<   2008年 04月 ( 15 )   > この月の画像一覧

2008年4月29日のハナミズキ

f0030155_18183315.jpg
小津安二郎『東京物語』は1953年11月公開の松竹映画で、そのとき僕は7歳。家族はもちろん親戚にもさほど映画好きはいないので、公開時には観ていない(と思う)。初めて観たのは、だから、大学進学のため上京した後20歳前後に、京橋にあった近代フィルムセンターかあるいは渋谷・新宿・銀座あたりの名画上映館ということになるのだろう。初めて観てから10回くらいは観ているのだけれど、何回観てもその都度新鮮で新しい発見があるが、平山周吉72歳を演じた笠智衆(1904-93)が実年齢48歳だったという事実は何度観ても信じがたい。48歳と72歳の中間の年齢を過ぎた今の僕、平山周吉のような年齢を重ねられる自信は全くない。なお、妻とみ役を演じた東山千栄子(1890-1980)は還暦を過ぎていたことになります。
侯孝賢(ホウ・シャオシェン)『珈琲時光』は、小津の生誕100年を記念した『東京物語』へのオマージュ作品。2004年公開で、こちらは劇場公開時に観た。井上陽子役の一青窈も良かったし(一青のお母さんが陽水ファンでそれでこの役名になったんでしょうか)、AERA5月5日号の表紙になっている浅野忠信の演技も良かった。
一青窈の名曲の一つが『ハナミズキ』。4月のアンジェラ・アキ『サクラ色』に続く、富山国際学院2008年度B組の5月の歌にしようと思っています。5月1日の授業で披露予定(照)。
「ハナミズキ」は、東京市長尾崎行雄ワシントンDCを送った返礼に1915年に日本に入り日本各地に広まった。同僚の増山さんがこのブログのコメント(当時は旧姓・大岩さん)で教えてくださったんですが、一青窈『ハナミズキ』はアメリカ同時多発テロの際、一青のNYにいた友人からのメールがきっかけで生まれた歌だそうです。初めはずいぶん過激な歌詞だったのが、やがて一青は
君と好きな人が百年続きますように
という現在の歌詞に行き着いた。もし過激なままだったら、その時は一時的に熱狂して受け入れられても、今日まで歌い継がれることはなかったでしょうね。9.11はもちろん忘れてはいけない日ですが、一青『ハナミズキ』を聴いてると、なんと言えばいいのか・・・うまく言えないのですが、もっと普遍的なものを感じます。

わが家のハナミズキ(花言葉は「私の想いを受けてください」)、写真のような段階です。この後1週間くらいで花の盛りを迎えそう。僕がこうして花に想いを寄せられるようになったのはのおかげです。結婚するまで僕は花はもちろん植物にはとんと疎い男だった。
彼女が育て手を加え愛でた我が家の庭の生き物たち、彼女の「非在」をどう感じているんでしょうか。

夕空に 蝶舞うごとき ハナミズキ(隆信)
[PR]
by tiaokumura | 2008-04-29 18:18 | このブログのこと | Comments(0)

宮崎さゆりさんに伺った生理用品の話

4月21日の「ドリーム・ブリッジ・プロジェクト」実行委員会は第7回とのことでしたが、僕は初参加でいろんな方とお目にかかることができました。この記事の下の谷中秀治さんも印象深い方でしたが、僕の右隣に座られた宮崎さゆりさんも話題豊富で有能なファシリテーターとお見受けした。で、彼女の興味深いお話の一つが生理用品のお話。あれから1週間近く経っているので正確に宮崎さんのお話を再現できないんですが、彼女に拠ると、タンポンの使用と子宮系病気の発病には因果関係がある。タンポンには塩素系の紙が使われていてそれが女性の体に悪影響を与えているとのことだったか。また、タンポンは焼却するとダイオキシン発生にもつながる、といったようなお話だった。記憶アホなんで(恥)、もっと正確なことがわかり次第こちらのブログに掲載しますが、今回はこの程度の知識提供でご勘弁を。
それで、宮崎さんや金森理津子さんたちが取り組んでいらっしゃるのが、女性の体にも環境にも優しい「女性用品プロジェクト」。製品名「あんね布ナプキン」(「あんね」はかな書き)はモニターたちが試用中で、まもなく商品化されるとのことだった。「あんね布ナプキン」のいいところは、子宮に害をなさないこと、洗えば半永久的に使えること。特に、良い生理用品が入手しにくい第三世界の女性たちにはきっと朗報になるのではないだろうか。欠点はまだ値段が高いことか。
「あんね」って聞いて僕は「アンネ」を連想したので、商標登録侵害にならないのか聞いたら、川渕映子さん(NGO「アジア子どもの夢」代表)が生理用品「アンネ」は今はもうないと教えてくださった。更に「あんね」は富山弁の「姉」から転用とも。実にいいネーミングなんでしょうね。
川渕映子さんと宮崎さゆりさんとの出会いも興味深い。宮崎さんが不用になった子どものおもちゃを何か役に立たないかと川渕さんのところに持参したのがきっかけだそうです。出会うべくして出会ったお二人。宮崎さんはワシントンDCでも活動され、昨年富山にUターン(ボクのUターンと違ってスケールがでかい^^)。今回の「アジアの夢コンサート」がワシントンDCでも実現するのは宮崎さんのネットワークによるところ大。川渕+宮崎で今後の活動、更に大きく充実したものになりそうです。微弱ながら僕も応援したい。

ネットは便利で、宮崎さんについてもいろいろ知ることができます。あ、ボク、スト-カーじゃないっすよ(大汗)。
ネットの「志麻愛子メールマガジン第24号(2008年2月5日)」から宮崎さんの略歴を以下引用。志麻さんはミニコミ誌『まいけ』(今は廃刊)の創刊者で、現在は富山市議会議員。
宮崎さゆりさん(詩人・活動家)は1958年富山生まれ。1996年に米国首都ワシントンに移住し、それまでの沖縄と京都での経験を活かして、「日米環境活動市民センター」を1998年に立ち上げ、様々な活動を体験。昨年5月、富山へUターンされました。著書に「柿と夕日とお月様」、その他に編集主幹「自然の証言」、翻訳詩集「21世紀の草の根ダイオキシン戦略」。
『柿と夕日とお月様』はネットの「スタジオリーフ・人間家族ホームページ」に紹介されています。著作権の問題もありそうなので引用しませんが、詩集タイトルにもなっている「柿と夕日とお月様(Setting sun, rising moon and a persimmon)」が掲載(日本語)されています。七五調ベースの童謡風の詩です。

「詩人」って、吉増剛造(1939-)を詩の朗読会で、谷川俊太郎(1931-)を小中学生対象のワークショップで、遠くから眺めた^^ことありますが、ごく身近でお話を聞いたことがあるのは尾山景子さんと今回の宮崎さゆりさんのお二人だけ。宮崎さゆりさんは今回が初対面で、おそらく年に1回会えるか会えない方ですが、いろいろ学ばせていただこうと思っています。
5月10日の僕は、宮崎さんのご主人のサンタナさんたちとステージ設営担当。サンタナさんに初めてお会いするのもとても楽しみです。

ここ数年の僕は、村川さん・銭老師・柳原さん・能登さん・高さん・米田先生・寺本先生・粕谷さん・ターニャさん・丸山先生・遠藤さん・野田さん・折田先生・柳沢記者・川渕さん・田沢さん・高瀬さん・猪島さんなどなど、たくさんの恵まれた出会いがある。人見知りなボクとしては驚異的。ブログだけでのお付き合いの方々も含め、実にありがたい人生である。ここ数年、僕の人生は新しい局面を迎えているのだろうなぁ。
[PR]
by tiaokumura | 2008-04-27 14:24 | このブログのこと | Comments(0)

ブログ「ゆうぼくひでじ 谷中秀治のスケジュール」のご紹介

21日(月)、いつものように富山国際学院に出勤したら、僕宛にFAXが届いていた。差出人は、5月10日の「アジアの夢コンサート」実行委員のお一人の金森理津子さんで、21日・夜7時から夢マンション川渕映子代表「アジア子どもの夢」事務所)で実行委員会を開くので出席しないかというお誘いだった。ちょっと迷ったけど、この3月で学習塾をやめて夜は割とフリーなので出席することにした。
6時半頃、車で学院を出る。でもやっぱボクって方向音痴(恥)。夢マンション、以前通りかかったことがあるのだけど、今回はもう一つ別の道を走ってしまってて途中川渕さんにTELして場所確認。7時ぎりぎりに事務所に入る。
7時15分頃メンバーが揃って(10人くらい)、皆さんはお互いに顔見知りなのだけど僕は川渕さん以外は存じ上げないので、簡単に自己紹介。ビジネスシーンだったら名刺交換ってとこでしょうが、そういうのはなく気楽な雰囲気。司会業、詩人、ミュージシャン、元・大学教授、フリー・アナウンサー、市民活動家、市議会議員など、ふだんの僕にはなかなかお目にかかれない方々ばかり。
座席、僕の左一人おいて谷中秀治さん。僕は一昨年の「国際交流フェスティバル」(富山市民国際交流協会)でステージ係のボランティアをしたんですが、そのフェスティバルで谷中さんのグループ「WAYNO(ウェイノ)」の演奏があった。その時のことは今も覚えている。素人の学芸会みたいな発表が続いて(ま、それはそれで「国際交流」という観点から別に悪いことではないのですが)、会場はいささかだらけ気味で観客もまばらになっていた。そんな中に登場したのがWAYNO。登場した瞬間からその存在感、圧倒的。ちょっとチューニングなんかあって演奏が始まる。フォルクローレ、たちまち聴衆をひきつけたんですね。もちろんEl condor pasaも演奏しました。昨年のフェスティバルでも演奏が聞けるかと思ってたんですが、残念、去年は出演しませんでした。でも今回の「アジアの夢コンサート」では、富山でもワシントンD.C.でも彼らの演奏があります。
WAYNO(ウェイノ)は1989年に結成。バンド名はワイニョ(ワイノとも)から来てるんでしょうか。ニューヨークを中心にアメリカ・ヨーロッパ・日本などで活動。綾戸智絵や若林美智子(胡弓)らともコラボ。現在のメンバーは
ルイス ビルチェレス(ペルー出身)ケーナ、サンポーニャ
パンチョ ロドリゲス(チリ出身)ギター、ヴォーカル
レイデル ドラド(コロンビア出身)チャランゴ、ヴォーカル
レオネル サンダース(アルゼンチン出身)パーカッション
谷中秀治(富山出身)コントラバス
5人全員出身国が異なるバンドも珍しいですよね。谷中さんは、お話を伺ったところでは、僕の家から割とお近くみたい。
今回の実行委員会の席で谷中さんがブログ「ゆうぼくひでじ 谷中秀治のスケジュール」やってらっしゃると伺って、こちらのブログにリンクさせていただくことにしました。ブログ記事の「08’WAYNOスケジュール」からピックアップすると、5月10日(土)の「アジアの夢コンサート@富山県民会館」の後も、
11日=氷見市海浜植物園、15日=リバイブ(津久見市)、16日=ギャラリーキムラ(熊本市)、17日=出水カトリック教会(出水市)、18日=かやのバラ園(鹿児島)、18日=中野神社(宮崎県)、19日=GATO(阿久根市)、22日=ビンセント(京都市)、23日=聞法会館(京都市)、24日=ガランドウ(神戸市)、25日=高松サンポート・・・
と実に精力的な演奏活動ぶり。
WAYNOの皆様、ご健康にも留意されご活躍のほどを!
5月10日、お会いでき、演奏をお聞きするのを楽しみにしております。


4月21日の実行委員会、いろんな方とお会いできてとても有意義でした。僕の5月10日のボランティアは、谷中さん・サンタナさんとステージ設営を担当することになりました。楽器やマイクのセッティングなど。こちらも楽しみです、体力の不安もありますが^^。
[PR]
by tiaokumura | 2008-04-26 21:16 | 音楽 | Comments(4)

金沢2題

f0030155_20133628.jpg
(4月23日夜・記)
4月8日に再開した金沢通い、昨日22日で新年度3回目が終了しました。来週・再来週の火曜日は祭日でお休みなので、次回は5月13日ということになります。
昨日22日仕事を終えて、JR金沢駅構内にある「金澤旬料理 八兆屋 駅の蔵」というお店で夕食。
JR金沢駅構内には「あじわい館」「くつろぎ館」というゾーンに合わせて25軒くらい飲食店が入っているみたいです。今回の「駅の蔵」は「くつろぎ館」の3Fにあり、初めて利用。
まずお酒を選ぶ。
地元の日榮・天狗舞・萬歳楽や富山の満寿泉、福井の一本義などがありましたが、ここはやはり菊姫を注文。日本酒を飲むのは2ヶ月ぶりくらいかなぁ。「山廃純米」1合(冷酒)。写真にあるような竹製のアイスペールに入って運ばれてきました。「香りの高い辛口タイプ」とのことですが、う~ん、あんまり辛口に思えなかった。僕の味覚が劣ってるだけでしょうが、トロっとしてて、キリっとした辛さの切れ味はありませんでした。でも、日本酒の辛口ってこういうもんなんでしょうね、たぶん。
お料理はいろいろ迷った末に
鰤かまの天然塩焼き加賀野菜の天婦羅(加賀蓮根・五島島金時・金時草)、筍と春菜の焚き合わせ(筍・菜の花・空豆・若布・海老)
を選び、そして〆は
(冷)せいろ蕎麦
にしました。
真鯛の御飯」ってのも食べたかったのですが、時間がかかる(40~50分)のと2人前くらいの量があるってので断念。
店内BGMはモダンジャズ。客層はサラリーマン・OLなど。話し声がうるさい感じもしましたが、従業員教育の行き届いた、値段・味もまずまずのお店でした。一人で入るより、何人かで来たほうがきっと楽しいお店。
昨年11月からこれで金沢駅構内の飲食店15軒くらい利用したと思いますが、僕にとっては「駅の蔵」は中でTOP3に入るお店です。

ところで、金沢駅の構内のポスターで知ったのですが
ラ・フォル・ジュルネ金沢(LA FOLLE JOURNEE de KANAZAWA)」
というイベントがこのGW期間中にあります。東京では「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」(東京国際フォーラム)ですが、今年初めて金沢でも行われるんですね。公式サイトはこちら
岩城宏之(1932-2006)さんが設立・運営に力を注がれたオーケストラ・アンサンブル金沢ももちろん出演します。公式サイトのキャッチコピーを引用すると
前代未聞の音楽祭が、遂に北陸・金沢へやってくる!
世界各国から一流の音楽家が集い、朝から夜まで
ベートーヴェンを奏でる熱狂の日々!

GW期間中、僕の予定はまだはっきりしませんが、できたら
5月2日「能舞とベートーヴェン
ってのだけでも行ってみたい。
[PR]
by tiaokumura | 2008-04-22 20:13 | このブログのこと | Comments(4)

富山空港

f0030155_1052245.jpg
富山国際学院4月新入生、若干名を除き富山入りを済ませた。
今日は上海発の上海航空でやってくる中国人男子学生を出迎えに富山空港に。
富山空港は国内線は東京便(全日空)、札幌便(全日空)。少し前まで福岡便もあったのですが今は廃止。国際線はソウル便(アシアナ航空)が火・金・日、ウラジオストク便(ウラジオストク航空)が月・水・金、大連便(中国南方航空)が月・水・土、そして上海便(上海航空)が火・木・日。地方空港で国際線が4つもあるなんて珍しいでしょうね、きっと。期間限定で台北便もあるとか。
上海便は上海発8:15(日本時間9:15)、富山着11:20。今日は35分遅れで到着。「歓迎光臨」ってのを同僚の徳橋さん(中国語ができる)に簡体字で書いてもらったのを、中国人学生の出迎えに活用してます。学生の名前を書いたのとそれを掲げて出口で待つ。当人がそれを見つけて近寄ってくる。見つける前の不安げな顔と見つけた後の喜色満面の落差。笑顔が見られるのは教師冥利。
車に大きい荷物を載せて一路アパートに。車中、カタコトの中国語・日本語、時にカタコトの英語。桜が咲いてると「さくら」と教えて「きれい」って日本語を引き出せるのですが、今日はもう葉桜をとうに過ぎてるので、そのネタは使えない(汗)。車中沈黙時間多し。バスケットボールが好きだというので姚明(ヤオミン)のことを振ったら喜んだ。日本人がイチローのことを外国人に言われるような感覚なんでしょうね。
無事アパートに送り届け、あとを上級生に頼んで、別の用件を片付けに。

この春、僕は新入生の出迎え10人くらい担当したかなぁ。関空からJRで富山入り、成田からJRで富山入り、新潟から高速バスで富山入り、そして上海便・大連便で富山入りといったパターン。
富山国際学院の場合、ビザ発行や交通機関の関係でバラバラに入学してくるので、入学式はありません。その代わりでもないのですが、新入生歓迎会を4月下旬か5月上旬にやってます。今年は5月8日に「雪の大谷」観光。僕は初めてなんですが18メートルだかの雪の壁の間を散策。今から楽しみです。
[PR]
by tiaokumura | 2008-04-20 10:52 | 日本語教育 | Comments(0)

次姉ご夫婦・姪たちに僕の富山大学卒業を祝っていただくの巻(照)

f0030155_2045571.jpg
(4月20日夜・記)
今では僕が富山大学生だったのは遥か昔のような気がするのですが、先月3月21日が学位記授与式だったのですから、ほんの1ヶ月前、僕はまだ大学生だったんですね。なんか・・・奇妙な感覚。
昨日の夜、僕の大学卒業を祝って次姉夫婦たちが飲み会をしてくれた。僕は、姉・姉・僕・弟で、次姉が富山県内在住。その姉夫婦は娘3人で、一番上が僕と20歳違いだそうで、そうなると僕が東京教育大生時代に次姉は結婚したことになるか。姪たちは今ではみないいお母さんの年頃。
姉夫婦、姪3人、その子どもたち6人のうち4人、それに主役^^の僕と総勢10人、富山駅近くの「日本海庄や」というお店で7時頃から9時半頃まで過ごす。大学卒業なんて履歴書に2行(編入学・卒業)追加くらいのことに思ってましたが、こうしてお祝いしていただくと、ちょっと「自慢」できることなのかと思う(照)。今や還暦過ぎての大学卒業なんて珍しいことじゃない時代なのだろうけど、姪たちは「おじさん、すごい!」と素直に祝福してくれました。
昨夜はご馳走になった上に、ベルト・シャツ2枚の卒業祝い!までいただいちゃいました。春宵値千金とはこのことかも(核爆)。
皆様、ありがとうございました!
[PR]
by tiaokumura | 2008-04-19 20:45 | このブログのこと | Comments(2)

とんまま セルフィッシュ展 波多野千寿 作陶展

f0030155_18375179.jpg
(とんまま)アジアの布の服 波多野千寿作陶
石の蔵ぎゃらりぃ はやし
札幌市北区北8条西1丁目1-3
(JR札幌駅北口より徒歩5分)
2008年5月15日(木)~5月20日(火)
 11:00~19:00(最終日18:00)

今日、陶芸家の波多野千寿さんから展覧会のご案内をいただきました。
波多野さんのことは何度かこのブログで取り上げています。僕が波多野さんに初めてお会いしたのは1975年頃、国分寺南口にあるコクテール堂林玄社長宅だと思う。彼女はその頃は陶芸修業中で、僕は林玄社長のハイランド観光に勤めていた。その後、皆で新宿で飲んだり、国分寺のほんやら洞や国立のひょうたん島あたりでお会いしたりしたかなぁ。波多野さんは僕とだいたい同じ年齢のとても魅力ある女性。僕が富山にUターンするのと前後して、波多野さんもご主人(京大卒で大手金属メーカーのエリート社員、だったと思う)のご転勤で札幌に引っ越された。1979年、僕は新婚旅行で北海道に行ったので、札幌でTELでお話ししたことがある。ひょっとしたら、ご夫妻に千歳空港でお見送りしていただいたかもしれない。
波多野さんには、陶芸についてはほとんど伺ったことはないが(「焼き物やってごらん」くらいは言われたかもしれない)、村上春樹『たんぽぽのお酒』白石かずこなどを教えてもらった。波多野さんの作品、僕の結婚祝いでいただいたりして、数点持っています。
年に1回くらいのペースで個展をなさっている波多野さん、今回は2人展。僕は存じ上げない方なのですが名寄市ご在住の平野千恵子さんという方と二人での展覧会(波多野さんは現在は浦安市ご在住)。
平野千恵子さんは「(とんまま)アジアの布の服」
波多野千寿さんは「波多野千寿作陶」

です。

今回のご案内ハガキの、波多野さん手書きの僕あてのメッセージを以下引用。
いつもブログで宣伝して下さっているみたいでありがとう。
札幌の人も見ているかしら?(奥村さんのブログを)
この写真の私の作品は耳に粒の象さんです。


展覧会会場の「石の蔵ぎゃらりぃ はやし」はこちらの地図ご参照。
まだ1か月先の展覧会ですが、
札幌の方、道内の方、あるいは本州北部の方、
あるいは開催期間中に札幌にいらっしゃる方
ぜひ
とんまま セルフィッシュ展 波多野千寿 作陶展
にお出かけください。
[PR]
by tiaokumura | 2008-04-18 18:37 | 美術 | Comments(0)

大村はま先生がご永眠されてから3年になります

f0030155_18292468.jpg
初めにお断りしておきたいのですが、私(わたくし)は、大村はま先生に直接にも間接にもお教えいただいた者ではありません。しかしながら、大村はま先生のご著作を通じて多くの教えを学ばせていただいている者として、本記事では「大村先生」という呼称を使わせていただきます。

今から40年以上前、僕は東京教育大学文学部国語学国文学専攻というところに入学した。大学を卒業後は生れ故郷の富山に戻り高校の国語教師となり、できることなら将来は母校の富山高校で教鞭をとりたいと思っていた。
現行の大学の教職課程がどのようになっているのか知らないのだが、僕の頃は、教育原理・教育心理学・教科教育法や日本国憲法について学び、教育実習を経て教職資格を得られるシステムだったように記憶する。国語科教育法は倉澤栄吉先生(現在は日本国語教育学会・会長)がご担当だった。1967年頃のことになるだろうか、倉澤先生がある日の授業で「国語教育の神様」としてご紹介になったのが大村はま先生であった。
大村はま先生は1906年、横浜市のお生まれ。1928年に東京女子大をご卒業。最初のご勤務先は長野県諏訪高等女学校。戦後は江東区立深川第一中学校を皮切りに3つの中学をご転任後、1959年に大田区立石川台中学校にご転任。その後1980年に70代半ばでご退職されるまで石川台中学にご勤務。僕が先生のお名前を倉澤先生から伺った時は石川台中学にご在職中でご年齢は60代ということになる。
先生の教員生活は52年。そのことだけでも僕のような者には驚きだが、その年数ずっと第一線で教えられ、しかも日々研鑽を積まれ続けられたのだから、正に「国語教育の神様」である。イマドキのカリスマ教師なんて言葉が色あせるご経歴である。先生は戦後モノ不足の時代にあって、新聞をもとに一人ひとりの生徒に合った国語教材を作り指導された。NIEの先取りである。今だったらPCで同類の教材が作れるが、ただしその中身の深さは大村先生には及ばないだろう。先生の業績を(極めて乱暴だが)一言で言うなら「大村単元学習法」ということになる。

先生の本は15冊くらい持っており、折にふれ読み返している。
僕は若いときの「国語教師」になる夢が実現せず、今は「日本語教師」であるが、先生のご著書(あるいは先生の周囲におられた方の本)から学ぶことは多い。
写真の本は2005年12月に共文社から刊行された『大村はま自叙伝 学びひたりて』。先生の生い立ちから東京女子大時代まで、言わば「国語教師・大村はま前史」が生き生きとした語り口で綴られている。本書が現在も刊行されているかどうかわからないが、大村はまを知らない方も、一人の人間の成長史として大きな感銘を受ける本である。

2003年頃だったか、新聞社の主催で大村先生の講演会があることを知った。受講希望者はハガキで申し込みとのことだったので、自分の名前で10枚くらい応募した。それだけでは不安で同僚の名前を何人か借りて更に10枚くらい応募した。「そこまでしなくても大丈夫」と同僚にからかわれたが、僕の不安は的中し、抽選に外れた。おそらく何万倍の競争率だったのではないだろうか。大村先生の生のお声に接するチャンスは永遠に来なかった。

2005年4月17日、大村はま先生ご永眠。享年98歳であった。
先生はクリスチャン。天国に召された先生は、今頃、あのお優しいお顔で天国の中学生たちを相手に深い国語教育実践をなさっておられることだろう。

(追記)
鳴門教育大学図書館に「大村はま文庫」があります。
[PR]
by tiaokumura | 2008-04-17 18:29 | 追悼 | Comments(0)

ドリーム・ブリッジ・プロジェクト「アジアの夢コンサート」

f0030155_13234586.jpg
ドリーム・ブリッジ・プロジェクトpresents
ベトナム戦争枯葉剤被害児 自立支援チャリティ
 平和の祈りを、音楽にのせて。
アジアの夢コンサート Asian Dream Concert

富山公演
5月10日(土)
会場 富山県民会館
飛騨古川公演
10月11日(土)
会場 あぶらむの宿
ワシントンDC公演
11月15日(土)
会場 University of the District of Columbia


(4月13日夜・記)
川渕映子さんに僕が初めてお会いしたのは、いつ・どこでだったのか、記憶がはっきりしない。
最近は年2~3回のペースでお目にかかっている。富山国際学院の学院生への支援でも、川渕さんにお世話になっています。先週金曜日、川渕さんが学院にお出でになったのですが、あいにく僕は授業中でお目にかかれなかった。川渕さんが置いていかれたポスター、写真にあるように学院に貼ってあります。
川渕さんの草の根NGO「アジア子どもの夢」の活動について、今回のコンサートのリーフレットから引用。

1996年
ベトアム戦争末期に現地で難民救済ボランティアをしていた川渕映子が中心になり主婦5人で発足。翌年からの、のみの市やアースデイイベントなどで古着やベトナム雑貨の販売、ベトナムの現状を体験するスタディツアーの企画を始める。
2001年
のみの市の売上収入で建設援助したフーチェン中学校が完成。
2003年
枯葉剤の影響で障害を持った子どもたちの養育費を支援する「ベトナム・フォスター・プロジェクト」を始める。ホーチミン市クチ障害児養護施設に生活支援を始める。


今回の「アジアの夢コンサート 富山公演」、5月10日当日僕はボランティア参加。当日会場で僕をお見かけになったらお気軽にお声をかけてください(照)。
今回に限らず、イベントやボランティアに対する僕のスタンスは割と明確です。
お金があればお金を出せ(ビンボーなんで、これは「実行不可能」が多い^^)
知恵が出せれば知恵を出せ(これも脳力不足で「実行不可能」が多い^^)
時間があれば時間を提供せよ(忙しい日々ですが、これなら少し何とかなる)
体力が可能なら体を提供せよ(これもシニアなりに可能か)
何もできないのだったらせめて足を引っ張るな(何もできないくせに邪魔をする人っていますよね)
といったところです。

3会場で行われるこのチャリティコンサート、会場によって出演者は異なりますが、富山会場では
ウェイノ(Wayno) ハイチュウ 岩崎喜平 吉本佳代 トゥモロ 富山大学ジャズ研究会 プリティキッズ
などが出演します。チケットは、大人2000円、中学生以上の学生1000円、小学生以下と障害者は無料。
なお、「アジアの夢コンサート」では、主旨に賛同される方からの賛同金を募集中です。
郵便振替
記号00790-1 番号50557 口座名義アジア子どもの夢
(通信欄に「賛同金」と明記してください)
銀行振込
北陸銀行本店 普通5048590 口座名義アジア子どもの夢
(ご依頼人記入欄に、ご依頼人名に続けて「サンドウキン」と記入してください)

最後に、リーフレットからもう1箇所引用。
平和は武力によって得られるものではなく、人と人とのつながりで創っていくもの。
隣りの人のこと、隣りの国の人のことを少しずつでも考えられるようになれば、
地球は変わるはずです。コンサートで一緒に平和を祈りましょう。

[PR]
by tiaokumura | 2008-04-11 13:23 | 音楽 | Comments(0)

勝間和代『効率が10倍アップする 新・知的生産術』(ダイヤモンド社)

f0030155_21511016.jpg
勝間和代(経済評論家・公認会計士)
効率が10倍アップする 新・知的生産術
-自分をグーグル化する方法-

2007年12月13日 第1刷
2008年1月11日 第7刷
ダイヤモンンド社
1500円+税

(4月13日夜・記)
Googleで「勝間和代」を検索すると950000ヒットします。「フェルメール」が642000ですからすごいもんです。ちなみに「富山国際学院」は12300、「奥村隆信」は6320です(核爆)。
勝間和代ブーム、なんでしょうね。
僕が彼女の名を知ったのはごく最近の今年に入ってで、朝日新聞土曜日別刷りbe on Saturday Businessで知った。カルロス・ゴーン、莫邦富、藤巻兄弟ら錚々たるメンバーに伍して勝間も「勝間式『自分ナビ』宣言」を連載中です。日経などにも連載中だそうです。
こういうブームになる人は、奇を衒ったことを言っているのではなく、ごく当たり前のことをわかりやすく整理して一般人に説明し、でもその際にちょっとオリジナルを付け加える。例えば、昨日の「勝間式『自分ナビ』宣言」で彼女は、新しい職場やクラスでは「周りの人から徹底的な情報収集をすること」「自分が周りの人に貢献できるポイントを見つけて信頼関係を構築すること」の大切さを訴える。そして彼女の場合、その2つをランチを活用して実行してきた。読者に「なるほど、その通りだ」「わたしにもそのくらいならできそう」と思わせるところが「売れっ子」の売れっ子たる所以なんでしょうね。
もう1例。勝間の近著『勝間式「利益の方程式」-商売は粉もの屋に学べ!-』(東洋経済新報社。未購入)。同書の「利益=(顧客当たり単価-顧客当たり獲得コスト-顧客当たり原価)×顧客数」、こんなにわかりやすい数式はないでしょうね。経済学の教科書に時に難しい数式を使ってゴチャゴチャ書かれている「利益」に比べるとこんなにスッキリしてていいのかと思うくらい。利益を上げるには、単価を上げ、獲得コスト・原価を下げ、顧客数を増やせばいい。単純明快!

勝間和代は1968年生まれ。男女雇用機会均等法(1985年)は彼女が高校2年生の時になるでしょうか。慶應義塾大学商学部在学中に公認会計士2次試験合格(当時の最年少記録だそうです)。卒業後はJPモルガン、マッキンゼーなどに勤める。職種は、公認会計士・戦略コンサルタント・証券アナリストなどで、ディーラーもやったそうですから、僕なんかにはすごいキャリアとしか言いようがありません。その後経済評論家として独立。「16年間で年収を10倍にした」そうです。2005年ウォール・ストリート・ジャーナル「世界の最も注目すべき女性50人」に選ばれ、2006年には「エイボン女性大賞」受賞。前者の過去の受賞者には林文子・小林いずみなど、同じく後者には市川房枝・高野悦子など。
そういうキャリアがあるからこそ発言に説得力があり人気があるのでしょうが、勝間の人気の一因は彼女の人生にもありそう。21歳で長女を出産、2回の離婚を経験し、現在は3女の母で独身。ワーキングマザーの希望の星、シングルマザーの憧れでもあるんでしょうね、彼女は。現在、早稲田大学大学院商学研究科博士後期課程に在学中。本書で彼女は、今の彼女を形成した環境要因として技術要因・報酬要因・意欲要因の3つを挙げている。意欲要因とは
21歳で長女を出産して以来、3人の娘の育児・家事に時間がかかるため、生産性を高めざるを得ない状況に追い込まれたこと(本書p.6)
です。僕も彼女と同様にサービス残業に反対だし、誤解を恐れずに率直に言うと「残業=本人の能力不足」とさえ考える。←エラソーなこと言ってますが、ボクなんかは勝間の爪の垢でも煎じて飲むべきでしょうね、きっと(恥)。

女性が書いたビジネス関連書を読むのは松永真理(1954-)以来です、たぶん。
実は、この写真の本は購入2冊目です。先週火曜日金沢通いが再開し、JR金沢駅で時間があって構内のうつのみや(金沢の有名書店)に入った。何種類かある勝間本から本書を選んで帰りの車中の楽しみにした。ところがいろいろあって帰りの車中で本を置き忘れてしまったんですね、ボク(恥)。僕の場合、本を失くすとその本はもう買うまいと思うこともあるのですが、この本は再び買いました。
うつのみやで数ある勝間本をパラパラとめくってみた上でこの本を選んだのは、「僕にも読みやすそう」ってのもありますが、彼女が情報の中の1%の本質を見極める技術の一つとして
本代をケチらず良書を読む(本書p.65)
を挙げていたからです。「勝間流・読書投資法7か条」ってのも挙がっています。
②すぐに読まない本でも、とりあえず買っておく。買わない本は読まない
③5000円以内の本は迷わず買う。飲み代1回分だと思えば惜しくない
④自分のテーマのアンテナを張っておくと、自ずと必要な本が目に入ってくる
(本書p.152)
って箇所は僕の経験則とも一致します。ただし僕は彼女の年収の遥か下なんで③は「5000円以内の本→500円以内の本」です(爆)。

僕なんかには「宝の持ち腐れ」に等しい本書。20~40代の人には参考になること・実行したいこと多々でしょうね。でも、エセ勝間・ミニ勝間にならないように気をつけてください。
昨日の夜、NHK-Gで「トップセールス」という番組やってました。企業が男性中心で女性のセールスなんて考えられなかった時代をドラマにしたもの。途中から見たのですが、勝間に先行する世代の物語。更に遡れば「女性初の」が冠になることが多かった緒方貞子・赤松良子らの世代。勝間も「女だから」「女のくせに」と言われたこと/言われることがまだあることでしょうね。勝間の娘の時代には完全男女平等が実現してるといいですね。

勝間和代のブログの一つは「私的なことがらを記録しよう!!」。
彼女が「ムギ」として関わっている「ムギ畑」ではゲストもいろいろな情報を得られます。
本書についてはまだまだ書くことがありますが、このくらいにしておきます。
[PR]
by tiaokumura | 2008-04-10 21:51 | | Comments(0)