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新入生歓迎会(2)

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今年の新入生歓迎会、去年と比べると集まり悪かったような気がする。幹事のハシゲン(=「走る言語学」。3年生)によると1次会23人の参加だとか。肝心の2年生(10人くらい在籍か)、4人ほどしかおらんだような気がする。先生も5人中2人欠席。
それでもこうしてにぎやかに楽しめるのは若者の特権かも。ボクも「若者」しました(照)。来年からは参加できないと思うと、ちょぴりしんみり。芭蕉じゃないけど「おもしろうてやがて・・・」かも(爆)。
この後、ボクはオテル・ドゥ・ケンケンでお泊り。早い話が粕谷さんのアパートで一宿一飯(=B&B^^)っす(激爆)。
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by tiaokumura | 2007-04-30 23:28 | 僕は大学4年生 | Comments(0)

新入生歓迎会(1)

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左から
冨澤さん@3年編入生、奥村@4年生、リリヤさん@ロシア人留学生、粕谷さん@4年生
です。
冨澤(←本人による正しい表記。富沢、じゃないんっすね)さんはこのブログ初登場^^。今年の編入生2人のうちの1人。これからいいお付き合いできそうなタイプの男(の子?)です。
今年度の言語学コース新入生歓迎会、1次会は「フランジパニ」とかってアジアンテイストなお店。この写真はそこじゃなくって、言語学実験室(1)って言う、いわば言語学コース生の溜まり場で。
水野さん@タイ、見てますか?
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by tiaokumura | 2007-04-30 21:50 | 僕は大学4年生 | Comments(5)

ETV特集「ホワッツ・テラヤマ?」(NHK-E)

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寺山修司(1935ー1983)を取上げるということで、昨日午後10時からのETV特集を見た。この間の「あしたのジョー」もそうだったけど、この手の特集、今&これからも多そう。で、「ジョー」はおもしろかったけど、昨日のはつまんなかった^^。若い活動弁士(名前、覚えとらん^^)が進行役で、あの当時のフィルムや美輪明宏の回想が挿入され、語りは福島泰樹。美輪(あの当時は丸山)は、寺山の主宰する劇団「天井桟敷」で再々デビューってことになる。番組中では山本義隆のアジ演説がよかった。今朝の朝日、彼の新刊広告載ってた。
番組進行役の活動弁士の、「寺山の『見世物小屋』は、国家による見世物小屋=『大阪万博』に敗れ去った」、「団塊世代は今も『自分探し』をしている」っての、「何か違う」と思う反面、「なるほど、そういう見方もあるんだなぁ」とも思った。

よく考えるとボク、寺山の映画は何篇かリアルタイムで見てるが、「天井桟敷」は生は見とらんし、寺山の膨大な著作もあんまし読んどらん。イマドキのことばで言えば「マルチタレント」{多芸多才な人)ってことになるのだろうけど、彼の底にあるものは故郷喪失でそれがいろんなジャンルに(たまたま)開花した(=ハマった)ように思う。もう一つ思うのは、(本当はそうじゃないんだろうけど)ボクが彼に対して「田舎者の才人」って偏見を持ってるのかなぁ。
そうは言っても、彼のこと嫌いじゃない。
マッチ擦るつかのま間海に霧深し身捨つるほどの祖国はありやと
は戦後の名歌の一つだろうし
時には母の無い子のように」(歌カルメン・マキ)や「あしたのジョー」(歌尾藤イサオ)、「浜昼顔」(歌五木ひろし、作曲は古賀政男!)なども好きです。
寺山って、換骨奪胎と言うかパクリの名人(核爆)。放送中で美輪も言ってたけど「人(のもの)は自分(のもの)、自分(のもの)は自分(のもの)」(正確に何て言ってたか忘れたけど^^)。「時には母の無い子のように」も黒人霊歌'Sometimes I feel like a motherless child'から来てる、きっと。でも「だから悪い!」なんて批判受け付けないところが寺山の魅力なんだろうなぁ。

(追記)青森県三沢市寺山修司記念館があります。
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by tiaokumura | 2007-04-30 10:43 | このブログのこと | Comments(7)

山形洋一『おもしろく学ぶ ネパール語』

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山形洋一
おもしろく学ぶ ネパール語
国際語学社
2003年5月20日 初版発行(改装版) 2005年6月20日 第2刷
1800円+税

そんなわけで(照)、ネパール語のお勉強を始めたオクムラくんです(核爆)。
この本、昨日書いたように、明文堂っていう富山市内最大級の本屋さんでゲット。明文堂って何軒か市内にあるのですが、その中でも一番大きいお店で、新庄のほうにあります(っても、富山市に土地勘ない方にはとんと見当がつかないでしょうけど^^)。今風の本屋さんで、1Fにコーヒーショップ(みたいなコーナー)があり、2Fにはいす席があって本が読めます。そんな売り場面積が県下最大級の本屋さんなんですが、ネパール語はわずか1冊。ボクに買ってもらえるのを陳列棚でひっそりと待ってくれてました(そんな錯覚に陥った!)。
この本の「はじめに」によれば、「ネパール語は日本人にとって学ぶのが楽な言語」だそうです。でもねぇ、語学アホのボクには、無理っぽい。第一、文字が・・・ハングルでさえ全くわからんままだし(恥)。
山形洋一って方も、国際語学社も、ボクには初めて(ごめんなさい)。

ま、富山国際学院には母語がネパール語、何人もいるので、わからんことは彼ら(全員男性)に聞けるのが救いかも。
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by tiaokumura | 2007-04-29 20:42 | 僕は大学4年生 | Comments(1)

卒業研究題目

昨日4時が締切だった「卒業研究題目」、案の定ギリギリ30分前に教務課に提出滑り込みセーフ(恥)。言語学コース学生でゲット(富山弁でラストの意味)だった^^。

人文学科言語学コース
学籍番号10619002
氏名奥村隆信
研究題目日本語教育現場におけるテイルの習得と指導
       ~ネパール語母語学習者の場合を例として~
研究予定内容
学習者の「誤用」の原因には、①教師の指導力不足、②学習者個人の問題、③日本語そのものに内在する困難、④学習者の母語に内在する困難、などが考えられる。
本研究では、ネパール語母語学習者の「テイル」習得について、次のように取り組む。(1)テイルの先行研究(金田一・工藤など)を整理する、(2)現行の日本語教科書のテイルの提出順・指導例をまとめる、(3)ネパール語と日本語のテイルとの対応関係を探る、(4)ネパール語母語学習者が、テイルのどれにつまずきやすいか、初級・中級レベルでの特徴はあるか、4技能別に差はあるか、などについて、筆記テスト・会話・作文・読解などを通じて明らかにする、(5)テイル習得についての先行研究(中国語母語・ロシア語母語など)を読み、本研究と比較対照する、(6)以上の結果をもとに、日本語教育現場でネパール語母語学習者対象のテイル指導はどのように取り組めばよいか、指導教案例を作成する。
当面の目標として、(1)~(6)のうち、(4)(6)以外は7月3日(火)の前学期演習で発表できるようにしたい。

↑「やっつけ仕事」ってのありありな題目。提出デッドラインにはなんとか間に合ったけど、前歴あるボクのこと、たぶんこのまま順調に卒論準備にってことにはならない公算大(汗)。
呉人恵教授に僕の指導教官になっていただこうと思っているのですが、先生、ボクのようなオッサン、きっと指導しにくいだろうなぁ(自爆)。
ま、緊急避難みたいな感じで題目提出してしまったんですが、出した以上まずは「ネパール語」の勉強をと思い^^、富山市内で一番大きい明文堂に行って、山形洋一『おもしろく学ぶ ネパール語』(国際語学社)ってのを買いました。いいかどうかわからないんですが、この本しかなかった! あとAmazonで英語版のネパール語(のたぶん)独習本も2冊注文。
5月下旬、早くも「撤退&転向」なんてことになりそうな予感もする「卒業研究題目」です(大汗)。

PS ネパール語(Nepali)学習経験のある方いらっしゃいましたら、ご連絡下さい!
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by tiaokumura | 2007-04-28 21:11 | 僕は大学4年生 | Comments(1)

明日からゴールデンウイーク休み(っても学院生ですが^^)

富山国際学院、何年前からだったか、ゴールデンウイークの谷間の平日も休みになり「ゴールデンウイーク休み」に。今年の場合は5月1・2日が休校でトータル9日間のお休み。各クラス、宿題がたっぷり出たようですが、それでも「休み」って学生には嬉しいものでしょうね。富山大学もそうなってくれれば、「学生」のボク、大喜びなんですが、5月1日の1時限はばっちし授業(しかも発表担当!)が入ってる。4月30日言語学コースの新入生歓迎会(略して新歓)の日で、きっと1日、二日酔い状態での発表は必至かも(核爆)。
学院、そんなわけで9連休なんですが、同じように教師もお休みかと言うと、そんなわけにはいきません。そんな甘い世界やおまへんのです、わしら日本語教師は(爆)。学院の休み期間を利用して、新年度スタートして約1か月のここまでの授業を反省し、改めるべき点は休み明けに修正していかなければならないし、ふだんは「その日暮らしの自転車操業授業^^」やってるんで(あ、ボクがそうだってだけで、他の先生は違いますよ!)この休み中に教材作成とかしとかんならん。とほほ。
更に、GW休み中に事故・事件などが発生したら、それに対応せんならん。なんかボク、内閣危機管理室長(そんなんはない?)にでもなったような気分。もちろん他の先生方も対応体制にはありますが、一番ヒマそうなんがボクなんで^^、24時間、ケータイ、オンにしとこうかと。名前だけの存在だけど^^、何と言ってもやっぱ「理事長」だし(照)。
学院生のためならたとえ火の中水の中、っては思ってますが、困るのは晩酌した後に緊急呼び出しが入った時。飲酒運転、厳罰ですもんね。知り合いの看護婦さんに聞いたんですが、彼女たち、非番の時もポケベル当番あって、何かあったときにはすぐ病院に駆けつけなければならないそうです。僕もそのような強い職業意識の持ち主だったらいいのですが、そんなこと期待されても頼りないボクだし。「晩酌をすべきか、せざるべきか、それが問題だ」かも(自爆)。
ま、とにかく、GW休み期間中、何事もありませんように。でもそう願ってても、人生、一寸先は闇。
1年を20日で暮らすいい男」って、江戸時代のお相撲さんを詠んだ川柳ですが(1・5月場所、各10日間興行だった、その頃は)、ボク、ひょっとして「1年に完休20日のご老体」かも(謎爆)。
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by tiaokumura | 2007-04-27 22:10 | 日本語教育 | Comments(0)

『須賀敦子全集』(河出文庫)

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(左)                    (右)
須賀敦子全集 第7巻         須賀敦子全集 第8巻
河出文庫                  河出文庫
2007年3月20日 初版          2007年4月20日 初版
1000円+税                1200円+税

「その作家を知りたかったら、その作家の全集を読め」と言ったのは小林秀雄だったか。ま、そこまでいかなくっても、そして、俗悪な覗き趣味^^と言われるかもしれませんが、全集の楽しみ日記書簡が読め、編集者による詳細な年譜が読めること。
須賀敦子をなぜ読み始めたのか、最初に読んだのは何だったのか、もうすっかり忘れてしまってますが、僕の場合(たぶん多くの読者もそうだと思うが)、須賀敦子は突然現れた人という印象。彼女が好きな理由はいくつかあるが、大きな理由は彼女の文体。どの本にも、彼女のそれまでの思索や経験が堰を切った奔流のようにあふれているのだけれど、それがいい意味での抑制の効いた文章に綴られ、しかも短文と長文の綾なすリズムが心地よい。

判型の大きい・かっちりとした・函入りのオリジナル全集と、写真にあるような文庫本全集とでは、きっと読む印象が異なってくるのかもしれませんが、廉価が魅力^^なのでこちらで揃える予定。
日記も書簡もごくわずかしか所収されていないのですが、日記は第7巻、書簡は第8巻に。第8巻には松山巌による年譜も。
須賀敦子全集』は丸谷才一・池澤夏樹・松山巌が編集委員。すごいですよね。

写真、文庫本の背景は、こないだヴィレヴァン下北沢店で買った、目下お気に入りのカバンです(照)。
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by tiaokumura | 2007-04-26 21:43 | | Comments(0)

お名前は?

以前アメリカ人のデボラさんという女性のプライベートレッスンを担当したことがある。1回目の授業で名前をどう呼ぼうかって話になり、ご本人は「デブ」と呼んでほしいと。でもねぇ、英語で話してる時はOKでも、「デブさん」なんて女性だろうが男性だろうが、とてもじゃないけど言えませんよね(核爆)。彼女に「デブ(でぶ)」の意味を話して、「デボラさん」で通すことにした。
とかく名前は難しい。名前ってまさに「アイデンティティ」そのものですもんね、気を遣います。
中国出身者の場合、韓国出身者の場合、それぞれに悩ましい場合もあるが、今は「カタカナ名」の場合について。
今年度G組でも、どうしたらいいんじゃぁと悩んだケースあり。できるだけ原音に近い呼び方にしたいが、なかなかそれが難しい。「名前の難しさ」は思いつくところだけでも4つくらいはある。
①一般的に言って日本語は音節数の少ない言語で、相手の言語が使い分けている音節を日本語音節に(強引に)当てはめなければならない難しさ。母音だって日本語は5つしかないし。
②一方で、日本語の拗音・促音・長音などとの対応の難しさ。
③僕が聞き取れる音は限られているので、その音の聞き分けの難しさ。
④日本人は姓+名の2つでわかりやすいが、3つまでは何とかなっても4つ以上あった場合、そのどの部分を呼び名に使えばいいかの難しさ。
スペル(入学前の資料で、フルネームのアルファベット表記は入手)はわかってもどう読むのかわからない。本人が入学して確認。次いでカタカナ表記をどうするか。本人に発音してもらい、その「音」を僕が聞き取り、それっぽいカタカナ表記を複数提示し、その中から最も近いものを選ぶ。まぁ、だいたいこういう流れ。
アシェドさんの場合。アセド、アシェド、アセッド、アシェッドの4通りくらいが近かった。
ビザルさんの場合。ビザル、ビジャル、ビーザル、ビージャル、ビザールなど。
そんな具合に各人、「名前のカタカナ表記決定作業!」が初日の大切な行事^^。なんとか1つに収斂(していただく^^)ってことになるのだけど、ご本人、「これが私なのか?」とショックかもしれませんよね。申し訳ないとは思うけど、がまんしてもらうしかない。
ギョエテとは俺のことかとゲーテ言い」って川柳あるし、確かShakespeareだって「シェークスピア」になるまでずいぶんいろんな表記があった(シャケスペアレはなかったと思うけど^^)。
学院生の皆様、そんな日本語の事情、ご理解&ご寛容を(核爆)。
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by tiaokumura | 2007-04-25 20:49 | 日本語教育 | Comments(2)

北日本新聞「入学生に交通指導」

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昨日北日本新聞の記者が富山国際学院に見えて、今日の新聞にその記事が載るって聞いてた。夕方帰宅して探してみたけど、なかなか見つかんない(爆)。で、ようやく25面にありました!
記事は小さいけど、こうやって新聞に記事が出るのってありがたいです、うちのような年間の広告宣伝費ほとんどゼロ~4ケタ(恥)ってビンボー学校には(核爆)。
ごくたまにですが、こうして新聞社TV局の取材を受けることがあります。TV、ボクも、たまたま学院に居合わせて取材を受けたことがあります。夕方のニュースで出るってことだったんですが、コワくて見られませんでした。だってが・・・(自爆)。
今回のこの記事、昨日あった「新入生対象の交通安全指導」(その時間帯、僕は山崎けい子先生の授業で富山大学4年生やってた^^)。写真右手手前、ご担当いただいた河合宣子交通第一課企画係長(富山中央署)、その左、通訳してもらった王さん(A組)。で、写真、よ~く見ると、奥に高木さん・石川さん・徳橋さんの教師陣。更によくよく見ると、写真の左手前から、アシェドさん(バングラデシュ。顔が半分しか写ってないけど^^)、ファイズさん(スリランカ)、ビマルさん(ネパール)、キムラルさん(B組。通訳担当)、ビザヤさん(ネパール)の面々。アシェドさんたちは、今年度僕が担当しているG組です。皆、真剣な表情です。どの人も、交通事故なんかに遭わないでほしい。

河合さん取材していただいた北日本新聞記者の方
ありがとうございました!
またお世話になることがあると思います。その節はよろしくお願いいたします。
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by tiaokumura | 2007-04-24 18:30 | 日本語教育 | Comments(0)

パチンコ屋さんで働いていた頃

10年以上前の日本語教科書を開くと、「日本株式会社」なんてぇ記述があって、「終身雇用・年功序列・企業内組合」なんてのが特色だと書いてある。確かに日本の高度成長の「三種の神器」みたいなもんだったんでしょうね、この3つ、今じゃ「夢・幻」の類だろうけど。そして2007年の今、世に言う「2007年問題」。僕もほぼそれに属する同世代の「戦争を知らない子どもたち」は、なんで自分たちが今「問題」なんかにならなきゃならないんだ、とか、残間里江子(山口百恵『蒼い時』のプロデュースなど)の「蕎麦うち男になんてなるな」なんて挑発にとまどいつつ、現在(いま)を生きていることでしょうね。
そうなんですよね、ボクなんか例外になる(恥)のですが、日本では「団塊の世代」、アメリカでは「ベビーブーマー」、悩んだり傷ついたり後退したりしながらここまで生きてきた。だって「人生」って、いつの時代もどこの場所でもそういうもんなんだろうから。で、「アリとキリギリス」で行けばそうやってがんばってきたおじさん・おばさんは「アリ」で、ボクは「キリギリス」ってことになります、きっと。定職だけでもかれこれ4つ^^、他に経験したアルバイトも入れれば15くらいの職種経験してる。時々「全然がんばらんだボクなんかが幸せになったらバチが当たる」などという「自責の念」に駆られることもある今日この頃です(激爆)。

↑ってのが枕部分です。長すぎ~~(自爆)。
富山駅南口向かいにCiCというビルがあり、中国語の勉強などで月に1回以上は訪問している。昨日は親友に送るためにホタルイカとシロエビを買いに行った。地下1Fにいいお店あるんですね。そのお店で80歳くらいのおかみさんと話してて、35年以上前のことを思い出した。
CiCの前身は「須田ビル」で、そこの地下には戦後の「闇市」がそのまま残ったような(「アメ横」をもっと雑然とさせた感じ、と言えば、今の若い方にもわかっていただけるかもしれない)お店の一群があり、更にほぼ須田ビルの1Fの一角には「コロムビア会館」というパチンコ屋があった。そこで東京教育大生だった僕は、わけあって離京して、20代の多感な^^ある時期の約11ヶ月、アルバイトしてたんですね。
マネージャーは川崎さんで、オーナーは白倉社長(吉田茂みたいな感じの人だった)。僕、お店で一番若い男ってことで、皆さんにずいぶん可愛がってもらった。野口さん(先代の尾上松緑みたいにでっぷり太って貫禄のある方だった)には近くの観音湯(これは今でもある。門構え、一見の価値あり)に連れて行ってもらったり、夕飯をご馳走になったり、「女の歓ばせ方」を教わったり(文字通りの意味です^^。もっともまるっきし女にもてんボクなんで、野口さんの秘伝を実践することはないんだけど^^)した。パチンコ玉磨きの名人の谷川老を見てて「自分もこういうお爺さんになれたらいいなぁ」などと思った。山口組が全国制覇に乗り出す(たぶん)前で、富山のような田舎は山口組にはおいしいところじゃなかったろうから進出してなかったのかもしれないが、富山にはM組があってその組員と思しきKさん(刺青を見せたくなかったからなんでしょうね、どんなに暑い時も手首と顔以外の肌は出さなかった)という方もいた。裏社会のことなんかもKさんからそれと意識せず伺ったが、Kさんの話で一番覚えているのはある昼食時に聞いた話。飯場では食事の膳にたくあんを3切れ出すととんでもない修羅場になる、なぜなら「みきれ=身を切る」だから、って話だった。パチンコ台のトラブルで僕は地回りに絡まれたことがあるんですが、その時Kさんに助けてもらいました。他には、川崎マネの弟さん(富山弁で「おっじゃ」。兄は「あんま」)や主婦の方々が従業員だった。景品係の主婦の方におねだりして^^藤圭子の曲(あの当時は有線なんかないだろうから、レコードだったんかも。今やその「レコード」も古き良き時代!)を店内流してもらったこともあった。
開店前、今のマリエがあるあたりが「白倉ビル」で、そこに景品倉庫があって、そこからコロムビア会館まで景品をリヤカー!に載せて運ぶ。市電通りの交差点をリヤカーで突っ切るんですから、今思い出すとのどかと言うかなんと言うか(爆)。
営業時間内に近所のパチンコ屋さんを廻る。計数カウンターを持って各店のお客さんの人数を調べる。あの当時、「シロー」「日活」「日の丸」なんてパチンコ屋さんがあったと思う。「日活」には若いヤーさんも働いていて、僕と年齢が似ててウマが合ったのも懐かしい思い出。僕ら従業員は富山駅前ではパチンコをしてはならない、って仁義のようなものもありました。
蛍の光」が流れ閉店。それから店内掃除など。そして、今ではコンピュータで管理してるのだろうけど、あの頃は「釘師」がその日の玉の出具合に合わせて釘を調節する。川崎マネがコロムビア会館の釘師で、金魚のうんこ(核爆)よろしく川崎さんの跡をついてまわったもんです、ボクは(自爆)。おかげで(「天を狙え」があの当時の僕のパチンコ必勝法)その後パチンコで負けるってことはありませんでした。でも、コンピュータ制御になって「ギャンブル」と化してしまったパチンコには興味がなくなっている現在です。
あの頃、鬱屈した気分にやりきれず掟破り(謎爆)みたいなこともしたのでしょうが、パチンコ屋さんでのバイト、今となっては「青春の一コマ」です。
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by tiaokumura | 2007-04-22 20:14 | このブログのこと | Comments(3)