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「おくりびと」、第81回アカデミー賞・外国語映画賞受賞!

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『おくりびと』第81回アカデミー賞外国語映画賞を受賞した。
上の新聞記事は北日本新聞、動画はYouTubeより。

この映画の直接のきっかけは、今を去ること十数年前に本木雅弘青木新門『納棺夫日記』に感銘を受けたことに始まる。本木は映画化を発案し自ら主演。監督は滝田洋二郎
実はこの映画、富山県に関わりが深いのです。
青木新門(1937-)は富山市在住の作家。ネット上に彼のホームページ「shinmonの窓」があります。
『納棺夫日記』は富山市の出版社桂書房勝山敏一代表)から出版された。1993年初版刊行当時に僕は読んだ。今は『定本 納棺夫日記』となって桂書房より刊行(1500円)、他に大手出版社の文庫本にもなっているかと思う。桂書房(勝山が1983年にたった一人で設立)は、今年2月「第24回梓会出版文化賞特別賞」を受賞した出版社でもある。
滝田洋二郎(1955-)は富山県福岡町生まれ。高岡商業高校(地元では高商―たかしょうーで親しまれている)卒。1981年『痴漢女教師』で監督デビュー、以後多い年で6本もの「成人映画」監督。1986年『コミック雑誌なんかいらない』で一般映画監督デビュー、以後『木村家の人々』(1988)『病院へ行こう』(1990)『僕らはみんな生きている』(1993)『眠らない街 新宿鮫』(1993)『シャ乱Qの演歌の花道』(1997)『お受験』(1999)『陰陽師』(2001)『壬生義士伝』(2003)『バッテリー』(2007)など。この10年間で最新作の『釣りキチ三平』を入れて7作、過去も今もずいぶん多作な監督です。彼の才能を買う人が多いということなのでしょうね。
『おくりびと』には、滝田と高商での同級生山田辰夫も出演しています。

映画『おくりびと』は36カ国・地域で公開だそうです。アカデミー賞獲得も含めて、この映画が宗教・文化・イデオロギー・民族・言語を超えてあるいはそれらに通底する「普遍性」を持っているということになるのでしょうね。そのような素晴らしい映画が「富山」と何重にも縁があるということは、一富山県民として誇りであり喜びであります。

滝田洋二郎さま・本木雅弘さま・出演者スタッフの皆様、青木新門さま・勝山敏一さま。
オスカー獲得、おめでとうございました!

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by tiaokumura | 2009-02-24 19:04 | 富山 | Comments(0)

名古屋出張

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(2月21日午後・記)
一昨日2月19日は、アジア人財1期生修了式に出席するため、名古屋に赴く。1月11日以来、今年2回目の名古屋行き。
9:10富山発しらさぎ6号。乗車前に讀賣・日経など購入。この日の2紙、読み応えがありました。ヨッパ大臣?の翌日なんで、いい記事が滞留していたのでしょうか。にしても彼、罷免や更迭じゃなく辞任でしたっけ。麻生総理は、たとえ「お友達」でもここは速やかに「泣いて馬謖を斬る」べきでした。危機管理もできない宰相ってことで支持率下がるの、無理からぬことでしょうね。
讀賣では、以下の記事に注目した。
編集手帳は「裁判員」。「『市民の社会常識』をプロの裁判官が自前で身につけてくれさえすれば、心臓に悪い経験を市民が味わう必要もない」っての、僕もその通りだと思う。僕は「検察審査員」ってのを経験したことがあるのですが、「裁判員制度」には反対です。そんな制度、裁判官の怠慢以外の何物でもないと思う。僕たち国民は税金で彼ら・彼女らを雇っている立場。それがなんで嫌な思いまでしてプロの手伝いを、しかも手弁当でやらなきゃなんないのだろう。讀賣、他に「ビッグ3 再建か 破綻か」「追悼抄 野口悦男さん・山村楽生さん」「クリントン長官 インドネシア訪問」「72兆円 米景気法成立」(アメリカが内向き・保護主義に走らないといいのですが)「時代の証言者 張本勲」「『少子社会を生きる!』エッセー入賞作紹介」「ゴヤ様式 問い直すとき」「マンガ50年」「小学生向け『正義』読本」「平成百景」(富山県はホタルイカ・富山ライトレール・おわら風の盆・砺波チューリップ公園がノミネート。他に岐阜県と立山連峰・合掌造り)・「北野武 『どうしようもない』は褒め言葉」「噺家DVD集 売れ行き好調」「村上春樹短篇オペラ化」「『偽造指紋 1枚68円』」など。
日経では以下の通り。
「春秋」(村上春樹の「壁と卵の間で、私はいつも卵の側に立つ」)「工場閉鎖 相次ぐ」「稲村純三(明電舎社長) 今、若者たちへ」(全面広告)「NHK『きょうの料理』 材料表示4人→2人分に」「介護福祉士 『問題に振り仮名を』 外国人支援団体が要請」「小沢剛 子どもとみるアート」(ピカソ「ゲルニカ」)「森永純 どぶ川の生命を探る」(1961年、ユージン・スミスが彼の写真を見て泣いたそうです)「鳥羽博道(ドトールコーヒー名誉会長) 私の履歴書」「藤岡文七(内閣府審議官)交友抄」など。それにしてもここ何ヶ月かの日経は、減・安・マイナス・赤字・下などの文字ばかり。任天堂・ユニクロ・無印良品・マクドナルドなどごく少数以外は、自動車も電機も鉄鋼もITも・・・惨憺たる状況。こんな時こそ、「政治」の腕の振るい所なのに。

2紙を読み終わった頃、福井着。それからは安野光雅『語前語後』(朝日新聞出版)を読み耽る。253の見聞記。「『ねたみ』と『ひがみ』」から「誇りを持て」へと展開する061(以下の3桁の数字は同見聞記のナンバー)。エラトステネスのエピソードへの「意地悪な疑問」(063)、064の「直線があり、直線の任意の一点を中心にして、直線上のA点を通る円を描き、その円が交わる直線上の点をBとし、円の中心OとBとを結ぶ直線が円と交わるもう一つの点をCとすれば、角BACは直角である」-こういう箇所では、人は3通りのタイプに分かれるでしょうね。読み飛ばすタイプ・図を描いてみるタイプ・頭の中で図を想い描くタイプ。僕は2番目タイプです。この箇所を読みながら図を描いたあなた、僕といいお友だちになれそうです^^。男子としての慙愧(067)、動画(068)、暗示(069)、身元調査(070)、大演説(075)、暖炉(076)、独楽が澄む(078)、ひじきの煮物に梅干し(079)などをおもしろく読む内に、しらさぎ6号は米原に入線。ここで新幹線に乗り換える。富山-名古屋、往復特急券を買うと(いや片道でもよかったか?)、米原-名古屋間は新幹線を利用できるんです。名古屋出張するようになって初めて知りました。
12時半頃名古屋駅到着。修了式会場のホテル(名古屋駅から1分)を下見。2時半からだと思ってたのが1時半からなのを知ってドキッ。こういうミス、よくするんです、自分(恥)。

1時半~4時半、アジア人財1期生修了式・交流会など。

5時頃、富山国際学院卒業生の劉さんと大名古屋ビルヂング1Fで待ち合わせ。彼女と会うのは卒業以来初めてになる。確か在学時1年目の後半を教え、学習発表会では学生の作った翻案劇で僕は「村人3+斬られ役」をやらせてもらった^^。彼女たちは中国で微分積分あまり習っていないということで、春休みに補習もした。彼女は4つの受験大学全てに合格し、その中で名古屋の街が気に入って名古屋工業大学を進学先に選んだ。現在大学3年生(建築専攻)。3年前と違って、垢抜けた化粧・ファッション。
僕と同じくアジア人財1期生担当の高木さん富山国際学院の同僚)・劉さんと3人、名古屋駅構内にあるカフェで1時間ほど過ごす(写真)。生ビール2杯・生ハム・ピザ・串カツ(名古屋名物みたい)など。思い出話・今のこと・これからのことなど話す。ありきたりだけど、若いっていいなぁと思う。「悩む特権」があるんですよね、若者は。老いたる我が身には「計算高い悩み」しかないのが恥ずかしい。
名古屋駅改札口で別れる。その後新幹線で米原に出、しらさぎに乗り換え富山へ。富山駅北口から富山国際学院まで歩き、停めておいた車に乗り帰宅。

名古屋はここ2年で10回以上行っている。今年はあと3回くらい名古屋出張があるかなぁ。
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by tiaokumura | 2009-02-19 17:20 | 日本語教育 | Comments(0)

安野光雅『語前語後』、辰巳ヨシヒロ『劇画漂流(上)』、中村祥二『調香師の手帖』

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安野光雅(1926-)
『語前語後』
2008年11月30日 第1刷
朝日新聞出版
1600円+税
辰巳ヨシヒロ(1935-)
『劇画漂流 上巻』
2008年11月20日 初版第1刷
青林工藝舎
1600円+税
中村祥二(1935-)
『調香師の手帖(ノオト) 香りの世界をさぐる』
2008年12月30日 第1刷
朝日新聞出版(朝日文庫)
800円+税

今日帰宅したら博文堂さんから上記3冊の本が届いていた。どれも昨年の出版なんですが、僕は2月注文で博文堂さんに出したので2月に入手です。
-以下、敬称略-
僕は結婚前から安野ファンだったが、結婚し子供が生まれてからは絵本関係もけっこう買った。僕の読書歴ではずいぶん長いお付き合いになります、安野本は。人にあげたりもしましたが、たぶん今でも本棚に30冊以上は持っているでしょうね。
今回の本、ネーミングは『算私語録』『散語拾語』の発想でしょうね。こういう「遊び心」も安野の魅力。本書は、253の見聞記+森毅との対談で構成。「253」は2004~08年で、北京オリンピックの「口パク」も取り上げられている。253の各編を読んで3分考えれば、味気ない人生が彩り豊かなものになる-そんな本です。
安野は去年『図書』(岩波書店)に『走れメロス』への疑問を箇条書きにして書いていた。中学国語教科書の定番、名作中の名作である『走れメロス』に疑問を抱くなんてと思われるかもしれないが、安野説を読んで「なるほど」と思った記憶がある。本書のあとがき「疑いのすすめ」に『走れメロス』の王の言葉が出てきます。
ここで書いていいものかどうか・・・この本、このブログの「哲ちゃん」が登場します。実は彼は朝日新聞「人脈記」にも登場したことのある名編集者なのです。本書所収の「対談」は、「哲ちゃん」がコーディネーターというかフィクサーというか、彼のセッティングで1980年3月2日に実現した。その時のテープを文字起こしし、本書で初めて「幻の対談」が陽の目を見た。詳しい経緯は本書p.179ご参照。

辰巳ヨシヒロ、40代以下の方にはなじみが薄い名前でしょうね。でも「劇画」の命名者だと言えば少しわかっていただけるか。『劇画漂流』は辰巳の自伝的長編。上下2巻本で、とりあえずは上巻のみ購入。
僕が小中学生の頃、貸本屋が盛んだった。新刊1冊の値段で数冊借りることができたのだから、僕らにとっては貴重な読書源だった。それに学校の図書館にはないものばかりだから、後ろめたさはちょっぴり感じてもそんな感情は好奇心に勝てなかった。日参とまではいかずとも貸本屋を大いに利用してた。貸本漫画誌では『影』や『街』などが有名。劇画作家では(僕がよく読んだのでは)佐藤まさあき・辰巳・小島剛夕・平田弘史・影丸穣也ら。つげ義春や白土三平も作品を発表していたようだが、僕がつげや白土に「出会う」のはもっと後で大学生になってからだった。
「劇画」は大辞林第三版には「筋を重視し、画風・ストーリーともに現実味を志向した比較的長編のもの」とある。僕の精神史形成で劇画は一定の役割を果たしてくれたように思うのだが、どうなんだろう。
この本の出版元の「青林工藝舎」は「青林堂」とどんな関係なんだろう。
なお辰巳はここ数年海外で高く評価されていて、本書も英語版・スペイン語版が出版されるそうです。

この間、富山国際学院でどんな話の流れか忘れたが、僕が大学生時代に「資生堂」の就職試験を受けたいと思った、という話をしたら、「へ~」って感じで驚かれた。あの頃僕は『花椿』(今もあるんでしょうか?)を講読してて、資生堂のTVCM(小林麻美はまだだったかも)も好きだった。化粧品は未だにトニックとリキッドの区別がようわからん男だし(恥)、そもそも化粧なんてのにはとんと無縁なのだけど、「資生堂文化」には興味があった。今はまた違うのだろうけど、福原義春の「資生堂」・堤清二の「西武」・佐治敬三の「サントリー」など、経営者に文化がわかる人がいた時代は良かった。
中村祥二(1935-)は東大農学部卒→資生堂入社。40年にわたり資生堂で「調香師」。僕は持ってませんが「求龍堂」(いい本をたくさん出している出版社。でも値段が高いので^^僕にはほとんど手を出せない。志村ふくみの本は1冊持っているかも)から『香りの小匣』を出している。
本書には「加齢臭」の研究も出てくる。加齢臭、気にしてる方も多いでしょうね。僕もきっと「加齢臭」ぷんぷん撒き散らしてるかも^^。で、中村らの研究で加齢臭の発生メカニズムや加齢臭の発生を防ぐ方法などが解明され、「Care Garden」という商品も開発されたそうです(p.284)。使ってらっしゃる方、いますか? 加齢臭について本書では更に、中村がその後「気づいたこと」として、次の3つを書いています。「最近加齢臭を感じさせる年配の人が減ってきた」「強いストレスが加齢臭を発生させる」「コエンザイムQ10が加齢臭の発生を防ぐのではないか」。

今週木曜日は名古屋出張。旅の友に上記3冊のどれを選ぶか、嬉しい悩みです。
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by tiaokumura | 2009-02-16 21:13 | | Comments(2)

見城徹『異端者の快楽』(太田出版)

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見城徹
『異端者の快楽』

装丁田島照久
写真大木文彦
太田出版
2008年12月15日 初版
1600円

見城徹のような男にとっては、金も女もボクの何百倍も「自由」なんでしょうね。見城は1950年静岡県清水市生まれ。清水南高校卒・慶應義塾大学卒。慶済堂出版に入社し1年目に『公文式算数の秘密』で大ベストセラーを飛ばす。今でこそ「公文式」は誰もが知っていますが、当時は海のものとも山のものともわからなかったはず。『公文式~』は、後に見城が「売れる要素」として挙げている「オリジナリティがあること」「明解であること」「極端であること」「癒着があること」の4条件を満たしてたのですね。やがて角川書店に入社し、角川春樹に見込まれ、数々のヒットを飛ばす。そんな日々の中、春樹の許を離れたく思いつつも想いはなかなか叶わなかった。しかし春樹の「コカイン事件」を契機にようやく独立し「幻冬舎」を立ち上げる。
こうして見城の略歴を僕なりに綴っても、見城徹のような男にとっては金も女もボクの何百倍も「自由」なんだろうなぁ、とまたまた^^思う。僕の1万円は彼の百円くらいなんかもしれん。2009年のバレンタインチョコ、ボクは辛うじて2コじゃったんに比べれば、見城は15歳~68歳(この年齢幅、ボクがテキトーに想定^^)の女性から何百個ともらったことでしょうね。
この本は『編集者という病い』(2007年 太田出版)以来で2冊目です、僕にとっての見城本。

還暦を間近にして、死にまつわる想念に不意打ちされることが増えてきた。異端の者にも動物にも死の到来は不可避である。様々な想いが込み上げ、不安に襲われる。
(中略)
僕はきっと絶望して死ぬだろう。死ぬとはそういうことなのだ。しかし、絶望しきるために熱狂して生きなければ人生に何の意味があるだろうか。その時まで僕は悲痛な日を送らなければならぬ。異端者の快楽を唯一の友にして。
(「暗闇のピエロ」p.p.16-17)
このあたりが見城の「死生観」なんでしょうね、きっと。すごいものです。
僕が大学生時代に読んだ高橋和巳(1931-71)『邪宗門』を見城は高校生時代に読み、僕が「知識」としてしか知らない高野悦子(1949-69)や奥平剛士(1945-72)を見城は血肉化している。高校生時代に『マルクス・エンゲルス全集』を購読した見城。吉本隆明体験だって僕より4歳年下の見城のほうが深く先鋭。とにかくすごい男です。

『異端者の快楽』、ようやく3割ほど読みました。尾崎・石原・郷・つか・矢沢など、『編集者~』とカブってる箇所も多い感じ。
この本で見城が「ひりつける」という動詞をよく使うことに初めて気がつきました。広辞苑第六版に拠れば「放り付ける」で「魚や虫などが卵を物に生みつける」だそうです。この年になって初めての動詞に出会えるなんて、僕は幸せなんか単なるアホなんか^^。
この本は、発表年では1980年~2008年をカヴァーしています。この本、僕の深読みかもしれませんがおもしろい構成です。巻頭「異端者の祈り」+巻末「絶望から快楽へ」=本のタイトルの『異端者の快楽』。本の中身はサンドイッチ風^^に、一番外側にエッセイ各1編(2008年と1980年で呼応している)、その内側に発言各2編、その内側に対談9編。
まだ完読してませんが、中上健次(1946-92)との対談「現代文学の炎」(1987)が今のところ一番おもしろい。逆に「幻冬社は現代の八文字屋か」(2005)はつまらなかった。参加者が大学の先生(A大教授・W大教授)じゃ、見城の魅力を引き出せないんでしょうね。

僕は叶うことなら「松岡正剛vs見城徹」が読みたい。切り口は「編集」。「編集工学」と「編集者」の鍔迫り合いが読みたい。早慶(慶早)戦でもあるので、両校卒業生や同世代だけでも10万部超は確実だと思うけど^^。
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by tiaokumura | 2009-02-15 20:20 | | Comments(5)

常に笑顔 職場溶け込む(北日本新聞2009年2月11日付)

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インドネシア介護士候補 奮闘中
 魚津市大光寺の特別養護老人ホーム「新川ヴィーラ」に勤務して十日余りになる介護福祉士候補のインドネシア人男女二人は、仕事や日本語の勉強に積極的に取り組み、職場に溶け込んできた。施設側は「介護福祉士の試験に合格し、継続して勤務してほしい」と話し、将来の介護を担う人材として期待している。(北日本新聞2009年2月11日付)

今日『シロタ家の20世紀』(藤原智子監督)を富山国際学院の隣の自治労会館で観て帰宅し、北日本新聞を読んでいたらこの記事が目に留まった。
EPA(日本とインドネシアの経済連携協定)に基づいてインドネシアから来日し、東京や大阪で半年の日本語研修を終了された介護福祉士候補の方々が、今日本各地の施設で勤務中。富山県では魚津市にお二人見えています。最近、北日本・朝日・讀賣などの各紙で合計10本近い記事でお二人のことが取り上げられている。
今回の記事では富山国際学院での同僚熊西美絵さんも登場。彼女は僕の日本語教師人生のスタートのトヤマヤポニカの1期上の先輩。ヤポニカ時代に、富山県とアメリカ・オレゴン州との交換職員の日本語研修を熊西さんと担当したことがある。僕は2年くらいでヤポニカを退会したのですが、その後も年賀状のやりとりは続き、彼女は英語・中国語が堪能なので分からない時に教えていただいたりしてお付き合いは続いた。そして、2年前だったか、熊西さんに富山国際学院のスタッフに加わっていただいた。熊西さんは僕の先輩であり同僚でもあるんですね。
熊西さんは富山県の草の根国際交流の賞も受賞された、ボクなんかのようなチャランポラン人間とは対極の、志ある尊敬すべき方です。
記事写真、左の横顔が熊西さん。向かいが記事中のアリャントさんラハイユさんになるのでしょうね。いつだったかパリでイスラム教徒女生徒のスカーフ禁止で文化摩擦がありましたが、東洋の日本国魚津はそんな懸念はありません。スカーフの女性の笑顔は実に素晴らしい。
記事から日本語研修の箇所を引用。

 十日は勤務の合間に二時間の日本語講習があった。宿題として課されていた一週間分の業務日誌を語学教師、熊西美絵さんに提出。「りよう者さんと話しました」「ふくをたたみました」などと書かれ、「介助」「休み」などの漢字も使われている。
 二人は介護福祉士の国家試験受験資格取得に必要な三年間の現場勤務を経て国家試験を受ける。試験には漢字の専門用語が多用され、漢字への習熟度が合否の鍵を握る。熊西さんは「業務日誌を書くことで、介護技術と同時に漢字を学んでほしい」と話した。


介護福祉士は僕などの想像を超える激務。その国家試験は日本人でも合格率50~60%台だとか。熊西さんはボランティア精神に満ち教える技術も卓越した方。熊西さんならインドネシア人介護福祉士候補お2人には強い味方になれる。僕も可能な限り熊西美絵さんをバックアップしてさしあげたい。
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by tiaokumura | 2009-02-11 20:01 | 日本語教育 | Comments(2)

こんな授業・あんな授業(9)「このゆびとーまれ」でボランティア

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僕は2008年度日本語授業はB組・外国籍の子供たちの取り出し授業(英語・数学など)・アジア人財1期生(外部授業)の3クラスを担当。3つの中でB組は担任で授業週3コマ。これまでに100日以上の授業を行っている。B組学生の悪いところ・悪いことの90%以上は僕の責任でしょうね。
富山国際学院では例年「卒業クラス」は2月・3月に「課外活動」(校外学習)を行っています。08年度B組の最初の課外活動が今日でした。副担任の林さんが引率するグループは「越中座」(地元紙の北日本新聞が最近作った施設。新聞の発行がここで行われ、一般人の見学も可能)の見学、僕が引率するグループは「このゆびとーまれ」でぷちボラ。来週18日(水)は、林組は「にぎやか」でボランティア、奥村組は「越中座」見学。
9時に学校に集合。昨日欠席者がいたのでちょっと心配でしたが、全員時間通りに集合。「このゆびとーまれ」組は9:15に出発、僕の車で一路「このゆびとーまれ」へ。運転下手で方向音痴なんで(照)心配だったんですが、学院から20分くらいで到着。
「このゆびとーまれ」(惣万佳代子理事長)はこのブログでも何度かご紹介し、右にもリンクしてあります。「このゆびとーまれ」公式サイトから以下引用。

「このゆびとーまれ」は富山赤十字病院を退職した3人の看護婦により、平成5年に開所しました。
その中の一人、惣万は「病院で看護婦として働いていることの限界を感じた。」と当時を振り返っています。病院でいくらお年寄りの命を助けても、最後の場面で「家に帰りたい」「畳の上で死にたい」とお年寄りが泣いている場面をたくさん見て、そういったお年寄りたちを助けるために「このゆびとーまれ」を設立することにしました。
また、惣万は以前訪れた老人ホームで、まるで生きる気力を無くしているかのようにお年寄りたちが全く話もせずに一日を過ごしている姿を見て、どこか違和感を感じました。
惣万は「子供といっしょに笑ったり、怒ったり、歌をうたたったりすることはどんなリハビリよりもよい。子供がいればリハビリなんてする必要がない。」と言っています。
「このゆびとーまれ」のように、「赤ちゃんからお年寄りまで、障害があってもなくても一緒にケアする活動方式」と、行政の柔軟な補助金の出し方を併せて「富山型」と呼びます。
この、本当の意味でのノーマライゼーションである「富山型」は福祉関係者の共感を呼び、富山はもちろん、滋賀、長野、愛知、徳島、熊本、佐賀へと全国へ広まりつつあります。


僕が「このゆびとーまれ」を知ったのは設立前後のこと。以来いつか「ボランティア」で伺いたいと思いつつ実現せず、今日やっと学生3人(写真)と伺うことができました。永年の夢が叶いました。幸い惣万佳代子さんともお会いでき少しお話ができました。「このゆびとーまれ」は富山県のNPO第1号です。富山国際学院も2005年9月にNPO法人に組織変えしたので、「このゆび」は大先輩にあたります。
今回の「ぷちボラ」(11:50まで)、事前学習も少しした。教師として不安もあったのですが、快く受け入れてくださり、また歓迎もされ、ホッとしています。帰り際に「このゆび」の玄関前で撮った写真の学生たちの表情、満足してますよね。ふだんの教室とはまた一味違ういい顔してます。「このゆび」でのボランティア、たぶん最初はとまどいもあっただろうしいろんな困った場面もあっただろうけど、学生たち、利用者・スタッフ・ボランティアの方々と上手にコミュニケーションできてました。
ボランティアで「だれかのために何かをしてあげる」というのは、絶対「自分のためにもなる」ことなんですよね。

「このゆびとーまれ」の利用者・スタッフ・ボランティアの皆様!
今日はありがとうございました!
おかげさまで、卒業間近の学生たちも私もすばらしい体験ができました。

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by tiaokumura | 2009-02-10 11:49 | 日本語教育 | Comments(0)

「日本語教師っていいなぁ」と思ったブログ記事のご紹介

右にもリンクしてある「☆☆九州でお仕事-ランランの勉強日記-☆☆」に先日アクセスしてその記事「学生への手紙」を読み、勇気づけられるとともに「日本語教師っていいなぁ」と思った。
同ブログの主宰者「ランラン」さんとは2年前の夏、幕張であった日本語教育学会主催の日本語教師研修のワークショップでたまたま同じ島になった。
九州の大学で教える彼女の「学生への手紙」は、
この1年間(または半年)、本当によくがんばりましたね。
で始まり
みなさんのような優秀な学生のために授業ができて、幸せでした。
本当にどうもありがとうございました。

で終わる。
全文転載したいところですが、ご本人の許可を得ていないので、各自その記事にアクセスしてお読みください。日本語教師ならずとも感動します。

僕は大学というところは、富山大学・上越教育大学・北陸先端科学技術大学院大学の3つでわずかの時間しか教えたことがないので、ランランさんとは比べ物にならない経験しかないのだけれど、それでも同じ日本語教師として、ランランさんが書かれているような想いになることもときどきある。まだまだランランさんの境地には及ばないのだけれど。
ここのところ難問が次々と発生していささか疲れることが多い日々なのだが、ランランさんに負けず少しずつでも前進できる毎日を過ごしていきたいと思う。

ランランさんとは来週土曜日に富山で再会します。マレーシアに赴任するランランさんの送別会。当夜は、日本語教育に携わる6人(予定)で、富山の海の幸・山の幸・里の幸&美酒^^を味わいながら、「日本語教育」への互いの想いをぶつけあい大いに語り合いたいと思う。当夜が楽しみである。
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by tiaokumura | 2009-02-09 21:22 | 日本語教育 | Comments(0)

富山”観世塾”

ブログ炎上で送検とかのニュース出ていましたね。ブロガーの一人として無関係なニュースではない。ただ僕はこのブログの「炎上」も覚悟しています。幸い今のところはそういう事態に立ち至ったことはありませんが、何があるかわからないネット社会、ブログを開設した以上はそれなりの心の準備は必要だと思う。当ブログはコメント書き込み自由で、それはこれからも維持していこうと思っています。「炎上」などになった時はこのブログはあっさり閉鎖します。まぁそういうことは起こらないとは思いますが。

ところで当ブログは、自分の意見を主張してる場合もありますが、僕の出会った人・こと・モノをご紹介しその人・こと・モノの素晴らしさを広く皆様に知っていただきたいという情報発信の場でもあります。今日は、「富山”観世塾”」のご案内。松下覚様から郵送されたリーフレットから以下抄出。

“観世塾”の特徴
当塾では毎回(月ごと)、テーマ曲(3曲)を定めて、講師がシテ(能の主役)と地頭(斉唱のリーダー)を勤めます。曲の内容、情景、テンポなどを解説したのち、皆様に希望の役(ワキ、ツレ、子方など)をお選びいただき、地謡は自由参加という形式で行います。
日時 毎月末の土曜日(都合により月末以外の場合もあります)
時間 午後1時~4時
受講料 2000円(お一人様1回受講につき)
会場 富山能楽堂 076-429-5595
主催 観世流 富山松友会
平成21年”観世流”日程・出題予定曲
 1月:高砂・東北・山姥
 2月:田村・弱法師・船弁慶
 3月:嵐山・羽衣・藤戸

 (以下略)

東京教育大生時代(1965年4月に教育大国語国文専攻に入学)、同専攻の宮崎健二君や山下富雄君が銕仙会に入っていた。小西甚一教授の関係でだったんでしょうね、教育大の銕仙会は。「僕も入りたいなぁ」と思ったのですが、勇気がなかった。能楽の世界では14世喜多六平太(1874-1971)や観世栄夫(1927-2007。当時は能楽界離脱中)・静夫(1931-2000。後に八世観世銕之亟)の頃です。
僕は茶の湯・能楽・囲碁をやっている人に、まあ大げさかもしれませんが劣等感を抱いている。今回運良くお能の世界に触れるチャンスが出てきて、仕事の関係で毎回は無理でしょうが、“観世塾”を可能な限り受講してみようと思います。僕には日本語教師にしては発声が悪いという弱点があるので、それの矯正にもなるし。
出題予定曲には、高砂・山姥・羽衣・熊野・忠度・杜若・隅田川・蝉丸・紅葉狩・俊寛・猩々などどこかで耳にした題もありますが、小鍛冶・歌占・班女・玄象・花筺・菊慈童・巻絹など半分近くは初めて聞く曲名。そんな超初心者ですが、松下覚さんに電話で問い合わせたところ「それでも構わない」というお返事でした。叶わぬ夢かもしれませんが、いつか日本語授業で学生たちにお能を実演したい。あるいは今回のご縁で、能楽師の方に富山国際学院に来ていただくとか。あるいは課外活動で富山能楽堂見学をするとか。

第1回は既に終了しているので、2月28日(土)が僕の能楽初体験ということになります。楽しみです。

財団法人観世文庫社団法人観世会の公式サイトはこちらです。
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by tiaokumura | 2009-02-06 20:32 | 謡を習う | Comments(0)

The Beatles - Here Comes The Sun(YouTube)


「暦の上では春ですが、春は名のみ、まだまだ寒い日が続きます」
とコラムには書かれるはずのこの時季なんですが、皆様のところはいかがでしょう、富山はまるで「春」のよう。もちろん最高気温が10℃前後・最低気温が0℃前後なので、「もう春だ!」とは断言できませんが、冬とは思えぬ今日この頃^^です。富山生まれで富山育ち・かつての積雪を知る者としては、「もう春が来たんじゃないか」という気分になることもしばしば。家の周りも富山国際学院の周囲も全く雪はありません。富山から金沢に行く途中、倶利伽羅峠あたりで積雪を見かける程度です。地球も生命体なのだから、こんな暖冬は地球さんに申し訳ない気持ち(地球人の一員として、「地球温暖化」は地球さんに相済まない)ですが、まぁ、富山もも咲いたようだし、「2月上旬にして既に春の息吹ここかしこ」なのかなぁ。

春の名曲と言えばいろいろありますが、このHere Comes the Sunもその1曲でしょうね。アルバムで言うとYellow Submarine(1969)とLet It Be(1970)の間にリリースされたAbbey Roadに所収。
Here comes the Sun・It’s alrightの繰り返し。long, cold, lonely winterだったのが春が到来してthe smiles returning to their facesだったりice is slowly meltingだったり。
「あなたの好きなビートルズナンバーは?」とかってアンケートをとったら、決してTO5には入らないのだろうけど、でも必ずTOP10には入りそうな曲。作詞・作曲とリードヴォーカルがGeorgeで、Ringoもしっかりドラムスで存在感を示している。言わば「ビートルズってジョンとポールだけじゃないんだよ」って主張してるような曲。僕はTOP5に入れたい曲だし、春になると決まって聴きたくなる曲でもある。春以外にはあまり聞かないけど^^、でも凹んだときなんかに聴いて単調なメロディーラインに癒されることもある。

YouTubeの映像、今回初めて観たのですが、実に貴重な映像フィルム満載です。20代後半のビートルズの面々、ジョンとヨーコのベッドイン、例のAbbey Road(ジャケット写真に使われポールの「死亡説」が流れた)、CAVERN(無名のビートルズが出演してたライブハウス)などなど。最後のほうに出てくる日付は1969年8月22日。アルバムAbbey Road(Here Comes the SunはB面の1曲目。A面の1曲目はCome Together)の録音完成は同年8月18日です。

貴重な映像をご覧になりながら、Here Comes the Sunをお楽しみください。
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by tiaokumura | 2009-02-05 19:19 | 音楽 | Comments(0)

分銅惇作先生、ご逝去

分銅 惇作氏(ふんどう・じゅんさく=元実践女子大学長)
 1月29日午後6時32分、肺炎のため東京都内の病院で死去、84歳。自宅は台東区池之端4の16の1。葬儀は5日午前11時から荒川区町屋1の23の4、町屋斎場で。喪主は長男英生(ひでお)氏。
 五城目町出身。高校教諭、東京教育大(現筑波大)教授を経て、77年、実践女子大学に移り、93年から4年間学長を務めた。詩人であり近代詩研究の権威。特に宮沢賢治の研究が著名で、著書に「宮沢賢治と法華経」など。秋田西高校など県内の学校の校歌を作詞。「種蒔く人」の同人とも親交があった。教科書の編者を務めるなど国語教育でも高名。秋田公立美術工芸短大の創設委員長を務めた。(2009/02/02 18:53 更新)


分銅惇作先生が亡くなられた。上は秋田魁新報社「さきがけonTheWeb」訃報の転載。
今は「コンビニ大学」などと言う言い方もされる「大学」だが、あの頃の東京教育大学はすばらしい大学だった。少人数ながら文・理・教育・農・体育と5学部の総合大学。「マジメで貧乏でヤボ」といった世間の評判だったが、僕たちはそれなりに青春を謳歌していた。そして「東京大学何するものぞ」という学風。実際、他学部もそうだっただろうが、僕の在学した文学部国語学国文学専攻(教育大文学部の入試は専攻単位で募集。1年から教養+専門を履修)は錚々たる教官陣。「東京大学よりすごい」という評判だった。吉田精一先生は僕たちの在学途中で東京大学専任になるため退官されたが、国語学の中田祝夫教授・小松英雄教授・馬淵和夫助教授、国文学の峯村文人教授・小西甚一教授・鈴木一雄助教授・尾形仂助教授ら。『問題な日本語』の北原保雄さんが当時は助手か講師だった。
分銅惇作先生(当時助教授)は現代文学。先生の近現代詩や戦後文学の授業を取った記憶がある。先生の演習では富永太郎や中原中也、中島敦や梅崎春生などについて発表したような気がする。僕は卒論で北村透谷か梶井基次郎をやろうと思っていたので、あるいは卒論相談に分銅先生の研究室を訪れているかもしれない。
先生で最も覚えているのは、先生の授業時に宮沢賢治「永訣の朝」を朗読していただいたこと。先生の東北なまり、そして先生ご自身が詩人でもあるのでその朗読の名調子は、40余年を隔てた今も耳に残る。
先生は筑波移転反対派だったと思う。訃報にあるように東京教育大学から実践女子大学に移られている。
先生が東北ご出身ということは当時から知っていたが、今回の「さきがけonTheWeb」で先生が秋田県五城目町ご出身ということを初めて知った。先生は何冊も本を出されていると思うが、僕は『宮沢賢治入門』(1992年6月。筑摩書房)を買っている。この本は僕たちと同期だった栗原敦君との共編著。タイトルどおりに「入門」なのだが、それにとどまらぬ賢治への良き導き手になる本。同書は僕の本棚に埋もれていて確認できないのだが、確か「まえがき」だったと思う、賢治が縁で結ばれた師友(分銅先生・栗原君)の想いが綴られていて感動した記憶がある。
僕は勉学嫌いで不真面目な学生だったので分銅先生のご薫陶を受けたとはいえないのだが、私が人生で出会った師のお一人である分銅先生の訃報に接し、先生の思い出を少し書かせていただいた。
謹んで分銅惇作先生のご冥福をお祈り申し上げます。
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by tiaokumura | 2009-02-04 21:13 | 追悼 | Comments(0)