそうですが、まだまだマイナーな職業ですもんね、日本語教師って。僕のような「特殊例」がどの程度受講生の参考になるかわかりませんが、「こんな日本語教師もおるんだ」と勇気づけられたらいい。
僕は富山国際学院の一員なので守秘義務やコンプライアンスもあり、何でもかんでも外部に発信はできない立場ですが、差し支えない範囲であれやこれや話そうと思います。
全部で2時間の研修。最初の30分が僕の日本語教師人生の総括(?)。そのあと30分は事前・当日のいろんな質問にお答えする。ってもそんな能力があるわけないので(恥)、「僕だったらこうする」「僕はこう考える」ってな答え方になるでしょうね。休憩をはさんで後半はワークショップ(WS)「理想の日本語教師とは」。えらいデカいテーマですが(汗)、どうせやるならこのくらいのほうが活発に意見が出るんじゃないかと思う。誰でも・なんでも発言できるテーマですもんね。僕にとっては本格的なファシリテーター初体験になります。WS、ここのところ講習に参加したり本を読んだりしてますが、
堀公俊・加藤彰『ワークショップ・デザイン』(日本経済新聞出版社)
を大いに参考にしようと思います。共著者の加藤彰先生とのツーショット(照)はこのブログに入っています。
2時間の研修、ただ一方的に僕が語るのじゃなく、参加型・双方向なものになり、受講者(20~30名くらいになるそうです)に「お持ち帰り」が1つでも2つでもある-そんな研修にできたら嬉しいと思っています。

不安半分・楽しみ半分の研修講師役です。
[PR]
by tiaokumura | 2009-05-30 11:50 | 日本語教育 | Comments(4)

4月新入社員諸君、少しは社会人基礎力が身についたかな?

今日は5月最後のD組(担任担当)授業。12時半に授業が終わって4時頃まで他の仕事が続いて少々焦り気味だったが、一段落した隙を狙って^^授業記録をつけ、5月のD組学生の成績評価・出席率計算。学生の顔を思い浮かべながらの作業。一人ずつのポートフォリオを作りたいのだけど、今のところアイディアのみ。
D組は「漢字なんか勉強したくな~い」ってな学生が何人もいるクラスなんですが(大汗)、選んだ教科書がよかったのか・補助プリントがよかったのか、今のところどの学生も食いつきよし。来週予定の自作テストで僕の授業力が試されます。
漢字がまぁまぁうまくスタートが切れて軌道に乗っているので、昨日から文法開始。これまたようわかっていない学生がゴロゴロなんですね(汗)。で、慎重に選んだ教科書、教科書ガイダンスがスムーズに受け入れられて滑り出し好調(かな?)。教科書の順序を変えて、チョー^^苦手な順にやることにしました。自動詞・他動詞→授受(あげる・もらうなど及びその補助動詞)→敬語→使役受身(ニンジンを食べさせられる、っていった類)と進んで、その後は教科書の最初から順にやる。教え方がいいのでしょうね(嘘爆)、今日あたりは、山王さん(日枝神社の春の例大祭。富山で一番人出が多いお祭り。そろそろその時期です)もかくやというような大賑わいぶり(激爆)。嫌いな文法のしかも一番いやなところ、けっこう楽しく習得に努めてました。これで上手なテスト問題が作れれば、彼ら・彼女らの潜在マグマパワー爆発でしょうね(そんなに簡単にうまくいくもんじゃないけど)。

新年度のスタートはいつも「新入社員」のような心持ちになる。ただ今年度は学院長も務めているのでそんな余裕?も乏しくなっていますが。「担当D組」2:「それ以外のあれやこれや」8、といった仕事バランスでしょうか。D組学生が、僕のそういった状況によって不利益を被らないように気をつけてはいます。D組、新年度の7クラス中、難しいクラス2つのうちの1つと思ってたんですが、副担任の林宏美さんのおかげもあって、まずまずの2ヶ月だったかなぁ。

最近は五月病とほぼ同じかそれ以上に「六月病」らしいですね。
4月新入社員の皆さん、いかがお過ごしですか。2ヶ月経って、どんな感想をお持ちですか?
あなたが就職活動できっと耳にしている「社会人基礎力」。社会人になって2ヶ月経った今、自己評価はどうだろう。
ここで簡単に「社会人基礎力」をおさらいしておきましょう。経済産業省が定義した「社会人基礎力」。前に踏み出す力(アクション)・考え抜く力(シンキング)・チームで働く力(チームワーク)の3つの能力。3つの能力は更に、「前に踏み出す力(アクション)」だったら主体性など3つ、「考え抜く力(シンキング)」だったら課題発見力など3つ、「チームで働く力(チームワーク)」だったら発信力など6つ、合計12の能力で形成されている。
日本には「企業文化」などという言葉があるくらいで、企業(あるいは自治体・学校・店舗など、要するに職場)によってさまざまな違いがある。あなたの職場がどこなのかで、「社会人基礎力」の各項目の重みづけが異なることでしょうね。あるいは、勤務先が、①あなたが5年後くらいに一人前になればいい②そんなに待てない、できたら1年以内③いやいやそんな悠長なことはいってられない3ヶ月で自立してもらわなければ、のどういうスタンスをあなたにとっているかによっても、「社会人基礎力」のありようは異なってくる。
ここでは、僕がもしあなたの「上司」だったら、あなたに何を期待するかで書いてみたい。

僕が最も重視するのは3つ、「主体性」「発信力」「情況把握力」だなぁ。その次が「実行力」「傾聴力」「規律性」「ストレスコントロール力」。残りの「課題発見力」や「創造性」など5つは今のあなたには期待しない。あなたは大学でそれ相応の勉強や経験をしてきて、「俺には課題発見力があるぞ」とか「わたしは創造性には自信があります」などとうぬぼれているかもしれないが、あなたが大学時代に身につけた知識・専門性・仕事遂行能力なんてたかが知れている。そんなもの、9割以上は屁のつっぱにもならない(下品な言い方でスマソ^^)。「課題発見力」や「創造性」がもしあなたにあるんだったら、あなたは今すぐ起業すればいい。
僕がもしあなたの上司だったら、あなたには今のあなたに与えられた仕事に進んで取り組んでほしい。仕事を通じての意見を僕にわかりやすく発信してほしい。今担当している仕事のフレーム内であなたがどこに位置しているか・最低限どんな役割を果たさなければならないかを、よく自覚し把握しておいてほしい。

上司にしたくないワースト1」になりそうな僕なんで(大汗)、全然参考にならないかもしれないが(だよね^^)、まぁ、以上のようなことを4月新入社員のあなたにちょっと伝えてみたかった。
あと、新入社員だろうが中堅社員だろうが、必ず実行してほしいことが2つ。
一つは確認・復唱、もう一つは報連相。この二つができない部下は、それこそ「部下にしたくないワースト1」だろうね。
3ヶ月以内で辞める新入社員の割合が、僕の予想をはるかに超える値らしい。ふと退社を考えているあなた、退社したあなたがでは次に何ができるのか、よ~く冷静に考えてみてね。泥舟職場だったら、また話は別だけどね。
「ガンバレ」なんて月並なことをあなたには言わないが、入社直後(あるいは入社前研修時のあなた)と今のあなたを比べたら、3倍くらい成長してるんじゃないかな。あなたはそれなりにガンバったんだよ、絶対。過信はだめだけど、自信とプライドを持とう。
[PR]
by tiaokumura | 2009-05-29 21:42 | このブログのこと | Comments(0)

国文学の終焉?

45年ほど前、僕は国語学国文学専攻だった。図書室だったか演習室だったかに定期的に出入りの本屋さん(複数?)が見えて、定価の1割引くらいで買えたのでしょうね、教官・助手・院生・学部生たちが注文したり納品されたりしていた。僕は勉強熱心でなかったし(恥)、本代もそれほど使えない生活だったので、さほど購読していなかった。それでも授業に必要な本を買ったり(あの当時はレジュメで誤魔化すような先生はおられなかった。いい意味での「原典主義」だったんでしょうね)、当時刊行中だった岩波日本古典文学大系の興味ある巻を買ったりしていた。雑誌で購読が多かった(人気があった)のは、岩波書店『文学』学燈社『国文学』でしょうね。岩波のほうは「国文学」以外も載せていたと思う。いつの間にか岩波の『文学』は月刊誌から5・6月号といった合併号(隔月刊)になっている。
今朝の朝日新聞の記事に
月刊誌「国文学」休刊へ
が載っていた。最盛期3万部だったのが今はその6分の1の5千部ほどになっているそうだ。同記事中にあるように月刊誌『国文学』は上代から現代までをカヴァーしていて、例えばある月は『源氏物語受容史』だったり『宮沢賢治と法華経』だったり『芭蕉・西鶴・近松』だったり『万葉集と中国文学』だったりした。あ、タイトルは僕が思いつきで今つけてるだけで、現実にあったかどうかは別の話です^^。
今はもう「国文学」の時代じゃないんでしょうね。第一、今の大学には「国文学」という名の専攻はないみたい。僕が2006・07年度に通った富山大学は、「日本文学」とかいう名前だったと思う。
45年前は、例えば吉田精一先生というあらゆる時代に通暁した怪物^^もいたし、能にもイギリスのクリティクスにも造詣が深い小西甚一先生、芭蕉も鷗外もレパートリーに入る尾形仂先生、国語学から国文学を照射できる小松英雄先生、源氏物語だけじゃない鈴木一雄先生などなどが東京教育大学教官陣におられた。今は研究テーマが細分化され、大きな研究テーマはもうない、国文学・日本文学研究にとって不幸な時代なんでしょうね。1ミリくらいにスライスされた対象を研究し、タコツボ化した中で隣接するテーマ研究者との対話もままならない-そういう時代なのかもしれない。また、およそ「国文学」を研究する以上は、漢文学の素養や伝統文化のたしなみ、あるいは欧米文学を原書で読みこなせる語学力が必要なのに、そのような力量がある人はもうほとんどレッドデータなのかもしれない。源氏物語の紫式部自筆本の断簡が見つかったり、芭蕉の宿帳が見つかったり、切支丹本の新発見があったりなどでもあれば別でしょうが、1960年代以前の「国文学」はもうほとんど研究し尽くされたのかもしれない。「~かもしれない」ばかり続きますが(恥)、そのあたりの事情をご存知の方がいらっしゃいましたらご教示ください。研究発表の場が学会か「紀要」しかないってのは研究者に影響大でしょうね。
かつて国文学徒だった者としては、『国文学』の休刊は、来るべき時が来たってことなんでしょうが、寂しく残念な気持ちである。僕がかつて買った『国文学』、あちこち引っ越す中で、今でも10冊くらいは本棚に残っているはずです。
日本文学研究者に有能な方は多数おられるのでしょうが、その方たちの努力をもってしても時代の趨勢には抗えないということだろうか。だが、自国あるいは自民族の文学遺産を尊重し研究し継承する人の数が先細りになって、その国・その民族の未来はあるのだろうか。村上春樹もケータイ小説もそれはそれでけっこうなのだが、八代集だって上田秋成だって北村透谷だって「おもしろい」のである。

同記事、同じく学燈社『受験の国語 学燈』の休刊も告げている。僕は高校生時代、親に願ってか小遣いを割いてか忘れたが、定期購読していた。昭和女子大の保坂先生とかいう方が主幹だったと思う。綴じ込みで問題もついていてそれに解答して郵送する。何ヶ月かして添削されて戻ってくる。成績上位者が雑誌に掲載され、そういうのはだいたい常連がいるもので、世の中にはすごい高校生がおるもんだと、片田舎の高校生のボクは感心した。また投書欄には旧仮名遣いで投書してくるナントカ君がいて、これもただただ感心するばかりだった。投書欄で論争もあったと記憶する。1か月のスパンなんで、今から思うとずいぶんのんびりした論争だったが、そのレベルは普通の高校生のレベルをはるかに超えていた。

『国文学』は6月11日発売の7月号、『学燈』(丸善の『学鐙』は別雑誌)は6月13日発売の夏季号で、それぞれ休刊。休刊っても実質「廃刊」でしょうね。定価がわかりませんが、買えそうな値段だったら最終刊、買っておこうかなと思っています。「ノスタルジジイ」かも(激爆)。
総合誌の「休刊」が話題になっていますが、雑誌業界、さまざまなジャンルで「休刊=廃刊」時代なんでしょうね。雑誌媒体での発信はもう不要な時代になりつつあるのだろうか。
[PR]
by tiaokumura | 2009-05-28 20:29 | このブログのこと | Comments(0)

宮崎健二君と@割烹たけし(金沢)

f0030155_1750176.jpg
(5月25日夜・記)
つらつらカレンダーを眺めてて^^いささかわびしくなった。今月は昨日までに土日休日が11日あるんですが、な・な~んと、その内5日以上も富山国際学院に出勤しているではないか。ヒト科エッチュウ属ナマケモノ種に分類されるボク^^は、働くのはあまり好きじゃないっていうワガママ者。それがなぜ? あれやこれややるべきことを溜めこんでしまって、でも風呂敷残業はいやで、かくなった次第。これまでも家に仕事を持ち帰ったことは何回もあったのですが、今年度になってそういうのはなんだか「けじめ」がなし崩しになるように思い、よほどの緊急事態以外は持ち帰らぬことにした。その分は勤務先に平日以外も出勤して処理することにしたんですね。どっちがいいんでしょうねぇ、風呂敷残業休日出勤。どっちもどっち、でしょうね(爆)。そのうち「風呂敷残業+休日出勤」が至極当たり前になったら・・・ゾーっですね。ボクは責任感が弱く(恥)テキトーに息抜きしながら仕事をやるタイプなんで、幸い「過労死」とは無縁ですが。
ビジネスパーソンはそれぞれに自分に合った仕事術を身につけていらっしゃるでしょうね。僕の場合、仕事術と読書術は一脈通じるところがある。「多読」と同じでいくつかの仕事を並行してやる。例えば、A・B・C・D4つの仕事があった場合、Aに飽いたら(あるいはAが袋小路に陥ったら)Bで気分転換を図る。その際優先順位ももちろん考えます。その日の安全牌がCだったら、Cで勢いをつけておいて重い仕事Aに挑んだりもする。あと半年後に締切なのだけど、それがかなりしんどい(作業量も重要度も大な)仕事だった場合、グランドデザインを作っておいて部分部分をちょこちょこっとやる、なんて取り組み方もしています。「外部に相手がある仕事」はほどよい緊張感を持ってやる、ってなことも意識しています。どなたもそうでしょうが、仕事をこなす中でちょっとしたコツが蓄積していくんでしょうね。

土日休日出勤しても能率がいいってぇもんでもありませんが、一昨日土曜日も午前9時過ぎ出勤。書類つくりや外国とのメールやりとりなど。1時頃、車は学院の駐車場に置き、徒歩で富山駅に向う。駅近くのマリエで鱒寿しを購う。鱒寿しは全国的には×(特に名を秘す^^)がブランドになってますが、僕はあまり好きじゃなく、大切な人へのお土産には×以外のメーカーのものを買うようにしています。マリエの1Fに4つのメーカー?が入っていて、そこで今回の手土産2つを買いました。僕が向うは金沢。
サンダーバードを降りて金沢駅の改札口を出たら、目の前の看板に宣伝がありました!
全国和紙ちぎり絵サークル 第14回全国展(金沢)
金沢駅からバスに乗り片町下車。ここで方向音痴の本領発揮で(激爆)、宿泊予約してたホテル、違うところに行ってしまった。ネットで通常8000円のところ5500円ってのを見つけ、それは「アパホテル」なのですが、僕は本当は<金沢中央>を予約してたのに<金沢片町>に行っちゃったんですね(大恥)。フロントで地図をもらって、元来た道を取って返す^^。
アパホテル、これが通常8000円かってくらいチョー狭シングル。でもまぁこんなもんなんでしょうね。ここはもう20年以上前か、実に濃い^^女社長が広告塔になった宣伝活動で有名になったホテルチェーンです。最近ではアパグループCEOのご主人が、例の田母神論文で名?を馳せましたよね。ホテルの部屋にCEOの著書と田母神論文所収の懸賞論文集がありました。

ホテルを出て香林坊を右折して更に広坂を右折。開館以来人気沸騰の「金沢21世紀美術館」の隣りにお目当ての「金沢歌劇座」発見。中に入ろうとしたら、前庭に宮崎健二君。さらに純子夫人も。2003年京都以来6年ぶりの再会。ボク、かぶってた帽子や服・ひげがよかったんでしょうね、純子夫人に「オシャレ~」と褒められ、ちょっと舞い上がっちゃいました(照)。
スタッフの皆さんお揃いのTシャツ姿。5時閉館ということで急ぎ足で30分ほど観賞。入口に純子夫人のご挨拶のパネル。ちぎり絵の生みの親の亀井健三さん(1918-2002。Wikipediaにご紹介があります)の言葉も併記し、「ちぎり絵の歴史と今」「ちぎり絵作者のちぎり絵創作に込める想い」が簡にして要を得た文章で綴られている。著作権もあるので^^引用は避けます。館内、一番目に純子夫人の作品。二番目にお姉さまの理愛子さんの作品。その次が、会場で名刺交換もした矢野伸明さんの作品。3作品が「本部」で以下各地(残念ながら富山ともう1県だけまだサークルがないそうです)が続く。300点を超える大規模展である。矢野さんはちぎり絵の次世代を背負って立つ方のようです。
僕が「ネットで見てたらちぎり絵のことを『絵のようだ』って書いてた人がいた。言ってる本人は『褒めことば』のつもりだろうけど、失礼だよね」って言ったら、宮崎君も矢野さんも「そうだ」と首肯してくれた。うまいたとえじゃないけど、富士山を見て「絵葉書と同じだ」と言うようなもんじゃないかしらん。「ちぎり絵」は「ちぎり絵」なのであって、油絵や日本画と同列の芸術なのである。それの傍証にしかならないだろうけど、写真で見る「ちぎり絵」はまるで迫力がない。どんなに写真技術が発達してもオリジナルと写真じゃ雲泥の差。ちぎり絵の立体感が写真じゃぁ平面に落とし込まれてしまう。

スタッフミーティングを終えた宮崎君と今夜の食事処を目指す。
宮崎君がちぎり絵の京都サークルの方に教えてもらったお店。ビックリしたのだけど、その京都の方は、このブログをご存知だそうな。
片町から犀川大橋を渡らず右折。川沿いのやや坂道を歩いて約10分。右手に白っぽい小ぶりの洋館風の建物。「割烹たけし」。
カウンターに陣取る。右奥にお座敷があるのかもしれない。
まずは生ビール(中)。付き出しはネギとイカの和え物。哲ちゃんご推奨の菊姫は置いてない店で(残念)、日榮や立山や菊正宗など。女将さんのなまえを取った「さちこオリジナル」・ご主人の名の「たけしオリジナル」・「加賀鳶」などいただく。
前菜は鯛のかぶと寿しなど数種盛合せ。お造りはかんぱち・シロエビなど。そして「出ました~」って感じで「のど黒」焼物。「のど黒」、金沢通いをするようになって初めて知った魚。ムツの仲間なんでしょうね。のどが黒いから「のど黒」。単純明快なネーミングです^^。それが目ん玉が飛び出るくらいの高値の魚。丸ごとだとベラボーな値段なんですね。もちろんそんなん食したことありません。今夜は切り身でご登場。もちろんおいしいですが、なんでそんなに高いんだとちと反発したくなる程度の旨さ。「(筍饅頭+鯛)×あんかけ」が来て、酢の物は毛ガニ。コースで予約してたんでしょうね、他にも何品かあって〆は焼きおにぎりでデザートも。
6年ぶりの宮崎君との再会&飲食。昔から疑問に思ってたことなんかを尋ねたりした。7割宮崎・3割僕ってな歓談だったでしょうか。友だちっていいもんです。長く会わずにいてもすぐ会話ができる。利害関係がないってのもいいのでしょうね。それに掲出の写真にあるように二人とも既にジジイ(爆)。彼は実生活でも「おじいちゃん」です。矢野さんが娘婿で、展覧会会場にあった矢野さんの作品は男の子を描いたものですが、その男の子こそ宮崎君のお孫さんなんでしょうね、きっと。
「割烹たけし」ではつい調子に乗って哲ちゃんにもTELしてしまった。8時過ぎにお店を出る。京都サークルの方、もしこのブログご覧になってたら、御礼申し上げます。あなたのおかげで楽しい夕べを過ごせました! 宮崎君があなたからいただいたお食事券、使わせていただきました!
アパホテルにスターバックスが入っていて、そこで二人してデミタスコーヒー。宮崎君に頼んで「紅葉狩」少しやってもらった。観世流の大成本、ボク、持参してたんです^^。
その後別れる。部屋にもどって『遥かなる絆』最終回を観ようと思ってたのに、僕はいつしか眠り込んでて・・・起きてあわててチャンネルをつけたらもう『会社の星』の時間だった!

宮崎君、土曜日は久しぶりに会えて嬉しかった。
次回はボクが遺影でキミが弔辞読みなんてことにならぬよう(激爆)、無理せず生きていこうと思います。また再会できる日があることを願ってます。
純子夫人・矢野さま、次回は同席していただけると嬉しいです。
今夜は打ち上げで明日は搬出でしょうか。全国展、ご盛況おめでとうございました。皆様、お疲れ様でした!
[PR]
by tiaokumura | 2009-05-23 17:50 | 美味録09年 | Comments(0)

平山蘆江『東京おぼえ帳』(ウエッジ文庫)

f0030155_23242213.jpg
平山蘆江(ひらやま・ろこう1882-1953)
『東京おぼえ帳』
ウエッジ(ウエッジ文庫)
2009年2月23日第1刷
800円+税

ゼッタイに一読三嘆でしょうね、こんなにおもしろい本はめったになかろう、です。尤も、この本を読んでそう思うのは55歳以上かもしれない。作者の平山蘆江は僕が小学生の頃にはご存命だったのだが、全くその名は記憶になかった。先月だったか朝日新聞でこの本が紹介されていて「読みたい」と思い博文堂さんに注文しておいた。

同書の略歴と解説(鴨下信一)に拠ると、平山蘆江は
明治15年神戸生まれ。実父死後、長崎の酒屋平山家に入る。府立四中(現在の都立戸山高校です)中退。日露戦争時には満州放浪。帰国後、都新聞(現在の東京新聞に通じる新聞です)・讀賣新聞の花柳演芸欄を担当。
と大ざっぱすぎますが、平山蘆江基礎知識としてはこんなところでしょうか。私なんかから見れば「祖父」の世代くらいになるでしょうか。

本文庫本の元本は、1953年、平山の没年(72歳)「死後旬日にして刊行」(「解説」p.357)だそうです。
帯の「無類に愉しいゴシップ満載。」がこの本の性格を如実に表しているでしょうね。「梨園の花、花柳界の名妓、明治の元勲、大正の成金」が続々登場します。「人名索引」がついていればよかったのですが、あいにくないのが「ないものねだり」だが、次回刊行の折にはぜひ「人名索引」(できればその生没年も)があってほしい。

同書から市村羽左衛門・伊藤博文の2人について僕の付け足しも交えながら少し引用。
15代目市村羽左衛門(1874-1945)。
父はCharles Le Gendre(チャールズ・ルジャンドル1830-99)。Charles Le GendreはWikipedia英語版に記述があります。それによると、1872年12月にアモイからアメリカ合衆国に戻る途中日本に立寄る。彼は「南北戦争」に従軍しグラント将軍指揮下にあった人物。日本滞在中に副島種臣(そえじま・たねおみ1828-1905)に請われ、外国人初になる政府の要職に就く。副島は当時外務卿だった。1875年に退職した後も日本に留まり、1890年に日本を去り李氏朝鮮に渡る。彼は1899年に亡くなるまで高宗の政治顧問を務める。乙未事変(閔妃惨殺)は1895年、いわゆる李氏朝鮮が大韓帝国になるのは1897年です。Le Gendreが日本滞在期間中に池田絲との間に儲けた子が後の15代目市村羽左衛門。ただしこれは羽左衛門死後に里見弴によって明らかにされた事実です。確かに彼の顔を見ると、特に「鼻」は欧米系です。
「松坂世代」って言いますが、「團菊左時代」は名歌舞伎役者が鼎立する時代だったんでしょうね。九代目市川團十郎(1838-1903)・五代目尾上菊五郎(1844-1903)・初代市川左團次(1842-1904)が競い合う時代。それが日露戦争頃のわずか1年半くらいの間に立て続けに没する。そしてそれから約10年後、羽左衛門の芸が開花する。蘆江が羽左衛門を高く評価していたことは次の文章に見られる。
見る方に眼がなくなつたから、見せる方の手足がのびなくなるのは知れ切つた道理だ。羽左衛門の舞台は日本らしく日本の着物を着た見物と共に羽左衛門が完成した舞台だつた。洋服を着た日本人、いや日本服を着得ず洋服をさへ着こなし得ぬ日本人の日本となり果てゝは再び羽左衛門の出現はあり得ない。(p.43)
現代の我々にも耳が痛い文章です。
羽左衛門のエピソードはどれもこれも痛快で筋が通っている。
「くみ子」と言う若い芸者と付き合う金がなくなったとき、ある人が「歌舞伎役者としてのお金が入ってくるのだから、そのお金を使えばいいではないか」と言った。それに対する羽左衛門の返事がいい。
「べら棒め、おいらは役者だよ、役者の給金は地道の金だ、地道のカネをチビチビつかつて色ごとあそびをするやうな了見を持つたら舞台が小汚くなつちまふよ、浮気とさへいふぢやねえか、色事はきれいさつぱりとやるもんだ。出来ねえ時は歯をくひしばつて我慢するもんなんだよ」(p.47)
羽左衛門の洋行時の言動もおもしろい(pp44-45)。倫敦で「面白い犬の置きもの」を見つけ買いたくなって、日本語で言ってみたが全く通じない。
「・・・面倒くせえから、ワンと云つたらすぐ判りました。あつちの犬もワンと云つて吠えると見えますね」
香港では犬のレースに賭ける。
「・・・どの犬に張らうかと思つてゐると、一匹スタートを切る前に糞をたれた犬がありました。こいつあウンが好いんだと思つたからその犬に張つたら、どうです、大穴をつかみましてね、儲かりましたよ」
そして洋行の感想が
「世界中どこへ行つたつて、同じですよ。つまり人間の集まり場所ですからね」
羽左衛門は日本の敗戦を待たず1945年5月6日没する。本書には出てこないが、進駐軍の高官パワーズの「羽左衛門はどうしていますか?」は、羽左衛門の偉大さとその損失の大きさを物語る。

伊藤博文(1841-1909)って大韓民国や朝鮮民主主義人民共和国の歴史ではきっと極悪非道な日本人として記録されていることでしょうが、どうなんでしょうか。生前あれほど非難していた宮武外骨(1867-1955)でさえ、伊藤暗殺後、伊藤を悼む記事で彼を高く評価していることを思うと、日本政治史・外交史において、伊藤はまだ評価が定まっていない人物なのかもしれない。少なくとも平山のこの本では伊藤博文は悪く評価はされていない。ハルピン行き前の伊藤の行動も、覚悟してのハルピン行きだったのかと思わせる(「伊藤の御前」pp143-149)。確かに伊藤は「女好き」ではあったが、「英雄色を好む」で、女性蔑視者とは程遠いようだ。ひとつの逸話だけご紹介する。
玉蝶は生理的に欠陥があつて、男と一緒に一夜をあかすと粗相をする事が多かつたさうだ、そのことを伊藤博文は知つてゐたと見えて玉蝶を必ず大磯へつれてゆき、二人きりになつてどんな粗相でも他人に知られぬやうに庇つてやる気持があつた。(pp148-149)
ここまでのフェミニスト、現代の男性にどれほどいようか。伊藤は決まった時間に彼女をトイレに連れていった。途中消えている電燈も一つずつ点けてやる。
厠の用を自分が済ましたあとも厠の前で女を待つてゐてやり、女が出て来ると自分は女のうしろにつき添ひ、通りすぎた電燈を一つ一つ消しつつ元の部屋へもどるといふ風だつた。(p.149)

本書、他にも、そばや寿司に薀蓄を傾けるイマドキの「グルマン」や店主に対する痛烈な批判とも読める「名物そばと鮨」(pp335-344)も痛快。

まだ2割も読んでいない本ですが、まぁとにかくおもしろい本です。ダマされたと思ってあなた(ただし55歳以上の「あなた」かも)もお読みください。「へ~、こんなすごい本が、しかも文庫本であったのか」とビックリされること請け合い。
[PR]
by tiaokumura | 2009-05-22 23:24 | | Comments(5)

最近の新聞記事から3つご紹介

2005年年末に開設した当ブログ、これで1200日余が経過しました。我ながらよう続いたもんだと感心する^^。ブログを通じてのご縁が新たに生じたり(寺本益英関西学院大学教授やtubomimさんやMeiさん)、ご縁が深まったり(かねごん先生や哲ちゃん)で、まぁ嫌なことも3回くらいありましたが^^、ブログやって良かったと思ってます。気のせいか、文章力もついてきたような(ホントかな?)。
2008年の1月だったか、このブログを読んで興味を持たれた讀賣新聞富山支局の柳澤享之記者富山国際学院にTELしてこられた。僕は金沢の日であいにく不在だったのですが、後にコンタクトが取れた。私のことを讀賣富山版「セカンドライフ」に取り上げたいとのこと。いささか迷ったのですが、「日本語教師」の宣伝になるかとも思い(「日本語教師」ってマイナーな職業なんです^^)取材を受け、こちらの記事になりました。その柳澤記者が東京本社国際部に転勤されるとのご案内ハガキを先日いただいた。柳澤記者は中東特派員のご経験もあり(フセイン関係の共著もある)、ご栄転である。柳澤享之記者のますますのご活躍を期待したい。
柳澤記者による「セカンドライフ」をお読みになった原和子先生(ゆうゆう)が、僕に「日本語ボランティア登録者研修会」の講師をやってくれないかと申し出られた。「僕なんかが」とこれまた迷ったのですが、富山国際学院にゆうゆう出身のスタッフが何人もいるので、そういう意味での原和子先生・ゆうゆうへのご恩返しと考え引き受けることにした。今年7月11日(土)に研修会があります。研修会で2時間も自分の話をしていても聞き手は退屈なだけでしょうから^^、30分=奥村「日本語教師人生」を語る、30分=「日本語教師の一人としてどんな質問にもお答えします」(時給や月給も^^)にして、後半はワークショップ(「理想の日本語教師とは」)にしようと思ってます。一方的なレクチャーじゃなく、参加型・双方向で、参加者が少しでも何かをお持ち帰りになられたら「成功」でしょうね。登録者は20~30人くらいだそうで、大勢の人の前で話すのは苦手なボクですが、ここはキヨブタ(「清水の舞台から飛び降りる」を最近の若者略語でこう言うそうです。ブタインフルエンザには関係ありません^^。にしても・・・なんかひどい日本語が蔓延してますねぇ)の気持ちになって準備してみようと思う。

新聞、いくらネット社会になったとは言え、僕には貴重な情報源です。「新聞の未来は暗い」という予測もあるようですが、まぁ僕が生きてる間に紙媒体新聞の消滅ってことはないでしょうね。僕は朝日新聞「人脈記」が好きなんですが、この間の山本義隆さんもご登場のシリーズでは確か内村直之記者も執筆。哲ちゃんが名編集者として紹介されたときの記者が内村記者です。内村記者の本では『われら以外の人類』(朝日選書)を読みました。また「明日のジョー」シリーズでは西村欣也記者(「記者」よりもっと上の地位?)も執筆。西村記者は朝日きっての名コラムニスト・名文家。プロ野球欄に彼の囲み記事がときどき出てます。柳澤記者・内村記者・西村記者ら、多くの記者の足と汗と頭と心の結果である名記事をたくさん読みたい-僕を含めた新聞ファンの希望でしょうね。ただ朝日新聞に一つご注文。ずいぶん力を入れてやってらっしゃるみたいですが、何曜日かの中刷りの横組特集(名前、忘れた^^)、あれは僕にはいただけない。読みづらいったらありゃしない。横組がいけないってんじゃなくって、紙面構成がひどい。僕がそう思うだけで実は人気があるのかもしれないけど。

さて、最近読んだ記事から3つご紹介。
朝日新聞2009年5月16日付「フロント ランナー」。いつも興味深く読んでいるシリーズ。今回は吉岡秀人さん(医師・ジャパンハート代表。43歳)。ミャンマーで医療活動中。日本人にもすごい方がおられるもので、わが身と比べて忸怩たる思いもするのですが、でもこういう方がおられることを同じ日本人として誇りに思う。彼のご発言からごく一部を引用。
人間というのは結局、自分が差し出した時間や背負ったリスク以上のリターンを手にすることができないんです。人生にはカネより大事なものがあると分かっていてもついついカネが欲しくなる。僕は、人の進路を塞(ふさ)ぐのは往々にしてカネや社会的名誉を求める己の欲だと思ってます。天職と呼べるような生き様を見つけたり、自分にしかない才能を開花させたりするのには、そうした欲を消し去って、目の前の仕事に、我を忘れるくらい没入してみることが不可欠なんです。

昨年、芥川賞を日本語非母語話者が受賞ってことで話題になりましたが(楊逸『時が滲む朝』)、この度シリン・ネザマフィさん『白い紙』で「第108回文学界新人賞」受賞。北日本新聞5月18日付「けさの人」。共同通信の配信(白坂美季記者)なんで、全国地方紙の多くに同記事あったかもしれません。同記事によれば、ネザマフィさん(イラン人。29歳。母語はペルシャ語)は神戸大大学院修了、今は大手電機メーカーのSE。『白い紙』、僕は未読でいつか読んでみたい。イラン・イラク戦争下のイランンの田舎町の高校生男女が主人公。白坂記者によると「描かれた異国の情景は、確かに五感に迫ってくる」。ネザマフィさんの弁によると「日本語はもうちょっと頑張らないといけない。特に、漢字は面白いけれど難しい」そうです。またこれから後の作品の構想は「人そのものの考え方や生き方を描いていきたい」。
今年もひょっとして、日本語非母語話者の芥川賞受賞があるかもしれませんね。

最後は「富山の魅力をPRするアニメ番組」。北日本新聞5月14日付。ピーエーワークス(南砺市城端)と「The BERICH」(魚津市)の共同制作。富山県と中国遼寧省の友好県省締結25周年企画。6月中旬からYouTubeでも配信されるそうです(英語・中国語・韓国語・フランス語)。YouTubeにアップされたらこのブログでご紹介します。乞うご期待!
[PR]
by tiaokumura | 2009-05-21 21:21 | このブログのこと | Comments(0)

全国和紙ちぎり絵サークル 第14回全国展(金沢)

f0030155_18554118.jpg

2009年4月9日にこのブログでご案内した展覧会がいよいよ明日始まります。今日あたりはきっと搬入で忙しかったんじゃないでしょうか。
以下、前回は案内ハガキの情報を引用しましたが、今回はがんぴ舎のサイトから引用させていただきます。ただし、引用にあたりフォントは変えてあります。
第14回全国展/金沢
会期:2009年5月21日(木)~5月25日(月)
    午前10時~午後5時
会場:金沢歌劇座(旧金沢観光会館)
    石川県金沢市下本多町6-27 TEL076-220-2501
主催:全国和紙ちぎり絵サークル
共催:全国展金沢実行委員会
協賛:いなば和紙協業組合・高知県手すき和紙協同組合
後援:金沢市教育委員会・NHK金沢放送局・北國新聞社・北陸放送・テレビ金沢・(財)金沢コンベンションビューロー(順不同)
協力:がんぴ舎
内容:作品展示数約300点を予定 和紙展示即売コーナー・ちぎり絵体験コーナー
入場料:無料

がんぴ舎のサイトはこちら
会場の金沢歌劇座のサイトはこちら

僕は土曜日4時過ぎに観覧に訪れようと思います。その後、がんぴ舎宮崎健二君と夕食を共にします。ヨッパになっても大丈夫なように^^既に金沢で1泊用のホテルもリザーブしてあります(激爆)。

僕のような者が、東京教育大学(現在は「廃校」)に入学できたおかげでいろんな出会いや経験ができたのは大いなる幸運。宮崎健二君哲ちゃん(当ブログのご常連)は教育大生時代以来のお付き合い。
3人で会った直近は京都。2004年だったかに、僕を慰めてくれるために、そしてちょうど京都でがんぴ舎の全国展もあって、京都に3人が集まった。あれは「鴨川納涼床」だったんでしょうか、爽やかな川風をそこはかとなく感じながら川床で一夕を過ごした。その後、哲ちゃんと2人、宿泊先のホテルまで京都市中を30分以上歩いたのも懐かしい思い出。
友を選ばば書を読みて 六分の侠気 四分の熱
でしたっけ(与謝野鉄幹)、「持つべきものは友」です。宮崎君・哲ちゃんのおかげで僕は人生の大きな危機を切り抜けることができた。
哲ちゃんとはその後東京で何度か会っていますが、宮崎君とは京都以来の再会になります。

今の若い人たちを見てると時々かわいそうな気がしてくる。以下ジジイの戯言になるでしょうが、僕たちの若い頃の本・音楽・SEXだけで比較してみても、様相がずいぶん異なる。
僕らは無論ネットなんかなかったから、専ら本に頼っていた。PC画面サイズと本の見開きじゃ、まるっきり受け手の感覚違います。必要な情報を得ようとする姿勢は今も昔も変わらないのでしょうが、昔はのんびりしてたんで「寄り道」もあれこれできた。効率より自分磨き優先だったんでしょうね。
音楽の場合。僕はあの頃の音楽を60代になった今でもジャンルを問わず聴いている。今の若い人たちが聴いている例えばゲーム主題歌やアニメソングやラップやミスチルや浜崎や着メロ着ウタあれこれなど、彼ら・彼女らが40代以降聴くに耐える音楽になっているのでしょうか。まぁ、ボクなんかがそんなこと心配せんでもいいのですが(汗)。
男の子に「草食系」が増殖中なんて聞くと、あの当時のボクたち男の子は実にSEXに飢えてたんだと思う(照)。今、それ相応に好きな女の子と2人っきりで2時間過ごしてもなんもないなんて、正直信じられない。ましてやファッションホテルで若いカップルがそのほとんどの時間をカラオケやゲームで過ごす、なんて聞くと、う~んチミたちっていったい何考えてるんだい、と理解不能・絶句状態に陥る(爆)。まぁ、そんなんも「余計なお世話」なんでしょうけどね。レイピストが増えるよりセックスレス群のほうが「平和」なんかも。
今の政治・経済・社会・国際などの情勢を鑑みると、「俺たちに明日はない」世代なんかもしれませんね、今の若者世代は。僕たちの場合は、今日よりは明日・明日よりは明後日と、右肩上がりの時代に生きてきた、言ってみれば幸運の星の下に巡り合えた稀有な世代なのでしょうね。

宮崎健二君はかつて観世流をやっていた。再会当夜は彼に素謡の手ほどきも受けようと思っています。再会がとても楽しみです。お互いの年齢・健康状態を考えると、あと何回会えるかわからないので、別れる時は辛く悲しい気持ちになるかもしれない。
[PR]
by tiaokumura | 2009-05-20 18:55 | 美術 | Comments(0)

「お上の事には間違はございますまいから」

定額給付金、皆さんのところはいかがでしょうか。富山市に住む僕のところにはお上から給付されました。世帯主の通帳に家族の分が一括入金だそうで、僕は自分の分の1万2千円いただきました。ここは麻生太郎(あそう・たろう1940-)さん・太田昭宏(おおた・あきひろ1945-)さんに感謝申し上げるべきでしょうね。
ありがとうございました、麻生さん・太田さん。
お金をもらったら感謝するのがわが家の家訓なので(尤も何もしないでお金をもらうのは初めてですが^^)まずは御礼申し上げますが、僕の「定額給付金は『天下の愚策』だ」という考えに変わりはありません。そのことについては2008年10月31日の記事などで書きましたので、よろしかったらご参照下さい。
麻生さんも太田さんもきっと年収800万円以上でしょうね(あるいは1500万円前後?)。そういう方たちに税金の使い道を任せたのがそもそもの間違いなんでしょうね。どうせ2兆円を使うなら、年収800万円以上には支給せず、400~800万未満には5000円、200~400万未満には4万円、無収入~200万未満には10万円~50万円とかできなかったんだろうか。
もっと怒りたいのは麻生内閣の赤字国債。麻生の「100年に1度の危機」が正しい判断だとしても、こんなに赤字国債を垂れ流して、その償還(返済)は誰がするのか。自民+公明=与党の国会議員が、1億円ずつでも死ぬまでに出してくれるのでしょうか(それでも「焼け石に水」)。結局は「200年」かかってでも、我々の子や孫や更にその後の世代たちが、生活に苦しみながら返していくしかないのではないだろうか。それとも麻生氏も太田氏も、「今さえ切り抜けられればやがて日本経済は劇的な回復を遂げ、赤字国債なんてアッという間になくなる」などと考えておられるのだろうか。麻生さん・太田さんには、死ぬ前にぜひ赤字国債処理のロードマップを作成しておいていただきたいものである。ちゃんとケジメをつけて逝っていただきたい。

裁判員制度との関連で森鷗外『高瀬舟』、ときどき話題になっていますよね。僕は晩年が自覚できたら^^、できることならネット社会と訣別し、鷗外や中島敦を読み耽り、演歌を聴きながら晩年を過ごしたい(照)。漱石や村上春樹より、僕の晩年は鷗外・敦です。同じく、シャンソン・クラシック・ジャズ・ニューミュージックなども好きですがやっぱ^^演歌です。僕の晩年、どういう晩年になるんでしょうね。もう「晩年」が始まっていたりして(汗)。
鷗外『最後の一句』も名作です。あらすじは皆さんご承知でしょうから省略します。
 「よろしうございます」と、同じやうな、冷かな調子で答へたが、少し間を置いて、何か心に浮んだらしく、「お上の事には間違はございますまいから」と言ひ足した。
 佐佐の顔には、不意打に逢つたやうな、驚愕の色が見えたが、それはすぐに消えて、険しくなつた目が、いちの面に注がれた。憎悪を帯びた驚異の目とでも云はうか。しかし佐佐は何も言はなかつた。

引用は『鷗外選集 第五巻』(岩波書店。1979年3月第1刷)の166ページ上段より。原文は縦書き・2段組。引用に当たってルビは省略した。
「いち」の場合は「マルチリウム」(献身)なので、今回の「定額給付金」とは趣を異にするのだけど、麻生さん・太田さんは、定額給付金について、もし
お上の事には間違はございますまいから
と言われたら、確信のある応答ができるのだろうか。
いちの父親・桂屋太郎兵衛は、「京都に於いて大嘗会御執行相成候てより日限も不相立儀に付、太郎兵衛事、死罪御赦免被仰出、大阪北、南組、天満の三口御構の上追放」になりました。このあたりも、裁判員制度で裁判員がどう判断するか、難しいところなんでしょうね。元文当時、桂屋太郎兵衛は死罪相当だった。裁判員制度、僕はこれも以前にこのブログに書きましたが大反対です。「裁判に市民感覚を取り入れる」というのも導入の理由のようですが、そんなの高収入の裁判官が自助努力で市民感覚を身につけるべきなんじゃないでしょうか。なんで我々庶民が裁判に付き合わなきゃなんないんだろう。しかも「王様の耳はロバの耳」じゃないけど、守秘義務だけはしっかり負わなければならない。被告に逆恨みされてあれこれつけ狙われたら、司法や警察はガードしてくれるんだろうか。

定額給付金、支給はされましたが、「天下の愚策」と大見栄を切った^^以上、自分のために使うわけにはいきません。日本語教師専従になったので、数年前と比べて年収が減ってボクは生活がラクじゃなく、ホントは喉から手が出るほどに1万2千円ほしいんですけどね(激爆)。でもここは、「武士は食はねど高楊子」(でしたっけ?)で全額寄付します。寄付は6000円ずつ2箇所を予定。

突然ですが、団塊の世代の皆さん。皆さんより経済的にはるかに困っている人が今の日本にはたくさんいます。差し出がましいお願いで恐縮ですが、できたらあなたの給付金の全額か一部は、そのような方の役に立つような使い方をしてください。例えばどこかの団体に寄付されるとか。「団塊の世代」の皆さんが若いときに夢見た夢・抱いた希望・かくあれかしの理想、今ここで少しばかり実現してみませんか。
[PR]
by tiaokumura | 2009-05-15 20:54 | このブログのこと | Comments(2)

三木たかしさん、ありがとうございました

5月12日、名古屋に向う「しらさぎ6号」の車中で三木たかしさんの訃報記事(讀賣新聞)を読んだ。同記事に一部補充しながら、三木たかしさんのご略歴を綴る。
三木たかしさんは1945年1月12日東京生まれ。僕より2学年上ということになります。「当初は歌手を目指して、15歳でジャズの小野満さんに師事」。小野満(1929-2008)は、世間的には美空ひばりとの婚約(1956年)そして解消で知られているかもしれないが、日本ジャズ史に残るベーシスト・バンドマスターである。三木は「作曲は独学」。僕が三木たかしという名を知ったのは、黛ジュン(三木の実妹)『夕月』(1968)かあべ静江『みずいろの手紙』(1973)あたりか。今回初めて知ったのですが、森山良子『禁じられた恋』(1969)も三木です。70年代にはもうかなり射程範囲の広い・売れっ子作曲家だったんですね。阿久悠(1937-2007)とのコンビで生まれた名曲『津軽海峡・冬景色』は1977年。僕の東京時代です(国分寺のアパートに住んでいた)。石川さゆり(1958-)はデビューのタイミングが悪かったんでしょうね、同世代の山口百恵(1959-)たちの後塵を拝していた。それが『津軽海峡・冬景色』で大ヒット。歌がうまい演歌歌手の誕生。と言うか、僕の場合「演歌歌手」は石川さゆりが最後です。今も40代以下の演歌歌手がいるのでしょうが、しみじみと聞き惚れられる歌手はいない。
三木たかしさん、2009年5月11日午前6時5分、ご逝去。

阿久悠の作詞はいつも意表をつく展開で、どれもどれも他人には到達できない阿久悠ワールド。『津軽~』の場合、特殊拍は措いて、6・7・7・7・5音で構成。6+都々逸か。75調の中の6音(「上野発の」「ごらんあれが」など)が特徴。
三木の『津軽~』は、イントロが絶妙で歌いだしの6音を三連符?2つ分に処理する。サビの部分では音数の違う「ああ/津軽海峡/冬景色」をほぼ等間隔の小節に収めているのが特徴。
作詞も作曲もようわからんのですが、素人考えではこのように捉えている楽曲である。
なお石川さゆり『風の盆恋歌』(1989)も三木たかしです(作詞はなかにし礼)。


今から10年ほど前になるが、富山県高岡市で中国人研修生の座学研修(日本語)を数年担当していた。1クラス20人くらいで、ほとんどが20歳前後の女性。座学の後は縫製工場などで研修。彼女たちが日本人と働くようになったら、カラオケがコミュニケーション手段になる(音楽は世界共通語)と思い、もう一つの理由は歌を歌うことでストレス解消になるってのもあり、日本語の歌も授業に取り入れていた。中島みゆき『ルージュ』(海賊版テープを持って来て、その歌詞カードが全くのデタラメで^^、曲を聴きながらディクテーションして歌詞を復元した思い出がある)もリクエストがあったが、あの当時圧倒的にリクエストが多かったのがテレサ・テン『時の流れに身をまかせ』だった。今の中国の若者には「古くさい歌」になっていることでしょうね。テレサ・テン(鄧麗君1953-95)の「政治的意味」も今の中国の若者にはピンと来ないでしょうね。
『時の流れに身をまかせ』の作詞は荒木とよひさ(1943-)。三木・荒木コンビには、わらべ『めだかの兄妹』『もしも明日が・・・』、チョー・ヨンピル『想いで迷子』などのヒット&名曲もありますが、テレサ・テン『つぐない』『愛人』『時の流れに身をまかせ』はあと20年は歌い継がれる名曲でしょうね。
独身男の5%・独身女の15%・夫の1割・妻の3割が不倫経験率だとボクは勝手に思っているのですが^^、不倫経験の有無に関わらず、不倫の匂いのする歌ってカラオケでよく歌われますよね。考えてみれば不思議な現象である。


数々の名曲を生み出した三木たかしさん。
あなたがお作りになった曲を愛唱する者の一人として、
ここに謹んであなたのご冥福をお祈り申し上げます。
ありがとうございました、三木たかしさん

[PR]
by tiaokumura | 2009-05-14 19:23 | 追悼 | Comments(6)