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「劇団SCOT、旧利賀村で再始動」(朝日新聞8月29日)

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写真は、鈴木忠志さん(1939-)が劇団SCOT富山県利賀で再開されるという嬉しいニュース。記事中には鈴木さんの言として、
ここが死に場所でいいと思っている」「この村は滅ぼうとしている。東京にすべての権力が集中する状況を批判する視点を文化の領域で作りたい」「利賀で最後の一戦を交えたい
が紹介されている。同じ記事によると、「来年2月の公演を皮切りに、冬と夏の年2回、利賀で公演」「東京など大都市での公演も行っていきたい」とのことである。
全くの私見なのだが、富山が誇る「文化発信」は「八尾風の盆(9月1・2・3日)」「県立近代美術館」「利賀フェスティバル」がTOP3である。「SCOT」が「戻って」きて、富山在住の楽しみが増幅されました(照)。
鈴木メソッド」について今から約20年前に書いた英語エッセイ(と呼べる代物ではないが^^)を以下に引用して、SCOT再始動の喜びに代えたい(爆)。
なお英文中では舞台未見になっている「リア王」、3年ほど前だったか、富山で鑑賞することができました。しかも、公演に先立って鈴木さんの講演もありました。講演で、利賀村が「平成の大合併」とかで「南砺市」に編入されることを、鈴木さんは残念がっておられました。僕も同感。鈴木さんもおっしゃってましたが、南砺市、なんとし、と呼ぶのですが、「なんと→ナント」でフランスのナント市を連想、あと「なんとまぁ」の「なんと」も(激爆)。余談ですが「風の盆」の八尾(やつお)も婦負郡→富山市に。風情がないというか、なんとも残念です。もちろん、利賀も八尾も地域住民の方々の意見で決まったことでしょうから、よそ者のボクがとやかく言う権利はありませんが。

November 26th, 1988
There are two Suzuki methods well-known all over the world. One is a way of teaching chirdren how to play the violin. It is a kind of talent education to discover and develop child's talent for music. In Toyama there must be some schools teaching music through Suzuki metod.
Anothe Suzuki method is SUZUKI Tadashi's one. Some of you watched Shakespear's King Lear in Toga, which was also shown on NHK-E last month. That drama was acted by 12 American actors Mr. SUZUKI trained.
Well, what's Suzuki method?
At the beginning of the above TV program, he told about his method. Mr. SUZUKI said-
In ancient Greek or Noh in Japan, an actor communicated with his body, that is, he played as a flesh and blood human without other means' help. However, with the progress of modern civilization, players today have been performing poor and easy play on TV or films. In othe words, the developments of macines such as microphones or cameras have taken player's power of expression away from them. They can easily perform without using their whole body or the top of their voices.
So, Suzuki's aim is to make players recover animal energy what he calls. According to him, there are two points in his training. One is to dvelop players' control ability of balancing their bodies. We colud see it through one TVCM for Japanese sake GIMBAN. Another point is, he said, to develop control ability of breath. I once saw his actors singing ENKA(typical Japanese songs) on another TV program. Singing enka, some foreigners were learnig how to breathe, I think.
After his talk, there was held King Lear on TV. I must confess I could hardly understand that drama. I videoed and tape-recorded it. When I watch or hear the tapes after several years, will I be able to see and listen to it?
Anyway, I'm looking forward to going to Toga Festival next summer.
(注)英文中に出てくるもう一つの「SUZUKI method」は鈴木鎮一(1898-1998)の「スズキ・メソード」です。
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by tiaokumura | 2007-08-31 19:08 | 富山 | Comments(0)

卒業論文(1)データ分析の手法を学ぶための参考文献

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(写真左)
三浦省五監修
前田啓朗・山森光陽編著
磯田貴道・廣森友人
英語教師のための教育データ分析入門
 授業が変わる テスト・評価・研究
大修館書店
2005年9月 初版第2刷
1600円+税
(写真右)
清川英男・濱岡美郎・鈴木純子
英語教師のためのExcel活用法
大修館書店
2005年6月 初版第3刷
1800円+税

富山大学言語学コースでは、例年夏休み期間中に「卒論合宿」があり、級友のけんけん情報によると、今年は9月22・23日のようである。2007年9月22日(土)の午前9時頃から約1時間、脂汗を垂らしてる己の姿が幻視できる(激爆)。
僕の卒論の最終目標を達成する途中として(それが卒論合宿の発表になるのだが)、「絵によるオーラルプロダクション」という手法を使って、目下データ集めの真っ最中。A.日本語母語話者、B.日本語学習者・上級、C.日本語学習者・中級、D.日本語学習者・初級の4群について、可能な限りのデータを集めたい。現在、C群については富山国際学院B組学生諸君の協力を得て13人分のデータが集められた。A群もなんとか集まりそうだが、難しいのはB群・D群。B群は今度の土曜日予定のインフォーマントを含めてもやっと8人分。D群は富山国際学院の学生諸君の協力を仰ごうと思っているのだが、時間の余裕がなく卒論合宿には間に合いそうにない。

データが集まったとして、その次のデータ分析がこれまた難問。統計学なんて全くわかりませんもんね、ボク。中学数学レベルのヒストグラムとか最頻値とかくらいの知識しかない(泣)。でも僕って運がいい男なんですね(照)。今夏幕張であった日本語教育学会主催の研修合宿で「形成的評価とテスト」を受講したのですが、そこで講師の保坂敏子先生(日本大学総合研究所・准教授)にExcelを使ってのデータ分析について手ほどきを受けた。残念ながら受講内容ボクは未消化ですが、Excelってずいぶん優れモノ(ツール)なんですね、知らなかった(恥)。「形成的~」はその後メーリングリスト立ち上げ、僕もそこに参加。MLのメールで話題に上がっていた本3冊のうちの2冊が写真の2書。保坂先生ご推薦の本で、Amazonで購入。パラパラとめくってもちんぷんかんぷんですが(恥)、必要箇所(t検定、x2乗検定、有意差など)だけでも拾い読みして、卒論合宿の発表に役立てようと思っています。
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by tiaokumura | 2007-08-29 12:10 | 卒業論文 | Comments(0)

鶴の舞

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と初めて会ったのは1965年4月。今は亡き(無き)東京教育大学国語学国文学専攻の新入生同士であった。彼は愛知県の名門明和高校出身。身長は僕がわずかながら優っていた^^けど、それ以外は全く彼に歯が立たなかった。彼の関心は僕の何倍も広く、彼の知識は僕の何倍も深かった。(古代から現代までの)日本文学や国語学の造詣といった専門領域は言うまでもなく、美術・クラシック音楽・謡・食・麻雀など趣味は数多(しかもそのどれもが当時の大学生の標準を遥かに超えている)、読書は質量とも半端じゃない。世の森羅万象全てに通じているのではないかと、僕には思わせる存在であった。国語国文クラスにあってはリーダー的存在、男女比4:6くらいだったと思うが男女ともに彼には一目も二目も置いていた。
あの当時は勉強会も盛んで、でも、僕にはそういうのが苦手だったのだが、彼に誘われて『平中物語』にちょっと顔を出した。『平中物語』(『平仲物語』とも。内容はもうほとんど忘れた)は『伊勢物語』ほど有名ではないが、在原業平をユーモア仕立てにした(平貞文と思われる)男が主人公の歌物語。今でもウロ覚えに覚えているのは、彼が恋焦がれる姫君のおまる^^を手に入れその匂いに悶絶する話。実はそのおまるには、姫君か侍女のいたずらだったと思うが香木か何かを入れてあった。手元に本がないので(確かあれは角川文庫だったか。角川源義の関係であの当時の角川文庫には日本古典文学がけっこう入ってた)確かめようがない。記憶間違いかもしれない。
勉強会・山中湖の合宿・彼の安城市の自宅に泊めてもらったこと・サークル「学生文化会」などが、彼との初期の思い出に位置づけられ、かれこれ40年余のお付き合いである。彼が東久留米市に住んでた頃に居候をさせてもらって、でも僕のぐうたらぶりにさすがの彼も堪忍袋の緒が切れて追い出されたことも、今となってはいい思い出(自爆)。

彼のことを書き出すとキリがない。
在学中、彼のような男こそ将来の国語学国文学を背負って立つ男だろうと思っていた。理想的な教授の資質を持っていた、彼は。僕ならずとも多くの教官・学生が彼の将来を嘱望していた。だが、よくは知らないのだけれど、あるいは彼はある種の「深淵」を覗いてしまったのかもしれない、大学をドロップアウト。彼の真似をして!僕も続いた(照)。
岩波書店の雑誌『文学』はかつては月刊だったが、今は季刊(か隔月刊?)。各大学の「国語学国文学」も縮小・廃止傾向にあるとか。彼一人でどうともなるものではないのはもちろんだが、アカデミズムは若き逸材を失ったと思う。
今、彼はそんな大昔のこと^^なんかどうでもいいこととして、ちぎり絵教室(「がんぴ舎」)主宰者として全国各地を飛び回っている。僕は門外漢なので間違ってるかもしれないが、彼は、最良の和紙を求め、ちぎり絵の創造性を追究し、ちぎり絵創作の喜び・楽しみを普及することに、日夜励んでいるのだろう。

40余年の期間、彼との友情の糸は太くなったり細くなったりだが、僕にとっての親友であることは一貫して続いていると(、片想い^^かもしれないが)僕は思っている。
僕が富山にUターンしてからまもなくだと思うが、彼は梨を(彼は米子在住)僕は富山米を相互に贈る習慣ができている。彼からの梨が届くと「あぁ、夏ももうそろそろ終わりかなぁ」などとも思う。

特選東郷二十世紀梨梨『鶴の舞』」、JA鳥取中央東郷梨選果場のものらしい。今回は(今まではそうではなかったような気がするが)夫婦連名。ちなみに、彼の「才長けて見目麗しく情ある」奥さまは、このブログのコメントでおなじみの「哲ちゃん」の妹さんなのである。

宮崎健二・純子ご夫妻!
梨、届きました。今年も感謝しつついただきます。

近日中に富山米(玄米)お送りします、乞うご期待!
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by tiaokumura | 2007-08-28 18:28 | このブログのこと | Comments(0)

8月24日(金)の晩酌

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今日は一日中バタバタしていて、夕食が午後8時過ぎになってしまった。
写真、
手前神通川産鮎の塩焼き
上右我が家の庭で取れたての茗荷
上中酢の物
上左キリンビール
です。
今夜の晩酌メニュー(照)

。このあいだ、富山大学言語学コース同級生のさやえんどう(4年)の話で、彼女のお父上が富山にお見えになり神通川で鮎釣りをなさると聞いて、いささかビックリした。彼女は確か北関東出身。神通川の鮎って、知る人ぞ知る逸品なのかもしれない。子供の頃、Kおじが「友釣り」ってのだったか、神通川井田川だったかもしれない)で鮎を釣る趣味があるというのを聞いたことがある。僕は短気なので釣りはダメで、釣りのことは全く知らない。友釣りって今はやってないのかもしれない。この写真の食卓の鮎はご近所からのいただき物。シーズンが過ぎてるからか味はイマイチですがおいしく食す。
茗荷。茗荷は薬味が一番ポピュラーなのかもしれませんが、こうして晩酌の肴にも絶品です。庭で取った茗荷、薬味にも使ってますが、今夜はビールのおつまみで登場^^。半分に切って氷水でしめ、味噌をつけて食べる。鰹節と醤油で食べるのもおいしい。富山だけかどうか、茗荷は茗荷寿司という食べ方もあります。
酢の物。若布・ネギ・オクラ・カニ・ゴーヤなど。正直言うと、酢の物もゴーヤも苦手なんで、箸で一掴み、グイッと口中に放り込みます(爆)。

富山国際学院の学生たちからは「先生」と呼ばれ、富山大学言語学コースでは幸いにもある程度以上受け入れてもらえ、更に今夜こうしておいしいものを食べられ、家あり・貯金わずか・借金ゼロのこの人生、幸せだと思う。ちゃらんぽらんな人生送ってきたので、もちろん、負の遺産というかこれまでの人生のペナルティをしょってこれからも生きていかなければならないのだけど、「自分のような者でもまだ暫くは生きたい」と思う。
若い頃、60歳を過ぎると己の死に対して諦観というか受容準備ができるように漠然と思ってたのですが、どうもそういうわけでもないのかもしれませんね。

今年2007年、植木等さん(生年1926年。以下同じ)、小西甚一先生(1915)、城山三郎さん(1927)、小田実さん(1932)、観世栄夫さん(1927)が鬼籍に入られ、海外ではミケランジェロ・アントニオーニさん(1912)、イングマール・ベルイマンさん(1918)が亡くなられ、ごく近いところでは山口小夜子さん(生年非公表)、富樫雅彦さん(1940)も。
どの方も大なり小なり僕の青春の形成に関わりがあった方々である。
謹んでご冥福をお祈りしたい。
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by tiaokumura | 2007-08-24 20:08 | このブログのこと | Comments(0)

秋篠寺「伎芸天像」

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総監修 清水眞澄(成城大学学長・三井記念美術館館長)
週刊 日本の仏像11
秋篠寺 芸術の、伎芸天と西大寺

講談社
平成19年8月23日発行
580円

平日がゆっくり過ごせるのも今日限りかなぁと思いつつ2007年8月22日を過ごす。今もそうだが何と言っても卒論が大変だし、来週から再開する富山国際学院ではB組の学生たちの能力をどこまで引き出しリードしていけるか、G組の学生たちのnextをどのように展開していくか、富山大学・富山国際学院とも気を抜けない日々がこの後ずっと続く。卒論の提出が終わり、B組の学生諸君の進路が決まり卒業式も済ませた3月中旬ころにならないと、の~んびり&まったりな平日は来ないんだろうなぁ、きっと。でもその後には更に多忙かつ困難な毎日が待ち受けているのだけれど。

博文堂さんの支払い&注文、遅れに遅れたのだけど(汗)、今日済ます。レジ対面に置いてあった本がこの本。
秋篠寺の「伎芸天像」、僕の一番好きな仏像です。出会ったのは、今から40年近く前、東京教育大3年生の時。教育大国語学国文学専攻では、3年次に京都・奈良の旅行が組み込まれている。事前調査や日程設定、あるいは宮内庁への申請など学生が分担したのだろうけど、そのあたりとんと記憶に残っていない。新幹線が開通してたからそれに乗って行ったのだろうか、それさえ記憶にない。
秋篠寺は何日目に行ったのだろうか。広隆寺、唐招提寺、法隆寺、薬師寺、平安神宮、京都御所など錚々たる訪問先と比べ、正直あまり期待もせず、なんとなくボンヤリと秋篠寺を訪れた。本堂内陣の薬師三尊・十二神将から伎芸天像に目を移したとき、電気が走ったような感動に襲われた。たおやかだが憂いを帯びたようなお顔、むっちりと官能的でしかし衆生の煩悩を暖かく受容していただけそうなお体、指を軽く曲げ前方に向けた優美な右手など。所々はげかかっているのだが、そんな欠点さえ、時間を経ても凛として眼前に屹立する立像に似つかわしい。

この本によると、伎芸天立像は204.5cm、頭部は奈良時代のまま、体部は鎌倉時代の補作であり、礼拝像としては日本に伝わる唯一の伎芸天だそうである。「東洋のミューズ」と讃えられるそうだが、そんな比喩は無用であろう。
40年前のその日、秋篠寺と前後して法隆寺や薬師寺も訪れたことだろう。法隆寺も薬師寺もそれぞれに素晴らしかったが、秋篠寺の「伎芸天」は今も震えるような感動とともに思い起こせる。

妻と「子供たちが自立したら一緒に奈良・京都旅行をしよう」と話したことがある。妻に伎芸天を見せたかった-そんなささやかな夢も今となっては叶わぬ夢。
いつの日か伎芸天に会いに行きたいと思った。
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by tiaokumura | 2007-08-22 20:43 | 美術 | Comments(0)

鉄腕アトムと@東京駅

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-22日午後・記-
19日(日)午後、最初で最後の東京教育大学跡地訪問芭蕉の「夏草や兵どもが夢の跡」を思ったり、高橋和巳『邪宗門』を思い浮かべたりした。高橋和巳(1931-71)の『邪宗門』は、「朝日ジャーナル」連載時(1965年1月~66年5月)から読み耽った、日本の思想小説(そういうジャンルがあるかどうか知らないが)の最高峰の一つ。大本教などがモデル。文庫本になってるかどうか(今はもう読もうとする人は少ないか)、僕が持っているのは『高橋和巳作品集4』(河出書房新社・1970年初版、当時750円、函入り)。僕は今では「所有」してるだけで読み返す気力もない大河小説だが、冒頭次の文で始まり、
最初、砂礫敷きの細ながいプラットホームがなんの飾りもなくのびる駅に降り立ったとき、鮮明な雲の輝きが、少年の胸を撃った。(同書p.7)
最後は次の一文で終わっている。なお「地獄谷」はかつて教団の本部があった場所の今の名称である。
地獄谷には近郊の人々もほとんど近寄ろうとはしなかったが、時折り、白い旗をもった狂人が何かを叫びながら彷徨している姿が見られ、夜には、とりわけ雨の降るときには、人のすすり泣くような風音があたり一帯に響くという。(同書p.614)
また同書は吉本隆明(1924-)の<巻末論文>を所収、同論文の最末尾は以下の通り。引用2文目は、慎重かつ正確なな言い回しになっている分だけ「悪文」かも(爆)。
おわりに、高橋和巳さんの健筆と健康を祈る。なぜならば、わたしはかれが現在大学教師としてしめしている<善意>と<良心>の質をさほど評価しないが、その<善意>と<良心>の質的な特徴にもかかわらずうみだしている幻想と現実にたいする優れた認識や感性の表現と、その人格とを愛惜してやまないからである。(同書p.659)

日曜日の午後、僕以外にはかつてこの地に東京教育大学という名の大学があったなどということを知らないであろう人々の中に交じり、ほとんど完膚なきまでにその大学の匂いを消された跡地に立ち、「悲しみ」とも「懐かしさ」とも形容しきれない感慨に、短い時間だが浸った。
旧帝大や筑波大、一流私大などには、今は「我が世の春」「お家安泰」なのだろうが、富山大学を含む他の多くの大学にとっては、あからさまな市場主義・競争原理が導入された今の大学システム下、今は過酷な「冬の時代」である。確かに「自助努力」しない大学は滅んでもしかたがないのだろうけれど。残酷で無責任な物言いになるが、今の僕自身は、卒業できさえすれば、後は何の興味も関心も富山大学に対してはない。だが、今の大学教育行政、決して丸ごとは評価できない。

茗荷谷から地下鉄丸の内線に乗る。このメトロ(今ではこういう言い方になってるんですよね)、途中の後楽園あたりでほんの短い時間、地上に出る。大学時代、確か体育の時間、後楽園までローラースケートしに行った。本郷3丁目は、家庭教師先があった。

再び東京駅
期間限定ショップなのかもしれないが「TOKYO ATOM」。ポストカード8枚購入。〆て1256円。右上の写真、この店でアトムの横で写しました(照)。
CAFE BIS」で「カキ氷 練乳ココナッツ」、680円。富山では恥ずかしくって食べられんけど^^、旅先なもんで大胆にもチャレンジ。でも、頭がキーンと痛くなってもうた(爆)。
1週間ほど前買いそびれた「東京ばな奈」、今回は営業してたので首尾よく購入(激)。あと、富山大学・言語学コースへのお土産、横浜で買い忘れてしまってたので(恥)、「サザエさん 人形焼」ってのを買う。こういう人型のお菓子、正直言って僕は不気味で苦手なんだけど、今の若者は喜んで食べてくれそう(食べてね、言語学コースの良い子の皆さん!)。駅弁も買う。「30品目バランス弁当」。青のり以下蓮根まで、確かに30品目明示してある。

MAXとき337号17:12東京発。往きと違って今度は1階席。その後、越後湯沢ではくたか20号に乗り換え、富山駅に着いたのは20:44。
自分へのご褒美」って意味の旅行でもなかったのだが(照)、1泊2日の横浜・東京なんとか無事終了。この後、年内、旅行の予定はない。
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by tiaokumura | 2007-08-19 16:18 | Comments(0)

かつてこの地に東京教育大学ありき(2)

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-22日午前・記-
ずいぶん便利な時代になったもので、ネット上でかつての東京教育大学が偲べる資料をいくつも読むことができる。以下、「教育大学新聞 東京教育大学・学部学科専攻紹介(1970年)」「文学部」から引用。

文学部は充実している点では日本でも有数といわれる。だが筑波問題の渦の一つの中心ともなって、教授会の全き分裂、学長による教授会の"教育の道具視"、権限縮小、無視はさらに、教育大廃校、新生文学部からの反対教官パージをも予想させる。教育研究への権限の露骨な介入である筑波、その過程での学内の中央集権に反対した教授会の今後の姿勢がその将来を決定する。と同時にそれは、全国学園闘争の中で投げかけられた「教育研究することの意味」が尖端的に問われたのであり、社会と、生きることの意味を常に問う文学部の学問内容の必然だったろう。文学部は少人数で密度の高い学習で君を鍛え、さらにその学問の意味をも君に問いかけるだろう。
同記事は「受験生特集号」で記事中の「君」は受験生を指す。筆者については知らないし、必ずしも「名文」ではないのだろうけれど、あの当時の雰囲気をよく伝えた記事だと思う。記事中のいくつかの「志」は、「現在の僕」にも微小ではあるがインプットされている。また、現在の大学が依然として克服しなければならない課題も提示しているのではないだろうか。

同記事によれば、当時の教育大(他大学と異なり、教養課程と専門課程に分けず1年から専門課程が学べた)文学部を構成する専攻は以下の通り。( )内数字は定員。
哲学(20)倫理学(15)史学方法論(5)日本史学(20)東洋史学(15)西洋史学(15)国語学国文学(30)漢文学(15)英語学英文学(20)アメリカ文学(5)独語学独文学(15)仏語学仏文学(5)言語学(5)社会学(10)法律政治学(15)経済学(15)
法律政治学・経済学が「文学部」内にあるのも、当時の国家権力につけこまれる一因になったのかもしれないが、専攻紹介記事を読んでも実に充実した学部であることがわかる。僕は当時「国語学国文学専攻」で、今は富山大学・言語学コース東京教育大学・言語学専攻は、あの当時は全くの関心外だったのだが、この記事に拠れば、わずか定員5名!(院は修士4名・博士2名)で、教官がなんと!5名。教授陣が、河野六郎教授、関根正雄教授、田中春美助教授、千野栄一助教授、青柳精三助教授(肩書はいずれも当時)だったってんですから、今言語学少し齧ってるボクにもすごいメンバーだったってことが実感できる。三省堂『言語学大辞典』の編著者は3人なのだが、うち二人は河野六郎・千野栄一(あと一人は亀井孝)と付け加えるだけで充分であろう。
国語学国文学の教授陣は、中田祝夫教授、馬淵和夫助教授、小松英雄教授(以上、国語学)、峯村文人教授、小西甚一教授、鈴木一雄助教授、尾形仂助教授、桑原博史助教授、分銅惇作助教授(以上、国文学)で、こちらも豪華絢爛^^。

東京教育大学は5学部の総合大学。文・理・教育学部が大塚、農・体育学部はそれぞれ別の地にキャンパスがあった。

もう再び訪れることのない東京教育大学跡地
写真撮影後、右手に持ったブーメラン、飛ばしてみました(爆)。ブーメランはまた手元に戻ってきましたが、かつてこの地で過ごした僕の青春は・・・きっと遥か彼方の時空間に逝ったままなんでしょうね(照)。
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by tiaokumura | 2007-08-19 15:44 | Comments(5)

かつてこの地に東京教育大学ありき(1)

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-22日午前・記-
19日(日)。昼食を済ませ、新丸ビルから東京駅丸の内口、駅構内を通って再び八重洲口(簡単に書いたけど、散々迷った^^)に出て、DoCoMoで充電済みのケータイを受け取る。

帰りの電車まで約2時間半。「八重洲ブックセンター」(意外かもしれませんが、僕はまだ行ったことがない)に足を向けようかとも思ったが、膨大な本を見るには少々疲れている。ふと思い立ち、「東京教育大学」の跡地を訪れてみることにした。
八重洲口からは東京駅の丸の内線乗り場が遠そうなので、山手線に乗り、池袋から地下鉄丸の内線。新大塚あたりから、なんだか胸がドキドキ。だって実に35年ぶりくらいですもんね、茗荷谷なんて。東京からふるさと富山にUターンする際も、かつての母校を訪れたいとは思わなかった。加齢に伴うノスタルジー(照)なんかもしれませんね、母校(っても卒業はしとらんのだけんど^^)再訪なんて。
茗荷谷駅を出て、光景が一変しているのに驚く。春日通りは旧来のままなんだろうけど、駅前にあった喫茶店(名前は忘れた^^。たまり場でもあった。もっとも僕の所属してた「学生文化会」というサークルは、池袋の「しゃぼん」が行きつけの喫茶店だったのだけれど)がないのは当然と言えば当然だけど、あまりにもたくさんの店で大学に向かう通学路が見当たらない(恥)。ウロウロした挙句、ようやく校門に行き着く。この門は往時のままのような気がする。案内図には「筑波大学夜間大学院」などの記述。今、この地は「教育の森公園」とかでもある。
公園散策。途中この公園の由来を書いた看板。この写真がそれで、僕が指差しているあたりに「東京教育大学」の6文字あり。
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by tiaokumura | 2007-08-19 15:34 | Comments(0)

横浜→新丸ビル

-22日午前・記-
18日(土)、横浜ロイヤルパークホテルに泊まる。自宅では豆電球を点して眠るのだけれど、今は翌朝何時に起きてもかまわないので、ボクには分不相応な^^このホテルの1室、照明を全部落とし、なおかつ緞帳のようなカーテン(こんな高級ホテル、ほとんど泊まったことないんで、名称不明。ベッドサイドでup-downがコントロールできる)も下ろし、更には脳内の目覚まし時計をオフして眠りに就く。今にして思えば、夜明けの光景を見るべく、窓のカーテン開けておくべきだったか。
1回目に目が覚めたのは6時頃。再びあるいは三度・四度目が覚めまた眠り、最終的に起きたのは9時前。シャワー・着替えの後、朝食を取るために階下へ。以前NHKTVでエレベーター開発プロジェクトの番組があった。今回僕は利用しなかったが、このホテルの「スカイガーデン直通のエレベーター」は秒速750m、「10円玉も倒れない滑らかな乗り心地」なそうな。
フロント。チェックアウトは11時なのだけれど、込み合うので「クイックチェックアウト」ってのを利用。朝食はB1Fの「カフェ カフェ フローラ」、「フローラ」は「花」の意味なんだろうか。卵料理とその付け合せ及び飲み物はチョイスで、後はバイキング(「バイキング」って、先年惜しくもなくなられた帝国ホテルの村上信夫さんが考案されたんですよね、確か)。スクランブル+ベーコン+コーヒーを選ぶ。シェフがオムレツを焼いているのを見ることができるコーナーがあったので暫し見入る(照)。富山大学のクラスメートのけんけん(4年)にエラソーに「いつかオムレツ焼いて食べさせてあげる」とか約束しとるんで^^、シェフのを見ながらコツを再復習(若い頃、オムレツ何回か焼いた経験がある)。オムレツってシンプルな料理だけど、なかなか難しい。卵のほぐし方、フライパンへの落とし方、火加減と交ぜ方、オムレツ状にしていくタイミング、フライパンの傾け方、最後の仕上げなどなど、いくつもの工程がある。ひょっとしてオムレツが上手に作れるって天才なんかも。「フローラ」のシェフ、よく使い込まれた厚手で小ぶりなフライパンで、僕が見てる間に2つオムレツを作った。
部屋に戻り、荷造り・片付けなど。今回の旅、荷物2つなんだけど、そのうちの1つ、ホテルから自宅に宅急便。帰り際、フロントでDoCoMoショップが桜木町駅前のワシントンホテルにあると教えられる。
プチぜいたく」って言葉があるが、今回のこのホテル、僕にとっては「プチ」どころか「グランぜいたく」(激爆)。僕が泊まったことがあるシティ・ホテルのランキングTOP5、これで①メリケンパークオリエンタルホテル(神戸)・②ニューグランド(横浜)・③山の上ホテル(東京)・④ロイヤルパーク(横浜)・⑤鐘楼飯店(確かそんな名前。西安)になるかなぁ。

桜木町駅前のDoCoMoショップ。充電に1時間半くらいかかると言うので断念。東京駅近くのショップを教えてもらう。京浜東北線で桜木町→横浜、横浜駅で「アクティ東京」に乗り換え。

東京駅。迷子になりつつも^^、八重洲口のDoCoMoショップ発見。充電のためケータイを預ける。
新丸ビル」。1~4Fのshopping Zone。「いいモノ」がきっと多いのだろうけど、なんせお金がない(爆)。見るだけ。鳩居堂がが4Fに入っているのだが、銀座本店とは段違いに品数が少なく、「これは」ってのはなかった。結局、たまたま通りかかったお店の前で、中年の店員さんがブーメランを飛ばしてたので、それを2つ買っただけ。商品名は「ROOMRANG」、お店は「QUOMIST」、2つで1638円也。
昼食。あまりにもたくさんお店があり(80店以上はあるかも)、迷った末、これまでほとんど食べたことのないドイツ料理にする。ビールも魅力あったし^^。ドイツビアバー&レストラン「FRANZ Club」。1時半頃、横浜の「山東」ほどではなかったが、行列少し。
コース料理。それぞれから選ぶ形式で、前菜は「直輸入ドイツハム」、メインは「焼きドイツソーセージ2種」、デザートは「本日のアイス」、飲み物は「コーヒー」にする。気になる^^ビールは、1杯目は「ヴィスビアゴールドMサイズ」、2杯目(照)は「オプティメーターSサイズ」。後者は「断食期の修道士が栄養源として飲んでいた、はちみつの風味と高い麦汁濃度が特徴」なそうな。こういうの飲めた修道士、羨ましい(爆)。
子供の頃、「ミュンヘン・札幌・ミルウオーキィー うまいビールの・・・♪」とかってTVCMソングあったが、この「FRANZ Club」、「600年の歴史を誇るミュンヘン老舗製造所の樽生ビール」などがウリで「本当のドイツが、ここにあります。」。また訪れたいレストラン。次回は、フリードリンクコース¥3980にしようかしらん(激爆)。
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by tiaokumura | 2007-08-19 13:00 | Comments(2)

ケータイの充電器を持って来てなかった!

-20日夜・記-
18日(土)夜。「山東」を出て、広東道から朝陽門をくぐって山下公園に向かう。途中、前回泊まった「ニューグランド」が右手に。
山下公園」。大道芸人がいて観客も多数。僕もしばらく見物。なんて言うのか、火焔トーチ(って言うのだろうか?)3本使ったジャグリング。20代の若者か、笑いも取りながらの熱演。終演後、帽子を差し出したので僕も2850円くらい入れてきた。それだけの価値がある芸。最後に口中に入れて火を消してみせたのは、ちと興ざめだったけど。
山下公園から「シーバス」に乗る。初体験。渡る海風が心地よい。前日は横浜も猛暑だったろうけど、この日(18日)は思ったより暑くない日だった。ほんの10分ほどの海路なんだけど、横浜の夜景、みごと。
赤レンガ倉庫」で下船。ここは前回来られなかったスポット。写真も撮りたかったけど、電池切れで(泣)。いくつかあるレストラン、家族連れ・カップルなどで賑わっている。赤レンガ倉庫2号館内の「karako」でエコバッグ1つ(1260円)購入。横浜まで来てエコバッグ買うなんて、愚の骨頂かもしれんけど、なんせお金が(爆)。それに「エコバッグ」前からほしかった。大阪屋(富山国際学院近くのスーパー)、これ持っていけばレジ袋いらんし。
ぶらぶら歩いて「横浜ワールドポーターズ」。冷たいものがほしくなったので「YOGEN FRUZ(Uはウムラウト付き)」で「バニラ・キャラメルチョコレートトルネード コーン」(960円)を買う。トッピング、そんなもんボクにはようわからんので(恥)テキトーに言って作ってもらったんだけど、おいしかった。こういうの富山では、きっと恥ずかしくって、ようできないんだろうな。「旅の恥はかき捨て」かも(激爆)。
さらにまた歩く。「パンパシフィックベイホテル」だったかでDoCoMoショップ発見。これで充電できると思ったがぬか喜びだった(泣)。ボクのケータイ、こないだ買い換えたのだけれど、なんか合わないとかで、このお店では充電不可能。とほほ。
クィーンズスクエア」の前で、さっきの山下公園とは別の人なんだけど、同じような火焔ジャグリングをやってた。
心地よい疲れで「ロイヤルパークホテル」に戻る。「さ、充電するゾ」とバッグから充電器を取り出したら、これがな~んと!前のケータイ用で合わない。新しいケータイ用の充電器、持って来てなかったおマヌケなボク。今回の旅で最大の失敗。フロントにTELしたら「万能の充電器ある」とのことで、欣喜雀躍(←オーヴァー^^)。だが、持って来てくれたのはいいけど、これがまた僕の携帯には合わない。とほほ。僕の携帯って、そんなに特殊なんかいな(怒)。ま、充電器を忘れた僕が一番悪いんだけど。
こうして、第1夜は終わった。
ホテルライフの楽しみはプールバーなんだけど、どちらも味わわないまま、いつしか眠ってしまっていたアホでマヌケでドジなボクであった(核爆)。
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by tiaokumura | 2007-08-18 18:10 | Comments(0)