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今夜のきき、そして「青山二郎」、そして「思ひ出す事など」

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バックにある本は
天才 青山二郎の眼力』(新潮社 2006年8月 1400円+税)
博文堂さんからようやく届きました。
表紙の写真の青山二郎、なんか、「市民ケーン」のオーソン・ウェルズみたい^^。

青山二郎を知ったのは(こうして表紙を見てる内に思い出したのだが)、今から40年以上前!内田卿敏さん(確か、そんなお名前だった)を通じてだった。彼と知り合ったのは、仏文や独文の人たちが中心メンバーの文学サークル「壁の会」の部室だった。彼は数学1年、僕は国語国文1年。彼は、東大を何回か滑って(高校は武蔵出身だったか)、親(裕福なご家庭だった)に、もうそろそろ大学に行け、とか言われて、ここなら簡単そうだと東京教育大学を受けた、というようなことを、後に「伝説」のようにして聞いた。僕は1期校は教育大、2期校は富山大(当時は1期校・2期校制だった)と思って受験したので、世の中にはずいぶんすごい人もいるものなのだと思った。ま、とにかく「内田さん」と呼んでお付き合いをさせてもらうようになった。彼も、なぜかはわからないのだが、ずいぶん僕をかわいがってくれて、いろいろなことを教えてくださった。教える場所は、練馬に当時あった深夜喫茶だったり、江古田にあった彼の家、と言っても彼は離れのようなとこに一人で住んでいて、宮崎勤の部屋を見たとき内田さんの部屋を連想してしまったのだが(違いは内田さんは蔵書で、宮崎勤はビデオ?か)、そんな彼の部屋で、だった。小林秀雄にのめりこんでいたんですねぇ、彼。僕なんかは高校時代に入試頻出ってことで「小林秀雄」を知っただけなんですが、彼の「小林秀雄理解」はすごかった。何がどうすごかった、かは、今はもう忘れたのだが、「すごかった」っていう感情は今もありありと思い出せる。Cambridgeのハードカヴァーの表紙のノートにびっしり小林秀雄関係のことを書いてたんですねぇ、内田さん。で、内田さんのお話の中に、中原中也や長谷川泰子や富永太郎などが出てきて、そして、青山二郎も出てきたのです。
内田さんにはもう一つ思い出がある。内田さんの教え子の男子高校生とボクと3人で首都圏の女子高祭巡り^^(アラシじゃありません^^)をした(核爆)。たぶん、その男子高校生のGF関係(ってもH関係じゃありません、たぶん^^)で、フェリス・跡見・立教女子・十文字・学習院女子・双葉(字、違う)・大妻などなど、北は浦和・東は赤羽・西は横浜(核爆)と旅!をした。今思い出してもそうそうたる女子高だった♪ 後に『制服図鑑』ってのが流行ったのですが、首都圏の女子高(中高一貫もあるけど)の制服、見覚えありました(大汗)。
学生文化会」は内田さんの紹介で入ったのかもしれないが、内田さんは大学2年の時だったか、大学をおやめになった。その後の内田さんについては何も知らない。今頃、どうしてらっしゃるのだろうか。

でも、あの頃の「ボク」って、内田さんともそうしてお付き合いし、前後するのだけど、池袋の「ネスパ」って喫茶店で国文の何人かと「星の王子さま」のフランス語原書講読をし、国文では宮崎健二君たちと「平仲(平貞文)物語」や唐木順三『無用者の系譜』の読書会に参加したりしてたし、桐花寮では徹夜麻雀をし、家庭教師のアルバイトが終わってパチンコをしてラーメン・タバコ・洗剤・チョコなどをゲット^^してアパートに帰る途中でおいしいタンメン(「タンメン」も宮崎に教えてもらった)の店を見つけ常連になり(でも、ある日、食べてる途中でドンブリにゴキブリがいて、今でもその「ぞ~」がありありと残ってる^^のだけど、それで通うのやめた)、ずいぶんといろんなことしてた。大学で「講義」とかちゃんと受けとったんだろうか(大汗)。富山大学に編入学するんで教育大(今は筑波大に成績資料が引き継がれている)の成績取り寄せたのだけど、ほとんど卒業資格の単位は(教職も含めて)取れている。卒論さえ書けていれば「卒業」できてたんだなぁ、と、これは別に後悔でもないんですが、ちょっと思った。

↑こんなふうに「昔のこと」、長々と思い出せるのは、今日のの呉人先生の演習の授業前に、3年生の高橋さん(ちゃんと1年生から富山大学生の人)に「奥村さん、××(←特に秘す^^)、おめでとうございます」と言われたせいだろうか^^。高橋さ~ん、どっかで「赤い表紙のノート」めっけて、プレゼントしてね。そんでもって、高橋さんのお母様の××祝いには「赤いビスチェ」がいいかも(核爆)。ガーター・コルセットなどネットで買えるとこ、自分、知ってるっす(自爆~~)。
by tiaokumura | 2006-10-12 22:10 | このブログのこと | Comments(5)
Commented by 哲ちゃん at 2006-10-13 21:06 x
内田卿敏君! 懐かしい名前です。僕は数学科で同級生だったけれど,山陰の片田舎から上京したばかりの1年生とは比べものにならないほど大人だったなぁ。入学してまだ日も浅い頃だったか,突然『文哲入門』というガリ版刷の冊子がクラスに配られた(「文学と哲学への入門」というほどの意味)。内容はまったく思い出せないけれども,まだ少年・少女の域を抜けていない同級生たちを(文字通り)啓蒙すべく,内田君が中心になって(あるいは独りで?)まとめたものだったと記憶しています。数学科の同級生の誰かがまだ持っているかも知れないね。今度,訊いてみよう。
ふと思い付いて書棚を漁ったら,その夏休みに海水浴で溺れて死んだ同級生の追悼文集が出てきました。内田君がそれにやや長めの文章を寄せています。「死」についての彼の想いが綴られているので,もし興味があれば,コピーを送ろうか?
Commented by tiaokumura at 2006-10-14 19:34
森有正が、確か原口統三の『二十歳のエチュード』(昔、角川文庫にあったか。今は入手できるのだろうか)に追悼文、寄せてたような。内田さんの文章、コピー、お送りください。
僕たちって「教養」なんてのに「価値」があった最後の世代なんかもしれませんねぇ。2回目の^^大学3年生してて、そんなことなんか思うこともあります。「神田川」にだったか「何もこわくなかった♪」なんてのもあったと思うけど、「幸せな青春」だったんだろうねぇ、きっと。シミジミ(核爆)。
Commented by 哲ちゃん at 2006-10-14 20:15 x
ちくま文庫に『定本 二十歳のエチュード』があります。去年くらいに出たらしい。原口統三の「本文」の他に,いろいろな人の文章も併載されていて,森有正の角川文庫の文章も入っています。——じつは昨日,神田神保町の本屋でたまたま手にとったのでした。迷った末に買わなかったけれど。——でも,やはり買っておこう。明日丸善に行くので。(内田君の文章,近く送ります。)
Commented by はる at 2022-03-09 13:15 x
内田さん経営する塾に中学時代通っていました。穏やかで物静かで、子供が大好きな優しい先生でした。中学生の私にとっては、身の回りで『1番優しい大人』でした。成城の青雲塾という所です。
Commented by tiaokumura at 2022-03-09 18:54
はるさま。ご訪問並びにコメント、ありがとうございました。
ずいぶん前の記事で、コメントがあって、いささか驚きました。
内田さん、そうでしたか。彼のはにかんだような笑顔、思い浮かべています。
小生は後期高齢者^^。内田さんはもう80近くになられたかも。今も東京なんでしょうかねえ。


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