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内村剛介さん、ご逝去

評論家の内村剛介さん死去=抑留体験基に旧ソ連批判
 「生き急ぐ」「ソルジェニツィン・ノート」など旧ソ連の強制収容所の実態を暴く評論活動を行った評論家でロシア文学者の内村剛介(うちむら・ごうすけ、本名内藤操=ないとう・みさお)さんが30日午前2時41分、心不全のため東京都世田谷区の病院で死去した。88歳だった。栃木県那須烏山市出身。葬儀は2月6日午前10時から品川区西五反田5の32の20の桐ケ谷斎場で。喪主は長女冨永まなみ(とみなが・まなみ)さん。
 1934年、満州(現中国東北部)に渡った。哈爾濱学院卒業後、関東軍に徴用され、敗戦とともにソ連に抑留された。11年間、監獄や強制収容所で過ごし、56年に帰国。商社勤務の傍ら精力的にスターリニズム批判など文筆活動を展開し、旧ソ連研究などに大きな影響を与えた。北海道大、上智大教授を歴任。著書に「呪縛の構造」「ロシア無頼」、訳書に「エセーニン詩集」など。昨年出版された陶山幾朗編著「内村剛介ロングインタビュー」が話題を呼び、全7巻の著作集の刊行も始まったばかりだった。
時事通信より引用。ただし、元記事の「ハルピン」を「哈爾濱」に変えた-奥村)


ここのところ寝る前に陶山幾朗/編集・構成『内村剛介ロングインタビュー』(恵雅堂出版)を読むのが日課になっている。同書は1月8日に入手し、今年の「読書」の1冊目にした。僕の部屋は暖房はこたつだけで、こたつで過ごした後は布団にもぐりこむ。そして行儀が悪いことこの上ないのだが、敷き布団に腹ばいになり毛布2枚・掛け布団2枚重ねを首とパジャマとの間くらいまで引っ張り上げ、ときどき腰が痛くなると(僕は腰痛持ち)左右の脇腹を横にして、あるいは手がかじかんでくると布団の中に手をしばし収め・・・まぁそんな具合で一晩20ページくらいのペースで読み進め、ようやく「§11 君も、われも、やがて身と魂が分かれよう・・・・・・」に至った。
この本、僕には難しすぎなんですね。ソ連もロシア語もロシア人もロシア文学・思想も僕にはほとんど知識がない。でも、こうしてなんとか読み進んでくると、確かに知識の欠如は致命的なのだろうけれど、それでも今では眼前で内村さんと陶山さんのセッションを見ているような錯覚に陥るくらいになりました(僕のような素人にそうさせるのは、内容はもちろん、この本の編集・構成がすばらしいということです)。同書から1箇所だけ引用。
『生き急ぐ』は、僕の収集した幾編かのラーゲリ・フォークロアを、プーシキン、ブロッキー、吉本隆明、香月泰男らが取り囲んだ形で成り立っています。(p.378)

今日は3週連続の金沢通い。ビジネスバッグには『ロングインタビュー』。帰りの車中で読もうと思った。行きの電車では例によって讀賣・日経。讀賣の訃報記事で内村さんが亡くなられたことを知る。5時過ぎ帰宅、夕食後このブログをチェックしたら、宮明正紀さん(恵雅堂出版)のコメントがあり時事通信の訃報記事が紹介されていました。時事通信のネットサイトから取り上に掲げておきました。
僕は内村さんの本とは20代で『生き急ぐ-スターリン獄の日本人』(1967年9月刊。三省堂)と出会いその「すごさ」には触れ、しかしその後は全く読まず、昨年亀井哲治郎君(東京教育大学以来の友人)との待ち合わせ場所の池袋のジュンク堂で『内村剛介著作集』(恵雅堂出版)を目にし、その後彼から『ロングインタビュー』を読むように勧められ、購入し読書中。約40年ぶり・2度目の内村体験。そんな全く熱心でなかった僕ではあるが内村さんの「すごさ」は実感できているように思う。内村さんの「遅いデビュー」はたぶん須賀敦子さん(1929-98)のデビューと似ていたのではないだろうか。突然彗星のように現れたちまちのうちに支持者・愛読者・ファンを獲得する。「存在」してしまうと、もうずーっと前から存在していたかのような輝きを放つ「あること」の独自性。狭い範囲だけではなくいろんな方面に重く深い影響力があったのも、内村さんと須賀さんは似ている。須賀さんも内村さんも今は故人。

内村さんの「すごさ」を伝えることのできない駄文になってしまいましたが
ここに謹んで内村剛介さんのご冥福をお祈り申し上げます
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by tiaokumura | 2009-01-31 20:02 | 追悼 | Comments(14)

富山国際学院の昨日・今日

相本芳彦効果」、なんでしょうねぇ。いつもは1日80アクセスくらいのこのブログ、僕が1月20日午後9時前に「相本芳彦さんの、衆議院議員選挙富山3区立候補を支持します」を投稿した日からアクセスが通常レベルを超え、今日まで連日100人超。200人超の日も何日かある。検索エンジンから入ってこられる方が多いのでしょうね、この現象。さすがにこれまでの1日最高(557アクセス)の更新はないのですが、「相本ネタ」、ずいぶん関心を持たれたみたい。で、今回入ってこられた方々は富山県民関係が多いでしょうから、逆に言えばこのブログはあまり富山県民のご常連おられん、ってことを意味するのかもしれませんね。
相本さん、立候補の意思表明。このブログの場合、お寄せいただいた4人の方のコメントは全て「立候補反対」でした。

さて今日のタイトル「昨日・今日」は「過去・現在」って意味じゃぁなく(富山国際学院の過去・現在なんて今の僕にはソーカツしきれんし^^)、日付の昨日・今日です。

昨日1月28日
とやま国際センターから学院に手紙が届いた。「とやま国際センター」は、名称こそ異なっても似たような業務を行っている機関が各都道府県にあると思います。外国人のサポートをしたり外国人と日本人の交流を促進したり、そういう役割を担っている機関です。
そこからの手紙を読んで、ちょっとビックリしました。例の「交付給付金」、どうやらうちの学生たちももらえるようなのです。うかつでした、知りませんでしたもんね、そのことを僕。厳密に言えば「外国人登録」をしている「外国人」が対象。うちの就学生・聴講生、幸いなことに全員該当します。2月1日現在の外国人登録地で手続き後交付給付、といった段取りみたいです。
僕はこのブログで既に書いたように(2008年10月31日)、「交付給付金」は天下の愚策だと思います。だから僕は受け取ったら県内某施設に寄付します。僕の家族はそれぞれの判断で交付給付金を使うでしょう。交付給付金、消費刺激(いつのまにか性格が変わった?)ったってどれほどの効果があるか疑問ですよね。国が国民に「無駄遣いせよ」と言ってるみたいだし。ま、それはともかく、外国人にも交付給付(いやな言葉ですが)されるのはありがたい。素直に感謝します。でもこういうときに、「外国人に出すくらいならその分、派遣切りにあった日本人や日本人母子家庭、低年金の日本人のお年寄りにまわせ」って主張、きっと出てくるんでしょうね。この件が外国人排斥なんてことのきっかけになりませんように。

今日1月29日
先週、あるクラスの学生がインフルエンザで欠席(その後も休み)。同じクラスの別の学生が昨日不調を訴えてきた。今日検査したところ陰性だったのですが、インフルエンザが広まらない内にと、今日・明日とそのクラス(午後)を学級閉鎖しました(2日間分の授業は春休みに補習を予定)。学院は開校以来16年近くになるのですが、インフルエンザによる学級閉鎖は初めてです。富山にあるので、雪のため休校は一シーズンに何回か経験してます。
危機管理、一応いろいろ心の準備などはしているのですが、インフルエンザは今までほとんど考えていませんでした。学生たちには手洗い・うがいの徹底を指示しておきました。
ありとあらゆる危機を想定して、何が起きても対応できる体制、うちのようなミニ日本語学校にも、絶対必要ですよね。

最近の日本語教育関連ニュースいくつか順不同で。
①「留学」「就学」のビザが「留学」に一本化される見通し。
②「常用漢字」の話題。日本語教育にも関係してきます。
③EPAに基づくインドネシア人介護福祉士2名が28日に魚津(うおづ)に。大阪で6ヶ月間日本語研修などを終わった方々です。インドネシア人看護師1名は2月14日に魚津入りだそうです。
④富山県内の外国人登録者数、不況の影響もあってか微増に留まるそうです。
⑤とやま国際センター、失業中の日系ブラジル人を主対象に「日本語教室」開設。
広い意味も含めての「日本語教育」関係のニュース、1月に入ってからだけでもずいぶん増えています。

1月30日訂正
交付給付」の間違いでした。上記記事訂正しておきます。大変失礼しました。
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by tiaokumura | 2009-01-29 20:36 | 僕は学院長0年生 | Comments(0)

藤沢晃治『「分かりやすい教え方」の技術 「教え上手」になるための13のポイント』(講談社)

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藤沢晃治(コミュニケーション研究家)
「分かりやすい教え方」の技術
「教え上手」になるための13のポイント

講談社 BLUE BACKS
2009年1月15日第2刷(第1刷は2008年12月20日)
800円+税

僕と同じく
授業力をつけたい 「教え方」が上手になりたい 教える対象者から「教えるの上手ですね」と言われたい
そんな思いでいる方の必読書が出ました。
この本、別に日本語教師向けに特化した本ではないので、会社・学校・家庭・ボランティア・教室・カルチャーセンターなどなどいろんな「教える場」に携わっている方(「教える」立場にある方)のどなたにも大いに学ぶことが多い本です。
僕もこれまで、各種講座・各種教室・学校などでいろんな「教わる体験」をしました。最近2年間通った某大学(特に名を秘す^^)では、「なんて教え方、ひどいんじゃ~」ってな「先生」もいました。そんな経験則から、また自分が教える立場も経験してみて、「教えるってことは実に難しいものだ」と日々+時々刻々感じています。
この本に共感できるのは、例えば「ダメな教え方がいっぱい!」の節(p.20-)でダメな理由を取り上げ
情熱がない 力みすぎる 押しつける 褒めない 双方向であることを忘れている 詰め込みすぎる
の6つに分けて説明している点。僕が日頃感じていることが全くその通りなんです。「わが意を得たり」です。もちろん僕が、ではそういう「ダメさ」を克服しつつある教師かは、また別の問題です(恥)。
あるいは別の箇所「『分かりやすく教える』五つの心構え」(p.53-)の
生徒をお客様と思え 生徒の「文化」を尊重せよ 生徒を楽しませよ
も(今は残り2つは省略します)、同じく「わが意を得たり」です。
同書、更には巻末に「『分かりやすく教える』チェックリスト」(p.181-)があり、約70項目に「はい・いいえ」で答える形になっている。僕もやってみたのですが・・・散々でした(恥)。
他にも「『分かりやすく教える』八つの技術」というのもあります。でも、あんまり書いちゃうと、この本売れなくなってしまうかもしれないので^^、ご興味持たれた方は各自ご購入の上、お読み下さい。

こういう本をバカにする「先生」ってぇのが必ずいるものですが、僕はこの本に書かれたようなことが「教師」の常識(共通理解、最低限のスキル)になったらいいなぁと思います。この本をベースにいろいろ考えて実行してみたい。

著者の藤沢晃治さんは僕にとって初めての方です。慶應義塾大学理工学部卒業後、大手メーカーでSE、そして今はコミュニケーション研究家。いろんな難しい資格も持っておられる方です。『図解「伝える技術」ルール10』(講談社)など既刊書も何冊かあります。

なおこの本に直接関係することではないのですが、一言だけ付言すると、僕は「先生」と呼ばれるのが嫌いです。
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by tiaokumura | 2009-01-28 19:42 | 日本語教育 | Comments(0)

文集『故李秀賢君ご遺族への「励ましの言葉」』より

JR新大久保駅でホームから落ちた男性を助けようとして、関根史郎さん(当時47)・李秀賢さん(イ・スヒョン Lee Soo Hyun。当時26)が亡くなられて今日1月26日で8年になる。
あの当時、李さんの通っていた赤門会日本語学校を中心に、李さんのご遺族を励ます文集を作ろうという動きがあり、私も応募した。その文集は、2001年5月1日、「(財)日本語教育振興協会・故李秀賢君を悼む会」編で
日本語学校の留学生・教職員から
故李秀賢君ご遺族への「励ましの言葉」

として刊行された。
人間は忘れる動物であり人の心は移ろいやすいが、関根さん・李さんの8回忌にあたり、以下、同文集中の拙文(富山国際学院に当時在籍していた韓国人学生によって韓国語に翻訳されて併載)を昨年に続き再掲し、李さん・関根さんへの追悼の意を表したい。

李秀賢さんのご遺族の方へ
     富山国際学院(日本語教師) 奥村隆信
 李盛大様。人生において、などとあなたより7年年下の若輩者が申し上げるべきことではありませんが、人生においてわが子に先立たれることは何よりも哀しみの極みであります。ですが、ご子息の行動は数多くの日本人に深い感銘を与えました。日本語教育に携わる私もその一人です。あなた様のお父上を奪い、今また秀賢さんを奪った日本は、しかしながら唾棄すべき国ではなかったことだけでも、ご理解くださいませ。
 辛閠賛様。「秀賢は英雄などでなくていい、どんな名誉も欲しくはない、わが子の将来を返せ」-そのようなお母上の悲痛な叫びが聞こえるようで、私のような者は発する言葉もありません。ですが、ご子息の崇高な精神は彼を歴史に埋没させることなく、第2第3・・・の李秀賢を、大韓民国からはもちろん日本からも輩出させることでしょう。ご子息が成し遂げようとした志は、形は違えてであれ、必ず実現します。秀賢さんのご冥福を祈りつつ、彼の夢を引き継ぐ若者たちに栄光あれと願うものであります。
 妹さんへ。お兄さんのことを知った日、彼のホームページにアクセスしました。韓国語は解せぬ私には、ハングルで綴られたそれは皆目わかりませんでした。ですが、MTBで颯爽と疾走する彼の写真は、あなたにとって素晴らしい兄上であられたことを強く推察させました。と同時に、ご家族の期待が切断されたことの残酷さにも涙しました。どうかあなたが、お兄さんが学ばれた日本・お兄さんが学ばれた日本語に対して強い嫌悪感を抱かれませんように。今後は、お兄さまを誇りにご両親に孝行を尽くされ、そして、あなたご自身の夢の実現に向けてご精進ください。
 李秀賢さんのご遺族の皆さま。拙い文章ではありますが、私の気持ちを綴らせていただきました。
合掌
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by tiaokumura | 2009-01-26 18:55 | 追悼 | Comments(2)

「枯葉剤:オレンジ・ウオーク/花はどこへいった」(YouTube)


この2つ前の記事で取り上げているドキュメンタリー映画「花はどこへいった」(監督坂田雅子)、いよいよ今度の日曜日2月1日に富山で上映です。
今日YouTubeでチェックしていたら、上掲の「枯葉剤:オレンジ・ウオーク/花はどこへいった」がヒットしました。出典は不詳ですが、全体は3部構成。まずPeter Yarrow(1938-)のベトナムでのコンサート活動の紹介。50代以上の方は覚えていらっしゃるでしょうね、フォークソング界のトリオPeter, Paul and Mary。あの「Peter」さんです。Puff the Magic Dragonも彼の曲です。Peter Yarrowの次が映画「花はどこへいった」。映画のシーンがいくつか出て、監督の坂田雅子さんがこの映画への想いを語っています。そしてその後が「オレンジ・ウォーク」。ベトナム人3人・アメリカ人3人・オーストラリア人3人がホーチミン市からハノイ市まで募金活動を続けながら約2ヶ月かけて歩いた。ゴールのハノイ市、僕は昨秋の出張で訪れています。

ドキュメンタリー映画「花はどこへいった」、多くの方々がご観覧されますように。
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by tiaokumura | 2009-01-25 16:08 | 富山 | Comments(0)

アジェンダ、マニフェスト、ロードマップ

今回のオバマ新大統領の絡みでホワイトハウスのサイトに入ったところ、AGENDAという項目があり、その中はEconomy、Energy & the Environment、More Issuesで構成されています。オバマ大統領が、経済を重視すること、エネルギー・環境問題を重視することの現れであり、例えば後者においては環境関連の雇用創出を目指すのでしょうね。ブッシュ時代にはこのサイトにアクセスしたことがないので、ブッシュ前大統領とオバマ新大統領のサイトへの取り組みの違いはわかりませんが、新大統領になってきっとリニューアルしたんでしょうね。
AGENDAと言えばまず思い浮かぶのが「アジェンダ21」ですが、「アジェンダ」についてネットで調べたら「三省堂辞書サイト」がヒットしました。「実施すべき計画」「議事日程」が第1義・第2義。また説明によれば、英語のagendaの語源はラテン語の「なされるべきこと」だそうです。元は教会の「礼拝規定」などを指すそうです。そして、「クレデンダ」(credenda)という言葉も紹介されていて(僕は初めて聞く言葉です)、そちらは「信じられるべきこと」「信仰の指針」だそうです。

この間このブログ記事で触れた「マニフェスト」、「アジェンダ」との意義差が知りたくて、同じく「三省堂辞書サイト」で調べてみました。まぁ、僕が理解している通りの意味でしたが、「マニフェストの語源は非常に複雑です」とのこと。日本語から逆に語源を辿ると、
日本語→英語(イギリス総選挙のマニフェスト)→イタリア語(イタリア共産党の宣言)→ドイツ語(マルクス・エンゲルスの『共産党宣言』)・・・・→ラテン語(はっきり示すの意)ということになるようです(以上引用-奥村)
自民党・民主党の皆さんは、「マニフェスト」がイタリア共産党(トリアッティなんかなんでしょうか)、更にはマルエン『宣言』にも発するということをご存知なんでしょうかねぇ^^。イギリス総選挙で使われていて日本の各政党は飛びついたのでしょうが、「マニフェスト」のルーツを辿って「しまった、使わなければよかった」と思った国会議員も複数おられたことでしょうね^^。ただ言葉というものはいったん流通しだすと、語源・原義が何であれ「ひとり立ち」していくものでしょうから、今後も日本国政界では、手垢にまみれるまで「マニフェスト」は使われ続けるでしょうね。

アジェンダ絡みでもう一つ気になるのが「ロードマップ」。こちらは「三省堂辞書サイト」ではうまく見つからず、weblioでヒットしました。「ロードマップ」は、1993年ごろにアメリカの半導体業界で使われ始めたようです。僕なりの理解では、「アジェンダ」「ロードマップ」の両語はほぼ同じ意味(どちらもトップダウン型でもある)で、「アジェンダ」は政治外交用語、「ロードマップ」は業界企業用語なんかなぁと思います。間違ってたらご指摘いただけるとありがたいです。

日本語の中で「アジェンダ」「マニフェスト」「ロードマップ」の3語がどのように使い分けられていくのか、あるいは使用頻度にどのような差が出てくるのか(「アジェンダ」は「日本語」にどの程度組み込まれるのでしょうか)、僕は言葉に関心があるタイプなので注目していきたいと思います。
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by tiaokumura | 2009-01-24 20:32 | 言の葉つれづれ | Comments(0)

ドキュメンタリー映画『花はどこへいった』@フォルツァ総曲輪(2月1日上映)

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昨日、あいにく僕は授業でお会いできなかったのですが、宮崎さゆりさん富山国際学院にいらっしゃって、映画『花はどこへいった』のポスター・ちらし・チケットを置いていかれました。ポスターは学院に貼っておきました。
既にこのブログでもご紹介済みの『花はどこへいった』、多くの方にご観覧していただけると嬉しいです。
50代以上の方はぴんと来ると思いますが、「花はどこへいった」はピート・シーガー(Peter”Pete” Seeger。1919-)のWhere have all the flowers gone?に由来するのだと思います。60年代(ピート・シーガーが作ったのは1955年)に反戦歌としてアメリカはもちろん日本でも多くの共感を呼んだ曲です。この歌をご存じない方は、たぶんYouTubeにあると思いますのでアクセスしてください。

映画『花はどこへいった』
2月1日、フォルツァ総曲輪で市民により自主上映
上映時間 11:00 13:30 16:00 18:00
(上映後に坂田雅子監督のご挨拶あり)
前売り1000円・当日1500円 高校生・中学生・子ども無料
チケット問合せ先 09082637554(川渕)


ちらし(右上写真)から映画の梗概を以下引用します。
本作の監督・坂田雅子さんが、フォト・ジャーナリストだった夫のグレッグ・デイビスを肝臓がんで亡くしたのは、彼が入院してわずか2週間後のことでした。彼の死は、米軍兵士として送られたベトナムの戦場で浴びた枯葉剤が原因ではないかと友人から示唆された彼女は、夫への追悼と枯葉剤への疑問から、ベトナムへ行くことを決意します。そこで彼女が目にしたのは、戦後30余年を経た今もなお、ダイオキシンを含んだ枯葉剤が、がんや生まれながらの障害を起こさせ、大地を蝕みつづけているという現実でした。映画は亡き夫の鎮魂にとどまることなく、受難を引き受けたベトナムの人々の家族愛と平和への思いを描き、戦争や枯葉剤被害の実態に静かに迫ります。

なお同映画の公式サイトはこちらです。そのサイトでは同映画の予告編(バックに「花はどこへいった」も流れる)も見ることができます。
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by tiaokumura | 2009-01-23 19:04 | 富山 | Comments(0)

President Barack Obama's Inaugural Address

1月20日、勤務先の富山国際学院で、学院長の岸井さんオバマ新大統領の就任演説の話題になった。岸井さんは、今夜は早めに寝て放送時間の1時過ぎに起きて番組を見るとのこと。僕も「歴史の証人」(と言ってもTV画面を通じてですが^^)になるべく、リアルタイムで番組を見ようと思った。そして20日25時過ぎ、脳内の目覚まし時計が起動し目が覚める。でも、やっぱボクって軟弱なんでしょうね、寒くってお布団の中でグズグズ(爆)。1時半頃までそうしていて、その内あきらめて寝てしまった(恥)。翌朝、岸井さんから「就任演説がどんなに素晴らしかったか」をお聞きし、見とけばよかったと後悔。世界中で視聴率すごかったことでしょうね。
ところで今B組で新聞を使った授業(グループ活動)をやっているのですが、今朝コンビニで讀賣と朝日、3部ずつ購入。今日の授業には間に合わなかったのですが、新聞からA4で4枚・B4で4枚の教材を作りました。明日・来週月曜日と使ってみるつもりです。で、オリジナルの演説もチェックしておきたいと思い、ネットであれこれ適当な記事を探していてホワイトハウスのサイトを見つけました。その中には就任演説もアップ(YouTube版)してありました。YouTubeから取って下にアップしましたので、ご興味がある方はどうぞクリックしてください。
讀賣に載っていたオリジナル原稿、僕はまだ全部を読んでいないのですが、一つだけ気になることがある。宗教に触れている箇所で、「キリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒、ヒンドゥー教徒、そして非宗教徒(「無神論者」ほど強い言い方ではないのでしょうね-奥村)」といった下りがある(今、原文が手元にないので、英文引用できません)。で、(僕の勘違いかもしれませんが)「仏教徒」って出て来ないんですね。「多様性」のアメリカに仏教徒ってほとんどいないんでしょうか。ちょっと気になりました。

(1月23日・追記)
僕が「ちょっと気になる」と言っている箇所の原文は以下の通りです。”For we know that our patchwork ..."のパラグラフに出てきます。
We are a nation of Christians and Muslims, Jews and Hindus, and non-believers.
a nation of A and B, C and D, and Eです。the other believersとかは出て来ないんですね。あと、non-believersは、上に書いたのと違って「無神論者」に近いのかも。
なお、オバマ新大統領はこの次の箇所ではメリカ合衆国を形成する言語と文化の多様性に触れています。
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by tiaokumura | 2009-01-22 19:48 | Comments(0)

相本芳彦さんの、衆議院議員選挙富山3区立候補を支持します

以下、敬称略
数日前より、衆議院議員小選挙区富山3区に50代のアナウンサーが立候補者として名前が上がっているという新聞報道が続いている。「50代のアナウンサー」として僕が思いつくのはただ一人、相本芳彦(1956-。高岡市出身)である。
富山3区は、最有力候補・綿貫民輔(国民新党。元・衆議院議長)が比例区転出を表明し、その後、自民党は候補選びで迷走している。萩山(現職。ただし綿貫に小選挙区で敗れ、比例区で復活当選)・橘康太郎(元職)・柴田(県議)の3人が立候補を表明していたが、3者とも「帯に短し襷に長し」で一人に絞りきれぬまま、麻生太郎が総選挙実施の決断を示しえぬためもあって、徒に月日が流れた。綿貫の比例区転出に伴い自民党に勝ち目が出てきたにもかかわらず、である。そして第4の候補でありサプライズ候補になるのだが、自民党高岡支部は康太郎の息子の橘慶一郎(高岡市長)の担ぎ出しを図り、彼が出れば圧勝なのだろうが、彼本人は未だ出るとも出ぬとも意思表明していない。
以上が富山3区候補者を巡る一連の動きのダイジェスト^^である。

今日1月20日、小沢・民主党代表が来富し、全日空ホテルで相本芳彦に富山3区立候補を要請したそうである。相本の返事がどうであったのか、未判明。

さて、私は相本芳彦の衆議院議員選挙富山3区立候補を支持したい
私は彼本人には1回しかあったことがない。私が男女共同参画社会実現のためのサンフォルテフェスティバルというイベントの実行委員をしていたときのことである。もう8年ほど前のことになるだろうか。実行委員でシンポジウムを企画し、男性パネリストとして相本芳彦を選んだ。僕が電話で彼に交渉する際、何せ彼は「人気者」なので正直ビビっていて、電話のそばで妻にサポートしてもらった(恥)。相本の「コンビニラジオ相本商店いらっしゃいませ~」(現在も継続中)のファンである妻は、「相本さんは最適任者。相本さんなら絶対引き受けてくださる」と言ってくれた。案の定、交渉成立。シンポジウム当日、生・相本^^に初めて接する。さすがアナウンサーだけあって要領も心得、話も上手。他のメンバーの惣万佳代子・竹嶋身和子・浅生幸子とも丁々発止のシンポジウムだった。彼の当日の話の中では、奥さんがいない中での「主夫業」の経験談に感動した記憶がある。

私は今のところ民主党を支持する者ではないが、相本の立候補を支持し、富山1区に選挙権があるので彼に投票はできないがボランティアで彼の選挙運動に加わろうと思う。
なぜ相本芳彦か。
彼こそ、今の政治家にもっとも必要な庶民感覚を有しているからである。単なるタレント議員ではないのである。彼が国政に参加しても何も劇的に変わらないだろうが、彼が代議士であることを富山県民の私(たち)は誇りに思えるだろう。
もう一つの大きな理由。それは富山県には「世襲議員」はいらないということである。安倍・福田・麻生・中川・鳩山ら、与野党問わず多くの2世・3世国会議員がいる。「職業選択の自由」があるのだから彼らも政治家になっていいのだろうが、その祖父・父と比べるとあまりにひ弱すぎる。橘ジュニアは現在の高岡市長の職務を全うすべきである。今、高岡市は開町400年だったかの節目の年であるのだから、彼はまずはその事業を遂行すべきではないだろうか。
富山県の生んだ偉大な政治家、松村謙三(1883-1971。厚相・文相など。日中国交回復にも尽力。「井戸塀政治家」である)にしても正力松太郎(1885-1969。原子力委員会委員長・国家公安委員会委員長など。讀賣新聞社社主・巨人軍オーナー。「プロ野球の父」「テレビ放送の父」)にしても、世襲議員なぞを生みはしなかった。そのことを富山県民の私は誇りに思う。

相本芳彦さん、あんた立候補しられま!わし、応援すっちゃ。わしみたいなダラが応援しても勝てん選挙ながかもしれんけど、選挙運動やってみんまいけ。

(同日・追記)
相本さんの小沢代表への返事は「1週間考えさせてください」だったそうです。
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by tiaokumura | 2009-01-20 20:44 | 富山 | Comments(73)

野田尚史先生(大阪府立大学教授)と@金沢リファーレ

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(1月19日夜・記)
いよいよですね、オバマ新大統領。ビヨンセやスプリングスティーンのコンサート、アメラジアンのタイガー・ウッズのスピーチ、ヒラリーを始めとする豪華キャストの閣僚・ブレーンたちなど楽しみ満載の就任式。世界同時中継もあるのでしょうが、視聴率たるやW杯以上かも。僕も時間があれば見てみたい。就任式でどんなマニフェスト(って英語圏でも言うのでしょうか?)を打ち出すか、そしてまずどんなこと(複数)に取り組むのか。世界中が注目し、ひょっとしたら宇宙のいずこかにいる超高度生命体も地球観測してるかもしれませんね^^。1期目、困難数多でしょうが、今はオバマ新大統領が世界をいい方向にリードしていくことを祈るばかりです。


1月17日(土)、
野田尚史先生「コミュニケーションのための日本語教育における文法の役割」
を受講して来ました。
午前8時、富山国際学院の同僚の粕谷さんと富山駅で待ち合わせ。電車で金沢に行き、金沢駅東口から徒歩約8分、会場のリファーレに。
4Fで受付を済ませ、トイレに。そうしたらな・な~んと野田先生がいらっしゃる。粕谷さんを紹介し、先生とお隣さん同士で用を足す。光栄でした(爆)。先生が「遠いところありがとうございます」とかおっしゃったので「私、野田ファンで、追っかけやってます♪」と申し上げる。先生、苦笑されてたかも。でもそうなんです、僕、野田先生の熱烈なファンであることは間違いない。思えば90年代の初め、僕が日本語教師を目指してた頃に一番感動した本が
野田尚史『はじめての人の日本語文法』(くろしお出版。2300円-当時-)
「へ~、日本語教育ってこうなんだ」「こういうの、アリなんだ!」と実感した本。その実感が僕の日本語教師人生の原点にもなっている。その本をお出しになった頃の先生の肩書は筑波大学講師。今同書を見たら、「協力」には松崎寛先生(現在・広島大学)や後に野田先生の奥様になられる方たちが「筑波大学大学院」で載っている。
野田尚史先生(大阪府立大学教授)はこのブログでも何度かご登場済み。理論と実践の両方で最高峰にある方、僕が「野田学校」と呼んでいる一大山脈を日本語教育界に(自然に&必然的に)築き上げておられる方、日本語教育はもちろん言語学あるいは国語学(今は「日本語学」になっているか)において論文の引用数がダントツ1位の方・・・他にもありますが、まぁ、そういった方です。日本語教育に無縁なご訪問者も野田尚史先生の偉大さがおわかりになることでしょうね。
そんな野田先生のここ数年の大きなテーマが「コミュニケーションのための日本語教育文法」。僕なりにその観点を整理すると、
①日本語学の文法ではなく、日本語学習者のコミュニケーションに役立つ文法の構築
②「エリート学習者」の養成ではなく、学習者のそれぞれのニーズに適合した教材の開発
といったあたりになるでしょうか。詳述してる紙幅がないので、今はそんなあたりにまとめておきます。
野田先生はサービス精神旺盛な方。そういうところも僕が野田先生のファンである一因です。で、今回の講座もそんな野田先生らしさにあふれた講座。あまり詳述すると野田先生や講座主催者に失礼になるので簡単に書きます。第1部が「双方向的講演」で、受講生の意見も聞きながら進む。僕も何度か発言のチャンスを得ました。そして、これも野田先生の偉いところなんですが、そんな受講生のトンデモ意見も上手に汲み取りコメントを加えてくださる。受講生、安心して意見言えますよねぇ。第2部は「ワークショップ」。定員が40名のところ、その約2倍の受講生だったので、4人ずつで18くらいの島を作ってのワークショップでした。僕は課題4のグループでした。

12時40分頃終了。その後、富山国際学院の同僚の増山さん・粕谷さんを誘って、上掲の写真撮影。追っかけの面目躍如かも(激爆)。

リファーレの後、増山さん・粕谷さんと金沢駅構内にあるお店で昼食。その後、金沢駅近くのコーヒー店でお茶タイム。野田先生の講座のこと・富山国際学院のことなど、話もはずんで有意義な土曜の午後でした。

野田尚史先生、ありがとうございました。
またお目にかかれる日を楽しみにいたしております。

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by tiaokumura | 2009-01-17 12:51 | 日本語教育 | Comments(0)