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呉人恵教授・謝恩会@ル・ポワソニエ

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(3月1日夜・記)
2月29日、ガイドボランティアの古市さんに別れを告げ、富山国際学院B組の学生と12:01岩瀬浜発ポートラムに乗る。予想外に混んでいる。ポートラム、全国的にも注目されている。ただし、こないだの朝日新聞の「市電ランキング」の1位は広島市で、うちんとこはランキングに入ってなかった(怒)。詳しくは知らんけど(恥)、ポートラムって環境にも利用者にも優しいスグレモノなんだぞ、とパトリオットおくむらは叫んでおきます(核爆)。
12:25富山駅北着。「先生、昼ごはん・・・」って学生たちの声を振り切ってボクは富山駅南口へ向かう。「・・・」の部分、「ご馳走してぇ」です、きっと(爆)。今回参加のB組学生12人、僕は去年4月に初めて教えたのですが、彼ら・彼女ら、ずいぶん図々しい素直な学生に育ったものです。
富山駅南口で粕谷さん・三上さんと合流。さっきまで「先生」してたボク、今度は「大学4年生」するんです^^。僕が幹事で、卒論指導していただいた呉人先生の謝恩会を企画。呉人組は4人。場所は迷わず「ル・ポワソニエ」にしました。このお店、僕が15年ほど前にフランス語を勉強してた時の田中啓子先生に教わりました。その時のクラスでここを利用した時、僕はあいにく都合がつかず欠席。僕にとっては初めて入るお店。

3人、1時前にポワソニエ(フランス語で「魚」)に着く。予約してたのでドア付きの個室に案内される。シニアソムリエの武田眞知子さんがご説明。シニアっても年齢からじゃなく^^「上級」「ベテラン」の意味(たぶん)。ソムリエの女性形、武田さんに聞いたけど忘れました(汗)。ま、シニアソムリエ、でいいんでしょうね。武田さんはその道では有名な方で一度お会いしたかった。
呉人先生ご到着。高橋さん(呉人組4人の一人)は少し遅れるとのメールが入ったので、先生+呉人組3人で食事を始める。前菜は「能登カキと・・・柚子風味」「フクラギの・・・」から1品、主菜は「・・・」と「ほろほろ鳥・・・」から1品、それぞれ選ぶ。「・・・」の部分、武田さんが丁寧に説明されたのだけど、なんせフレンチなんてこれまでの人生で数えるくらいしか食べたことのない男なんで、よう覚えとらん(激爆)。ちょっと迷ったけど、僕は魚+肉の組み合わせを選びました。呉人先生は「能登カキ・・」と「・・・」の組み合わせ。実際にはお互いにお皿から少しずつ分け合って4種の料理味わいました(照)。飲み物は、粕谷さんと僕はグラスワイン。呉人先生と三上さんはソフトドリンク。ボクは、白、赤各2杯はのんだかなぁ。粕谷さんも同じくらい?。これならハーフボトルあたりにしといたほうが良かったかも(爆)。パン+デザート盛り合わせ+コーヒー(デミタス)。高橋さんは僕たちが前菜食べ終わる頃から参加。
1時から2時半過ぎまで、呉人先生を囲みおしゃべり&ランチ。優雅かつ楽しい一時でした。武田さん、プロだから当たり前と言えば当たり前なんでしょうが、料理やワインの説明、場を見てのホスピタリティ、入退室時の対応など、さすがでした。

呉人恵教授に僕が初めてお会いしたのは05年9月だったかの編入学試験面接。次は、入学式のあと先生の研究室で粕谷さん・三上さん・僕がガイダンスを受ける。先生には東京教育大学時代の単位、編入生の限度一杯の22単位を認定してもらうためにご尽力いただいた。先生の授業は2年間で「言語学概論」「言語学特殊講義」「言語学演習」など5つ取ったかなぁ。言語学のイロハ、コリャーク語のフィールドワーク、言語学者ハリントンの逸話、ネィティブアメリカンの言語、主語・主格・主題、恩師の宮岡伯人先生の思い出、日本語学習者の日本語習得など、幅広くいろいろ学んだり伺った。一番おもしろかったお話は「岩波文庫」のこと。これは何かと言うと、先生の山梨県での少女時代のこと。口に左右の手の指を差し入れ、唇を左右に引っ張って「岩波文庫」って発音する。すると・・・そうなんですね、実際にやってみてください(激爆)。
先生には卒論指導もしていただきました。無事2年で卒業できるのは呉人惠教授のおかげも大。

呉人恵先生、在学中はいろいろご指導・お世話いただきありがとうございました。
卒業後もよろしくご指導・ご鞭撻のほどをお願い申し上げます。

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by tiaokumura | 2008-02-29 14:23 | 僕は大学4年生 | Comments(0)

課外活動(3)展望台

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(3月1日夜・記)
森家を出る。通りは旧北国街道。往時、この街道筋で多くのドラマがあったことでしょうね。愛・別れ・繁栄・凋落・投機・火事・冠婚葬祭・・・。
街道(大町新川町通り)から横道に入り、森家土蔵。この土蔵には現在、酒店・そば屋・ガラス工房・陶芸工房などが入居。
富山港展望台に着く。琴平神社の境内にある常夜燈を模した展望台。中にはエレベーターはなく、階段を自分の足で上らなければならない。学生の一人が「先生」とおんぶのポーズをとったけど、「わしゃ、ジジイじゃないわいっ」ってプライドもあるので(嘘爆)、自力で上る。学生たちに遅れること8分強(恥)、最上階にたどりつく。息切れ甚だし(激爆)。
展望台から見る岸壁には、ナンバープレートのないたくさんの乗用車。船でロシアに運ぶ中古車群。古市さんのご説明によると、この港からは中古車がロシアに、鉄くずが中国に輸出されてるとのこと。鉄くずは、北京オリンピック前の中国のビル建設に使われるそうです。
展望台、去年は曇りで見られなかったのですが、今日は立山連峰を望み見ることができました。「先生、立山どれ?」って学生に聞かれたけど、答えられなかったおバカなボク(恥)。
古市さんを真ん中に記念撮影。ん、学生11人しかおらん。道中、何回か迷える子羊たち^^12人(ちょっと目を離すとおらんよーになってしまう^^)を確認してたはずなんに・・・。いや、一人、反対側にいました(爆)。

展望台を出て再び街歩き。七福亭(岩瀬名物「飛び団子」の店。季節限定とかで閉まってた)、松月(高級割烹旅館。シロエビ料理を開発とかですが、僕がここで食べることはないでしょうね、料金が^^)など。学生たちが興味を示したのは、何軒かの店に干してあった魚。イカやカワハギやゲンゲなど。見慣れない光景でおもしろかったんでしょうね。あと、ある店先に置いてあった「サトイモ」に、ネパール人学生の一人が異常な興味を示してました。里芋ってふるさとネパールで特別なんでしょうかねぇ。東京では外国人観光客が増えていて、彼ら・彼女らは、日本人が思いもよらないような商品・景色・イベントなどに興味を示すとか。岩瀬、ここ数年富山県の人気スポットになってるんですが、ひょっとして外国人ツアー招待すると、人気沸騰かも(爆)。
富岩運河沿いに歩き、岩瀬浜駅に12時頃到着。電車待ち時間、古市さんにゲンゲシロエビのお話を伺う。古市さんの子どもの頃は、シロエビは干して赤く着色して売ってたそうで、現在の別称「富山湾の宝石」からは想像を絶する話。ゲンゲ、わが家ではみそ汁の具にすることが多いのですが、古市さんに別の食べ方も教わった。いつか試してみよう。先日の富山湾の「寄り回り波」、岩瀬の方にも及んだそうです、幸い大した被害はなかったようですが。

古市義雄様、今回もガイドボランティアをしていただき、
ありがとうございました。
来年もお願いすると思いますが、
その節はよろしく願いします。

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by tiaokumura | 2008-02-29 11:07 | 日本語教育 | Comments(0)

課外活動(2)森家

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(3月1日夜・記)
富山駅北口でポートラムに乗車し、9:36東岩瀬下車。昨年に続き今回もガイドボランティアをお願いした古市義雄さんがお出迎え。B組学生、簡単に自己紹介のあと、岩瀬探訪開始。
まずは岩瀬小学校。校門の外で、岩瀬小の歴史・からかさの松のことなどを古市さんから伺う。岩瀬の町は350年の歴史があるそうです。岩瀬小も130年だかの歴史。
ついで舛田酒造店(「満寿泉」は全国に轟く銘酒)、丹生庵(いつか食べてみたいと思っているそば処)を見ながら、森家へ。
森家の前に立ったら、我々の到着に気がつかれたんでしょうね、館長の米田さんが表に出て来られて、ご説明開始。写真、B組学生が熱心に米田館長のお話に耳を傾けているところです。
森家は北前船回船問屋。岩瀬大町通りにある回船問屋群の中でもビッグな回船問屋。国指定重要文化財。リーフレットから引用。
日本海で活躍した北前船(岩瀬ではバイ船という)による交易は、幕末から明治にかけて東岩瀬港は最盛期であった。北前船主は主として北海道、上方とさかんに交易し、東岩瀬に多くの富と文化をもたらした。
回船問屋は金儲けだけに走ったんじゃないんですね。鉄道・消防などのインフラ整備に資産を提供し、あるいはまた、馬場ハルさん(馬場家)は現在の富山大学の前身の設立に多額の資金を提供。明治時代と比べてもしょうがないのかもしれないけど、今は「回船問屋」のような巨額の運用金を持つ会社は少ないにしても、経営者の中に「志ある活動」に取り組む人が少ないことは残念。

森家の中に入って、米田館長のご説明を伺う。米田館長は僕が密かに「岩瀬の綾小路きみまろ」と名づけてる方で^^、その名調子は名人芸。学生たちもご説明に堪能し、時にはチャチャも入れてました(爆)。去年4月と比べると、彼ら・彼女ら、ずいぶん日本語力進歩したもんだと実感。
今回の森家観覧料、古市さんのアドバイスで富山市生涯学習課文化財係に申請し、学生12名+引率1名、全額無料でした。関係各位に感謝、です。
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by tiaokumura | 2008-02-29 10:09 | 日本語教育 | Comments(0)

課外活動(1)ポートラム

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(3月1日夜・記)
富山に国際ギャング団現る
じゃあなくって(大汗)
2月29日富山国際学院2007年度B組課外活動実施。
写真をこうして見ると担任のボクによう似て、なんか不敵な面構えの面々です(爆)。出身国で言うと、ネパール5人・中国3人・ベトナム2人・パキスタン2人

富山国際学院では、卒業クラスは2・3月に何回か「課外活動」を行う。今年度B組はなかなか進学先が決まらず取り組みが遅れ、2月末日にようやく1回目の課外活動「ポートラムに乗って、岩瀬探訪」を行う。学生に、立案→ネットなどで事前学習→当日はデジカメやメモ→後日プレゼン→お世話になった方への礼状書き、とすればそれはそれで立派なプロジェクトワークになるのでしょうが、なまくら+ダメ教師のボクは、「みんなでのんびりまったり過ごそう」気分でこの課外活動を企画。
9時、富山駅北口集合。驚いたことに、9時少し前に僕が到着すると既にほとんどの学生が来てた! 以前だったらだいたい遅刻が3分の1くらい、中には「先生、忘れてました~」なんて翌日になって堂々とのたまう学生もいたものだけど、最近は時間通りに来る学生が圧倒的。手が掛からなくなったのだろうけど、やんちゃな学生が減ったってことでもあるので、ちょっぴり寂しい気もする。
こうして記念撮影したあと、ポートラムに乗車。ところが、引率教師としてカッコよくみなを引き連れて乗り込んだのはいいのですが、出発前に運転手さんに「これ東岩瀬に行きませんよ」って言われて急いで降りる破目に。「先生、2度目ですよ」ってしっかり学生にコケにされた(大汗)。何が2度目かと言うと、先日、B組の学生4人引率で受験に行ったとき、富山駅から目的駅と反対方向の電車に乗り込んでしまい、次の停車駅で慌てて下車し、寒い冬空の下、次の電車を待った前歴が、ボクにはあるんですね(大恥)。

9:14発のポートラムに乗って、いざ東岩瀬へ。
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by tiaokumura | 2008-02-29 09:04 | 日本語教育 | Comments(0)

49年ぶりのフランス人オスカー女優、誕生

第80回アカデミー賞、俳優部門4人とも欧州勢ってことで、アメリカ人の度量の深さみたいなの感じました。アカデミー賞は業界人の人気投票だなんてけなされることもありますが、でも「外国人4人に賞を出す」ってすごいことですよね。で、ジュリー・クリスティらと競って主演女優賞を獲得したのがマリオン・コティヤール(Marion Cotillard。邦題『エディット・ピアフ~愛の讃歌~』)。フランス人女優としてはシモーヌ・シニョレ(Simone Signore。59年『年上の女(Room at the Top)』(この映画でカンヌの女優賞も受賞)以来49年ぶりの快挙になるそうです。シモーヌ・シニョレっていました、確かに。戦後のフランス人女優って言うと、ブリジット・バルドー、カトリーヌ・ドヌーブ、ジャンヌ・モロー、アンナ・カリーナらが有名で、シモーヌ・シニョレはそれほどでもなかったけど、イブ・モンタンと再婚、モンタンがマリリン・モンローと不倫関係になったときには自殺未遂も。奇妙な符号というか、コティヤールは1975年9月30日生まれで、シニョレは1985年9月30日に亡くなっています。また、シニョレは社会問題、コティヤールは環境問題に関心(コティヤールはグリーンピースのメンバー)。
YouTubeにこないだからOscarsも入ったので、コティヤールも載ってるかと思ったのですが、彼女の受賞スピーチはまだのようで、バックステージの様子があるだけです。でも、YouTubeのOscars、例のMichael Mooreの「ブッシュ、ばかやろう発言」(爆)、全部見られます(blasting Bush)。ハリウッドってほとんど民主党支持者かと思ってたのですが、Mooreのスピーチに不快感を示す会場も映し出されてます。
で、コティヤールは受賞スピーチ、不慣れな英語でしたとのことですが、それはネットでも見つからず、mag2のメルマガ「初級フランス語講座」に出てました、フランス語版で。
J’ai toujurs eu de grands reves. Maitre Olivier Dahan, tu as bouleverse ma vie, vraiment. Merci l’amour, merci la vie. C’est vrai, il y a des anges dans cette ville.
私にはいつも大きな夢がありました。Olivier Dahanさま、あなたは本当に私の人生を大きく変えてくださいました。愛に感謝し、人生に感謝します。この街には本当に天使がいるんだわ。(訳―奥村)
「Olivier Dahan」(オリビエ・ダーン)は監督、「この街」はロサンゼルス(ハリウッド)。
受賞作のタイトル、フランス語原題はLA MOME、、英語題はLa Vie En Rose、そして日本語題は「エディット・ピアフ~愛の讃歌~」と三者三様なのはおもしろい。「バラ色の人生」もピアフの名曲だけど、日本人にはオードリ-・ヘップバーンが主演作の中で歌ってるイメージがあって、「バラ色の人生」とはつけにくかったのかも。でも、日本語タイトルも映画の内容一目瞭然で「名訳」ですよね。「愛の讃歌」も越路吹雪で日本で大ヒットしてるし。
全編外国語の映画での主演女優賞はソフィア・ローレン(61年『二人の女』)以来だそうで、もちろんフランス語版映画では初のこと。
コティヤールって、僕、彼女の出てる映画、見てるんですね。それはLuc Bessonの”TAXi”シリーズ。僕の記憶が正しければ、確か恋人役(Lili Bertnineau)で、パパは有力軍人。彼氏が事件に巻き込まれて彼女の家に行けないってTELしてきて、彼女、かなり際どい台詞^^言ってた。あの時はまだこんなすごい女優になるとは思わなかった。
受賞作の『エディット・ピアフ~愛の讃歌』ですが、そういうの上映って知ってましたが、実はボク観てません。まだ上映されてるのだろうか。DVDででもいいから観てみたい。
英語でlip-syncって言うんですね。映画中で歌ってるのはJil Aigrotでコティヤールはいかにも歌ってるように口を動かす。これってインチキでも不名誉でもないことで、オードリー・ヘップバーンの『マイ・フェア・レディ』だったか、ジュリー・アンドリュースだった。コティヤールは歌で勝負したんじゃなく演技で勝負した。30代の彼女が、10代から没年までのピアフを演じた。ネットのCNN、そのあたりこう書いています。
Pretending that Aigrot’s prerecorded vocals were coming from her own mouth was the major change for Cotillard, who spent long hours trying to capture Piaf’s expression and body language.
コテイヤールのピアフ観も、ネットのCNNから引用。
“That’s what was beautiful in her, the strong woman she was, and at the same time the little girl. The little girl who needs to be protected, to be loved, and more than loved, because I think when you’re abandoned, you will search for love all your life. And maybe you won’t find it, because you will never find your mother’s love.”

受賞以前から決まってたようですが、ジョニー・デップと共演だそうです。ますます人気が出そうなコティヤールです。
フランス人は自国文化を大切にし「アメリカ何するものぞ」ってとこあると思いますが、今回のアカデミー主演女優賞の受賞、どういうふうに思ってるんでしょうね。素直に喜んでるのか、あるいは「なんだ、あんな賞」なのか。ちょっと知りたいですよね。

LA MOMEのフランス語公式サイトはこちらLa Vie En Roseの英語公式サイトはこちらです。

(2月29日夜・追記)
マリオン・コティヤールの受賞スピーチ、YouTubeのこちらに出てます。
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by tiaokumura | 2008-02-28 23:58 | 映画 | Comments(2)

名古屋出張

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(2月28日夜・記)
おととい2月26日は、今年度3回目の名古屋出張。20代に1度くらいしか名古屋を訪れたことがないのに、わずか半年くらいの間に3回も名古屋を訪れたんですから、人生っておもしろいと言うか不思議。
26日、前夜準備でバタバタして遅くに眠りに着いたせいか、自慢の^^脳内目覚まし時計4:30amにセットしておいたのにちと狂ってて、2:30に一度目覚めてしまう。眠り直したら今度は3:30にまた目が覚める。もう1回寝たら4:30に起きられないかもしれない、こりゃヤバい、このまま起きてたほうがいいんじゃないかと思いつつうつらうつらしてる内に、でも4:30にちゃんと起きられました。安心。
5時前に家を出て、富山国際学院に車を置いて富山駅北口まで徒歩で。5:44富山始発の「しらさぎ2号」に乗車。ところが、車内放送で出発が7分ほど遅れるとのこと。焦りました。僕は、しらさぎ2号→米原着8:19→米原発8:29「ひかり402号」に乗り換え→名古屋8:57→9時からの会議に参加、ってスケジュール(ずいぶん緻密なスケジュールで、もちろんボクにこんな上手なプランは立てられません^^、I.C.NAGOYAの丸山茂樹校長が立ててくださったんです)。つまり、米原での乗り換え時間10分しかないので、焦ったんです。「しらさぎ2号」は名古屋行きだからそのまま乗ってればいいのではないかと思われる方もあるかもしれませんが、しらさぎ2号は名古屋着9:17で、9時開始の会議にかなり遅れての参加になってしまうんですね。こういう電車の時間のことを考えると、僕もずいぶん「ビジネスマン」並みのハードスケジュールなってんだなぁと少し感心(照)。
「しらさぎ2号」、幸いなことに運行途中で当初の遅れを徐々に挽回し、米原には予定時刻より2分ほどの遅れで入線。急いで下車し新幹線目指す。大勢の下車客の後についていけばいいと思い、人波の中に。でも、パリのC.D.G空港でそういうのやって失敗した前歴があるので、ホームに車掌さんを見かけたので、新幹線ひかりの発車ホームを聞く。人波の流れで合っててホッ。急いでひかりに乗り込んで座席に座り、さぁこれで安心と思った。ところがやっぱボクってちょろいんですね、検札にこられた車掌さんにそこが指定席だと注意されて車両移動(恥)。
新幹線、いつも感心するのは英語。当然ネィティブがチェックしてるからなんでしょうが、いかにも英語って表現。次の到着駅を表現するときのWe will soon make…とか停車駅を表現するときのWe will be stopping…って「なるほど~」ですよね。今回気がついたのですが、日本語の「今日は、新幹線をご利用いただき云々」は「本日は」じゃないのかなぁ。新幹線とは別の例で、新聞でも10年ほど前からか、ニュース記事に「でも」が使われるの気になってます。「でも」はどちらかと言うと「話し言葉」で、報道記事には合わない(「しかし」「だが」じゃないかなぁ)と思うのだけど。新幹線の「今日」も新聞の「でも」も、僕の日本語感覚のほうが、古いのかも。
名古屋駅に着いて、急いで会議が行われるビルに向かう。会議は9時~12時半、昼食休憩を挟んで、1:40~5時。長丁場の会議でした。
会議が終わって前2回と同様、野田さん・遠藤さんとアフター5でちょっと一杯(照)。写真右が野田さん(僕の2歳年上)、中央が遠藤さん(僕と同年)。お二人とこうして飲み会するのが、名古屋出張の楽しみの一つになっています。
今回は名古屋駅近くの東洋ビル地下1Fにある「嘉文」(かもん)という鮪・活魚料理の店。お店のリーフレットには
・・・中央卸売市場に全国から集まるさまざまな素材の中から、経験豊富な目利きが毎朝仕入れています。厳選された素材の活きの良さは抜群。旬の美味しい鮮魚をご賞味ください。・・・
と書いてありました。
野田さん・遠藤さんのお話、ビジネスマン時代の武勇伝・海外での日本語教師経験談など、これで3回目になりますが、いつ聞いても僕があまり知らない世界のお話で、ずいぶん参考になります。
野田さん・遠藤さん、次回の名古屋出張は4月か5月頃になると思いますが、その節はまたよろしくお願いします。
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by tiaokumura | 2008-02-26 17:25 | 日本語教育 | Comments(0)

ひゅーまん08「『教育は人生そのもの』」(読売新聞2008年2月25日付)

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子どもたちは、自分の意思で来たわけではない日本で、成長しようと頑張っている。無限の可能性を秘めた子どもたちを育てたい。教育は私の人生そのものだから
今朝の読売新聞記事「ひゅーまん08」末尾に紹介されている米田哲雄先生の言葉。
米田先生と初めてお会いしたのはいつだったか覚えていないが、富山県内に行動力抜群の日本語教師がいらっしゃるという噂を聞いて、いつかそういう方にお会いしたいと思ったのが数年前のことになるだろうか。何かの集まりで僕のほうからお声をかけた(人見知りが激しいボクとしては、それは勇気ある行動だった。でもボクにそういう行動を起こさせる魅力が米田先生にはある)と思う。2005年に富山国際学院NPOになったときに、米田先生にお願いしてサンシップという福祉関係のビルの一室で、富山県内の日本語教育(とりわけ外国籍の児童生徒の置かれている状況)について親しくレクチャーしていただいた。米田先生の勉強会にも何度も出席させていただき、直接先生から学ばせていただいている。先生のご活動の一つ「宿題お助け隊」には、先週の木曜日、昨日日曜日と、まだ2回だけだがお手伝いさせていただいた。
今回の読売の記事、僕の「セカンドライフ」をご担当になった柳沢亨之記者から、米田先生にも取材したいという旨のTELがあり、紹介の労をとった。「ヒューマン08」は、その柳沢記者の署名入り記事。

今回の記事で初めて知ったのですが、米田先生は富山高校の大先輩になられるんですね。僕より7歳上。富山高校から東京学芸大学へ。今の先生からは想像もつかないのですが、先生は「内気な少年」だったのが東学大でのサークル活動で「変化を遂げる」。東京教育大に「氷川下セツルメント」ってのがありましたが、たぶんそういうサークル。
・・・貧困地区を頻繁に回った。劇を懸命に演じると、子供たちの目が輝く。心を通わせ、人を育てる喜びを実感し、故郷で教師になった。(同記事より引用)
99年、富山市内の小学校長を最後に退職。小学校教員時代も海外で日本語を教えた経験がおありですが、JICAのボランティアでブラジル滞在。
この記事、僕のときと同じでネットでも読めるようになると思いますが、今日現在まだ載ってないみたい。ネットで見つけ次第、こちらに追記します。

今回の記事の中心はJR富山駅前のCiC内にある富山市国際交流センターでの「宿題お助け隊」。僕も実際に2度だけぷちボラやってみて、ボランティアの絶対数が足りないことを痛感した。
年齢性別問わず、もっともっとボランティアが必要。米田ファンの一人として、あちこちでボランティア参加者募集活動をやっていこうと思っています。特に大学生、若い方、主婦の方、シニアの方。ボランティアをすることで必ず人生にも大きな喜びが得られますので、ぜひご参加を。このブログをご覧の富山県外の方、おそらくあなたの地域にも米田先生のような志を持った活動があるはずです。そちらにぜひ関心をお寄せください。
あと、記事中に米田先生の夢」として紹介されているのですが、
教え子が将来、2か国語を操り、次の世代に日本語を教えてくれることが最大の夢
は全くその通りで、成功例を身近に感じるためにも、外国籍のボランティアも助っ人として参加してほしい。先輩が日本で活躍しているという例を実感できれば、子供たちも勇気がわき動機付けにもなる。
日曜日に先生に伺ったところでは、外国籍の子供たちの高校進学はデータそのものがないが(管轄官庁の怠慢)、米田先生の実感としては、高校進学率は50%くらいでしかもその内半分くらいしか卒業していないのではないか、ということでした。日本人として「何とかしなければ」「何とかしてあげなければ」という気持ちになりますよね。

こないだの「スリーエーネットワーク」もそうですが、米田哲雄先生の活動がこうして広く知られる一助に僕がなることができて、とても光栄です。
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by tiaokumura | 2008-02-25 18:27 | 日本語教育 | Comments(0)

「ロス疑惑」、解明なるか?

ロス疑惑」っても30歳未満の方は「何それ?」でしょうね。
1984年の週刊文春の「疑惑の銃弾」報道に始まる狂想曲。1981年11月18日、ロサンゼルス市内の駐車場で日本人夫婦が狙撃され、妻一美さんは頭部を撃たれ意識不明の重体、夫は足を撃たれた。日本に移送された一美さんは意識が戻らないまま約1年後に亡くなる。そして、悲劇の主人公のはずの夫に疑いを持った記事が「疑惑の銃弾」シリーズ。夫は妻の死により莫大な保険金を受け取ってたのですね。やがて連日のようにワイドショーが取り上げ、夫はシロだクロだ(クロ説が有力だった)の大騒ぎ。僕は85年だったか風邪をこじらせ肺炎になり年末年始の1週間、これまでの人生で唯一の入院生活を経験したのですが、その時、ロンドンからの生中継とかでその夫が「グリコ森永事件」(1984-85年)についてコメントしてるのを病室のTVで見た覚えがある。
やがて彼は逮捕。腰縄+手錠で警察署に入る彼の姿、それを撮るフラッシュの数々。なんぼなんでもこんなの人権侵害じゃないかと思った。三審制日本で彼は最高裁で妻の銃撃事件では無罪確定、もう一つの殴打事件では有罪で刑に服しその後出所。

ネットのCNNも報じてます。タイトルが
Japan businessman arrested in wife’s 1981 killing(日本人実業家、1981年の妻殺害容疑で逮捕-訳・奥村)
にしても彼、(クロだったとして)カリフォルニア州には「時効」がないのを知らなかったのか、あるいは本当に「潔白」だからアメリカ領土のサイパンも平気で堂々と訪れてたのか。
逮捕後の初ワイドショーが明日から始まる。また大騒ぎ、でしょうね。餃子イージス艦も吹っ飛ぶ「ワイドショー好みのネタ」ですもんね。前回痛い目にあっているTVはそれに懲りず「やっぱりあいつは悪い奴だった」路線を突っ走ることでしょうね。TV局には以前のフィルムたっぷり残ってるでしょうから、ネタには困らないだろうし。
日本の政府・裁判所・検察・警察はどう対応するのでしょうか。日本では「無罪」になってるのだから身柄引き渡しを強く求めるのか。あるいは、アメリカでの裁判が決着するまでじっと見守るのか。前代未聞のケース、判断が難しそう。日本人が外国で逮捕されたのだから「あんな奴ほっとけ」ってわけにはいかないと思うけど。
報道に拠ると「新証拠」が見つかったとか。ひょっとして「2人組の狙撃犯」が特定できたんでしょうか。ジミー佐古田さんってまだ現役なんでしょうか。
狂奔するTV・週刊誌には興味ありませんが、’guilty or not guilty’がはっきりし、「もう一つのロス疑惑」とでも言うべき白石千恵子さん(アメリカで「ジェーン・ドゥー」だったのが身元判明)のことも明らかになってほしいと思う。

(追記)
「ロス」ってもアメリカ人に通じないんですよね。LA。夫の逮捕、不謹慎だけど、サッカーの「ロスタイム」連想してしまいます。
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by tiaokumura | 2008-02-24 21:19 | Comments(0)

「ご当地ソング」覚書(6)

中山公男さんが21日に亡くなられたことを今朝の朝日新聞で知った。享年81歳。1968年刊の『西洋の誘惑』(新潮社)は東京教育大生時代に親友の宮崎君からもらった。『西洋の誘惑』は、中山さんの上の世代とも、僕たちの世代とも異なる日本人の西洋受容の一典型(中山さんの場合のそれは美術を通して)が綴られた名著。ムリーリョ『無原罪の御宿り』は同書を通じて知った。晩年(ということになってしまった)のご著書に『私たちは、私たちの世代の歌を持てなかった。-ある美術史家の自伝的回想』(2005年。生活の友社)がある。未読で、機会があったら読んでみたい。今回初めて知ったのだが、1987-90年には筑波大学教授も。
謹んで中山公男さんのご冥福をお祈り申し上げます。

ご当地ソング覚書」シリ-ズ6回目(最終回)。今回は僕が選んだ「ベスト12」の9~12番目(時代順)の4曲について書きます。
それぞれは、歌、発表年(原則リリース年)、作詞、作曲、歌手、歌い出し、コメント(思い出・思い入れ)の順です。
なお、思い違いもありそうですがそこはご容赦を。

知床旅情 昭和46(1971)年
詞・曲・歌森繁久彌
♪知床の岬にはまなすの咲くころ 思い出しておくれ俺たちのことを
『早春賦』(♪春は名のみの)のパクリじゃないかなどとも言われたことがありますが^^、そんなことはどうでもいいくらいの森繁節の名曲。この歌は、東京教育大時代のサークル「学生文化会」のテーマソングみたいな歌で、カラオケなんかまだなかったから、アカペラ^^で皆でよく歌ったものだ。加藤登紀子も歌ってて、レコードはそちらのほうが売れたかもしれないが、僕たちにとっては、「知床旅情」=森繁、です。YouTubeにあるかと探してみたら、あることはあったのですが、たぶんスタジオなんでしょうね、黒柳徹子がいてアントニオ古賀のギター伴奏で、異なる歌詞で歌ってました。
この歌は、森繁が映画撮影が無事に終わって、協力してくれたロケ地の人たちのために作詞作曲しお別れの宴で披露したそうです。
今のところ「学生文化会」の集まりの最後はもう10年以上前の長野県戸隠になる。その後鬼籍に入られた先輩もいらっしゃるやに聞く。今夏あたり皆と再会したいものである。
知床は今はご存知のように世界遺産。立松和平らの活動でも知られている。僕、1回くらい訪れて『知床旅情』を情感たっぷりに歌ってみたいけど、無理でしょうね。
遥かに過ぎ去った青春時代の1曲を選ぶとしたら、『知床旅情』か『神田川』になるでしょうね、僕の場合は。中山公男さんとは逆に「私たちは、私たちの世代の歌を持て」た幸せな世代だと言える。
なお、この歌、最後が「かもめよ」と「かもめを」の2種類ある。どっちが正しいのだろう。2つは意味が逆になるのだけど。僕らは後者で歌ってたような・・・。

港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ 昭和50(1975)年
阿木燿子 曲宇崎竜童 歌ダウン・タウン・ブギウギ・バンド
♪一寸前なら憶えちゃいるが 一年前だとチト判らねぇなあ
横浜は歌に歌われることあまた。横浜はまた、ゴールデンカップス、ダウン・タウン・ブギウギ・バンド、横浜銀蝿、クレージーケンバンドなど、個性豊かな音楽グループも輩出してる。いろんな顔のある横浜、大好きです。
この歌の前年にヒットした『スモーキング・ブギ』では「一発屋」じゃないかと思われてたけど、実力のあるバンドだったんですね、この歌で大ヒット。宇崎竜童+阿木燿子のご夫婦カップルはずいぶんビッグになり、山口百恵などにも楽曲提供。宇崎は「曽根崎心中」も印象深い。「一発屋」と言えばサザンもそう思われてた。沢田研二の『勝手にしやがれ』とピンク・レディの『渚のシンドバッド』から『勝手にシンドバッド』なんて曲を勝手に^^作って突如音楽シーンに殴り込み^^ですもんね。でもSASもすぐビッグになりましたね。
この歌、作りが新鮮だった。ほとんどが宇崎の「語り」で、詞がメロディーラインに乗っかるのは「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」だけ。宇崎に「ヨーコ」の行方を尋ねて宇崎からああいう世界の言い回しで事情説明を受けた「アンタ」は、結局その後どうしたんでしょうか。ちょっと気になる(爆)。「アンタ あの娘(こ)の何なのさ!」って、ずいぶんはやりましたね。
「アンサーソング」って言いますが、僕は小林旭の『昔の名前で出ています』が『港の~』のアンサーソングだって勝手に思ってます。

大阪ラプソディー 昭和51(1976)年
山上路夫 曲猪俣公章 歌海原千里・万里
♪あの人もこの人も そぞろ歩く宵の街 どこへ行く二人づれ 御堂筋は恋の道
ピンサロ、キャバクラ、女子大生パブ、ノーパン喫茶、カップル喫茶、ハプニングバーetc.は大阪が発祥って聞いたことがありますがどうなんでしょう。大阪人のエゲツなさは非難されるべきじゃなく、次々とおもろいこと・エロいことを創意工夫するエネルギーは誇っていいんじゃないかなぁ。「トルコ風呂」って名称が問題化したときに知ったことですが、日本全国で「トルコ風呂」がなかったのは長野県と富山県。時移り幾星霜(爆)、長野県はどうか知りませんが本県にはそういう類はない(はず^^)。それから、信じられないかもしれませんが、ボク、この年になるまで一度もキャバレーの「客」になったことがない。無論ボクも男、性欲もフツー(照)、金を払ってでも&嘘でもいいから「1回でも女にモテたい」欲望も平均レベル(照)。でもああいう世界で働いたことあってそれなりに事情も知ってると、いろんな思いがあって行こうと思わない(昔と今とでは様変わりしてるでしょうけど)。
あらら、歌の紹介すべきところいきなり脱線(激爆)。この歌、上に書いたようなこととは全く無縁なピュアな歌です。思いっきり明るい青春賛歌で、ラプソディーにして歌いやすくしてある。御堂筋・道頓堀・戎橋・法善寺がデートコース。大阪って土地勘ほとんどないんで、これらがどういう位置関係になってるのか、キタとか梅田はデートコースから外れるのか、ようわかりませんが、とにかく甘い歌。作詞作曲がヒットメーカーで、しかもそれを歌ってるのが当時の人気漫才師の海原千里・万里。どっちかが後の上沼さんなんですよね。
大阪、どちらかと言うと昔から「苦手な」街ですが、3年前に野田尚史先生のプロジェクトで訪れたり、寺本益英先生とお会いしたりしていく中で、「ボク、大阪のホントの魅力、わかってないままだったんじゃないか」と思うようになっています。
大阪は横浜ほどではありませんがご当地ソングいくつもある。初代春団治をモデルにした『浪花恋しぐれ』も好きな歌です。「ゲイのためなら女も捨てる」などいろんな替え歌も作れる歌なんですよね(核爆)。

天城越え 昭和61(1986)年
吉岡治 曲弦哲也 歌石川さゆり
♪隠しきれない残り香が いつしかあなたに浸みついた
後世に歌い継がれる「名曲」はどれも歌い出しがすばらしい。イントロでひきつけておいて一瞬で「歌の世界」に引き込むんでしょうね。この歌もそう。非生物の「残り香」を主語、その述語を「浸みついた」にして、男女の危うい立場を描きとる。歌謡曲の構成って全く無知なんですが、この歌の場合、初めは歌詞の内容とは裏腹な押さえた歌い方で、次いで地名が織り込まれ、そこから先は一気に女の情念が迸る。起承転結で言うと承がなく起転結みたいな構成。歌詞中の女の台詞もすごい。男のテキトーさ・ワガママにこれまで負けていたはずの女が開き直る、いや、諦観なのかもしれない、「誰かに盗られるくらいなら あなたを殺していいですか」「何があってももういいの」「戻らなくてももういいの」。女性にこんなこと言われたらビビるでしょうね、男は。幸か不幸か言われたことないんでようわかりません(爆)。
石川さゆり、デビューは同世代の山口百恵たちに完敗でしたが、その挫折を乗り越え新境地を切り開いた歌手。『津軽海峡冬景色』『能登半島』も彼女の「ご当地ソング」。これらの曲も、僕、好きです。ボクって、演歌が似合う男なんかも(嘘爆)。「妻と書かれた宿帳に 沁みた涙の傷あとよ」(箱崎晋一郎『熱海の夜』)とか「たとえひと汽車遅れても すぐに別れはくるものを わざとおくらす時計の針は」(大下八郎『おんなの宿』)もいいなぁ(照)。『おんなの宿』は伊豆です。
歌って不思議。誰もが不倫してるわけじゃないのに『天城越え』のような不倫歌が愛される(もちろんこういう歌が大っ嫌いって方も大勢いらっしゃる)。人は己の実現しえなかった夢や憧れを歌に託してるんでしょうね、きっと。時代と共に不倫率って、夫も妻も上がってるにしても、この歌で歌われたような不倫の世界はもう天然記念物でしょうね。今は「婚外SEX、何が悪い」という時代かも。
もう一つの『天城越え』が松本清張の小説。小説の種明かしはタブーですが、何回読んでも元警官とかつての少年のやり取りにはゾクゾクって来ます。

今回選んだ「ご当地ソング12」、一番新しいので1986年。ここ約20年間、これはっていうご当地ソングがないのは、時代の流れ、なんでしょうね。あるいは、僕の感受性がイマドキの「ご当地ソング」を受け付けなくなったのかもしれない。

「ご当地ソング覚書」シリーズ、これで完結です。

(追記)
『天城越え』って不倫歌じゃないかもしれません。駆け落ち、かも。う~ん、どうなんだろう。
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by tiaokumura | 2008-02-23 21:02 | 音楽 | Comments(0)

出版文化を守るために僕ができる二、三の事柄

事件事故やスポーツだったら1日に同じ新聞の別の面に載ることもあるだろうけど、そうじゃない場合、一つの新聞の同じ日に複数面で載るってことはめったにないことなんじゃないかなぁ。そういうのって新聞社側が避けそうだけど、2月14日の朝日新聞でそういうことがあった。
永井伸和さん
(1)出版再生 カギは 
(2)わが町で本を出す⑬(ニッポン人・脈・記)
の2つの記事でご登場。
ご存じない方もおられるかもしれませんが、永井伸和さん(65)は、鳥取県米子市の「今井書店」(創業136年の老舗)の会長。米子は、僕の親友哲ちゃんのふるさとであり、同じく親友の宮崎君の現住所でもある。そんなこともあって米子には親しみがあり、そうでなくても「今井書店」は注目すべき本屋さんでいつか行ってみたいと思っている。ボク、富山以西の日本海側は、金沢までしか行ったことがない(恥)。福井は6月に日本留学試験が福井県立大学であるので学院生の引率で行けそう。更にその西、舞鶴・米子・松江・津和野なども、一度は訪れてみたい。
永井さんを記事(2)での紹介から引用すると
地方の本を一同に集めた「ブックインとっとり」を20年続け、県を挙げてのイベントに育てた。
同記事の永井さんの言葉も引用すると
「地方の時代といいながら、地方は崩壊しそうじゃないか。仲間を励ましたい。こんな時代だからこそ、ヤセ我慢しなければ」
写真も載ってますが、長門勇のようなおっとりした感じの方です。
記事(1)では永井さんは、今井書店の「本の学校」の設立者として紹介されてます。そして、ドイツの出版界についての次の発言も紹介されている。
「書籍を公共財として残すという哲学と、それを支えるシステムが日本と決定的に違う」
更に、ドイツは書籍の共通データベースがあり
「出版から絶版まできっちり管理するから、少部数でも息長く流通できる」
朝日新聞は記事(1)(2)の後日、20日・21日と「出版文化 どう守る」として、イギリス・ドイツの出版事情・書店事情を特集している。

日本の出版業界については全く疎いのだが、朝日の記事にもある草思社が民事再生法適用を申請したのは、今の出版業界の危機を象徴的に示していると言える。草思社は、僕はそんなに本を買っていないけど、好きな出版社。とりわけ1970年代前半に出版されたアリシア・ベイ=ローレル(深町真理子訳)『地球の上に生きる』は僕の好きな本百冊の中にきっと入る。ヒッピーの自給自足生活から生れた「生きるための知恵」が満載された本。今読み返してもきっと役に立つだろうし(いや、今だからこそ以前よりもっと「役立つ」かも)、実用書を超えて「思想書」と言っても言い過ぎじゃない本。買ってから何回かの引越しの際にも手放さず、結婚して妻の愛用書になった本。今も彼女の本棚のどこかに眠ってるはず。この本の表紙、ウロ覚えなんだけど、上に太陽、真ん中には草原(くさはら)に寝転ぶ女性のヌードで、陰毛も描いてあるが、あの当時の雰囲気がよく出ててちっともいやらしくない。草思社がその後どうなったのか知らないのだが、再建できたのだろうか。
出版業界も厳しい状況にあるが、もっと厳しい環境に置かれているのは地方小売書店。朝日新聞が分析しているようにいくつかの原因があるのだが、「今そこにある危機」に対してボクなんかもじっとしていられない。ボクは読書家ではなく、「本を買うのが好き」「本を開くのが好き」「本を眺めるのが好き」「いろんな本を拾い読みするのが好き」な窮極の積ん読男^^なのだけど、とりあえず次のようなことをやってみようと思う。
①Amazonで本を買わない。1500円以上送料無料、欲しい本がすぐ手に入る、洋書も入手しやすい、USEDもあるなど、Amazonは魅力いっぱいで僕も何度か利用してきているのだけど、Amazonを利用することは、地方小売書店の減少を促進することになるので、もう利用しない。
②本が届くのが遅れてもいいから、地方小売書店で注文する。Amazonより1、2ヶ月届くのが遅くてもガマンする。永井さんには遥かに及ばないが「ヤセ我慢」なのである。
③友人知人へのプレゼントは、地方小売書店で買った本にする。本嫌いな人・活字が嫌いな人・読書体験が少ない人・・・いろいろあるけど、相手に応じた「本」を選ぶ。
④ブログなどを通じてこれはいいって本を積極的に紹介する。「下手な鉄砲も・・・」で、その中からその本を読もうって人がポツリポツリと出てくるかもしれない。
⑤Amazonや富山県内にあるMやBの大型書店で、本の情報を入手する。そして買うか注文するのは地方小売書店(爆)。これ、朝日新聞にも紹介されてたけど、ゲリラティック^^でうまい方法だと思う。
⑥絶版じゃない限り、××ク××では買わない。
以上のようなことが僕にできることかなぁ。他にもいろいろ考えてみます。
でも僕の努力で劇的に地方小売書店の売り上げが伸びるってもんじゃない。朝日新聞の記事中に出てくることで言えば
再販価格制度を維持する、ドイツのような出版データベースを構築する、買い切り制中心にする代わりに粗利益率を30%にする、ドイツのような「書籍業学校」をつくり「本の目利き」を育てる
などの抜本的な対策を講じない限り、地方小売書店は風前の灯火。地方小売書店の危機はそのまま出版業界の危機、そして出版文化の危機でもある。

今回の記事タイトルは、ジャン=リュック・ゴダール(1930-)の映画『彼女について私が知っている二、三の事柄』(1966。原題2 OU 3 CHOSES QUE JE SAIS D’ELLE)のもじりです^^。

(2月23日午前・追記)
地球の上に生きる』は、Amazonで調べたら(核爆)今でも購入可(税込み2625円)です。ひょっとして絶版かと思ってました。Amazonの『地球の上に生きる』は、こちら。そこには表紙も載ってて、僕の勘違いでした、女性は寝転んでるのではなく、太陽に向かって深呼吸してます。ヤギ(?)もいます。
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by tiaokumura | 2008-02-22 23:05 | | Comments(2)