バッハにしても、
安藤昌益や
金子みすゞにしても、ある時期は「知る人ぞ知る」「忘れられた」って存在だったのが、後世の人によって「発掘」され「再評価」され「ブーム」となり、そして定着する。ボクのような凡人なんぞは死後の評価なんて幸い無縁ですが(評価するなら生きとるうちにしてほしい^^)、「偉大な人物」ってぇものは、たとえ生前は「不幸」であっても必ずよみがえるんでしょうね。それがご本人たちにとっていいことかどうか、同時代の人々が無知だったのかどうか、は難しいことなんでしょうけど。
って、前置きが長くなってまいましたが、
若冲、人気爆発中のようですね。ボクなんかが若冲の名を知ったのは
辻惟雄『奇想の系譜』(1970)ってことになります。「へぇ、そんな画家がおったんかいな」くらいの印象でしたが。
伊藤若冲(いとうじゃくちゅう 1716-1800)、尾形光琳の没年に生まれ、喜多川歌麿・鈴木春信・谷文晁・円山応挙、そしてみんなが好きな^^東洲斎写楽らとほぼ同時代の絵師。2000年の「若冲 没後二〇〇年」展(京都国立博物館)がきっかけで一大ブームが起こり、今日に続く。昨年・今年とあちこちで展覧会開催。
今朝の朝日新聞に
相国寺(しょうこくじ)の展覧会の紹介記事。同記事によれば、初日の13日の開場前、「熟年夫婦に、若い恋人たち。赤ん坊を抱いた夫婦。中年の男性・・・。」など680人もの人人人だったそうです。1週間目の今日、このブログ仲間の、
寺本益英・関学教授、
のぶさんらが観覧にいらっしゃるのですが、きっとすごい人出でしょうね。
今回の目玉は「
動植綵絵」(どうしょくさいえ)。若冲が相国寺に寄進したのですが、明治に入って廃仏毀釈で困窮状態にあった相国寺が皇室に献納。下賜された1万円で境内地1万8千坪を買い戻した、ってぇんですから、絵の価値、すごいですよね。ま、絵の価値=お金、にストレートに結びつくわけじゃありませんが。で、「動植綵絵」が今回
120年ぶりに里帰りという次第。
東京教育大時代、国文の実習旅行で京都・奈良に行ったことがある。宮内庁の特別許可を得て、現在では個人では観覧不可能な美術品・文物なども見ることができた。天皇に
うらみつらみはないんですが(核爆)、今回の「動植綵絵」に引き続き、「
天皇家の宝物」が一般庶民に続々公開、な~んてことになるとありがたいですよね。