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セカンドライフ 国際交流「外国人の子供 学習指導」(読売新聞2008年3月7日付)

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(3月8日夜・記)
岡田昌代さんを初めてお見かけしたのは、5年ほど前になるだろうか。岡田さんは僕なんかにはバリバリのボランティアに見えて、ちょっと近寄りがたい印象を持ったような記憶がある。その後、富山市の「国際交流フェスティバル」にボランティアで参加するようになって、年に何度か岡田さんとお会いし言葉を交わすようになる。岡田さんは「お母さん」のようなイメージ。岡田さんが富山弁で話されるのを聞いていると、「ああ、富山弁っていいなぁ」などと思う。ある会合の帰り、時間が遅くなって、ちょうど岡田さんは僕の家の方向だったので、車でお送りした。車中、ボランティアの苦労(愚痴ではない)など伺い、岡田さんのような、僕なんかから見ると言わば「理想のボランティア」のような方にも、ご苦労はあるのだなぁと思った。岡田さんのご紹介で、一昨年から富山国際学院がある地域のイベント「奥田ふるさと祭り」に、学院生たちと参加させていただいている。
米田哲雄先生や僕の時と同じ読売新聞富山支局・柳沢記者の取材によるものでしょうね、昨日の読売新聞地方版の「セカンドライフ」に岡田昌代さんご登場。
この記事に拠ると、岡田さんは富山市職員を40年近くお勤めになって60歳で退職、その後地区センター嘱託をされ、
65歳で「自分の人生をもっと国際交流に費やしたい」と本格的にボランティアを始めた。(同記事より)
ボランティアを始める動機は人それぞれですが、岡田さんの場合、1992年に参加した東南アジアなどへの観光旅行で国際交流に関心を持ち始める。翌年から富山市民国際交流協会の会報作りに取り組み、現在はその部門の委員長。この間お会いしたら、もう委員長はやめるとのことでしたが。
岡田さんは、阪神大震災のとき「外国人にとっての居場所が必要」と痛切に感じられた。
国際交流として様々なイベントが行われても、いざという時には、言葉の壁などで支援から取り残される彼らの姿に心を痛めた。(同記事より)
「阪神大震災」は日本のボランティア史で特筆すべきできごとでしょうね。震災は多大な被害をもたらしたけれど、あの震災をきっかけに多くの人々が「ボランティア」に目覚めた。日本海でのタンカー座礁による油流出と並んで、「ボランティア」がはっきりと市民権を得たできごとが「阪神大震災」ではないでしょうか。
岡田さんはさまざまな形で国際交流ボランティアをなさっていますが、その一つが米田哲雄先生の「勉強お助け隊」。今週の木曜日4:30~6:00、僕もそこで3回目の「ぷちボラ」をしたのですが、岡田さんは発足時から木曜・日曜(午前)とほとんど欠かさず「勉強お助け隊」ボランティアをなさっています。僕は岡田さんと今週の木曜日に会ってるんですが、岡田さん、この読売記事のこと何もおっしゃっていなかった。岡田さんもボク同様に、記事になるの照れくさかったんかなぁ(爆)。
記事末尾から引用
成績が上がったと、成績表を見せにくる子どもがいる。テストで良い点が取れたと喜ぶ笑顔が嬉しい。「給料はないけれど、この感動こそがボランティアの最大の報酬。活動が心の大きな栄養になっている」と充実した表情を見せた。
僕は岡田さんをイメージで「お母さん」のように思ってましたが、この記事で岡田さんの年齢を見ると、5歳年上。これからは「お姉さん」と思ったほうがいいんかもしれん(爆)。
「セカンドライフ」は毎回「データBOX」もついている。今回の記事のデータBOXから以下引用。
富山市民国際交流協会によると、国際交流ボランティアに資格などは必要ない。活動の内容によっては、協会が講座を開き、必要な知識などを教える。すべての活動に語学力が必要とされるわけではなく、活動への熱意と継続の意志が大切という。
活動への熱意と継続の意志」、正にそのとおりですね。だれでもできるけど、だれもが続くとは限らない-それがボランティア
まあ、いろいろ考えると難しいですが、ボランティアデビューがまだの方、ちょっと一歩前に足を踏み出してみませんか。
by tiaokumura | 2008-03-07 18:52 | 富山 | Comments(0)


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