以下、
Wikipediaと記憶を基に記述。
鶴田浩二(つるた・こうじ1924-87)は僕にとって忘れられない俳優・歌手。アップした
YouTube、聞き慣れない曲かもしれませんが『
流浪の旅』(作詞・作曲:後藤紫雲、宮島郁芳。「熱海の海岸散歩する・・・」の『金色夜叉』もこのコンビの曲)です。曲中の「二八」は2×8=16、数えの16歳です。「二八に帰るすべもなし」という、別の曲(四高寮歌?ですが、富山高校でも詞を変えて歌われていた)ですが、そういう詞もある。
鶴田は昭和24年に『
フランチェスカの鐘』で初主演。この当時、佐田啓二・高田浩二・高橋貞二・・・「二」の付く人気俳優、多かった。「フランチェスカの鐘が鳴る・・・」って流行歌、僕、知ってますが、この映画の主題曲だったんでしょうか、あるいは、歌先行か。
鶴田の歌手デビューは、自殺未遂事件の後の昭和27年の『
男の夜曲』。
鶴田で忘れられない歴史は、昭和28年、大阪天王寺での襲撃事件でしょうね。
山口組三代目・田岡一雄が全国区になるきっかけでもあった。
そして、そろそろ人気に翳りが見えた頃に主演したのが昭和38年『
人生劇場 飛車角』。東映の任侠映画で
高倉健・藤純子と並び数多く出演。3人揃い踏みの映画も何編かある。
昭和60年、癌が判明、昭和62年・
肺癌で死去。同じ年に
石原裕次郎が亡くなり、
美空ひばりはその頃は入院中で2年後に亡くなっている。鶴田の葬儀で弔辞を読んだのは
池部良。墓所は
鎌倉霊園。
鶴田、
三島由紀夫とは同年なんですね、二人は親交がある。
鶴田は
アジア太平洋戦争時、大井海軍航空隊整備科予備士官。海軍少尉・
小野榮一は特攻隊ではなかったのですが、彼の心情は後に特攻隊生き残りらに理解された。鶴田には台詞入りの『
同期の櫻』がある。
最後の出演映画は昭和60年『
最後の博徒』。出演したTVドラマには『
男たちの旅路』(昭和51年~57年)などがある。彼には数々のヒット曲がありますが、上述以外では『街のサンドイッチマン』『赤と黒のブルース』『好きだった』『傷だらけの人生』『散る桜残る桜も散る桜』など。これら、どれも、僕、
カラオケで歌えます(照)。鶴田は、左手を耳に添えハンカチでマイクを包む独特の歌い方も記憶に残る。
今頃鶴田浩二は天国で高倉健や菅原文太や美空ひばりらとあれこれ語らいながら過ごしていることでしょうね。あるいは多くの女性にキャーキャー言われながら来る誕生日を祝われているかも^^。
『旅の終わりに』が『流浪の旅』のパクリだという説、あります。どうなんでしょうネ、似てるっちゃ、似てる・・・。