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大晦日に1年をふり返る

2008年もあと8時間になりました。今日は、当ブログでも人並に2008年をふり返ってみようと思います。ってもなんせ記憶アホなもんで、何が今年で何が昨年・一昨年か(あるいはもっと前年か)、よう覚えとらん(爆)。人間、還暦峠を越えると1・2年の差なんてどうってことなくなるんかもしれませんね。
昨日の夕食で何を食べたかも覚束ないワタクシですが、今年の私事で大きなできごとと言えば、
富山国際学院でフルタイム勤務開始」「富山大学人文学部言語学コース卒業
でしょうね。他に、読売新聞・柳沢記者による「セカンドライフ」記事になったのも、今年の大きなできごとだった。

4月から富山国際学院でフルタイム勤務になりました。年収は「塾+日本語教師」時代より減ですが、雇用不安の時代にあって還暦過ぎのオッサンが「正社員」待遇になれたのは幸運でしょうね。感謝です。9か月経って、ま、何というか生活に「リズム」のようなものが生まれてきました。8時半頃出勤して5時半頃帰る。自宅から学院までは、車で最も速ければ10分(大雪で50分かかったこともあります)。職住近接、でしょうね。残業で6時過ぎになることもありますが、原則、平日夜及び土・日・休日はプライベートタイムが確保できる。今流行りの言葉で言えば「ワークライフバランス」、シニアの模範生みたいな生活です(嘘爆)。
フルタイムになったからだけではないのですが、今年はずいぶんと富山県外に出かけました。方向音痴は相変わらずですが(汗)、「キャリーバッグ+スーツ姿」がさまになってきました(嘘爆)。一番多かったのが金沢で20回を超えるでしょうね。次が名古屋で6回くらい。東京・京都・福井にも出かけた。しかもこれらの出張、(金沢はともかく)ホテル泊なんて1回しかなかった。今ふり返ると、けっこう強行日程だったんですね。9月にはカトマンズ・ハノイ・バンコク(4泊+機中2泊)の海外出張も。中国は4回行ってますが、中国以外の海外出張は初めてでした。プライベートで行った東京、神戸・大阪も入れれば1年366日の1割強の40日くらいが「」でした。来年も国内は名古屋・大阪・金沢・東京など、海外は中国と出張を予定していますが、今年ほど多くはないでしょう。
今年は仕事で英語を使う機会も多かった。これまでの人生で一番たくさん使ったんじゃないだろうか。1週間の海外出張中、ビジネスシーンではスニータさん(カトマンズ)・ハォさん(ハノイ)に通訳していただいたのですが、仕事以外では自分で英語使用(ごく稀にフランス語@ハノイ)。でも「窮すれば通ず」で、なんとかなるもんです。お互いネイティブじゃないってのもあるでしょうし。富山国際学院でも英語を使わざるを得ない場面しばしば。生まれて初めての英文ビジネスメールを50通以上は書きました。最近は要領よくなりました。相手の書いたことをうまく引用・アレンジすればけっこう書けるもんなんですね。国際電話も何回も出ました。Hold on, please. I bring a staff who can speak English.なんてゴマかそうと思ったこともありますが^^、ご指名でかかってきたときは逃れられない。こちらもメールと同じ「習うより慣れよ」で、最近は英語でジョークも言えるようになり心のコミュニケーションも少しできてきてるかなぁと思う。先日、白井恭弘先生(『外国語学習の科学-第二言語習得論とは何か-』岩波新書)が、光栄にも僕のブログにコメントをお寄せくださったのですが、「外国語、全然上達しない」という僕のボヤキに対して、「必要性がないから」と書かれていました。確かにそうなんですよね、外国語学習って「必要性」がモチベーションにもスキルアップにもなる。英語、来年はもっとうまくなりたい。あと中国出張が年に1~2回あるので、中国語の日常会話初歩もマスターしたい。
富山国際学院での仕事、今年はまずまず順調な1年だったかなぁ。学院としての危機や困難も当然あったけど、学院スタッフも学院全体の仕事も、おかげさまで今が一番脂が乗っている年。これまでの岸井みつよさんの努力が実ってきたのでしょうね。今は学院長の岸井さんがおられるので僕は「気楽な立場」ですが、岸井さんが勇退される来年4月からは「夜も眠れない日」が何日もあるでしょうね。僕は岸井さんの下でのナンバー2ならなんとかこなせるが、トップの器じゃない。来年の年賀状には「『努力と奉仕』をモットーに」と書きました。今までの僕の人生で最も欠けていたもの、それが「努力と奉仕」。

2年間の富山大学生生活、無事終了。
卒業論文
日本語学校における日本語学習者のテイル習得に関する1考察~「書く」「話す」「文法理解」の3つの側面から~
でした。自分でも覚えきれん長いタイトル(激爆)。言語学に1ナノmmも貢献しない「卒論」でしたが、ま、学士号取れました。ボクの卒論、「謝辞」が名文でした(オイオイ^^)。
2年間の学業成績は、優が27・良が5で27勝5敗勝率.84375。オール優を密かに狙っての編入学だったんですが、世の中そんなに甘いもんじゃありませんでした。良は湯川先生2・樋野先生1・呉羽先生1・海部先生1でした。
大学で受けた授業、専門の呉人恵教授・安藤智子准教授(編入学時は「助教授」)なども良かったですが、ベスト3は、加藤重広先生(北海道大学大学院助教授)「日本語語用論研究」(07年前期集中講義)、海部陽介先生(国立科学博物館人類研究部)「情報文化論」(07年後期集中講義)、加藤重広先生(北海道大学大学院准教授)「日本語文法概説」(08年前期集中講義)-肩書はいずれも当時-。藤本幸夫教授の定年退官・最終講義「私と朝鮮学」も感動しました。ちなみに在学中に受けた授業、当たり前といえば当たり前ですが、藤本先生以外は皆様僕より年下でした(爆)。
一方ワースト3は・・・そんなん書いたら卒業取り消しになっちゃいますよね(嘘爆)。
2年間の「学費」は、入学金・授業料・教科書代(レジュメが多かった)・1年目の駐車場(2年目はキャンパス内に駐車許可された)など合わせて140万円くらいかなぁ。国立大学ってもずいぶんお金がかかるものですね。僕は2年間で自宅通学で仕事と並行だったからまだ学費がなんとかなりましたが、4年間の大学生活をサポートする親御さんのご負担、大変でしょうね。
在学中に、学割使用はJR・映画・美術館などで数回、飲み会は新歓・追いコンなど5回?、カラオケ1回?、アルバイトは採点バイト1回をそれぞれ経験。恋愛は・・・コクる勇気がないまま片想い4回で終わっちゃいました(核爆)。
1泊2日の卒業旅行(能登島・和倉温泉)も経験して、3月25日だったかに「akira、、けんけん、榊(偽名)、さやえんどう、高橋さん、たむ、とちじ、まりりん、ミッキー(五十音順)」の9名とともに言語学コースを卒業しました。
イマドキの若者、いろいろ批判されることもありますが、2年間実際に付き合ってみて、彼女ら・彼ら、僕より頭がいいし英語も上手、ITなどのスキルもすばらしいし、昔のボクなんかより生きることに誠実。そういう「発見」があったのも僕には良かった富山大学生生活2年間でした。

富山は時折り雪が舞っています。この時期いつも思い出すのが『万葉集』棹尾を飾る大伴家持の「新(あらた)しき・・・」(4516)。あの名歌にあるように「今日降る雪の いや重(し)け吉事(よごと)」を皆様に願いつつ、2008年ブログ納めとさせていただきます。

1年間のご愛読、まことにありがとうございました。
来年もよろしくお願い申し上げます。

奥村隆信敬白
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by tiaokumura | 2008-12-31 15:56 | このブログのこと | Comments(0)

ブログのこと、あれやこれや

4年目に入った「日本語教師・奥村隆信 ひとり語り」。テキトーに垂れ流し投稿^^してるように見えるかもしれませんが、自分なりに気をつけてることが2つあります。1つは「プライバシー」。公人や権力者は批判してますが、私人は傷つけず(結果的に傷つけていることがあったらご免なさい)個人情報を守る。もう1つは、いくら自分のブログであっても書いていいこと・いけないことを弁える。
1つの記事は30分~1時間くらいかけています。TVをほとんど見なくなったのでそれくらいの時間は工面できます。最近はWORDで草稿を作ることが多い。アップするまでに再考し三考し、グーグルやウィキペディアや辞事典類で調べて記事の正確さを期する。原典にあたったほうがいい場合もありますが、なかなかそこまでは・・・。
ごく稀に政治・経済も取り上げますが、多くは僕が出会った人・本・食・美・音楽などの身辺雑記が中心。仕事や過去も最近増えているかなぁ。「あの時何してたっけ」「あれはどういうことだっけ」などをこのブログで検索することも時々あります。ブログが備忘録(アーカイブ)にもなってるのは、ブログの予想外の効用です。
こうしてブログを続けていて、文章力がどのくらい進歩したか疑問ですが、「趣味」欄に「ブログ」と書けるまでには来ているでしょうね。ブログが自分にとって苦痛や義務になったらやめるつもりです。あと3年は続けたいですが、どうなるんでしょう。
1記事が長すぎるというご指摘もよく受けるのですが、ボケ防止にもなってますのでご容赦を。来年からはなるべく簡潔な記事を心がけます。

「ブログの現在」をネットで調べてたら、総務省情報通信政策研究所調査研究部(長い^^)ってぇところの「ブログの実態に関する調査研究の結果」ってぇのがヒットしました。以下同調査から。
2008年1月現在、日本国内のブログはなんと1690万もあるそうです。僕がブログを始めた2005年12月には確か800万くらいだったから、3年で実に2倍。もっともアクティブブログ(同調査の定義では「1箇月に1回以上記事が更新されているブログ」)は約300万で全体の2割弱。僕なんかはけっこうマメなほうでしょうね、ほぼ3日に2日くらいのペースで更新してますから。それから「スパムブログ」はアクティブブログの12%を占めるそうです。「言論の自由」からいけばスパムブログ取締りは無理でしょうから、自然淘汰を願うしかないんでしょうね。
ブログ開設経験者へのアンケートをまとめた「ブログ開設動機による分類」ってのもあって、多い順に①「自己表現」(30.9%)、②「コミュニティ」(25.7)、③「アーカイブ型」(25.0)、④「収益目的」(10.1)、⑤「社会貢献」(8.4)。僕の場合、まず第1に①(「自己表現やストレス解消」「ウェブ日記的利用法」)で、それにプラス③(「自己の情報を整理・蓄積」「趣味関係のテーマ」)になるかなぁ。②・④は全くなく、⑤(「自分の知識を発信して社会貢献」)がちょっぴりか。

ネット上には「ブログ通信簿」ってぇのもあります。URLを入れると採点してくれる。で、僕もやってもらった。
通信簿、「ブログ性別」が「女性」、「ブログ年齢」が「46」と出たのでまずビックリ^^。ボクって「46歳の女性」になるんですね、喜んでいいのか悲しむべきか(爆)。4項目各5点満点の採点は、「主張度」1・「気楽度」3・「マメ度」3・「影響度」2。完全に落第点っすね(恥)。「通信欄」(「所見」にあたるんでしょうね)には、
あなたは「一般生徒」タイプです。もっと自分の意見を言ってみてもいいのでは。もっと目立ってもいいと思います。よく話題にしているナイトメアの知識や経験をいかして、詩人を目指しましょう。
とありました。う~ん、詩人目指すのは無理っす^^。「ナイトメア」(nightmareって確か「悪夢」ですよね)、なんで???

皆さんはどうでしょうか、僕の場合、ほぼ毎日ご訪問しているブログが5つあります。
その内の4つは右にもリンクしてある、「寺本益英の日記」「大験セミナー わくわく日記」「Meiさんのメモ帳」「在日中国人女性の随筆」
もう一つは、ご本人の許可をまだ得ていないので未リンクですが、
物見高子の道草日記 1、2の散歩
です。ここは「哲ちゃん」に教えてもらいました。東京大塚ご在住で僕と同年代の女性の「ほのぼの記事+写真」がメインです。皆様もぜひご訪問を。

今日もついつい長くなってしもうた(汗)。今年もあと残り28時間、僕はこれから年賀状書きをします。勝間和代さんがただ今NHK-Gにご出演中だとか、ちょっと見ようかなぁ。
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by tiaokumura | 2008-12-30 20:07 | このブログのこと | Comments(0)

本日12月29日は、当ブログ開設3周年なり!

今朝7時半から10時頃までわが家は「もちかち」。「もちをかつ」って方言かと思ってたのですが、れっきとした^^日本語です。『大辞林 第三版』486ページ3・4段に出てます。漢字は「搗つ」を充てるんですね。同辞典の記述では「①臼でつく。」で雨月物語から「米うつ男ら」が引いてあります。柳田國男(1875-1962)の方言周圏論にあるように、古語が地方に残っているといったところでしょうか。「もちかち」「かちがけ」「きれいにかてた」など、わが家ではタ行4段活用他動詞^^「かつ」、フツーに使ってます。『大言海』ではどうなっているか調べてみたら(僕の『大言海』は昭和55年・新訂版65版です)、倭名抄・名義抄から引いてありました。
鏡餅(今回から富山国際学院にもわが家の手づくり鏡餅を飾ることにした。明日学院に行って飾ってきます)・のし餅(わが家のお雑煮は「角餅・ゆでる」派です)・昆布餅豆餅。一通りかち終わって(っても「もちつき機」使うのだけれど^^)、あずき・大根おろし・きな粉で食する。ゼータク、でしょうね、こういうの。

お餅を食べささやかな幸せを感じつつ、どうしても頭は不況のことに。
麻生太郎首相は官邸に引きこもらないで、東京・名古屋などに出かけるべきである。このままでは戦後最低の宰相の汚名を被ることになる。
地方自治体はがんばってますね。皆さんのところもそうでしょうが、富山県や市町村は、空いている住宅を提供したり中小企業融資部門を年末まで設置したり。NPOの人たちの炊き出しや駆け込み寺、心ある企業の職や住宅の提供もすばらしいことです。人間っていいなぁと思う。
麻生太郎氏はこの際、2兆円(+埋蔵金)、自分じゃにっちもさっちもいかず立ち往生してるのだから、地方の実情に合わせてさっさと配ったらいいのでは。国会の承認は後回しにしての緊急避難。野党も「そういうことなら事後承認OK」って度量で臨む。
ついでに言うと、予算案失望しました。赤字国債、もう発行したらダメ。「子孫に美田を残さず」は許されるが、このままじゃぁ「子々孫々に膨大な借金を残す」です。塾をやってたとき、公民の授業で、公債(国債・地方債)がどれだけ残っているかを中3生に計算させたことがある。確か当時の人口一人あたりで600万円ぐらいだったか(今は800万円超かもしれない)。そんな巨額の借金、誰が払うかというと、私たちの子・孫・曾孫・玄孫・・・である。今の大人にそんなことを押し付ける権利はない。「自分たちさえ良ければ、後は野となれ山となれ」は許されない。国債垂れ流し発行はもうやめにして、大人たちが今の生活水準を(お金換算で)3割落して、現在の危機を共に乗り切るべきじゃないでしょうか。あと、消費税を15%にする。かねごん先生が「大験セミナー わくわく日記」で日本国憲法第25条を取り上げていらっしゃいましたが、生存権を脅かされている方々がここまで増えている今日(そして政治が有効に機能しなくなっている今日でもある)、我々庶民は「分かち合い・支え合い」精神で生活を営んでいこうではありませんか。我々が贅肉を落せば、まだまだ日本国は活路が見出せます。それにしても、TVなんかで見る国会議員って、与野党・男女問わず、肉体も精神も音声もなんであんなに「贅肉」が多いのかしらん。僕の年収より多い月給もらってていったい何してるんだか。国会議員の一人が月給の半分を提供したら、この冬空に職はもとより食も住も絶望状況にある方々を10人以上は救えるだろう。国会議員というものは、我々一般庶民が税金で雇っている「政治のプロ」である。「プロならプロらしく何とかせんかい」である。

そうそう、ブログ開設3周年の話でした(汗)。
これまでにも何回か書いてると思いますが、このブログはPCTOOLの能登さんのお勧めで開設しました。3年前の今日、富山国際学院のホームページをリニューアルするってぇことで、僕は同僚2人と速星にある能登さんのPC工房で研修中(5日間研修だったかの最終日)だった。その日僕は午前中は学院生のOさんの交通事故関係であちこち回っててPCTOOLに着くのが遅れたのですが、あとの2人はもうブログを開設していた。めっちゃメカ音痴な自分、「ブログなんて、できっこない」と思ってたのですが、能登さんと同僚の大岩さんに助けられて、できあがりました! ブログ名、何がいいかなぁと思案して
日本語教師・奥村隆信 ひとり語り
にしました。本名名乗ってるブログってあまりないのに後で気づきましたが、我ながらいいネーミングだったかと自負しています。
初記事は、したがって能登さんのPCTOOLから投稿しました。

はじめまして!
初投稿です。
日本語教師って何だ?って人もあるかもしれませんね(汗)。
毎日更新は無理かもしれませんが、いろんな思いを伝えていこうと思っています。
これから、よろしくお願いします。


これがその時の記事。
あれから3年。早いもんです。交通事故に遭ったOさん、今や一児の母で富山大学経済学部の院生ですもんね。PCアホでめんどうくさがり屋で飽きっぽい自分、よくぞここまで長続きしたもんだと思う。
開設以来、ここはスキンもレイアウトもほとんど変わっていません。リンクとカテゴリーが増えたくらいかなぁ。ケータイから写真投稿できる・YouTubeが貼れる、くらいが最初と異なるところ。Ad(広告)も貼らないで済むのがここのいいところ。従ってアフィリエイトもなし。たまにエッチなコメントやトラックバックが入ってて(汗)、そういときは見つけ次第削除しちゃいますが、それ以外は全くフリーなブログです。
ここんところご訪問者が激減してて、ついに昨日は60人を割っちゃいました。ま、そういうこともあっていいですよね。それでも来月中には通算6万アクセス達成しそうで、3年前の今日はそんなこと夢にも思ってませんでした(2年前もそうです。開設して最初の1年は通算7499人・1日平均約20人って、1周年の記事に書いてありました)。

拙いブログではありますが、これからもよろしくお願い申し上げます。
各記事末尾のCommentsってところをクリックすると、コメントフォームが現れます。どうぞいつでもご自由にご意見・ご感想・ご批判・ご叱責などをお書きください。

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by tiaokumura | 2008-12-29 20:25 | このブログのこと | Comments(2)

2008年・今年の人(The Person of the Year2008)

カレンダーの巡り合わせで早々とお休みに入って3日目。時たま雪が降りますが、わが家周辺は積雪ゼロです。
学習塾をやっていた頃は、今頃は三者懇談で大忙しでしたが、今年はそれもない。昨年末は更に富山大学言語学コースの卒論準備でキツかったのですが、それも今年はなし。
ってなわけで、ここ10年の自己新記録になるのですが^^、来年の年賀状、27日現在で既に印刷まで終わりました! いつも大晦日か元旦に宛名・コメント書いてたのが、今回は30日までには投函できそうです。年を追うごとに増え続けている喪中欠礼、今年は10通いただいており、僕がお出しする年賀状は100枚くらいになります。

さて、ここのところ久しぶりに毎日更新中の当ブログ(ってもまだやっと4日目ですが^^)、皆さんお忙しいのでしょうね、ここんとこご訪問者激減(泣)。それゆえの新企画でもないのですが(爆)、まもなく3周年を迎えるこのブログ、今年から年末に「今年の人」を日本・世界からお一人ずつ選び顕彰することにしました。栄えある第1回は、上野由岐子さん・Mr. Usain Bolt。誰もが納得する人選でしょうね。ボクが顕彰したからってどうなるもんでもありませんが、
上野由岐子さん、ウサイン・ボルトさん。感動をありがとう!
です。

上野由岐子。「上野の413球」、僕は決勝のアメリカ戦の途中からしか見ていませんが、スポーツ史上に残る熱投。それに引き換えH監督率いる男子某球技、情けなかった。「勝てば官軍、負ければ賊」ってのもあるでしょうが、結局は大言壮語だったってことになってしまうんでしょうね。
ウサイン・ボルト。「変」のオバマとどちらにするか迷ったのですが、オバマさんはこれからの人、ボルトさんは既に偉業を成し遂げた人ってことで、ボルトさんに。すごかったですよね、ボルトの走り。戦前は3強の争いと見られていた100m、ぶっちぎりの1位。フィニッシュ前、力を抜かなかったら9.5秒台前半だって可能だったかも。

日本
表彰状
上野由岐子さま(1982年生まれ)
あなたは、北京オリンピックソフトボール競技において、8月20日対アメリカ合衆国戦(準決勝・延長9回)、同日対オーストラリア戦(3位決定戦・延長12回)、21日対アメリカ合衆国戦(決勝・7回)に登板、2日間3試合28イニング計413球を投げ抜きました。金メダル獲得もすばらしいことですが、それ以上にそこに至るあなたの戦いが私に大きな勇気と感動を与えてくださいました。
ありがとう、上野由岐子さま!
ここにあなたを「2008年・今年の人」として表彰いたします。

World
Certificate of Commendation
Mr. Usain Bolt(b.1986)
You got three gold medals at the 2008 Beijin Summer Olympics; 100 meters, 200 meters, 4×100 meters relay(3rd runner). What’s more marvelous, you set three world records for 100m at 9.69s, 200m at 19.30s, 4×100m relay at 37.10s.
You showed me the power of human being who gets over the limits.
Next time, please run to the last without gazing around-:)
Anyway thank you so much, Mr. Usain ‘Lightning’ Bolt!
Here I, OKUMURA, commend you as ‘the Person of the Year 2008.’

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by tiaokumura | 2008-12-28 14:13 | このブログのこと | Comments(0)

富山国際学院で働くということ

4月からフルタイム勤務の富山国際学院。僕の年内の仕事は25日で終えました。最後の約2週間は通常の業務以外に、2009年4月生の名古屋入管申請準備、3年ごとの(財)日本語教育振興協会への審査申請書類作り、学院の年賀状文案作成、担任B組の個別懇談、外国籍の子どもたちの高校出願など多忙を極めましたが、ほぼ一通り無事に仕事を済ませ、26日からはお休みに。っても、こないだ同僚の高木さんにしっかり言われました、
奥村さん、ケータイ、休み中もオンしておいてくださいね
って(激爆)。そうなんっす、ボク、1月5日(月)の富山国際学院の再開までの休み期間中、学院生に悪いことが発生したら、即対応せんならん身分^^なんです。ワシって、鞍馬天狗かウルトラマンかいな(古すぎた^^)。来年の年末年始はハワイにでも逃避行しようかしらん(嘘爆)。
富山国際学院の良い子の皆さん、年末年始、な~んも悪いこと起こらず&起こさず、ワシの出動、ないよ~にしてね♪
とここで叫んでみても、事件・事故・トラブルって、起きる時は起きるのだけれど(汗)。

北陸初の日本語学校が富山に生まれるということは、1992年だかに知った。それが富山国際学院だった。当時僕は日本語教育関係のある組織に属していたが、93年だと思うが、その組織での人間関係がいやになって退会した。同じ年の夏、今もやっていると思いますが、富山市立外国語専門学校の夏季集中講座・韓国語を受講した。講師は金允玉(キム・ユンオク)先生。で、大げさかもしれませんが、運命の出会いだったんでしょうね、金先生のご主人が富山国際学院のIM先生でした。やがて金先生を通じてIM先生から「富山国際学院が教師を募集してるから応募してみたら」とお誘いを受け、1994年3月に富山国際学院を面接試験で初めて訪れた。面接官は岸井みつよさん(当時教務主任。現学院長)。面接会場は今A組の授業をやっている4F左の教室。僕は富山県内の2つの高専で教えていたのでそのことや、自分なりの日本語教育観・使ったことのある教材などを話した記憶がある。面接を終わって自宅で結果を待つ日々。で、ここからは笑い話になるのですが、いくら待っても返事が来ない。しびれを切らしたボクは、字が下手なんで当時使ってたワープロ専用機で学院宛に面接結果を問い合わせる手紙を書いて送った。そしたらビックリ! 僕はもう既に4月からのスタッフになっているというお返事。笑い話ですよね。でもあの時富山国際学院に採用されてなかったら、僕の日本語教師人生は終わっていたでしょうね。
そんな経緯で勤務するようになった富山国際学院。初日から驚きの連続だった。それまでの日本語教師経験は欧米系が中心でクラスサイズも数人だったのが、オールチャイニーズ20人クラス(日本語学校は1クラス20人まで可)を教えることに。ま、覚悟はしてましたが、日々悪戦苦闘。富山国際学院の最初の卒業式は壮観だった。60名近い卒業生がいたと思う。そんな中、IR先生が僕の一つとなりの席で涙を流しておられたのが強い印象に残っている。「卒業式で教師が泣ける。ああ富山国際学院っていい学校だなぁ。僕も精進していつかは卒業式で泣けるような教師になりたいなぁ」としみじみ思った。
1996年頃だったか、入国管理局の審査が厳しくなり中国からの就学生(日本語学校の学生は「就学ビザ」です)がほぼゼロになった。冬の時代。富山国際学院は設立者たちが手を引き廃校の危機に。その時、岸井みつよさんから
「残っている学生たちへの日本語授業を続けていきたい。手弁当になるけれど、それでも良ければ、いっしょにやってみないか」
というお誘いを受け、喜んでメンバーに加えさせていただいた。日本語教育の楽しさ・おもしろさがわかってきてたんでしょうね、その頃の僕は。

いろんなことがあった富山国際学院での日本語教師人生。思えば僕は運がいいのでしょうね。毎年クラス担任したし、いろんな方と組むことができたし、ゼロから上級まで全レベルのクラスも経験したし、プライベートもインテンシブもやったし、県費研修生・上越教育大学・アジア人財など外部の授業も担当することができたし、5回の海外出張にも行けた。
2005年9月、富山国際学院が特定非営利活動法人に組織変えするに際しては、岸井さんから理事長職を任せられた。「理事長が高卒じゃマズいかな」と思ったのも動機の一つだった富山大学言語学コース編入学(2006年4月)、岸井さんや同僚のご理解のおかげでこの春に無事卒業できた。(財)日本語教育振興協会への審査申請書類には僕の履歴書も必要だったんですが、学歴欄が2行増えました^^。
岸井みつよ学院長が来春勇退されるので、交代で僕が学院長を務める。器としては岸井さんの10分の1にも満たない自分だが、ワガママな自分をここまで育ててくださった岸井さんへのせめてものご恩返しとも思い、引き受けた。幸い現有スタッフのほぼ全員が来春以降も残っていただけそうだ。スタッフ中14人(87.5%)が日本語教育能力検定試験合格で、スタッフがカヴァーする外国語は英語・中国語・ロシア語・韓国語・モンゴル語・ドイツ語など多岐にわたる(ポルトガル語、東南アジア・南アジアの言語も入ればもっと強力でしょうね)。来年新しく富山国際学院が取り組む日本語教育もいくつか予定している。学院トップとしては、最終責任は全て自分が負う覚悟で、スタッフの持つパワーを最大限に活かせる環境を整備したい。
昨今の世界同時不況は富山国際学院にも必ずや累を及ぼすであろうが、どのような危機にあってもリストラだけは絶対に避ける。学院長の給料を半減しワークシェアリングで乗り切ろうと思う。借金がゼロの強み(ま、うちなんかはど~この銀行からも融資不可能ですけど^^)、基礎体力は充分にある日本語学校である。

私たちの職場は、(自画自賛になるが)働きやすい職場だと思う。特に女性。7:1で女性優位。子育て中・要介護者ありの方もおられるが、学院・ご本人があれこれやりくりしながら対応できる職場。「配偶者控除」の壁が取っ払われたら、もっと勤務時間増やせるのですが、政府、なんとか考えてほしい。人間関係もギクシャクせず極めて良好(と僕は思ってますが、他の方たちはどうなんだろう)。セクハラ・パワハラもゼロ(ですよね、同僚の皆様)。

繰り返しになるが、世界同時不況の今、日本語教育・日本語学校にとっても2009年は厳しい年になる。冬の時代再来もあり得る。どのようになってもスタッフ一丸となって、就学生・聴講生・外部学習者全てに満足していただける「富山国際学院」であり続けたい。そのような職場で働ける自分をいつまでも誇りに思いたい。

内輪のことを当ブログに書くのは、いささか照れますが、年末にふと以上のようなことを思いました。

長文、最後までお読みいただきありがとうございました!
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by tiaokumura | 2008-12-27 20:46 | 僕は学院長0年生 | Comments(0)

僕が今年購入した岩波書店新刊

28日が日曜日という今年のカレンダーの関係なんでしょうね、岩波書店のPR誌『図書』2009年1月号が昨日(25日)もう自宅に届いていました。
朝日・岩波・NHK」は、僕が若い頃「最も信頼できるメディア」「(時には)教養の源泉」でした。今はどうなんでしょう、どんな評価なんでしょうか、この3つ。岩波書店は僕が若い頃は(こればっか強調してるようで、ちと照れますが^^)、岩波茂雄時代→岩波雄二郎時代でした、確か。現在の岩波書店は、営業権(って言うのでしょうか)が創業者家族から離れて社員の総力で出版事業その他を営んでいることでしょうが、これからも私たちの岩波書店を信頼する気持ちに応えていっていただきたいものです。岩波書店は就職が難しい企業の一つでしょうね。「頭がいいだけの社員」は採用なさらないでほしいとも思います(「そんなん、うちの勝手じゃ」と岩波書店からクレームつくかも^^)。

さて、『図書』2009年1月号には、この1年の岩波書店刊行物のリストがあります。それを基に「今年何を買ったかなぁ」とチェックしてみた。
以下の掲出は同「刊行書一覧」の順。誠に失礼ではありますが、著者訳者編者名・サブタイトル・定価は省略させていただきました。
単行本
中国名言集、言語学が輝いていた時代、教育立国フィンランド流 教師の育て方、旬菜膳語
<1冊でわかる>シリーズ
経済学
双書 哲学塾
世界を語るということ
岩波テキストブックス
「知」の方法論
辞書・六法
広辞苑 第六版(普通版)
岩波ブックレット
信号機の壊れた「格差社会」、いのちの対談 死に方上手、データブック 食料、世界金融危機
岩波新書
昭和天皇、中国名文選、地域の力、カラー版 西洋陶磁入門、外国語学習の科学、歌舞伎の楽しみ方、カラー版 浮世絵
岩波ジュニア新書
日系人の歴史を知ろう、話してみよう 旅行の英語
岩波文庫
国語学原論 続篇、リルケ詩抄、明六雑誌(中)、立原道造・堀辰雄翻訳集、江戸川乱歩短篇集、堕落論・日本文化私観 他22篇、桜の森の満開の下・白痴 他12篇
復刻版 岩波写真文庫
パリの素顔、ソ連・中国の旅-桑原武夫

全部で30冊くらいになるでしょうか。「刊行書一覧」の中には、
大沢真知子『ワークライフシナジー』、ピエール・アスリーヌ他 佐々木勤訳『ウィキペディア革命』、金水敏他『日本語史のインターフェース』(シリーズ日本語史)、西川潤『データブック 貧困』(岩波ブックレット)、堤未果『ルポ 貧困大国アメリカ』(岩波新書)、蜂屋邦夫訳注『老子』(岩波文庫)
など、「買っておいたほうがよかったかなぁ」な本も10冊前後ある。本は、人との出会いと同じところがあって、買うか買わないかはきっと「時の運命(さだめ)」のようなものがあるのでしょうね。

ところで、元旦の新聞の楽しみの一つは、岩波書店の朝日新聞全面広告。そこには新しい年の企画も載る。今回の『図書』にはそれも既に載っていて、以下の新企画に興味を持ちました。
ヒューマニティーズ(僕が2年間在籍した学部は「人文学部」だった。同名の学部って少ないんでしょうね。いいネーミングだと思う。本シリーズは「人文学的知の本質とは何か」「グランド・セオリーが復権する」「これからのヒューマニティーズを担う世代のための新たな指針」。)、戦争の経験を問う(一昨日だったかビートたけしが東條英機役をやるドラマを見た。久しぶりにTVを長時間見ました。)、中国的問題群原典中国近代思想史(両シリーズ、中国がどう変貌するか・中国とどう付き合うかが現在の世界の大きなテーマであることを思うと、タイムリーな好企画でしょうね)、占領期雑誌資料大系 文学編(「大衆文化編に続くプランゲ文庫の成果」。)

2009年、僕が本を読む時間は激減しそうですが、岩波書店新刊は20冊くらい買うことになりそうかなぁ。
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by tiaokumura | 2008-12-26 16:45 | | Comments(0)

Bing Crosby - White Christmas(YouTube)

Irving Berlin(アーヴィング・バーリン。1888-1989)はベラルーシのユダヤ教徒の家庭に生まれた。父親はラビ。5歳で家族と共にアメリカへ移住。父亡き後ずいぶん苦労したようです。音楽は独学。僕が持っているAMERICAN HEROES(GALLERY BOOKS,1982,New York City)は、アメリカ合衆国のさまざまなジャンルでのヒーロー&ヒロイン100人(ってもSupermanやLassieやCapt. James T. Kirkらも含みます^^)を取り上げた本。日本人がほとんど誰でも知っている「アメリカ人」(ただし1982年刊行時点)はほぼ網羅しています。その中のIrving Berlinの項によると(p.67。彼は同書刊行時存命)
It’s unusual that Berlin wrote more than 1,000 songs, yet never leaned to read music. How did he do it? His songs were composed on a piano, which had been adapted to change key mechanically!
ってぇんですから、オドロキです。
彼の最初のヒット曲がAlexander’s Ragtime Band(1911)。Richard Rodgers、Oscar Hammerstein Ⅱ(2人はミュージカル界のゴールデンコンビですよね)と組んだミュージカルAnnie Get Your Gun(1946。邦題『アニーよ銃をとれ』)も大ヒット。ミュージカル中のThere’s No Business Like Show Businessも印象深い。この曲、後にマリリン・モンローの主演映画にもなりましたが、個人的にはThere is no A like Bっていう構文を覚えるのに使ってました(爆)。邦訳の「ショウほど素敵な商売はない」も上手な訳ですよね。
Berlin は長寿を全うされた方で、1989年9月22日に101歳で逝去。お墓はニューヨークのWoodlawn Cemeteryというところにあるそうです。

God bless Americaも彼の作詞・作曲ですが、彼の曲で1曲挙げるとなると、やはりWhite Christmasでしょうね。中学の英語の時間に歌ったって方も多いのではないでしょうか。
I’m dreaming of a White Christmas/Just like the ones I used to know/….
そして、White Christmas と言えばこの人Bing Crosby(ビング・クロスビー。1903-77)でしょうね。いつもお世話になっている^^YouTubeからこれを選びました。一瞬、White Christmasのデビュー映画Holiday Inn(1942。邦題「スイング・ホテル」)のシーンかと思ったのですが、映画White Christmas(1954)のようです。「古き良きアメリカ」って感じの映像ですね。

今シーズン、雪は3回ほど降りましたが、今朝は雪はなし。残念ながら富山はホワイト・クリスマスにはならないようです。

(12月25日夜訂正
映像が流れて8秒後くらいに画面左下にクレジットが出ます。今よくよく見たらHoliday Innとありました。このビデオ、映画White Christmasではなく、映画Holiday Innなんでしょうね。眼がジジイ化してて^^チェックが行き届かず、上で間違った情報を書いてしまいました。
お詫びして訂正させていただきます。
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by tiaokumura | 2008-12-25 07:18 | 音楽 | Comments(2)

Yes, Virginia, there is a Santa Claus.

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今ここで仮に欧米で出版された図書類を「洋書」と呼ぶなら、左の写真の
Norman Rockwell’s CHRISTMAS BOOK
は、僕が持っている洋書(辞書・画集も含む)の中で「宝物」の一つになるでしょうね。
Norman Rockwell(1894-1978)は妻がファンだった。何年間かはNorman Rockwellのカレンダーがわが家の定番だった。本書はかつて西武デパートが富山市総曲輪にあった時、そこの洋書フェアで買った。何年か前、塾が夜中雨漏り!してて(気がつかなかった)、この本にも水滴が落ち、ハードカヴァーの本のあちこちが反ってしまった。いつか機会があったら再購入したい(1977年、ABRAMS社刊)と思っていますが、きっと無理でしょう。
本書にはRockwellのイラスト120枚が、THE FIRST CHRISTMAS(NEW TESTMENT、W. Shakespeare、J. Miltonなど)、STORIES(O. Henry、C. Dickens、Sakiなど)、CAROLS(SILENT NIGHT、JOY TO THE WORLD!など)、POEMS(L. CarrollLなど)、CHIRISTMAS REMEMBERED(M. Twainなど)の5部構成の中に収められています。
学習塾をやっていた頃、この本の中からいくつかを教材にしました。中で最も塾生の食いつきがあったのが、
Yes, Virginia, there is a Santa Claus.
です。ご存知の方が多い話でしょうね。今から約110年前、アメリカ合衆国に住むヴァージニア(Virginia。当時8歳)がThe New York Sun紙に「サンタクロースって本当にいるんですか?Please tell me the truth; is there a Santa Claus?」と手紙を送った。(たぶん)困惑した新聞社上司に「お前、返事を書け」と命じられたのが、(たぶん)飲んだくれでうだつの上がらない編集長。で、彼、少女のために一生懸命返事を考えたのでしょうね。彼の書いた返事、これ以上ないっていう名文です。表現に過不足なく、少女の疑問に真正面から答えている。He(Santa Claus) exists as certainly as love and generosity and devotion existThe most real thing in the world are those that neither children nor men can see.って箇所は、単にキリスト教の枠を越えて、シュタイナーやサンテグジュペリや宮沢賢治や金子みすゞらに連なる「人間が信じるべき普遍真理」と言えるのではないでしょうか。私はクリスチャンじゃありませんが、クリスマスの季節になると、『Norman Rockwell’s CHRISTMAS BOOK』を開き、とりわけ「Yes, Virginia, there is a Santa Claus」(同書p.p.187-188)を何度も何度も読み返します。
著作権は切れていると思います(違ってたら削除します)。以下に編集長(Editor)の返事全文を掲げます。
世界不況が地上を暗く覆いつくしつつある2008年年末ですが、
皆様、よいクリスマスを!

Virginia, your little friends are wrong. They have been affected by the skepticism of skeptical age. They do not believe except they see. They think that nothing can be which is not comprehensible by their little minds. All minds, Virginia, whether they be men’s or children’s, are little. In this great universe of ours man is a mere insect, an ant, in hid Intellect, as compared with the boundless world about him, as measured by the intelligence capable of grasping the whole of truth and knowledge.
Yes, Virginia, there is a Santa Claus. He exists as certainly as love and generosity and devotion exist, and you know that they abound and give to your life its highest beauty and joy. Alas! how dreary would be the world if there were no Santa Claus! It would be as dreary as if there were no Virginias. There would be no childlike faith then, no poetry, no romance to make tolerable this existence. We should have no enjoyment, except in sense and slight. The eternal light with which childhood fills the world would be extinguished.
Not believe in Santa Claus! You might as well not believe in fairies! You might get your papa to hire men to watch in all the chimneys on Christmas Eve to catch Santa Claus, but even if they did not see Santa Claus coming down, what would that prove? Nobody see Santa Claus, but that is not sign that there is no Santa Claus. The most real thing in the world are those that neither children nor men can see.
No Santa Claus! Thank God, he lives, and he lives forever. A thousand years from now, Virginia, nay, ten times ten thousand years from now, he will continue to make glad the heart of childhood.
-The New York Sun, September 21, 1897
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by tiaokumura | 2008-12-22 18:24 | | Comments(6)

「外国籍の子どもたち支援のために今できることを探る」@環日本海交流会館

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(12月21日夜・記)
昨日の午後、「外国籍の子どもたち支援のために今できることを探る」に参加。
昼食を食べ車で家を出て約20分、教育文化会館の駐車場に車を置く。北日本新聞社の裏手にある「環日本海交流会館」が会場で、そこ、僕は数回訪れているんですが、方向音痴なもんで数分迷う(恥)。
会館入口で米田哲雄先生(「宿題お助け隊」)に会う。先日来取り組んでいる「外国籍の子どものための進学指導」についてご報告し、アドバイスなどをいただく。
会場に入ったら深澤めぐみ先生(金沢大学国際学類)が受付をなさっていてご挨拶。
今回は富山国際学院から宮田さん・林さん・粕谷さん・松村さんも参加。別に動員かけたわけじゃないのですが^^、5人もこうして出席ってのは珍しい。ありがたいことです。学院の卒業生の張さん(富山大学言語学コース2年)も来てて驚いた。中山美幸さん(YMCA)も見えてて、情報交換しばし。他にも何人か見知った方々も。

1時開始。80人くらいでしょうか、参加者。前半は
築樋博子さん 講演「地域在住の外国籍の子ども支援:豊橋市の取り組みから」
あとで聞いたところでは、築樋博子さん(豊橋市教育委員会外国人児童生徒教育相談員)は米田先生がコーディネートされた由。
豊橋市は富山市と同じく中核市で、日本語教育に関連して言えばいわゆる「集住地」「先進地」。築樋さんのレジュメは約30ページの実に充実した内容。そこに述べられている豊橋市の取り組みはすばらしい。行政・学校がここまで熱意を示しているとは、後進地・富山に住む日本語教師として羨ましい限り。もちろんそこまでに持っていかれた築樋さんたちの努力があってのことなんでしょうね。
2008年度で豊橋市の外国人児童生徒は1292人在籍(内約450人が1年未満)。新任・経験教員に「外国人児童生徒教育」を義務づけ(レジュメp.4。以下同じ)、「外国人児童生徒教育研究部」(p.5)、「外国人児童生徒教育相談員」「スクールアシスタント」「登録バイリンガル」(pp.6-7)などなど、児童生徒・保護者・学校・市が緊密なネットワークを築きあげている(レジュメ資料「豊橋市外国人児童生徒教育組織図」)。もちろん築樋さんたちにも多くの難問が毎日のように次々と持ち上がっているだろうが、それを解決する取っ掛かりになるシステムが構築されているのはすばらしい。特に驚いたのは3年前から「外国人児童生徒 進路相談会」(p.20)が開かれていること。僕たちが今回「外国籍の子どもの高校受験」に取り組み始めて知った富山県の状況と比べると、まさに「夢物語」。レジュメ資料の「小学校中学年対象チェックリスト」(CDSスタイル)や「日本語指導記録」もずいぶん参考になる。

後半は、築樋さん・米田先生ともうお一人による「ラウンドテーブル」。
米田哲雄先生のレジュメ(「米田資料」)、先生の勉強会に参加しているので重複するところもあったが、先生の情報収集力・分析力・ご自身の成果を惜しみなく伝える姿勢には、いつもながら感服する。
昨年も感じたのですが進行役の方が不慣れで、時間のロスがあり議論の深まりがイマイチだった。築樋さん・米田先生といったビッグな人の持ち味を引き出すのには役不足だったんでしょうね。
フロアからの発言では「加配教員・支援講師が孤立している」という現場の方の(悲鳴にも似た)訴え、「子どもが日本語が上手になることが、果たして本当に子どもの幸せにつながるのか。アイデンティティをどう捉えるか」(座席が離れていたので僕が聞き間違えてるかもしれません)という福井大学院生の鋭い指摘が印象に残った。

4時過ぎ終了。お礼を申し上げに築樋さんのところへ。今自分たちが取り組んでいることについてもお話しする。「豊橋市の、外国籍の子どもの受験に対する取り組み、僕たちには『夢物語』です」と申し上げたら、上掲の写真
平成20年度 進路の手引き Guía sobre el camino a seguir después de la graduación
をくださった。貴重な資料がいただけて恐縮至極。今年は間に合わないが、これを参考に『富山県版 進路の手引き』を作ってみようと思う。
築樋博子さま、本日はありがとうございました! 今日の体験をエンパワーメント材料に、あれこれ試行錯誤して参ります。

会場を出て、米田哲雄先生・中山美幸さんたち約10人と会場近くの喫茶店で歓談。米田先生・中山さんには今後とものご指導・ご支援をお願いしておいた。
喫茶店で優秀な日本語教師の方と出会いました。富山国際学院、来年度のスタッフは14人確保してあり、1クラス=教師2人制なので7クラスまでは可能な体制。でも、優秀な先生であればスタッフに加わっていただきたい。今回お目にかかった方、学院では最年少になりそうですが、お話を聞いてても実にしっかりした方。僕、「学院長0年生」^^として、あちこちでスカウト活動^^もしてるのですが、ぜひスタッフになってほしい方です。

今日は冬至。わが家の庭のユズを10個ばかし湯船に入れユズ湯。夕食にカボチャ。冬至の日にいつも思うんですが、冬至が大晦日だったらいいんじゃないでしょうか。地球にとっては冬至こそ大晦日だと思うのですが。元旦って冬至の翌日こそピッタシじゃないでしょうか。
今年も残すところあと10日。僕の富山国際学院での勤務は25日までです。
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by tiaokumura | 2008-12-21 12:16 | 日本語教育 | Comments(0)

こんな授業・あんな授業(8)中国・台湾籍の子どもに受験数学を教える-その1-

この記事をお読みになる前に、2008年12月14日の記事をお読みいただくとありがたいです。

前回の記事に対して、メールが3件来ました。3通とも簡単にまとめれば「あんた、大丈夫なん?」ってな内容でした^^。ご心配はご尤もですが、僕(たち)のやっていることで僕が孤軍奮闘・孤立無援なわけではありません。詳しくは述べませんが、米田哲雄先生(「宿題お助け隊」主宰)、銭輝老師富山市民国際交流協会)、原和子先生(「ゆうゆう」主宰。富山国際学院には「ゆうゆう」ご出身の教師が5・6人いらっしゃいます)、中山美幸さんYMCA)といった方々は、お相手にはご迷惑でしょうが(汗)、僕がいろんなアドバイスをいただける方々です。他にも高校の先生の中にも理解を示してなんとか応援してやりたいという方も複数名いらっしゃいます。もっとこの活動を持続していけば、やがて点が線になり、線が面になり、面が立体になり・・・も期待できそうです。最終的には行政や支援企業や学校を巻き込んだ活動になれば最高でしょうね。

3年後か5年後か何年後かわからないが必ず「日中の正面衝突」は起こる。臨界点としては、「国際的な地位を着々と築き上げ、アメリカのパートナーとしてあるいはグローバル経済の旗手としての地歩を固めつつある中国が、落日の日本を見下す」、あるいは、「中国の政情不安に乗じて日本が『鼬の最後っ屁』を放つ」などがシュミレートできますが、僕にはわからない。僕が生きてるあいだは起こってほしくない(無責任^^)し、「日中ウイン・ウイン関係」が理想ですが、「アジアの盟主」は、とりわけアメリカにとっては「2つ」は要らないのであるから、ほぼ100%「日中の正面衝突」は近未来にあるでしょうね。そういった状況に陥った時、力を発揮するのは第1に軍事力だろう。あっ、僕は日本が「軍事大国」になれと主張しているのではありませんよ(汗)。第2はそれぞれが蓄財した「知日派・親日派」「知中派・親中派」の質と量である。日中以外に、ブラジル・インド・ロシアなどについても同様のことが言える。そんな時に活躍が期待できる人物の中には、今、「連れ子」として在日生活を送っている子どもたちも入るのではないだろうか。彼らの中にはひょっとして「中国人の、吉田松陰や坂本竜馬や藤野先生や内山書店主や白洲次郎」役がいるのである。7人の子どもたちが日本で「邪魔者」扱いされ居場所もないなどということにならず、貴重な人的資源として育てられる&育つ(「教育」の「」には他動詞の「育てる」と自動詞の「育つ」があるんですよね)ことを強く願う。そのためには、ワシみたいな老い先短いオッサン^^が捨て石になっても、ぜ~んぜん、構わんもんね、なんです。←ちょっと偉すぎた発言じゃったかも(照)。

中国・台湾籍の子どもに受験数学を教える-その1-
コースデザイン
 ニーズ分析 なぜ「受験数学」か(省略)
 シラバス(後述)
 カリキュラム(省略)
 その他(省略)
教師目標
*「わかる・楽しい・役に立つ」授業をする。そのためにはいかなる手段も講じる。
これが抜けてると、まずアウトでしょうね。学校(大学を含む^^)・塾・水泳教室・カルチャーセンター・就職支援などどのような場であれ、これがそこの「教師」の目標であり義務でしょうね。話はちょっとずれますが、日本語教師で一番嫌われるタイプはエラソーに先生づらして成人学習者を赤ちゃんか子ども扱いするタイプです。ま、それはさておき、今回は正真正銘の「子ども」。でも、僕はこれまでに国で言うとアメリカ・ロシア・韓国・ブラジル・中国・台湾くらいしか子どもを教えた経験はありませんが、「子どもであること」と「子ども扱いすること」とは、うまく言えませんが、違うと思う。
*ムリ・ムダは最大限カットする。
時間、ありませんもんね。ただ何が「ムリ」で何が「ムダ」かは、おそらく皆さんが抱かれるイメージとは異なります。皆さんご経験がおありでしょうが、中学時代の数学の先生の「ムダ話」が後になってずいぶん役に立った(「ああ、そういうことだったのか」と肺腑にすとんと落ちる)って、ありますよね。昔の先生はそういうのうまかった。
学習者目標
*欠席しない・遅刻しない。
疲れてたり授業がつまらなかったりしたら授業中は寝てもいいが、まず寝るヒマはないし寝させるような授業じゃないので、覚悟しておく(爆)。
*母国で習っていない・習ったけどわからない時は、ジェスチャーでも母語でもいいから教師にアピールする。
ま、学習者がそんな表現手段に訴えなくてもいいように、プロの教師は常に「理解度」を顔を見ながら判断しなきゃなんないんですけどね。
シラバス
シラバス作成の前にすること
*現行の中1・2・3年数学教科書、過去5年間の富山県公立高校数学入試問題を分析する。
作業量大変そうですが、僕はこの春までプロの塾教師やってましたから、そこは「朝飯前」^^です。
*母国の教科書を手に入れ、何をどう習っているか・何を習っていないかを調べる。
これは今回は間に合いませんでした。なんとかして早めに入手しておきたい。
シラバス
教える内容を絞り込む(戦略を立てる)。
子どもたちにとって一番取り組みやすいのは「数と式の計算(四則計算・正負・累乗・平方根、文字式、方程式、等式変形)」、次が「関数の式の決定」「図形計量問題(角・辺・面積・体積)」でしょうね。で、子どもたちにとってまず無理(時間がかかってしょうがない!)なのは「文章を読んでそれを等式で表す」「文章題」「図形証明関連」「関数の応用(給水・ダイヤグラムなど)」「作図問題」(設問が読み取れればめちゃ簡単なんですが)あたりでしょうね。微妙なのは「確率」。これ、中国での地域差や文系・理系の差もあるのでしょうが、「留学試験数学コース1」の対策授業をやってみて「わからない」って学生がけっこういた。意外と中国では指導細目に入ってないのかもしれません。習っていれば「文章題」よりはるかに簡単なのだけど。
なお、日本の教科書の学年配当は無視する。提出順にこだわらず、理解が可能なように&効率を考えて、系統立てて取り組む。例えば、数の計算・学年縦断など。
教案(授業展開)-次回に続く-
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by tiaokumura | 2008-12-18 20:51 | 日本語教育 | Comments(0)