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今年初の名古屋出張

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昨日3月21日は昨年12月16日以来・今年初の名古屋出張だった。
午前8:15、家を車で出る。途中給油。皆さんのところはいかがですか、いつも利用しているガソリンスタンド、158円/ℓでした。地方住まいにはガソリンは必需品で少々値段が高くっても買わざるを得ない物品ですが、ここのところ値上がり傾向なんですよね。どこまで上がるんでしょうね、イラン問題もあるし。
富山国際学院に駐車して富山駅北口まで歩く。以前の健康体のときは15分もあれば充分な距離なんですが、癌の後は20分以上かかるようになった。大相撲などのスポーツで「心技体」とか云いますが、今の自分、心技体三面どれも低下してるんでしょうね。
前回の名古屋出張、行きはひだで帰りはしらさぎだったんですが、今回は往復ともしらさぎ利用。車中、まず讀賣新聞・日本経済新聞。讀賣、「中高生100人、中国に招待 被災4県から」。宋慶齢基金会(北京)が3月28日~4月4日の8日間、福島・宮城・岩手・茨城4県の中高校生約100人を招待。梅屋庄吉の曾孫の小坂文乃さんも同行するそうです。日経、「日本車、東南アで増産」。日産がインドネシアで「既存工場を拡張し14年に年25万台体制を構築」。「2億3千万人の人口を抱え経済成長も著しいインドネシアは『同国内での生産・販売が中心』(日産のカルロス・ゴーン社長)」。この間、佐藤百合『経済大国インドネシア』(中公新書)を読んだが、インドネシアは日本がもっともっと関係を深めたい国である。今はEPAくらいですもんね。
今回の出張の随伴本は、
蛇蔵&海野凪子『日本人の知らない日本語 3』(メディアファクトリー)
上野創『がんと向き合って』(朝日文庫)
羽場久美子『グローバル時代のアジア地域統合 日米中関係とTPPのゆくえ』(岩波ブックレット)
の3冊。『日本人の~』はシリーズ3冊目でこれで完結のようです。ドラマにもなりましたよね。『がんと~』、今回癌患者になって何冊か癌関係の本を読んだ/読んでいる。近世以前はともかく日本には「病気文学」「病人文学」とでも称せるジャンルがある。子規・兆民がそうだし、堀辰雄『風立ちぬ』や北條民雄などもそうだろう。上野は朝日新聞記者、20代で癌患者に。『グローバル~』、ボクのような経済音痴にも読みやすい本。ジャパンパッシング、日本だけが置き去りにならないようにしないと。
米原で新幹線に乗り換え。12:15頃、名古屋到着。

大名古屋ビルヂングの12Fで1時から会議。ビル「ヂ」ングは三菱系でしたっけ。この大名古屋ビル(アップした写真が名古屋駅前から撮ったもの)、まもなく改築だそうです。
東海北陸地区約40校の日本語学校から各1人ずつ出席しての会議。1時間半くらいは各校の意見交換。その後名古屋入国管理局の統括審査官を交えての会議。今年7月9日から、外国人登録証が廃止され「在留カード」になる。それに伴う混乱がいろいろ予想され、日本語学校としてもうまく対処していかなければならない。多文化共生社会が叫ばれて久しいが、「在留カード」が日本在住の「外国人」にとってよいシステムになるといいのですが。

5時前会議終了。JR名古屋駅構内にある高島屋デパ地下でパン+惣菜2品購入。しらさぎ乗車。疲れもあったのか食欲がなく、せっかく買ったパン・惣菜、食べきれず。普通の人には超美味なんでしょうけどね。
米原を過ぎたあたりからうつらうつら。9時半頃富山駅着。学院まで歩く元気がなく、駅前からタクシー利用。700円也^^。学院に停めてあった車で帰宅。
次回の名古屋出張は6月中旬、名古屋入管に10月生の申請で。
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by tiaokumura | 2012-03-22 19:10 | 僕は学院長3年生 | Comments(0)

学院長式辞@2011年度卒業式

例年になく多かった積雪も今はわずかとなり北陸の地富山にも春の訪れが近いことを実感させる本日、ここにきわめて佳き日を迎えることとなりました。
富山国際学院2011年度卒業式にあたり、富山国際学院教員12名を代表して式辞を述べさせていただきます。
ただ今私が卒業証書を授与させていただいた、中華人民共和国・ネパール連邦民主共和国・ロシア連邦・中華民国ご出身の皆さま、
ご卒業、まことにおめでとうございます!

皆さまの2年ないし1年半の富山国際学院での語学留学期間中のもっとも大きな出来事といえば東日本大震災になるでしょう。
2011年3月11日午後2時46分、日本における観測史上最大マグニチュード9.0の巨大地震が東日本を襲いました。その後の日本・日本人については皆さまもさまざまに見たり聞いたりし、いろいろな感想をお持ちだと思います。あれほどまでの災害に直面してもくじけることなく支え合う日本人の姿は国際社会に大きな感銘を与えました。しかしながら一方で、福島原子力発電所の人災はいつ終わるともしれない恐怖を与え続け、また、岩手・宮城・福島に残った100年分とも言われる「がれき」は日本全国で受け入れ処理すべきでありながら、名乗りを上げる地方自治体の数の少なさは被災地復興の妨げになっております。
皆さまはこのあと日本が日本人がどのように大震災後を生きていくか・どんな社会を築き上げていくか興味をお持ちだと思います。また、皆さまが日本再生に役立てることもまだまだ数多くあると思います。
いずれにしましても、皆さまにおかれましては、日本での体験を良いことも悪いこともそのままの形で母国のご家族・友人に伝えていただけたらと願っております。

さて、本日の卒業式を終えて皆さまはこのあとそれぞれの道を歩んでいかれます。その道のりには、いいこと・楽しいこと・嬉しいことばかりがあるのではありません。たくさんのいやなこと・辛いこと・苦しいことも皆さまを待ち受けています。
そんな皆さまに
Stay Hungry. Stay Foolish.
という言葉を贈ります。
残念ながら昨年10月5日にSteve Jobsが亡くなりましたが、Stay Hungry. Stay Foolish.はJobsが数年前のStanford大学の卒業式の来賓スピーチで引用していました。YouTubeやStanford大学のホームページにこのスピーチがアップされていますので、まだ聴いたことがない方はぜひアクセスしてみてください。
Jobsはそのスピーチで自らの挫折や癌について率直に話し、最後にこの言葉をStanford大学の卒業生に贈っています。この言葉のオリジナルは、今から40年ほど前にアメリカで発行されたThe Whole Earth Catalog(日本語では『全地球カタログ』です)の裏表紙の写真の下に掲げられていた言葉です。このカタログは当時の世界の10代・20代の若者たちの生き方に大きな影響を与えました。私もその一人です。その若者たちは今は50代、あるいは私のような60代になっています。
Stay Hungry. Stay Foolish.
hungryは「おなかがすいている・空腹な」、foolishは「頭の悪い・馬鹿な・愚かな」といった意味のどちらもどちらかといえば否定的な単語です。stayは「ある状態にとどまる」という意味の単語です。Stay Hungry. Stay Foolish.は逆説的であるゆえにインパクトのある言葉でもあります。私は私なりにこの言葉を以下のように解釈しています。
Stay Hungry.は、今の状態に満足しないで、更によりよい自分の実現を目指す意欲を持ち続けることです。
Stay Foolish.は、中途半端に賢くなってわかったふりをするのでなく、自分の愚かさを自覚し謙虚であり続けることです。
Stay Hungry. Stay Foolish.
日本語学校の卒業式なのに英語の言葉を贈るのは変かもしれませんが、私自身が皆さんの年のころにこの言葉に出会い、Steve Jobsほどではありませんが、その後の自分の人生に少なからぬ影響を受けています。本日富山国際学院を巣立つ皆さまが折に触れStay Hungry. Stay Foolish.を思い出していただけたら嬉しいです。

最後になりますが、皆さま方の前途に輝かしい未来があることをご祈念しつつ式辞とさせていただきます。
皆さま、本当におめでとうございました!

2012年3月15日
富山国際学院
学院長 奥村隆信
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by tiaokumura | 2012-03-15 12:55 | 僕は学院長3年生 | Comments(4)

名古屋出張

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(12月17日午後・記)
勤務先の富山国際学院では、4月と10月に留学生を受け入れている。入学希望者が留学ビザを得るためには名古屋入国管理局の認定が必要となる。4月生希望の場合、前年の12月中旬に申請書類などけっこうな量の資料を用意して名古屋入管に申請する。結果は翌年2月末に判明し、認定されれば出身本国でビザを申請し、ビザ取得後来日し富山国際学院に入学-これが大まかな流れ。
12月16日(金)、2012年4月生の申請で名古屋出張。学院長としての重要な仕事の一つになるでしょうね、名古屋入管申請出張は。2011年10月生の申請は6月27日(月)だったのですが、発癌による入院で高木けい子さんに代行していただいた。入院先で高木さんと書類チェックしたのも今は懐かしい思い出^^。
僕の今年の名古屋出張は、3月29日、5月17・18日、9月27日に次いで4回目になるでしょうか。例年よりちょっと少ないかも。

12月16日(金)午前8時家を車で出る。この日富山の最高気温は5℃とかで1月下旬の寒さ。富山国際学院に車を停め、富山駅北口まで歩く。キャリーバッグ+ショルダーバッグと荷物が多いのに加え、すっかり体力が落ちた末期癌患者(照)のせいで、駅まで以前なら10分くらいで歩けたものを今は倍の20分かかる。途中信号が6箇所くらいあるのですが赤だとホッとするていたらく^^。
駅窓口で切符購入、駅構内売店で讀賣・日経など購入。9時前に富山駅ホームへ。ホームで電車を待ってたら妙齢の中国人美女の熱い視線。背後をふりかえっても誰もおらず、彼女の視線が僕に向けられたのは間違いない。「すわ、逆ナンパか」と一瞬喜んだが(嘘爆)、彼女「先生、奥村先生ですよね」とのたまう。学院での教え子だった。自分、もともと記憶アホで塾生(25年ほど学習塾をやってた)も学院生も、名前と顔が一致するのはおそらく1割もおらんかも。ダメ教師です。で、こういうときはもうプライドも見栄も捨てて相手に聞く。「えーっとごめん、名前、忘れた。誰だったっけ」と。僕の場合、顔は覚えているケースが比較的多い。今回の彼女、2002年卒業のKさんだった。彼女、卒業後は富山市立外国語専門学校に進学し、現在は営業職。この日名古屋に行きセントレアから上海へ。1週間ほど帰国とのことだった。
9:09富山発「しらさぎ6号」。途中福井駅から、福井にある日本語学校の佐藤さん乗車。佐藤さんは中国語が堪能で教師としても学生募集でもきわめて有能な方。3年ほど前に会議で初めてお目にかかり、ときどきしらさぎ同乗。
米原で佐藤さんと新幹線に乗り換え。Kさんはそのまま名古屋駅に。新幹線に乗り換えると(新幹線料金は不要)20分ほど早く名古屋先着なんですね。名古屋駅構内の「驛釜きしめん」で昼食。味噌仕立ての牡蛎きしめん、880円。ここのきしめんお気に入りなんですが、やはり癌の影響か、少し残してしまった。
あおなみ線に乗り「名古屋競馬場前」下車、徒歩2分の名古屋入管へ。受付を済ませ申請終了まで1時間くらい過ごす。待機中、顔見知りも数人。蒋さん(富山情報ビジネス専門学校。学院の2期生)も申請で入管に。
申請を終わり、上にアップした写真を入管1Fで佐藤さんに撮っていただく。名古屋入管にはこれまでいつもスーツ姿で来てたのですが、この日はタートルネック・ジャケット・チノパン・厚手のコートといった黒ずくめのファッションだった。寒いんで厚着。名古屋はさほど寒くなかったけど風が強かった。
佐藤さんと名古屋駅で別れる。少し買い物など。ジュンク堂書店・ビックカメラ・東急ハンズ・ヴィレッジヴァンガードなど富山にないお店にも行ってみたかったのですが、なんだか疲れてしんどい感じで、やめにした。

いつもは5時台のしらさぎに乗るのですが、この日は15:48名古屋発の「しらさぎ11号」に乗車。こんなに早い時間に名古屋を後にするのは初めてです。車中、疲れてたのと暖房が弱いせいもあってコートをしっかり着て半眠半休みたいな状態で約3時間半を過ごす。今回の同伴本は、立川談志『談志楽屋噺』(中公文庫)・向田邦子『向田邦子全対談』(文春文庫)・山田風太郎『人間臨終図巻3』(徳間文庫)だったのですが、JR往復車中ほとんど読まなかった。
しらさぎ、雪のためでしょうか、4分ほどの遅れで7時半過ぎに富山着。富山駅から学院まで歩く元気がなく(恥)、タクシーで学院まで。学院で停めてた車に乗り換え帰宅。

次回の名古屋出張は4月下旬頃になるかなあ。
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by tiaokumura | 2011-12-16 14:37 | 僕は学院長3年生 | Comments(4)

学院長式辞@富山国際学院2011年度10月生・入学式

富山国際学院2011年度10月新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。富山国際学院12名の教員を代表して、皆さんにご入学のお祝いのことばを述べさせていただきます。
首先向富山国际学院2011年10月入学的新生,表示热烈的欢迎。让我代表富山国际学院的12名教师,向新生致贺词。
On behalf of 12 teachers at 富山国際学院 or Toyama International Academy, I would like to express my deepest congratulations to all of you, 2011 October session students.
皆さんの富山国際学院での語学留学にご尽力いただいたご家族・関係者の方々にも、心からお祝いの気持ちを述べさせていただきます。
对你们能来富山国际学院留学给与全力支持的家长及有关人员表示感谢。
I would also like to congratulate your families and relatives who supported you to enter T.I.A.

皆さんご存知のように去る3月11日、東日本大震災がありました。幸いにも富山では被害がありませんでしたが、地震・津波・原発事故と未曾有の国難が日本を襲いました。
众所周知今年3月11日东日本发生了大地震。万幸的是富山没受到什么影响。地震,海啸,原子能泄漏等史无前例的国难袭击了日本。
As you know, Japan experienced the Great East Japan Earthquake on March 11. Fortunately we had no damages here in Toyama, however the most powerful earthquake ever, terrible tsunami waves, Fukushima 1 Nuclear Power Plant accident caused a lot of serious damages in Iwate, Miyagi, Fukushima Prefectures.
今回の大震災において、今この場にいらっしゃる中華人民共和国・ネパール連邦民主共和国・中華民国・パキスタンイスラム共和国はもとより多くの国々や市民の皆様から被災地へのご支援をいただいたことを、日本人の一人としてこの場をお借りして厚く感謝申し上げます。
这次震灾,在座的中国,尼泊尔,巴基斯坦伊斯兰共和国等各国的朋友给了我们很大的援助。借此机会,作为一个普通的日本人向大家表示深深的感谢。
In case of the Earthquake, many countries including People’s Republic of China, Federal Democratic Republic of Nepal, Republic of China, Islamic of Pakistan and many people all over the world extended helping hands to the victims and the afflicted areas. Here I would like to express my sincere thanks to your countries and citizens there.
大震災後私たち日本人は互いに助け合い支え合い、一時の混乱と絶望から立ち直りつつあります。大震災という特別の年に日本留学を果たした皆さんは、日本復興を目の当たりにすることができます。皆さんの母国においては日本についての悪いうわさも流れているでしょう。皆さんが現実の日本を観察して、そのような誤解をなくしてくださるとありがたいです。
地震后,我们日本人相互帮助,相互鼓励,现在不断的从一时的绝望边缘站起来了。大地震的特别的时期,来日本留学的各位,你们会亲眼看到日本的复兴的。大家来日本以前也听到了很多传言吧。现在来到日本,真盼望大家能消除误解。
Post 3-11 we Japanese are helping and supporting each other at the diversity stages. On the other hand I hear that many false rumors about the Earthquake spread in the world. Now that you are both a student studying abroad and an eyewitness of Japan’s reconstruction, I would be very grateful if you tell the true Japan to your family and friends in your homeland.

さて、今、皆さんは日本に留学できた喜びが80%、これからの不安が20%といったところでしょうか。2013年3月の卒業までの1年半、日本で・富山で・富山国際学院で、実りある留学生活を送っていただきたいと思います。
另外,大家能来日本留学大概是8分喜悦,两分不安吧。到2013年3月毕业的一年半的时间里,希望大家能在日本,在富山,在富山国际学院度过很充实的留学生活。
Well, today some are on top of the world, some feel uncertain about the coming days. Anyway, we look forward to your success in your studies for one and a half years.
富山国際学院で日本語を勉強する皆さんのために、一人の日本語学習者の話をします。
给在富山国际学院学日语的留学生讲一位学日语的人的故事。
Let me introduce one person to learn 日本語 around 150 years ago.
今から150年ほど前に日本で活躍した外交官にアーネスト・サトーという人がいます。サー・アーネスト・サトーは、私たち日本人にとっては、日本が古い日本から近代国家に変わることができた恩人の一人です。
有一位150年前活跃在日本的外交官叫埃內斯特•馬松•薩托爵士。外交官薩道義对日本人来说,是一位使古老的日本变成近代国家的恩人。
His name is Sir Ernest Mason Satow. He was remembered as a talent diplomat who changed old Japan into Modern nation.
サトーは父はドイツ人、母はイギリス人です。彼は中国のペキンで少し漢字を勉強した後、1862年9月20歳の頃に日本の横浜に来ました。彼は日本で日本語をどのように勉強したのでしょうか。今のようにいい教科書も辞典もないしパソコンもCDプレーヤーもiPhoneももちろんありませんでした。
薩道義的父亲是德国人,母亲是英国人。他在中国北京学了一些汉字。1862年9月20岁的他,来到了日本的横滨。你知道他是如何学日语的吗。当时教科书,词典,电脑,CD,iPhone根本不存在。
He was a son between a German father and an English mother. After learning Chinese characters in Beijing, he came to Yokohama at the age of 20 in September, 1862. When he arrived at Yokohama he didn’t speak 日本語 well. How did he learn 日本語? In those days they had neither good textbooks nor dictionaries. Of course they had no computers, DVD players, iPhones.
そういう時代にアーネスト・サトーは、積極的に日本人と話し日本人を通じて日本語を学んでいったのです。特に彼のすばらしいところは英語やドイツ語に翻訳しないで日本語は日本語のままで吸収していったところです。
那个时代,薩道義积极的与日本人对话,通过日本人学日语。他出色的地方是他不借助母语,而是吸收原滋原味的日语。
He made his ears and mouth full-open. He tried to do his best to speak and hear 日本語 with those Japanese around him. Especially he tried to understand 日本語 directly. I mean he understood 日本語 without English, Germany.
アーネスト・サトーの日本語学習法から、皆さんにも日本語学習のヒントが2つ見つかるのではないでしょうか。
从薩道義学日语的方法看,大家能得到两点启发。
You, beginners of learning 日本語, can get two hints from Satow’s strategies to learn 日本語.
1.富山国際学院の日本人教師や皆さんのまわりの日本人を大いに利用してたくさん聞きたくさん話してください。
1,要多听富山国际学院的日语老师及你周围的日本人的对话,多和他们会话。
First. As Satow did, you should listen to and speak to Japanese around you as hard and many as possible.
2.この学校の日本語の教え方は「日本語直接教授法」といって、日本語で日本語を教える教え方です。皆さんはできるだけ母語に翻訳しないで日本語を日本語のままで覚え使えるようになってください。
2,本学校的日语教育方法是日语直接教授法。用日语教日语。大家尽量也不借助母语,尽可能的吸收原滋原味的日语。
Second. Our teaching method here is named ‘Direct Method'. We teach 日本語 without using any other languages such as Chinese, English, Nepalese. It is very important for you to understand 日本語 by 日本語.

皆さんがこんなにたくさんの日本語を聞くのは初めてかもしれませんね。今日はまだ通訳が必要ですが、2013年3月15日の卒業式では、私のスピーチが日本語のままで理解できていることでしょうね。その日を楽しみにしています。
也可能大家今天是第一次听到这么多的日语。今天还是有必要给大家翻译一下的,在2013年3月15日毕业式上,希望大家能直接接受我的日语。盼望那一天的到来。
This is your first time to listen to so many 日本語. Today you need translators but at your commencement exercises on March 15, 2013, I believe that you can get my messages through 日本語 without translators.
これから1年半、泣いたり笑ったりいろいろなことがあります。いいこと・楽しいこと・嬉しいことばかりではありません。つらいこと・いやなこと・苦しいこと・困ったこともたくさん出てきます。それらのどれもが、皆さんの成長・自立に役立っていきます。
未来的一年半,会发生很多事情。不仅是好事,愉快的事,也会发生很多难过的,讨厌的,辛苦的,辣手的事情。所有这些都会对大家的成长,自立有好处。
Until the day of the commencement exercises, you will face not only happy time but also hard time for one and a half years. No one can avoid trouble and difficulties. I’m sure all sorts of experiences in Toyama make you grow up.
私たち12名の日本語教師は皆さんのために精一杯の努力をします。皆さんも自分自身のために、そして母国の家族や友人のために、ここ富山で悔いの残らない留学生活を送ってください。日本留学を通じて皆さんが大きく成長することを願って学院長式辞をおわります。
我们12名教师,为大家会尽全力的。也希望大家能为自己为祖国的亲人朋友,在富山度过无悔的留学生活。希望大家通过留学日本都成长起来。我就讲到这儿。谢谢。
Keep a touch mind to challenge for the brilliant future. 富山国際学院 welcomes all of you, and hopes you will spend the very best and delightful lives here. Congratulations to 13 new students from four countries, again. Thank you.

2011年10月28日 
富山国際学院・学院長 奥村隆信
October 28, 2011
Toyama International Academy
Principal:OKUMURA Takanobu

(注)
本式辞の中国語部分は、銭輝先生(富山市民国際交流協会)に翻訳していただきました。銭輝先生、ありがとうございました。
钱辉老师(富山市民国际交流协会)为中文翻译了日语。钱辉老师,谢谢!
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by tiaokumura | 2011-10-28 16:53 | 僕は学院長3年生 | Comments(0)

名古屋出張

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(9月28日午後・記)
昨日9月27日(火)、3月・5月に次いで今年3回目、手術後は初になる名古屋出張
久しぶりの県外なのでキンチョーしとったんでしょうか^^、あるいは通常の体調の伴わない出張なので不安があったんでしょうか、6時前に目が覚めました。仏壇・朝食・朝日新聞・着替えなど。朝日新聞、①「がんを知る」。腫瘍マーカーが話題。僕も血液検査でCEAなどの腫瘍マーカーをチェックしている。この記事、大岩ゆり記者。がん関連の記事、よくこの方書いてらっしゃいます。②「悟りの道へ茶を一杯」。栄西『喫茶養生記』。筆者は末木文美士(すえき・ふみひこ1949-)。富山大学生時代に中世仏教関連を受講してて(先生の名前、忘れた^^。40代?の女性)この人の著書も参考文献にあった。朝日新聞では「仏典に学ぶ 日本1000年の知恵」シリーズ、この方です。③「石巻 映画で支援」。富山大学3年生の馬場航さんらの「石巻とつながる会」が映画『エクレール・お菓子放浪記』を10月14~16日に富山大学黒田講堂で上映。この映画、去年の秋に石巻がロケ地で撮影、林隆三。いしだあゆみらが出演だそうです。
7時過ぎ、車で家を出る。富山国際学院の駐車場に入れ、富山駅北口まで歩く。やっぱ歩くのきつい。かつては12分くらいで済んでたのが途中休憩しながらで20分近くもかかった。

富山8時発・高山線「ワイドビューひだ6号」。指定席・自由席・グリーン車の三両仕立て。今回の名古屋往復は行きはひだ・帰りはしらさぎなので、切符は乗車券が「富山―富山」「岐阜―名古屋」「名古屋―岐阜」、特急券が「富山―名古屋」「名古屋―富山」で計5枚。「富山―富山」の乗車券、いつぞや名古屋駅の自動改札で吸収されてしまって往生したことがある^^。要注意。高山線、今から半世紀近い昔、大学の合格発表を見に上京した折、帰りに利用した記憶がある。周遊券だったのかなあ、富山→上野、東京→名古屋→富山、だったのかなあ。
車中、例によって讀賣・日経。
讀賣新聞。①医療ルネサンス「がん薬物療法専門医」。「いわゆる『余命』は、同条件の患者の半数が亡くなるまでの期間を示した『生存期間中央値』で表されることが多い。」。初耳です、そんなことも知らなんだ末期癌患者、えらいテキトー患者かも(激爆)。「抗がん剤は、2~3割の人にがんの縮小効果があるだけというのも珍しくなく、過信すれば裏切られる場合がある。」。近藤誠は正しいのでしょうね。②「ポン酢 はやりは ジュレ」。皆さんの中にもジュレファン、増えてるでしょうね。ジュレって「ゼリー」が原義でしょうから、僕なんかは「ジュレ」って聞くと「煮こごり」を連想します。子供の頃、あつあつ御飯に魚の煮こごり載っけて食べた。富山以外でもそんな体験ある方、多いのでは。③「富山のそば 福島で焼酎に」。八尾(やつお)のソバが福島県郡山市の「笹の川酒造」で「男舞」(おわら風の盆にちなんだ命名)という焼酎に。10月から富山市内で1本1480円で発売。
日本経済新聞。①「復興 現地発」は「高額消費 東北で顕著」。海外ブランド品や1台400万円~600万円のベンツがよく売れているそうです。②「経済教室」は恩蔵直人(早稲田大学教授)「閉塞打破 企業経営の条件・上」。「職能横断的な開発チームの組織変数」として「社会的凝集性(結束力)」「組織的志向性(突進力)」「集団的自立性(自治力)」の「3つの組織変数」をあげて考察。③「40代 惑いの10年」は「『がむしゃら』が当然だった」。均等法世代の五十嵐恵美子さん(第一勧業銀行)・野沢真理さん(安田火災海上保険)・藤森恵里さん(日本火災海上保険)・河野真矢子さん(キリンビール)の例。

ワイドビューひだ6号。富山―速星(はやほし)―越中八尾(えっちゅうやつお)―猪谷(いのたに)―飛騨古川(ひだふるかわ)―高山。高山で自由席1両、指定席2両を連結。
今回の旅のお供は2冊の「友情」本。いただきものの本です(照)。もらった順では1冊目は亀井哲治郎君、2冊目は宮崎健二君。二人は今から45年ほど昔^^入学した大学で出会い現在に続く畏友に。亀井君は理学部・数学、宮崎君は文学部・国語国文(同級生)で、サークル「学生文化会」で一緒。僕の人生に大きな影響を与えている2人でもある。
亀井君からもらったのは福岡伸一『フェルメール 光の王国』(2011年8月第1刷。木楽舎)。福岡伸一(ふくおか・しんいち1959-)とフェルメールって僕には意外な感じがしましたが、「科学と芸術のあいだを遊泳する著者の新境地! 生物学者・福岡伸一がおくる極上の美術ミステリー紀行。」(帯より)。元はANNの機内誌「翼の王国」掲載だそうです(p254)。ここが福岡らしいんでしょうね、彼はアントニ・ファン・レーウェンフックに注目する。レーウェンフックは「1632年10月24日、オランダのデルフトで生れた。ヨハネス・フェルメールも同じ年に生れた。2人の名は教会の洗礼名簿の同じページに記載されている。」(p13)。レーウェンフックとは何者か。有能な商人でありデルフト市の公務員にも。「かたわら彼は一生涯、アマチュアとして何台も顕微鏡を自作し、改良し、レンズを磨き、微細な視野に広がる驚くべき豊かな世界を記述しつづけたのである。」(pp13-15)。レーウェンフックはフェルメールに「絵を依頼したという推測だけでなく、フェルメールの死後、レーウェンフックはフェルメール家の遺産管財人に指名されその執行を行った公式記録が残っている。」(p18)。福岡はフェルメールの『地理学者』(1669年)はレーウェンフックではないかと推測する。福岡によれば、フェルメールとレーウェンフックとベネディクトゥス・デ・スピノザ(同年に同じオランダに生れている)は「方法は異なるものの、彼らは同じものを求めた。それは、フェルメール作品の細部に秩序ある調和として現れている『光のつぶだち』であった。」(p10)。「つぶだち」って聞きなれない言葉ですね、「粒立つ」って動詞はありますが。福岡の造語でしょうか。今まで読んだところ(第一章と第三章の一部)では特別な定義付けは見当たりません。本書、エッシャーやガロアが出てくるところも福岡らしいんでしょうね。フェルメールでは朽木ゆり子『フェルメール全点踏破の旅』(集英社文庫)がよかったですが、本書も根強いファンがありそうですね。あとちょー羨ましい^^のは、福岡だからなんでしょうね、各地の美術館での優遇ぶり。本書は写真も豊富。写真家・小林廉宜(こばやし・やすのぶ1963-)による。
宮崎君からもらったのは江國滋『神の御意 滋酔郎句集』(昭和61年6月印刷発行。永田書房)。宮崎君は当ブログに1回もコメントをくれないが(激爆)、当ブログ、読んでくれてるみたい。先般来江國滋(えくに・しげる1934-97)が登場しているのを読み、彼の蔵書から本書を僕にプレゼントしようと思い立った。江國の「東京やなぎ句会」の発足が昭和44年1月。本書企画時点での彼の作句歴は17年で二千句を超える。「おずおずと自選した四百二十二句を季節別に収めた。」(あとがきp233)。「『神の御意』という標題は、稲妻も穂高も神の御意のまま、という収載句から」(p234)。「」の部(pp109-162)を読む。以下、前書があるものは前書を省略し、何句か抄出する。
鰯腹や人の情と秋の風 稲妻も穂高も神の御意のまゝ 草も木もはつきりと見え秋彼岸 糸瓜忌や薄き岩波文庫買ふ 盃に夜が溶けゆく志ん生忌 ひぐらしやきりきりきりと五十肩 虫すだく田舎芸者は昼農婦 出棺を待てば音たて破れ芭蕉 万年青の実つくづく庭の狭きかな 鬼灯のわがきんたまの皺に似て
もし更に「この1句」に絞れと言われれば、ご婦人方には顰蹙を買うかもしれませんが^^「鬼灯のわがきんたまの皺に似て」になるでしょうね。「鬼灯」は「ほおずき」です、念のため。専門でないのでよくわからないが、江國の俳句って人事が歌枕になっている、そんな感じの句が多いんでしょうね。僕はこの間の癌・1回目入院のとき、「五七五」を何句か作った。高1の時だったかなあ、中学時代の同級の女の子あての年賀状に「清き香や若水を汲む日本髪」ってぇのを入れた記憶がある。さりげなく彼女の苗字が織り込んであるのですが(照)、今にして思うと季重なりかも(激爆)。10年ほど前になるか、上杉重章先生の芭蕉だったかの市民向け講座を受講していた時、連歌や俳句も体験した。上杉先生は高校時代の恩師でもあり、僕が受験大学を選ぶときに先生のアドバイスもいただいたご縁。上杉先生は加藤楸邨(かとう・しゅうそん1905-93)に師事された。上杉先生の講座では「缶ビール分け飲む君は二児の母」「夏嵐有象無象が吹かれをり」の2句を作った記憶がある。

高山線、高山―下呂(げろ)―美濃太田(みのおおた)―岐阜。日本は森林被覆率が確か7割近いーそれが実感できる沿線風景。僕は大都会も嫌いじゃないですが、やはりこういう「いなか」が心洗われ安らいだ気持ちになれる。いわば日本の原風景。車窓が開けばもっといいのですが、今時の電車って開かないんですよね。残念ながら外気を肌で感じることは叶わない。沿線の稲刈り、9割くらいは済んでいる感じです。まだの田んぼには黄金の稲穂。ときどき、ご夫婦なんでしょうね、男性がコンバインに乗り女性が補助作業する光景を見受けた。この季節、川は緑色。

岐阜から東海道線に入り、進行方向が変わる。予定より何分か遅れて12:10頃、名古屋駅3番線に入線。
アップした写真、ひだの入線ホームにある「どえりゃぁ亭」。山菜きしめん300円+おでん2種(たまご・こんにゃく)各100円。哀しいというか残念というか、やはり抗癌剤の影響で僕の味覚が変わってしまったんでしょうね。あんなにおいしいと思っていたどえりゃあ亭のきしめんがおいしく感じられない。それに、胃がないせいで食べてもうまく入っていかない。結局残してしまいました、きしめんもおでんも。帰り際に(お金は注文が届いたときに支払い済み)「胃の調子が悪くて残してしまい、申し訳ありません」と謝った。事実は「胃がない」なのだが、そこまではなんとなく言いづらかった。
ダンピング症候群なんでしょうね、名古屋駅で気分が悪くなり、外に出たところでしばし休息。
今回の出張目的の会議のある大名古屋ビルヂングに入る。12Fで降りたら丸山茂樹校長(I.C.NAGOYA)とバッタリ。丸山先生は僕の病気のことを既にご存知でTELもいただいた。「顔色、いいじゃない」と言われ、「今、ちょっと気持ち悪くて・・・」と答えトイレを教えてもらう。洋式トイレで少し吐いた。山菜もこんにゃくも今の僕には消化に悪いものだったんでしょうね。
1時から「東海北陸地区維持会員 定例研修会」。東海北陸地区にある日本語学校から各1名ずつ出席。5時少し前に終了。

JRTakashimayaのデパ地下でこの日の夕食を物色。柿安ダイニングで、松坂牛すき焼きサラダ96g384円、黒毛和牛ビーフコロッケ1個180円。ジュノエスクで、Aセット(生ハムモッツァレラチーズサンド+野菜きのこスープ)572円、プレーンクリームチーズ130円。尾張さんわ屋で、もも銀杏串1本150円、なんこつ串1本180円(どちらも塩焼きです。僕はやきとりはタレではなく、素材の味がそのままわかる塩のほうが好きです)。
驛釜きしめん」できしめんを買おうと思ったのですが、確かここにあったはずという場所にお店がない! 生来の方向音痴なんで自分が悪いと思ってたらそうじゃなかった。今工事中で閉店してたんですね。いつもここのきしめんをお土産に買ってたので残念。「ういろう」の秋ヴァージョンをお土産に買った。

帰りのしらさぎ13号、北陸地区にある4校の日本語学校各1名集まってのしらさぎ宴会^^。ま、残念ながら僕はアルコールだめですが。僕、4か月くらいアルコール抜きです。タバコも同様なのですが、不思議なことに禁断症状、ほとんどない。癌の恐怖が欲望に勝ってるんでしょうね。
4人は、福井の佐藤さん、金沢の沓水(くつみず)さん、射水(いみず)の蒋さん(富山国際学院の2期生でもある)、それに富山の僕。このメンバーで帰路のしらさぎを共にするのは3回目か4回目になる。話し下手な僕は専ら聞き役になりますが、この4人での語らい、実に楽しい。

9時半過ぎ、富山駅到着。北口から富山国際学院までタクシー。歩くのがしんどくて、ついゼータクした(恥)。基本料金の690円。学院から車を運転し、10時頃自宅に帰る。
ちょっと不安もあった名古屋出張だが、なんとかお役目は果たせた。次回の名古屋出張は12月16日の予定。入院・手術と重ならないようにしたいが・・・。

この日、NHK連続テレビ小説「おひさま」と澤村登板が見られなくって残念。
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by tiaokumura | 2011-09-27 12:30 | 僕は学院長3年生 | Comments(2)

初めての、一泊二日名古屋出張

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(5月22日午後・記)
東海北陸地区にある40余の日本語学校は、丸山茂樹先生(I.C.NAGIYA)をリーダーに年に何回か名古屋で地区協議会を行っている。その今年度1回目が、日本語教育振興協会(略称「日振協」)の佐藤理事長・上戸部長も招いて5月18日(水)に開かれ、その前夜には懇親会。仕事のやりくりがつきそうなので僕は懇親会・協議会ともに参加することにした。名古屋1泊。富山国際学院で僕は、2008年度にそれまで15年弱の非常勤講師から専任になり、2009年度は学院長職に就き、ここのところ毎年4回以上は名古屋出張があるが、名古屋で泊まるのは初めてです。40年以上昔の大学生時代に、高校時代の親友の奥野君が名古屋のある福祉関係の大学に進学していて、年末年始に名古屋で泊まったことがある。それ以来でしょうね、名古屋泊は。
出張が決まって、以前「アジア人財」でお世話になった田中さん(I.C.NAGOYA)にホテルの手配を頼んだ。うちんとこはビンボー日本語学校なもんで(汗)、「できるだけ安いところで」と頼んだら、さすが田中さん、「3440円」ってのを探してくださった。名古屋で3440円なんてすっごい。でもデフレ日本、喜んでばかりはいられないのだろうけど。

ここのところの名古屋出張は行きは高山線・帰りは北陸線ってパターン。5月17日(火)午前中は富山国際学院で執務、昼頃歩いて富山駅に。ステーションビル3Fの「越中茶屋」でざるそば600円。八尾そば。+150円で大盛りにする。でも量が多かった。ざる2枚分はあったでしょうね。なんとか完食。こういうときは生ビールも頼むのだが今回はなし。
富山発13:02ひだ14号。例によって讀賣・日経2紙。この日はめぼしい記事はなかった。
春の高山本線。富山・速星・越中八尾・猪谷・飛騨古川・高山・下呂・美濃太田・岐阜・名古屋。旧国名でいけば越中・飛騨・美濃・尾張になるのでしょうか。列車の進行に身を任せ、車窓からの風景をぼんやり眺める。きざな言い方をすれば、日本の原風景が展開されているのでしょうね。ただどうしても被災地の光景が重ね合わされていくばくかの罪悪感も。いつもなら車中は読書に耽るのですが、今回は持っていった2書、藤井省三『魯迅-東アジアを生きる文学』(岩波新書)・内田百閒『東京日記 他6篇』(岩波文庫)を全く開かなかった。
車内販売で「スジャータアイスクリーム抹茶」270円。僕はアイスクリームなんてめったに食べないのですが、列車に乗っていてなぜか食べたくなった。最近めっきり食欲が落ち、でもその反面無性に食べたくなるものが出てくる。それは時に冷たいとろろそばや氷見うどんや大門そうめんだったりあんパンや大福やピザトーストだったり冷奴や茶碗蒸しや温泉卵だったり雑炊や中華粥やたらちりだったりウドや銀杏やタラノメだったり砂肝やトリ皮やレバ刺しだったり・・・。我ながら自分の食行動が不可解なことが多いのですが(ほとんどが高いものじゃないのは貧乏性だからなんでしょうね^^)、まぁそんなときには食欲を抑えることはしないで素直に食べたいものを食べています。これでいいのでしょうね。ひだ車中のアイスクリーム、冷凍状態だったんでしょうね、食うのにいささか難儀しました(激爆)。

名古屋入線。「どえりゃぁ亭」で冷やしきしめん。ここ、いつも込んでる店です。名古屋は(大阪もそうですが)僕はおいしいものにはほとんど出会ったことがない。名古屋の食ベスト3は、丸山先生に連れていっていただいた、石鍋裕プロデュースの焼き鳥屋(店名、忘れた^^)が第1位。そこは確か沖縄産の塩を使っていた。2位が「どえりゃぁ亭」(JR名古屋駅ホーム)、3位が「驛釜きしめん」(JR名古屋駅構内)。

今回1泊のホテル「チサン イン 名古屋」は太閤通り口から徒歩約6分、代々木ゼミナール近く。方向音痴のボクですが、ほとんど迷うことなく到着。チェックイン。フロントでもう500円出して少し広い部屋をと勧められたが、500円がもったいなくって(汗)断った。
アップした写真、僕の宿泊ルーム。8平米だったか、確かに「ちょー狭―ッ」ですが、おっさんの1泊はこれで充分です。
シャワーして休んでたら沓水博厚さん(アリス学園)からTEL。偶然なんですが今回、彼もチサンインなんですね。ロビーで待ち合わせて一緒に懇親会の会場に。

6時半から懇親会@嘉文(東洋ビルB1F)。20名くらい。僕の飲み物はビール少し・ジンライム・お茶、料理は数品を少しずつ。
懇親会の後、有志が丸山先生の案内でツインタワー上階のバーで2次会。アルコールは飲みたくなかったのでオレンジジュースに。バーでジュースなんてマナー違反かも^^。丸山先生から「今日は元気がないね」と言われ「体重が10キロくらい減って」と申し上げたら、ビックリされた。
11時半頃ホテルに戻る。
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by tiaokumura | 2011-05-17 17:41 | 僕は学院長3年生 | Comments(0)

2011年度始まる

4月最初の日曜日、家で準備・片付けなど。今日の富山、春らしい日差しですが、最高気温は10℃がやっとでしょうね。岩手・宮城・福島は北陸より以北。「春は名のみ」なのかもしれませんが被災地でも春景色に元気をもらっていただけると嬉しいです。でも被災者にはふるさとが「年々歳々花相似たり」(劉廷芝『白頭を悲しむ翁に代る』)ではないのでしょうね。

明日月曜日、新年度授業開始。新年度の学院生は中国・ネパール・ロシア・台湾・インドネシア・ベトナムの6カ国・地域で、僕の授業担当は、月・水・木・金の週4日で計45分×12コマ。
日本語授業では毎年何か新しいことに取り組むようにしていて、昨年度は『大地』と「シャドーイング」だったか。今年度は①「非漢字圏の日本語漢字300~800字」、②「高校受験『国語』」、③「コーチング」に取り組みたい。
①、非漢字圏の漢字指導、300字くらいまでは指導法も教材もまあまあなんとかできつつある。そのへんまではほとんどの学生もついて来られる。でもその後、これと言った「決め手」がまだなく習得の個人差も大きすぎる。その壁をどう突破するか。
②、NPO法人としても外国籍の子の高校受験に取り組みたいのだが、「受験国語」をどうするかが未解決。数学・英語・面接・作文なら何とかなるのですが。受験国語にメドが立ったら新しい地平が開けるでしょうね。「高校進学」について、先日、米田哲雄先生(勉強お助け隊)・銭輝老師(富山市民国際交流協会)にレクチャーを受けてきた。近いうちに青木由香さん(高岡外国人の子どものことばと学力を考える会)にもレクチャーしてもらいに行って来ようと思う。
③、今回の大震災でも被災者の心の支援として「傾聴」(あるいは浄土真宗には「内観」というのがあります)が有効でしょうね。日本語教師としても学生の指導にコーチングが必須。コーチング、何年か前からちょっとずつ勉強しているのですがまだスキルにまで至っていない。本や体験を通じてきちんと勉強したい。
僕は組織トップでもある。学院長三年目に入りました。俗に「三日三月三年」なんて言いますが、さらにその真価が問われる年度になるでしょうね。幸い今年度もスタッフ12人(+育児休業中1人)の体制で臨める。日本語学校の日本語教師は、授業力も教師力も通常の教師レベルを遥かに超える能力が要求される。トップの在り方としては「スタッフの働きやすい環境を作り能力を最大限に引き出し全ての最終責任は持つ」ってことでしょうね。「想定外」なんて逃げ道は絶っておかなければならない。
健康管理もプロの日本語教師の要件。64歳6か月の僕、これまでほとんど健康に気を配ってこなかった。それでもどうってことなかったのはラッキー。でも昨年の脳腫瘍発見や食欲不振を契機に、不健康はプロ失格と思えるようになった。アンチエイジングはまるっきり心がけるつもりはないが、加齢に伴い衰えつつある脚・目・耳の補充?をし、新年度の早いうちに内科にも行って来ようと思う。脚力強化(富山国際学院の教員室は4Fなのですが、上りがきつい。エレベーターはなし)、この間夕食をともにした実弟夫婦が言っていた「水中ウオーキング」、取り入れようかなあ。あと、夜間頻尿っていうそうですが、夜中のおしっこも何とかせんならん(照)。中高年女性に多い尿失禁だって、ボク、無縁じゃなさそう。
ここ数年、日本・日本留学の魅力が減じつつある。元気なのはコミック・アニメ・ゲーム・コスプレ・日本食などのソフトパワーくらいかもしれない。今回の大震災・原発人災によってさらに日本・日本留学の魅力が低下するだろう。そんな大状況下にあっても、志や夢を見失わず日々の活動をひとつずつしっかりとこなしていきたい。プロの日本語教師の僕の場合、突き詰めれば「授業が命」ってことでしょうね。

宮沢賢治(みやざわ・けんじ1896-1933)は三陸大津波・陸羽大地震の年に生まれ三陸大地震津波の年に永眠。賢治が生きている間、岩手は少なくとも7回の凶作に見舞われた。「寒サノ夏」も何度もあった。逞しい岩手人は一方で6回の豊作も勝ち取っている。陸羽132号(農林1号もコシヒカリ・ササニシキ・あきたこまち・ひとめぼれもその子孫)は賢治晩年から作付。「君が自分でかんがえた/あの田もすっかり見て来たよ/陸羽一三二のほうね/あれはずいぶん上手に行った/肥えも少しもむらがないし/いかにも強く育っている」(『稲作挿話』。常用漢字・現代仮名遣いに改めた-奥村)。関東大震災時、賢治は27歳。「イーハートーヴ」には彼の被災体験も色濃く反映しているのでしょうね。
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない(『農民芸術概論要綱』)
これまでの人生で折に触れこの賢治のメッセージを反芻して来たが、今ほどこの賢治の名言が心の奥深くに沁み込むことはない。
古くはアテルイ・阿倍氏・清原氏を生み、原敬・後藤新平・宮沢賢治を育んだ地。僕は、岩手のみならず宮城福島の再生・創生に微力ながら支援し続けたい。

今回、ツイッター・FaceBook・ブログが消息確認・支援情報・応援などで力を発揮したようですね。僕のブログの3月、昨年9月以来久しぶりに記事更新20本超えでした。6割以上が大震災関連。ひょっとして当ブログが少しでも役立てていたら幸甚。例によってマスメディアはアリバイ作りみたいに「感動話」ごっこに興じていますが、1つの明るいエピソードの裏には多くの「悲劇」があるという想像力は失わないようにしたい。神戸をきっかけに広まったボランティア・NPO・NGOが被災地や後方で活発な活動を展開している。「人間っていいなあ」と思う。「アジア子どもの夢号」が週末0泊3日で石巻市で活動を展開している。僕も行きたいが今のところ年齢を考えると足手まといになりそうで躊躇している。若者たちのフットワークの軽さが羨ましい。

富山にも震災の影響が出始めている。チンドンコンクールの「自粛」、名湯宇奈月温泉のキャンセル続出、北陸線の間引き運転など。ボクのようなアホは365日24時間被災者のことを思い続けられるわけではないが、せめて被災者の足を引っ張ったり後ろから鉄砲を撃つような真似だけはしないようにしたい。

(注)
本記事の宮沢賢治については、分銅惇作・栗原敦『宮沢賢治入門』(筑摩書房)などを参考にした。
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by tiaokumura | 2011-04-03 14:53 | 僕は学院長3年生 | Comments(0)