カテゴリ:思い出の本たち( 9 )

思い出の本たち:ゴダール全集(竹内書店)

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ゴダール全集
監訳=蓮実重彦 柴田駿
すみやかにそしてゆるやかに/世界と/自分自身を/忘れそして知ること/思考しそして語ること/おかしなゲーム/これが人生だ ゴダール

『ゴダール全集』2 ゴダール全シナリオ集Ⅱ
(帯より引用)無機的なきらめきにまで抽象化された<日常>が、透明な陽光のなかに自在に変幻するゴダールの世界は、さながら音楽的空間をなし、明晰さへの渇仰に貫かれながら、まごうかたない<永劫の現在>を現前させる
(本巻所収)『女と男のいる舗道』『軽蔑』『恋人のいる時間』『気狂いピエロ』などのシナリオ
蓮実重彦「解題―『気狂いピエロ』を中心に」 監訳者「あとがき」
1971年11月11日 第1刷
1200円

『ゴダール全集』3 ゴダール全シナリオ集Ⅲ
(帯より引用)『アルファヴィル』から『ウイークエンド』まで、急激な変貌をとげたゴダールが、二つの戦線に拠って、政治的現実と文化的修正主義に対して戦いを挑み、「映像」という特権的な存在の解体を企てるマニフェスト。
(本巻所収)『アルファヴィル』『男性・女性』『メイド・イン・USA』『彼女について私が知っている二,三の事柄』『ヴェトナムから遠く離れて』『ウイークエンド』などのシナリオ
ジャン=リュック・ゴダール ジャン・コントネー「赤い映画=対談」 蓮実重彦「あとがき」
1970年10月30日 第1刷
1200円

『ゴダール全集』4 ゴダール全エッセイ集
(帯より引用)ゴダールは饒舌な語り口を詩的イメージに結晶させながら、激しく情況に闘いを挑む。その闘いの姿勢は、「時代の巨きな思想」として鋭くつきささる!
(本巻所収)「初期評論」「ふたたび批評の筆を執る、そして最初の短編映画」「二つの戦線―『アール』紙と『カイエ・デュ・シネマ』によって闘う」「『勝手にしやがれ』の年」「フィルムとその周辺」で構成 「原註及び訳註」 「ジャン=リュック・ゴダール その人と作品の歴史」 保苅瑞穂「訳者あとがき」
1970年1月15日 第1刷
1200円

ジャン=リュック・ゴダール(Jean-Luc Godard1930-)は2014年現在ご存命で、1970年時点で「全集」なんて変なんですが、全集刊行当時の雰囲気としては僕のような熱狂的なゴダールファンがいたので、その時点でしかも日本語で「ゴダール全集」刊行も変じゃなかったんでしょうね。もしその後(ゴダールは当時40歳前後)ゴダールにスキャンダルとかあって^^映画界から追放なんてリスク、出版社は考えなかったんでしょうかねぇ。勇気ある刊行でした。「全集」と称していますが、もちろん、当該時点でのシナリオ・発言など全4巻。定価は当時としては高額だった(今の6000円くらい?)でしょうが、けっこう売れたかも。竹内書店は「ギネスブック」もそうだったかも。
Wikipédiaの”Jean-Luc Godard”より冒頭部引用。
Jean-Luc Godard est un cinéaste franco-suisse, né le 3 décembre 1930 à Paris. Auteur complet de ses films, il en est fréquemment à la fois réalisateur, scénariste, dialoguiste, et il en maîtrise le montage. Il y apparait occasionnellement, parfois dans un petit rôle, parfois non comme acteur mais comme sujet intervenant. Producteur et écrivain, il est aussi critique et théoricien du cinéma.
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by tiaokumura | 2014-03-15 14:04 | 思い出の本たち | Comments(2)

思い出の本たち:岩波日本思想大系の2書

f0030155_14283684.jpg名曲『神田川』(作詞:喜多条忠)では「三畳一間の小さな下宿」が舞台であるが、僕の東京生活第1幕も下宿だった。もっとも僕の場合は「同棲」ではなく、高校の同級生H君との8畳くらい?のけっこうゼータクな下宿住まいだった。今でも「下宿」ってあるんでしょうか。僕の場合は1965年春に大学進学のために上京し、JR高田馬場駅近くのI家が下宿先だった。普通の(と僕には思えた)家の2階に間借りし、朝食・夕食の賄い付きであった。I家にはお嬢さんもおられてちょっとドキドキだった(照)。下宿してすぐだと思うが、1日の決まった時間になると、階下から「あしきをす~くいた~すけた~まえ てんりおーの・・・」を唱える声が聞こえる。I家は敬虔な天理教徒のご家庭だったんですね。それを知らずに下宿先に決めていたんですねぇ。僕は真宗王国の富山生まれ・富山育ちなので、念仏には慣れていたが、「新興宗教」である天理教との出会いはカルチャーショックだった。
もう一つ。美智子皇后が「五日市憲法」に言及されているというニュースを聞いて、すばらしい方だと思った。皇族の中に千葉卓三郎(ちば・たくさぶろう1852-83)を知っている人がいるとは、不明ながら全く想像していなかった。僕が五日市憲法を知ったのは北村透谷と自由民権運動との関わりを調べていく過程で色川大吉を通じてだったかなあと思う。皇后はベアテ・シロタももちろんご存知のようである。
写真にアップした2書、岩波書店のシリーズ「日本思想大系」中の2巻。『古事記』『聖徳太子集』で始まり『西洋見聞集』『民衆宗教の思想』で終わる全67巻の同シリーズ、その後類書が出ているのかどうか。「あの当時」(1970-82に刊行)ならではの叢書だったんでしょうね。上述2つは、この2書に関わる「マイエピソード」。

日本思想大系(岩波書店)編集委員:家永三郎 石母田正 井上光貞 相良亨 中村幸彦 尾藤正英 丸山真男 吉川幸次郎
庄司吉之助 林基 安丸良夫『民衆運動の思想
1970年7月25日 第1刷
定価1300円
村上重良 安丸良夫『民衆宗教の思想
1971年9月25日 第1刷
定価1300円

購入したのは池袋西口にあった芳林堂。富山にUターンしてから、夜行バスでときどき上京し東口で下車する。新栄堂は今はないようだが、芳林堂も今はもうないのかなあ、芳林堂書店・池袋西口店は。
『運動』には三浦命助、菅野八郎、美国四民乱放記、奥州信夫郡伊達郡之御百姓衆一揆之次第、浮世の有さまなどが所収。解説は安丸。月報には小松茂夫・宮田登・信夫清三郎らが寄稿している。
『宗教』には、一尊如来きの、黒住教、天理教(みかぐらうた・おふでさき・おさしづ抄)、金光教、富士講、丸山教。「大本教」はまだってことになるのでしょうね。解説は村上・安丸・伊藤堅吉が分担執筆。月報には芹澤光治良「民衆宗教のいぶきのなかに生きて」(芹澤の父は天理教に帰依)・貝塚茂樹「朱子と仁斎」など。

安丸良夫(やすまる・よしお1934-)は昨年、岩波書店から「安丸良夫集」(全6巻)を刊行。『民衆思想史の立場』『民衆運動の思想』『宗教とコスモロジー』など。また、「岩波現代文庫」で『出口なお-女性教祖と救済思想』も。

僕には「宝の持ち腐れ」のような^^2書。ほしい方がおられましたらご連絡を。
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by tiaokumura | 2014-02-16 14:28 | 思い出の本たち | Comments(6)

中山公男『西洋の誘惑』(新潮社)

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中山公男
西洋の誘惑
カバー写真:奈良原一高
昭和43年6月30日発行
新潮社
1250円

大学時代以来のわが畏友・宮崎健二君の署名Miyazakiが残る本。彼からいただいた本である。いや、ひょっとしたら何かテキトーな口実をつけて宮崎君から奪い取った本かもしれぬ(大汗)。今回この記事をモノするにあたってWikipediaで検索したところ、公益財団法人吉野石膏美術振興財団が運営する「中山美術文庫」があることを知った。吉野石膏って虎のTVCMでおなじみの会社ですよね。中山美術文庫の公式サイトはこちら
「中山美術文庫」サイトから、中山公男(なかやま・きみお1927-2008)の略歴を引用させていただく。
美術評論家。1950年東京大学文学部哲学科美学美術史学卒業。1953年同大学大学院特別研究生修了。女子美術大学講師、多摩美術大学講師、日本大学助教授を経て1959年国立西洋美術館主任研究員。1968年万国博覧会参事、西洋美術館学芸課長。1971年退官。1986年より群馬県立近代美術館館長、1987年~90年筑波大学教授、1991年~97年明治学院大学教授。さらに全国美術館会議会長、美術館連絡協議会理事長なども務めた。
<おもな著書> 「西洋の誘惑」(1968年、新潮社)、「モナ・リザ-永遠の女性の謎-」(1974年、美術出版社)、「モローの竪琴」(1980年、小沢書店)、「画家たちのプロムナード-近代絵画への誘い-」(1991年、悠思社)

アップした写真の本書、我が人生においての思い出の本の1冊である。今年の夏、私(たち)は藤圭子(ふじ・けいこ1951-2013)の傷ましい訃報に接したが、この本の発行の翌年、藤圭子の歌の数々は巷を癒していた(と思う)。本書と藤圭子の接点は全く何もないのだが、僕自身の人生の中では両者は同居する。
本書は「序・価値の孤独」の後に「1・フェルメール」が置かれている。本書の元は「芸術新潮」連載だったので、中山を通じて初めてフェルメールを知った人も多かったことでしょうね。本書最終の「結・少年の橋」(中山は大阪船場の生まれ。そこは橋の多い町だった)に登場する人物は順に、伊東静雄・保田与重郎・デュフィ・ユトリロ・ルソー・シャガール・ドローネ・ボナール・萩原朔太郎・マン・ボードレール・ゴーガン・杜甫・北村透谷・乃木希典・岡倉天心・永井荷風・和辻哲郎・三木清風である(pp365-377。明記されていない人名は奥村が推定)。「結・少年の橋」は
私は、一人の被誘惑者に過ぎない。
で結ばれる。

なお、中山は丸谷才一(まるや・さいいち1925-2012)と旧制新潟高等学校での友人。
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by tiaokumura | 2013-12-22 14:26 | 思い出の本たち | Comments(0)

高橋和巳、生誕80年

ブログに寄せられるコメントはブロガーの楽しみの一つ。8月28日、「あや」さんという方から初めてのコメントをいただいた。対象記事は「邪宗門忌(高橋和巳三十八回忌)」(2009年5月3日付)」。以下あやさんのコメントを全文引用。
ふと思い付いて,検索してたどり着きました。
二度と,辿り着けないかも。。。
邪宗門,好きです。
高橋和巳さんの著作も,ほぼ全制覇してます。
おそらく,コメントを寄せる中では最年少でしょうか,38歳です。
私の卒業した中学では,先輩から後輩へという形で「その人が好みそうな和巳さんの小説を与え,ファンとして引きずり込む」「引きずり込まれた人間は,卒業までに次世代を見つけて,ファンとして育成すること」というのが不文律のように存在していて,知っている限り,数世代辿れます。
その伝統も私のところで,絶えてしまいました。

僕が高橋を知ったのは高校時代で本格的に読み始めたのは大学時代だから、時代が違うとはいえ、あやさんたちの中学校は実に早熟。「その伝統も私のところで,絶えてしまいました。」とのことですが、高橋和巳の作品が若い世代にも読み継がれていることを知り、とても嬉しかった。Amazonで調べると『邪宗門』は現在新本では入手困難みたい。残念。

今日8月31日は日本では稀有な思想小説の書き手・高橋和巳(たかはし・かずみ1931-71)の誕生日である。彼が生きていれば80歳ということになる。先日亡くなった小松左京の若い頃の話に高橋も出ていたが、二人は同年生れで京都大学で同窓(小松が1学年上?)。他には大岡信・谷川俊太郎が高橋と同年生れ。高橋は39歳で夭折しているので、今年は没後40年でもある。前記事の松村謙三と同じ年に亡くなっている。

2年4か月ほど前(僕は62歳)の記事になるが、高橋和巳の誕生日に以下の記事を再録しておく。こういう記事を書いたことを思い出させてくださった「あや」さんに感謝。

再録:「邪宗門忌(高橋和巳三十八回忌)」(2009年5月3日付)
高橋和巳が、60とは言わないがせめて50歳まで生きていたらなどと考える誘惑は封印すべきだろう。人は死ぬべくして死ぬのである。昭和6(1931)年8月31日、大阪市浪速区貝殻町に生まれた高橋は、昭和46(1971)年5月3日午後10時55分永眠。葬儀は5月9日、青山葬儀所にて営まれた。葬儀委員長は埴谷雄高。
和子(たかこ)の「臨床日記」(『文芸』高橋和巳追悼特集号に所収)から引用する。原文縦書き、用字用語はママ。
(前略)八時ごろ。湯で顔と手をふいてやる。右の眼尻に一滴の涙がこぼれていた。泣いてるの?と言って、私はそれを指先で拭きとった。坂本氏こられる。(略)埴谷氏が高橋君と耳許で大きく呼ばれた時だけ、主人は両眼をひらいた。(略)母が和巳、和巳と泣きさけぶと、右眼だけが少し反応した。私は一度も呼ばなかった。(略)深夜ちかくになって、ふいに呼吸が間伸びしてきて、息が薄くなったかと思うと、息絶えた。十時五十五分。病名を知らず、不可能な時間を夢みたまま、主人は命を終えたのであろう。やすらかな顔であった。
念のため付言すると、「坂本氏」は坂本一亀(坂本龍一の父)、「埴谷氏」は埴谷雄高。和子は京都大学で和巳と同窓(和巳は中文、和子は仏文)で、和巳没後に形而上学的小説を何篇か発表し今はフランスで修道尼になっているとか。

僕が「高橋和巳」なる名前を知ったのは高校生時代だと思う。図書館にあった岩波の吉川幸次郎・小川環樹監修「中国詩人選集」の『李商隠』。当時の僕は李賀がランボーで、李商隠はヴェルレエヌと勝手に決め付けていたので^^「ふ~ん、高橋和巳って少壮の学者がおるんだなぁ」くらいにしか思わなかった。今確かめてみると『李商隠』は1958年刊行、刊行当時高橋和巳は27歳(京都大学大学院博士課程在学中。翌年修了)である。いくら吉川の推挙があったとはいえ、院生が岩波から本を出すのですから、今にして思えばすごいことです。
やがて僕は大学進学のため1965年3月に上京。「朝日ジャーナル」に連載中の『邪宗門』(1965年1月~66年5月)の熱心な読者になった。そして、読んだ順は忘れたが『捨子物語』『悲の器』『憂欝なる党派』『日本の悪霊』『我が心は石にあらず』『堕落』『散華』『白く塗りたる墓』『黄昏の橋』といった小説群は刊行とほぼ同時に読み(ずいぶん多作家だが、10年足らずの作家活動である)、『文学の責任』『孤立無援の思想』『新しき長城』『孤立の憂愁の中で』『変革の思想を問う』『わが解体』『人間にとって』『自立の思想』などのエッセイ集もほぼ全部読んだ。
僕は生前の高橋に一度だけ会っている。あれは22歳の秋だったろうか。鬱屈した気持ちで帰省していた時のこと。今はない「富山市公会堂」での講演。苦悩教教祖とも揶揄された彼だが、それでも何度か笑いを呼ぶ発言もあったように思う。熱気の退潮した時代だったのだろう、聴衆は極めて少なかった。
高橋を矮小化するようで恐縮だが、僕が高橋に学んだことの一つは「権威・権力・強者・金持ちに対峙しうる思想を構築すること」である。今の自分の立場上、権威の威を借りてエバってみせることも、権力にすり寄らなければならないことも、強者におべんちゃらをこかなければならないことも、金持ちのヨイショをしなけらばならないことも、組織の一員として生きている以上何度もあるが、それでも一個人としての矜持は持ち続けたいと思う。
「健康で文化的な最低限度の生活」さえ営めない人が数多いるこの国でこんなことを書くと、「甘っちょろい!」「青臭い!」と言われるかもしれぬが、あちこち迷走した末の62歳の今の自分は、けっきょく、若き日の理想=「自由・平等・博愛」の実現を目指しているのかもしれない。

吉川や桑原武夫や白川静に愛され期待された学の水準(高橋が辻邦生に言ったそうだ、「京都ではな、学者は泣きながら勉強するんや」と)、小田実や小松左京らと競い合うように発表した創作群(小田実は弔辞「とむらいのことば」で「すべての気持をこめて、高橋和巳よ、ホナ、サイナラ。」と述べる)、孤立無援を恐れず対自化された思想の高み・思索の深み(「スターリンを疑い、レーニンを疑うことからやがてはマルクスをも疑うに到るだろう。仏法のためには釈迦をも斬る精神のほかに、しかし期待しうる何があるだろうか。」)、友人知人はもとより埴谷や寺田透や武田泰淳らに愛された人柄。内村剛介の言い方を借りれば、39歳で亡くなった高橋和巳はまさに「生き急いだ」人生ということになるのでしょうね。
今はもう高橋和巳は「過去の人」になってしまっているのだろうが、その運動体組織論も含めて、まだまだ読み継がれ語り継がれていく価値があるのではないだろうか。

若き日の夢往還す 邪宗門忌
語り合う友とてもなく 邪宗門忌
邪宗門忌 志の之くところ 未だ見ず
(「邪宗門忌」は一般通用の語ではなく、私の勝手な造語です。陳謝)
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by tiaokumura | 2011-08-31 10:11 | 思い出の本たち | Comments(2)

「捨てる」の後に残った本(2/10)

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昨日富山国際学院に出勤し、今日から再び連休。何事もなければ、次の出勤は8月23日(月)=夏休み明けになります。
今日も「捨てる」作業。これで全体の8分の1くらい終わったでしょうか。日本関係では、日本文学古典・本居宣長・北村透谷・森鷗外・夏目漱石・永井荷風・芥川龍之介・宮沢賢治・梶井基次郎やら森有正・*・高橋和巳・辻邦生・*やら江戸川乱歩・横溝正史・星新一・半村良・山本周五郎・藤沢周平やら南方熊楠・植草甚一・百目鬼恭三郎やら*・*・*・*やらを整理しました。*は現在もご活躍中の方々なのでお名前は差し控えさせていただきます(照)。蔵書中に50年代以下に刊行の本はほとんどなく、60年代半ば~00年代までの約45年分の整理。外国関係・外国語関係もほとんど「捨てる」へ。
予想通りというか、僕の蔵書に女性は少ないんですね。樋口一葉・大村はま・向田邦子・須賀敦子・*・*・*・*あたりでしょうか、3冊以上あったのは。
なかなか捨てきれないのが辞事典類や画集。このあたりは、とりあえず捨てるハードルを上げて一時多目に残しておきます。秋にでも整理しよう。
富山国際学院の学生が読めそうな本は学院に持参し、日本語教育関係はほしい人がいたら役立ててもらおうと思います。
こうやって本を整理してると、自分の人生ってなんじゃったんだ、ってな虚無感もちょっぴり^^。あと、「本を通じての臨死体験」もしてるような気分。愚か者なんでしょうね、自分(恥)。

前記事に続き、残った本のご紹介。
『吉本隆明全著作集1』
昭和43(1968)年12月10日 第1刷
勁草書房 600円
色川大吉『明治の文化』
1970年4月13日 第1刷
岩波書店(日本歴史叢書) 500円
『谷川俊太郎詩集』
1966年3月1日 第3刷
思潮社 1200円
『追悼 長井勝一』
1996年3月1日発行
青林堂 680円(本体660円)
石森章太郎『ジュン』
昭和43(1968)年6月25日 初版
虫プロ商事 720円(奥村注:これは大学の後輩のナベちゃんにもらった本かもしれない)
アリシア・ベイ=ローレル(深町真理子 訳)『地球の上に生きる』
1972年7月20日 第1刷
草思社 750円
ブリア・サヴァラン(関根秀雄 訳)『美味礼賛』
1970年12月1日 AJBC版第1刷
白水社 1200円
ユリイカ臨時増刊号『川上弘美読本』
2006年8月10日 第3刷
青土社 1300円(本体1238円)
『PARIS Atlas』
Printed in the EU 07-99
MICHELIN
『カラー版 西洋絵画史WHO’S WHO』
1996年7月20日 第2刷
美術出版社 2800円(本体2718円)
J.C.ヘボン(松村明 解説)『和英語林集成』
昭和55(1980)年4月10日 第1刷
講談社(講談社学術文庫) 1900円
大槻文彦『大言海』
昭和55(1980)年5月5日 新訂版65版
冨山房 15000円
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by tiaokumura | 2010-08-18 14:00 | 思い出の本たち | Comments(0)

「捨てる」の後に残った本(1)

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中学3年頃からでしょうか、お小遣いから岩波文庫が買えるようになった。『友情』『こころ』『阿部一族』や宮沢賢治や西洋文学や思想関係などを高校を終える頃までに買った。岩波文庫以外では岩波新書や角川文庫、新潮文庫も買ったんだろうなあ。当時は、岩波・角川・新潮が3大文庫でした。新書もまだ岩波だけだったか。「新書」が岩波の固有名詞みたいな時代でしょうね。今は文庫も新書もたくさんの出版社が出してるんでしょうね。中高校生にはありがたいことでしょうが、一種のデフレスパイラルが出版業界にも起きている。
さて、1965年4月に大学生になって、僕は文庫・新書以外にもよほど高価でなければ本が自由に買えるようになった。嬉しかったでしょうね。爾来本購入歴(「読書歴」でないところが恥ずかしい)45年余。僕の場合、人生で使ったお金ランキングでいうと、①本、②酒、③タバコ、④食費になるでしょうか。残りのランキング、定かじゃありませんが、順位だけでいうと、住居費>音楽>女>スポーツ>ファッション>学費>PC関係、の順でランキングのところどころに入るでしょうか。人生で使ったお金の分類って、どんな項目があるんでしょうね。その人の価値観がもろに出るんでしょうね、そういう分類って。

お盆休みを利用しての本や資料類の整理。本棚7つ分くらい終わりました。整理っても要は「捨てる」作業。捨てる基準どんどん下げて、心の中で蔵書さんたちにわびつつバッサバッサと捨てる、捨てる、捨てる。
アップした写真捨てきれずに残った本の一部です。「どんな読み方をしたか」「なぜ残したか」は省略して、以下基本情報を開示。
森有正『バビロンの流れのほとりにて』
昭和43(1968)年6月10日 初版第1刷
筑摩書房 820円
ルドルフ・シュタイナー(高橋巖・完訳)『一般人間学』
1985年8月21日第1版第1刷
創林社 2600円
緑魔子●ボオドレエル(撮影・鈴木彰 翻訳・堀口大学)『悪の華●わが性からの復権』
昭和43(1968)年12月10日 発行
ノーベル書房 3800円
デイヴィド・ドルトン編(三井徹・訳)『ローリング・ストーンズ・ブック』
1973年4月10日第1刷
草思社 1800円
奥山儀八郎『珈琲遍歴』
昭和49(1974)年1月30日 第2版
旭屋出版 4000円
『学研 新世紀大辞典』
1968年4月1日第1版第2刷
学研(学習研究社) 3800円
『高橋和巳作品集4 邪宗門』
1970年1月30日初版
河出書房新社 750円
ビリー・ホリデイ(油井正一・大橋巨泉 訳)『ビリー・ホリデイ自伝 奇妙な果実』
1972年6月30日7刷
晶文社 780円

今日・明後日とまだまだ整理は続きます。「もう本は買うまい」って気持ち、ちょっと、ほんのちょっぴりですが、しています。これだけ本を捨てるときっとどこかでタタリがあるでしょうね。
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by tiaokumura | 2010-08-16 14:41 | 思い出の本たち | Comments(2)

上村一夫、24回忌

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今日1月11日上村一夫(かみむら・かずお1940-86)の祥月命日。彼は享年45歳ですから実に早い人生の終焉でした。上村一夫の公式サイトには彼が漫画(作品名不明)を描いている写真が載っているのですが、まだ40代の時の彼の若い(と言っても彼にとっては「晩年」)顔、棟方志功(むなかた・しこう1903-75)の板画の姿勢のようにペンでコマの人物に太い線を入れている姿―痛ましくさえ感じられる。同サイトの「プロフィール」に、
・・・特に「同棲時代」は”劇画史に一時代を画した”と称されるヒット作品となった。/また、その流麗なる筆画から”昭和の絵師”と称され、月産400枚の原稿を手掛ける多忙さを極めた。
とあるように、人気作家ゆえの多忙さが彼の命を縮めた、命を削って数々の作品を生み出したんでしょうね。

漫画」の歴史は『鳥獣人物戯画』(12世紀)あたりに始まるのでしょうが、漫画とともに成長していったのは僕らの世代が嚆矢でしょうね。子どもの頃の紙芝居(『黄金バット』など)・手塚治虫・『赤胴鈴之助』(福井英一→武内つなよし)・貸本漫画(劇画)・月刊誌「少年」や「冒険王」、中学時代に創刊された週刊誌「少年マガジン」・「少年サンデー」、大学生になってからは週刊「漫画アクション」も創刊された。数々の夢中になった作品群。同世代が漫画の話をしだしたら、止まらないでしょうね。僕のほぼ同じ世代に、黒鉄ヒロシ・林静一・永井豪・池田理代子・谷口ジロー・弘兼憲史・本宮ひろ志・山上たつひこ・山岸涼子・里中満智子といった多数の漫画家が輩出しているのも、僕たちと漫画の関係を強く物語っている。

アップした写真は、上村一夫『同棲時代』(漫画アクションコミックス)第1集(1972年11月20日発行。定価250円)~第6集(1973年12月1日発行。定価280円)。6冊とも全て初版ですから、連載(週刊「漫画アクション」1972年3月2日号~73年11月8日号)から単行本になってすぐに買ってたんでしょうね、僕。こうして並べてみると、自分はずいぶん遠くまで来たんだなぁという想いと、いや、この頃と今と自分はあまり価値観は変わってないんじゃないだろうかという想いが交錯する。実際のところ、どうなんでしょうね。また読み返す勇気はなく、そうかと言って捨ててしまおうとも思わない-そんな「思い出の本たち」です。

第6集 VOL.71 最終章」は次郎今日子の再会。そして、
愛はいつも/いくつかの過ちに 満たされている/もしも愛が 美しいものなら/それは男と女が犯す この過ちの美しさに 他ならぬであろう//そして愛が いつも涙で終るものなら/それは愛がもともと 涙の棲家だからだ-
の詞。そして更に、最後のページの1つ手前の見開き2ページの大きなサイズのコマには、年老いた今日子と次郎が夕陽を背景に海原のような中で距離をおいて見つめあっている。上村一夫はこのシーンで何を言いたかったのだろう。僕には「永遠の謎」である。

(参考)
上村一夫公式サイト
清水勲『年表 日本漫画史』(2007年6月1日初版。臨川書店)
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by tiaokumura | 2010-01-11 18:58 | 思い出の本たち | Comments(2)

思い出の本たち(2)小笠原豊樹訳『プレヴェール詩集』

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小笠原豊樹
プレヴェール詩集
昭和42(1967)年12月初版
河出書房
定価(当時)260円

ジャック・プレヴェール(Jaques Prévert。1900-77)
小笠原豊樹(おがさわら・とよき。本名岩田宏。1932-)

このブログのカテゴリ「思い出の本たち」第2弾はこれです。発行日からすると僕が21歳の時に買ったことになる。河出書房(このときは倒産前なんでしょうね)「ポケット版 世界の詩人」全12巻の第11巻。同シリーズは他に、手塚富雄訳(以下同じ)『ゲーテ』・高安国世『ハイネ』・木島始『ホイットマン』・福永武彦『ボードレール』・清岡卓行『ランボー』・大岡信『ジャム』・生野幸吉『リルケ』・高橋健二『ヘッセ』などで、最終巻が谷川俊太郎編『愛の詩集』という超豪華なラインナップ。今揃いで持ってたら5万円以上はするでしょうね。お金で詩が買えるもんじゃあないけど(爆)。
この詩集、実にオシャレで、まずカバー(上の写真がそうです)はピカソ「恋人たち」(部分)。巻頭16ページにわたって写真とプレヴェールの詩の一節など。パリの朝方の渋滞写真にかぶせて「大きな赤い/冬の太陽が/グラン・パレの上に現れ(以下略)」(「大きな赤い」)、セーヌ河でしょうか川岸に置いた椅子に鳥の写真には「ほんとうは生きたい鳥/ほんとうは歌いたい鳥/ほんとうは叫びたい鳥/血のように赤くて暖かい鳥/とても静かに飛ぶ鳥(以下略)」(「鳥さしの唄」)、魚眼レンズで撮ったのでしょうかパリジェンヌの顔の写真には「はがねのむすめ あたしは誰にも惚れなかった/誰にも惚れなかった 惚れたひとのほかには(以下略)」(「はがねのむすめ」)、あるいはミロの「かたつむりの燐光を放つ軌跡に導かれた夜の男」(部分)の絵。
小笠原豊樹による「解説」は、現在読んでもこれ以上緻密で詳しいプレヴェール紹介はないだろうというレベル(ただしこの詩集の刊行当時プレヴェールは存命)。解説上部には、映画『天井桟敷の人々』(マルセル・カルネ監督、プレヴェール脚本。1943-44)の写真2葉、エルンストの絵、モンタンやグレコの写真など。そして巻末には「Les feuilles mortes」(邦題「枯葉」)の楽譜、プレヴェールの作品一覧。

小笠原豊樹(岩田宏)は北海道倶知安生まれ、東京外大ロシア語科中退。ユリイカや思潮社から詩集刊行。一方でフランス語・ロシア語などの翻訳も多数。60年代・70年代を語るとき逸してはならない方でしょうね。

実はこの本、人に1回あげてるんですね。その人とは誰あろう^^、このブログのご常連「哲ちゃん」。最後のページに僕の下手糞な字で、「謹呈○○哲○○様 1969年5月8日」と書いてある。あの頃は人が読んでる本を負けじと読んだり、互いに本の情報交換したり、時には本をあげたりもらったり(ボクの場合はもらうことの方が多かったけど^^)したものである。青春なんでしょうね。この本の場合、日付から判断するに、いったん都落ちすることになった僕が哲ちゃんにあげたのかもしれない。

著作権にひっかかるかもしれませんが、プレヴェールの数多くの詩の中であの当時僕が一番好きだった詩を以下に掲載。
プレヴェール「唄」(小笠原豊樹訳)
きょうはなんにち
きょうは毎日だよ
かわいいひと
きょうは一生だよ
いとしいひと
ぼくらは愛し合って生きる
ぼくらは生きて愛し合う
ぼくらは知らない 生きるってなんだろう
ぼくらは知らない 日にちってなんだろう
ぼくらは知らない 愛ってなんだろう。

『プレヴェール詩集』(「ポケット版・世界の詩人11」河出書房。昭和42年12月)p.69
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by tiaokumura | 2008-11-23 21:29 | 思い出の本たち | Comments(2)

思い出の本たち(1)『ジャニス ブルースに死す』

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デイヴィッド・ドルトン
田川律・板倉まり
ジャニス ブルースに死す
晶文社
1973年3月
定価(ただし発行時)1200円

(注)この記事を書くにあたり、写真の本、ウィキペディア(日本語版)、Wikipedia(ENGLISHver)、YouTubeを参考にしました。
YouTubeでは、たぶんここJanis Joplinの入口になります。8月15日現在3620本のJanis Joplin動画が無料で!好きなだけ!視聴できます。CDやDVDがなかなか買えないボク(やあなた?)にとってYouTube様様かも。彼女の年代の違う映像、同じ曲でもライブ・スタジオ・野外など、まぁ、ボクの場合一生かかっても見切れない量です、Janis Joplin@YouTube。
僕にJanis Joplinを教えてくれた、友人ブチュにもここで感謝。

39年前の今日も土曜日だったんですね。
1969年8月16日、Woodstock2日目。出番まで10時間待たされ、その間、彼女はドラッグ&アルコール漬け。ステージに上がりRaise Your Handでスタート。4曲目がSummertime、8曲目(ラスト)がWork Me Lordで、アンコールがPiece of My Heart、Ball & Chainの2曲。YouTubeでBall & Chainを視聴すると、天衣無縫な少女の表情を見せるかと思えば、疲れ果てた中年女になることも。彼女に残された日は400日余りだったんですね、この時点で。
学校にも地域にもなじめなかったテキサスの少女時代。やがて時代は彼女をbig starに祭り上げる。それでも、それだからこそ、彼女の孤独と絶望、不安は増すばかり。

Janis Joplin(1943-70。以下「Janis」)、彼女の足掛け8年の音楽活動でいつが一番光り輝いていたかは、ファンによっていろいろな見方ができるんでしょうね。全てオーラを放っていたとも言えるし。
本人が言うように「麻薬販売人であり、うだつのあがらぬ芸術家で、眠るところと、寝る男を探して街に出る女」(同書p18)だったJanisは、1966年Big Brother and The Holding Companyのヴォーカリストになる。「音は後から鳴ってくるし、ベースは、あたしに挑んでくるし、あたしは、もう、やろうと決心して、それからは他のことは考えなくなっちゃった。男とヤルよりよかったんだよ。多分それがまずいんだね・・・。」(同)
まもなくJanisは全米、そして世界の若者を熱狂させるカリスマになる。
伝説のWoodstockの1969年、この年彼女はBB&HCと別れKozmic Blues Bandと組む。1日に末端価格200ドル以上のheroinを常用してた年初だったが、レコーディングのためドラッグを絶つ(「絶たされた」ってほうが正しい)。だが9月にリリースした曲は、前のバンドとのほうがいいとか音楽評論家から酷評。そんな年の8月、KBBをバックにWoodstockに登場。The Who(2日目)の25曲、大トリのJimi Hendrix(3日目)の16曲(ほとんどの観客が帰ってしまっていたため、実際に生で聴いた人は少ない^^)には及ばないけど、Janisの10曲は、当時の彼女の人気ぶりが窺える。10曲以上は他に2日目のMountainとCreedence Clearwater Revival、3日目のThe Band(Bob Dylanは息子の病気その他で不参加)だから、ソロで10曲以上はJanis(とJimi Hendrix)のみってことになる。Joan Baez(当時妊娠6ヶ月)は1日目のトリで8曲。

1970年10月4日、レコーディング予定のスタジオに現れないJanisを心配したマネージャーが彼女の滞在先のモーテルを訪れる。駐車場には彼女のポルシェ。部屋に入って彼女の遺体を見つける。死因はa drug overdose+alcohol。約2ヶ月年上の天才ギタリストJimi Hendrix(1942-70)が亡くなって16日後のことであった。ジャニスもジミヘンも「破滅型ミュージシャン」で、二人ともこれ以上ない「絶頂期での最期」ということになるのだろうけど・・・痛ましい。
10月9日が誕生日のJohn Lennon(1940-80)がJanisから誕生日お祝いテープをもらってるそうです、ただし届いたのは彼女の死後。
Janisの最後のレコーディングはMercedes Benz。ビートニク詩人の詞。「神様、ダチはポルシェだから、あたいにはベンツをちょうだいよ(奥村私訳)」といった歌詞。そして、10月4日に彼女がヴォーカルを吹き込む予定(彼女がこの頃組んでいたFull Tilt Boogieによるインストゥルメントのみ録音済み)だった曲がBuried Alive In The Blues(ご存知の方多いでしょうね。邦題は「生きながらブルースに葬られ」、名訳です)。死後発売されたPearlにはインストのみで収録されている。

ジャニス・ジョプリンを聴くなら、死後編まれたベスト盤も数多くありますが、生前に出されたCheap Thrills(1968)、没後まもなく出されたPearl(1971)がいいでしょう。「ジャニス・ジョプリンなんて知らないよ」って方もSummertime(なんと!ジミヘン+ジョプリン。でも確かにジャニスだけど、ジミヘンはどうなんだろう???)だけでもお聞きになってみるといいかと思います。

ジャニス ブル-スに死す』の原著は”Dalton, David.JANIS”。『ブルースに死す』と添えたのは、訳者たちにBuried Alive In The Bluesがあったからでしょうね。
原著未見なのでどうかわかりませんが、翻訳書には写真(サン・ホセ、マディスン・スクェア・ガーデン、ニューポートなどでの彼女)、楽譜(BALL AND CHAIN、TRY、PIECE OF MY HEART、CRY BABYなど8曲)も入っています。ソノシート(懐かしい!)もついてたようですが、どこかに行ってしまってる(泣)。


このブログ、新しく「思い出の本たち」というカテゴリーを設けました。この後、森有正『バビロンンの流れのほとりにて』、上村一夫『同棲時代』、矢内原伊作『ジャコメッティとともに』、高橋和巳『邪宗門』、沼正三『家畜人ヤプー』、中山公男『西洋の誘惑』などを取り上げる予定です。
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by tiaokumura | 2008-08-16 11:26 | 思い出の本たち | Comments(2)