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ブログ「大験セミナー わくわく日記」のご紹介

僕は姉2人弟1人。長姉は確か僕と7歳違い。子どもの頃、母が病弱だったため、長姉に銭湯に連れて行ってもらった記憶がある。僕は保育園にも幼稚園にも通ったことがないので、たぶん僕が小学校就学前のことだったと思う。家から銭湯までの道のりを、夏の暑い盛りに、姉にときどき手を引っ張られて(たぶん子供のボクが銭湯に行くの嫌がってたんでしょうね。今でも「烏の行水」ですボク^^)歩いた記憶がある。今だったら欣喜雀躍なんでしょうが、女湯、だったんですね、姉と入ったのは(激爆)。もちろんコドモのボクが女湯の湯煙の中で垣間見た女ワールド^^は全く記憶に残っておりません。
長姉は浄土真宗系の女子高に進学した。ご詠歌、というのでしょうか、姉が女子高で教わったであろう「歌」で、今でもウロ覚えだが覚えている歌がある。「じおんだいしのおんどくは みをこにしてもしゃすべし・・・」。歌に織り込められた仏教の高邁な思想は理解不可能でしたが、その歌のリズム・文句は今も記憶に残っている。
姉は僕が高校生の時に結婚。姉に結婚プレゼントがしたく、自分なりにいろいろ考えた末なんでしょうね、『智恵子抄』をお小遣いをはたいて買って贈った。出版社も定価も覚えてないが、ハードカヴァーの単行本だったか。
姉は結婚後横浜に移転。僕は東京教育大学受験時・合格発表で姉宅にお世話になった。東京教育大学入学式の写真、今はどこにしまっったか見つからないのですが、姉の第1子がなぜか写っていて、3歳くらいの彼女がインパネスみたいなコートを着て東京教育大学の正門あたりにいる写真があったと記憶している。
東京教育大生時代、長姉にはずいぶんお世話になった。姉家族が横浜に住んでいた時は、週末に行ってご馳走になったり食料をもらったり時にはお小遣いももらってた(恥)。横浜から帰る車中、朝日ジャーナルの高橋和巳『邪宗門』を読み耽ったのも今では懐かしい思い出。
姉夫婦はやがて相模原市に家を建てる。そこにも何度もお邪魔してやはり何度もお世話になった。子供は3人。上に書いた第1子は難しい病気で有名医大で治療。姉夫婦の懸命な願いが通じたのでしょう、やがて彼女は難病を克服し、素晴らしい男性と巡り合い結婚に。
その姪の結婚式は一関市であり、僕も含めた一行は車2台連ねて一関に赴き式に参列させていただいた(行きか帰りか松島にも寄った)。姪のご主人になった方は、当時の僕の印象ではガッチリした体格の方で、思慮深くでも一度決断したらそれの実行に全力を尽くすタイプとお見受けした。
姪のご主人はやがてを開かれた。姪夫婦からの今年の年賀状に「ブログを開設しました」とあったので1月3日だったかアクセスしてみた。ブログ「大験セミナー わくわく日記」は、塾活動の率直な紹介、塾でのきめ細かく正確な観察に基づく状況分析、深い読書体験(宮沢賢治など)に基づく世界観の披瀝、父親として教師としての家庭観、しっかりした仕事経験に裏打ちされた情報発信など、まだ全部通読していないのですが、ずいぶん豊富な内容。わがブログを省みて忸怩たる思いもいささかしました(照)。ま、うちはうちでこれでいいんだけど(爆)。小菅敏夫先生は、彼の小学3・4年生時のご担任なのですが、私が「大験セミナー わくわく日記」を通じて初めて知った小菅先生は実にすばらしい教師。残念ながら1990年54歳で亡くなられたのですが、先生の思い出を綴った同ブログの記事は必読です。小菅先生の詩「北風の叫び」も同記事に引用されています。

長い記事になってしまいましたが、今回、「大験セミナー わくわく日記」と相互リンクさせていただきました。
皆様方もぜひ「大験セミナー わくわく日記」、ご訪問ください。

このブログ、これで国内は北は岩手県、南は大分県までの範囲をリンク。国外は、スペイン・中国・タイ・フィリピン・オランダ(リンク順)をリンクしました。ブログの楽しみの一つは相互リンク。これからも相互リンクを増やしたいと思っています。

(追記)
ネットはさすが便利ですね。ウロ覚えだった和讃、わかりました!
親鸞上人の正嘉元(1257)年頃の『正像末和讃』(しょうぞうまつわさん)にある116首のうちの1首。正しくは
如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も 骨を砕きても謝すべし

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by tiaokumura | 2008-01-31 20:27 | このブログのこと | Comments(2)

富山・子どもの日本語グループ 米田哲雄「勉強お助け隊」

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日本語教師で『みんなの日本語』を使ったことがない人はほとんどいないでしょうね。初級定番中の定番教科書『みんなの日本語』を出してるのがスリーエーネットワーク。その社員の方が偶然このブログをご覧になって、ブログで紹介してた米田哲雄先生の活動にご興味を持たれた。そんなご縁で昨秋だったか、その社員の方が富山国際学院にもお出でになり、米田先生にも取材をされていきました。僕はあいにく不在でお目にかかることはできませんでしたが。
昨日家に届いた「季刊ジャネット」(スリーエーネットワーク)に米田先生の記事が出てました。同誌は同社の出版物の案内ももちろん載ってますが、日本語教育関係の興味ある記事も載っている。無料。
今回の米田先生ご執筆は「あちこち日本語ご紹介 国内編」シリーズ。著作権もあるでしょうから、むやみに引用できませんが、米田先生の活動の一つ「勉強お助け隊」について、ご自身の文章で綴られています。米田先生は、理論・実践・情熱の3つながら併せもった日本語教師。なかなかそういう方はいません。僕が尊敬している日本語教師のお一人です。
写真3葉の中に米田先生はありませんが(写真、お嫌い?)、1枚に富山大学言語学コースのIさんが写ってました。現在、「勉強お助け隊」に参加している言語学コース学生はIさんの他にT君・Kさん。先生が書かれているようにボランティア確保は大きな悩み。このブログをご覧の方、ぜひボランティアとしてご登録を。
記事末尾に、KYについての悲しいエピソードも出てくる。僕はあちこちで「自分はKY男だ」と開き直ってますが(爆)、先生の文章中に出てくる「女子」の場合は、その意味がわからないままに、日本人同級生から「あんたはKYよ」って言われたのでしょう、たぶん。それで米田先生に「KYって何ですか」って聞いた。先生からKYの意味を教えられて(以下引用)
彼女はちょっと涙ぐんだ。なんとなく意味が分かったらしい。ざんこくな話である。
僕のような図々しい男は開き直れるが、「彼女」の場合はそんなことはできないのである。米田先生の書かれているとおり、「ざんこくな話」である。

このブログがきっかけで(違うかもしれないが)米田先生のご活動がこうして全国に発信されたかと思うと、ブログをやってて良かったと思います。
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by tiaokumura | 2008-01-30 18:29 | 日本語教育 | Comments(0)

夕食@魚采屋

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(1月30日午前・記)
昨日火曜日は8回目の金沢日。仕事が終わって、例の金沢駅百番街に。魚菜屋(先週食べた同名店とは別のお店。あちらはカウンター+テーブル、こちらはカウンター席だけ。どっちが姉でどっちが妹か知りませんが^^姉妹店)を覗いたら、客が2人だけだったので入る。椅子12くらいかなぁ、こぢんまりしたお店。
菊姫は置いてなく、萬歳楽の「菊のしずく」ってぇのを注文する。吟醸冷酒。日本酒飲み慣れとらんのに、こないだは2合飲んで帰途しんどかったので、今夜は1合のみに留める(照)。金沢で日本酒、これで通算7銘柄くらい飲んだことになるかなぁ。日本酒のうまさはまだ全然わかってないのだけど、なんとなく辛口できりつとした味が自分には合うかもって印象。
漁師が食べる魚と刺身定食」。刺身(まぐろ+ぶり+さわら+甘えび+いか+サーモン)、魚(さんまのいしる焼き)、惣菜(いかと大根の煮物)、小鉢(ひじきなど)、みそ汁(魚入り)、ごはん、漬物。「いしる」って金沢ではよく使われている言葉。富山では僕は聞いたことがない。要するに魚醤でしょうね。『広辞苑 第六版』に出てました!
石川県能登特産の魚醤油。魚(イワシやサバ)またはイカを塩漬けし、発酵させて作る。よしる。いしり。よしり。(p.150)
なるほど。あててある漢字は「魚汁」。
壁のメニュー見てたら「げんげ」。親しみを込めてか「げんげん坊」とも書いている。げんげは、家が岩瀬浜に近いので割とよく食べている。げんげは「幻魚」とあてることもある。わが家じゃ全く「幻」じゃないけど^^、全国的にはそうなのかもしれない。ヌルヌルした魚、コラーゲンでしょうね。家では専ら大根と一緒にしてみそ汁の具にすることが多い。干物もうまい。魚菜屋では、焼き魚で提供。ずいぶん大きいのでビックリ。岩瀬浜のげんげは親指と人差し指を広げたくらいの大きさなのに、げんげ塩焼きは、あじかさんまくらいの大きさはある。
壁のメニューに混じって、処世訓(?)。
一日一生/無理せず/急がず/はみださず/ひがまず/力まず/いばらない
「哲山」でしょうか、銘も。確かに書かれていること、120%正しいのでしょうが、僕はどうもこういうの苦手(汗)。こういうの見ると思い出すのは「相田みつを」。ファン多いみたいですが、ボクはダメ人間なんでしょうね、彼のを見ると逃げ出したくなる(照)。
昔大学生だった頃、桐花寮(東京教育大学の男子寮。東武東上線の上板橋と常盤台の中間あたりにあった)ってとこに住んでたことがある。時々通っていた近くの大衆食堂兼飲み屋さんに、「借りて(貸して?)不仲になるよりも いつもニコニコ現金払い」とか「春夏冬 二升五合」とか書いてあった。ちなみに後者は「春夏冬=秋ない=あきない=商い」、「二升五合=升升半升=ますますはんしょう=ますますはんじょう=ますます繁盛」。昔の人は心に余裕があると言うか、「ことば遊び」も巧みだったんですねぇ。お説教じみた処世訓より、こういうほうが、僕は好きです。
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by tiaokumura | 2008-01-29 19:50 | Comments(4)

文集『故李秀賢君ご遺族への「励ましの言葉」』より

JR新大久保駅でホームから落ちた男性を助けようとして、関根史郎さん(当時47)・李秀賢さん(イ・スヒョン Lee Soo Hyun。当時26)が亡くなられて昨日1月26日で7年になる。
あの当時、李さんの通ってた赤門会日本語学校を中心に、李さんのご遺族を励ます文集を作ろうという動きがあり、私も応募した。その文集は、2001年5月1日、「(財)日本語教育振興協会・故李秀賢君を悼む会」編で
日本語学校の留学生・教職員から
故李秀賢君ご遺族への「励ましの言葉」

として刊行された。
以下、同文集中の拙文(富山国際学院に当時在籍していた韓国人学生によって韓国語に翻訳されて併載)を掲載し、李さん・関根さんへの追悼の意を表したい。

李秀賢さんのご遺族の方へ
    富山国際学院(日本語教師) 奥村隆信
 李盛大様。人生において、などとあなたより7年年下の若輩者が申し上げるべきことではありませんが、人生においてわが子に先立たれることは何よりも哀しみの極みであります。ですが、ご子息の行動は数多くの日本人に深い感銘を与えました。日本語教育に携わる私もその一人です。あなた様のお父上を奪い、今また秀賢さんを奪った日本は、しかしながら唾棄すべき国ではなかったことだけでも、ご理解くださいませ。
 辛閠賛様。「秀賢は英雄などでなくていい、どんな名誉も欲しくはない、わが子の将来を返せ」-そのようなお母上の悲痛な叫びが聞こえるようで、私のような者は発する言葉もありません。ですが、ご子息の崇高な精神は彼を歴史に埋没させることなく、第2第3・・・の李秀賢を、大韓民国からはもちろん日本からも輩出させることでしょう。ご子息が成し遂げようとした志は、形は違えてであれ、必ず実現します。秀賢さんのご冥福を祈りつつ、彼の夢を引き継ぐ若者たちに栄光あれと願うものであります。
 妹さんへ。お兄さんのことを知った日、彼のホームページにアクセスしました。韓国語は解せぬ私には、ハングルで綴られたそれは皆目わかりませんでした。ですが、MTBで颯爽と疾走する彼の写真は、あなたにとって素晴らしい兄上であられたことを強く推察させました。と同時に、ご家族の期待が切断されたことの残酷さにも涙しました。どうかあなたが、お兄さんが学ばれた日本・お兄さんが学ばれた日本語に対して強い嫌悪感を抱かれませんように。今後は、お兄さまを誇りにご両親に孝行を尽くされ、そして、あなたご自身の夢の実現に向けてご精進ください。
 李秀賢さんのご遺族の皆さま。拙い文章ではありますが、私の気持ちを綴らせていただきました。
合掌
   2001年2月6日
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by tiaokumura | 2008-01-27 19:25 | 追悼 | Comments(1)

「ご当地ソング」覚書(3)

歌は世につれ世は歌につれ」は、戦前からあることわざ(?)だと思っていたが、そうではなかった。玉置宏(1934-。TV「ロッテ歌のアルバム」の名司会者など。最近は「寄席」関係でご活躍)が昭和33(1958)年に言い始めたそうである。名言、ですね。「歌は世につれ」、確かに歌は時代を映す鏡。ただ「世は歌につれ」はどうなんでしょう。歌によってその時代の雰囲気が増幅されたり、時代の雰囲気の記憶装置としてその歌が残ったりする、くらいの意味では正しいでしょうが、歌によって「世」が形作られることはあまりないような気もしますが。
こないだからこのブログで取り上げている「ご当地ソング」。
1)タイトルに地名が入っている
2)ボクがカラオケで歌える^^
の2つの基準でWikipediaを参考に「ご当地ソング覚書(1)」「ご当地ソング覚書(2)」を投稿しました。今日はその中から12曲選んだので、それのご披露を(照)。
自分の好きな歌って自分史ともオーバーラップしそうなので、年代順にご紹介します。意外な選曲もあるかもしれせんが、「極私的・ご当地ソングベスト12」ってことでお読みください。それぞれの歌は
タイトル、発表年(ほぼリリース年)、作詞・作曲・歌、歌い出し
の順です。それぞれの歌についての僕のコメント(思い出や思い入れ)はまたいずれかの日に。

南国土佐を後にして 昭和34(1959)年
武政英策 作編曲武政英策 歌ペギー葉山
♪南国土佐を後にして 都へ来てから幾歳ぞ
銀座の恋の物語 昭和37(1962)年
大高ひさを 曲鏑木創 歌石原裕次郎・牧村旬子
♪心の底までしびれるような 吐息が切ないささやきだから
あゝ上野駅 昭和39(1964)年
関口義明 曲荒井英一 歌井沢八郎
♪どこかに故郷の香りをのせて 入る列車のなつかしさ
霧の摩周湖 昭和41(1966)年
水島哲 曲平尾昌晃 歌布施明
♪霧にだかれてしずかに眠る 空も見えない湖にひとり
ラブユー東京 昭和41(1966)年
上原尚 曲中川博之 歌黒沢明とロス・プリモス
♪七色の虹が消えてしまったの シャボン玉のようなあたしの涙
山谷ブルース 昭和43(1968)年
詞・曲・歌岡林信康
♪今日の仕事はつらかった あとは焼酎をあおるだけ
新宿の女 昭和44(1969)年
詞石坂まさを 曲みずの稔・石坂まさを 歌藤圭子
♪私が男になれたなら 私は女を捨てないわ
池袋の夜  昭和44(1969)年
吉川静夫 曲渡久地政信 歌青江三奈
♪あなたに逢えぬ悲しさに 涙もかれてしまうほど
知床旅情 昭和46(1971)年
詞・曲・歌森繁久彌
♪知床の岬にはまなすの咲くころ 思い出しておくれ俺たちのことを
港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ 昭和50(1975)年
阿木燿子 曲宇崎竜童 歌ダウン・タウン・ブギウギ・バンド
♪一寸前なら憶えちゃいるが 一年前ならチト判らねぇなあ
大阪ラプソディー 昭和51(1976)年
山上路夫 曲猪俣公章 歌海原千里・万里
♪あの人もこの人も そぞろ歩く宵の街
天城越え 1986(昭和61)年
吉岡治 曲弦哲也 歌石川さゆり
♪隠しきれない残り香が いつしかあなたに浸みついた

こう並べてみて、阿久悠(1937-2007)がないの意外です。彼の「ご当地ソング」ってない?
あと、意識したわけじゃないのに、作詞家・作曲家・歌手が12曲みんな異なるのも意外。
(注)↑、簡単そうなリストですが、これだけ調べるのはけっこう大変でした。「二木紘三のうた物語」「昔は若かった人たちの歌」を参考にしました。両サイトに感謝。
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by tiaokumura | 2008-01-27 14:06 | 音楽 | Comments(0)

姜戎『神なるオオカミ(上)』(講談社)

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姜戎(ジャン ロン)
神なるオオカミ(上)
唐亜明関野喜久子
2007年11月28日 第1刷
講談社
1900円+税

姜戎(僕と同年生まれ)の青年期の時代背景を知らない読者のために、田畑光永「『神なるオオカミ』解説」が、本書の目次・おもな登場人物・関係地図の後についている。下放・文化大革命・紅衛兵・革命委員会・人民公社・知識青年・・・。どれも、僕がリアルタイムで聞き知った言葉。あの時代、当時の中華人民共和国・ソビエト連邦・朝鮮民主主義人民共和国は、大学教官などの「知識人」(この言葉も今は死語に近い)の一定層に支持されていた。中には直接間接にこれらの国に若者を送り込むのに与った知識人もいただろう。去年だったか、「北の理想郷」に教え子を送り込みその後教え子が消息不明(彼の地で粛清された可能性もある)になったことに対して、慙愧の念に耐えながら老いの人生を過ごしている某大学校教授のドキュメンタリーを、NHKで見たことがある。歴史は一個人の運命なぞ弄ぶことが多いのだろうから、僕のような者にかつての知識人たちを責める資格はない。どのようにあがいても逃れられない時代の波ーそのように達観するしかないのかもしれない。
本書は、上掲田畑に拠れば「中国社会に大きな傷跡をのこした文化大革命でしたが、これは数少ない収穫の一つ」。本書を知ったのはNHK中国語講座テキストです。中国は日本の10倍以上の人口なので、単純に比較できませんが、中国で1800万人の読者獲得というベストセラー小説がこの本。著者名はペンネームで誰が書いたのか不明だったようですが、どこかの出版社か新聞社が著者との単独インタビューに成功したそうです。
上下合わせて1000ページになんなんとする大部な書。読み終わるのがいつか見当がつきませんが、少しずつ読んでみようと思っています。
なおこの本、写真でおわかりのように、佐藤優氏のご推薦でもあります。

動物文学は、日本では古くは椋鳩十・戸川幸夫、比較的新しいところでは昨夏亡くなった西村寿行(1930-2007)、世界ではジャック・ロンドン、シートン、ファーブル、メルヴィル、ヘミングウェイなど、数々の傑作があるジャンル。姜戎『神なるオオカミ』、日本語以外にも訳されてるはずですから、中国ばかりでなく多くの読者を獲得し続けることでしょうね。
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by tiaokumura | 2008-01-26 18:24 | | Comments(0)

あと何回の富山大学生協食堂での食事?

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山田風太郎(やまだ・ふうたろう 1922-2001)はちょうど僕が1回目の大学生^^だった頃、ずいぶんブームだった小説家。彼のデビューはもっとずっと早いのだが、一大娯楽時代小説というのか伝奇小説というのか、彼の「忍法帖」シリーズが人気を博していた。僕はあんまり読まなかったけど、「くのいち」なんて言葉は彼の作品で始めて知ったか。ご存知かもしれませんが、「」という漢字を分解すると「く+ノ+一」なんですね。で、女忍者のことを「くのいち」。風太郎の小説の、(今ではどうってことない描写なんでしょうが)女忍者のお色気(「お色気」って言葉も、今や僕以上の世代じゃないとわからんかも^^)に心ときめいた記憶や「そんなのアリ?」の忍法アイディアの数々に感嘆した記憶があります。で、その後も風太郎先生ご活躍なさってたのでしょうが、僕なんかが次に「山田風太郎」を知ったのは「戦中派日記」シリーズ。「忍法」と「日記という記録」との落差が意外だった。次に「山田風太郎」に触れたのは朝日新聞連載のエッセイ「あと千回の晩飯」。内容、ほとんど覚えてないのですが、彼独特のユーモアにくるまれた死生観(彼はパーキンソン病だった)などが綴られた最晩年の風太郎ワールドだったんでしょうね。タイトル自体が上手ですよね。
で、今日久々に富山大学生協食堂で遅い昼飯を食っていて、風太郎「あと千回の晩飯」を思い出した。去年4月に編入学して何回くらいこの食堂を利用したのかなぁ。一緒にメシ食った回数はけんけんが一番多い。他に心理・朝鮮などの他コースの知り合いとも食べた。一番印象に残ってるのは、夏だったか秋だったか、言語学実験室(1)の冷蔵庫に入っていた缶ビール1缶を食堂に持っていって、さやえんどう・まりりん・榊(偽名)(←3人は言語学コースのクラスメート)と分け飲んだこと。アルコール類禁止かどうか知りませんが、ちょっとドキドキしながら飲んだもんです(照)。良家の子女を悪の道に誘い込んだような罪悪感もちょっぴり(爆)。
あと何回、富山大学生協食堂で食事できるかと思うと、いささか感慨も。
正直言って、味が濃く(そりゃそうですよね、若者向けですもん)、値段もめっちゃ安いわけでもない。大学食堂ってでもまぁこんなもんなんでしょう、きっと。いくつかの大学で食事した経験ありますが、「これはうまい!」ってとこ未経験。京都大学だったか、フレンチのフルコースある学食もあるそうで、いつか時間があったら「学食食べ歩き」なんてのもしてみたい(爆)。学会が大学であることもあるのですが、たいがい土日なんで、学食閉まってることが多くて、残念。
富山大学生協食堂、そんなわけでお気に入りのメニューはほとんどないのですが、味噌ラーメン・カレーライスは割と好きです。今日の昼飯は、ですから、名残りを惜しみつつ^^、味噌ラーメン+カツカレーの大盤振る舞い(激爆)。ゼータクじゃったかも。
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by tiaokumura | 2008-01-25 13:31 | 僕は大学4年生 | Comments(0)

3万ヒット到達\(^o^)/

もちろん紅顔可憐な美少年じゃありませんでしたが、ボクにも中学生時代がありました(照)。今から半世紀前の遥か昔、厨房^^でした、ボク。樋口恵子さんの名言に「老婆は一日にしてならず」がありますが(男がこんな発言すると、それは名言じゃなく女性差別になっちゃいますが、これは樋口恵子さんの作です、念のため^^)、僕もいきなりジジイになったわけじゃないのです。で、僕は中学入学して、何か部活動(あの頃はクラブとか言ってたのかもしれない)に入ろうと思った。今もそうでしょうが、人気があったのは野球部。でも僕、メガネかけてるし、小さいボールって得意じゃない。結局「ハンドボール部」に入りました。今も「なぜハンドボールだったのか?」はよく覚えてません。きっと自分にもできそうな簡単そうな球技だったからでしょうね、入部したのは。11人制から7人制に移行したころだった。バレーボールはまだ9人制だったか。あと今ではほとんど言わなくなったでしょうが、ハンドボール→送球、サッカー(当時は今ほど人気なかった)→蹴球、バレーボール→排球、バスケ→籠球なんて言い方もまだしてた。ハンドボール、練習きつかった。練習中は水は飲んじゃダメ、兎跳びなんてのも練習メニューの定番だった。現在はほとんどのスポーツ、練習中の水分補給、積極的に勧められてるいるみたいだし、兎跳びは良くないってことになってるみたい。隔世の感。県体(県民体育大会)にも出ました、マイナーなスポーツなんで予選参加チーム少なかったからかもしれんけど^^。当時は県立富山工業高校がハンドボール強かった。それで僕も富山工業に進学して、その後は大崎電気(昔も今もハンドボールの名門)入社、なんてことを夢見た時期もありました。実現しませんでしたが。
こないだ朝日新聞見ててビックリ。マイナーなハンドボールが今俄然人気沸騰とか。北京オリンピック、アジア代表は中東の国に決まってたんですが、予選の審判、どうも判定にひいきがあったとかでやり直しに。日本は再予選で北京行きの可能性がある。中東諸国はボイコットで、日本・韓国の2チームだけで再予選。なんか後をひきそうな嫌な感じの再予選ですが、それはともあれ、ハンドボールのニュースが多くなったからなんでしょう、ハンドボールに興味持つ人が増えた。実際、朝日に載った写真見ると、コート近くにまで観客が座ってる。韓国は強敵ですが、ハンドボール日本代表が北京出場となったら、元・ハンドボール熱中少年としては、素直に嬉しい。

ハンドボールと全く関係ないのですが(汗)、たぶん今日の昼ごろ、このブログ、3万人目のアクセスありました。05年12月29日開設→07年2月17日1万人突破→07年7月24日2万人突破→08年1月24日3万人突破、ということになります。ここんところご訪問者、ペースダウン気味ですが、マイナーな当ブログがこつこつと積み上げた数^^。嬉しく思うと共に、ご訪問いただいた皆様に感謝!です。
「世のため人のため」にはぜ~んぜんならんこのブログですが、少しでもご興味をもたれましたら、これからもぜひご訪問ください
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by tiaokumura | 2008-01-24 20:51 | このブログのこと | Comments(2)

夕食@魚采屋

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(1月23日夜・記)
昨日火曜日は7回目の金沢日。先週は卒論提出前日ってことで、仕事が終わってわき目も振らず^^富山行きの特急に飛び乗った。でも富山駅でお腹が減って、JR富山駅の3Fにある某店で夕食。本当は別の店にしたかったのですが、富山、お店が閉まるの早いんでしょうね、お目当てのお店は8時半で閉店だった。で、代わりに入ったお店、従業員のマナーは悪くなかったのですが、お客さん(リーマン^^)、もういい加減ヨッパなっててでかい声でしゃべっててげんなり。出される料理は悪くなかったのですが、ごはんがゴワゴワパリパリ。よっぽど注意しようかと思ったのですが、なんか言う気になれず店を出た。
富山駅3Fの某店の関係者の方、もしこのブログ見てたら、ごはん出すの気をつけてね。あれじゃ、コシヒカリが泣いちゃうよ。←って、関係者、誰もこのブログ、見てないって(爆)。

さて昨日火曜日、JR金沢駅百番街で2週間ぶりに夕食。カウンターで食べたい気分だったので、一度入ったことのある「魚采屋」を覗いたらスペースなかった。で、百番街にはもう1軒同じ「魚采屋」があって(こちらはタウンター+テーブル)、カウンターが開いてたのでそこに入る。僕にとっては2度目のお店。女性1人が、夕食なんでしょうね、お食事中。女性が1人で夕食って最近増えてるそうで(別にナンパされようとしてるんじゃないっすよ^^)、そういう女性が気軽に入れてナンパとかの不愉快な目に遭わないで済むお店が増えてるそうですね。いいことですよね。僕はもちろんナンパ目的でメシ食ってるんじゃないので(爆)、その女性とは椅子1つ挟んで陣取る。でも、やっぱ、一人でメシってわびしいので、横の男性に何となく話しかけた。写真↑の観世栄夫みたいな方がその方です。「名前聞くほど野暮じゃない まして身の上話など♪」なんでお互い素性とかは言わないままに歓談。地元の方なんでここでは加賀氏としときます。
哲ちゃんが先日このブログのコメントで菊姫についてアドバイスしてくれてた。で、あたしゃ、勇んで「菊姫、お願いします。菊か姫で」って注文。ところが、あらら、置いてないんですね、菊姫。出鼻からくじかれた(激爆)。治部煮もない(泣)。で加賀氏に「友達に教えてもらって菊姫飲もうと思ったんです」とぼやく。加賀氏は地元だからさぞやうまい酒飲んでるだろうと思ったら、な・なんと、彼、飲んでるのは「立山」。富山の酒です、それ(爆)。加賀氏曰く、酒は富山のほうがうまい。更に、魚も富山がうまい、だって。そんな~、あたしゃ、金沢の酒&魚、お目当てで来たんっす(核爆)。でも、似たような経験、以前もした。金沢でおいしいお店って聞いて富山からわざわざ食べに行ったことがある。「おいしいって聞いて、富山から来ました」ってカウンターの板さんに言うと、板さん曰く「富山のほうが魚はうまい」。確かに金沢で食べる魚介類、能登だけじゃなく氷見(や新湊も?)獲れも多いんでしょうね。
結局、酒は1杯目が「天狗舞・石蔵」、お代わりが「萬歳楽・白山」。←覚えてるわけじゃなく、今手元にレシートあって、そこにそう書いてある(汗)。地魚3種盛り合わせ(アマエビ+カンパチ+なんとかって貝、忘れた)、かに雑炊ブリかま塩焼き(メニューになかったけどOKだった)。ノドグロ塩焼きも食べたかったけど1800円なんで断念。ノドグロって(たぶん)ハチメの仲間。加賀氏に「500円分だけでいいから切り身で食べたい」って言ったら笑われた(爆)。「ブリかま塩焼き」は家でもときどき食べる。絶品。あと最近家では、ブリ、3枚におろして刺身とった後の残り(頭や骨側)、捨てないで塩焼きにして食べてます。これがおいしいんですね。以前はブリのざん(残りなんで「ざん」と言うのかなぁ)、味噌汁にしてたんですが、これはこれでうまいんですが、やはり脂っぽい。味噌汁も捨てがたいけど、ざんの塩焼きもおいしい。要するに、ブリ(ハマチ・ガンドとかでも)、捨てるところってほとんどない。
写真の「白山」1升ビン、これはハッタリです。加賀氏とボクで1升飲んだわけじゃありません(激爆)。

加賀氏は僕より20分ほど前に店を出る。いろいろ金沢のことも教えてもらった。彼、「よし久」って割烹、「リーズナブルな値段で」(彼自身の言葉)おいしいとのこと。だいたいそういうものなんですが、地元の人が熱心に通う店って、観光情報誌なんかにデカデカと出るお店より、ゼッタイおいしい&値段も手ごろ(高かったら地元の人、そんなに通えませんもんね)。いつか「よし久」、行ってみたい。

「魚采屋」に置いてあったネームカード(みたいなもの)に拠ると、「魚采屋」は「(株)天とん」の直営店。同社は東京では、赤坂2丁目に「海鮮市場きときと」、「きときと炙の介」、「漁師寿司きときと」を出しているようです。
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by tiaokumura | 2008-01-22 20:43 | Comments(8)

山下富雄君、射水市教育長に

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山下富雄君は、東京教育大学文学部文学科国語学国文学専攻の同期入学。彼は富山中部高校、僕は富山高校と、出身高校は異なりますが、共に富山県出身で同郷。だけど、そこまでは彼と僕の人生は遜色ないのですが、それからは大きく差がついた(恥)。僕は都会生活に浮かれて遊びに走ってしまったが、山下君は富山県民らしい粘り強さ・誠実さを遺憾なく発揮し、勉強も好きで学問の才能もあったのでしょうね、順調に東京教育大学を卒業し富山県内の高校で国語教師に。一方^^彼が郷里に戻った後も、大学も卒業せずのんべんだらりぐうたら生活@東京を続けたボク(照)。再会したのは、僕が富山にUターンして何年か経ってから、同級生の宮崎健二君が富山にやってきた時。このブログでも山下君のことは、友人ではないのだけど、何度か取り上げさせていただいている。
その彼、先週の金曜日だったか、北日本新聞の「けさの人」に登場。その記事に出てる彼の経歴を紹介すると、
県教委指導課主幹など→福岡高校校長→砺波高校校長→高岡高校校長(高岡高校は、富山・中部・高岡の「御三家」と称せられる県内屈指の進学校)→県総合教育センター所長→県立近代美術館長&県水墨美術館長→射水市教育長
ということになる。魚の「ぶり」ではないが^^、まさに「出世魚」を絵にかいたような人生!彼が「近代美術館長」時代に何度か会ったのが今のところ最後。このブログで彼の「越中讃歌」の文章を取り上げてる(こちら)のですが、それを読んだ美術館員からそのことを教えられた彼は、富山国際学院あてにずいぶん丁重なお礼の手紙と彼の小説(そうです、彼は小説も書くのです!)を送ってきた。手紙はあまりに達筆すぎて同僚の宮田さんに代読してもらった(照)。
ま、そんなわけで、「山下君」などと呼ぶのは恐れ多い方なんですが^^、ここは昔同級生だったってことでご寛恕を。彼からの今年の年賀状には近代美術館長を退任したと確かに書いてあった。

射水市は富山市と高岡市の間に位置する。新湊市(立川志の輔師の出身地)と小杉町(山下君の居住地)と、あと大門町もだったか、が平成の市町村大合併でできた市。どこの合併市も多かれ少なかれそうだったと思いますが、合併に際してはいろいろあったみたい。それはともかく、僕のような日本語教師にとっての「射水市」は、県内で最も外国人登録者数の割合が高い市だということ。これもこのブログで紹介済みですが、米田哲雄先生も射水市の日本語教育で獅子奮闘中。山下君はご多忙な教育長職に就任されたわけで、外国人児童生徒たちの日本語教育にまでは手がまわらないかもしれませんが、彼は教育のベテラン・実力者、日本語教育にも少しでも目配りしていただけたらありがたい。
今回の記事の末尾近く、似たような発想をするものなのでしょうか、彼も僕が正月に取り上げた大伴家持の名歌「新(あらた)しき年の始めの~」を引いて、
「降り積もる雪のように、射水市に良いことが、ますますありますように」とほほ笑んだ。(同記事より引用)
だそうです。

落伍者のボクが言うのも何なんですが(汗)、山下富雄君の手腕に期待するところ大です。
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by tiaokumura | 2008-01-21 22:06 | Comments(0)