あきしのの みてらをいでて かへりみる いこまがたけに ひはおちむとす 会津八一

f0030155_15134136.jpg(9月17日午前・記)

わがことながら、記憶って不思議。霧島昇の「白虎隊」が突然口に上ったり、映画のマストロヤンニのシーンが出てきたり。マドレエヌを介することもあるんでしょうね、思い出の記憶って。あるいは加齢(エイジング)って、こういうことなんかも。

今年の西日本旅行、どうするかで、まず、秋篠寺・伎芸天が一番に思い浮かんだ。

もう半世紀ほど昔、自分、大学で国語学国文学専攻しとった。その頃の思い出。小松英雄先生のゼミ、女子2人男2人で組んでて、わしら男は酒ばっか飲んどって^^準備不足だった。女子二人は雙葉か浦和一女だったか出身の優秀な学生で、わしらと組むんはいやじゃったでしょうね。混合名簿でその順じゃったんで、彼女ら「これも運命」だと思ってくれたかどうか^^。で、上代特殊仮名遣いだったんでしょうが、発表、小松先生にコテンパン。同級生の同情というか非難の眼が痛かった。これがやがて自分の「卒業かどうか」に関わった。でもそれ、自分勝手に思い込んだだけだったんですけど、今にして思えば。あと、同専攻には革マルもおったけど少数派、圧倒的に民青・共産党系が強かった。屋上で細胞の会議があったんでしょうね、僕も招待されて参加したこと、ある。ああいうの今じゃ許されんかも。クラスでは論争もあったんだろうけど、みんなけっこう仲良かった。主義主張が異なっても排除の論理なんて働かなかったんでしょうね。1回目の大学生時代には(2回目は還暦前^^に富山大学に編入学)、教育実習もしたなあ。実習先が附属高校じゃったんで、教材研究やら授業やら大変だった。今、日本語教師やってて、そういう経験も生きているんでしょうね。


9月11日()、奈良1日目。まず訪れるのはもちろん秋篠寺。おいしいものは最初に食べるタイプです、自分^^。近鉄奈良駅のコインロッカーに荷物を預け、大和西大寺駅へ。SUICA、使えます。秋篠寺まで歩くのはキツそうなのでタクシー利用。秋篠寺。あまり人がいない。苔庭がきれい。そして、伎芸天とのほぼ半世紀ぶりのご対面。

いま、秋篠寺という寺の、秋草のなかに寐そべって、これを書いている。いましがた、ここのすこし荒れた御堂にある技芸天女の像をしみじみと見てきたばかりのところだ。このミュウズの像はなんだか僕たちのもののような気がせられて、わけてもお慕わしい。朱い髪をし、おおどかな御顔だけすっかり香にお灼けになって、右手を胸のあたりにもちあげて軽く印を結ばれながら、すこし伏せ目にこちらを見下ろされ、いまにも何かおっしゃられそうな様子をなすってお立ちになっていられた。

堀辰雄『大和路・信濃路』新潮文庫p105。振り仮名は略)

伎芸天は「頭部乾漆天平時代、体部寄木鎌倉時代、極彩色立像」、「・・・時代を隔てゝなお保たれる調和と写実的作風は限り無い人間味を湛え・・・」(お寺のパンフより)。

記事タイトルの掲出歌、これも、若い時會津八一(あいづ・やいち1881-1956。雅号は秋艸道人)が好きで、あれは角川文庫だったんかなあ、ひらがな書きの彼の歌を読み耽った。あるいは、実習旅行で事前調べがあって、各自、秋篠寺やら広隆寺やらあるいは京都の文庫とか、分担してしおりを作ったかも。この歌、

秋篠や外山の里や時雨らむ生駒の岳に雲のかゝれる 西行

も踏まえた歌かも。八一のこの歌、境内に歌碑があるみたいです。僕が訪ねたのは昼過ぎだったんで、生駒山にはまだ日は落ちていませんでした^^。


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by tiaokumura | 2017-09-11 15:13 | 美術 | Comments(0)


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