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アジア・太平洋戦争、63回目の敗戦記念日

注1)「アジア・太平洋戦争」とは聞きなれないとおっしゃる方もおられるかもしれませんが、このブログではいわゆる「太平洋戦争」をこのように表記しています。理由は省きますが、1937年7月7日の「盧溝橋事件」に始まり1945年8月15日の「玉音放送」までの期間にあった戦争の呼称が「アジア・太平洋戦争」です。
注2)「玉音放送」の巧妙なしかけにたぶらかされ、日本では「終戦記念日」と称していますが、終戦ではなく敗戦です。昭和天皇が戦争を終わらせたという意味で「終戦」になってるのでしょうが、ダルビッシュが「僕はキューバ戦の敗戦投手じゃなくって、終戦投手だ」なんて言ったら、彼、総スカンじゃないだろうか。戦争の犠牲者を心より悼み平和を希求する気持ちと、「敗戦」を「終戦」と言いくるめる世論操作とは、全く対極にあります。
「『敗戦』を『記念』するなんておかしいじゃないか」という向きもあるかもしれませんが、ここで言う「記念日」は(もちろん「祝祭日」の意味は全くなく)「記憶すべき日」という意味です。

僕は「戦争を知らない子供たち」(北山修・作詞、杉田二郎・作曲。1970年)世代。日本敗戦時、まだこの世に存在していなかった。僕は翌年秋に生れ落ち、学校で歴史を学び、体験者の話を読み聞きし、そしてこの年まで「戦争」に直接参加することなく生きながらえてきた。たぶん、このまま(=戦争を知らないまま)衰え死んでいけることでしょう。そのことは世界史上の「僥倖」かつありがたいことだと素直に思っております。
僕が「アジア・太平洋戦争」に従軍したら、中国で小姐を強姦しインドネシアでは農家から食糧を略奪しシンガポールでは都市住民のアパートに放火していたことでしょう。「殺すか殺されるか」という世界にあって、にんげんは良心も理性も喪い、ふるさとでの良き息子・良き兄・良き夫・良き父が戦地では「忠君愛国勇士」に変貌する。
銃後にあっては「模範軍国少年」になって天皇を現人神として崇め奉る。かわいがってくれた近所のお姉さんなのに、「ぜいたくは敵だ」と叫んでお姉さんのパーマに鋏を入れる。「自由」を教えてくれた近所のお兄さんを、「非国民」として特高に密告する。大本営発表を聞くたびに「日本は神国。ボクは今はまだ小さいから無理だけど、大きくなったら絶対大義に殉じてやるゾ」と青空に叫ぶ。
戦争とはそういうものである。戦時(及びその前段)にあって、自分がそうならないという自信は全くない。
63年も「戦争を知らない」というのは人類史上稀である。沖縄を犠牲にし日米安保に守られての「平和」ではあるが、日本国憲法とともに世界に誇ってもいいのではないだろうか。

「歌は世につれ」と言う。63回目のアジア・太平洋戦争敗戦記念日にあたり、戦争期間中の流行歌を以下列挙する。出典は『近代日本総合年表』(岩波書店。1968年)。表記は同書のママとし、西暦の上2桁19は省略する。「流行歌」の変遷は庶民の精神史を映し出すと思うのですが、いかがなものでしょうか。
37青い背広で 人生劇場 軍国の母 進軍の歌 露営の歌
38別れのブルース 支那の夜 旅の夜風 満州娘 麦と兵隊 日の丸行進曲
39父よあなたは強かった 空の勇士 太平洋行進曲 上海の花売娘
40暁に祈る 荒鷲の歌 紀元二千六百年 隣組 湖畔の宿 蘇州夜曲
41めんこい小馬 長崎物語 そうだその意気 大政翼賛の歌
42月月火水木金金 空の神兵 湯島の白梅 新雪 勘太郎月夜唄
43加藤隼戦闘隊 お使いは自転車に乗って
44若鷲の歌 同期の桜 ラバウル小唄 ラバウル海軍航空隊
45お山の杉の子 同期の桜 勝利の日まで
by tiaokumura | 2008-08-15 08:49 | このブログのこと | Comments(0)


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