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中山康樹『ミック・ジャガーは60歳で何を歌ったか』(幻冬舎新書)

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中山康樹
『ミック・ジャガーは60歳で何を歌ったか』
2009年3月30日 第1刷
幻冬舎(幻冬舎新書)
740円+税

こういうタイトルの本、ついつい買っちゃう哀しい男の性(さが)^^。あっ、本の左肩の「GS」、グループサウンズじゃありませんよ(爆)。「幻冬舎新書」だからGSなのだ。
僕は知らなかったのですが、中山康樹(1952-)は、元「スイングジャーナル」編集長。『挫折し続ける初心者のための 最後のジャズ入門』(幻冬舎新書)の著者は彼です。マイルス・デイヴィス(1926-91)とも親交があったそうで、宝島社文庫『マイルス・デイヴィス自叙伝』の翻訳者。
余談ですが、何年か前から本のタイトル、この本みたいに「文」が増えてますよね。「サオダケ屋」あたりからでしょうか。

吉田拓郎(1946-)や松任谷由実(1954-)らが40代・50代・60代(・70代?)でも音楽活動を続けるのはまるっきり想像しがたいことではなかったけど(ファンとともにエイジング^^)、矢沢永吉(1949-)や忌野清志郎(1951-)や甲斐よしひろ(1953-)らが今でもこうして「現役」だなんて、30年ほど前までは想像もできなかった。「ロックンローラー=(少なくとも音楽活動においては)若死」って図式、ロックンロール誕生から70年代半ば頃までは「常識」だったんじゃないだろうか。それがどうだろう、日本のアラ還^^ロッカーたち、バリバリの現役ですもんね。
世界は当然もっと先行しているわけで、本書『ミック・ジャガーは60歳で何を歌ったか』には、順にミック・ジャガー(1943-)、ポール・マッカートニー(1942-)、リンゴ・スター(1940-)、シルヴィー・ヴァルタン(1944-)、エルトン・ジョン(1947-)、ボブ・ディラン(1941-)ら14人が登場(狭義のロックシーンばかりではありません)。Elton Johnは日本風に言えば僕と同学年(僕のほうが6か月ほど年上)ですが、あとの13人はみ~んなワシのお兄さん・お姉さんじゃもんね。んでもってバリバリの現役。ワシ、老け込んどる場合じゃないっす(激爆)。

同書、「ミック・ジャガー」の章より。
おそらくミックほど職務と使命に忠実なロック・ミュージシャンはいないのではないか。それがビジネスである以上、誰しも歯車として背負う責務から逃れることはできないが、ミックには、それを積極的に引き受け、高いレヴェルにおいて達成することでしか自分を満足させることができないかのような切迫感と狂気が感じられる。すなわちそれがストーンズのリード・ヴォーカリストであるということの意味であり、ミック・ジャガーという人間が背負ってしまった宿命なのであろう。(同書pp18-19)
ミック・ジャガーがいる限り、ストーンズが「世界最高のロックンロール・バンド」と名乗ることは許されるべきなのだろうと思う。ミックの動きには、声には、たしかにそう実感させるだけのものがある。その背景には、「ミック・ジャガー」という職業を選択した男の覚悟と不断の努力があるのだろう。(同書p.27)
ビートルズの(あれこれあって)解散・ストーンズの(あれこれあったけど)継続は、どちらも「歴史の必然」ってやつなのでしょうね。
1970年頃に僕は、(I Can’t Get No) Satisfaction(シングルリリースは1965)や19th Nervous Breakdown(65)やPaint It, Black(66)、Lady Jane(66)などが入ったストーンズのスコア集を買っているのですが、今は本棚のどこかにもぐりこんでしまっていて見つからい。誰かにあげたのかもしれない。GWにでも探してみよう。それにしても「悪ガキ」だったミック・ジャガーがあと3か月で66歳!だなんて。

本書では「シルヴィー・ヴァルタン」の章もおもしろかった。彼女(昨年3月に来日しましたよね)は今年8月で65歳!です。誕生日が1日違いのマドンナは今年51歳になる(これも俄かに信じがたいけど^^)。
あるベーシストの思い出」(pp136-137)の節では「1964年にヴァルタンとともにオランピア劇場に出演した「人気が爆発する前夜の新進ロック・バンド」のベーシストの43年後の回想が引用されています。
パリのオランピア劇場は、ぼくたちにとってふつうの経験じゃなかった。あんなにたくさんの男の観客をみたのははじめてだった。(中略)シルヴィー、ぼくたちはもっといっしょにいたかったし、もっと話をしたかったんだ!(笑)
この発言が誰によるものか、勘のいいあなたはきっとおわかりでしょうね。答えは同書p.137でご確認を(爆)。
僕、シルヴィー・ヴァルタンのファンでした(照)。オジさんたちの中には僕と似たような方も多いでしょうね。そんな「あなた」のために、YouTubeLa Plus Belle Pour Aller Danser貼っておきます。感涙にむせばんよーにね(激爆)。ちなみに、彼女の公式サイトこちらです。


(5月3日夜・追記)
上記記事の忌野清志郎(いまわの・きよしろう)さんが、5月2日深夜、がん性リンパ管性のため亡くなられました。58歳。代表作に「ぼくの好きな先生」「トタンジスタ・ラジオ」「い・け・な・いルージュマジック」「パパの歌」など。
ここに謹んで忌野清志郎さんのご冥福をお祈り申し上げます。
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by tiaokumura | 2009-04-29 16:59 | 音楽 | Comments(0)

新入生歓迎会

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今日は富山国際学院09年4月生のための「新入生歓迎会」。こういうイベント企画に強いスタッフの柳川さんのアイディアで「街中オリエンテーリング」。全体進行は柳川さん・増山さん。学院の15名の教師中、ご都合がつかなかった3名の方を除き12名参加。ありがたいことです。
10時集合。僕は富山駅横のマリエに「芝寿し」を買いに行く役割になったため、開始に間に合わなかった。10:20頃戻って2F教室に行ったら、新入生自己紹介の真っ最中でした。4月6日(月)に学院の授業が始まってまだ4週目ですが、昔と違ってどの新入生もそれなりに日本語で自己紹介ができている。在校生(2年生)も笑いどころではちゃんと笑い、拍手のタイミングも強さもきちんとできている。「日本語」で学院生がコミュニケートできているのを見るのは日本語教師冥利に尽きる。
今年の新入生の中には、学院としては初めてになるイスラエル人(女性)がいます。昨夏だったか、彼女はいとこ夫婦に連れられて学院を訪問。目がおっきい女の子。僕もたまたま居合わせて少しお話する。彼女、アニメに興味があって将来はアニメ監督になりたいとか。日本のソフトパワー、ここまで来てるんですね。僕、「そっらーを こっえてー♪」(谷川俊太郎)を歌おうと思ったけど^^、もう「鉄腕アトム」の時代じゃないだろうと思い、辛うじて知っている「月に代わってお仕置きよ」(「セーラームーン」)をご披露した(照)。彼女、キモかったかもしれませんが(汗)、なんか通じたみたい。でも「セーラームーン」(原作・竹内直子)ももはや「古典」になってるんでしょうね。イマドキのアニメのこと、それからイスラエル女性がアニメ監督になるにはどうしたらいいのか、少し勉強しておこうと思う。彼女は、糸魚川の近くの駅から通学してくる。今日会ったらずいぶん大きいカバンだった。今日はクラス授業がないのにどうしてそんな大きなカバンなのかと思って、「何が入ってるの?」と聞いたら、『みんなの日本語』などとのこと。通学電車の中で勉強してるのですね、彼女。彼女に限らず、学院生全員の夢や希望を実現するのが我々教師の最大の使命・義務。彼女の努力の何倍もの努力を、我々教師もしなければならない。次の学校行事の時にでも時間があったら彼女に村上春樹のことも聞いてみたい。村上春樹、『海辺のカフカ』以来の新作、いよいよみたいですね。読む時間がないので僕はたぶん買いません。それからタイミングよく今月岩波新書で『イスラエル』が出ます。こちらは注文済み。

街中オリエンテーリング」、全部で8ポイントある中で、僕は学院の近くの歯科医院で待機。空・風・花など8つの班がやってきたら、クイズ&タスク。
12時半過ぎ、環水公園(大岡信の命名)に全ての班・教員集合。食事、表彰式など。
記念撮影前の様子が、右上にアップした写真です。「迷える子羊たち」もおって、全員おらんみたいだけど^^、この後無事に全員の集合写真が撮れました。

学院に2時頃戻って、D組を一緒に担当している林さんと「ここまで・これから」について1時間ほど打ち合わせ。メールをチェックしてたら、日振協から「豚インフルエンザ」の調査依頼(依頼元は文科省)が来ていた。富山国際学院にはメキシコ・アメリカ・カナダ・スペインなど当該国出身の学生は一人もいませんが、これだけ航空網が発達した今日、危機管理は怠らないようにしておかなければならないのでしょうね。SARSのときは、けっこう大変でした。
その他の業務あれこれをこなして5時半過ぎに学院を出て帰宅の途に。
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by tiaokumura | 2009-04-28 15:30 | 日本語教育 | Comments(4)

エープリルフール生まれの冴えない中年おばさんが歌い始めたとたんに、会場は・・・

日本で言えば「スター誕生」みたいな番組なんでしょうね。イギリスの「Britain’s Got Talent」。素人参加番組で3人の審査員が評価する。そのオーディションが2009年1月にGlasgowであり、4月11日に全英で放映された。もうご存知の方も多いでしょうが、Susan Boyle。実に普通の、と言うか、大阪のおばちゃんみたいな感じで登場。歌う前の審査員の扱いもキワモノ扱い。そりゃそうでしょうね、まるっきり歌がうまいとは見えないんですもんね。彼女、腰振りなんかもしてみせて、まるでお笑い系。言うこともでかく「(ミュージカルの大スター)Elaine Paige(1948-)みたいになりたい」ですもんね。審査員も会場も失笑また失笑ですよね。
彼女が選んだ曲はミュージカルLes MiserablesからI Dreamed a Dream。Neil DiamondやAretha Franklinもレコーディングしている曲。この曲のカラオケが流れ、彼女がI dreamed a dream in time gone byと歌い始めるや、それまで会場の誰も想像しなかった「奇跡」が起きた。彼女の歌声に審査員も聴衆も圧倒され魅了されたのである。そう思って振り返ってみると、彼女の地声も実に艶のある声だった。会場は総立ち、審査員の女性は感激で涙ぐんでいるよう。正に「Britain’s Got Talent」の瞬間です。ところが、歌い終わったSusanはスタスタと袖に引き下がろうとする。慌てて呼び止める審査員(激爆)。
このTV番組、YouTubeにもいくつかヴァージョンがアップされ、全世界に反響。僕が見た一つはなんと「46,172,882」(4月27日現在)をカウントしていました。アップされて約2週間余でしょうから、ものすごい数字です(あるいは1月にアップ?)。
Wikipediaの英語版、さっそくSusan Boyleを取り上げています。9ページくらいの記事。それによれば、彼女は1961年4月1日(エイプリルフール^^)生まれ。番組中で「I am 47」って言ってます。1月だったからでしょうね。オーディション参加時は失職中でカソリック教会でボランティアだそうです。Wikipedia記事中の彼女のOccupation(s)は「Unemployed, singer」でYear activeは「1999, 2009-present」。彼女、1999年に、「all her savings」(「全財産をはたいて」ってことでしょうか)デモテープを作りレコード会社やラジオ局に送っているんですね。その中にはKilling Me Softly with His Songも入っているそうです。
彼女は別の番組のThe X Factorには「どうせ外見で選ばれるから(being chosen for their looks)」ってことで挑戦せず、Britain’s Got Talentも「もう年だから(she was too old and that it was a young person’s game)」ってことで出場を躊躇していた。ではなぜBritain’s Got Talentにチャレンジしたのか? 母親の死がその間にあったんですね。

世界には、音楽に限らず、「隠れた才能」、まだまだありそうですよね。ひょっとして、この記事をお読みの「あなた」も・・・。
Susan Boyleの「物語」、なんだかほのぼのとしたあったかい感動を僕に残しています。
YouTube、「埋め込み無効」ってことで、このブログに貼れませんでした。「Susan Boyle」で検索をかけるといくつかのヴァージョンがヒットします。まだ彼女の歌声(と審査風景)を知らない方は、どうぞアクセスを。
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by tiaokumura | 2009-04-27 21:36 | 音楽 | Comments(2)

小西弘通先生「富山“観世塾”」を受講

今年2月から第4土曜日は「富山“観世塾”」に通っています。
講師は小西弘通先生。先生は観世流シテ方・富山松友会顧問で能楽協会大阪支部常議員。私のような者から見ると「雲上人」です^^。
今講座の「開講のご案内」から小西弘通先生のご挨拶を引用。
 昨今、様々な分野で日本文化を見直す動きが活発になっていますが、なかでも能楽は様々な時代を経て、研ぎ澄まされ、洗練されて現代に息づく伝統芸能です。
 この度お知らせする富山“観世塾”は、その能楽の台本である観世流の謡曲を、経験されている方や初心者の方など、皆様に広く親しみ、楽しんで頂こうと企画致しました。
 是非この機会に、お気軽にご参加くださいますようにご案内申し上げます。


4月25日、11時半頃家を車で出て、途中41号線沿いの中華料理店で昼食。前回食べておいしかったので今回もここにしました。前回と同じくラーメンと中華ぞうすいを注文。ところが「中華ぞうすい」食べてたら口に違和感。口から出して何かと見たら金具の切れ端みたいの。たぶんシイタケの袋か何かの封に使われてたんでしょうね。店主は若くて腕のいいコックさん。う~ん、彼に文句を言ったほうがいいのかと迷ったが言わず仕舞いに。ぞうすいの器に異物を残してレジ精算。彼、僕が店を出た後気づいただろうか。こんなことがありましたが、おいしいお店なのでまた利用します。

富山空港近くの富山能楽堂に12:40頃着。玄関受付に松下覚・富山松友会会長。和室に入り着座して小西先生にご挨拶。川田有紀子先生に受講料を払い、いつものとおり(ってぇもまだ3回目ですが^^)僕の指定席である富﨑茂樹さんの横に座る。あれこれ教えていただく。

1時。小西先生のご挨拶。後で先生が他の方と話されているのを漏れ聞いたところでは、先生は花粉症とのこと。春はお辛いことでしょうね。
『高砂』からの抄出「四海波静かにて・・・」「千秋楽は民を撫で・・・」を小西先生の後について練習。経験者がほとんどのこの塾で、これは他の方々にはヴォイストレーニングなんでしょうが、僕のような超初心者にはこういうのはありがたい。「門前の小僧習わぬ経を習う」としたい。
今日の出題曲(毎回3曲)は『竹生島(ちくぶしま)』『熊野(ゆや)』『忠度(ただのり)』。3曲の中では『熊野』が女性にはとりわけ人気がありそうです。熊野のふるさとで病む母を想う心・老母の手紙(「老いぬればさらぬ別れのありと云へばいよいよ見まくほしき君かな」が引用)・平宗盛に帰郷を訴える「いかにせん都の春も惜しけれど馴れし東の花や散るらん」などが、女性ファンが多い所以なのでしょうね。
でも僕は3曲では『忠度』が好きかなぁ。世阿弥(1363?-1443?)が『平家物語』に題材を採った曲。ワキは俊成ゆかりの者で今は僧。僧は旅先で出会った老人に忠度の墓への回向を頼まれる。僧に願いを叶えてもらった老人は、夢のお告げを待てと不思議なことを告げて消える。老人は実は忠度の幽霊だったんですね。やがて僧の前に忠度が現れる。親交ある俊成によって『千載集』にわが歌が入集したのだが「勅勘の身の悲しさ」で詠み人知らずとなっているのは「妄執の中の第一なり」とし、俊成亡き今は定家(俊成の子)に頼んで作者名を明らかにしてほしいと訴える。続いて、文武両道に秀でた忠度が、一の谷の合戦において「光明遍照十方世界念仏衆生摂取不捨」と唱えあえなく討ち取られる様が語られる。六弥太は討ち取った武将が身につけていた短冊に「行き暮れて木の下蔭を宿とせば花や今宵の主ならまし 忠度」と書かれているのを読み、彼が有名な薩摩守忠度であったことを知る。
ド素人の僕にも感じ取れる名曲です。ですが、この曲は「行き暮れて」が主調音になっているのですが、今ここで史実を整理すると以下のようになる。
①もう都に戻る事はない・自分は西国で討ち死にするばかりだと覚悟した忠度が、都落ちの途中、俊成を訪ね自分の詠草を託す。
②忠度が一の谷の戦で六弥太に討たれる(1184年)。忠度は、「行き暮れて」の短冊を身につけ作者名も記していた。
③7番目の勅撰集『千載和歌集』が俊成によって撰ぜられ(1188年)、忠度の和歌が「詠み人知らず」で入集する。ただしその歌は「行き暮れて」ではなく「さざ波や志賀の都は荒れにしを昔ながらの山桜かな」である。
④『千載和歌集』を下命した後白河法皇が1192年に亡くなる。
僕が何を言いたいのかおわかりにくいでしょうが、つまり世阿弥は「さざ波や」を一度も引用してないのですね、能『忠度』に。なぜか?
理由の一つは、現代の我々と違い古典教養のあった当時(「平家」から約250年)の能の鑑賞者には、そんなことを曲中でわざわざ触れてもらわなくっても「常識」だった。
もう一つ、こちらが世阿弥の文学的意図になると思うのですが、『忠度』の創作過程を推理してみる(照)。世阿弥はまず最初に「桜」を曲想に選んだ。次いで平家物語に精通している世阿弥は、忠度に「行き暮れて」があるのを思い出し後シテに忠度を起用することにした。では前シテはどうするか。忠度と俊成の絡みに鑑み、また、これは中世の仏教受容に深く関わることになるのだが(能と仏教はなんと関係が深いことだろう。中世仏教の大きな特徴は本地垂迹だと僕は勝手に思っているのですが、正に能にピッタリなのではないだろうか)俊成の家人の出家僧をワキにする。世阿弥『忠度』が構想から完成までどのくらいの時間がかかったのか僕は知らないのですが、「行き暮れて」に着想を得た世阿弥には、1週間くらいで出来上がったのではないでしょうか。そんな世阿弥には「さざ波や」を曲中に入れる必要性は全くなかった。「文学」が「史実」を超えたのである。「志賀の都」より「須磨の浦」なのである。
世阿弥の偉大さは語り尽くされているのでしょうが、劇作家としての彼の、隅々まで計算し尽くされた構想力(ドラマトゥルギー)、誰もが知っている物語を不易流行なる名作に織り上げる想像力、私のようなド素人もうなるばかりです。

今回で3回目のこの講座受講。上手・下手の違いが少しわかってきました。
それから、前回も感じたことですが、小西弘通先生の「すごさ」(プロだから当たり前なのでしょうが)。
①ふだんは大阪の商家の旦那様みたいな感じの先生。大阪訛りも入った穏やかな口調のお話。そのお方が謡になると一変。その、いい意味での落差がすごい。
②この講座では先生はシテと地頭(リードヴォーカル)をご担当。ということは1曲45分として30分はご出演ということになるのではないでしょうか。それが3曲も! 先生のご体力はすごい。
③2月から受講しているのでこれで僕は9曲聴いたことになる。先生は、あるときは静御前や天女や愛妾熊野といった女人、またある時は坂上田村麻呂・忠度などの武将、またあるときは老爺・・・それらを変幻自在に演じ分けられる。玉三郎であり団十郎であり藤十郎であり仁左衛門でありetcなんですね。それぞれの役どころで心持ちを切り替えトランス状態になっておられるような気がする。これが芸道なのでしょうが、ただただ「すごい」の一言。

後片付けが終わり、小西弘通先生にご挨拶して辞去。

小西弘通先生。いつもありがとうございます。まだまだ先は長いですが、がんばりたいと思っております。今後ともよろしくお願い申し上げます。
川田有紀子先生・松下覚会長・富﨑茂樹さま・皆様。おかげさまでまだなんとか続けられそうです。謡、いいですねぇ。
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by tiaokumura | 2009-04-26 20:58 | 謡を習う | Comments(0)

『コミュニケーションのための教育文法に基づく 日本語教材作成のための基礎的研究』

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(4月25日夜・記)
名古屋出張の翌朝、勤務先の富山国際学院で前日の郵便物を整理していたら、厚手の封筒に入った分厚い郵便物があった。差出人を見ると、小林ミナ先生(早稲田大学大学院日本語教育研究科・教授)。中を開けると
『コミュニケーションのための教育文法に基づく
   日本語教材作成のための基礎的研究』

が入っていた。「平成17年度~平成20年度 科学研究費補助金 研究成果報告書」である。
なぜこのような貴重な成果が私のような者に送られてきたのか。


話は約18年前に遡る。私が日本語教師人生を選ぶきっかけになった本がある。
野田尚史『はじめての人の日本語文法』(1991年。くろしお出版)
である。同書には新沼謙一・徳川康子・武田亜矢といったユニークな名前のキャラに混じって「野田尚史」が「先生」で登場。
33才 石川県金沢市生まれ 筑波大学講師(同書「はじめに」p.2)
野田先生のこともこの本のことも既にこのブログで何度か書いていますが、簡単に言うと、その本を通じて「『国語教育』と『日本語教育』の違い」を知り(蒙を啓かれた)「自分のような者でも『日本語教師』になりたい」と思った(勇気づけられた)。先生の本はその後、何冊も読んでいる。ただし先生の著書・論文は多岐膨大なので、野田ワールドのまだ1%も理解できていません。ボク、自称「野田ファン」です。これは間違いない。
その野田尚史先生が、2005年8月8日に日本語教育振興協会(「日振協」)の日本語教員研究協議会で講演をなさるという案内が富山国際学院に来た。行きました、もちろん。初めて見る生(なま)野田先生(爆)。先生は始めに「自分は生まれは金沢だが関西が長い。こういう講演も関西人のノリでやりたい。それと一方的な講演じゃつまらないので会場の皆さんとの双方向な場にしたい。ボケやツッコミも大歓迎です」。なにせ今から3年半以上前のことなので正確な記憶ではありませんが、まぁそういった趣旨の内容でした。実際先生は壇上を降りられて会場のあちこちを移動されながら、時には挑発的に時にはヒントを出しながら「双方向な講演」を展開。内気なボク(照)も何度か発言できました。時間が経つのを忘れる中身の濃い・楽しい・スリリングな講演。
その夜の懇親会にも出席。野田先生におねだりして^^記念撮影もしちゃいました(激爆)。当時はまだブログやってなかったのですが、もしブログをやってたら載せてたでしょうね、きっと。憧れの先生と親しく話していただいている中で、先生から「まもなく取り組む予定のプロジェクトに参加しないか」とお誘いを受けた。内容にはすぐ興味が持てたが、自分にはとうてい無理そうなので、その場ではお返事しなかった。後日、先生からメールが入り「先日話した件、いよいよ始まる。参加しないか?」とのことでした。大先生からメールをいただいた感激で、即参加表明^^。既に立ち上がっていたメーリングリスト(ML)に「ごあいさつ」。MLには連日学ぶことが満載。その間、僕は富山大学編入学試験を受け合格。合格はよかったのだが、「学部3年生が文部科学省の科学研究費(科研費)を使ったプロジェクトに参加していいものだろうか」と思い野田先生に問い合わせたところ、「既に奥村さんは日本語教師なのだから別に構わない」とのお返事でした。10月15日、僕が所属する「読む」グループの研究打ち合わせが新大阪ホテルであった。鱒ずしを持参して皆さんに喜ばれたこと、昼休みに野田先生や松崎寛先生(広島大学)とたこ焼きを買いに行ったこと、試作した読む教材を野田先生に徹底的に批判されたこと、夜のイタリアンレストランでの会食など、今は貴重な思い出。
せっかくプロジェクトに参加させていただいたのですが、やがて、富山国際学院・奥村学習塾・富山大学などとの兼ね合いがつかず、そして何より自分の能力不足のせいで、プロジェクトから脱落させていただくことにした。恥ずかしい思い出になってしまったかもしれないが、このプロジェクトに参加でき多くを学ばせていただいたことは、日本語教師として貴重な財産になっている。

写真の報告書、平成17(2005)年度と平成18(2006)年度の「研究協力者」に自分の名前を見出し、「何も役に立てなかったのに」と申し訳ない気持ち。
守秘義務・著作権もあるので同報告書を僕がどのように活用できるかわかりませんが、日本語教材の新しい夜明けを感じさせる同報告書です。
年齢に関係なく「青春」という言葉を使えるなら、この報告書は「僕のほろ苦い青春の思い出」でもあります。
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by tiaokumura | 2009-04-24 19:58 | 日本語教育 | Comments(0)

どえりゃぁ大変でもありゃぁしませんでしたが^^、今月も名古屋出張がありました。

昨日22日(水)、名古屋出張。手帳で調べたら、1月11日・2月19日・3月4日に続いて今年に入って4か月連続の名古屋出張です。ここ2年半を振り返ってみると20回くらいは名古屋出張してる勘定になります。「名古屋出張」っても行く先はたったの2つです。自分、別に名古屋妻おるわけでもありませんし、出張帰りに栄や今池や錦で遊んでこようってスケベ心もありません(激爆)。行く先はただ2つ、大名古屋ビルヂング名古屋入国管理局
この2年半から更に遡ってわが人生における「名古屋の思い出」はと言えば、高校時代のクラスメートのO君が名古屋の福祉関係の大学に進学していて彼を訪ねていったこと、東京教育大生時代に出会い今でも親友である宮崎健二君の岡崎(安城だったか?)の実家を訪問する際に立寄ったこと、パチンコ業界で生業を得ていたときに業界視察で訪れたこと(今はどうか知りませんが、名古屋はパチンコの先進地。メーカーもかつてたくさんありました。今はどうなんだろう、遥か40年ほど前の思い出です)のたった3つ。

車で自宅を出発しようとしたらエンジントラブル。まぁ、リスク管理、最近は少し上達してきているので、JR富山出発時刻9:10には間に合いました。想定される危機には一応A案・B案・C案を用意するようにしているんですね、最近の僕は。今のところC案までに立ち至ったケースは幸運にもありませんが、もしC案でうまくいかない場合は・・・そんときは、放棄しちゃうか、泣いて誤魔化すかも(激爆)。

旅の衣は墨染めの♪、いやちゃった(爆)、今回の出張はスーツ着用。昨年は年間30回以上スーツ着用と自己新記録^^でしたが、今年に入ってスーツ着用は今回でせいぜい3回でしょうネ。スーツ似合わん男なんですね、自分。できれば己が人生でスーツなんて着なくて済むようにしたいと願ってたのですが、ここ数年、そんなワガママは言えない身になってしまいました。こうなったら、早く「スーツが様になっている男」路線を目指すしかないんかもしれません(嘘爆)。

旅のお供の本、今回は青柳いづみこ『六本指のゴルトベルク』(岩波書店)村上龍『無趣味のすすめ』(幻冬舎)の2冊。
前者、岩波『図書』連載中から注目していました。単行本になったので購入。僕はクラシックなんて全く門外漢なんですが、ときどき自分とはほとんど無縁な本が無性に読みたくなるんですネ。「六本指」はハンニバル・レクター博士が左指6本なんですね。で、彼とグレン・グールド『ゴルトベルク変奏曲』の2ヴァージョンとの関わりなんて、青柳に教示していただかない限り、僕のようなド素人には永遠にわからず仕舞いだったでしょうね。青柳は書いています。
たぶん、レクター博士が聴いたのは81年版(リリースは翌82年)だろう、と私は推理する。(同書p.4。原文縦書き)
彼女の推理の根拠は同書でお読み下さい。同書では他に「モーツァルティアン」が出てくる「数字マニア」、カストラートの話、太宰の情死を枕にした「音楽家は悪人?」、ローレライも出てくる「つれなき悪女」、『海辺のカフカ』の「長い長い物語」、「天安門事件とフランス大革命」など、読みながら「へぇ~」とか「なるほど」ってエッセイが満載。ほとんどが『図書』でちらっとは読んでいるのですが、こうして単行本で読めるのは僕のような者には大変ありがたいことです。
村上龍は最近では「カンブリア宮殿」(TVは見ていません)の本を読んだ。ここんところビジネス関係についての本を読む必要に迫られているんですね(自分にその方面の知識がないからしょうがないんですが)。『無趣味のすすめ』には、龍の考えに賛同するかどうかはともかく、僕のような者には「卓見」だと思われる箇所が何十箇所とあります。そのほんの1例だけ引用。
グローバリズムに適応するためには(中略)どうすればいいのか。もちろん解答などないし、どうすればいいのかという問いが、そもそも間違っている。個人としてグローバリズムに適応するのか、それとも社会的に地方の自立のために具体的・科学的に努力するのか、方法は2つしかない。(同書pp148-149。原文縦書き)
本書、233ページありますが、活字が大きく余白もタップリなんで、往復の車中で読み終わりました。

例によって讀賣・日経を車中読む。
讀賣「編集手帳」、全くそのとおりだと思う。以前このブログにも書きましたが、私は「裁判員制度」、絶対反対です。裁判官の怠慢以外の何物でもない制度だと思う。我々の何倍・何十倍もの年収を得ている裁判官のために、なんで我々庶民が貴重な仕事時間をやりくりして1日1万円(裁判官の日給はこの何倍になるんだろう?)の日当で、「死刑や無期」の判決も下さなければならない裁判に立ち会わなければならないのだろうか。僕は「検察審査員」の経験があるのですが、その何百倍もの精神的苦痛を甘受しなければならないのが裁判員なのではないだろうか。幸い今回は僕は選ばれていないのですが、もし選ばれたら以下のように申し立てして裁判員を忌避しようと思う。
理由その1:裁判員になって何か月(何年)も拘束されたら、収入が減り家族が養えない。
理由その2:私がもし「毒カレー事件」を裁くことになったら、私は林さんに無罪を言い渡します。「限りなく黒に近い」林さんでしょうが、私は状況証拠だけで「死刑」は選択できません。構造的な「冤罪の仕組み」を排除するには、確たる証拠及び動機解明が必要なのではないでしょうか。
日経23面「幸福の経済学」連載開始。某国立大教授の担当。経済学が「幸福」を数量化することによって可視化したところで、それが何になるのだろう、というのがド素人の素朴な疑問。そんなことより「金融工学」とやらいう鬼っ子のために世界中で多くの「不幸」を生み出したことを反省していただきたい。そして、今回のような経済危機(恐慌)は今後も一定のスパンで起こりうるということ、すなわち人類が今のところ最高段階として取り入れている「資本主義」内部に「恐慌」が必然的にしかけられている「時限爆弾」であることを、もっと声を大にして我々庶民にわかりやすく説明していただきたい。
「経済学」がそんなに有効であるなら、経済学徒はみ~んな「お金持ち」になってるんじゃないかしらん(激爆)。「経済学」に限らず文系の学問は「後出しジャンケン」なんかもしれませんね。マクロな現象について「結果」の説明やそこから導き出される「法則」は示せても、ミクロなステージでの複雑な展開は予測できないのかも。もちろん学者が「予想屋」でなければならない必然性はないのだろうけど、一般人ってそんな「無理難題」、学者先生に期待しちゃいますよね^^。

1時から大名古屋ビルヂング12Fで会議。東海・北陸地区の30の日本語学校から27校出席。うちのような地方の小さい日本語学校にとっては、この会議は貴重な経験の場。僕はこれで3回目の出席。前半は09年度4月生についての情報交換。後半は名古屋入国管理局首席によるレクチャー&質疑応答。
会議のあと、大名古屋ビルヂング3FにあるI.C.NAGOYAに寄って丸山茂樹校長と1時間ほどあれやこれや。丸山先生とは2年半ほど前に初めてお目にかかり、爾来さまざまな情報やアドバイスをいただいています。年齢は僕が5歳上ですが、丸山先生は不慣れな僕をまるで「弟分」のように扱ってくださっています。誠にありがたいことです。

9時半頃富山帰着。ポートラムに乗って帰る。
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by tiaokumura | 2009-04-23 21:12 | 僕は学院長1年生 | Comments(0)

辰巳ヨシヒロ『劇画漂流』、第13回手塚治虫文化賞・マンガ大賞受賞

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辰巳ヨシヒロ
『劇画漂流』

上巻
2008年11月20日 初版第1刷
下巻
2008年12月20日 初版第1刷
両巻とも
青林工藝舎
1600円+税

昨日の朝日新聞に発表になっていた「第13回手塚治虫文化賞」、今回の大賞よしながふみ『大奥』辰巳ヨシヒロ『劇画漂流』の2作品。よしながふみ(1971-)はよく知りませんが(恥)、確か『西洋骨董洋菓子店』の作者ですよね。辰巳ヨシヒロ(1935-)の『劇画漂流』は単行本発売時に購入し、上下とも2晩で読み終えました^^。漫画家の自伝漫画の白眉と言えば藤子不二雄A『まんが道』(僕は愛蔵版で『あすなろ編』と『青雲編』を持っている)ですが、あれが東京(トキワ荘)が舞台であったのに対して、こちらは関西が舞台。両者に共通するのが「手塚治虫先生」。『劇画漂流』では手塚治虫(1928-89)は「手塚オサムシ」で出てきます。辰巳は昭和25(1950)年9月10日(日)に毎日新聞社で手塚と初めて会う。辰巳ら少年漫画家が手塚を囲んでの座談会(当時手塚は大阪大学医学部生)。同年9月20日(水)・翌26(1951)年1月15日(成人の日)と、辰巳は宝塚の手塚邸を訪ねる。生まれたのは手塚が豊中、辰巳が天王寺ですが、手塚と辰巳は当時どちらも同じ阪急宝塚線沿線だったんですね(辰巳は蛍ヶ池)。

今回の朝日の記事から以下引用。
 七つ年上の手塚治虫に導かれるようにマンガの世界へ入った。雑誌の投稿マンガの常連だった中学3年の時、手塚との座談会に参加した。あこがれの手塚と思う存分マンガを語り合う、夢のような時間だった。
 「当時はマンガを読むのは恥ずかしいことで、学校では描いているのを内緒にしていた。でも、手塚先生が堂々と論じるのを聞いて『一生をかけよう』と決心した」
 手塚の上京などで途絶えた交流が復活したのは70年代半ばごろ。80年代には2人でフランスのマンガ祭も訪れた。
 晩年の手塚に「僕も劇画に近づくかも」といわれたことが印象に残っている。「新しい表現を模索されていたのでは。先生との縁を思うと、本当にうれしい受賞です」


辰巳ヨシヒロは、ひょっとして日本より欧米で評価が高いかもしれません。Wikipediaに「辰巳ヨシヒロ」の項目、英語・フランス語はもちろん、スペイン語・フィンランド語(スオミ)などにもあります。フランス語版の場合。
Yoshihiro Tatsumi (辰巳 ヨシヒロ, Tatsumi Yoshihiro) est un mangaka né à Ōsaka, au Japon, le 10 juin 1935, reconnu comme un des pionniers du style gekiga de la bande dessinée indépendante nippone.
辰巳ヨシヒロは1935年6月10日大阪生まれの漫画家。従来の日本マンガから独立したスタイルである「劇画」のパイオニアの一人。(奥村私訳)
日本のソフトパワーの一翼を担っている辰巳。「gekiga」、世界共通語ですもんね。

今回の受賞を契機に辰巳ヨシヒロがもっと読まれ、日本国内でもっと評価されるといいですよね。
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by tiaokumura | 2009-04-20 18:40 | | Comments(0)

川田有紀子師範(華川会)に『鶴亀』を習う

昨日土曜日午後、観世流華川会に参加。
家で昼食を済ませ車で富山国際学院に。学院に車を置いてサンフォルテまで徒歩約10分。サンフォルテ4F和室が観世流華川会のお稽古場。初めての参加です。
お部屋に入ると川田有紀子先生松下覚さん・ご婦人のお三方。僕が謡をやろうと思ったそもそもの発端は、北日本新聞の「富山観世塾」の記事。それを読んで松下覚さんにお電話して、2月・3月と富山能楽堂での富山観世塾に参加。川田先生・松下さんとは富山観世塾で初めてお目にかかりました。
富山観世塾もいいのですが、こちら観世流華川会(ホームページはこちら)は、謡曲・仕舞いを一対一でご指導していただけるのが魅力。ボクのような入門者には最適です。
松下さんの横に着座。緊張する僕に、松下さんはいろいろお気遣いしてくださる。松下さんによると、「華川会」はインテックの中尾哲雄社長(現在はインテックホールディングスCEO)のご命名だそうです。皆様としばし歓談。窓の下には環水公園(大岡信の命名)。4月28日にここで富山国際学院の新入生歓迎会を予定しています。公園の桜は葉桜。

6人くらいになったところで、本日のお稽古開始。最初のご婦人は『富士太鼓』。次の2番目が、川田先生から「奥村さん、どうですか」ってことで僕に(照)。『観世流初心謡本 上』の第1曲『鶴亀』。10畳くらいの部屋でしょうか、先生と向かい合う。先生が一区切りずつ謡われ、それを僕が繰り返す。記憶アホなもんで^^、先生の節がなかなか覚えきれない。「それ青陽の春になれば」から「君の恵みぞありがたき」まで、本で言うと2ページ分をお稽古していただきました。川田先生のご指導は懇切丁寧、噛んで含めるような教え方ですが、なんせ飲み込みが悪いもんで(恥)全て難しかった(汗)。けど、まぁ1年後には少しサマになっていることを期待。松下さんがおっしゃったように「習うより慣れよ」なんでしょうね、語学と相通じる。
僕のあと他の方が『東北』『竹生島』などをお稽古。途中から、富﨑茂樹さん(富山能楽堂でいつも隣に座らせていただいている)もご登場。松下覚さんの「高砂や~」、大迫力だった。
4時過ぎ、来月の発表会の出題曲『経正』を全員で。僕も地謡(コロスみたいな担当)で参加。それから最後に「千秋楽」(『高砂』)。来年3月15日の富山国際学院の卒業式で「千秋楽」をご披露するのが当面の夢です。
後片付け。解散後、皆さんは延命地蔵(富山市石倉町)の近くの割烹「第一」(七徳 修平)で「葉桜を観る交遊会」。僕はそれは失礼させていただく。

当たりまえですが川田師範・松下さんと僕とでは「発声」がまるっきり違う。お2人の声は、例えば障子をピリピリと鳴らすように響く。「声」が「音」になって更に「声」になったといった感じ。体全体が音声器官と化して共鳴しているとでも言えばいいのでしょうか。僕はと言えば、口の中にある声が30cmくらい先に投げ出されたような感じ(とほほ)。まぁ、最初っからうまい人なんていないのでしょうから、めげずに練習してみます。

夜、檜書店にネットで「お稽古用の扇子」他を注文。
今年はあれやこれや習う余裕はないので、「富山観世塾」「華川会」で、金曜日夜に「中国語」、それと時々ファシリテーションの3つに留めようと思う。

川田有紀子先生、土曜日はありがとうございました。覚えも音感も悪い不肖の弟子ですが、これからもよろしくお稽古のほどお願いいたします。
松下覚さま、土曜日はいろいろお話をうかがえて楽しかったです。これからもよろしくお願いします。
富﨑茂樹さま、プリント類ありがとうございました。あなたに追いつく日は来ませんが、弟弟子になれたら嬉しいです。
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by tiaokumura | 2009-04-19 14:12 | 謡を習う | Comments(0)

大村はま先生、4回忌

日本語教師は3万人以上いるそうだが(月刊『日本語』)、その出自についての統計はあるのだろうか。私の漠然とした把握だが、おそらく3割以上は英語教育からの転身。ついで中国語・韓国語・ヨーロ-ッパ言語関係からの転身、あとは大学主専攻・海外日本語教師経験者・ビジネスパーソン・伝統文化関係といったあたりでしょうか。この分類、テキトーで^^重複する背景の方ももちろんいます。で、意外なことに国語教育出身者にはこれまでほとんど出会ったことがない。まぁ、これ実は「意外」でもなんでもなく、日本語母語話者相手の「国語教育」と日本語非母語話者が対象の「日本語教育」には大きな違いがいくつもあるんですね。「国語教師が日本語教師をやればいいんじゃないの?」って思う方、世間一般には多いことでしょうね。でも「国語教師」が「日本語教師」をやるには、かなりエネルギーを使って自己改造・意識改革をしなければならない。「国語教師」から「日本語教師」への転身失敗例、これまでに何人か見聞きしました。
僕の場合、大学が「国語学国文学」専攻(入学時に既に専攻が決まっている大学だった)だったので、どちらかというと「国語教育畑出身」という分類になるでしょうね。大学は卒業できなかったのですが(照)。予備校や学習塾で日本人に「国語」を教えた経験もある程度ありますが、全く同じ教授法は日本語教育では通用しません。

僕の大学時代に既に「国語教育の神様」だったのが大村はま先生(1906-2005)。ここでは「先生」と書きますが、僕は先生の弟子でも孫弟子・曾孫弟子でもありません。でも「先生」とお呼びしたい。大村はま先生については昨年の今日、このブログで記事にしています。こちらをご参照いただくとありがたいです。
大村はま先生は横浜市のクリスチャン家庭のお生まれ。先生の自叙伝(と言っても誕生から東京女子大生時代までですが)である『学びひたりて』(2005年。共文社)から引用すると
私にはいつの間にか、何の話を聞いたからということでもなく、奉仕・犠牲、そういう気持ちが育てられていたように思うのです。(同書p.14)
この「奉仕・犠牲」の精神は先生の52年の教職時代はもちろん、終生変らぬ精神だったと言えよう。「一人ひとりのための手作り教材」も「単元学習」も「国語教室」も後輩指導も講演・著書も・・・、先生の全ての活動(人生)のベースに「奉仕・犠牲」の精神があった。私も含めて現在の「教師」に奉仕・犠牲の精神はどの程度あるのだろうか。これは自戒なのだが、教師たる者、全身全霊で奉仕し犠牲を厭わない精神を少しでも持ち続けたいものである。それが皆無になったら教師なんて辞めるべきでしょうね。

1983年岩波書店から創立70年を記念して『これからどうなる 日本・世界・21世紀』が出た。各界から446名が寄稿。今回のブログ記事では、同書の大村はま先生「これからの国語教育」(同書pp116-117)から以下引用したい(「  」が引用箇所)。ただし著作権もあるので一部のみに留める。この本、今も入手可かどうかわかりませんが、図書館には入っていると思いますので、ぜひ各自原典にあたってください。
先生は「中学校教諭の立場」からこれからの国語教育が「どうなってほしいか、どうなっていかなければなるまい」ということについて5つ書いていらっしゃる。(原文縦書き)
(一)「生徒が思わず聞き入るような内容と話し方の技術を持たなければ、国語の教師は勤まらなくなるだろう。・・・『なさい』と命令し『できたか』と検査する、そんなことでは勤まらなくなるであろう。
(二)先生は、理解力と表現力、読書力と読書感想文力、鑑賞力と朗読力など我々がうっかり混同しがちな能力は「それぞれ、独立した二つの力である」と断言される。そして、そのことがきちんとわかっている教師の下では「子どもは・・・できるとか、できないとかいうことに対して、もっと透明な、安らいだ気持ちがもてるようになるだろう。」。
(三)テストについては「・・・国語のどういう力がどういう状態になっているか、精しく、確かに、師弟ともに知って、それぞれに何かの指針を得ることになり、テストが一種の楽しみにされるであろう。」。
(四)「国語教科書の量が多すぎるなどという人は・・・全くなくなって」、「学校図書館の蔵書の状況、地域図書館、児童図書館の普及などが教師の話題になるであろう。」。
(五)は、日本語教師の私の最も好きな箇所なので全文をそのまま引用させていただく。
「教師」が問い直され、二つのことが自覚され、努力されるであろう。
一つは、教師はただ誠意・熱意・愛情の人であればよいのではない、その上に、教える専門職としての技術がなくては。
もう一つは、その技術で「何」を教えるのか。その「何」の深さ、豊かさがなくては。


大村はま先生が天国に召されて4年。
大村先生の上述のご提言(もう26年前になる)は今現在も、国語教師・日本語教師にとって、更にはあらゆる語学教師や「教師」一般にとって、指針であり警句であり励ましであり得る。
いつだったか、国語教師を目指している人と話していて「大村はま先生」を知らないって方がいた。ビックリ&ガッカリでした。その方が悪いんではないんでしょうが、日本の国語教育、大丈夫なんだろうか。
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by tiaokumura | 2009-04-17 19:51 | 追悼 | Comments(11)

週刊朝日緊急増刊『朝日ジャーナル 創刊50年』

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週刊朝日緊急増刊
『朝日ジャーナル 創刊50年』
第114巻第19号 通巻4942号
2009年4月30日発行(増刊)
朝日新聞出版
定価490円(本体467円)

朝日ジャーナル』(以下「ジャーナル」)との出会いは高校時代に図書館でだと思う。先生方の何人かはジャーナルを読むことを熱心に勧めておられたと思う。やがて上京し大学生になってから、一時期ほぼ毎号欠かさず読んでいた。連載順序は忘れたが、高橋和巳(1931-71)『邪宗門』・加藤周一(1919-2008)『羊のうた』・杉浦明平(1913-2001)『渡辺崋山』は貪るように読んだ。加藤周一さんが昨年12月5日に亡くなられ、お三方とも今は故人。40歳で若くして亡くなった高橋和巳の、今年はもう38回忌を迎える。
ジャーナルは当時横浜に住んでいた長姉を訪ねるときに横須賀線(京浜東北よりこちらのほうが好きだった)を利用していて、その車中で読んでいたことが多い。あの当時小学校入学前後だった長姉の長女が、今は一関市で『風と虹の教室』を主宰しているのだから、時代の流れに感慨深いものがある。
僕がジャーナルを読んでいたのは60年代後半。筑紫哲也(1935-2008)時代はずいぶん評判がよかったようだが、僕は年に何回か買っていた程度だろうか。下村満子時代はほとんど読んでいない。でもジャーナル廃刊の戦犯みたいに下村が批判されているのを読んで「そうじゃないだろう」と反発した記憶がある。もはや「朝日ジャーナル」の時代じゃなかったんですよネ。

写真、今日本屋さんで購入した。『朝日ジャーナル』、今年が創刊50年ってことで、廃刊してたのが、『週刊朝日』から緊急増刊。なんで「緊急」かと言えば、
崩壊寸前の「日本型社会システム」
いま問われているのは、私たちの「知性」、そして「感性」
という表紙の惹句にその想いが凝集されているのでしょうね、たぶん。
僕のジャーナル時代では見田宗介(「現代社会はどこに向かうか」)・鶴見俊輔(「”大づかみ”できなくなった日本人 なぜ米国、米国と言い続けるのか?」)が、僕の同世代では加藤典洋(「『連帯を求めて』孤立への道を」)・高村薫(「欲望の果てに、理性を」)・吉田司(「『老人全共闘』諸君! 『新・ルンペンプロレタリアート』と共闘しろ」)・吉岡忍(「吉岡忍が詠むニッポンの風景 この国で生きるということ」)・八代尚宏らが寄稿や対談。当然ながら雨宮処凛・湯浅誠が登場し、浅田彰・柄谷行人・斎藤貴男・平野啓一郎・玄田有史・橋口亮輔・中森明夫・辻元清美・秋元康・堀江貴文・鈴木宗男・森永卓郎・長妻昭ら、多彩なと言うか(いい意味でも悪い意味でも)朝日好みの無難な人選。立花隆も寄稿すればよかったのに、依頼しなかったのか本人が断ったのか。表紙コラージュは羽生春久という人。p.75には「若者たちの神々」「新人類の旗手たち」のリストあり。
活字はかつてのジャーナルよりかなりポイント大きく、たぶんワシみたいな年齢にも読みやすくという配慮なんかもしれん^^。値段もワンコインでお釣りが来るお手ごろ感。
ボクが買ったくらいだから、けっこう60歳前後で8万部くらいは売れるかもしれん^^。
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by tiaokumura | 2009-04-15 20:20 | | Comments(0)