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明日から新年度

NPOとしては年度は1~12月なんですが、富山国際学院としては4~3月期なので、明日から新年度

今日3月31日教員会議。今年度の総括、新年度の予定などを話し合う。
08年度は、開校以来の課題に取り組むと同時に、最近の課題である、非漢字圏の進学指導、外国人配偶者・(いわゆる)連れ子に対する日本語教育、外部授業依頼への対応など、課題山積。でも課題があればあるほど仕事の達成目標がはっきりしてくるとも言えるので、ある意味ラクなのかもしれない。課題が見えない状況って、もっとしんどいですもんね。
富山国際学院の新年度は、7クラス・教員14人(学院長・専任4人・非常勤講師9人)体制でスタート。学生数に比べてクラスも教員も多いって外部から指摘されることもありますが、教育が優れて「サービス」である以上、質の充実した今の体制は崩したくない。NPOってこともあって利潤追求に励まなくてもいいですしね。外部の仕事依頼に応えるためにはもう2~3人教員がほしいところですが、う~ん、その方たちに給料がちゃんと払えるかどうかを考えると・・・。損益分岐点考えると難しいところ。

僕は4月から専任待遇。別に大卒資格(06年4月に富山大学言語学コースに編入学し今年3月に卒業しました)が得られたから専任になれたわけじゃありません(汗)。3年前までの収入(塾+日本語教師)と比べて年収ベースで4割くらいになるかもしれませんが、ま、Money comes first.の風潮に一服の清涼剤にでもなれればと思って・・・ません(爆)。やっぱゼニ欲しいけど(激爆)。霞食って生きてる仙人じゃありませんもんね、ボク。
新年度担任クラスはB組林さんと3年ぶり2回目のコンビ。前回コンビ組んだクラス(林さんが担任)、しんどいことも勿論あったけど、ずいぶん成果があったクラスだったので、今年もそれ以上の成果を上げたい。B組担当は週3コマ(月木金)で、火曜日は外部授業で金沢通い。あと専任としての仕事がいろいろさまざま。
僕は「学院長0年生」でもあるので、その関連の出張も何度かあります。中国・名古屋・東京など。また、未熟な日本語教師なので、当たり前ですがいろんな自己研鑽も必須。一昨年・昨年に続き今夏も幕張である日本語教育学会の研修に参加したい。去年はニューヨークであった日本語教育学会世界大会、今年は釜山であります。NYは遠くて無理だったんですが、韓国は一度行きたい国でもあるので、毎月3万円ずつくらい貯金して(できるかな^^)世界大会@釜山に参加しようかと思っています。韓国語「チョヌン オクムラ イムニダ」しかできませんけど(大汗)。それからここのところ新しい教材も増えているので、教材研究もしっかりやりたい。更に、「ビジネス日本語」「年少者日本語教育」「非漢字圏の漢字指導」なども勉強すべきテーマ。2年間大学に通ってる間に中断してたこと・できなかったことにも少しずつ取り組んでいきたい。

そんなこんなで、新年度めっちゃ忙しそう。皆様に不義理重ねたり、このブログ更新ままならなかったりしますが、なにとぞご容赦を。
新年度もこのブログ、引き続きご愛顧のほど、よろしくお願い申し上げます。
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by tiaokumura | 2008-03-31 20:00 | 僕は学院長0年生 | Comments(0)

「勉強お助け隊」ボランティア募集中

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富山県には355人の小・中学校外国人児童生徒がいます。その中の276人は日本語が良く分かりません。「勉強お助け隊」ではこれまでに中国・韓国・フィリピン・ブラジル・パキスタン・インドネシアなどの子ども(30名)に、個別に日本語で指導してきました。現在5~7名です。
木曜日4時からと日曜日10時15分から(片方も可)学習日本語・生活日本語を支援してくださる方を求めています。日本語の教授法を学んだ方、継続的にできる方、子どもを教えた経験のある方を歓迎します。子どもの母語を使って指導する方も求めています。
*お二人で一人の子どもを支援する、該当する子どもが来るまで待機するなどのしくみも検討中です。


上記は写真のリーフレットの前半部(下線部・斜体字、原文ママ)。
このブログでも何度か取り上げてますが、米田哲雄先生の活動「勉強お助け隊」に参加される方、いらっしゃいませんか?
昨日の記事で原和子先生のことを取り上げました。「カリスマ美容師」あたりからでしょうか、「カリスマ~」って言い方が流行ったのは。日本全国で3万余人と言われる「日本語教師」、富山県内の「カリスマ日本語教師」(なんか安っぽい言い方で逆に失礼かもしれませんが)と僕が思う方は
米田哲雄先生(勉強お助け隊)・原和子先生(ゆうゆう)・折田真一先生(富山情報ビジネス専門学校)・七間みさを先生(富山市立柳町小学校)・中山美幸さん(富山YMCA)
ということになるでしょうか。僕が存じ上げないだけで他にもおられることでしょうが、この方たち(年にせいぜい3回くらいしかお会いできない方が多いですが)から僕はいつも学ばせていただいてます。うちの富山国際学院にも「カリスマ日本語教師」モチロン何人もおられますが、それは「内輪誉め」なんでカット^^。

米田哲雄先生と共に活動されることは、きっとあなたの人生に裨益するところ大です。
「勉強お助け隊」ボランティア、やってみませんか。
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by tiaokumura | 2008-03-30 12:59 | 日本語教育 | Comments(0)

日本語教師会ゆうゆう「日本語ボランティア登録者研修会」

先日ハガキで案内が届いていた「日本語ボランティア登録者研修会@CiC」に行って来た。
僕は「ボランティア登録」してないのでマズいかなぁと思ったのだけど、日本語教育について学べる貴重なチャンスだし、いろんな方に出会えるだろうと思い参加した。
日本語教師会ゆうゆう」は富山県内の日本語教育で一大勢力をなしている。原和子先生が設立・主宰。実は原先生は、僕の日本語教師人生で「初恋の人&片想いの人」なんですね(照)。1990年頃、ひょんなきっかけで日本語教師なるものがあることを初めて知り興味を持った。それから当時富山市堤町にあったYMCA(現在は富山駅近くに移転か)の「日本語教師養成講座」(小西光子先生)に半年くらい(合計60時間程度なんだろうか)通った。小西光子先生(現在は金沢ご在住)が「トヤマ・ヤポニカ」を立ち上げられるということでそこに加わり、3年弱そこで活動した。僕が日本語教師を自称する/できるようになって、これで約10年なので、ここまで述べたことは「わが日本語教師人生前史」とでもなるでしょうか。
原和子先生は今もそうですが、1990年代の富山県内日本語教師のビッグネーム(もうお一人のビッグネームは小西光子先生です、当時の僕の理解では)。確か富山医科薬科大学で教えておられたように記憶する。富山県内の日本語教育草創期から現在まで原先生はご活動されている。先生のお人柄や行動力や教授法などについて風の噂で聞くにつれ、まぁ照れくさいのですが^^前述の「初恋の人&片想いの人」になっとったちゅうわけです(大照れ)。先生に直接お会いしたのは90年代後半になると思う。お声をかけたかったのだけど、どうも高嶺の花で遠くから眺めてた(核爆)。お声を初めてかけたのは5年ほど前になるかなぁ。自分、めっちゃ緊張してたんで何を話したか忘れてます(恥)。その後もときどきお目にかかってますが、原先生はいつもお忙しい方なものでゆっくりお話したことはない。昨年だったか大胆にも年賀状を出した。中学生時代に吉永小百合にファンレター出して以来の勇気がいったかもしれん(激爆)。お返事、吉永小百合もそうじゃったけんど^^原先生からもなかった。原先生にコクれないまま今日に至ってます(激爆)。でもいつか原先生のようになりたい・少しでも追いつきたい、って思い(それが初恋の人&片想いの人の意味)、きっと死ぬまで続く。
日本語教師会ゆうゆう」は原先生の下に結集された日本語教師集団、実力者揃いです。ゆうゆうの方とは研修会や勉強会やイベントでお会いするのですが-記憶アホなんで、お名前・お顔、なかなか覚えられません。ごめんなさい-、ご発言を聞いてると「なるほど」と思うことしばしば。富山国際学院の14人(新年度から1人増えた)の中に僕が知るだけでも4人のゆうゆう出身の教師がいるという一事をもってしても、ゆうゆうが実力者集団だということがおわかりいただけるだろう。

さて今日の研修会。
第1部が「-みんなで考えよう-『いまさら聞けない日本語の教え方』パネルディスカッション」。山田幸雄さんが問題提起され、パネラーはゆうゆう所属の西田さん・石黒さん・夜久さん・宍戸さん(漢字間違ってたらごめんなさい)、司会進行は山﨑真理子さん。ボランティア日本語教師を馬鹿にする「自称プロ日本語教師」が時々いますが、とんでもない、皆さんよく勉強され活発に発言される。日本語学校とも重なる悩み・困難もあるので随所で傾聴させていただきました。
第2部は「-教えて!-『どうしてそんなに上手になったの?』日本語学習者に聞く」。高岸正艶さん(中国ご出身。2005年4月来日)、朱仲安さん(台湾ご出身。2006年3月来日)がゲストで原先生が聞き手。前回の研修会でも日本語学習者の生の声が聞けた。今回も日本語学習法など参考になることが多かった。自分なりの学習スタイルを身につけることの重要性、教師の果たすべき役割、身近に学習支援者を見つけることなど、日本語教師として頭でわかってることでも、こうやって生の声を聞くことで僕の反省&ステップアップにもなるんですよね。

今日思いがけないことがあった。司会の山﨑真理子さんが僕のテーブルにいらっしゃった。僕は山﨑さんは存じ上げてたけど、山﨑さんが僕をご存知だったことにまず驚いた。更に彼女の「今年6月に何か話していただけないか」というお申し出に驚天動地だった。15年ほど前「トヤマ・ヤポニカ」2年目だったか養成講座で講師をしたのだけど、あれは今思い出しても顔から火が出るような恥ずかしい思い出。以来、人前で日本語教育についてエラソーに語ることは努めて避けてきた。第一3人以上の前でスピーチするのちょー苦手っすもんね、ボク(恥)。「話し上手」は無理なんで、「聞き上手男」目指してます、僕。
そんなボクですが、山﨑さんのお話を伺っている内に「その気」になってきちゃったんですね(爆)。きっと乗せ上手なんでしょう、山﨑さんは。①富山国際学院に4人ものゆうゆう出身の日本語教師がいることへのご恩返し、②山﨑さんがこのブログをご覧になっているとのことでそのお礼(こないだの読売新聞柳沢記者もそうでしたが、ブログのことを出されると、僕は弱い^^)、③原和子先生が日本語教師奥村の初恋&片想いの人だということ、の3つを考えて「来年6月ならいいです」って答えた。15か月あってもどうにもならんかもしれないけど、準備期間中、あれやこれやメモしとこうと思っています。はてさて、どうなりますことやら。

原和子先生、山﨑さん、皆様
今日はありがとうございました!
これからもよろしくお願い申し上げます。

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by tiaokumura | 2008-03-29 20:43 | 日本語教育 | Comments(2)

加藤恭子編『私は日本のここが好き!』

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加藤恭子(1929-)編
私は日本のここが好き
出窓社
2008年2月26日 第1刷
1500円+税

日本人ほど『日本人論』が好きな国民はいない」とか。この本、注文するには面映いタイトルですが、ここは素直に博文堂さんに注文し先日届きました。編者の「あとがき」によると、本書の元になったのは『文藝春秋・特別版』平成18年8月臨時増刊号の『私が愛する日本』中の「私は日本のここが好き!」(副題「外国人52人が語る」)だそうです。
本書を読む前から知ってた人は、王敏、金美齢、ピーター・フランクルの3人。
王敏(1954-。中国)は彼女の宮沢賢治研究を通して知った。王は重慶の四川外国語学院大学院在学時、石川一成・黄瀛(オウエイ。エイは手書き入力パッドで入力。間違ってたらごめんなさい)の両先生と出会い賢治研究に導かれる。その後、国費留学生として宮城教育大学に学ぶ。王は例えば「優れた感受性とやさしさと素朴さ」(p.36)を挙げています。
金美齢(1934-。台湾)はJET日本語学校理事長。今はどうなのだろう、かつてはTVのワイドショーのコメンテーターも。金は例えば「人間の約束事に対する信頼関係とか遵法精神」(p.93)を挙げています。
ピーター・フランクル(1953-。ハンガリー)は数学者・大道芸人。ご存知の方も多いでしょうね。フランクルは例えば「日本人の宗教のなさ、宗教に対する穏やかな態度」(p.160)、「協力して仕事を成し遂げようとする姿勢」(p.163)を挙げています。

30を超える国・地域出身の54人がそれこそ異口同音に語る「日本のここが好き!」を読んでいると、日本人としてやはり面映い。ほとんどのインタビューが日本語で行われているのは、日本語教師として嬉しい。
だが、
1)彼ら・彼女らが挙げている「ここが好き!」の多くが今急速に日本から失われつつあること。
2)編もうと思えば、ここに収められた何百倍・何千倍もの「私は日本のここが嫌い!」(日本への呪詛)があること。
は忘れてはならないだろう。
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by tiaokumura | 2008-03-28 12:18 | | Comments(0)

特定非営利活動法人富山国際学院 設立趣旨書

昨日3月25日、富山県庁男女参画・ボランティア課に平成19年度の事業報告書などの提出に行ってきた。2005年9月12日に認証を受けた「特定非営利活動法人 富山国際学院」の設立趣旨書は、学院長の岸井さんのお薦めもあって主に僕が作成にあたった。作成にあたっては次のことに留意した。
①「~的」「カタカナ語」の使用を最小限にとどめる。
②読点・段落に配慮し、日本語として論旨明快かつ格調高い散文にする。
③主語(主体)を明確にする。
④他言語に翻訳可能な日本語にする。

設立趣旨書の「5つの責務」はいまだ充分果たしえていないが、初心を忘れないためにもここに掲げておこうと思う。これを書いてから2年半経つ。青臭い稚拙な部分もあるが、趣旨書に述べた状況分析は、めまぐるしく変化する今日にあっても決して古びていない(それは残念かつ悲しいことにもなるのだが)。

設立趣旨書
北陸地区初の日本語学校として1992年7月に富山国際学院が開校して13年余になる。途中で廃校の危機に直面したこともあったが、スタッフの情熱と工夫、協力者の理解と支援により、今日に至っている。
私たちは、日本の高等教育機関への進学を目指す就学生、富山県内の企業・自治体の外国人就業者、日本人を配偶者とする外国出身者、日本語・日本文化に関心を抱く外国人、県内在住の外国人子女などに対する日本語教育経験がある。そんな日本語学習者たちにほぼ共通することが2つある。1つは、質の高い日本語教育を受けたいという欲求が強いこと、もう1つは、日本語習得の度合がそのまま夢の実現と生活の安定に結びついていることである。
私たちの携わる日本語教育においては、優秀な日本語教師の不足・日本語学習者の在日生活の困難・日本及び日本語に対する魅力の減少など、その現在と未来は必ずしも楽観できるものではない。
このような状況認識の下で、今、私たちは「特定非営利活動法人富山国際学院」として出発しようと思う。私たちの組織は、私たちに課された以下の5つの責務の実行を目指すものである。

1)質の高い日本語教育の提供
「質の高い日本語教育」は日本語学習者(以下「学習者」)の権利であり日本語教師(以下「教師」)の義務でもある。私たちは、自らの能力・体力の限界を口実にはせず、学習者のさまざまなニーズや異なるレベルに応えられる受入れ体制・カリキュラムを準備し実行しなければならない。
と同時に、組織の核である教師が安心して活動に専念できる、安定した経済基盤の供給に努めなければならない。
2)教師の資質の向上と自己研鑽
私たちは、学習者の性別・年齢・母語・宗教・文化背景などに偏見を持たず、教師として高度な教育技術・能力を身につけなければならない。
そしてまた、私たちは想像力と好奇心を持続し、学習者より日本語能力が高いこと以外に生身の人間としての魅力・識見を身につけなければならない。
3)学習者を取り巻く環境の整備
情報社会の進展にもかかわらず、無知・無関心・無理解に基づく「外国人」に対する偏見と差別は依然として深く根強い。私たちは、「外国人」であるというだけでいわれのない差別や偏見が存在する社会を拒絶し、学外に学習者への支援者・共感者を増やす努力を続けなければならない。
また、私たちと志を共にし共通理解を持つ個人・組織を発掘し育成していかなければならない。
4)日本語教育を共通部分とするネットワーク作り
日本人が好むと好まざるとにかかわらず、日本社会の国際化は進む。未熟微力な私たちは、私たちの活動に関連する個人・組織と、時間・空間の壁を超え、有効な関係を開拓し保持しなければならない。
ネットワークの広がりと充実は、私たちの活動をより強固にし、同時に、学習者の自己実現に大きな利益となるであろう。
5)日本語教育を通じての多文化共生社会の実現
言語を学ぶことは、同時にその言語の持つ価値観・発想に触れることでもある。私たちは、かつて日本語が侵略の手段として使われた過去の苦い経験を忘れてはならない。現在及び将来の日本語教育が、日本語の価値観の強制であったり学習者のアイデンティティを損なうものであってはならない。
私たちは、言語教育の持つ危険性を自覚し、学習者に対していたずらに日本社会への同化を求めず、互いの違いを尊重し認め合う多文化共生の道を探らなければならない。

私たちは、21世紀の日本語が学ぶに値する言語であることを信じつつ、地方の一小都市にあっても最良・最高の日本語教育が可能であることを世界に発信していきたい。

2005年9月 富山国際学院
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by tiaokumura | 2008-03-26 08:15 | 僕は学院長0年生 | Comments(0)

千重の一重も慰むる情もありや

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若い頃は、柿本人麻呂(660?-720?)は技巧に長けた長距離泳者くらいとしか考えず、せいぜい梅原猛『水底の歌』に夢中になったくらいだが、妻を喪ってから人麻呂を読み返してみると、彼の技法も修辞も彼の内面を歌うための必然の要請であり、その具体性に富んだ喪失心情の訴えは古今東西の詩人中第一等だと思うようになった。「歌聖」と呼ばれる所以が理解できる境遇に自分もようやく入れたのかもしれない。

・・・千重(ちへ)の一重(ひとへ)も 慰むる 情(こころ)もありやと 吾妹子(わぎもこ)が 止まず出で見し 軽の市に わが立ち聞けば 玉襷(たまたすき) 畝傍(うねび)の山に 鳴く鳥の 声も聞えず 玉鉾(たまほこ)の 道行く人も 一人だに 似てし行かねば すべをなみ 妹(いも)が名喚(よ)びて 袖そ振りつる

3月25日が特異日というわけでもないだろうが、今朝も5年前と同じくよく晴れわたった穏やかな朝である。5年前は「なんと残酷な朝か」と思ったものだが、5年の歳月はそのような思いも徐々に溶かし「彼女にふさわしい天気なのだ」と思えるようになった。単にずるくなったに過ぎないといえばそれまでだが。
妻の死後、封印した場所もいくつかある。人麻呂にははるか及ばないが、そろそろ封印を解き訪れてみようかと思う。


記事中の人麻呂の歌(『万葉集』巻二207の一部)は
高木市之助・五味智英・大野晋 校注『萬葉集一』(日本古典文學大系4 岩波書店)p.117
に拠った。ただし、漢字は常用漢字に直し、適宜読み仮名をパーレンに付した。
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by tiaokumura | 2008-03-25 08:40 | 追悼 | Comments(2)

調査から着想 SF「ナチュン」人気(朝日新聞2008年3月24日付)

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富山国際学院、14日に卒業式、21日に午後クラス終了で、今日から春休み。僕の今週の出勤は火水木にしたので、今日は久々の平日オフ
朝8時少し前に起床。ずいぶん遅い。この間本屋でビジネス関係の本読んでたら社長の一日が出ていた。「社長出勤」なんて言葉がありますが、とんでもない、イマドキの社長は早起きで(各業種30人ほどの社長アンケートで、ほとんどが7時前に起床)、中には7時に出社って方も。僕は社長じゃないけど^^、4月からのフルタイム生活開始後は、11時半就寝・6時半起床の生活パターンにしようと思う。そんな規則正しい生活ってやったことないんでできるかどうかわからないけど(汗)。僕は朝は朝日新聞、夕方に北日本新聞を読んでいるのだけど、朝日に都留泰作准教授のことが出ていてビックリ。
家を出る前にTELいくつか。東京教育大学時代のサークル仲間のAH君が脳梗塞だかで倒れて入院中ってのを、1月ほど前だったか哲ちゃんに聞いた。もう退院してるかもしれないと彼の自宅にTEL。奥様が出られて、今は横浜の病院でリハビリ中とのこと。奥様に彼への伝言を頼む。昔、A夫妻が錦糸町だったかに住んでいたときに訪ねていったことがある。電気冷蔵庫ならぬ氷冷蔵庫を使ってたのが印象にある。A夫妻は確かフランスでも生活経験ある。この夏あたり戸隠でサークル仲間が集まれたらいいなぁと思う。
コクテール堂にコーヒー注文、県内に住む次姉に日曜日の件でTEL、PCのメモリー増量のTEL、とやま国際センターの中国語講座申し込み。プライベートでこんなに立て続けにTELするのは極めて珍しいこと。

郵便局に寄った後、富山国際学院に10時半頃着く。卒業生のこと・NPOのことでいくつか処理。それから富山大学に向かう。
卒業式は学外だったので、2月21日に成績を確認に行って以来になるかなぁ、富山大学に行くのは。自分が「大学4年生」っての放棄してたわけじゃないけど(爆)。
生協。プリンターのインク、ファイルを買う。生協での買い物これで最後になりそうなので「出資金」を返却してもらおうと申し出たら、印鑑がないとダメと言われた。とほほ。印鑑、持っていなかった。う~ん、また来なきゃなんないのかなぁ。編入学した時は「読書マラソン」にも申し込み、自分のポップが生協に飾られる日を夢見たけど(照)、本(5%引き。稀に10%引きなども)ほとんど買わなかったなぁ、生協で。教科書も2年間で5冊くらいで間に合ったか。生協では文具類・PC関連を買い、旅行の手配をした。1度だけ「テスト採点」のアルバイトやったけど、あれは生協ではなくクラスメートの高橋さんを通じてだった。
生協内にある床屋さんに行って卒業のご挨拶。編入学以来3回ここで散髪した。僕より(たぶん)年上のご夫妻でやってらっしゃる。散髪してる間、大学「紛争」のころの話・名物教官のこと・学生気質今昔など伺った。
特に用事がなかったのだけど、図書館にも行く。僕は卒論は、ほとんど手持ちの図書資料類で間に合ったので図書館はほとんど利用しなかったなぁ。演習やレポートでちょっと利用した程度。編入学した時は図書館を大いに活用しようと思ったものだが、借りた本、2年間で10冊くらいかなぁ(恥)。富山大学附属図書館は一般にも開放してるので、4月以降、時間があったら訪れてみようと思う。
人文学部教務課に行く。進路届けを提出し、駐車許可証を返却。3年次は構内駐車できず学外の駐車場を月5千円で借りた。4年次は構内駐車可になって助かった。学生証も失効するので返さなければならないのだろうけど、「思い出にしたいのでもらってもいいですか」と恐る恐る事務の女性に申し出てみたら「いいですよ。悪いことに使わないでくださいね」ってことでOK。学則違反になるかもしれないのでこうしてブログで公にしちゃいかんのかもしれんけど、「思い出」以外に悪用しないのでご勘弁を。2年間お世話になったことを感謝して教務課を出る。
7Fの言語学にも行こうかと思ったが、春休み中でだれもいないような気がして、やめた。

これで僕の「大学生生活」、終わり。生協の出資金もらうのまだだけど(爆)。約35年ぶりの大学生活、いろいろ経験できた2年間だったけど、王様ゲーム@合コンは経験できなかった(核爆)。
このブログのカテゴリ「僕は大学4年生」は、「僕は大学3年生」「卒業論文」に続き終了です。長い間のご愛読(?)、ありがとうございました。間もなく「僕は学院長0年生」を開始しようと思っていますのでご期待ください(爆)。

写真、今朝の朝日新聞全国版都留泰作准教授の記事。記事は「篠遠肇」の署名入りで
調査から着想 SF「ナチュン」人気
准教授で漫画家 富山大・都留さん

という見出し。書き出しが
富山大学人文学部の都留泰作准教授(39)のもう一つの顔は漫画家だ。
都留ファン(照)としては目新しい内容はあまりないのですが、先生が生物学から人類学へ転向されたのは
・・・生命を分子などのミクロの視点からとらえることに戸惑いを感じ・・・
とか
アシスタントはおらず、書くのは夜や週末だ。好きな漫画家は大友克洋・・・
に「なるほど」と思った。ボクが先生に第3巻にサインしていただいたのは21日で、この記事の取材はそれ以前でしょうから、
「・・・義理かもしれませんが、サインをくださいという学生もいますが
ってとこの「学生」はボクじゃありません。「義理」でもないし(爆)。
記事末尾の先生のご発言
生命をめぐって宗教と科学は窮極で一つになると思う。そのあたりの展開を楽しみにしていてください
はい、ファンとして楽しみにしております、都留先生!
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by tiaokumura | 2008-03-24 09:04 | 僕は大学4年生 | Comments(0)

三島由紀夫も土方巽もいた時代

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先々週ご近所からフキノトウをいただきおみそ汁に浮かせて食した。先週はホタルイカの初物を釜茹でで食す。春、なんでしょうね。今週は新じゃがを塩茹でして食そうかしらん。個々人の泣き笑いとは無縁に自然の営みは続いていくのだろうけど、自然を破壊できるのも享受できるのも人間。

今日午前、「よみがえる三島由紀夫、展」に行く。
家を出て、オンボロ愛車にはカーナビなんてないんで途中路肩に車を停めて紙媒体^^の地図を見ながら目的地に向かう。いやいや、ボク、徒歩でも車でも方向音痴男なんっす(恥)。なんとなく車を走らせている内に、見っけました、「隠し文学館 花ざかりの森」の案内標識。館の前の駐車場に車を停め、周りの風景をしばし眺め館内に入る。杉田欣次さんと思しき方がおられたのでご挨拶。杉田さんに、この展覧会のことを取り上げたブログ記事を差し上げる。
杉田さんの三島コレクションを拝見。初版本・直筆原稿・映画演劇ポスター・写真類・新聞雑誌資料など。
三島の直筆原稿は、歌舞伎「芙蓉露大内実記」台本、スタニスラフスキーのことから始まる芸術エッセイの2種7枚。三島って僕は勝手に「悪筆」と思い込んでいたのですが、とんでもなかった。OKINAの400字詰め原稿用紙に、桝目いっぱい大振りのしっかりした読みやすい文字。加除推敲のあともはっきり残る。三島の字、わが畏友の宮崎健二君の字と似た達筆。
ポスターにはコッポラとルーカスの『mishima』も。初めて見た。三島役の緒方拳が正面に大きく、上下に英語表記で製作・監督・出演者らのクレジット。あとで杉田さんに伺ったところでは、映画『mishima』は日本国内では入手不可能とのこと。映画『憂国』のほうはDVDや全集最終巻で入手できるそうです。
「三島」への入口はいろいろあるのだろう。杉田さんの場合は、今回の展覧会の紹介新聞記事で読んだ気がするが『金閣寺』の吃音青年僧への共感だったか。僕はどうだろう。『潮騒』『金閣寺』あたりから入ったのだろうけど、それほど熱心な読者じゃなかった。21世紀初頭の今振り返ってみるに、僕の三島は『憂国』『英霊の聲』留まりになるかなぁ、三島ファンには怒られるだろうけど。
「隠し文学館」の「隠し」はポケットの意味もあるそうです。リーフレットを引用-
ポケットに入るような「隠れた小さな文学館」ということになります。
この文学館、今日3月23日でいったん閉館し次回は来年3月。今回の展覧会、充分堪能させていただきましたが、まだまだある杉田さんの三島コレクション、次回が楽しみです。
杉田欣次さま、ありがとうございました!
来春の次回も観覧に伺わせていただきます。


昨日3月22日午後は、富山県立近代美術館「戦後美術の断片 昭和は遠くなりにけり」に行ってきた。
同美術館の大岡信・瀧口修造らの眼で選ばれた収蔵品から、昭和36~47年頃の平面・立体を展示。展示作品が多いのは亀倉雄策・永井一正(同美術館はポスターコレクションでも有名)らですが、曼荼羅の前の前田常作、金山康喜(「生物J」1958)、30代初めの草間彌生(「無限の網」1960)、靉嘔(「Rainbow Landscapes」1964)、横尾忠則(6点?)などなどもある。今回の目玉は岡本太郎「明日の神話」(132.0×537.0 キャンパス・油絵具 1968年)だそうです。他に、茶の間・新聞など。
22日に行ったのは、展示もさることながら、土方巽の映像記録を見るため。飯村隆彦(1937-)の作品で同展のリーフレットに拠れば
土方巽の舞踏「あんま」(昭和38年)、「バラ色ダンス」(昭和40年)の舞台に、飯村本人が舞台にカメラを持ち、自由に移動しながら、また様々なカメラワークによって撮影したもの。
だそうで、僕は初めて見たフィルム。この上映会を企画したのはどなたか知らないが、よくぞ土方巽暗黒舞踏を取り上げたものだと感心する。
僕が持っている『芸術新潮』1998年3月号の特集「世紀末に降臨する舞踏の”魔人”土方巽」の元藤燁子(1968年に土方と結婚)・大野慶人(父は一雄)対談に「あんま」のことも出てくる。
同対談には、この頃土方たちは公演資金を稼ぐためにキャバレー回りなどもしていたことや、稽古場近くの目黒鉱泉でお婆さんたちが三味線や民謡をやってたことが出てくる。以下、一部省略しつつ引用。
元藤 「今度、草月会館というところで踊りの会をやるんだけど、伴奏してね」って頼んだんです。・・・始まってみると汚い男たちが暴れまわるでしょう。怖くなって・・・帰ろうとするんです。その襟首を土方がつかまえて「帰さない、帰さない!」と怒鳴っている。私は、しょうがないから「最後までいてくれないとお金が払えないの」と騙し騙し(笑)。
確かにフィルム中で素人のお婆さんたちが落ち着かない表情で三味線弾いてる。土方が襟首つかまえてるシーンはありませんでしたが(爆)。
もう1箇所引用。
大野 ・・・「あんま」の時、僕らは身体中に石膏を膠で溶いて塗っていたんですが、稽古でもそれをやるんです。夜中の稽古なんか石膏に体熱がとられるし、剥がすときは毛がむしりとられてつらかった。しかし、石膏で固めた身体からしか生れない動きが欲しいわけですから、稽古のときからしないと駄目なんですね。だけど本番でしかやれないこともあった。ケーキにむしゃぶりつきながら駆け回るとか。ケーキは贅沢品でしたから(笑)。
確かにケーキにむしゃぶりつくシーン、出てきます。僕も5日ほどですがバイトで暗黒舞踏に参加したとき、石膏ではなかったのでしょうが全身白塗りになりました。
飯村隆彦の作品(彼の造語で「シネ・ダンス:フィルムによるコレオグラフィー」)は実におもしろかった。ただ、バックの音楽がいただけなかった。前衛音楽ってやつなのだろうが、映画観賞の邪魔だった。案内リ-フレットに「平成19年に足立智美の前衛的な音楽を納めた完全版」とあって、(たぶん)後付と納得。次回は無声でいいから音楽なしで観てみたい。ごめんなさい、足立智美さま。

三島由紀夫(1925-70)と土方巽(1928-86)、どちらも『広辞苑 第六版』に人物紹介がある。二人にはいくつかの接点がある。
1)1959年、土方は(たぶん)三島に断らず三島の『禁色』を創作舞踏。当代人気作家の三島、どこの馬の骨ともわからん野郎の無礼に怒ったでしょうが、その間の三島の反応、僕は知らない。片や東京生まれ・東大出、片や秋田生まれ・高卒。普通なら三島激怒、下手すりゃ裁判沙汰にもってとこでしょうが、あるいは三島、3歳年下の舞踏家に何か感ずるところがあったのかもしれない。
2)三島は『薔薇刑』(1963)、土方は『鎌鼬』(1970)と、両者、細江英公(1933-)による写真集がある。細江は前者で日本写真批評家協会作家賞、後者で芸術選奨文部大臣賞を受賞している。
3)澁澤龍彦(1928-87)ら共通の友人知人がいる。
だが何といっても重なり合うのは「燔犠大踏鑑」。命名は高橋睦郎、ポスターは横尾忠則で題字を三島由紀夫が書いている。土方と三島の最初で最後のコラボになるのだろうか。
土方は三島の最期をどう思っていたのだろう。三島の死とはおそらく関係ないのだが、土方は自ら踊ることは1973年にやめる。そして弟子の和栗由紀夫・芦川羊子・麿赤児・笠井叡・田中泯ら若き才能の育成・開花に励み、1986年1月21日死去。享年57歳。
土方夫人の元藤燁子が土方を記念して設立した「アスベスト館」、存続が危ぶまれているという記事をネットで読んで心配していたのですが、現在は慶應義塾大学に引き継がれているようです。「土方巽アーカイヴ」。土方と慶応大ってどんなつながりがあるのか知りませんが、土方の業績がこうして残されているのは嬉しい。
三島と土方が直接に交差したのは1959~1970ということになるだろう。その時期に少年期・青年期を生きることができた僕は幸せ者だと思う。


1)今回の記事は
隠し文学館 花ざかりの森」のパンフレット・展示資料類
『芸術新潮』1998年3月号(新潮社)
などを参考にしました。
2)「隠し文学館 花ざかりの森」のホームページはこちら
3)慶應義塾大学「土方巽アーカイヴ」のホームページはこちら
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by tiaokumura | 2008-03-23 11:04 | このブログのこと | Comments(2)

富山大学卒業(5)

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(3月22日午後・記)
名鉄トヤマホテルでの祝賀会、いろんな先生と歓談なども。
小助川貞次先生と乾杯・歓談。06年前学期の「日本語学講読」を受講。僕の「初レポート」は小助川先生だった。先生は昨春の藤本幸夫教授・最終講義の際に司会をなさった。小助川先生はこのブログの確か「富山市教委の中学選択制」を批判した記事だったと思うが、コメントもいただいている。そのコメントの「小助川」の署名を見て「ひょっとして富山大学の小助川先生かも」と思ったけど、確かめる機会がなく不明なままだった。小助川先生、またいつかコメントをお寄せください(照)。
二村文人先生とも歓談。06年後学期「日本文学特殊講義」受講。先生の授業では「西鶴」を読んだ。先生は呉人恵先生と「ヤッホー仲間」(謎爆)で、小助川先生も二村先生も昔風に言えば「国語国文」畑(今は「日本語学」とか「日本文学」とかか)なので、僕の東京教育大学時代の単位認定にはお二人の先生(あるいはどちらか)にご尽力いただいたのではないかと思う。
他に、立川健治先生(06年後学期「日本文化講読」)・末岡宏先生(06年前学期「国際文化概論」)・和田とも美先生(06年前学期「朝鮮言語文化概論」)ともお話がしたかったのだけど、席が遠かったり、すれ違いだったりして、実現しなかった。残念。
写真、都留泰作准教授(06年後学期「文化人類学特殊講義」)と。このブログでも何度か記事にしてますが、都留先生は『ナチュン』(講談社・アフターヌーンKC)の作者。准教授兼コミック作家だからすごい。僕が用意していた筆ペンで第3巻に署名していただいているところです。先生は照れくさそうでしたが、キャラ絵と独特の書体での「都留泰作」のサイン、そして「奥村さんへ」とも。家宝になるかも(爆)。
僕の卒業は当然、呉人恵先生を始め諸先生のおかげもある。感謝したい。

以前、動物行動学関連で読んだんですが、「2:6:2」の法則。アリの話だったと思う。アリの集団には2:6:2の割合で働きアリと普通のアリと怠けアリがいるそうです。そのこともおもしろいですが、もっと興味深いのは、働きアリだけの集団を作っても、また2:6:2で働きアリ:普通のアリ:怠けアリになるし、怠けアリだけの集団を作っても、やはり同じ構成比の集団になる。確かそういうような話だった。アリじゃなくハチだったかもしれません。
何が言いたいかというと、いろんな社会集団にもこの「2:6:2」って当てはまるんじゃないかってこと。大学教官って言えば学問のエリート集団。学部を出て院も出て、専門分野で勝ち抜き、中には海外留学も経験し・・・。「学びアリ」「専門分野ではプロ」の集団。で、「富山大学教官」という集団を考えた場合、そこにはやはり「いい教官:普通の教官:悪い教官=2:6:2」ってのあるんじゃないかと思う。多くの大学・大学教官が今求められている研究・教育・地域貢献の中で、僕は「教育=授業」を通じてしか教官評価わからないのですが、教育力(授業力)という点で「評価」させていただくと、この2:6:2の法則が当てはまるような気がする。20人くらい学んだ教官の中に、確かに4人、「悪い教官」と僕が判定せざるを得なかった方がおられる。僕なんか遥かに及ばない頭脳の持ち主・高学歴の教官集団。う~ん、「授業力」、もっとつけてくださいね。
翻って、わが言語学コース卒業生、ちょうど10人。「悪い学生」の2人、ボクともう1人誰になるんじゃろう(激爆)。

21日は富山国際学院のことは忘れて「卒業」だけと思ってたんですが、そうは問屋が卸さない(爆)。祝賀会中に、先週卒業した旧B組学生から「先生、入学許可書、まだ届かないんでビザ変更できません」とか「先生、進学先の大学から届いた案内、よくわかりません」とかケータイに入る。仕事と勉学、最後の日まで両立でした(照)。

(3月22日夜・追記)
小助川貞次先生のコメントは、この記事にあります。
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by tiaokumura | 2008-03-21 15:37 | 僕は大学4年生 | Comments(0)

富山大学卒業(4)

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(3月22日午後・記)
人文学部学位記授与式の後、引き続き名鉄トヤマホテルの4F別室で人文学部同窓会主催の祝賀会
テーブルに着いてたら、見知らぬ女性がやって来た。何のことかと思ったら「同窓会費、払うように」とのこと。ボク、同窓会入会するつもりないんで、編入学時に同窓会費払わず、その後何回かの督促も無視してた(恥)。会費1万円、払えない額でもないんだけど(ホントかな^^)、なんとなく払わないで来た。で、今回もやんわりとお断りした。母校愛ない男ってことになるんだろうなぁ。祝賀会は同窓会主催なんで、「同窓会費払ってないんで退席しましょうか」といささか児戯めいた申し出をその女性にしたら、「祝賀会会費は別途いただいている」とのことで、そのまま会場に居残る(居座る^^)。そういえば確か3000円か4000円、卒論の口頭試問の時に呉人教授に払ってた。

写真、19日の追いコンにも午前の卒業式にも出てなくて心配してたさやえんどう(同期編入学)も間に合って、全員で記念撮影。
前列左より
坂木さん、佐々木さん、遠藤さん、呉人恵教授(言語学)、田村さん、新保さん
後列左より
三上さん、粕谷さん、中国人留学生(修士修了)、同、高橋さん、山﨑けい子准教授(日本語教育学)、僕、石原さん
坂木さんは岐阜県、佐々木さんは秋田県、遠藤さんは首都圏、新保さんは新潟県でそれぞれ就職。他の6人は富山に残る。意外と富山組が多い感じ。
フランス語のことわざに
Qu’il est facile de se quitter, difficile de se retrouver!
「別れるのは簡単だが、再会するのは難しい」というのがある。「会うが別れの始め」ともいう。「また会おうね」とは言いたいが、こうしてみんな揃うのはこれが最後なんだろうな、きっと。彼女ら・彼らにはまだ40年・50年・60年・・・と歳月が待ってるけど、ボクなんかあと○年じゃもんね(汗)。+40したら、百歳超えちゃうもんね(核爆)。みんなより先に逝くのは確実っす(照)。
僕の人生では2年間という短い期間だったけど、クラスメートだった彼女ら・彼らに深く感謝したい。
授業についていけるか、周囲に受け入れてもらえるか-僕の2年間の富山大学生活の最大の課題だったが、クラスメートのおかげで無事卒業にこぎつけた。
ありがとう、みんな。みんなのこれからの人生が実り豊かなものでありますように。「お金」はダメっぽいけど(恥)、それ以外で相談事あったら遠慮せんと「ひげっち」まで。
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by tiaokumura | 2008-03-21 15:14 | 僕は大学4年生 | Comments(4)