2015年 06月 28日 ( 1 )

高橋さんご夫妻と@復興住宅

f0030155_9513625.jpg(7月4日午前・記)
アップした写真、僕の右、高橋さんご夫妻です。2015年6月28日(日)、復興住宅の高橋さんのお宅で撮りました。
6月28日(日)午前5時、平成の森の宿舎で目覚める。ここ、6人部屋で2段ベッドが3組。僕は入口左の下で寝てた。ここ、富山では少年自然の家みたいなところなんでしょうね。前回は子どもたちもいたような気がする。この日はW杯女子。起きたらTVがついてました。同宿の男性3人、僕もそうですが、やっぱ女子サッカー見たかった。朝食時間に間に合わないかと心配だったんですが、試合、7時前にケリがついた。朝食。前日もお見えになってた高橋さんご夫妻が宿舎にいらっしゃる。お2人、我々のバスにご同乗され、その後の被災地を案内していただく。補助金のこと、防潮堤のこと、工場・店と住宅のこと、復興住宅入居の条件のこと、などなど、直接聞かなければわからないことだらけ。そして、私のように安全地帯でのうのうと日々を送る者の想像力を超えたレベルでの生活の困難。東京オリンピックに伴い、被災地では、人出不足・建材高騰が起きている。何より、政府の棄民策及び私たちの無関心。

今回のバスツアー参加者で復興住宅各戸を訪問。ただ、これ、どうも難しかった。「富山から来ました。少しお話し聞かせてください」って感じでチャイムを鳴らしインターフォンに向かって問いかけるのだけれど、逆の立場だったら、たぶん戸惑いや拒否反応でしょうね、すぐ顔を出される方は少なかった。困ってる内に高橋さんの奥様にご協力いただき、何戸かの住人にお会いできた。次回はもう少し工夫したく思った、復興住宅訪問。
何年か前に南三陸町歌津で魚竜の化石が発見された。高橋司さんは「魚竜館」の名物館長。そこは、化石の陳列があり、地元のうまいものの物産直売店だった(確かそのはず)。商売も順調、家族も平和に過ごしていた高橋さんを襲った東日本大震災。人生が一変した。僕が高橋さんと初めてお会いしたのは2年前。年齢が近かったこともあるのでしょうね、あるいは高橋さんのお人柄でしょうね、親しくお話しができた。その後、年賀状の交換や高橋さんのやってらっしゃるお店での歳暮・中元をお願いしています。

高橋司さん、体調がよければ来年もお伺いします。その節はよろしくお願いいたします。田束山(たつがねさん)、行ってみたいです。
儲けにならない注文しましたが、よろしくご手配ください。

バス出発。防災センター(防災庁舎)。ここ、遺産として残されることになったみたい。僕は個人的には反対です。南三陸町さんさん商店街。昼食。食欲がなく、焼き魚2つ買って、でも、残してしまった。癌が再発してるのかもしれないが、どうもここんところ、あまり食べられない。夕食。川渕映子さん&お孫さんと同じテーブルで。お孫さんのAちゃん(イニシャルじゃありません)、今回のバスツアー最年少(小学4年生?)。人気者でした、どこでも。ただ彼女(女の子です)、僕のこと「外国人」って認識で^^、めっちゃ日本人な自分、いささか困った。最後の食事場面ではうまく接してもらえましたが。でもこういう子が被災地に入るって、すばらしいことですよね。彼女の将来が楽しみです。「外国人」って偏見差別とも無縁なはず、彼女。
9時過ぎ、岩瀬スポーツ公園。駐車してた車で帰宅だったんですが、夜道でわかんなかったんでしょうね、右前輪パンクしてしもうた(大恥)。
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by tiaokumura | 2015-06-28 09:51 | 東北地方太平洋沖地震 | Comments(0)