谷川俊太郎「大岡信を送る 二〇一七年卯月」
本当はヒトの言葉で君を送りたくない/砂浜に寄せては返す波音で/風にそよぐ木々の葉音で/君を送りたい//声と文字に別れを告げて/君はあっさりと意味を後にした/朝露と腐葉土と星々と月の/ヒトの言葉よりも豊かな無言//今朝のこの青空の下で君を送ろう/散り初(そ)める桜の花びらとともに/褪(あ)せない少女の記憶とともに//君を春の寝床に誘(いざな)うものに/その名を知らずに/安んじて君を託そう//
大岡信「木馬」
日の落ちかかる空の彼方(かなた)/私はさびしい木馬を見た/幻のように浮かびながら/木馬は空を渡っていった//やさしいひとよ 窓をしめて/私の髪を撫(な)でておくれ/木馬のような私の心を/その金の輪のてのひらに/つないでおくれ/手錠のように//
三浦雅士学者に深い敬意を払っていたが、学者であろうとしたことはなかった。詩が文学と芸術の中心にあると確信していた。何ごとにも強い好奇心を持ったが、好奇心を持つ自分自身というものに一番の好奇心を持っていた。・・・講演のなかで「私は物知らずですから」と再々述べていたが、謙遜ではない。知りたいことが、味わいたいことが、増えていく一方だったのだ。
大岡の身近に接して強烈に教えられたことは、人間にとってはその人格こそが最大の作品だということである。大岡は他者の人柄を、批評するよりも先に愛した。愛するに足る人柄を求め続けた。大岡の詩と批評の原型はそこにあったのだと、私は思う。
村上春樹僕にとってリズムとメロディーとサウンドは、書く上でとても大切なことです。
僕は自分も翻訳者だから、翻訳の力を信じています。・・・もちろん、翻訳を通して失われるものはある。でももしそれがよい物語なら、翻訳されたとしてもエッセンスは失われずに残るはずです。
僕の小説は二つの世界で構成されることが多い。片方が地上、もう片方が地下というように。
上林千恵子私たち自身が、外国人に頼らないと社会が回らない現実をもっと知り、認める必要があるでしょう。
田村太郎門戸を開けば、人がわっと押し寄せると心配されたのは、もう20年以上前の話です。生活支援政策を充実させなければ、だれも日本には来なくなります。
外国人に偏見があった人でも、○○さんと固有名詞でつながると意識が変わる例を、私は数多く見てきました。
改めるべきは、外国人を単に安い労働力としてみなす発想です。外国人とともに育った世代では、日本社会の一員として外国人を迎え入れることに抵抗感のない人が増えていくでしょう。
ジミー・キンメルハリウッドは国籍で差別しません。年齢と体重は差別がありますが。
(メリル・ストリープに)すてきなドレスですね? イバンカですか?
石牟礼道子『苦海浄土』・・・誰に頼んでもらえるとも思わず、一人で闘うつもりで書きました。「もだえなりて、加勢せんば(もだえることしかできなくても加勢しなければ)」という気持ちでした。
「病まん人の分まで、わたしどもが、うち背負うてゆく」。そう語った患者さんのことばが忘れられません。みなの暮らしが豊かになる代償として、苦しみをその身に引き受けなさった。それが私でなかったのは、たまたまのことではないでしょうか。
佐藤幹夫朝起きたときにきょうも一日数学をやるぞと思っているようでは、ものにならない。数学を考えながらいつの間にか眠り、目覚めた時にはすでに数学の世界に入っていないといけない。