カテゴリ:東北地方太平洋沖地震( 61 )

東北AID 8

f0030155_10503778.jpg(3月19日午前・記)
僕が川渕映子さん(NGOアジア子どもの夢 東北AID)と初めて会ったのは、20年ほど前になるだろうか。妻がこども劇場の活動に熱心で、当時、こども劇場の会長はTさんだった。Tさんはベトナム支援にも関わっていた方で、Tさん・川渕さんと、あれはどういうことでだったのだろうか、富山大学構内のカフェでしばし語らった。Tさんは娘さんがベトナム人(富山国際学院の卒業生のお兄さん)と結婚、ベトナム人のために家を提供したりベトナムで支援活動を行ったりされたが、その後、どうされているのだろうか。噂では、ベトナムのことで失望されたとかだが、真相はどうなんだろう。川渕さんとはそういうきっかけで出会い、スリランカ学生のことで相談したりはあったが、あまり会うことはなかった。アジア子どもの夢のコンサートでぷちボラしたくらいか。
東日本大震災。あの後数日して高さん(富山国際学院のパンフレットを作ってもらった。現在、新しいパンフを、スタッフの柳川さん・粕谷さんが作成準備中。僕はお任せしてる)から、川渕さんたちが被災地にバスで行ってボランティア活動をしている、という案内をもらった。あれは何便になるのだろうか、割と初期の支援バスに僕も乗せていだいて石巻などで炊き出しなどをした。あの時見た光景、人々の表情、忘れがたいもの。その後も行こうと思ったが、同じ年の6月に胃癌Ⅳ期が見つかり、再び乗ることはなかった。3年ほど前に別の形でバスがスタートし、こちらのほうは毎年参加している。
川渕さんは「東北AID」を立ち上げた。アップした写真は、東北AIDのチャリティーイベント@アピアショッピングセンター。越中家漫欽丹(えっちゅうや・まんきんたん。本名・桶屋欽一郎)さんがトーク中。桶屋さん、御年80歳。富山弁の絶妙の語り口です。今回は、落語ではなく「被災地では、まだ先も見えないような人もいる。これからも現地に足を運び、支援を続けていきたい」(読売新聞)といったお話。僕はこの日、谷中仁美さんに命じられて^^ご主人のお手伝い、ちょっと。「ばみり」、経験者です、自分(激爆)。
僕は午前中の2時間ほどの参加でしたが、この日、500人を超える人々がイベント参加だったそうです。
昨年も支援バスで南三陸町に行きました。あと高橋司さんのところの海産物など買っています。今年もちょっとは「何か」ができればと思っています。
東北AIDの活動は、同会HPやブログで。皆様もぜひ同会の活動にご参加を。
いつだったか、川渕映子さんは地元の1時間ほどのTV番組で紹介されていました。確か「ボランティア・ウーマン」とかだったか。

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by tiaokumura | 2017-03-11 10:50 | 東北地方太平洋沖地震 | Comments(0)

クマリさんと@越中八尾YOROZUYA

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(8月7日午後・記)
僕は全く知らなかったのですが、富山で4年置きに「とやま世界こども舞台芸術祭」ってのが開催。「こども」と銘打ってますが、世界各地から大人の演劇関係も来富。今年はネパールからもやって来る。そこでボランティアウーマンの川渕映子さん(アジア子どもの夢)が企画したのが、ネパールのその「国立舞踊劇団ナーツガル」との交流会。最初、富山国際学院の近くのサンシップが会場予定でしたが、八尾にあるYOROZUYAに会場変更。
8月4日(木)、学生3人を連れて高山線乗車。越中八尾(えっちゅうやつお)下車。駅前にあった、ソーシャルラウンジYOROZUYA。入店すると川渕さんがカレー調理中。
6時半、開始。ダルマ・ラマさんからネパール大地震後の状況説明などのあと、お目当ての舞踊劇団のパフォーマンス。アップした写真、「クマリダンス」の踊り手と。「クマリ」ってご存知でしょうか。カトマンズにいる生き神様。ダライ・ラマみたいな選ばれ方、するんでしょうか。ただし、ダライ・ラマと違って初潮を迎えると交代するとか。だいぶ前にNHKでクマリのドキュメンタリー、やってました。写真はもちろん本物のクマリじゃありません。
カレー(鶏肉・海鮮の2種)、肉じゃがを食べました。飲み物はフリードリンク。ビールは我慢しました^^。
この夜、YOROZUYAでは富山国際学院の卒業生のアスビル・タマンさんが在校生のソーガットさんと一緒にライヴ。
ちょっと疲れたので途中で退席。高山線で富山。富山駅からタクシーに乗ってしまいました(恥)。学院まで590円でした。痛い出費^^。
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by tiaokumura | 2016-08-04 19:40 | 東北地方太平洋沖地震 | Comments(0)

歌津の方々と交流会

f0030155_10453738.jpg(7月9日午後・記)
南三陸町サポーターズ バスツアー」に参加。
7月2日、高橋司さんのやまと物産で魚介類のBBQを堪能。そのあと、宿泊先の平成の森に入る。畠山芙美夫さん・平成の森団地自治会長からお話を聞く。畠山さんとはこれで3回目になるか。僕のことを「ラモス」と名付け親^^。僕が「ラモス瑠偉」に似てるそうです(照)。去年は畠山さんに「うだづもっこ」をごちそうになりました。今回初めて畠山さんと名刺交換しました。息子さんが家を建てられ、畠山さんご自身も間もなく平成の森を出られるそうです。平成の森団地、被災者の方々、僕なんかには想像を超える大変さだった(まだ過去形ではないが)でしょうね。そういう中、元・有能な企業戦士であった畠山さんのご尽力、すばらしい。畠山さんがいなかったら、被災者の方々、今の何十倍もの悲惨な生活だったでしょうね。畠山さんとはせめて年賀状交換でもこの後やっていきたい。
7月3日、起床。男性3人の部屋。今回のバスツアー、女性14人・男性7人でした。TV、バングラデシュ、テロのニュース。人数はそんなに多くないですが、勤務先の富山国際学院、バングラ出身の語学留学生もいました(今年度はゼロ)。
当初は不参加のつもりだったのですが、「志津川クルーズ」に参加。袖浜漁港。湾内を巡る。ウミネコが船に寄ってきた。船長の解説アナウンス付き。あの日、この湾もすさまじい状況だったんでしょうね。
クルーズを終えて平成の森に戻る。地元の方々を対象にした越中屋さんの落語会開催中。そのあと、交流会。アップした写真、パワポ使った映像投影に、川渕映子さん(東北AID)が説明プラス。実は川渕さんは某参議院議員候補の後援会長。ほんとは富山にいるべき週末だったんでしょうが、今回のバスツアーに参加。こっちが優先なんでしょうね。
交流会のあと、高橋さんご夫妻(お孫さんもご一緒)・畠山さんたちに別れを告げ、平成の森を後にする。バス途中、防災センター近くを通る。ここ、最期まで避難をアナウンスし続けた女性の終焉の地。あの女性、高橋司さんのいとこだそうです。防災センターの近く、盛り土。今回はあちこちで盛り土・防潮堤を見た。これが「復興」といえるのだろうか。
南三陸町さんさん商店街でおみやげ購入。モアイ最中、モアイ伝説@雄新堂。南三陸町は志津川町(しづがわちょう)と歌津町(うたつちょう)が合併してできた。
春日で昼食。天丼にしたのですが、なかなかできあがらず、やきもきした。完食できず。国見でさくらんぼ購入。米山でえび天そばの夕食。帰りのバスの中で各自感想など披瀝。僕は最後部席で番号は「1」でした。
9時半過ぎ帰宅。TV欄見てたらモーツァルトで「チック」名を発見。ひょっとしてと思ってチャンネル入れたら、やはりチック・コリアでした。小曽根真と二人でモーツァルト演奏withN響。へぇ~、ですよね。

東北AIDのブログはこちら

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by tiaokumura | 2016-07-03 10:45 | 東北地方太平洋沖地震 | Comments(0)

一年ぶりの南三陸町

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(7月9日午後・記)
7月2日・3日と「南三陸町サポーターズ バスツアー」に参加。バスの中で「「東北AID」の東日本大震災復興支援活動経緯」って資料が配られた。それを見ると、僕は2011年4月9日~11日の東北支援便・第4便に乗ってたかなあ。石巻市内で炊き出しと救援物資配布。僕はその後2か月ほどで胃癌4期が見つかり、「東北支援便」には乗っていない。僕は「南三陸町サポーターズ」ってのにも加わらせていただいていて、そのバスツアーにも参加。今回が3回目の参加になります。バスツアー自体は今回が7回目。
2016年7月2日(土)、午前6時半、岩瀬スポーツ公園。大型バスに支援物資などを積み込み出発。途中、何か所かSAに。名立谷浜では『とと姉ちゃん』を見る。黒崎の後、安達太良で昼食。とろろそば+缶ビール(持参^^)。矢本を過ぎ、南三陸町伊里前福幸商店街。やまと物産の高橋さんご夫妻合流。
今回の目玉?、やまと物産でBBQ。ホタテ・イカ・ウニ・ホヤ・ナマコなど、これ、僕の一生で最初で最後でしょうね、海の幸堪能体験。でも体調がイマイアチだったんでたくさん食べられなかったのが残念。魚介類の中にムール貝の一種もありました(しうりとか言う)。BBQの場に三浦宮倫子さんもご登場。彼女、「南三陸銘菓 手づくり 絆ロール」のパティシエール。彼女のロールケーキ、いただきました。
アップした写真、高橋さんご夫妻と。
今回初めて読んだんですが、ネット上にご夫妻に関する朝日新聞記事がありました。地震・津波から間もない2011年4月5日付「魚竜の化石に再起誓う 南三陸・博物館の館長夫妻」。以下に引用します。

東日本大震災で被災した宮城県南三陸町には、世界最古の「魚竜」の化石群がある。津波被害で、化石はがれきに埋もれた。「町の宝を復興のシンボルに」。化石を20年余り守ってきた夫婦が再起を誓う。
 魚竜は、恐竜と同じころ、およそ2億年前に栄えた爬虫(はちゅう)類。イルカに似た体格で海に生息していた。1970年、南三陸町歌津の地質調査で、世界最古の化石が見つかった。
 南三陸町歌津の海辺に立つ博物館「魚竜館」は90年、町おこしの拠点として作られた。館長の高橋司さん(63)と妻が、町で見つかった2億4200万年前の天然記念物「ウタツギョリュウ」を目玉に、アンモナイトなどが泳ぐ太古の海を紹介。夏祭りやイベントも開き、年間の来場者は昨年、6万人を超えた。
 だが、津波は夫婦の歩みを一瞬で断ち切った。2人は高台に逃げて無事だったが、魚竜館と自宅は壊れた。化石の標本はがれきに埋もれた。地盤が1メートルほど沈下したため、屋外展示されている化石は海の中で、被災状況の確認さえできない。
 それでも2人は毎日、この場所に通う。折れた柱も、砕けた水槽も、苦労を知る仲間だと思って丁寧に集める。つち音が響くときが来たら、展示物が減った分のスペースを津波の伝承館として使えないか、町に提案するつもりだ。
 化石探しを終えた夜、避難所で妻がつぶやいた。「立て直すのに何年かかるかねえ」。司さんは妻の目を真っすぐに見据えて、言った。「まずは3年。2人で踏ん張って、町一番で復活させっぺ」(乗京真知)
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by tiaokumura | 2016-07-02 16:25 | 東北地方太平洋沖地震 | Comments(0)

熊本支援・募金活動@アピア

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木曜日、帰宅してNHK富山局のニュースを見ていたら、益城町でボランティア活動をしているニュースだった。ひょっとして、と思ったら案の定、川渕映子さんたちによる活動でした。川渕さん、ニュースのMC(4月からメンバーが代わった)からインタビューも。16時間かかるとか、富山から現地まで支援バスで。ニュースでは僕が面識ある、河西さん、谷中さんたちも映っていました。同ニュースで、富山での募金活動、情報展開もあり。僕、参加しようと思った。同時に、去年、ネパール人学生たちと富山駅前マリエ前でネパール大地震の被災者のための募金を集めたことも思い出した。「ご恩返し」でもないのですが、富山での募金活動、ネパール人学生にも、都合がつくようなら参加したら、と提案しようと思った。翌・金曜日。学院の休み時間にSさんに僕の考えを伝える。彼、快諾、ぜひやってみたいと。
4月23日(土)9:15、富山国際学院に集合。バイトとかなくて時間が取れた4人、集まる。募金会場は学院近くのグランドプラザと思ってたのですが、川渕さんからアピア会場でやってほしいとの連絡あり。学院からは電車に乗って行くことになる。富山駅まで歩く。富山地鉄で富山→稲荷町。募金場所のアピアは駅から徒歩0分。開店前でしばし待つ。
10時過ぎ、川渕さんたちと合流。この日の予定、打ち合わせ。アップした写真、アピア入口、川渕さん(右手前)から立ち位置など指導していただいているところ。真ん中の二人はこの間来日したばかりの1年生。両端は2年生、去年の募金活動参加者。学生の持っている募金箱、くまモン、あり。熊本支援の活動であれば、くまもんのキャラ、使っていいのです。
「熊本支援、募金活動をしています」などと呼びかけ。ネパール人学生たちも「おはようございます」「よろしくお願いします」「ありがとうございます」「ありがとうございました」など。こういうのしてると、日本って日本人っていいなあ、と思う。幼児から高齢者まで、いろんな方が募金してくださいました。
熊本地震、余震がまだ続いている。早く地震が終息して、被災者の皆さんが少しでも日常生活に戻られたらいいのですが。

(追記)
支援バスでの現地での活動について、こちらのブログ記事があります。
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by tiaokumura | 2016-04-23 10:10 | 東北地方太平洋沖地震 | Comments(0)

東北BOOK AID

f0030155_1222658.jpg(1月17日午前・記)
今朝(2016年1月17日)の朝日新聞、1.17記事。「21年 命は輝く」「笑って泣いて 明日へ」「あの日の街 私が伝える」。1995年1月17日早朝、TVのニュースで見る「阪神大震災」の惨状。当時は僕は非常勤講師として採用された富山国際学院の1年目が終わろうとしていた。A組かB組で午前授業。オール中国人20名のクラスだった。帰宅してTVを見る。21年なんですね、阪神大震災。
朝日新聞別刷の「GLOBE」は「被災地と復興庁の五年間」。僕は東北地方太平洋沖地震(後に「東日本大地震」に改称)がきっかけでで南三陸町歌津の高橋司さん・ます子さんご夫妻とご縁ができた。去年までの年賀状は仮設住宅からでしたが、今年は枡沢復興住宅からでした。今年のお正月は、お子さんやお孫さんもご一緒に新居で楽しく迎えられたことでしょうね。僕と同世代の高橋さんご夫妻、大変なご苦労の連続でしょうね。僕だったらとっくに挫折し狂ってた、きっと。朝日記事では仮設住宅入居者は2012年3月30日時点の48913戸・117301人から2015年12月1日現在で30293戸・62798人に。依然として多くの方々が仮設住まい。仮設を出られてもまた違った大変さが続く。記事によると、復興には10年間で計32兆円、「単純計算で被災者1人あたり約6800万円になる」。高橋さんたち被災者は全然そんな恩恵を受けてないし、ありがたいという実感、ないでしょうね。

昨日1月16日、「東北BOOK AID」でぷちボラ。3時間ほど会場にいました。BOOK AIDはこれで8回目。古本を定価の1割で買ってもらい、その「売り上げはすべて被災地への支援活動に使用します」(リーフレットより)。アップした写真、会場のパネル。会場には川渕映子さん(東北エイド・代表)も。実にパワフルな方で、僕が尊敬する女性のお一人です。
支援しようと思いつつなかなか活動に移れない、あるいは活動できない、どんな活動ができるかわからない方々。会場に来て古本を買うことも「支援」です。今日が二日目。富山市中心部にお出かけになって会場にいらっしゃってください。CDやゲーム、レコードなどもあります。一部、1割(9割引き)じゃないものもありますが、それでもめっちゃ安いです。

東北BOOKAID
不要になった古本が被災地の人々の笑顔の素になります。
会場:富山市民プラザ2階アトリウム
1月17日(日) ~17時
主催:東北エイド
同時開催:東北エイド活動の記録 東北エイド写真展

東北エイドはさまざまな支援活動を行っています。HP(こちら)であなたも参加できる活動を見つけてください。ブログはこちらです。
余談ですが、古本の保管場所は僕の高校時代の恩師・本木英子先生(旧姓・岡田)の持ち物だそうです。この間、東北エイドに古本を提供する際に初めて知りました。すばらしい先生ですね。去年、高校の同期会でお会いしました(記事はこちら)。その前に「エンジン01」でも。先生は本木克英・映画監督のお母様です。
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by tiaokumura | 2016-01-16 12:02 | 東北地方太平洋沖地震 | Comments(0)

NEPAL aid@PEPIN

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(8月8日午後・記)
「被災者800万人 遠い生活再建 劣悪な道路、支援届かず」(2015年7月26日付・日経新聞)
「ネパール地震 遠い復興 山間部にがれき■雨で支援遅れ」(2015年7月28日付・朝日新聞)

中央通りに入って間もなく左に折れて道路右側に「PEPIN」がある。僕は初めてのお店ですが、ライブハウス、でしょうか。8月2日(日)午後、PEPINであったイベントに行ってきた。「富山ネパール文化交流協会」によるNepal Earthquake relief charity Event。富山ネパール文化交流協会のフェースブックはこちらです。
会場には、僕が知っているところでは、ダルマ・ラマさん、富山国際学院の卒業生、同じくE組在校生の3人。イベントは、ダルマさんによるネパール状況の報告、シェルパ族の伝統楽器Tungna演奏と歌、ギターの弾き語り(アップした写真がそれ。彼、富山国際学院の卒業生です)、ネパールの歌・日本の歌(『上を向いて歩こう』など)。ネパール人・日本人、全部で30人くらいの参加だったでしょうか。
会場でダルマさんから9月23日のポスター、リーフレットをいただく。次の内容です。

ネパール大地震 復興支援コンサート
NEPAL aid

2015年9月23日(祝)
富山県民会館
13:30開演(12:30開場)
主催:アジア子どもの夢
共催:富山ネパール文化交流協会
(前略)わたしたちは、現地の人たちが自力で道路を補修し、その労働に対して賃金を受け取れる仕組みを作ろうとしています。村民はそのお金を自分たちの家の補修に充てます。こうした自助システムのモデルを作ることで、ネパール政府に働きかけ、全世界から集まる支援金を村民に有効に渡るようにしたいのです。今回の募金の目標額は200万円です。そのお金で村の道路整備にとりかかります。(後略)
出演:
海岸組(和太鼓) 細川バンド(J-POP) 富山YMCA歌声広場わいわい(コーラス) Abee&friends(ネパールの歌) トゥモロ(手話コーラス) ウェイノ(アンデス民謡)

先日、川渕映子さん(アジア子どもの夢・代表)が富山国際学院にご来校。9月23日のことも話していかれました。僕、当日は学院生も連れてボランティア参加しようと思っております。皆様もぜひご来場を。ご来場の節はお気軽にお声をおかけください。
9月は「ラテンフェスティバルin富山」(谷中仁美・代表)のボランティアも予定しています。暑い8月、なんとか乗り切らなきゃ。
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by tiaokumura | 2015-08-02 15:27 | 東北地方太平洋沖地震 | Comments(0)

高橋さんご夫妻と@復興住宅

f0030155_9513625.jpg(7月4日午前・記)
アップした写真、僕の右、高橋さんご夫妻です。2015年6月28日(日)、復興住宅の高橋さんのお宅で撮りました。
6月28日(日)午前5時、平成の森の宿舎で目覚める。ここ、6人部屋で2段ベッドが3組。僕は入口左の下で寝てた。ここ、富山では少年自然の家みたいなところなんでしょうね。前回は子どもたちもいたような気がする。この日はW杯女子。起きたらTVがついてました。同宿の男性3人、僕もそうですが、やっぱ女子サッカー見たかった。朝食時間に間に合わないかと心配だったんですが、試合、7時前にケリがついた。朝食。前日もお見えになってた高橋さんご夫妻が宿舎にいらっしゃる。お2人、我々のバスにご同乗され、その後の被災地を案内していただく。補助金のこと、防潮堤のこと、工場・店と住宅のこと、復興住宅入居の条件のこと、などなど、直接聞かなければわからないことだらけ。そして、私のように安全地帯でのうのうと日々を送る者の想像力を超えたレベルでの生活の困難。東京オリンピックに伴い、被災地では、人出不足・建材高騰が起きている。何より、政府の棄民策及び私たちの無関心。

今回のバスツアー参加者で復興住宅各戸を訪問。ただ、これ、どうも難しかった。「富山から来ました。少しお話し聞かせてください」って感じでチャイムを鳴らしインターフォンに向かって問いかけるのだけれど、逆の立場だったら、たぶん戸惑いや拒否反応でしょうね、すぐ顔を出される方は少なかった。困ってる内に高橋さんの奥様にご協力いただき、何戸かの住人にお会いできた。次回はもう少し工夫したく思った、復興住宅訪問。
何年か前に南三陸町歌津で魚竜の化石が発見された。高橋司さんは「魚竜館」の名物館長。そこは、化石の陳列があり、地元のうまいものの物産直売店だった(確かそのはず)。商売も順調、家族も平和に過ごしていた高橋さんを襲った東日本大震災。人生が一変した。僕が高橋さんと初めてお会いしたのは2年前。年齢が近かったこともあるのでしょうね、あるいは高橋さんのお人柄でしょうね、親しくお話しができた。その後、年賀状の交換や高橋さんのやってらっしゃるお店での歳暮・中元をお願いしています。

高橋司さん、体調がよければ来年もお伺いします。その節はよろしくお願いいたします。田束山(たつがねさん)、行ってみたいです。
儲けにならない注文しましたが、よろしくご手配ください。

バス出発。防災センター(防災庁舎)。ここ、遺産として残されることになったみたい。僕は個人的には反対です。南三陸町さんさん商店街。昼食。食欲がなく、焼き魚2つ買って、でも、残してしまった。癌が再発してるのかもしれないが、どうもここんところ、あまり食べられない。夕食。川渕映子さん&お孫さんと同じテーブルで。お孫さんのAちゃん(イニシャルじゃありません)、今回のバスツアー最年少(小学4年生?)。人気者でした、どこでも。ただ彼女(女の子です)、僕のこと「外国人」って認識で^^、めっちゃ日本人な自分、いささか困った。最後の食事場面ではうまく接してもらえましたが。でもこういう子が被災地に入るって、すばらしいことですよね。彼女の将来が楽しみです。「外国人」って偏見差別とも無縁なはず、彼女。
9時過ぎ、岩瀬スポーツ公園。駐車してた車で帰宅だったんですが、夜道でわかんなかったんでしょうね、右前輪パンクしてしもうた(大恥)。
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by tiaokumura | 2015-06-28 09:51 | 東北地方太平洋沖地震 | Comments(0)

11か月ぶりの南三陸町

f0030155_21391525.jpg(2015年7月2日夜・記)
あの日、僕は勤務先の富山国際学院で日本語授業をしていた。地震にはほとんど気づかなかった。富山はそうだったんでしょうね、震度は。ただ、とりあえずはこういった地震に慣れていない学生たちに「心配はない」ってことを告げて(僕や各クラス担当者が分担)、その日を終えた。帰宅して東北地方太平洋沖地震(後に「東日本大震災」と改称)のひどさに驚いた。岩手県一関市の姪にケータイがダメ、神奈川県相模原市の姉にも電話はダメ。翌日、富山国際学院の卒業式が近いので、家の近くのO理髪店へ。そこで見たTVに映し出された光景・・・。30代の女性の「夫も子供もいない。どうして私だけが・・・」という悲痛な叫び。SFX映画を見るような津波の光景。翌々日月曜に学院に出勤し、学院長として学生たちに地震のこと、福島原発のことを話し、義捐金を募った。学院生の知人の仙台の日本語学校生2人がバスなどを乗り継いで富山にやって来て、迎え入れたのもその後まもなくだった。

高才弘さんから、NGOアジア子どもの夢川渕映子さんが東北支援でバスを仕立ててボランティアたちと被災地に通っているという連絡を受け、2011年4月の、第3便あたりになるでしょうか、石巻に行った。そこで少しボランティア活動。炊き出し・支援物資。帰宅してまた行こうと思っているうちに胃癌ステージⅣが見つかって、その後のボランティアはできなかった。幸い癌で死ぬまでに至らず、4年以上が経過している。
この3年間、南三陸町サポーターズをやってて、1年で1万円の会費で南三陸町のおいしいものを送っていただいている。2年前からは「南三陸町サポーターズ バスツアー」にも参加。当ブログに、その記事もあるはず。
2015年6月27日・28日と南三陸町に行ってきました。約11か月ぶり。
午前6時過ぎ、岩瀬スポーツ公園出発。名立谷浜で朝食。僕は月見そばにしたが、ここんところどうも食欲がなくあまり食べられなかった。昼食は安達太良SAだったか。安達太良って智恵子ですよね。僕の昼食はポークカレーだったか、「ご飯少な目」ってカウンターに行って注文。「昼間っから」って顰蹙(ひんしゅく)を買いそうですが持参した缶ビールもいただく^^。12:15出発。
南三陸町伊里前福幸(いさとまえふっこう)商店街東北AID(川渕映子・代表)が看板を寄付したとか。僕はどうすればいいかわからず、何も買わなかった。数軒(美容室・理髪店もあったみたい)、お店があった。
バス車中、富山の落語家・越中家漫欽丹さん(富山大空襲の体験者)の楽しいお話もあった。
南三陸町歌津・平成の森に到着。自治会長の畠山さんからお話を伺う。この日の宿泊先でお風呂・夕食。東北AIDのスタッフの小林さんに誘われて9時過ぎ、平成の森集会所に。アップした写真畠山さんと1時間半ほどお話。小林さんは朝日新聞のオピニオンへの畠山さんの投稿(2011年)で畠山さんのことを知ったそうです。僕が畠山さんとお会いするのはこれで3度目でした。仮設から復興住宅へ移れるのは朗報なんでしょうが、そこにはまた新たな問題も。独居者もおられるそうで、孤立が心配。また、仮設の時は「うるさい」隣人の生活音だったのでしょうが、復興住宅では防音が逆効果で静かすぎる悩みも。そして何より畠山さんが心配されてたのはコミュニケーション。被災復興から次のステージに入れたのはいいのですが、これまで何とか皆でコミュニケートできてたのが、それがなかなか難しい局面に。住宅ローンも非常に大変。中には震災前のローンとの二重ローンも。

畠山さん、またお会いできてうれしかったです。ご当地の焼酎「うだづもっこ」、おいしかったです。
これからも大変な日々でしょうがどうか御身御大切に。
なかなかご当地に行けませんが、またお会いできる日が来るよう、富山にて日々過ごします。
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by tiaokumura | 2015-06-27 21:39 | 東北地方太平洋沖地震 | Comments(0)

「花は咲く」@ベトナム語ver.

ハイチュウさんと初めて会ったのは、「アジアの夢コンサート」で今から7年前ほど。当ブログのこちらの記事に書いています。先日、ハイチュウさんのブログを見ていたら、「花は咲く」のベトナム語カヴァーがあった。彼、僕と同じくexciteブログ。ハイチュウさんのブログは、右にリンクしてあります。
ハイチュウさんの「花は咲く」カヴァーはこちらです。「河口容子の『世界』日記」に歌詞のベトナム語がありました。以下にコピペさせてもらいます。河口容子さま、引用、ご勘弁を。
皆さま、ハイチュウさんがなぜこの曲をカヴァーしたか、その想いも前述のブログでお読みください。皆様はご存知ないかもしれませんが、ここ3、4年、日本企業で働いたり日本語学校に語学留学したりするベトナム人が急増しています。「だから皆さんにどうしてほしい」わけじゃないですが・・・。
Trên con đường mùa đông, trắng xóa tôi đi qua
Từng cơn gió mang theo hương hoa xuân về
Tôi bồi hồi tìm lại những dấu yêu năm xưa
Từng con phố thân quen trong tôi bốn mùa
Còn đâu đây quanh tôi bao ước mơ bổng cháy
Cả khao khát đổi thay của chính tôi ngày ấy
Nhưng bây giờ chỉ còn lại những yêu thương
Và tôi nhớ đến ai trong bao kỷ niệm
Tôi nghe trong gió có lời ca,
về ru và an ủi cho ai giấc mơ bình yên một kiếp người
Tôi như đang trông thấy ai cười vui,
dù vẫn còn đây bao nhiêu là nỗi đau hằn sâu chưa lãng quên
Rồi hoa và hoa, ngàn hoa sẽ nở quanh ta
Đóa hoa chờ đón em tái sinh trong mùa nắng mới
Rồi hoa và hoa, ngàn hoa sẽ nở bao la
Biết ai còn nhớ đến tôi đã dừng chân quán trọ thế gian
Bên kia bầu trời đêm bóng tối đang trôi xa
Là nắng ấm ban mai lung linh hiền hoà
Tôi bồi hồi tìm lại những dấu yêu năm qua
Từng năm tháng tôi đi qua trong cuộc đời
Ngay đôi ta bên nhau dẫu có bao hờn dỗi
Dù đã khóc tiếc nuối khi bước chân mệt mỏi
Nhưng bây giờ chỉ còn lại những yêu thương
Và tôi nhớ đến ai trong bao kỷ niệm
Tôi nghe trong gió tiếng lòng ai,
về ru và an ủi cho ai giấc mơ bình yên một kiếp người
Tương lai như tươi sáng đang gần bên,
dù vẫn còn đây bao nhiêu là nỗi đau hằn sâu chưa lãng quên
Rồi hoa và hoa, ngàn hoa sẽ nở quanh ta
Đóa hoa chờ đón em tái sinh trong mùa nắng mới
Rồi hoa và hoa, ngàn hoa sẽ nở bao la
Biết ai còn nhớ đến tôi đã dừng chân quán trọ thế gian
Rồi hoa và hoa, ngàn hoa sẽ nở quanh ta
Đóa hoa chờ đón em tái sinh trong mùa nắng mới
Rồi hoa và hoa, ngàn hoa sẽ nở bao la
Biết ai còn nhớ đến tôi đã dừng chân quán trọ thế gian
Rồi hoa và hoa, ngàn hoa sẽ nở quanh ta
Đóa hoa chờ đón em tái sinh trong mùa nắng mới
Rồi hoa và hoa, ngàn hoa sẽ nở bao la
Đóa hoa sẽ mãi luôn bên em bình yên đến trọn mối tình.
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by tiaokumura | 2015-06-13 09:28 | 東北地方太平洋沖地震 | Comments(2)