(8月31日夜・記)
鈴木忠志版「シラノ・ド・ベルジュラック」。
尼になった
ロクサアヌが
シラノ(喬三)の許にやって来る。「クリスチャンの」ロクサアヌ宛ての恋文についてのやりとり。ロクサアヌの追究にも頑として自分の手になるものとは認めないシラノ。男の美学。やがてロクサアヌが去った後、シラノの死。
文机に突っ伏した喬三(シラノ)。やがて彼は立ち上がり傘を持ち花道へと進む。盛大な打ち上げ花火・しかけ花火。
鈴木版『シラノ~』は二重構造というのか入れ子式になっている。ボクのような素人には、筋はなんとか追えても、その構造はなかなかわかりにくい(恥)。
僕はドラマトゥルギーについても全くの素人なのだが、鈴木劇を観てて
ズズキメソッドの一端には触れられたと思う。
俳優の発声。鍛えられた音声器官は、(こういう言い方は性差別なのかもしれないが)女優も男優のような発声に感ぜられる。
劇中随所で見られる静止ポーズ。それは時には数分間にも及び、三列目で観ている僕の目にはその手足も表情も全く動かないように見えた。
訓練された足捌き。すり足あるいは舞い足。
なんでこの曲と思うようなバックミュージック。
スズキメソッドについてはこのブログの
ここに少し書いておきました。