<   2008年 11月 ( 19 )   > この月の画像一覧

ファシリテーター入門講座2日目

f0030155_11595236.jpg
(11月30日夜・記)
1泊2日の「ファシリテーター入門講座」、1日目の夜はお楽しみの^^「交流会」。「青少年自然の家」なんでアルコール厳禁かと思い、こっそり自分用に缶ビール用意してきたのですが(爆)、交流会、ちゃんと^^アルコール類用意してありました。交流会では、いろんな人と知り合いになれ、いろいろおしゃべりし、飲みかつ食い(おつまみは大学生の学内コンパみたくて寂しかったけど^^)、なんと日付が変わるまで長居した。女性が多く(2:1くらい)ボクは最初はオドオドしてたけど(照)、その内図に乗ってきて^^、熱い議論にも加わることが出来た。と言っても僕は専ら聞き役・質問者でしたが。

2日目7時起床。2日酔いではなかったので、ホッ(爆)。7時半朝食。
8時半再開。まず昨日作ったグループでWS作り。アイスブレーキングはどんなことにするか、落しどころをどうするか、ブレーンストーミングは、アクティビティは・・・など話し合う。できあがったWSを代表者がプレゼン。それについて別のグループが質問(「批判的な友達」の立場で)。11時過ぎ、個別にWSを作る→ふり返りシート→アンケート。
右上の写真はこの日の僕の島の人たち。左から、伊藤さん山本さん太田さん(僕たちのWSのプレゼンご担当)・僕・橋本さん。太田さんは2月だったかの讀賣新聞に僕が載った記事をご覧になったそうで(世間は狭い!)、記事コピーもお持ちだった。照れくさきこと限りなし^^。
12時過ぎ、2日間の日程終了。車で家路に。
今回の受講、これがすぐに授業や組織に反映できるほど甘いものではないが、いろいろ吸収したことをこれからの自分の活動に生かしていきたい。
他の場合もそうだが、今回もいろんな人との出会いがあった。僕の貴重な財産になる。
もう一つ、映画『シロタ家の20世紀』、富山で自主上映できそうなのも嬉しい。今回のメンバーの何人かが既に自主上映に向けて取り組んでおられるので、僕もそこにまぜてもらうことにした。(『シロタ家の20世紀』についてはブログのこちらご参照)

講師をしていただいた定村さん・朝比奈さん、
今回の講座に共に参加された皆さん、
ありがとうございました!
またいつかどこかでお目にかかりましょう。

[PR]
by tiaokumura | 2008-11-30 11:59 | 富山 | Comments(0)

ファシリテーター入門講座1日目

f0030155_1522888.jpg
(11月30日夜・記)
2日間の「ファシリテーター入門講座」を受講してきた。
11月29日・30日(1泊2日)、呉羽青少年自然の家
「呉羽青少年自然の家」がまだ「呉羽少年自然の家」といっていた頃、当時所属していたトヤマヤポニカの集中授業でそこを利用したことがある。2週間の日程だったか、アメリカの子供たちが学習者で、彼ら・彼女らはそこに合宿、我々日本語教師は通い。それ以来になるので約15年ぶりに訪れたことになる。泊まるのは(たぶん)初めて。
12時半頃受付。1時過ぎ会場の研修室へ。人見知りが激しい男なので(恥)、緊張しながら始まるのを待ってたら、僕を知っているという若い女性がいらっしゃってビックリ。写真右の大森さん。富山大学人文学部4年生。4年生となるとついつい就活と卒論のことを聞いてしまう。アメリカ映画を題材にした彼女の卒論、僕なんかの場合と違って着々と進んでいるみたい。就職もふるさとで決定。朝日新聞も取り上げていた「内定取り消し」。大森さんは該当しないが、残酷な状況下に置かれた卒業予定者たち。社会人生活のスタートでつまずいた、しかも自分の責任じゃないのに、でもなんとかめげずに再スタートを切ってほしいものです。
こういう場違いなところではいつも以上に緊張してしまうボク、大森さんのような方がいてくださって、少し余裕が出てきました。1時開始が遅れ、今回の講師の定村さん(写真中央)とも少し話す。さすがと言うか、人扱いがお上手で、僕もあまり抵抗なくいろいろ話せた。
1時過ぎ開始。定村さんごあいさつ、一人ずつ自己紹介。総勢25人くらい。どの方も話し上手。僕は後の方の順番で、日本語教師であることや参加動機などを話す。僕がワークショップとかファシリテーターなる言葉を知ったのはそう遠い昔ではなく、8年ほど前に男女共同参画社会関係のイベントでボランティアをした時。日本語教育でも数年前からファシリテーションが用語として定着し(現在、月刊『日本語』で「教師力アップのためのファシリテーションドリル」が連載中)最近は更にコーチングもよく言われるようになっている。この間池袋のジュンク堂書店に行ったら、これはビジネス関連としてなんですが、「コーチング」本、棚3段くらいあった。ワークショップ(以下「WS」)そのものは、日本語教育学会で少し経験しただけ。「日本語教育なんに、なんでカタカナ使うんじゃい」とも思うこともありますが、しょうがないんでしょうね、的確な大和言葉ないのだから。でも最近は「気づき」「ふり返り」などを重要概念に使ってます。
4つのコーナー→3人グループ→5~6人グループ→ブレーンストーミング(以下「BS」)→マッピング→BS→XY軸→ふり返り、などと続き夕食。夕食後は、WSで使えるアクティビティ集→WS全体の構造→自分が希望するWSテーマ3つなどと続き、似たようなテーマを希望してる人でグループ作り。僕は「多文化共生」のグループ(7人)。グループで、2時間・参加者20~30人の設定で、テーマ・対象・ねらいを話し合い。1日目を終える。
[PR]
by tiaokumura | 2008-11-29 15:02 | 富山 | Comments(2)

「来た、来た、来た~」^^な本3冊

f0030155_21521196.jpg
松岡正剛
白川静 漢字の世界観
2008年11月14日初版第1刷
平凡社(平凡社新書)
780円+税
石渡嶺司・大沢仁
就活のバカヤロー 企業・大学・学生が演じる茶番劇
2008年11月20日初版1刷
光文社(光文社新書)
820円+税
八木福次郎
新編 古本屋の手帖
2008年10月10日初版第1刷
平凡社(平凡社ライブラリー)
1500円+税
松岡正剛『白川静 漢字の世界観』、遂になのかやっとなのか、ネット風に言うと^^「来た、来た、来た~」な本です。
博覧強記の著者が”巨知”白川静に挑み、その見取り図を示した初の入門書
ってキャッチコピー、まさにその通り。セイゴウ先生は
本書は白川静についての最初の一般書であり、ささやかな評伝であり、白川世界観への初めての招待状になるはずです(p.16)
と実に控え目におっしゃってますが、とんでもない、待望の書。歌舞伎なら大向こうから「待ってました~、セイゴウ屋」とでも掛け声がかかるところ^^。こういう本、ベストセラーになってほしいですよね。丸善や大学生協あたりでトップ1になっているといいのですが。もしそうでなかったら、日本文化、先行き長くないでしょうね。
恥ずかしい告白になるのですが、大学生時代はTA先生が正統で白川先生は異端だと思っていました。でもあれから約40年、完全に白黒はついたみたい。本書にも”業界事件”ってことでそのあたり触れられています(p.116)。
本書で初めて知ったのですが、人麻呂の「東の野に炎の」の白川解釈。それによると、この名歌は政治上の理由によって詠まれるべくして詠まれた歌だったのです。松岡は白川『初期万葉論』で白川説を読んだときのことを「もっとも衝撃をうけた」こととして紹介しています(p.164)。東に太陽が昇り西に月が傾く日、それは太陽暦で言えば「西暦692年12月31日午前5時50分ころ」(月日はその1週間前後も含む)。詳しくは引用しませんがこのあたりの展開、上質な推理小説を読むような感じです。更にもっと驚愕すべきことがあるのですが、それは読者のお楽しみにとっておいて、結論だけ申すと「人麻呂の歌の意味が一変」(p.166)するのです。「人麻呂『安騎野の冬猟歌』の大胆な解読」の節(pp.157-166)、大学生の頃に梅原猛の聖徳太子論を読んだときと同じような震えが生じました。
白川静(1910-2006)は橋本進吉と同じ福井県出身(白川は福井市、橋本は敦賀市)で、山田孝雄とほぼ同じく独学の人。現時点から立ち返ると「最晩年」ということになってしまうのですが、90歳をこえての「文字講話」は、松岡が言う「白川さんが余力のすべてをふりしぼって提案された東洋学の最終的なマトリックス」(p.103)だったのでしょうね。ビデオや書籍で残っているそうですが、無理してでもオンタイムで受講しておけばよかったと後悔しきりです。
白川と橋本左内・橘曙覧、「呪能」や「狂」、声・言葉・文字などまだまだいろいろあるのですが、この辺りまでに。なお、本書のもとはNHKTV番組とそのテキストだそうです。

就職活動=就活=シューカツ、こちらについても、「来た、来た、来た~」な本が登場しました。石渡嶺司・大沢仁共著『就活のバカヤロー 企業・大学・学生が演じる茶番劇』。「就活のバカヤロー」「茶番劇」ですもんね。「はじめに」の中でなぜ「バカヤロー」で「茶番劇」かが「焼肉の生焼け理論」で説明されています。
石田衣良の小説『シューカツ!』を読んでて「水越千春になんで内定打ってやらんのじゃい」って義憤を感じた。採用側の論理、確かにそれはそれで「ごもっとも」なのですが、シューカツやってる学生たち、あまりにもかわいそう。SPIでは高いスコア取らなくてもいいいいと言われても、それが足切りに使われると聞かされれば対策を立てなければならない。エントリーシート、なんとか採用担当者の目に留まってもらいたく、あれこれ工夫工夫工夫。マニュアルの裏の裏の裏を深読みして準備しなきゃならない。
本書を読むと、み~んな実はうんざりしてるんだなぁと思う。喜んでいるのは就職情報誌だけなんでしょうね。各章のタイトルをたどるだけで「構図」が見えてきます。曰く「就活生はイタすぎる」「大学にとって『就活はいい迷惑』」「企業の『採活』真相はこうだ」「インターンなんてやりたくない」「マッチポンプで儲ける就職情報会社」。
近い将来(いや、もうなってるかな?)、「学生の将来のために」と大学側は1年次からキャリアプラニングのための科目を設け、就職試験はもとより各種資格検定対策に力を入れることでしょうね。受験生もそういう大学志向を強める。企業側は1年生から囲い込みたくなってくる。「それのどこが悪い」ってご時世です。僕が「リッチな生活=いい生活←いい就職←いい大学←いい高校←いい中学←いい小学校←いい幼稚園←いい出産←いい胎教←いい受胎日←いい受胎のためのいいSEX^^←いい配偶者」とでも茶化したくなる「幸福のための逆算ストレートコース」と似たようなことが「就活」にも起きているのかもしれません。
「いち抜~けた」って学生・企業・大学がどんどん増えてやがて「量」が「質」に転換して、今みたいな「就活」がなくなる日が来るんでしょうかねぇ。う~ん、なんとも僕には断言できません。「抜け駆け」はあっても「いち抜~けた」は困難でしょうね。

今もそうでしょうが、僕の東京時代には神保町・高田馬場が古本屋が多くあり年に何回か訪れ、他には池袋や中央線沿線にも通った。どんな業界にも「生き字引」的な方はおられるもので、『新編 古本屋の手帖』八木福次郎は古本世界のオーソリティー。
僕は国文専攻だったので、著者と木村毅・勝本清一郎・柳田泉・野田宇太郎・岡野他家夫・西田長寿といった方々(僕の学生時代はご存命だった方々である)との交流を興味深く読んだ。どんな業界も窮極は「人と人との出会い」なのだと思う。本書には上記の方々以外に、柴田宵曲・森銑三・恩地孝四郎・長谷川如是閑・江戸川乱歩・野村胡堂・小金井喜美子・正岡容・永井荷風・柳田国男・佐佐木信綱・河井酔茗・高見順・新村出・川上澄生・津田清楓・宮尾しげを・武井武雄・庄司浅水・寿岳文章らも登場します。1915年明石市生まれの著者の人生の豊かさが羨ましい限りです。もちろん著者の苦労たるや私なんぞが窺いしれぬくらい大変だったことでしょう。
八木翁はそのご高名はかねてより知っていましたが、ご著書を読むのは本書が初めて。本書のもとは東京堂出版『古本屋の手帖』『古本便利帖』『古本屋の回想』。本ライブラリー版の解説は出久根達郎
富山の古本屋状況は悲惨(泣)。家の近くに割と大きい古本屋がかつてできて喜んだのですが、わずか数年で店じまい。その後、別の店が何回か代代わりして、今は、な・な~んと、アダルト系DVDやグッズ類のお店になっている(入ったことがないので正確なところはわかりませんが、外観から判断してきっとそういうお店)。市電西町電停近くにあった、これは僕が興味を持つ本がけっこうあったお店も何年か前に廃業。そうかと思うと先日たまたま行ったショッピングセンター、ちょうど文庫本に特化した古本市をやってた。覗いてみてビックリ。僕が持ってる文庫本のあれやこれや、かなりいい値がついている。ひょっとしてボク一儲けできるかも、などと思いました(爆)。

以上3冊、僕が知らなかっただけかもしれませんが、どれも「時宜を得た出版」「出るべくして出た本」だなあと思います。
[PR]
by tiaokumura | 2008-11-28 21:52 | | Comments(2)

ソフトの友情半世紀(北日本新聞2008年11月23日付)

f0030155_20513198.jpg
昭和33(1958)年富山国体の時のことである。中新川(なかにいかわ)郡立山町ソフトボール会場になった。国民体育大会が富山で行われるのが初めてなら、立山町民がソフトボールを生で見るのもおそらく初めてだった。そんな中、立山町内こぞって選手団を歓迎する。同町内大森地区には多田光男さんたち山形県一般男子チームが滞在した。チームは農協の2階に泊まり、近くの民家の風呂で入浴。国体競技で山形県チームはみごと準優勝を成し遂げる。大森に住む道寛俊男さんたちは、山形県チーム滞在期間中に同チームとソフトボール試合で交流。道寛青年らはソフトボールの面白さに触れ、翌年ソフトボールチーム「大森クラブ」を結成した。
平成10(1998)年、かつての多田青年と道寛青年が新潟県上越市で行われたソフトボール全日本シニア大会で40年ぶりに再会する。多田さんは山形チーム監督、道寛さんは富山県代表役員。60代になったばかりのお二人は旧交を温めた。
更にそれから10年を経た今年は「大森ソフトボールクラブ」の結成50周年。今は同クラブ顧問の道寛さんの許に、こちらは今は「山形カスカワクラブ」シニア監督の多田さんから、50周年を祝福する手紙が届く。道寛さんの喜びひとしお。

ここのところ朝日新聞は毎日読んでいますが、地元紙の北日本新聞は毎日は読めずたまっている。それをさっき整理していたら、写真の記事があった。記事内容を時系列でまとめると上述のようになります。なんだかドラマ仕立てにできそうなできごと。「生きてあることの喜び」とでも申せばいいのか、北日本新聞の記事を読んでいて心がぽかぽかしてきました。で、実は、なんですが^^、道寛俊男さん、僕の義兄にあたる方なんです。僕の次姉のご主人。まあ、身内をブログでこうしてご紹介するのは照れくささもあるものなのですが、皆様に「ソフトの友情 半世紀」をお伝えしたく、今回の投稿記事にしました。

道寛俊男さん、今は(確か)上は20歳過ぎから下は1歳まで、合計6人か7人のお孫さんに恵まれた好好爺。と言っても、ときどきお会いしても年齢を感じさせない若々しい方。同記事によると
町ソフトボール協会長になり、シニアの立山クラブで捕手を務める
そうです。ボク、昨秋の富山大学球技大会ソフトボールで捕手役だったんですが、義兄にキャッチングやサインについて習っとけば良かった^^。

70代の多田光男さん・道寛俊男さん、お二方とも今も現役プレーヤー。すっごいことですよねぇ。記事中で道寛さんは
「機会があれば交流試合をしたい」
とおっしゃっています。ぜひ実現してほしいものです。
[PR]
by tiaokumura | 2008-11-27 20:51 | 富山 | Comments(0)

最後の授業→「ときを@鶴来」で美味に舌を遊ばせ旨酒に酔い痴れつつ別れを惜しむ

f0030155_214276.jpg
10分の休み時間を挟んで90分授業×2。約1年間、それを31回。寺本益英教授(関西学院大学)のブログを拝読していると、大学教授の授業コマ数の多さや講義・講演・執筆・調査研究などの大変さに驚嘆するばかり。私なんぞは「大学で教える」ことにかけては全くのヒヨッコで、けっこうキツイ部分もある31回の授業だった。電車3本・バス1本利用、しかも接続の便が悪く、午前11時過ぎにJR富山駅で特急に乗り、乗り継ぎ待ち時間も含めて通勤片道約2時間。到着して授業開始まで附属図書館で準備。授業を終えて金沢駅に戻り駅構内や白山茶屋などで夕食(アルコール付き^^)。9時過ぎに帰宅。毎週火曜日はちょっとした「売れっ子教授」気分だった(嘘爆)。
昨日11月25日が最終授業教師というものは、教え子に「わかる・楽しい・(目的が受験・キャリアアップ・教養などの何であれ)役に立つ」を実感してもらうのが商売。学びの形態が講義形式・参加型・協働学習などのいずれであれ、また小中高大・カルチャーセンターなどのどこの場であれ、教え子に「わかった!」「楽しかった!」「これからの人生に役に立つ!」と言ってもらえるように、日々精進しなければならない、考えてみれば因果な商売^^なんでしょうね、教師って。

11月25日(火)、最後の授業を終え、その夜「ときを」で飲み会。「ときを」は店主のおばあさん(故人)のお名前から来たそうです。
右上の写真、「酔うて卓上に突っ伏すとも我が教え子よ我を笑うことなかれ」の心境かも(爆)。←王翰(687?-726?)『涼州詞』の一節「酔臥沙場君莫笑」のパロディ。ただし飲んだ酒は「葡萄美酒」ではなくて加賀の誇る銘酒菊姫(「菊姫」は右にリンクしてあります)。
そのお別れの席で僕は「琵琶馬上催」の代わりに詩吟をご披露。題して王維(701-761。一説には699-756)『送元二使安西』。
吟詠の前に留学生たちに語る。

・・・今から1250年ほど前に中国に王維って詩人がいたんだね。彼、お母さんが熱心な仏教徒だったこともあって仏教の影響も強く受けてて、中国じゃ「詩仏」って呼ばれてるそうです。彼が作った詩の一つが、中国語じゃどうなるんだろう、日本語の読み方で言うと「元二の安西に使いするを送る」。「元ニ」って元家の二男坊なんて意味なんかなぁ。で、元ニは詩人王維の大の親友でもある。その親友の元ニが安西に赴任することになった。安西、今だったら飛行機で数時間で行ける距離なんだろうけど、何せ1250年も昔の話。今ここでの別れが今生の別れ、つまり、今ここで別れたら元ニははるか遠い赴任地で死ぬかもしれないし、あるいは王維が今やまさに死なん時に親友がすぐかけつけることは無理。そんな境遇に置かれた二人、最後の夜をきっと語り明かしたことだろうね。そして旅立ちの朝を迎える。旅館の外、春先のほこりっぽい地に雨が降る。春の雨だから温かい雨なんだろうね。雨のおかげで柳の色も一段と鮮やかに。詩の1・2句、そういうふうに別れの春の朝の情景を歌い、3句で一転、視線は友に向けられる。「僕の親友の王二君。さぁ、もう一杯どうだ」。朝っぱらから酒飲んでるなんてヤバいんじゃないの、かもしれないけど^^、いいんだよ、親友とのおそらく永遠の別れなんだから。「元二君。君と僕はここで別れ、君は陽関に行く」。「陽関」ってのは、今で言えば入管みたいなもん。陽関を出たらその先は茫洋たる異世界。文明も文化も遅れた土地だろうし、何よりも心を許しあった親友の王維がいない土地である。この七言絶句の最後は「故人無からん」。「故人」は「亡くなった人」って意味もあるけど、この詩では「親友」のこと。古来日本ではこの結句の「無からん」を3回繰り返し「故人無からん」で終わる。中学生の時僕たちにこの詩を吟じてくれた先生もそうだった。・・・
などと縷々語る。酔ってたんでどのくらい通じたことやら^^。

渭城の朝雨軽塵をうるおす 客舎青青柳色新たなり 君に勧む更に尽せ一杯の酒 西のかた陽関を出ずれば故人無からん

詩吟(ってもネットで自学自習の我流です)、これで3回目になります。
酒は、生ビール→菊姫→萬歳楽→菊姫。肴は、お刺身・串あげ・鍋・焼魚など。よく飲みよく食べよくしゃべる。支払いを済ませ、「ときを」のご店主のご厚意で鶴来駅前まで送っていただいた。ところが鶴来駅舎内に入ってガクゼン。終電車、もう出た後ではないか! そこからあれやこれや一苦労も二苦労もあって^^、結局帰宅したのは翌日午前3時過ぎでした(恥)。
[PR]
by tiaokumura | 2008-11-25 21:42 | 日本語教育 | Comments(0)

思い出の本たち(2)小笠原豊樹訳『プレヴェール詩集』

f0030155_2129077.jpg
小笠原豊樹
プレヴェール詩集
昭和42(1967)年12月初版
河出書房
定価(当時)260円

ジャック・プレヴェール(Jaques Prévert。1900-77)
小笠原豊樹(おがさわら・とよき。本名岩田宏。1932-)

このブログのカテゴリ「思い出の本たち」第2弾はこれです。発行日からすると僕が21歳の時に買ったことになる。河出書房(このときは倒産前なんでしょうね)「ポケット版 世界の詩人」全12巻の第11巻。同シリーズは他に、手塚富雄訳(以下同じ)『ゲーテ』・高安国世『ハイネ』・木島始『ホイットマン』・福永武彦『ボードレール』・清岡卓行『ランボー』・大岡信『ジャム』・生野幸吉『リルケ』・高橋健二『ヘッセ』などで、最終巻が谷川俊太郎編『愛の詩集』という超豪華なラインナップ。今揃いで持ってたら5万円以上はするでしょうね。お金で詩が買えるもんじゃあないけど(爆)。
この詩集、実にオシャレで、まずカバー(上の写真がそうです)はピカソ「恋人たち」(部分)。巻頭16ページにわたって写真とプレヴェールの詩の一節など。パリの朝方の渋滞写真にかぶせて「大きな赤い/冬の太陽が/グラン・パレの上に現れ(以下略)」(「大きな赤い」)、セーヌ河でしょうか川岸に置いた椅子に鳥の写真には「ほんとうは生きたい鳥/ほんとうは歌いたい鳥/ほんとうは叫びたい鳥/血のように赤くて暖かい鳥/とても静かに飛ぶ鳥(以下略)」(「鳥さしの唄」)、魚眼レンズで撮ったのでしょうかパリジェンヌの顔の写真には「はがねのむすめ あたしは誰にも惚れなかった/誰にも惚れなかった 惚れたひとのほかには(以下略)」(「はがねのむすめ」)、あるいはミロの「かたつむりの燐光を放つ軌跡に導かれた夜の男」(部分)の絵。
小笠原豊樹による「解説」は、現在読んでもこれ以上緻密で詳しいプレヴェール紹介はないだろうというレベル(ただしこの詩集の刊行当時プレヴェールは存命)。解説上部には、映画『天井桟敷の人々』(マルセル・カルネ監督、プレヴェール脚本。1943-44)の写真2葉、エルンストの絵、モンタンやグレコの写真など。そして巻末には「Les feuilles mortes」(邦題「枯葉」)の楽譜、プレヴェールの作品一覧。

小笠原豊樹(岩田宏)は北海道倶知安生まれ、東京外大ロシア語科中退。ユリイカや思潮社から詩集刊行。一方でフランス語・ロシア語などの翻訳も多数。60年代・70年代を語るとき逸してはならない方でしょうね。

実はこの本、人に1回あげてるんですね。その人とは誰あろう^^、このブログのご常連「哲ちゃん」。最後のページに僕の下手糞な字で、「謹呈○○哲○○様 1969年5月8日」と書いてある。あの頃は人が読んでる本を負けじと読んだり、互いに本の情報交換したり、時には本をあげたりもらったり(ボクの場合はもらうことの方が多かったけど^^)したものである。青春なんでしょうね。この本の場合、日付から判断するに、いったん都落ちすることになった僕が哲ちゃんにあげたのかもしれない。

著作権にひっかかるかもしれませんが、プレヴェールの数多くの詩の中であの当時僕が一番好きだった詩を以下に掲載。
プレヴェール「唄」(小笠原豊樹訳)
きょうはなんにち
きょうは毎日だよ
かわいいひと
きょうは一生だよ
いとしいひと
ぼくらは愛し合って生きる
ぼくらは生きて愛し合う
ぼくらは知らない 生きるってなんだろう
ぼくらは知らない 日にちってなんだろう
ぼくらは知らない 愛ってなんだろう。

『プレヴェール詩集』(「ポケット版・世界の詩人11」河出書房。昭和42年12月)p.69
[PR]
by tiaokumura | 2008-11-23 21:29 | 思い出の本たち | Comments(2)

神田川 かぐや姫 1973(YouTubeより)


神田川
作詞喜多條忠 作曲南こうせつ 歌南こうせつとかぐや姫
(「かぐや姫」は南こうせつ・伊勢正三・山田パンダ)

1970年代、ボクは3回プロポーズしている。結果は2連敗1勝。2連敗のお相手、今では顔と名前と出身地、それに何回かのデイトくらいしか覚えていない。2人目の女性はMYさん、秋田県鳥海山麓の出身。当時僕が勤めていた「パルム」(東京日本橋三越近く)の常連さんだった。外資系銀行員で、僕が作るミラネーズかスパゲティサラダが好物だった。お店に食べに来た後、僕の働くキッチンに寄って手紙を渡して帰っていく。何が書いてあったかもうすっかり忘れたが、50通以上は続いたように思う。筆不精の僕は何通くらい書いたのかなぁ。お休みの日に浴衣を着て「朝顔市」に行ったこともある。最後の場面は彼女が住んでいた西荻窪にある喫茶店。まあフラれて当然だったのかもしれませんが、因幡晃『わかって下さい』(因幡は秋田県出身)が彼女との思い出の歌になっている。彼女は「秋田美人」だったんでしょうね、彼女の前にも後にもあれほどの美人に出会ったことがない。
1人目は苦い思い出になる。群馬県出身のSYさん。僕が池袋西口・ロサ会館内のジンギスカン料理「エリート」で働いていた頃、洗い場のバイトで入ってきたのが彼女だった。都内某私立大生だった。ピュアで愛くるしい感じの女の子で、初めは妹のように接してたが、その内デイトをする仲になった。青山墓地に行ったりした。今で言えばデイトレイプもどきもした(恥)。それでもやがて彼女は僕が当時住んでいた練馬のアパートに来るようになった。そのアパート、今思い出しても汚いアパートだった。歩くとぎしぎし音を立てる木造、風呂なし・トイレ共同、隣室はヤーサンみたく夜な夜な女が訪れそして始まる^^。SYさんとは同棲(上村一夫『同棲時代』はこの頃の劇画)はしなかったが、通い妻のような一時期があった。僕に生活能力がないことが原因だったか、あるいは性欲の捌け口に自分が使われているように彼女が感じたのか、お定まりの別れを迎えた。僕の「ヰタ・セクスアリス」(照)。

今朝の朝日新聞「うたの旅人」は『神田川』。同世代の多くが舟木一夫『高校三年生』と並んでこの歌を青春の思い出にあげることでしょうね。『神田川』を聞くといろいろなことが思い浮かんでくるのだけど、SYさんのことも慙愧の念とともに想う。
若かったあの頃 何も怖くなかった
ただ貴方のやさしさが 怖かった

「4畳半フォーク」と揶揄されようとも、僕はメロディーも歌詞もすばらしいと感じる。「やさしさが怖かった」は70年代の気分を掬い取る絶妙な表現。

YouTubeに『神田川』はいろんなヴァージョンがありますが、これを選びました。映像の最初、東南アジアの光景かと一瞬思いますが、今から35年前の東京です(例えば自動販売機の酒は「白馬錦」)。
僕はひょっとしたら、ネット社会のどこかでSYさんやMYさんとすれ違っているのかもしれない。『神田川』の頃はまだ多くの女性は男性に従属しているようだった。21世紀の今、女性はたくましく強くなった。いきいきと自立している女性を見るのは楽しい。SYさんもMYさんもきっとそんな女性になっていることだろう。大人の男がエラソーにしてる時代はロクな時代じゃない、女性や子どもが生きる喜びを満喫している時代こそ本当の人間社会だと、『神田川』とは直接関係ないのですが、そんなことも思いました。ボクのように『神田川』を聞きながらノスタルジーに浸ってるようじゃダメなんでしょうね。でもまぁ、ちょっとご勘弁を(爆)。
[PR]
by tiaokumura | 2008-11-22 18:38 | 音楽 | Comments(0)

山田孝雄博士、50回忌

f0030155_6335115.jpg
本日11月20日は、富山が生んだ偉大な国語・国文学者山田孝雄(やまだ・よしお)博士(1875-1958)の祥月命日である。ここに博士の遺徳を偲び、ささやかながら一文を草するものである。
左の写真は、富山市立図書館山田孝雄文庫入口脇に掲げられている。
本稿は、
加藤重広「日本語文法の諸問題と近代文法理論史」(富山大学2008年度前期・言語学特殊講義レジュメ)2008年9月
神島達郎「山田先生と日本語」(山田孝雄文庫公開講座第3回レジュメ)2008年11月
富山市立図書館リーフレット「山田孝雄文庫」(作成年月不明)
によるところ大である。厚く感謝申し上げる。
なお用字表記は一部を除き現行のものに改めた。
略伝
-この項は、リーフレット「山田孝雄文庫」(富山市立図書館)所収の「山田孝雄博士 年譜」から抄出したものである。ただし一部書き改めたり付け加えた箇所もある。
明治8(1875)年8月20日、山田方雄・ヒデの二男として富山市総曲輪に生れる。明20年、富山県尋常中学(現在の富山高校)に入学するも、翌年家庭の事情により退学。明28年、ほとんど独学により尋常中学校国語科教員及び尋常師範学校国語科教員の免許を取得。以後、私立鳳鳴義塾(兵庫県・丹波篠山)、奈良県中学校五条分校、奈良県郡山中学、高知県立第一中学校などで教鞭をとり、その間、日本史科・倫理科・修身科の教員免許を取得する。
明治35(1902)年、『日本文法論上巻』を大阪宝文館より刊行、時に27歳。明39年春、東京に移住。翌年、森鷗外の推挙により文部省国語調査委員会補助委員を委嘱される。明41年『日本文法論全1冊』、同44年『平家物語につきての研究』前編、大正2(1913)年『奈良朝文法史』『平安朝文法史』を刊行。大4年、稲坂和子と結婚、山田は40歳・和子は20歳であった。大8年、私立国学研究所を起こし所長に就任。大11年、日本大学での講義を基にした『日本文法講義』『日本口語法講義』を刊行。大13年、日本大学文学部国語科主任。大14年、東北帝国大学法文学部講師となり、仙台に移住。昭和4(1929)年、「日本文法論」によって文学博士学位。東京帝国大学に論文を提出してから30年近く経ってようやくの学位であった。東京帝国大学に山田を理解しうる能力がなかった故のあまりに遅すぎる博士号授与である。
50代から60代にかけて、『万葉集講義』『仮名遣の歴史』『芭蕉俳諧研究』(阿部次郎・小宮豊隆らとの共著)『倭漢朗詠集』(岩波講座「文学」)『平家物語』『国体の本義』『源氏物語之音楽』『古事記序文講義』『日本文法学概論』『五十音図の歴史』などを刊行。昭14(1939)年、御講書始めの儀に「古事記を奉る表」を進講、時に山田64歳。昭15年、神宮皇学館大学長兼神宮皇学館館長として宇治山田に移住。昭19年、貴族院議員を命じられる。
昭和20(1945)年8月15日、敗戦。昭21年、公職追放(同26年解除)。昭24年、阿部次郎の配慮により再び仙台に移住し、阿部日本文化研究所顧問となる。昭28年、文化功労者。昭32年、久保田万太郎らとともに文化勲章。
昭和33(1958)年11月20日、宮城県仙台市において永眠。享年83歳。後に富山市呉羽山五百羅漢長慶寺に葬られた。
山田孝雄博士生涯の著作は全2万余ページにのぼる。

博士の主な著作
-この項は、神島(2008)に拠る。
『日本文法論・全』(明治41年9月 宝文館)
(橋本進吉は、「いやしくも日本の文法について論じ日本語の特質について知らうとするものは、必ず本書を逸する事は出来ないであらう」と絶賛した。)
『奈良朝文法史』(大正2年 宝文館)
『平安朝文法史』(大正2年 宝文館)
『日本文法講義』(大正11年 宝文館)
(時枝誠記はその随想集『国語学への道』の中で、若き日の思い出として、東京帝国大学・上田万年研究室での山田孝雄『日本文法講義』の輪読会について書いている。「私は、その時始めて書物を読むことの如何に厳しいものでなければならないかを知ったのである。」)
『日本口語法講義』(大正11年 宝文館)
『日本文法学概論』(昭和11年 宝文館)
『日本文法学要論』(昭和11年 角川書店)
(同郷の角川源義に請われ、角川書店から刊行)

博士の業績・後世への影響
-この項は、加藤(2008)に拠る。
意味を重視する心理主義的な「山田文法」は、彼以降の文法学界に大きな影響を与えた。
各時代の語法を自らの文法体系により記述的に整理し、文法史研究の基礎を築いた。
敬語法・訓読研究など、文法学の新領域を開拓した。
仮名遣い・五十音図・漢語などの研究を通じて、国語学研究の新方面を開いた。
『平家物語』その他の古典において、周到な注釈・研究を多数著した。
国史学では国粋主義を唱導した。
国語問題について、国粋主義的な論を展開した。
古文献の調査研究、古辞書・古典籍などの索引・複製刊行など、文献学の面でも尽力した。

博士の主な碑など
-この項は、富山市立図書館リーフレット「山田孝雄文庫」に拠る。
百千度くりかへしても 読む毎にこと新なり 古の典  孝雄
(富山市役所前庭。自筆の歌碑)
履新 創校八十年記念 卒業生 文学博士 山田孝雄
(愛宕小学校所蔵の横額。山田は明治16年に履新小学校、現在の愛宕小学校を卒業している)
天地の 今わかるるや 初日影  孝雄
(仙台市青葉区仙台城本丸跡。博士の終焉の地・仙台にある自筆の句碑)

山田孝雄博士・奥村私記
「は」と「が」
山田孝雄が文法研究に没頭するきっかけは、鳳鳴義塾で教えていた時の一人の生徒からの質問であった。その生徒は、「が」が主格を示すということはわかるが、「は」は主格にない場合にも用いるのではないかと、山田に問う。当時のことを山田は後年「中学生に導かれて」(『読書随想』所収)で以下のように書いている。
著者は其以前よりして文法専攻の志を有せり。当時はおこがましくも相応の知識有りを思へりき。当時某氏の文法書を以て教授に従事したりき。この文法書は即「は」を主語を示すものとせるなり。一日この条に及ぶや、一生煩悶して「は」は主語以外のものを示すことを以てす。余は懺悔す。当時の狼狽赤面如何計りぞや。沈思黙考して、徐に其の言の理あるをさとり、自ら其の生徒に陳謝したる事ありき。
博士論文
山田孝雄が東京帝国大学に学位請求論文を提出したのは1904年。文学博士の学位を取得したのは1929年。実に25年の間、山田の論文はたな晒しにされていたのである。東京帝大の頑迷であり、しかもその間にあって、自分たちは山田の『日本文法講義』の輪読会を開いていたのだから、権威者たちのご都合主義にはただただ呆れるばかりである。
博士と谷崎源氏との関係
谷崎源氏に対して、山田は国粋主義者故のヒール役をあてがわれることが多いが、それは誤解である。山田の源氏物語に関する膨大な蓄積が谷崎源氏に貢献したと言うべきであろう。最近谷崎源氏の成立過程(山田とのやり取り)に関する新資料が発見され、谷崎がいやいやながら口語訳を改変したのではないことが明らかになった。戦時下の谷崎は山田に感謝こそすれ、恨みには思っていなかったのではないだろうか。
森鷗外
鷗外のコーディネーターとして果たした役割はもっともっと顕彰されるべきであろう。中央には無名の存在であった山田を抜擢した鷗外の先見の明はすばらしい。石川啄木に対する鷗外の支援も高く評価されるべきである。啄木は泣きながら蟹と遊んでなどおらず、鷗外の労や恩に報いるためにも、もっと実労働に励み長生きすべきだったのである。「夭折」ってことになるのだろうけど。
名を冠せられる学者の出身地
「山田文法」の山田は富山市、「橋本文法」の橋本進吉は福井県敦賀市の出身である。中央(東京)での活動が彼らの才能を開花させたのではあろうが、かつては北陸地方が文化の底力を持っていたと言える。それは北陸に限らず、多くの「地方」に通底していたのかもしれない。
出版社との関係
当時の大手出版某社は山田の論考の上梓を断った。山田は終生、処女出版を引き受けてくれた大阪宝文館への恩義を忘れず、その著作の大部分を宝文館から刊行している。戦後、同郷の角川源義に請われて角川書店から出版した『日本文法学要論』は珍しい例である。宝文館への終生変わらぬ感謝、角川との関係に見られる愛郷心。これらも富山県人ならではなのかもしれない。
[PR]
by tiaokumura | 2008-11-20 06:33 | 富山 | Comments(0)

寺本益英教授(関学)、フジテレビ「わかるテレビ」(11月21日)をご監修

自室のTV、調べてみたら1995年製造だった。あとまだ5年は見られると思ってたらダメなんですってね。来年?再来年?、TV番組が全てデジタル化?されて、今の受像機では見られなくなるそうな。「そんな勝手に~」と抗議したいところですが、無駄な抵抗でしょうね。どうしよう。
先週土曜日、久しぶりに自室のTVを見ました。僕のTV、写りも悪くないし、DVDだってこの画面で見られる。「まだまだ使えるのに」ってぼやきたい。粗大ゴミで捨てなきゃなんないのでしょうか、あるいはメーカーにお引き取り願うとか。
先週土曜日に見たのはNHK-E。平成シゴト図鑑(の途中から。女性の白バイ隊員)→一期一会(これまた女性で、言語聴覚士とDJ。もし僕が残りの人生でもう一つ職業を経験できるなら、僕、言語聴覚士になりたい。無理でしょうけどトライしてみたい)→ミューズの微笑み(これがこの夜のお目当て。白洲次郎・正子の武相荘。まだ行ったことがありませんが、いつか訪ねてみたい。町田市にある)→アニメ(「持ちつ持たれつ」とかがテーマ)→会社の星(久しぶりに見ました。今回は「人脈を築け」)。以上、合計2時間弱。いや~、久しぶりにTVをたっぷり見ました。
白洲夫妻の武相荘(ぶあいそう。武蔵+相模と「無愛想」を掛けてある。オシャレな命名です)、四季いつ訪れても風情がありそうです。そんなに遠くない過去、日本にもすばらしい美意識の持ち主・人生の達人が夫婦でいらしたんですよねぇ。

ここまでが前振り^^で、今日はこのブログには珍しくTVのお話です。
先日、寺本益英先生(関西学院大学教授)のブログ「寺本益英の日記」で以下の記事発見。
 11月21日の午後8時より、フジテレビで「わかるテレビ」という番組が放送されます。不定期の番組なのですが、テレビや新聞でよく耳にする用語を、専門家の監修によってわかりやすくまとめたVTRを使い、コンパクトに解説する番組です。
 全体的にどのような用語が扱われるのか知りませんが、食の世界のノーベル賞とか、食品のオリンピックとか言われている「モンドセレクション」が取り上げられ、その監修を私がお引き受けすることになりました。監修者として、ほんの短時間ですが、写真出演します。当日自宅にいらっしゃる方に見ていただけると嬉しいです。


フジテレビの不定期番組「わかるテレビ」、今週金曜日に放送されます。日曜日の朝日新聞朝刊には一週間のTV番組表が別刷でつくのですが、それを見るとありました。
7.57金曜プレステージ「わかるテレビ」(仮題)人気を博した番組が再び!!
と出てました。「わかるテレビ」は寺本先生がお書きになっているような番組で、これまで2回放送(僕は見てない)。フジテレビのサイトでチェックしたら、当夜の出演者は、笑福亭鶴瓶、関根勤、勝俣州和、宮川大輔、エド・はるみ、髭男爵、椿姫彩菜、柳原加奈子。顔が思い浮かぶのは最初の3人だけ、ボクってすごいTV音痴かも(恥)。
番組中では残念ながら寺本先生のお声は聞けないようですが、あの温厚なお顔にTVでご対面できるのは、めっちゃ^^楽しみ。フジテレビ、富山の場合はBBTテレビになるみたい。
当夜は今のところ予定が入っていないので、約3時間弱、こたつに入ってまったり見てみたい。
皆様もぜひ、11月21日午後7:57スタートの「わかるテレビ」(フジテレビ系)をご覧下さい!

そうだ、今度寺本先生にお会いしたら、サイン入りブロマイドをゲットしようっと(爆)。
寺本益英先生、TVご出演おめでとうございます。「全国区」になられても、これまで通りにお付き合いいただけますように。
[PR]
by tiaokumura | 2008-11-17 06:58 | このブログのこと | Comments(6)

北日本新聞社編集局『越中文学館』(北日本新聞社)

f0030155_11183879.jpg
北日本新聞社編集局
『越中文学館』
2008年10月17日 発行
北日本新聞社
1800円+税

本書は平成19年8月から20年9月まで47回にわたって北日本新聞文化欄に連載されたものをまとめたもの(pp.1-2)。全4章構成で各章の初めにカラー(一部白黒)写真を載せる。各編は作品紹介・著者略歴・関連写真など。巻頭に梅沢直正「文学と郷土意識の両立」があり、巻末に「心潤す郷土の物語-越中文学の歩み」「私の好きな越中文学」を付す。帯には宮本輝「文学は風土が持つ妖気、気配のようなものを増幅させる。風土を書かない作品は永続性を持たない。(以下略)」の文章。装丁は土井野修清、印刷は(株)山田写真製版所
第一章 伝統と祈りに生きる
写真:おわら風の盆、高岡七夕まつり、城端曳山祭、相倉合掌集落、再現された布橋灌頂会など
井上靖「七夕の町」、高橋治「風の盆恋歌」、司馬遼太郎「街道をゆく」、柳田国男「北国紀行」、坂口安吾「富山の薬と越後の毒消し」、辺見じゅん「立山の精霊市」など
第二章 ふるさとの山河
写真:立山夕照、雄山上空から望む剱岳、薬師岳、黒部ダム、立山カルデラの白岩砂防えん堤、称名滝、ホタルの乱舞(富山市婦中町小長沢)、蜃気楼など
新田次郎「剱岳<点の記>」、中河与一「天の夕顔」、吉村昭「高熱隧道」、田部重治「山と渓谷」、幸田文「崩れ」、宮本輝「蛍川」、森鷗外「山椒大夫」、柴田錬三郎「蜃気楼」、江戸川乱歩「押し絵と旅する男」など
第三章 近代とは何か
写真:北前船の模型、五百羅漢、総曲輪通り商店街、空襲直後の富山市内、昭和38年の豪雪で雪に覆われた富山駅前など
井伏鱒二「漂民宇三郎」、横山源之助「日本之下層社会」、泉鏡花「黒百合」、横光利一「紋章」、水上勉「呉羽の羅漢山」、堀田善衛「鶴のいた庭」、三島由紀夫「山の魂」、岩倉政治「無告の記」、武田泰淳「貴族の階段」、吉本隆明「戦争の夏の日」、瀧口修造「三夢三話」など
第四章 人と生まれて
写真:長い道(入善町)、大境の洞窟、富山大橋など
室生犀星「美しき氷河」、柏原兵三「長い道」、池波正太郎「越中・井波-わが先祖の地」、木崎さと子「青桐」、源氏鶏太「みだらな儀式」、野坂昭如「好色の魂」、久世光彦「時を呼ぶ声」、渡辺淳一「愛の流刑地」など

このブログのご訪問者の中には「越中(富山)」とは縁もゆかりもない方が多数いらっしゃるでしょうが、上記の作品は全て越中に関わりのある作品です。どの作品ももちろん作家の創造したものには違いありませんが、その源泉に「越中の風土」があったことは間違いありません。
すばらしき哉、幸いなる哉、誇るべき哉-わがふるさと富山
[PR]
by tiaokumura | 2008-11-16 11:18 | 富山 | Comments(0)