銭輝先生と初めてお会いしたのは2000年か01年の4月だったと思う。当時僕は富山市立外国語専門学校の一般市民向け講座「中国語入門」(「初級」だったかもしれない)を受講し、その「老師」が銭先生。先生とはその後も、中国語を教わったり、富山国際学院のことで相談に乗っていただいたり、あるいは中国のことで僕がよく理解できないことについて教えていただいたりしている。初めてお会いした時には富山県立高校の高校生だったお嬢さんが、今や富山大学大学院生なのだから、月日の経つのは早いものである。日中双方のことがよくわかる銭先生は、僕にとって最も信頼できる中国人のお一人である。語学教師としても銭先生は、日本語教師の僕が学ぶべきこと多々ある先生。これまでに僕は5人のネイティブに中国語を教わっているのですが、中でNo.1の先生です。とは言うもののボクは
不肖の教え子。いつか銭先生と5分以上中国語だけで会話したい、というのが僕の夢。
現在の銭輝先生は主に
富山市民国際交流協会相談員として活動されている。そんな銭先生の貴重な活動の一つが「
月季の会」で、その活動が今朝の
北日本新聞に先生ご自身の文章で紹介されていました。写真の記事、シリーズ「
国際化の現場から とやまの多文化共生」の第5回になります。
僕もこのブログ
2006年2月18日で取り上げましたが滋賀県で起きた悲惨な事件。日本語能力不足だけが原因ではなかったのかもしれませんが、日本語教師として・日本人として極めてショッキングな事件でした。同じ事件に銭先生は「
心に悩みを持つ中国人女性を支援する必要性を痛感」された(引用は銭先生の文章より。以下同じ)。そして立ち上げられたのが「月季の会」。「月季」は、先生のご出身地の大連市の花=バラに拠る。
バラは中国語で「
月季花」なのだそうです。会では
「
日本語も教えるが、活動の大半はストレスの発散だ。いろいろな愚痴がこぼれる。夫のこと、しゅうとめのこと、子どもの学校のこと。よく聞いてあげることが大切だと考えている。」
先生は弱音を吐かない方で、笑顔が絶えない方。先生の涙は、これまでのお付き合いで1回しか見たことがない。その時は僕も心の中で思わずもらい泣きした、それくらい強い印象に残る涙でした。「月季の会」に参加する中国人女性は、銭先生に勇気づけられ希望を胸に帰宅されることだろう。
富山国際学院にもここ数年、日本人男性と国際結婚された方々の通学希望が増えている。逃げるわけではないが、我々の学校では「
限界」がある。そんな中で銭先生のような方の存在及び活動は貴重である。
これからも「月季の会」が続くことを願うと同時に、私が側面から応援できることがあれば応援したいと思う。
銭輝先生は今回の文章の終わりを以下のように結ばれている。全くの正論であり同感である。
多文化共生で大切なことは、習慣の違いや相互の歴史を理解し、相手の気持ちを考え、思いやることだと思う。