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山下富雄「偉大な母親たち」(北日本新聞「越中讃歌」9月1日)

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写真記事(見出しは「悲しみと困難 超えて」)の筆者は山下富雄君。彼とは、先日のこのブログの投稿記事「鶴の舞」の宮崎健二君と同じく、1965年4月、東京教育大学国語学国文学専攻の新入生同士だった。定員30名の同専攻に富山県出身は、富山中部高校出身の山下君、魚津高校出身(だったと思う)のTさん、そして富山高校出身の僕の3名いた。僕とは180度違って山下君もTさんも真面目で勉強熱心、つまり向学心に燃えた真摯な学生だった。Tさんについてはその後をほとんど知らないが、山下君は、1969年に東京教育大学を卒業、郷里富山に戻り高校の国語教師になる。福岡・砺波・高岡の各県立高校長を歴任した後、県総合教育センター所長、更には、県立近代美術館長・県水墨美術館長を兼任。自分の夢を(おそらく)ほとんど実現した、すばらしいキャリアの持ち主
10年ほど前だったか宮崎君が来富、3人で夕食をともにした。その時、山下君が「エル・グレコが好きだ」と言っていたのが印象深い。山下君とは年賀状程度のお付き合いなのだが、彼が近代美術館館長になりたての頃だったか、美術展を観に入って再会。富山県における日本語教育についてアドバイスしてもらった。昨年、ゴールドべルク・メモリアルコンサートのような催しが近代美術館であり(ゴールドベルク氏の奥様は山根美代子さん。お二人とも故人)、その際に彼にちょっとだけ会った。

今回の記事、彼の母上の思い出が中心。僕は生母は小学校低学年の頃に亡くしてるのだが、山下君の母上も僕の母も、きっと同じような時代(戦前・戦中・戦後)を懸命に生き抜いたのだと思う。「偉大な母親たち」から2箇所引用させていただく。
「・・・すべての悲しみと災いを、差し迫った日々の生活に閉じ込めて生き続けようとしたのは、私の母ばかりではなかったろう。袴腰を望む女たちが持っていた、あるいは持たざるをえなかった力だったのだ。
「・・・わが家が見た『出来事』は、『地方の』家の多くが経験してきたことであり、悲しみと困難を超えて、田や畑や川や水を、家族を守ってきたのは、母たちの偉大な力だったのだ。

山下君は、上の引用でもわかるように名文家。いつだったか、彼の小説が北日本新聞に載っていた。僕は、富山高校生だったときの国語の先生の上杉重章先生のご本『教育と文学の間』を持っており、折につけ読み返している。山下君の本(彼の文章を集めてやがて出版していただきたい)、読んでみたいと思う。
山下君は北日本新聞夕刊「悠閑春秋」執筆者の一人だそうだ。同コラムは、僕の卒論の指導教官である呉人惠教授もご執筆。なんだか、不思議なご縁^^である。
by tiaokumura | 2007-09-01 18:36 | 富山 | Comments(0)


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