カテゴリ:僕は学院長0年生( 12 )

卒業式

f0030155_12415831.jpg
(3月14日夜・記)
日本には約400の日本語学校があり、それぞれが独自の学年暦で日本語教育を行っていると思いますが、私の勤務する富山国際学院の場合、年間210日ぐらいの授業です。一般の方にはずいぶん少ない授業日数に思われるかもしれませんね。土日・祭日が休み、夏休み・冬休み・春休みが各2週間くらいあるので年間授業日数はそんなもんです。それに富山なので「大雪休校」があることもも考慮しておかなければならない。
学院生には聴講生・プライベートも年間で40人くらいいますが、中心は就学生です。就学生は午前ないし午後の4時間(ただし「1時間」は45分授業)の授業があります。就学生のビザは「就学ビザ」で、アルバイトをしてもいいことになっています。もちろんやっちゃいけないアルバイトもあります。富山国際学院は数ある日本語学校の中で入国管理局から優良校の認定を受けており、更にその優良校中から選ばれた日本語学校にもなれて、この4月からは、これまで就学生は週20時間しかアルバイトができなかったのが週28時間までできることになりました。また、「就学」「留学」の2本立てだったビザも「留学」に一本化される動きもあります。外国人登録証の廃止-これは喜んでいいのかどうかまだわからないのですが、いずれにしろ、ここ数年にわたり日本語学校を取り巻く環境はいい方向に進んでいます。あとは日本がしっかりした国で、そういう国の言語である日本語を学びたいという日本語非母語話者が増えてくれればいいのですが、その点については、僕はかなり悲観的です。

昨日13日、富山国際学院の卒業式。2年ないし1年半の日本語学習を終えた就学生が巣立っていきました。僕は卒業式の司会進行を担当しました。
事前指導(今日の予定、ケータイ・カメラ注意、卒業証書のもらい方、表彰状・送辞・謝辞のことなど)を10分くらいやった後、卒業証書授与→表彰状授与→学院長式辞→在校生送辞→卒業生謝辞と進行し、厳粛な内にとどこおりなく終了。全部で45分くらいだったでしょうか、今年の卒業式は。

式のあと卒業式と同じ教室でパーティで、こっからが富山国際学院ならではの「本当の卒業式」なんかもしれません。
パーティは乾杯から始まる。乾杯の音頭はもちろん学生です。今回は僕が指名しました。パーティ中は卒業したエネルギーが一気に爆発(爆)。
そしてパーティが終わる頃を見計らって「卒業式の最大のイベント=クライマックス」を迎えます。
全員(学生・教師)がテキトーに壁・窓側に座る。そして全員が順番に一言言うのです。僕はこれが卒業式の一番の楽しみです。就学生たちにとって富山国際学院はどんな場であったのかが問われ、僕たち富山国際学院の教師たちが彼ら・彼女らにストレートに評価され、あるいはまた、日本・日本人・日本語・富山・教育などに対する本音が聞ける場でもある。教師の「一言」も興味深い。
25人くらい終わり残り数人になったところで僕の番になった。人前で話すのがチョー苦手(恥)なボク、勇気を振り絞って話す。でも話している内に目から水(照)。同僚の増山さんに励まされてどうにか話し続けられた。持ち時間の半分くらいは話し、残り半分は詩吟(ってぇも独学ですが)をご披露した。「卒業生の皆さん並びに今年度で退職される岸井先生・金森先生に贈ります」ってな前置きで「元ニの安西に使いするを送る 王維」を吟ずる。詩吟途中でまたまたウルウル来ちゃいましたが^^、なんとか「故人無からん、無からん、無からん、故人無からん」で終えられた。

この記事の写真は、学院長の岸井みつよさんとのツーショット(照)。このブログで岸井さんがこの大きさでご登場いただくのはこれが初めてかも^^。
2004年3月、僕は3年ほど所属していたトヤマヤポニカの人間関係がしんどくなって退会して浪人中、富山国際学院の面接試験を受けました。面接官は誰あろう^^岸井さんで、岸井さんは当時(たぶん)教務主任。面接では日本語教師経験や教材のことなんかを聞かれたかなぁ。で、面接試験が終わって何日経っても「合否」の連絡が来ない。焦りました、自分。塾をやっていたので生活に困るってことはなかったのですが、でも「日本語教師」は続けたかった。焦った自分、当時使っていたワープロ専用機で手紙を書き(めっちゃ悪筆家なんっす、自分)、まぁ署名は自筆で、富山国際学院に手紙を出しました。そしたら、ありゃりゃあ、なんですが「あんたは4月からのスタッフに入っとる」といったようなお返事。
岸井さんにまつわる他の「思い出」は、ある年の学習発表会で劇『大きなかぶ』をやったときにかぶ引っこ抜きの勢いで岸井さんが壁に「ゴッツン」と大きな音付きでぶつかられたこと、妻の余命3か月を打ち明けて岸井さんの前で涙したこと、いろんなご指導や「帝王学」を受けたこと、岸井さんの意見になんどか異議を申し立てたこと、仕事の息抜きに本や音楽や東京の話をしたこと、富山大学編入学試験受験を許可していただいたことなどたくさんありますが、ここではもう一つだけ、「日本語学校・冬の時代」のときの話を書きます。
今から十数年前、当時も今も圧倒的に多い中国人就学生(現在の富山国際学院も就学生の3分の2くらいが中国籍です)、日本国内外での日本語学校関係のトラブルなどがあって、入国管理局の審査基準が厳しくなった。学院も入学者が激減し、富山国際学院を立ち上げられた方々が手を引くことになり「廃校」になろうとした。「また浪人生活かなぁ」と覚悟していた僕に、ある日岸井さんから電話がかかってきた。「まだ在学生はゼロではない。彼ら・彼女らに日本語教育を続ける義務が我々にはあるのではないだろうか。ついては『教師の手弁当』になるのだが、学院で日本語教師を続けてみないか」というお誘い。あのときにボクのような者にまで日本語教師をふってくださった岸井さんへの恩義が、今日に至るまで僕が富山国際学院に勤め続けているエネルギーになっている。人生、意気に感ず、かも。
3年ほど前から学院で重要な仕事も任せられるようになり、学習塾を続けるか日本語教師を続けるか、どちらかしか選べない状況になった。悩みに悩んだ末、昨年3月に塾を廃業し同4月から富山国際学院専任(それまでは「非常勤講師」)になった。

岸井みつよ様
長い間お疲れ様でした。
バトンタッチする日はまもなくです。
岸井さんのようにはうまくできませんが
まずは1年、次に1年、更に1年・・・
といった感じでやってみます。
僕は
あなたのイエスマンじゃなかったことが
数少ないあなたへの「自慢」かもしれません。
東京でお会いできる機会があったら
ぜひ「武相荘」でデイトしましょう!

[PR]
by tiaokumura | 2009-03-13 12:41 | 僕は学院長0年生 | Comments(0)

富山国際学院の昨日・今日

相本芳彦効果」、なんでしょうねぇ。いつもは1日80アクセスくらいのこのブログ、僕が1月20日午後9時前に「相本芳彦さんの、衆議院議員選挙富山3区立候補を支持します」を投稿した日からアクセスが通常レベルを超え、今日まで連日100人超。200人超の日も何日かある。検索エンジンから入ってこられる方が多いのでしょうね、この現象。さすがにこれまでの1日最高(557アクセス)の更新はないのですが、「相本ネタ」、ずいぶん関心を持たれたみたい。で、今回入ってこられた方々は富山県民関係が多いでしょうから、逆に言えばこのブログはあまり富山県民のご常連おられん、ってことを意味するのかもしれませんね。
相本さん、立候補の意思表明。このブログの場合、お寄せいただいた4人の方のコメントは全て「立候補反対」でした。

さて今日のタイトル「昨日・今日」は「過去・現在」って意味じゃぁなく(富山国際学院の過去・現在なんて今の僕にはソーカツしきれんし^^)、日付の昨日・今日です。

昨日1月28日
とやま国際センターから学院に手紙が届いた。「とやま国際センター」は、名称こそ異なっても似たような業務を行っている機関が各都道府県にあると思います。外国人のサポートをしたり外国人と日本人の交流を促進したり、そういう役割を担っている機関です。
そこからの手紙を読んで、ちょっとビックリしました。例の「交付給付金」、どうやらうちの学生たちももらえるようなのです。うかつでした、知りませんでしたもんね、そのことを僕。厳密に言えば「外国人登録」をしている「外国人」が対象。うちの就学生・聴講生、幸いなことに全員該当します。2月1日現在の外国人登録地で手続き後交付給付、といった段取りみたいです。
僕はこのブログで既に書いたように(2008年10月31日)、「交付給付金」は天下の愚策だと思います。だから僕は受け取ったら県内某施設に寄付します。僕の家族はそれぞれの判断で交付給付金を使うでしょう。交付給付金、消費刺激(いつのまにか性格が変わった?)ったってどれほどの効果があるか疑問ですよね。国が国民に「無駄遣いせよ」と言ってるみたいだし。ま、それはともかく、外国人にも交付給付(いやな言葉ですが)されるのはありがたい。素直に感謝します。でもこういうときに、「外国人に出すくらいならその分、派遣切りにあった日本人や日本人母子家庭、低年金の日本人のお年寄りにまわせ」って主張、きっと出てくるんでしょうね。この件が外国人排斥なんてことのきっかけになりませんように。

今日1月29日
先週、あるクラスの学生がインフルエンザで欠席(その後も休み)。同じクラスの別の学生が昨日不調を訴えてきた。今日検査したところ陰性だったのですが、インフルエンザが広まらない内にと、今日・明日とそのクラス(午後)を学級閉鎖しました(2日間分の授業は春休みに補習を予定)。学院は開校以来16年近くになるのですが、インフルエンザによる学級閉鎖は初めてです。富山にあるので、雪のため休校は一シーズンに何回か経験してます。
危機管理、一応いろいろ心の準備などはしているのですが、インフルエンザは今までほとんど考えていませんでした。学生たちには手洗い・うがいの徹底を指示しておきました。
ありとあらゆる危機を想定して、何が起きても対応できる体制、うちのようなミニ日本語学校にも、絶対必要ですよね。

最近の日本語教育関連ニュースいくつか順不同で。
①「留学」「就学」のビザが「留学」に一本化される見通し。
②「常用漢字」の話題。日本語教育にも関係してきます。
③EPAに基づくインドネシア人介護福祉士2名が28日に魚津(うおづ)に。大阪で6ヶ月間日本語研修などを終わった方々です。インドネシア人看護師1名は2月14日に魚津入りだそうです。
④富山県内の外国人登録者数、不況の影響もあってか微増に留まるそうです。
⑤とやま国際センター、失業中の日系ブラジル人を主対象に「日本語教室」開設。
広い意味も含めての「日本語教育」関係のニュース、1月に入ってからだけでもずいぶん増えています。

1月30日訂正
交付給付」の間違いでした。上記記事訂正しておきます。大変失礼しました。
[PR]
by tiaokumura | 2009-01-29 20:36 | 僕は学院長0年生 | Comments(0)

富山国際学院で働くということ

4月からフルタイム勤務の富山国際学院。僕の年内の仕事は25日で終えました。最後の約2週間は通常の業務以外に、2009年4月生の名古屋入管申請準備、3年ごとの(財)日本語教育振興協会への審査申請書類作り、学院の年賀状文案作成、担任B組の個別懇談、外国籍の子どもたちの高校出願など多忙を極めましたが、ほぼ一通り無事に仕事を済ませ、26日からはお休みに。っても、こないだ同僚の高木さんにしっかり言われました、
奥村さん、ケータイ、休み中もオンしておいてくださいね
って(激爆)。そうなんっす、ボク、1月5日(月)の富山国際学院の再開までの休み期間中、学院生に悪いことが発生したら、即対応せんならん身分^^なんです。ワシって、鞍馬天狗かウルトラマンかいな(古すぎた^^)。来年の年末年始はハワイにでも逃避行しようかしらん(嘘爆)。
富山国際学院の良い子の皆さん、年末年始、な~んも悪いこと起こらず&起こさず、ワシの出動、ないよ~にしてね♪
とここで叫んでみても、事件・事故・トラブルって、起きる時は起きるのだけれど(汗)。

北陸初の日本語学校が富山に生まれるということは、1992年だかに知った。それが富山国際学院だった。当時僕は日本語教育関係のある組織に属していたが、93年だと思うが、その組織での人間関係がいやになって退会した。同じ年の夏、今もやっていると思いますが、富山市立外国語専門学校の夏季集中講座・韓国語を受講した。講師は金允玉(キム・ユンオク)先生。で、大げさかもしれませんが、運命の出会いだったんでしょうね、金先生のご主人が富山国際学院のIM先生でした。やがて金先生を通じてIM先生から「富山国際学院が教師を募集してるから応募してみたら」とお誘いを受け、1994年3月に富山国際学院を面接試験で初めて訪れた。面接官は岸井みつよさん(当時教務主任。現学院長)。面接会場は今A組の授業をやっている4F左の教室。僕は富山県内の2つの高専で教えていたのでそのことや、自分なりの日本語教育観・使ったことのある教材などを話した記憶がある。面接を終わって自宅で結果を待つ日々。で、ここからは笑い話になるのですが、いくら待っても返事が来ない。しびれを切らしたボクは、字が下手なんで当時使ってたワープロ専用機で学院宛に面接結果を問い合わせる手紙を書いて送った。そしたらビックリ! 僕はもう既に4月からのスタッフになっているというお返事。笑い話ですよね。でもあの時富山国際学院に採用されてなかったら、僕の日本語教師人生は終わっていたでしょうね。
そんな経緯で勤務するようになった富山国際学院。初日から驚きの連続だった。それまでの日本語教師経験は欧米系が中心でクラスサイズも数人だったのが、オールチャイニーズ20人クラス(日本語学校は1クラス20人まで可)を教えることに。ま、覚悟はしてましたが、日々悪戦苦闘。富山国際学院の最初の卒業式は壮観だった。60名近い卒業生がいたと思う。そんな中、IR先生が僕の一つとなりの席で涙を流しておられたのが強い印象に残っている。「卒業式で教師が泣ける。ああ富山国際学院っていい学校だなぁ。僕も精進していつかは卒業式で泣けるような教師になりたいなぁ」としみじみ思った。
1996年頃だったか、入国管理局の審査が厳しくなり中国からの就学生(日本語学校の学生は「就学ビザ」です)がほぼゼロになった。冬の時代。富山国際学院は設立者たちが手を引き廃校の危機に。その時、岸井みつよさんから
「残っている学生たちへの日本語授業を続けていきたい。手弁当になるけれど、それでも良ければ、いっしょにやってみないか」
というお誘いを受け、喜んでメンバーに加えさせていただいた。日本語教育の楽しさ・おもしろさがわかってきてたんでしょうね、その頃の僕は。

いろんなことがあった富山国際学院での日本語教師人生。思えば僕は運がいいのでしょうね。毎年クラス担任したし、いろんな方と組むことができたし、ゼロから上級まで全レベルのクラスも経験したし、プライベートもインテンシブもやったし、県費研修生・上越教育大学・アジア人財など外部の授業も担当することができたし、5回の海外出張にも行けた。
2005年9月、富山国際学院が特定非営利活動法人に組織変えするに際しては、岸井さんから理事長職を任せられた。「理事長が高卒じゃマズいかな」と思ったのも動機の一つだった富山大学言語学コース編入学(2006年4月)、岸井さんや同僚のご理解のおかげでこの春に無事卒業できた。(財)日本語教育振興協会への審査申請書類には僕の履歴書も必要だったんですが、学歴欄が2行増えました^^。
岸井みつよ学院長が来春勇退されるので、交代で僕が学院長を務める。器としては岸井さんの10分の1にも満たない自分だが、ワガママな自分をここまで育ててくださった岸井さんへのせめてものご恩返しとも思い、引き受けた。幸い現有スタッフのほぼ全員が来春以降も残っていただけそうだ。スタッフ中14人(87.5%)が日本語教育能力検定試験合格で、スタッフがカヴァーする外国語は英語・中国語・ロシア語・韓国語・モンゴル語・ドイツ語など多岐にわたる(ポルトガル語、東南アジア・南アジアの言語も入ればもっと強力でしょうね)。来年新しく富山国際学院が取り組む日本語教育もいくつか予定している。学院トップとしては、最終責任は全て自分が負う覚悟で、スタッフの持つパワーを最大限に活かせる環境を整備したい。
昨今の世界同時不況は富山国際学院にも必ずや累を及ぼすであろうが、どのような危機にあってもリストラだけは絶対に避ける。学院長の給料を半減しワークシェアリングで乗り切ろうと思う。借金がゼロの強み(ま、うちなんかはど~この銀行からも融資不可能ですけど^^)、基礎体力は充分にある日本語学校である。

私たちの職場は、(自画自賛になるが)働きやすい職場だと思う。特に女性。7:1で女性優位。子育て中・要介護者ありの方もおられるが、学院・ご本人があれこれやりくりしながら対応できる職場。「配偶者控除」の壁が取っ払われたら、もっと勤務時間増やせるのですが、政府、なんとか考えてほしい。人間関係もギクシャクせず極めて良好(と僕は思ってますが、他の方たちはどうなんだろう)。セクハラ・パワハラもゼロ(ですよね、同僚の皆様)。

繰り返しになるが、世界同時不況の今、日本語教育・日本語学校にとっても2009年は厳しい年になる。冬の時代再来もあり得る。どのようになってもスタッフ一丸となって、就学生・聴講生・外部学習者全てに満足していただける「富山国際学院」であり続けたい。そのような職場で働ける自分をいつまでも誇りに思いたい。

内輪のことを当ブログに書くのは、いささか照れますが、年末にふと以上のようなことを思いました。

長文、最後までお読みいただきありがとうございました!
[PR]
by tiaokumura | 2008-12-27 20:46 | 僕は学院長0年生 | Comments(0)

海外出張のため、1週間ほどこのブログはお休みします

あと12時間ほどで僕は機上の人(照)。関空を発ちバンコクに向います。
6泊(機上2泊・ホテル4泊)7日の海外出張。これまでは海外出張は中国しか経験がなく、今回の行き先は全て初めてなのでいろいろ不安もありますが、まぁなんとかなると開き直って行ってきます。大失敗3、中失敗8、小失敗15くらいはあるでしょうね、自分(爆)。
滞在地のホテルやネットカフェなどでインターネットができそうですが、果たして僕にそんな余裕があるかどうか。でももしチャンスがあったら、このブログ覗いてみます。日本語環境が整っていれば記事投稿もしてみますが、まぁあまり期待しないで下さい。
ここんところ1日80人前後で推移しているこのブログ、ひょっとしたら帰国時には開設以来通算5万ヒットを達成してるかもしれません。でも、更新がないとアクセス数激減ですよね、きっと^^。
海外に出て僕の場合は、まず日本語の音・日本語文字に飢えることでしょうね。今回の出張、本は内田百閒池波正太郎を文庫本で各1冊持参します。漱石の『夢十夜』を持っていこうと思ったのですが、あいにく文庫本が見つからなかった。あと毎朝欠かさず新聞を読んでいるので、これにも飢えそう。英字紙しか手に入らないでしょうね、滞在先では。それからヘヴィースモーカーなのも困ることの一つ。タバコは「フロンティアライト・ロング」ってぇのを1カートン荷物に入れましたが、ホテルの自室以外は喫煙ままならないことでしょうね。

全て順調に進めば9月29日(月)07:30に関空に到着します。出張中、太郎・一郎対決、巨人・阪神のつばぜり合いとかどうなってるんでしょうね。日本国にとんでもないことが起こってても、離日してると事情よくわかんないんでしょうね。ホテルのTVでNHKは見られるのかしらん。

では、皆様、行ってまいります。
奥村隆信敬白
[PR]
by tiaokumura | 2008-09-23 13:50 | 僕は学院長0年生 | Comments(2)

海外出張の準備がなかなか進まない(泣)

来週の今頃はバンコクで下弦の月を眺めているんかなあ。
来週火曜日から6泊7日の海外出張。今日も出張スケジュールを整理してるのですが、アホなせいで(恥)なかなか予定が飲み込めない。
9月23日夕方自宅を出てJR富山駅。まぁ、それは大丈夫です、モチロン(激爆)。で、富山→新大阪→関西空港、と、ここもまず大丈夫(なはず^^)。関空についてからがめっちゃ大変。空港であれやこれや手続きなどをして、24日零時過ぎ関空を発つ。その後がまだゴチャゴチャでようわかっとらんのですが、関空→バンコク→カトマンズ→バンコク→ハノイ→バンコク→関空(機中泊2回、ホテル泊4回)。順調に仕事が済ませられ、6回の国際便のトラブルもなければ、9月29日午前に関空に到着し富山に戻り、富山国際学院に寄って帰宅。翌9月30日は金沢日。

海外に出たのは、2000年8月に妻と二人っきりで行ったパリ旅行が人生初体験。その後、中国出張が2004年11月、05年6月・11月、06年6月と4回経験。ですから今回が6回目の海外旅行(5回目の海外出張)になります。
日本国内でも方向音痴(恥)の自分、海外に出たらもっとひどい。その上、This is a pen-levelEnglishなんで(恥×2)、相手とのコミュニケーションもうまくいかない。ま、「なるようにしかならない」と開き直るしかないんですけどね。現地での仕事時は通訳付きですし。
今回、さすがに初めての海外旅行ではないので、いくつか自分なりに工夫してます。とは言っても海外旅行に慣れている方には「なんだ今更そんなこと」の類でしょうけど。
①ホテルのバスタブで下着類を洗濯しようと思っているので、洗剤を持参する。従って下着類は3日分しか荷物に詰め込まない。
②僕は食べ物の好き嫌い・苦手はほとんどないので、現地では現地の料理を味わう。ただし、醤油だけは持参する。醤油味、好きなんっす、自分。
アメニティが大丈夫そうなホテルなので、歯ブラシ類は最低限しか持っていかない。
④旅行の時間軸に沿って区分けしたファイルを作る。ファイルは更に滞在国別に一括する。
財布を3つ持っていく。1つは日本円、1つはUSドル、1つは現地通貨。
腕時計を左右両手にはめる。1つは日本時間のままにしておき、もう1つは飛行機に乗った時点で次の滞在国の時間に調整する(今回は日本を入れると4つの時間になる)。
⑦僕のように海外に慣れていない者が特に気をつけなければならないのは、酒・女・ギャンブル・ドラッグ・生水でしょうね。前4つは関係ないんで大丈夫で、生水は絶対飲まない(ホテルでも)ようにします。ミネラルウォーター、きっと日本より安い。置き引き・スリにも用心。
カルチャーショック、いっぱいありそう。そんな中でも相手の文化を尊重する姿勢を保つ。簡単な挨拶くらいは相手言語で言えるようにしておく。媚へつらう必要はないけれど、対等な関係を結ぶ。
⑨日本人は「金持ち」と見られ、土産物など高い値段をふっかけられることが多いと言われる。高かったら買いません、僕。そんなお金ないもん^^。
⑩日本人男性は海外、とりわけ東南アジアでは評判が悪い。日本人野郎どもの買春ツアーのせいです。僕は国粋主義者じゃないけど、国辱ですよね。日本国内の某空港で、団体客が「買春」についてバカな話をしてるのを見かけました。あるいは添乗員にその手の話題を振ってるところも。金がある奴らなんでしょうが、そういうツアー客は現地で終身刑に処するか、日本で執行猶予なしの懲役刑で罰してほしいものです。
⑪日本人の落書き問題、ありましたね。パリのサクレクール、階段の壁にいろんな文字で落書きがありました。落書きと一口に言っても、L’amour avec toi, c’est ma vie.(あなたとの愛こそ、私の人生)なんてのはオシャレですよね(仏文、適当に^^書きました)。「もうすぐ天国への道だ。しばらくそこにいてもいいけど、でも必ず地上に戻るようにね」「あなたが今見ている光景を私もここで見ました。あなたへの友情を込めて記す」なんてぇのも、フランス語や英語で書かれていれば、これまたオシャレ。でも現実にサクレクールなどで見た日本語落書きはセンスも深みもないものばかりでした。今回時間があれば、何箇所か観光しようと思ってますが、落書きは絶対しないようにします。オシャレな落書きのセンス、僕にはないし、落書きは相手文化への侮辱になるでしょうから。
⑫持ち物について自分なりのヒエラルキーを作る。「絶対失くさない・盗られない」レベルから「まあ、これは失くしても・盗られてもしょうがないと思おう」レベルまで。最上位は命・パスポートでしょうね。

明日・明後日と「加藤重広先生・集中講義@富山大学」を受講します。出張前の貴重な日々ですが、たとえその時間を割いてでも価値がある加藤先生の集中講義です。とても楽しみです。集中講義受講と並行して、海外出張準備に取り組みます。出発が火曜日夜なので、遅くとも月曜日夜にはあらかたの準備を終えたい。
[PR]
by tiaokumura | 2008-09-19 21:00 | 僕は学院長0年生 | Comments(2)

京都出張

f0030155_12221110.jpg
(7月21日午前・記)
心+亡」で「忙、忘」とは確かに納得。いやはやここんところバタバタしてて、忙しさの余り、ブログの方も写真アップがやっとで更新を忘れておりました。
今日7月21日は特に予定がない日なので、「(未編集)のままの記事」を完成しようと思う。

もう2週間前になりますが、7月7日に京都出張日本語教育振興協会(「日振協」)主催の会議に出席。富山国際学院もそうですが、正規の日本語学校は日振協の認定を受けている。今全国に400くらいあるでしょうか、日本語学校。年に1回、「東日本」と「西日本」に分かれてこうして会議が行われる。
9:15富山発のサンダーバード49号。TBは琵琶湖西岸を巻くようにして走るのですが、この日あいにく琵琶湖は煙っていてあまり見えなかった。12:09京都着。洞爺湖サミットの関係なのでしょうか、京都駅にはあちこちに警察官の姿。駅の出口がようわからんので警察官に教えてもらう。自動改札を出ようとしたら、ハンドルが降りて出られない!女性の駅員さんが急遽助けに来られて事なきに。僕を通した後、彼女、しきりにベルトを点検されていた。僕は田舎者で富山県内には(たぶん)自動改札なんてない。こうして旅先で自動改札に出会うと、ちゃんと開いてくれるのだろうかといっつも不安。都会の人から見ると笑い話でしょうけど。
会議が行われる「メルパルク京都」は京都駅からすぐのところ。場所が確認できたので安心してブログ用写真撮影。たまたまおられたカップルにお願いして、女性の方にとってもらった。彼女、京都タワーと僕が一直線になるように撮ってくださいました。
メルパルク京都、旧「ぱるるプラザ京都」だそうで、ここはホテルではなく研修会議用のビル。名前からすると旧郵政省のものだったんでしょうか。お腹が空いていたので2Fレストランに入る。ずいぶん込んでいて、50代の地元男性と相席に。お昼だけの定食でしょうか、「七夕ソーメン+焼きおにぎり+やきとり+つけもの」にする。七夕ソーメンの薬味は、しいたけ・ごま・たまご焼き・ねぎなど10種。生ビールが飲みたい気分だったのですが、仕事前なのでガマン。

1時から5時まで会議。ひな壇の位置に日振協役員・文部科学省・法務省など。外務省はサミットのため欠席。参加者は、西日本にある日本語学校の校長・理事長・学院長ら約130人。僕はスーツ着用だったんですが、スキンヘッドやTシャツなど「個性的」な面々も。日本語教育学会では7:3で女性が多い印象ですが、今回は8:2で男性が多い感じ。富山って微妙な位置にあり、今年は「西日本」に出席しましたが、来年は「東日本」に出席しようかと思う。どちらに参加してもいいんですね。
会議が終わり、5時過ぎから別室で懇親会。「貴公子の社交界デビュー」じゃないのですが^^、僕にとっては今回の会議は「理事長としてのデビュー戦」でもあるので、丸山茂樹先生(I.C.NAGOYA)からもご紹介され何人かと名刺交換。
懇親会は7時で終了。電車の時間まで少しあったので丸山先生に誘われて、5人で駅近くのホテルのラウンジへ移動。5人のメンバー、僕以外は「お歴々」揃いで、業界の思い出話など拝聴。雲上人の清談を聞くような気分でした^^。お一人のボトルがキープされていて、水割り3杯+チーズ+チョコレートをいただく。僕は「男一匹痩せても枯れてもタダ酒は飲まん主義」なんですが、今回はたとえ飲んでも、僕のような下っ端には見返りにせんならん義務はなんもないので、遠慮せずゴチになった(爆)。今にして思うとボクなんかのふだん飲めんスコッチだったんじゃろうから、水割りなんぞにせず、ストレート+チェイサーにしとけばよかったと、小心男はちょっぴり後悔してます(激爆)。
19:54京都発TB45号、22:52富山着。ポートラムに乗って帰宅。
[PR]
by tiaokumura | 2008-07-07 12:22 | 僕は学院長0年生 | Comments(0)

名古屋出張

f0030155_13503881.jpg
(6月26日夜・記)
昨日25日は名古屋出張。先月に続き今回も行きは高山線を利用。富山駅で、8:00発ワイドビューひだ6号に乗る。ひだ6号の発車ホームは3番線。旅慣れた人にはどうってことないんでしょうが、ちょっと迷うんですね、探すの。JR富山駅は2・4番ホームに3番線がある。皆さんには???でしょうが、3番線は2番線の奥にあるのです。まるで、「ハリポタ」のキングス・クロス駅みたいじゃありませんか(爆)。9と3/4番線はJR富山駅にはありません、念のため^^。
ひだ6号は、富山県内は速星(はやほし)・越中八尾(えっちゅうやつお)・猪谷(いのたに)に停まります。県内を走っている間は、日経読売を読んでいました。猪谷を過ぎるとやがて岐阜県内に入り、最初に停まる駅が飛騨古川、次が高山。車窓の景色(飛騨盆地なんでしょうか)、山も川も心が洗われるというかホッとします。今眼前に見る風景は、山も川も祖先たちが手を加えて現在の姿にした、いわば「加工された自然」なんでしょうが、それでも山や川、田畑など「ああ、いいなあ」と思います。典型的な日本人なんでしょうね、僕は。アユ解禁なんでしょうね、釣り人もいました(アユじゃないかもしれません)。高山駅で車両連結のため、約5分停車。前回もそうでしたが、外国人観光客多数(団体・カップル・単独デイパッカーなど)。6両編成になって高山駅発車。2号車が喫煙指定席で、そこに行ってタバコ吸ってきました(照)。僕は1日2箱のヘビースモーカーで(恥)、ひだ6号は富山発の3両は全車禁煙なんです。
高山の次は下呂(げろ)。日本三名湯の一つだとか。高山線は通過する駅名にも人間の歴史というか日本人のこれまでの営みが感じられる駅名が多い。駅名を書き並べるだけでも一編の詩になります。皆様もぜひ1度は高山線をご利用ください。
やがてひだ6号は平野部に。このあたりからは家も多くなり、高山線が持つ興が失われていきます。ごめんなさい、沿線の皆様。
名古屋駅入線。やっぱボクって田舎者+方向音痴。名古屋駅構内で混乱。丸山茂樹先生(I.C.NAGOYA)がかけてきてくださった電話に救われました(大恥)。丸山先生とビジネスランチ。丸山先生に「あおなみ線」の乗り方を教えていただいて別れる。
あおなみ線」。丸山先生のお話によると、貨物線を利用して第3セクター(名古屋市など)で運営だそうです。今回の出張目的の「名古屋入管」が、あおなみ線の「名古屋競馬場前」下車。丸山先生に教えられた通り、っても何回か迷った末^^、あおなみ線名古屋駅到着。ホームに上がる。ホームで「ひとり旅は不安だなぁ」と思ってたら、背後にネパール語が聞えるではありませんか。振り返ると確かにネパール人顔の男性3人。「ネパールの方ですよね」と話しかけ、「入管行きたいんですが、初めてで・・・。ご一緒していいですか」と事情説明したらOK。ラッキー♪。こういうの、かねごんさんが彼のブログでよく取り上げられているシンクロニシティなんでしょうね。
電車に乗る。ネパール人3人(名古屋でコックしてる方と、その方の縁戚筋の兄弟)と向かい合って座る。1つ目の駅で、な・な~んと今度は僕の隣りにインド人が! 「日本人もビックリ」かも(激爆)。でも、別に「ビックリ」でもないんでしょうね。うちの学院にもネパール人はもちろんインド人もいますもんね。
名古屋入国管理局に着く。名古屋入管は初めてではないのですが、前回行った名古屋入管がこの4月に移転したんですね。で、ここは初めて。前はビル内間借りだったんですが、今は独立したビルです。
名古屋入管で用事を済ませる。写真は仕事が終わって1Fで守衛さんに撮っていただいたものです。
帰りは米原経由。今回の出張、本は
平林純(1968-。エンジニア)『理系サラリ-マン 専門家11人に「経済学」を聞く!』(集英社、2008年5月初版1刷、952円+税)
金益見(1979-。神戸学院大学大学院人間文化研究科博士後期課程在籍)『ラブホテル進化論』(文春新書、2008年6月第6刷、730円+税)
畑中正一(1933-。京都大学名誉教授)・山中伸弥(1962-。京都大学iPS細胞研究センター長)『ひろがる人類の夢 iPS細胞ができた!』(集英社、2008年5月第1刷、1100円+税)
の3冊を持っていったのですが、名古屋―富山の約3時間半の車中、ゆっくり読み耽りました。

次回の名古屋出張は7月5日の予定。
[PR]
by tiaokumura | 2008-06-25 13:50 | 僕は学院長0年生 | Comments(0)

留学生ら協力(「「北日本新聞」2008年5月30日付)+写真

f0030155_872940.jpg
富山国際学院(富山市下新町)は29日、中国・四川大地震の義援金10万1480円を北日本新聞社に預託した。
同学院で日本語を学ぶ、中国、ネパール、インドなどの留学生や教職員ら94人が協力して募金した。
理事長と同学院で学ぶ中国出身の林庚さん(22)、孟小楠さん(22)、ネパール出身のビマル・ケマル・セレスタさん(26)が本社を訪れ「苦しい生活を送る被災者を助けたい」と話した。

(「北日本新聞」2008年5月30日付。一部略)

学院長の岸井さんの発案で、募金箱を用意し7クラスに四川大地震の義捐金を募る。集まったお金を昨日29日に学院生3人と僕で北日本新聞社に持って行きました。
受付にいると記者の方が見えて、記事にしたいとのお申し出。30日朝刊に記事が載りました。学院生3人の写真も撮られたのですが、スペースの関係なんでしょうね、掲載されなかった。代わりに^^、このブログには僕が撮った写真を載せました。悪しからずご了承を。
[PR]
by tiaokumura | 2008-05-30 08:07 | 僕は学院長0年生 | Comments(0)

名古屋出張(2)

f0030155_19165936.jpg
(5月18日朝・記)
5月12日、5時に大名古屋ビルヂングでの会議が終わる。その後、同じビル内3FにあるI.C.NAGOYA丸山茂樹校長田中さんと打ち合わせ、6時頃まで。
丸山校長から夕食を誘われたが、いつもご馳走になってばかりは悪いし、行きたいところもあったので、名古屋駅で別れる。それでも丸山先生、方向音痴で田舎者のボクがご心配だったんでしょうね、駅で切符の買い方などご指導くださいました(照)。ちょー忙しの先生なんに、いつもご配慮いただき、恐縮至極です。
行きたいところ、それはヴィレッヂヴァンガード。富山にもお店あるのかもしれませんが、去年、下北沢で初めて入りました。丸山先生に教わったとおり、名古屋駅を出てビックカメラのビルに向かう。このビルの中にヴィレッジヴァンガードが入っている。ヴィレヴァンは名古屋が発祥の地、確か。若者向けの店なんでしょうが、ごちゃごちゃした店内陳列、アブないグッズや本があったり^^、これ何に使うねん的商品など、僕は好きです、ヴィレヴァン。特別何か買うって目的がなくても楽しめるお店。今回は初夏からかぶれる帽子、色違いで2つ買いました。2点で4000円弱。写真の帽子、2点のうちの1つです(照)。
夕食、どこにするか迷ったのですが、JR名古屋駅構内にある「右衛門」で。「そば・焼鳥居酒屋」。生ビール2杯、お通しがたこ・わかめ。名古屋コーチン盛合せ(5本。沖縄産の「天然塩」で。焼鳥、僕は「たれ」より「塩」のほうが好きなんですね。「たれ」は店によって当たり外れあるけど塩はそうでないし、塩のほうが素材の味が味わえるから)、おでん盛合せ(5品)、〆は仕上げそば(温かいほう。「玄そばを甘皮付きのまま石臼で挽いたこだわりそば」だそうです)。
いつぞやは会議の後、I.C.NAGOYAの野田さん・遠藤さんと飲食してて、つい時間を忘れて電車に乗り遅れる失態を演じた(恥)けど、今回は名古屋発20:03、しらさぎ15号にちゃんと^^乗車。富山着23:33。
[PR]
by tiaokumura | 2008-05-12 19:16 | 僕は学院長0年生 | Comments(2)

名古屋出張(1)

f0030155_1237131.jpg
(5月18日朝・記)
5月12日、名古屋出張。この半年くらいで4~5回くらい名古屋に行っているかなぁ。こんなに名古屋を往復するとは、1年前には想像もしなかったことである。
いつもは米原経由なのだが、今回は行きに高山本線を利用することにした。名古屋での会議が1時スタートで、富山発8:00名古屋着12:01着の「ワイドビューひだ6号」がちょうど便利。ワイドビューっても、2階建ての列車じゃありませんが^^。
富山駅で読売と日経を買ってひだ6号に乗り込む。全車両禁煙なんですね。座席で読売新聞を見ててビックリ。毎週月曜日連載の「高校グラフィティー」、今回はなんと富山県内の「富山高 富山中部高 高岡高」を取り上げてる! 見出しは「競う御三家 学びの伝統脈々」。
何十年ぶりかで通る高山本線沿線の森や川や田畑や民家、目の保養になりました。これで車窓が開けられれば清冽な空気も味わえるところでしょうが、いつの頃からなんでしょうか、ローカル線の一部を除き列車の窓って開けられなくなりましたよね。風情より安全優先ってことんなでしょうね。高山で車両連結時間があって、ちょっとホームに降りる。バックパッカーの外国人が多数。中には僕くらいの年齢のご夫婦と思しき方も。羨ましく感じた。
越中八尾・猪谷・飛騨古川・高山・下呂など山間部を走りぬけ、やがて平地に入り、岐阜そして名古屋。名古屋駅の降りたホームでおいしそうなお店があって入る。たぶんお母さんと息子さん、でしょうか、カウンター内にお二人きびきびと働いてらっしゃるお店。きしめんとカツ丼を食べる。メニューにビールもあったけど、仕事前なんでガマン(爆)。
1時から5時まで、名古屋駅広小路口すぐ近くの大名古屋ビルヂング12Fの1219で会議など。
[PR]
by tiaokumura | 2008-05-12 12:37 | 僕は学院長0年生 | Comments(0)