2015年 06月 27日 ( 1 )

11か月ぶりの南三陸町

f0030155_21391525.jpg(2015年7月2日夜・記)
あの日、僕は勤務先の富山国際学院で日本語授業をしていた。地震にはほとんど気づかなかった。富山はそうだったんでしょうね、震度は。ただ、とりあえずはこういった地震に慣れていない学生たちに「心配はない」ってことを告げて(僕や各クラス担当者が分担)、その日を終えた。帰宅して東北地方太平洋沖地震(後に「東日本大震災」と改称)のひどさに驚いた。岩手県一関市の姪にケータイがダメ、神奈川県相模原市の姉にも電話はダメ。翌日、富山国際学院の卒業式が近いので、家の近くのO理髪店へ。そこで見たTVに映し出された光景・・・。30代の女性の「夫も子供もいない。どうして私だけが・・・」という悲痛な叫び。SFX映画を見るような津波の光景。翌々日月曜に学院に出勤し、学院長として学生たちに地震のこと、福島原発のことを話し、義捐金を募った。学院生の知人の仙台の日本語学校生2人がバスなどを乗り継いで富山にやって来て、迎え入れたのもその後まもなくだった。

高才弘さんから、NGOアジア子どもの夢川渕映子さんが東北支援でバスを仕立ててボランティアたちと被災地に通っているという連絡を受け、2011年4月の、第3便あたりになるでしょうか、石巻に行った。そこで少しボランティア活動。炊き出し・支援物資。帰宅してまた行こうと思っているうちに胃癌ステージⅣが見つかって、その後のボランティアはできなかった。幸い癌で死ぬまでに至らず、4年以上が経過している。
この3年間、南三陸町サポーターズをやってて、1年で1万円の会費で南三陸町のおいしいものを送っていただいている。2年前からは「南三陸町サポーターズ バスツアー」にも参加。当ブログに、その記事もあるはず。
2015年6月27日・28日と南三陸町に行ってきました。約11か月ぶり。
午前6時過ぎ、岩瀬スポーツ公園出発。名立谷浜で朝食。僕は月見そばにしたが、ここんところどうも食欲がなくあまり食べられなかった。昼食は安達太良SAだったか。安達太良って智恵子ですよね。僕の昼食はポークカレーだったか、「ご飯少な目」ってカウンターに行って注文。「昼間っから」って顰蹙(ひんしゅく)を買いそうですが持参した缶ビールもいただく^^。12:15出発。
南三陸町伊里前福幸(いさとまえふっこう)商店街東北AID(川渕映子・代表)が看板を寄付したとか。僕はどうすればいいかわからず、何も買わなかった。数軒(美容室・理髪店もあったみたい)、お店があった。
バス車中、富山の落語家・越中家漫欽丹さん(富山大空襲の体験者)の楽しいお話もあった。
南三陸町歌津・平成の森に到着。自治会長の畠山さんからお話を伺う。この日の宿泊先でお風呂・夕食。東北AIDのスタッフの小林さんに誘われて9時過ぎ、平成の森集会所に。アップした写真畠山さんと1時間半ほどお話。小林さんは朝日新聞のオピニオンへの畠山さんの投稿(2011年)で畠山さんのことを知ったそうです。僕が畠山さんとお会いするのはこれで3度目でした。仮設から復興住宅へ移れるのは朗報なんでしょうが、そこにはまた新たな問題も。独居者もおられるそうで、孤立が心配。また、仮設の時は「うるさい」隣人の生活音だったのでしょうが、復興住宅では防音が逆効果で静かすぎる悩みも。そして何より畠山さんが心配されてたのはコミュニケーション。被災復興から次のステージに入れたのはいいのですが、これまで何とか皆でコミュニケートできてたのが、それがなかなか難しい局面に。住宅ローンも非常に大変。中には震災前のローンとの二重ローンも。

畠山さん、またお会いできてうれしかったです。ご当地の焼酎「うだづもっこ」、おいしかったです。
これからも大変な日々でしょうがどうか御身御大切に。
なかなかご当地に行けませんが、またお会いできる日が来るよう、富山にて日々過ごします。
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by tiaokumura | 2015-06-27 21:39 | 東北地方太平洋沖地震 | Comments(0)