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楽しみな「利賀フェスティバル」

わが家は日本全国夜型生活進行中の日本にあって珍しい部類に入るでしょうね、夕食の定刻は午後6時です。うちはもともとが農家で、季節や農繁期・農閑期によって夕食時間が±1時間くらい変わったんですが、今は夏場は6時に食べています。サラリーマン世帯には信じられない時間帯の夕食でしょうね^^。
今日の夕食でアユ塩焼き8尾、同じくアユ唐揚げ2尾、いただきました。今朝早く父の友人が朝獲れのアユを持ってきてくださったんですネ。神通川産。富山大学言語学コース同時編入の同級生で今春同時卒業したさやえんどう(卒業後、首都圏で就職)のパパが昨夏富山にいらっしゃって、僕はお会いしなかったのですが、神通川で鮎釣りをご堪能なさったそうです。神通川は「知る人ぞ知る、鮎釣りの名所」なんかもしれませんね。
アユ、子どもの頃は「川魚は泥臭い」ってイメージがあってあまり好きではありませんでしたが、40歳過ぎた頃からその味に目覚め、おいしくいただくようになりました。アユ焼きは、酢4:醤油1くらいの割りでタレ(というのでしょうか)を作って食べるのも好きですが、醤油はともかく酢はおいしいのがない。どこぞにおいしい酢ってないんでしょうかねぇ。アユは、新鮮なものを強めの塩をまぶして焼いていただくのが一番かなぁ。
アユ「も」おいしい富山県。その富山県が誇る三大文化が「越中八尾(やつお)おわら風の盆」「富山県立近代美術館」そして「利賀フェスティバル」。あ、これ別に権威筋が選定したんじゃなくって、僕が勝手にそう決め込んでるだけですよ。異論いろいろあります、きっと。
で、その「奥村版・富山県三大文化」の一つ「利賀フェスティバル SCOTサマーシーズン2008」がいよいよ8月9日開幕。今年の「利賀フェス」の目玉は、何と言っても鈴木忠志主宰「SCOT」が利賀での活動を再開すること。そのことやスズキ・メソッドについてはこのブログこちらをご参照。
「利賀」、初め8月23日に行こうと思ってた。「シンポジウム 現在をどう見るか」→「サド侯爵夫人」→「世界の果てからこんにちは」がある日なんですね、23日って。ところが忙しさにかまけて予約を疎かにしとったら、23日の「サド侯爵夫人」、完売になってもうてた(泣)。チケット予約、30日「サド侯爵夫人」「シラノ・ド・ベルジュラック」が取れました。終演後、富山駅行きのバスが利賀から出るってのも魅力。「サド~」「シラノ~」とも各4000円、バス1000円です。チケット予約・問合せは、「(財)舞台芸術財団演劇人会議・SCOT」または「SCOT倶楽部」まで。

サド侯爵夫人」は三島由紀夫(1925-70)の1965年発表作。文学座との確執が少しは反映しているのか、あるいは澁澤龍彦への尊敬の念があちこちに散りばめられているのか、あるいは三島の「老い」への絶望が織り込まれているのか、あるいはまた5年後には市ヶ谷で自死するのだからそこへの「ロードマップ」のようなものが感じられるのか(三島は同年に『豊饒の海』第一部『春の雪』の連載を開始している)、はたまた鈴木は三島にどのようにして上演を頼み込んだのかなどなど、いわば「ワイドショー」的な興味^^もある上演ですが、当夜は三島劇のセリフに酔い痴れ、鈴木の演出にはまり込もうと思っております。利賀フェスでは初演。

シラノ・ド・ベルジュラック」(エドモン・ロスタン。1897年パリで初演)は高校生の頃読んだ。僕は(今でもそうですが)顔コンプレックスの塊。シラノの鼻がボクの顎か。醜男なんですねぇ、自分。でそんな高校生の僕、シラノのような生き方できんかなぁと夢想した。そして、友だちのラブレター代筆もしたことあるんですね(激爆)。そんな青春時代、観劇しながら思い出すかもしれん(照)。鈴木演出では2006年・新国立劇場がある。「シラノ~」は新国劇でもやってるんですよね。翻案劇とでもいうのでしょうか、「白野弁十郎」。かつてTVで見た記憶があります、島田正吾(1905-2004)の一人芝居で。島田を描いたドキュメンタリー番組中だったか。辰巳柳太郎(1905-89)も島田も好きでした。新国劇、緒方拳(1937-)が良き後継者だったのでしょうが、時代の波には勝てなかったってことでしょうか、解散してしまった。
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by tiaokumura | 2008-07-31 20:28 | 富山 | Comments(0)

久しぶりに白山茶屋

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(7月30日夜・記)
昨日29日は、8月はお休みになるので金沢でのお仕事、夏休み前最後。で、朝起きて、
「よし、今夜は『白山茶屋』に行くゾ」
と決意^^した。
仕事が終わって、例によって7:38頃金沢駅。東口を出て急ぎ足で徒歩3分くらい、都ホテルの地下1Fへ。
「こんばんは」って入ったら、「ママ」とか「お母さん」と呼ばれているお店の方が「久しぶり~」とかおっしゃってちとドギマギ。「覚えてるんですか?」と問うと「富山の人でしょ。久しぶりやね」とのお返事。嬉しかった~♪ 僕にとってこれが4回目の『白山茶屋』、少し常連さんに近づけたかな。1回目の白山茶屋はこのブログのここ、2回目はここ、3回目はここをご参照。
カウンター中央右寄りに席があいていた。そこに陣取ってすぐ、カウンターの隅っこが空いたのでそこに移動。
「こんな暑い日は何を飲めばいいんですか」ってお母さんに聞くと、やはりと言うか菊姫を勧められた。お母さんと、前日の金沢市、浅野川の水かさが増し、床上床下浸水・避難もあって、その話題を少し。浅野川は数々の文学作品に出てくる高名な川で、「女川」の別称があるように、元来は流れのおとなしい川(同じく金沢市内を流れる犀川が「男川」)。それがあふれるのだから、ものすごい集中豪雨だったんでしょうね。僕の住むところも、6時頃だったか、1時間くらい雷雨が激しかった。
本日のお酒(もちろん「菊姫」です)
先一杯(まずいっぱい)→山ハイ吟醸
本日のお肴・食事
おでん(いとこんにゃく・魚すりみ・竹の子)、イカ塩辛黒作り鳥皮焼きアジ焼き白山鍋(えび天・トウフなど)。〆は、カニ雑スイ
(表記はお店のメニューにほぼ準ずる)
いや~、小一時間、飲みも飲んだり、食いも食ったりです(照)。で、これでお値段が4040円ってぇんですから、ビックリ。東京あたりでこれだけ飲み食いしたら6000円以上は行くでしょうね。
帰りに「ごちそうさまでした」って言うと、お母さんに「おばさん、覚えてたでしょ」って言われて、嬉しかった。「目指せ!常連さん」かも(嘘爆)。「常連さん」になると何がいいかって言うと、別に値段負けてもらおうってぇんじゃなくって(金払いの悪い「常連」は逆に嫌われる)、その日のお薦めメニュー情報が得やすかったり、体調(or懐具合^^)に応じた飲食ができたり、他の客よりちと量が多かったり(さもしい^^)、あるいは、従業員のまかない料理(これがたいがい抜群にうまい)のおすそ分けに与れたりするんです。

次回(5回目)の『白山茶屋』ツアー^^は9月2日になるかなぁ。

写真、すっかり日焼けしてます。7月19日に家の近くの岩瀬浜海水浴場で泳ぎました。ひと夏に1~2回、海で泳いでます。、ずいぶんデカイ(恥)。時代は「小顔」だそうですが、小顔にはほど遠いサイズ(爆)。顔が長いだけなのでしょうが、下手すりゃ、5頭身かも、自分。も自分じゃあまり意識してなかったのですが、ずいぶん白くなってます。日本語教師もある種の客商売。白髪染めとかしたほうがいいのかしらん。いや、このままでいいでしょう。
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by tiaokumura | 2008-07-29 20:01 | 美味録08年 | Comments(2)

楊逸『時が滲む朝』(文藝春秋)

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楊逸(ヤン・イー。1964-)
時が滲む朝
文藝春秋
2008年7月25日第3刷(第1刷は同年7月10日)
1238円+税

今日7月28日、学校の近くの本屋さんに寄ったら、井上荒野『切羽へ』と並んでこの本が置いてありました。2冊とも買おうかとちらっと迷ったのですが、この夏の読書可能量を考えて、楊逸『時が滲む朝』だけを購いました。今夜、そして明日の金沢の帰りに読んでみようと思っています。今週末までには読み終えられるか。装丁もオシャレな本です。感じからすると、楊逸前著の『ワンちゃん』と同じ方の装丁なのかもしれません。
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by tiaokumura | 2008-07-28 19:27 | | Comments(4)

地三鮮(ディサンシエン)

(7月27日夜・記)
昨日7月26日、富山国際学院のある地域の「ふるさと祭り」に学院生たちと参加した。一昨年2006年に関係者の方から僕に、国際交流を兼ねて料理を提供してみないかとお誘いがあって初めて参加させていただき、これで3年目。1年目(このブログ2006年7月29日ご参照)は中国(焼き手羽先・水餃子)・ベトナム(春巻き)・スリランカ(カレー+ナン)、2年目(このブログ2007年7月28日ご参照)はロシア(ボルシチ・ブリヌイ・ヴァレーニキ)・中国(水餃子)を提供しました。
7月26日午前10時に富山国際学院に行く。Eクラスの張さんの指導の下、今年の出品料理(三品)に取り組む。僕は張さんの得意料理の「地三鮮」(彼は「地三蘚」と表記してました)を主に担当。彼はハルピン出身で、「地三鮮」は東北地方の家庭料理になるのでしょうか、字面から察するに「大地の新鮮でおいしい野菜3種」というような意味でしょうか。家で料理など全くしないボク(恥)でさえ作れる簡単なメニューで、ここでレシピご紹介。ただし、僕のうろ覚えで書いていますので、細かいところは各自アレンジを。
材料
ジャガイモ・ピーマン・ナス、油・塩・こしょう・味の素(僕は嫌いですが彼がどうしても使うと言うので、シェフの意向に従うしかないので^^使いました)
作り方
①ジャガイモの皮をむく。3センチ角くらいのサイコロ状に切る。水につけておく。
②ピーマンを縦に2つ割りにし、へた・種をとる。左右交互に厚めにはさがけに切っていく。
③ナスのへたをとり皮をむく。縦に半分に切り、1センチくらいの厚さで左右交互に斜めに切っていく。水につけておく。
④①・③の水気を充分に取り、油であげる。②はそのまま。
ここまでが下ごしらえにあたり、当日は学院で仕込んだ。
そして会場の小学校の校庭に運び込む。
⑤ピーマンをフライパンで強火でいためる。
⑥ジャガイモ・ナスを放り込み、強火でいためながら、味付けする。
今回は使いませんでしたが、好みによって、ニンニク・豆板醤・しょうゆなどを使うのもよいかもしれません。

地三鮮(di4san1xian1)、有名な料理なのかもしれませんが、僕は初耳・初味わい。生ビール飲みながら、100円出して買った(今回の中国料理は3品とも各100円)地三鮮を食べてみました。飲兵衛ではないのですが、おつまみにもよさそう。ピーマン嫌いのお子さんも、これなら食べられそうです。

4時頃売り出し開始。最初の30分間、ほとんど売れなかった。待望のお客さん第1号は、僕の中学の同級生の石田さん。彼女はこの小学校の近くのマンションに住んでて、僕がこの日のイベントをハガキで案内してたのです。2品=200円のお買い上げ。サンクス、石田さん♪
その内次々と売れ出して、6時頃には3品ともめでたく完売しました!

今回は、3時過ぎに会場に乗り込んだらガス台が用意されてなくって(中華料理って「火力」が命ですよね)焦ったけど、それもなんとか担当者の方にお願いして用意していただいた。こういうイベントって、ハプニング続出は織り込み済みですが、来年は用意周到で臨みたい。来年は、中国・南アジア・東南アジアの料理を引っさげて参加したいと思っています。
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by tiaokumura | 2008-07-26 21:54 | 日本語教育 | Comments(2)

勝手に宣伝です^^

先日ボランティアした「アジアの夢コンサート」の出演者のお一人の谷中秀治さんのブログをさっき見ていたら、以下の記事がありましたのでご紹介します。元の記事はこちら

昨年ルイスの助っ人で来て、ブイブイいわせたワイラのグッドベンゴンザ(ケーニャ、サンポニャ)、アペラッチャコの録音のため先乗りする、ウエイノのセサフェレイラ(パーカッション)、今乗りに乗っている?谷中秀治(ベース)に、谷中ひとみがキーボード。
ウエイノとは一味ちがったアンデス民謡と、日本のうたもまじえてのライブです。
8月2日(土)8pm ¥2000(1ドリンク付) 村門 富山市上本町 電停南西角2F

(奥村注)「村門」は「むらかど」と読みます。ライブは2Fじゃなく3Fです。

ボランティアしていた際に、谷中さんにはばみり8の字巻きなど、知らない方には何のこっちゃでしょうが、いろいろご指導していただきました。その時のことは、このブログのここあたりをご覧ください。あの時僕は、谷中さんたちのグループ「ウエイノ」にも感動しましたし、谷中さんが終了時になさったスピーチで語られた音楽に対する熱い想いにも深い感銘を受けました。
僕は8月2日の午後8時、谷中さんたちのライブに行きます。ちょうど前日の1日にロシアの子供たちが帰国するので、同僚たちと今期のロシアの打ち上げ会にもしようかと。

そんなわけで?勝手に谷中さんたちのライブの宣伝をさせていただきました。
ご興味を持たれた方、よろしかったら8月2日(土)午後8時スタートのライブにご参加を! 会場でお会いしましょう♪
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by tiaokumura | 2008-07-23 19:42 | 音楽 | Comments(2)

まだ足りぬ 映(は)えて 画(えが)いて あの世まで  マキノ雅弘

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(7月21日夜・記)
昨日7月20日の夜、ETV特集「マキノ雅弘 あるカツドウ屋の生涯」を見た。NHK教育、10時~11時半。
僕のような世代にマキノ雅弘は「仁侠映画」なのだが、リアルタイムでそれにハマった後、時を経て1980年前後だったろうか、たまたま行った図書館で彼の『映画渡世』(確か平凡社刊で天の巻・地の巻の2冊。人の巻ってあったのだろうか)を読み、彼が「仁侠映画」というスケールには収まらない、日本映画史上傑出した映画人であることを知った。

マキノ雅弘(1908-93。本名牧野正唯、父は「日本映画の父」と呼ばれた牧野省三。以下「雅弘」と表記)、今年が生誕100年なので、このETV特集になったんでしょうね。
番組は、「第1巻 宿命」から、流転・逢魔・再起などと続き「第6巻 遺言」で終わる、実にシャレた構成。番組中随所に雅弘が監督した「実録忠臣蔵」「浪人街」「血煙高田の馬場」「雄呂血」「鴛鴦歌合戦」「阿片戦争」などの貴重なフルムが挿入される。
雅弘は、省三29歳の1908年に京都に生れる。父は「活動写真」の将来を信じ、目玉の松ちゃんらを起用して次々とヒットを飛ばす。雅弘はそんな父の下、4歳で子役に。晴れた日は撮影のため小学校に行かせてもらえず、学校では「子役!」「泥役者」「河原乞食」と級友からさげすまれる。16歳で助監督、18歳で監督。父の後ろ盾があったにしても実に早熟な天才。父が教えた映画の大切な3つの要素が番組中で紹介されていた。「スジ(シナリオ)、ヌケ(映像)、ドウサ(演技)」である。この教えは後年に至るまで雅弘のバックボーンになっていたと思う。彼の作品の多くに見られる、神業的な早撮り・大スター中心ではない作品群・様式美に高められた映像などがその証拠になるだろう。
1928年、「浪人街」でキネ旬ベスト1獲得。スター不在の青春群像劇であり、当時の世相を反映したアナーキーな映画。ユーモアもまぶしてある映画で、旗本が「裏切ったな」と糾弾すると浪人のほうは「裏切ったんじゃない。表返ったのじゃ」と切り返す。この年のキネ旬トップ10に雅弘作品は3本も入っている。雅弘、この年弱冠20歳。
父の死後残された借金30万円(今の5~10億円)を抱えながらも映画作りに励む。来るべきトーキー時代に備え勉強のために上京もする。こういうところは現状に満足せず更にいい映画を目指す雅弘の真骨頂なんでしょうね。1935年(27歳)で「マキノトーキー」を設立。1年に30本を製作。だが「いい映画を」の想いも、日活などの大資本の前には勝てず、この後彼がプロダクションをつくることはなく、一介の雇われ監督としての生涯を過ごす。1939年「映画法」が施行。「国策映画」を作るための政府の方便だったんでしょうね。轟夕起子と結婚(「沖縄アクターズスクール」のマキノ正幸は二人の間の子)。新婚旅行で満州(当時)へ。弟のマキノ光雄と再会。当時は満映の全盛期。理事長はかの甘粕正彦(最近出た本で甘粕が「再評価」されてるみたいですが、どうなんでしょうか)。雅弘も弟らに満映入りを勧められるが、甘粕や「五族協和」の嘘っぱちを見抜いた雅弘には、そんな意思は芽生えようもなかった。一流の審美眼を身につけた人物には政治の真実を見抜く力も備わっているんでしょうね。彼が帰国後作った「国策映画」の一つは「阿片戦争」。検閲にはひっかからなかったようですが、「嵐の孤児」(1921。原題Orphants of the Storm)を下敷きにしたストーリーで(原節子・高峰秀子が姉妹役)、彼の父も評価していた「アメリカ映画」へのいわばオマージュ作と言える。番組中でもう1本紹介されてた彼の「国策映画」が「ハナ子さん」(1942。轟夕起子と灰田勝彦が夫婦役)。こちらは検閲でバッサバサ切られ「国賊映画」となる。でもそれって汚名じゃなく名誉でしょうね^^。
戦後、帰国した光雄の要請で次々と映画を作る。ヒロポン打ちながらってぇんですからすさまじい限り。
一時は表舞台から去った雅弘だが、1952年「次郎長三国志」(後にシリーズ化)で再起。このシリーズ、製作年代からいけば僕が子供の頃見ててもいいはずですが、記憶にはありません。1957年に11億人近い観客動員を誇った映画だが、やがて斜陽産業に。そうです、TVの登場です。弟光雄は1957年死去。僕が子どもの頃に夢中で見た東映映画の「笛吹童子」「紅孔雀」は光雄がプロデューサーだった。
日本侠客伝」は1964~69年。当時まだ無名に近かった高倉健を起用し大ヒット。池袋の深夜映画での観客(僕もその一人だった^^)の様子、この番組中でも語られていた。雅弘の偉いのは、「人殺しばかりだと、やがて大衆に見離される」と冷静に分析していたところ。ブームに流されることがなかったんですね。番組中に、雅弘が思いを込めて作ったシーン(高倉健と星由里子の別れのシーン)が挿入される。そこで星はお腹に新しい命が芽生えていることを高倉に告げる。それを聞いた高倉のセリフは、仁侠映画史ばかりでなく映画史上に残る名セリフでしょうね。「男と女」を描ききることでも天才だった雅弘。
彼の261本目(そして最後)の作品が「関東緋桜一家」、彼が育て上げた藤純子の引退映画でもある。

晩年の20年間、彼が映画を作ることは遂になかった。1993年85歳で逝去。辞世の句は「まだ足りぬ 映(は)えて 画(えが) いて あの世まで」。この句を見、先日引退した野茂英雄を思い出した。雅弘も野茂も道こそ違え、「これで良し」ってことなど眼中になく、己の理想を追い求めたんでしょうね。雅弘の墓は等持院にある。
写真は「湯布院映画祭」に招かれたマキノ雅弘。そこで彼は最後に声を振り絞って訴える、「皆さん、ここで約束してください。映画を見に行くと。日本映画を見に行くと・・・」。
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by tiaokumura | 2008-07-20 22:05 | 映画 | Comments(0)

今夏初めての西瓜

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(7月21日夜・記)
僕の知己にも「冷やし中華ファン」や「アイスコーヒー命」が何人かいて、その方々は僕にとって尊敬し愛すべき人間であることは間違いないのでよけいに困るのだが、きっぱりここで僕は宣言します、「僕は冷やし中華もアイスコーヒーも大っ嫌いです」と。「あんなもの外道だ」って言っちゃうと、たちまちこのブログは炎上しそうなので、そこまではカミングアウト?しませんが、ラーメンもコーヒーもホットです。ダッチコーヒーのおいしいのは許せますが。
これまでに冷やし中華・アイスコーヒーを勧められることもありましたが、このブログでこの記事を読まれた友人知人親戚縁者の皆様。これからは僕に冷やし中華もアイスコーヒーも勧めんといてね。宗旨替え、たぶん死ぬまでしないかと思う。

写真、わが家の西瓜。今年はわが家の西瓜は当たり年のようで、これまでにも何度か食べるチャンスはあったのですが、いろいろあって、ようやくこの日7月19日がこの夏の西瓜食い初め。2口目からほわ~んと広がるほどよい糖分、多からず少なからずの水分。どこにも出荷予定のない自家製の西瓜、絶品です。僕はスプーンなんか使わずかぶりつきます。種は飛ばさずお皿の上に吐く。やがて残り少なくなったら2つに割り、皮にひっついた実を、歯を立てながら口中にこそぎ取り込んでいく。カッコ悪いことこの上なしの食い方でしょうが、誰も見てません、好きなように食べます。赤い部分がなくなった時点でご馳走様をする。
写真横のチェイサー、西瓜に全く合いませんが、これまでこのブログであまり紹介しなかったわが家の「井戸水」です。富山は水道水も全国屈指の旨さですが、それでも井戸水には勝てません。夏は冷たく冬温かく。もっとも真冬になるとわが家の前の道路、融雪装置が作動して井戸水の出が悪くなるので、一時的に水道水に切り替えています。この融雪装置、15年以上前に、僕が当時日本語を教えていたアメリカ・オレゴン州出身のデボラさんという女性がわが家の餅つきにいらっした折りにご覧になり、ずいぶん感心なさってました。彼女は環境問題の専門家でした。きっと今もアメリカで活躍中のはず。

西瓜の皮は処分に困る。何かよい利用法ないのだろうか。

夏のわが家の絶品には「枝豆」もある。ここ数年「居酒屋」に行くことも何度かあるんですが、どうしてあそこの「枝豆」はあんなにも水っぽくまずいんだろう。きっと安値のときに大量に仕入れて冷凍したのを使ってるんでしょうね。間違ってたらごめんなさい。若い人があんな枝豆の味に慣れて「やっぱ、おつまみって枝豆っすよね」なんてことにならないように祈りたい。わが家の、プリプリした歯ごたえとほどよく効いた塩味の(本物の)枝豆を、彼ら・彼女らに食べさせてあげたい。
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by tiaokumura | 2008-07-19 19:04 | 美味録08年 | Comments(2)

楊逸さん、「時が滲む朝」で第139回芥川賞受賞

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(7月21日午後・記)
以下、朝日新聞7月17日付の記事より引用。
第139回芥川賞・直木賞(日本文学振興会主催)の選考会が15日、東京・築地の新喜楽で開かれ、芥川賞に中国人の楊(ヤン)逸(イー)(本名劉チュウ)さん(44)の「時が滲(にじ)む朝」(「文学界」6月号)が選ばれた。楊さんは22歳で来日してから日本語を学んでおり、日本語を母語としない外国人の受賞は、芥川賞73年の歴史で初めて。
奥村注:本名の「劉チュウ」の「チュウ」はクサカンムリ、下左に「収」の左部分、下右に「枚」の右部分。元の字が僕のPCの手書き入力パッドでは出ないので悪しからず。


楊逸さん、芥川賞受賞おめでとうございます!
楊逸(1964-)についてはこのブログ、2008年2月10日でも取り上げています。ご興味がおありでしたらこちらにアクセスを。
彼女の作品は「ワンちゃん」「老処女」を読みましたが、今回の「時が滲む朝」は彼女の3作目。早く読みたいと思って何軒か本屋さんを回ったのですがどこも売り切れで、7月21日現在僕は未入手。15万部は行きそうな感じですね。いや、もっとかも。
朝日の記事に拠ると、
「すごい感激しております。中国人だからというのではなく、作品が評価されたことをうれしく思っています」
との楊逸の受賞の弁。「すごい感激」って言い方気になりますが^^、「中国人だからというのではなく、作品が評価された」とあるように僕も早く読みたい作品です。でも、なんせまだ読めていません(泣)。7月20日の朝日の読書欄で鴻巣友季子という翻訳家が書いている書評の中から、あらすじ部分を以下引用。
農村に下放された知識人の父を持つ主人公は、大学に合格後は学問に燃え、国を変える大志を抱く。時にテレサ・テンの歌に心奪われ、シェリーの詩を湖畔で諳(そら)んじ、やがて民主化運動に参加して天安門広場へ。しかし民主化を叫ぶ大学生と、日々の生計が先決という労働者は衝突し、主人公らは退学になる。友の裏切りや日和見、苦い挫折・・・。それは、のちに彼が残留孤児一家の女性と結婚し、来日してからも、香港返還や北京五輪開催に反対しては、味わうものだった。

日本語非母語話者が芥川賞の候補になった例は、前回の楊逸が最初ではなくリービ英雄(1950-)らがいる。リ-ビは第115回(平成8年上半期)。日野啓三・田久保英夫・大庭みな子は評価し、石原慎太郎・池澤夏樹・宮本輝は低い評価。結局この回は川上弘美が「蛇を踏む」で受賞。リービの作品名が「天安門」だったのは、楊逸の今回の受賞作を思うと不思議な因縁を感じる。
中国のメディア、楊逸の芥川賞受賞、どうやら積極的に報道してないようです。いや「無視」かなぁ。「中国」にとっても快挙にして名誉なことなんにね。何と言っても「天安門事件」はあの国ではタブーで、この報道姿勢しょうがないことなんでしょうが残念です。でも、インターネットや在日華人を通じて大陸にもこのニュースは伝わっていることでしょう。
越境文学」って括りになるのでしょうが、楊逸さんの作品が更に広くファンを増やし、やがては中国語に翻訳されてかの国でも読まれる日が来るのを期待しています。

来週くらいには「時の滲む朝」を入手できそうなので、読み終わったら感想などこのブログに載せます。

日本人で外国語で小説を発表している例ではドイツ語の多和田葉子(1960-)がいる。世界各地の華人がやがて英語・フランス語・韓国語・イタリア語・ロシア語・ポルトガル語などで小説を発信し、それぞれの国の文学の発展に貢献するとすばらしいでしょうね。そうなることで夜郎自大な国と思われがちなかの国にもいい影響を与えられそうな気が僕にはするのですが、どうなんだろう。
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by tiaokumura | 2008-07-17 08:06 | | Comments(0)

名古屋出張

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(7月21日午後・記)
7月12日名古屋出張、今回も前回に引き続き行きは高山線利用。前回は6月25日の名古屋入管で、今回は当初は7月5日に予定されていた講師会が先方の都合で1週間延期になったもの。
高山線で富山→名古屋」も3回目ともなると沿線の風景も少し見慣れたものになる。富山駅8時発のワイドビューひだ6号。名前の通り、小田急の箱根行きの電車みたいに最前列車両前面は大きなガラス張りの「ワイドビュー」。でもそこは指定席車両で、そこまでの電車賃を相手側に出してもらうのも恐縮なんで^^自由席利用。例によって猪谷(いのたに)あたりまでは日経・読売を読み耽る。やがて山間(やまあい)を走る列車の窓から沿線の景色を眺める。ボクは近視・乱視・老眼^^なんですが、目の保養(眼福)になる景色が展開する。仰角60度で山の稜線、俯角80度で山川の流れ。村落や水田。わが家に田があった頃、GWと言えば家族総出で田植えだった。今は富山も品質向上のためとかでGW後の田植えが主流。このあたりはいつごろが田植えなのだろうか。稲の生長具合に差があるところを見ると、1週間~10日くらいの期間に田植えが行われたのかもしれない。あるいは標高差によるものか。実りの秋にまた高山線に乗ってみたいものだ。日本が急速に喪いつつある「水田文化」。自分が離れてしまっているのでエラソーなことは言えないのだが、この高山線沿線の水田風景はいつまでも残ってほしい。
ときどき野菜畑。植わっているのは、枝葉から察するに、なす・トウキビ・トマトあたりか。ところで、高山線の醍醐味は何と言ってもである。車中からでも川底が見透かせるような清流。こういう川には宮沢賢治の「クラムボン」がいて、幼い子が父親からいろいろ学んでいるのかもしれない。岩を噛む流れがあわ立つ。釣り人、橋、発電所、トンネル。川面の色は場所によって深い緑色から淡い水色までのグラデーションがあって、そういった色の違いは、水生にもよるのだろうが、太陽が差し込む水深の長短を反映しているのかもしれない。
美濃太田に近づくにつれ、山も川も遠くなる。

12:01名古屋駅着。降りたホームにある「どえりゃあ亭」(いかにも名古屋!なネーミング^^)できしめんなど。このお店、(たぶん)母・息子で切り盛りなさっている。これで3回目の利用。信頼できるお店です。カウンターだけのお店で、何人か飲んでるお客さんもいてボクも誘惑されたんですが、仕事前なんで、ここはガマン^^。
名古屋駅を出る。ムッとするような暑さ。名古屋はやっぱ暑い、半端じゃない暑さです。駅を出たところでブログ用写真撮影(照)。出張と言うといつもはスーツ&ネクタイなんですが、名古屋の暑さを考えて今回はそれはパス。この日はオールドファッションスタイルで決めてます、ボク(核爆)。子どもの頃近所のおっちゃんが白い開襟シャツを上着の襟と重ねて外に出してたような記憶があり、それを模しました。なんか・・・小津映画に出て来そうなボク(嘘爆)。

1時から4時まで講師会。その後、僕が「3人会」と称している、野田さん・遠藤さんと3人で飲み会。これで3回目になりますが、野田さん(僕より1歳年上)・遠藤さん(僕と同い年)との飲み会は、名古屋出張の楽しみの一つです。今回のお店は「嘉文」(2回目)。山下洋輔のコンサートに行くとのことで遠藤さんは途中で退席。野田さんと8時近くまで共にして別れる。
名古屋駅から京都駅に出てサンダーバード45号乗車。22:51富山着。ポートラム最終に間に合って、無事わが家へ帰る。タクシー利用にならなくって良かったぁ♪

帰りの車中では
十二代目市川團十郎『團十郎の歌舞伎案内』(2008。PHP新書。740円+税)
を読みました。十二代目市川團十郎(1946-。本名堀越夏雄)が青山学院大学の客員教授として行った集中講義「歌舞伎の伝統と美学」がベースになった本です。こういう講義を受けられた青学(團十郎は小~高と青学。大学は日大芸術学部)の学生、幸せですよねぇ。
初代中村仲蔵の定九郎の役作りのエピソードって有名ですが、実は五代目團十郎の出したアイディアだったとも言われているそうです(同書p.57)。知りませんでした(恥)。
七代目の「歌舞伎十八番」の制定の経緯(pp.64-67)、九代目の演劇改良運動(pp.72-86)、「芝居は“言葉”」と考える十二代目の「掛詞」観(p.95)など、ボクのような歌舞伎音痴でも充分興味が持て楽しめる本です。写真もカラー・白黒が随所に挿入。
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by tiaokumura | 2008-07-12 12:28 | 日本語教育 | Comments(0)

京都出張

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(7月21日午前・記)
心+亡」で「忙、忘」とは確かに納得。いやはやここんところバタバタしてて、忙しさの余り、ブログの方も写真アップがやっとで更新を忘れておりました。
今日7月21日は特に予定がない日なので、「(未編集)のままの記事」を完成しようと思う。

もう2週間前になりますが、7月7日に京都出張日本語教育振興協会(「日振協」)主催の会議に出席。富山国際学院もそうですが、正規の日本語学校は日振協の認定を受けている。今全国に400くらいあるでしょうか、日本語学校。年に1回、「東日本」と「西日本」に分かれてこうして会議が行われる。
9:15富山発のサンダーバード49号。TBは琵琶湖西岸を巻くようにして走るのですが、この日あいにく琵琶湖は煙っていてあまり見えなかった。12:09京都着。洞爺湖サミットの関係なのでしょうか、京都駅にはあちこちに警察官の姿。駅の出口がようわからんので警察官に教えてもらう。自動改札を出ようとしたら、ハンドルが降りて出られない!女性の駅員さんが急遽助けに来られて事なきに。僕を通した後、彼女、しきりにベルトを点検されていた。僕は田舎者で富山県内には(たぶん)自動改札なんてない。こうして旅先で自動改札に出会うと、ちゃんと開いてくれるのだろうかといっつも不安。都会の人から見ると笑い話でしょうけど。
会議が行われる「メルパルク京都」は京都駅からすぐのところ。場所が確認できたので安心してブログ用写真撮影。たまたまおられたカップルにお願いして、女性の方にとってもらった。彼女、京都タワーと僕が一直線になるように撮ってくださいました。
メルパルク京都、旧「ぱるるプラザ京都」だそうで、ここはホテルではなく研修会議用のビル。名前からすると旧郵政省のものだったんでしょうか。お腹が空いていたので2Fレストランに入る。ずいぶん込んでいて、50代の地元男性と相席に。お昼だけの定食でしょうか、「七夕ソーメン+焼きおにぎり+やきとり+つけもの」にする。七夕ソーメンの薬味は、しいたけ・ごま・たまご焼き・ねぎなど10種。生ビールが飲みたい気分だったのですが、仕事前なのでガマン。

1時から5時まで会議。ひな壇の位置に日振協役員・文部科学省・法務省など。外務省はサミットのため欠席。参加者は、西日本にある日本語学校の校長・理事長・学院長ら約130人。僕はスーツ着用だったんですが、スキンヘッドやTシャツなど「個性的」な面々も。日本語教育学会では7:3で女性が多い印象ですが、今回は8:2で男性が多い感じ。富山って微妙な位置にあり、今年は「西日本」に出席しましたが、来年は「東日本」に出席しようかと思う。どちらに参加してもいいんですね。
会議が終わり、5時過ぎから別室で懇親会。「貴公子の社交界デビュー」じゃないのですが^^、僕にとっては今回の会議は「理事長としてのデビュー戦」でもあるので、丸山茂樹先生(I.C.NAGOYA)からもご紹介され何人かと名刺交換。
懇親会は7時で終了。電車の時間まで少しあったので丸山先生に誘われて、5人で駅近くのホテルのラウンジへ移動。5人のメンバー、僕以外は「お歴々」揃いで、業界の思い出話など拝聴。雲上人の清談を聞くような気分でした^^。お一人のボトルがキープされていて、水割り3杯+チーズ+チョコレートをいただく。僕は「男一匹痩せても枯れてもタダ酒は飲まん主義」なんですが、今回はたとえ飲んでも、僕のような下っ端には見返りにせんならん義務はなんもないので、遠慮せずゴチになった(爆)。今にして思うとボクなんかのふだん飲めんスコッチだったんじゃろうから、水割りなんぞにせず、ストレート+チェイサーにしとけばよかったと、小心男はちょっぴり後悔してます(激爆)。
19:54京都発TB45号、22:52富山着。ポートラムに乗って帰宅。
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by tiaokumura | 2008-07-07 12:22 | 僕は学院長0年生 | Comments(0)