北陸電力志賀原発の
臨界事故隠しは、全国トップニュースになったので、ご記憶にある方も多いことでしょう。北電のあと東電などの他社も次々と事故隠しが露見して、僕は「
世界史未履修(不履修?)」も思い出して、なんでこういう悪いことばっか
富山発→全国連鎖になるんだ(時系列でいくと、必ずしも富山が最初ではないのかもしれませんが、ニュースになったのは富山が最初)と、いささか
義憤&しょんぼり。富山発の明るいできごとが日本に広まる、ってないんでしょうか。
志賀原発は石川県にあるのですが、北陸電力本社は
富山にあります。5月10日付の
北日本新聞によると、
現在の会長・社長は続投、2人の副社長と2人の常務が退任とのこと。でもこれでいいのだろうか。志賀原発で大きな事故があれば風向き次第で僕も被害を受ける、っていうような個人的な理由で言ってるのではなく、今回の「処分」、納得できない。同記事が主張してるように「・・・
責任を負うべきだったのは、ほかならぬ経営トップであったはず」(記事引用)です。とかげのしっぽ切りなのか、あるいは、今回の企業の危機を収拾できるのは自分たちしかいないという思い上がりか、あるいは、北陸電力に今の経営トップに代わり得る人材がいないのか。いずれにしても、こういう責任の取り方では、6月28日に予定されている
株主総会は「
しゃんしゃん」で終わらないのではないだろうか。
企業不祥事、ここ数年続々って感じ。利益がなかなかあげられないことからの焦りもあるのでしょうが、それにしても企業の倫理意識の低下、ずいぶんひどい。
先日亡くなられた城山三郎さんにはたくさん名作がありますが、僕が一番好きなのは『
落日燃ゆ』。これを読むまでは
広田弘毅(1878~1948)は、文官でただ一人A級戦犯で絞首刑なので「戦争犯罪の責任」大くらいにしか理解してなかった。恥ずかしいことです。城山さんの小説で蒙を啓かれました。TVドラマだったかで、滝沢修が確か広田役を演じてたか。裁判官の中には広田の絞首刑に反対する人も複数あったし、キーナンでさえ広田の「絞首刑」判決に驚愕したとか。そのような中で広田は従容として死に就いた。東条たちのように「
天皇陛下万歳」などと言うこともなく、己の正しさを最後まで信じて「責任」を取った。
「
責任を取る」ということは、大なり小なり誰もが直面することである。特にトップにある者は責任を取る上で、身を誤ってはならない。北陸電力の留任する会長・社長は「これでよかったのだ」と思っているのだろうか。